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もふや人種が違うとしか思えないほどに違う平成日本人
親愛なるアッティクスへ

e0027240_11574949.jpg今日も、福岡県地方は曇天・・・。
梅雨とはいえ、いい加減、晴間が欲しくなってきます。
(←気分だけでもどうぞ・・・(笑)。)

で、昨日もあまり、ぱっとしない天気でしたので、終日、一献傾けながら、以前、録りためていたビデオを見ました。

その中で、「石ノ森章太郎スペシャル」というのがあり、私の世代には昔懐かしい、「仮面ライダー」が採り上げられていましたので、まあ、見るとも無しに見ていたのですが、私が子供の頃見ていた仮面ライダーは昭和48年辺りまですから、それ以降のライダーは知らなかったのですが、番組でも、平成ライダー昭和ライダーと言って色分けし、違いを考察していました。
で、それを見て、つくづく思ったのが、両者の主人公を見比べると、私には、同じ日本人だとは思えないんですよね・・・。
(ていうか、すでに、昭和62年放送のやつの主人公なんか、すでに、昭和の頃の顔じゃありませんでしたが、コメンテーターによると、まだ、携帯メールもない時代の仮面ライダーだそうで・・・。)

で、私が見ていた最後の仮面ライダーであった仮面ライダーV3の主人公を演じていた宮内 洋氏がゲストとして出演しておられましたが、初期のシリーズを通して立花藤兵衛役で出演されていた小林昭二さん(ウルトラマンムラマツ隊長でもあります。)は、当時、まだ、43歳だったそうで、でも、それなりの年配に見えたと言っておられました。
(もっとも、テレビが始まる前にすでにマンガで原作を読んでいた私としては、原作では、この役は、もっと、おじいさんだったので、この人がやるってなったときに、「何で、ムラマツ隊長なの?」って感じで非常に違和感がありましたけどね。)

確かに、以前も平太郎独白録 : 織田裕二の誕生日に思う人間五十年の時代の椿三十郎で、椿三十郎での三船敏郎織田裕二が、共に、40歳直前だったことを挙げ、三船に感じられた未熟な若侍を指導する風格というものが、織田君にはまったく感じられなかったことを申し上げましたが、その意味では、今の日本人は、昭和の頃の日本人に比べて、全体に「若い」ですよ。
その意味で強く思うのが、むしろ、女性・・・。
最近、気温が上がってきたせいか、うちの近所でもやたら女性のミニスカートが目立つようになってきたのですが、最近の女性の足の綺麗さには、もう、いやらしい云々を通り越して、本当に畏敬の念さえ抱きますね。
昔、我々が若い頃には、女性は本当に足が太かったんですよ。
上体がこんなにほっそりとした方なのに、足だけは・・・!みたいな。
(若干、不快な思いをされた方がいらっしゃいましたら、平にお詫び申し上げまする(笑)。)
それが今や、見事なまでに、長くて細い足で街を闊歩されているわけで・・・。
だから、美しいと思いながらも、同時に、「こいつら、同じ日本人なのか?!」と・・・。

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by heitaroh | 2008-06-30 08:57 | 社会全般 | Trackback | Comments(2)

相手の足の裏を舐めても、負ける戦はしてはならない
親愛なるアッティクスへ

亡父の遺品の中に、生出 寿 著 「勝つ司令部と負ける司令部―東郷平八郎艦隊と山本五十六艦隊」 という本を見つけました。
副題の通り、日露戦争での東郷平八郞艦隊を中心とした日本海軍と、太平洋戦争での山本五十六艦隊を中心とした日本海軍との比較分析を行った教訓本ですが、とかく、この手の批評本は、「勝った方はすべてが正しく、負けた方はすべてが愚かだった」というふうになりがちですが、(この十年くらいは随分、マシになりましたが・・・。)その点で、同書もこの範疇を出ているとは言い難く、あまり、得る物がある書物ではなかったのですが、その中に、ちょっと気になる部分がありました。

抜粋してみますと、
『対米英蘭戦の「帝国国策遂行要領」が昭和十六年十一月五日の御前会議で決定され、同日、軍令部の命令、指示にもとづいて、山本連合艦隊司令長官は、「連合艦隊命令作第一号」を各部隊にくだした。
(中略) 最終の目的は米英蘭などの戦意をうばい、講和にもってゆくことだが、じつはそれは、ドイツイギリスソ連に勝てば支那(中国)の蒋介石政権は孤立し、アメリカはヨーロッパの独伊と東洋の日本を相手に戦わねはならなくなるから、すべての敵は戦意を喪失することになる・・・という希望的観測によるものであった。
ということは、ドイツがイギリス、ソ連に負ければ、日本は米英蘭支ソのすべてと戦わなけれはならなくなり、日本の敗北は決定的になるということであった。日本は、このような希望的観測で、対米英蘭戦をはじめることにした。』・・・と。

何で読んだか思い出せないのですが、この話は以前、聞いたことがあります。
上述の「帝国国策遂行要領」を読み解いていけば、そこには、徹底して「アメリカには単独では勝てない。ドイツが英ソを屈服させてくれれば、アメリカが戦意をなくすであろうことを期待するということが書かれていたとか。
だとすれば、当時の日本の戦争指導者たちは、この程度の勝算で開戦したのか!と改めて驚かざるを得ません。
おそらくは、まず「開戦」ありきだったのでしょうが、どこの世界に、開戦の冒頭で「アメリカには勝てない。勝つか負けるかはドイツ任せ!」などと開陳して戦端をきるような国があるでしょうか?
日露戦争開戦前夜、政府部内の大勢はは開戦に傾いてもなお、伊藤博文のみは開戦を逡巡し、その弱腰をなじる壮士に対し、「諸君らの名論卓説よりも今は一発の砲弾が欲しい」と言ったという、あくまで、明確な勝算を追求し続けた姿勢とは、あまりにもかけ離れており、この点で、残念ながら、太平洋戦争当時の戦争指導者は日露戦争時の戦争指導者に比べて、大きく、及ばなかったと言われても仕方がないと思えます。

この点は、何も戦争ばかりではないと思います。仕事でも勝負事でも・・・。
そういうと、「男には負けるとわかっていても戦わねばならないときがある」と言われる方があるかもしれません。
しかし、は戦争に負けてはいけないし、会社も潰れてはいけないのです。
その上で、私は敢えて、こう言いたい。

「負ける戦(イクサ)はしてはならない。たとえ、相手の足の裏を舐めても・・・。」
                                   平太独白

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by heitaroh | 2008-06-28 08:57 | 国際問題 | Trackback | Comments(6)

巨人と玩具・・・メディアの肥大化に見る昭和33年
親愛なるアッティクスへ

先日、たまたま、ケーブルテレビで、『巨人と玩具』という映画をやっていたので、見るとも為しに見ていたのですが、この中の一場面に、思わず、「ほー」と唸る場面がありました。
(あらすじを簡単に言うと、製菓会社の社員が、イケイケの課長の下で、たまたま見つけた無名の少女マスコットガールに仕立てて売り出したところ、みるみるうちに売れっ子になってしまい、そうなると、本人たちの思惑とは裏腹に巨大な消費社会の都合に弄ばれるようになってしまう新城を描いた・・・と。)

e0027240_11325680.jpgで、この映画は、元々、開高 健の小説を昭和33年(1958年)に映画化したものだそうですが、私が注目した部分は、その中の高松英郎さん扮する宣伝課長が言うセリフです。

(←思わず、「ALWAYS 三丁目の夕日」を思い起こさせるような・・・。)

曰く、「この狭い日本が活字でぎゅうぎゅうひしめいている。しかも、編集者プロデューサーは常に紙を活字で汚し、電波を空中へ流さなければならない。それでなければ、彼らは飯の食い上げになってしまう」

・・・・昭和33年ですよ。
この当時から、既に今、聞いても違和感がないような事を言ってるのに、新鮮な驚きを得ました。
だって、昭和33年と言えば、私が生まれる前で、長嶋茂雄がデビューして、西鉄ライオンズが奇跡の逆転日本一を成し遂げた年ですよ。
メディアの数が溢れている・・・と言ったって、私が物心付いた頃の福岡県地方のテレビは民放3社NHK2局程度、ラジオもまだ、FMなんてなかったように記憶しております。
それが、今や、テレビだけでも地上波はおろか(現在、福岡市では民放5社、NHK2局の計7チャンネルが視聴可。他にも、たまにショッピング専用チャンネルが映ったりしますが。)そこにさらに、BSケーブルテレビまで入れたら、もの凄い数の放送が流れているわけで、となれば、他の媒体も、ラジオ、雑誌、そして何より、インターネットを含めれば、膨大な数になってしまうと思われ・・・。
そう考えれば、今や、「狭い日本にぎゅうぎゅうひしめいている」どころの話ではないですよね。

「マスコミは現代の独裁者、帝王です」とは、確か、元サントリーの宣伝部員であった、原作者の開高 健さんの言葉だったかと記憶しておりますが、今や、帝王は少し、肥満化しすぎて、自らの健康を害しておられるようにも感じますが・・・。

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by heitaroh | 2008-06-27 08:43 | 社会全般 | Trackback | Comments(0)

話し上手より聞き上手にみる金と銀の能力
親愛なるアッティクスへ

一般に、「話し上手より聞き上手」と言われますよね。
この点で、誰だったか、明治期の人の回想記において、「話し上手であるけれど、同時に、聞き上手・・・という人は、意外と少ない」というものがありました。
なるほど、「雄弁は銀、沈黙は金」と言いますが、確かに、金銀併せ持っている人というのは、周囲を見回しても、そう、多くはないようにも思います。
その意味で、この明治人は、その、数少ない、「話し上手にして聞き上手」の両方を持った人の代表として、福澤諭吉を上げておりましたが、この、「金」と「銀」の兼ね合いこそ、現代の日本人に求められる物ではないでしょうか。

最近、よく、国際化時代に置いて、外国、特に、アメリカ人ラテン系の人などから、「日本人は自己主張がなさすぎる」というような指摘がありますよね。
先日も、フランス在住経験がある女性と話していたところ、彼女が居たのは、フランスはフランスでも、南仏だったようで、向こうの人たちは、映画「トスカーナの休日」なでも見られるように、うかとは道も歩けないほどに「礼儀として口説いてくる」のだそうで、だから、逆に、日本人男性と結婚して日本にきたフランス人の友人などは、まったく、声を掛けられないので、「私って、それほどに魅力がないのか」と落ち込んでしまう・・・のだとか。

でも、そんなこと言われたって、こちとらは、「雄弁は銀、沈黙は金」とか、「武士は片頬三年」(武士は三年に一度、片頬をかすかに動かす程度の笑いで十分。)などという言葉にこそ、価値を置いて来たわけで、それを「日本人はおとなしい」とか、「もっと、積極的に」などと言われても・・・。
それに、「本当に、あなたたちの価値観で間違いないの?」って気もしないでもありません。
実際、交渉ごとなどでは、話しすぎるのは相手につけ込まれる隙を与えるだけだし、中国の古典などには、「交渉の時には、表情を読まれないように目は薄開きで話すべし」などと述べられているくらいで、私に言わせれば、あのラテン系の無駄な明るさは、確かに、多民族社会では融和を促す面もあるのでしょうが、同時に、他民族につけ込まれる隙を与えていることにも繋がっているような気もします。

だからと言って、我々の日常で笑いがないわけではないのですが、彼らから見ると、「日本人は日常のジョークやユーモアには不慣れ」であり、欧米人から、「日本人のサラリーマンを月曜日の朝笑わせるには金曜日の夕方ジョークをいえばいい」などというブラック・ジョークを言われるのも、ちと、心外な気もします。
ガイジンの皆さん、もし、日本人の庶民の笑いを知りたければ、いつでも、私が一献、お相手仕りましょう。
殆ど、何がおかしいのかわからないと思いますが・・・(笑)。
                         平太独白
by heitaroh | 2008-06-26 08:30 | 社会全般 | Trackback | Comments(2)

明治日本の裏切りと種芋まで食すの理
親愛なるアッティクスへ

以前、BS特集「世界から見たニッポン~明治編(2)-アジアの希望と失望-」という番組があったのですが、サブタイトルに有るとおり、当時、ひたすら、欧米列強蚕食されるばかりであったアジア諸国が、日露戦争での日本の勝利というものに対し「開放への救世主」的なものを期待し、やがてそれに裏切られていく・・・というような流れの物でしたが、これをみて、ちょっと思うことがありました。
「裏切りって言うけど、そもそも味方だったの?」・・・と。

実際、当時、日本がロシアに勝ったことは、欧米列強、特に帝政ロシアによって苦しめられていたアジアや東欧諸国にとっては現代の日本人が考える以上のものがあったようで、孫文は町を歩いていたら、いきなり、日本人と間違えられて胴上げをされたと言いますし、他にもポーランドでは未だに「アドミラル・トーゴー(東郷元帥)はビールの名前になるほどの英雄だそうです。

ただ、そのドキュメンタリーでは、具体的に、中国人ベトナム人の志有る若者や独立運動家が日本に留学して「裏切られる」までを描いておりましたが、一例として、ベトナム人の独立運動家は日本海海戦で日本がロシア艦隊壊滅させ、日露戦争に勝利したことを聞くと、勇躍、処罰を覚悟で渡海して来ます。
私的には、それ自体が、あまりにも物の見方が日本人の専売特許であるところの島国根性、つまり、過度の自分たちだけの世界観ではなかったかと思えます。
だって、日本がロシアに勝ったとは言え、それってギリギリのギリギリのやっとの判定勝ちですよ。

しかも、戦い終わったばかりでヘトヘトの日本に、「同じ黄色人種なのだからベトナムを助けてくれるはず」で、その為に、「ロシアばかりか、米英仏独までも敵に廻して戦ってくれ!」っていうのは、少々、首を傾げざるを得ないような気もします。
仮に彼らの言うとおりであったとしても、その通りにしたら、日本は間違いなく滅亡することになったと思われるわけで、とすれば、これって、「飢えた者ひもじさ(これも今や死語ですね。)のあまり、目の前の種芋にかぶりつく」ようなものだったんじゃないでしょうか・・・。

それに、ベトナム人は、「同じ黄色人種なのだから、日本人がベトナム人を助けるのは当たり前」と言いますが、日本が日露戦争で勝利する以前はベトナム人の、どの程度が果たして日本という国を知っていたの?・・・と。
同時期の日本人で朝鮮を知っていても、ベトナムを知っていた日本人も、あまり、いなかったのではないかと思うので、おそらく、ベトナム人も似たり寄ったりだったのではなかったでしょうか。
言ってみれば、世界チャンピオンになった途端に、突然、押しかけてきた「会ったこともない遠い親戚」みたいなもので、それで、「親戚には違いないんだから、巨額の負債保証人になってくれ」と言われても・・・。
日本側も、困惑以前の「・・・」だったでしょう。

他のアジア諸国にしても、日露戦争開戦時に日本に同調してロシアに対してゲリラ戦でも良いから共闘してくれたというんならまだしも、日本人が血を流して戦っている間、何もせずに模様を眺めていただけなのに、戦後、日本が勝ったら急に、「我々を助ける義務がある」・・・って言われても、ねー・・・。
                                平太独白
by heitaroh | 2008-06-24 08:52 | 歴史 | Trackback | Comments(2)

バブル崩壊と「坂の上の雲」
親愛なるアッティクスへ

先日、テレビで、マンション市況の現状についてのレポートが為されていましたが、まさしく、バブル崩壊時の様相と酷似してきましたね。
以前、新潟に行ったときに、車中より、市内の工事現場を見て、「新潟もよく建ってるよな」と言ったら、運転していた新潟人が、「こんなにマンションばかり建ててどうするつもりなんでしょうね。新潟なんて、そんなに人居ないですよ」と答えたところ、同乗していた熊本人も、「熊本もそうですよ」と言い、それを受けて福岡人である私も、「福岡もまったく一緒だよ。明らかに、実力以上に物が建っている」と答えたことがありました。
あれほど、痛い思いをして、散々、懲りたはずなんですが・・・。

かつて、日本が「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などと呼ばれた時代、ある新聞のコラムに、「かつて、明治日本にとっては、欧米諸国坂の上の雲であったが、それが今や、坂の上に登り詰め・・・、それどころか、雲を突っ切って、その向こうに行ってしまった。これにより、目標を見失い、どうしていいのかわからなくなったのが、今の日本だ」という旨のことが書いてあったことがありました。
坂の上の雲とは、言うまでもなく、司馬遼太郎氏の小説、「坂の上の雲」のことですね。

e0027240_105781.jpg(←坂の上の雲です(笑)。)

・・・今からすれば、大バカ野郎もいいところのような内容にも見えますが、まあ、あの時代の空気が読み取れるような気もしますね。
何だか、国民までが、日本が世界を切り従えているかのような錯覚を覚えていたような・・・。
明らかな、「ジャパン・アズ」と「ジャパン・イズ」の勘違いだったのでしょうけどね(笑)。

でも、その意味では、あれが、たとえ一時的な物だったとしても、経済的成功だったからまだよかったんで、軍事的成功によるものだったとしたら、少し、ゾッとします。

そういえば、日露戦争直後、「日本は一等国なんだから」という言葉が流行ったとか。
路面電車の乗客のマナーがなっていなかったので、「乗客の皆さん、行儀良くしましょう。それでは一等国の国民として恥ずかしいですよ」という具合に(笑)。
大国ロシアを破ったことで、欧米列強と並び、一等国になったということだったのでしょうが、太平洋戦争での破局に向かう素地は、この頃に出来てたんでしょうね。

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by heitaroh | 2008-06-23 08:57 | 思想哲学 | Trackback | Comments(4)

三原・川上・吉田、名監督の系譜
親愛なるアッティクスへ

2003年福岡ダイエーVS阪神の日本シリーズが開幕したとき、私は断腸の思いで飛騨髙山に居ました。
その往復の飛行機の中で、川上哲治、吉田義男両氏の著書を読んだのですが、その直前に読破した三原 脩氏に続いて、三人の監督のものを立て続けに読んだことになったこともあり、それなりに思うことがありました。

まず、三原氏ですが、彼は宿敵と呼ばれた水原 茂氏について、「巨人の監督を辞めた後、パの弱小チーム、東映フライヤーズの監督となり、それを日本一に導いた事で、初めて三原は水原を評価した」と言ってました。
巨人の監督というのは、人気ノウハウも球団のバックアップもあるんだから、勝って当然であり、それだけに、辞めた後、何ともしれない弱小球団に行って、そこを優勝させてこそ、監督としての実力を評価できるし、ひいては球界の発展の為にもなる・・・ということだったようです。
となれば、同時にV9巨人の監督、川上に対しては、巨人だけで終わった事を批判して、高い評価は与えられないと言ってました。
これは、長島さんにも当てはまることでしょうが、その意味では、王さんは巨人に拘泥することなく、自分の道を歩み始め、そして、今日、散々、だめ監督と罵倒されながらも、自らが一から育て上げた選手を率いて、試合に臨んでいることを考えれば、三原は、「よくぞ、王君、やってくれた!」と大きく頷いているのではないでしょうか。

次に、その川上の著書を読んで思ったのは、川上には川上なりのまさしく、「哲」学があったと言うことでした。
(殆どが厳しい精神論で、あまりにもその繰り返しばかりでしたので、本的には飛ばし読みをしました(笑)。川上さんも85歳だそうですが、まだまだ、ゴルフ三昧で、元気満々だそうです。)
曰く、審判の判定には、くどくどと抗議したりしない。
追い込まれたら、審判からストライクと言われそうな球には手を出せ!
相手の頭を狙ったような投球はしない。
そんなことをしなければ勝てないようなら、その分、もっと練習に精を出そう!と。
この正攻法もまた、王 貞治監督にしっかり、受け継がれているようです。
2003年の日本シリーズ前に、阪神の偵察隊が来たときも、こそこそ、隠したりなどしない。
先発はローテーションどおり。
姑息な奇襲、奇策などを必要とするくらいなら、その分、チームの力を高めようと。

一方で、三原 脩・水原 茂を第一世代、川上哲治・西本幸雄を第二世代とするならば、第三世代にあたるのが、広岡達朗吉田義男でしょう。
広岡と吉田は、ご承知の通り、巨人と阪神の名遊撃手でしょうが、それ以前に早稲田と立命館の遊撃手同士だったそうで、大学時代から、相当、お互いを意識していたそうです。
当時、広岡は六大学のスターだったそうで、それで同じポジションということもあり、当然、吉田は意識したそうですが、何と、それ以上に意識していたのが、広岡だったそうです。
何故かと言うと、早稲田の監督が、「うちの広岡より、あの吉田と言う子の方がうまい。」と発言したからだそうで、これにはいかにも広岡らしくカチンと来ていたようで、試合中に一塁ランナーとして出塁した広岡は、なんでもない併殺のときに、わざと二塁に滑り込み、そのスパイクは、辛うじて避けた吉田の足をざっくりと削り取ったそうです。
江夏などは、吉田のことを今でもぼろくそに言いますが、私は昭和60年の優勝を語るまでもなく、一回目の監督のときでも、結構、その采配は悪くなかったと評価しておりました。

タイプとしては、三原、川上、広岡というのは、冷徹という点で同じタイプの人間だったと思います。
水原・西本・吉田もまた、同じタイプだったのかもしれませんが、それだけに、吉田の著書は川上のような小難しい理論に終始することなく、結構、楽しめました。
ちょっと、2003年の阪神の優勝に舞い上がっている嫌いがないでもなかったですが・・・。
おっと、そう言えば、三原、川上、広岡の三人は全員A型ではないですか!
もしやと思って調べてみたら、水原・西本・吉田は全員、O型でした。
うーん・・・、血液型恐るべし(笑)。

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by heitaroh | 2008-06-21 18:34 | スポーツ | Trackback(1) | Comments(6)

地位に比例した児玉大将の地図を持たない人々への喝!
親愛なるアッティクスへ

e0027240_9425128.jpg明治期、医学界の権威だった医師の回想として、「今まで、色々な政府高官を診てきたが、地位が上がるに連れて能力も比例して上がっていった人は少ない。多くが、地位と能力は反比例している」というようなことを言い、続けて、「地位が上がるに連れて能力も上がっていったのは児玉源太郎大将と陸奥宗光元外相の2人だけだった」と言ったとか。
なるほど、児玉も陸奥も、確かに、人一倍、聡明な頭脳の持ち主ということは知っていましたが、地位が上がるに連れて能力も上昇していったという話は少々、意外でした。
この二人は、あるいは、非常な努力家であったのかもしれませんね。

で、そのうちの一人、児玉大将ですが、私の好きな映画に二百三高地というのがあり、この中で、とても教訓に値する場面がありました。
日露戦争開戦前夜、遂に開戦を決意した明治政府は、事に臨まんとして、児玉源太郎陸軍大将を内務大臣から格下に当たる総参謀長(事実上の陸軍の作戦指導責任者)に転任させました。
(ドイツはこの人事で、日本が開戦するハラを固めたことを推察したとか・・・。)

で、それまで、陸軍内部でも盛んに開戦論をぶちあげ、時には政府首脳に対し直訴・懇請さえした若い参謀らが多数いたそうですが、児玉大将が総参謀長に就任し、参謀本部に乗り込んできたとき、「開戦ですか!」と色めき立つ幕僚らに児玉は軽く頷きながら、「さぁ、主戦場となる満州の地図を出せ」と言ったら、その場にいた青年将校たちが、皆、顔を見合わせ、「地図・・・ですか。有ったか?」と言っ合ったとか・・・。
早速、「何ぃ!貴様ら、戦争、戦争と騒いでおったくせに地図も用意しとらんで言うておったのかぁ!」と児玉大将のカミナリが落ちたと言いますが、この話は大変、考えさせられる話です。

散々、「今しかない!」と名論卓説をブチあげていたエリート参謀たちが、実際には地図も用意してなかったと・・・。
つまり、勝てるかどうかを詳細にシュミレーションした上で言っていたわけではなかったわけですね。
まあ、彼らには彼らなりの考えがあったのでしょうが、とかく、若者とは大声で騒いでいるうちにお互いに自分たちの名論卓説に酔ってしまうという所があるのも事実なわけで・・・。
昨今でも時々、こういう人たちを見かけますが、果たして、彼らのうちのどれだけが「地図」を用意した上で言っているものなのでしょうか・・・。
                            平太独白                             
by heitaroh | 2008-06-20 08:39 | 歴史 | Trackback | Comments(2)

豊田泰光のチェンジアップ人生論に思う自己犠牲の是非
親愛なるアッティクスへ

e0027240_1342774.jpg先日、ガキ連れて、今年、3度目(?)の福岡ドームへ行って参りました。
たぶん、今年初勝利でしたね。
勝利の花火見たのが今年初めてだったような気がしますから・・・。
もっとも、私的には、贔屓の多村 仁外野手が欠場していたのが残念でしたけどね。

で、先般から触れております豊田泰光翁の著書の中に、「君はフランス人になれるか」というものがありました。
曰く、『前阪神監督の吉田義男さんがフランスで野球を教えていた時のこと。送りバントを命ずると、打者が「なぜ私が犠牲にならねばならないのか。私には打ってヒーローになる資格はないのか」と訴えてきたそうだ』という話で、まあ、お国柄といえばそうなのでしょうが、「全体の勝利」「個人の尊厳」か・・・という問題なのだと思います。

『 もちろんフランスにはサッカーラグビーといった団体競技の伝統があり、犠牲の意味も説明すれば通じるそうだが、そこには確かに「団体競技としての野球と個人」という深い問題が横たわっている。「個人」が勝ちすぎると勝利は遠ざかる。一方では、個性の発露の場がないスポーツなんて何の意味がある? となる。
 フランス人は組織より個人を前面に立てることをためらわないが、日本人は不意に自由を与えられると面食らい、戸惑う。
 たとえばカウント0-3から打って出るかどうか。フランス人ならためらいなく打って出るだろうが、日本人はそうはいかない。1球、2球待って様子をみろ、というのが球史を通して浸透してきた定石だ。お客にみせるプロ野球で四球を待つという戦法は何とも後ろ向きの発想だが、これをひっくり返すのは難儀。
 昔、三原脩監督に聞いたことがあった。「0-3から打ってはいけませんか」。すると、「いいよ」と言う。話がわかる監督じゃないか……。しかし監督は付け加えた。「だが、打つならヒットだ。凡退したらまわりがうるさい」。いかにも外国語に訳しうらそうな「まわり」の目が日本にはある。フランスの打者ほど自己主張しかねる私は、0-3は「待ち」と決めたのだった。』

なるほど、三原 脩監督という人は、合理主義者であると同時に、しっかり、現実主義者なんですね。
本来、周りの目などということがあること自体おかしいんですが、当時、西鉄ライオンズが本拠を置いた福岡では、まだまだ、排他的な雰囲気があり、三原監督自身、「よそ者」扱いに辟易することも少なくなかったといいます。
であれば、大事な場面なら敢えて・・・ということもあったかもしれませんが、大事でない場面では無理して周りを刺激する必要はないということだったでしょうか。
一方で、豊田氏のような小うるさい若造にも、頭ごなしに「ダメだ!」という言い方をするのではなく、こういう言い方をすれば、素直に従う・・・と(笑)。
なかなか、ツボに入った、素晴らしい言い方ではないですか。
もっとも、最近では、昔ほどには、0-3からのヒッティングにはうるさく言わなくなったようですけどね・・・。

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by heitaroh | 2008-06-19 08:03 | スポーツ | Trackback | Comments(2)

脱亜入欧ならぬ、脱亜入「オ」の合従連衡論。
親愛なるアッティクスへ

以前から言っていることですが、ドイツが、同じ敗戦国でありながら、この戦後60年を、政権が変わろうと、政党が変わろうと、揺らぐことなく、「力による拡張から、融和による拡大へと方針を変え」、近隣諸国との融和に力を注いできたのに対し、日本には、そのような長いスパンを睨んだ国家方針のようなものがあったのか?と言われれば、残念ながら、対米追随という、極めて自発的要素の少ない国是があっただけで、周囲に友邦すらない現状を思えば、何をか言わん・・・だったように思います。
では、かつてこの方、そういう国家方針のような物が何もなかったかと言えばさにあらずで、それが大東亜共栄圏です・・・。
大東亜共栄圏というと、どうしても拒絶反応を示される方もお有りだと思いますが、あれは、それを曲解した人たちの思想と、それを実現する為の手段が間違っていただけで、理念としてはいささかも色あせていないように思います。
(力による拡張ではなく、融和による拡大を旨とすべきと。)

とは言え、ヨーロッパでは、EUというものが出来ましたが、アジアでそういうものを作るには、やはり、中国インドという大国の存在がネックになってくるように思います。
即ち、EUというのは、皆、身の丈が同じくらいなんですよね。
その点、特に東アジアにおいては、中国はやはり、あまりにも、身の丈が違いすぎるんですと・・・。

さらに、中国というブロックは地政学的に見ても、何千年も前から、独自のブロックとして変わることなく存在してきたわけですから、この先も、形は変わったとしても、おそらく半永久的に、このブロックとして存在するでしょう。
そう考えれば、中国の周辺諸国というものの採るべき道は、何十年、何百年経とうとも、アメリカのような他の大国の存在がないとするならば、「合従して中国に対抗するか、連衡して中国の保護国として存在するか」・・・しかないように思います。
そこで、大東亜共栄圏・・・という風に申しあげたわけでしたが、実は、これには、戦前の構想とは少し違い、身の丈が似たり寄ったりの、日本、フィリピン、インドネシア・・・といった国だけでの一大島嶼連合を意識していたのですが、よく考えたら、大東亜共栄圏よりも、もっと相応しい選択肢が日本には、あるじゃないですか!
それが、OUです。
日本は、アジアの一部・・・と言いながら、よくよく、地図を見れば、同時に、島嶼部の国であり、その意味では、オセアニア州の延長線上だとも言えるわけで、つまり、日本を北端にして、オーストラリア、ニュージーランドを南端とするオセアニア州へ編入してもらう・・・、即ち、EUならぬOU、脱亜入欧ならぬ、脱亜入オです・・・。

とは言え、もちろん、これがそんなに簡単な話でないのはよくわかっています。
何より、現段階ではアメリカがそれを許さないでしょうし、他の諸国もどの程度、それを望むのかも不透明です。
オーストラリアなどは、東アジアの緊張関係に巻き込まれるのを迷惑がるでしょうし、日本だって、治安、移民などの問題を考えると、どの程度、国民的合意が得られるのかさえ、怪しいものです。
しかし、今、世界はEU、アメリカにBRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)というブロック化の流れにあるように思います。
要は、国家百年の計に鑑み、ドイツのように「国民の合意事項」として、こういう国家としての方向性だけは持ち続けるべきなのではないか・・・ということです。
実際、EUだって、実現までには60年の歳月がかかり、この先も、まだまだ、平坦な道のりではないのですから・・・。
                            平太独白
by heitaroh | 2008-06-18 08:32 | 国際問題 | Trackback | Comments(2)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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