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『小佐野は一個の小佐野であった』 五島昇、決断の背景
親愛なるアッティクスへ

以前、清水一行著、「花の嵐」という本を読みました。
同書は、国際興業創業者の小佐野賢治について書かれた小説ですが、小佐野氏といえば、国際興業創業者・・・というよりも、むしろ、ロッキード事件の被告人に名を連ね、故田中角栄元首相の「刎頸の友」であるとか、「昭和の政商」とも呼ばれたダーティなイメージでご存じの方も多いのではないでしょうか。
で、なぜ、私が彼に興味を持ったかというと、ひとつ、以前から引っかかっていたことがあったからです。

以前、ある昭和三十年代に名を馳せた老財界評論家(元財界誌記者)、三鬼陽之助翁の著書を読んでいたとき、ある記述が目にとまりました。
昭和34年(1959年)、東急の創始者にして、強引な吸収合併を繰り返したことから「強盗慶太」と呼ばれた五島慶太翁が亡くなったとき、晩年の五島翁に食い込んでいた二人の人物がいた。ひとりは、小佐野賢治で、もう一人は、ホテルニュージャパン火災悪名を高めた横井英樹であった」・・・と。
それに対して、五島翁逝去で名実共に東急のTOPとなった翁の実子の五島 昇新総帥(元日本商工会議所会頭)は、この二人に対してどのような処断を下したか・・・。
それが、「小佐野は残し横井だけを切る」というものでした。
このとき、東急内部には、「この際、小佐野も切るべきだ!」という声もあったと言いますが、五島 昇は、その声を抑えて、敢えて、小佐野は残したと・・・。
私が長年、引っかかっていたのは、この部分でした。
つまり、このときの「小佐野と横井」のは一体、何だったのか・・・と。

五島昇は1916年8月、東急財閥の御曹司として東京で誕生。
一方、小佐野は、1917年2月、山梨県甲州市勝沼町に住む家さえない極貧小作農の長男として、また、横井は、1913年7月、愛知県中島郡平和町に貧しい農家の子として誕生しています。
つまり、五島 昇と小佐野は同学年であり、横井のみは3つ年上となるわけですが、横井はさておき、五島と小佐野、この、まるで違う生い立ちをもった二人の同級生はお互いをどうみていたのでしょうか・・・。
私には、二人の間には、何か微妙な友情のようなものがあったように思えるのですが・・・。
(この二人の関係は、そのまま、政界に置ける田中角栄中曽根康弘の同級生同士の微妙な友情に投影されるようにも思えます。中曽根と五島昇は東大時代の本物の同級生であり、つまり、この四人はタスキがけの友情だったように思えます。)
そこで、この小佐野について書かれた物を求めたわけですが、結論を言えば、それは、「小佐野は一個の小佐野であったが、横井は一個の横井ではなかった」ということなのだと思い至りました。

小佐野は、前述しましたように、ロッキード事件に連座したことで、どうしても、「政商」としてのダーティなイメージが強いようですが、一方で、五島慶太翁もさじを投げた会社立て直し成功するなど、会社再建に対する手腕は翁さえも一目おいており、つまり、別に東急に寄生しなくとも、十分に一個の事業家として存在していたといえるでしょう。
それに対し、横井は、白木屋乗っ取りなどで総会屋を巻き込んでの手段を選ばぬ抗争劇などに見られる強引さという点では、強盗慶太などと大差なかったのかもしれませんが、ただ、小佐野が東急とは別個に自らの基盤を築いていたのに対し、横井はあくまで、五島慶太の名を利用し、大東急に寄生することで利益を得ようとする寄生虫に過ぎなかったでしょうか。
父亡き後の五島 昇の目は間違ってなかったようで、小佐野はロッキードに連座したものの山梨交通を始め数多くの倒産寸前の会社を立て直し、かつ、「人切りをしない事業家」として、その評価は没後さらに高まっていると言われるのに対し、横井はホテルニュージャパン火災では、数々の違法運営により、多くの犠牲者を出し、業務上過失致死傷罪禁固3年の実刑判決を受けるに至ったことからも明白であったろうと思います。

ちなみに、
小佐野賢治は1986年死去。享年69歳。
五島昇は1989年死去。享年72歳。
横井英樹は1998年死去。享年85歳。

・・・賛否両論、色々あったでしょうが、今となっては、「つわものどもが夢の跡」でしょうか。

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by heitaroh | 2008-05-31 08:13 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(0)

食糧自給率低下にみる農業立国というものの是非 その2
親愛なるアッティクスへ

船場吉兆・・・、ついに、廃業に追い込まれましたね。
使い回し発覚が決定的な打撃となったといいますが、あれが発覚したとき、私も思わず絶句したのですが、うちの家人は、「へー、でも、普通の定食屋じゃ、どこでもやってることなんだろうにね」と・・・。
これには、結構、「言われてみれば、十二分にあり得る話・・・」だなと。
今更ながら、我が身の知らぬが仏・・・愕然としましたね(笑)。
で、ちょうど良い機会ですから、以前申し上げた平太郎独白録 : 食糧自給率低下にみる農業立国というものの是非 その1の続きについてふれてみたいと思います。

食の問題が取りざたされている昨今、食糧自給率の低さが問題となってますよね。
世界的慢性的食糧危機が迫りつつあるようです。
この点では、以前、「どうせ作り手が居ないんだから」・・・などという政治家の議論を聞いたことがありますが、これは、大いに間違っていると思います。
なぜなら、これは、「どうせ全員助からないんだから全滅してもいい」・・・というような意味の話であり、であるならば、これは以前から言っていることですが、「100人助けられないときは、90人助けるようする」ことこそが政治の仕事だと思っていますから。

で、その食料自給率低下の問題ですが、この点は、前回も申し上げましたように、江戸時代、日本が自給自足できていた頃は、その人口が3千万人程度であり、なおかつ、それでいて、国民の大半が第一次産業の従事者だったわけで、それを考えれば、いくら、技術が進歩したとはいえ、山が多い日本の地勢では、1億を超す人口を養うだけの食料を生産することは本質的に無理があるように思うのです。
で、これをある程度、劇的に解決する妙案があります。
それ即ち、捨てている食料を再利用することです。

日本人は、食糧自給率をもっと上げるべきだなどと言いながら、国内には山海の珍味が満ちあふれ、さらにそれを大量に廃棄していますよね。
(国内の米の生産量の二倍もの食料品が廃棄されているとか・・・。)
期限切れとなった食品は、一部が、販売者のまかない食になっているようですが、その他は業者によって回収され、大半が廃棄処分にされ、かつ、その8割が焼却処分にされているそうです。
この点は、以前、平太郎独白録 : 歴史の真実でも申し上げた「企業が自分の力の100%を発揮できているところは少ない。そう考えると新規に開拓するとか、新たに積み増すなどということをやるより、少しでも100%に近づけることを考える方が効果的なのではないか」というものとも共通することでしょうが、食料自給率を上げる・・・などという困難なことを口走るよりも前に、廃棄される食料をもう少し何とか減らすことを考えるべきではないでしょうか。

再利用ということになると、問題の、船場吉兆が思い浮かびますが、でも、これは、客が食べ残した物を、そのまま隠して使うから、倫理上、衛生上、問題なわけで、焼くなり煮るなりして、火を通して、「残り物を再利用していますが、衛生上、まったく問題はありません」と銘打ち、弁当のおかずなどとして安く販売すれば理解も得られるのではないでしょうか。
コンビニ弁当だって、全部、国内産でやると、金額的に誰も買わない・・・といいますから・・・。
                                       平太独白
by heitaroh | 2008-05-29 08:48 | 社会全般 | Trackback | Comments(6)

自我自賛 2
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

昨日も申しましたように、人間、誰しも自我という物を持ってますよね。
本来、人は他人から指図はされたくないし、特に、それが自分が自信を持っていること、自画自賛するようなことでならなおさらです。
この点で、実は、私には、ある経験があります。

以前、平太郎独白録 : 経営統合にみる人間とは指図されることが嫌いな生き物でも言ったことですが、昔いたある会社で、私が唯一の業務経験者だった部署がありました。
私は別に責任者でも何でもなかったのですが、上司から言われて、他の同僚らに色々と教えてあげる形になったのですが、ところが、何を教えてあげても、彼らは、「そんなことしたら・・・」とか、「出来るはずがない」、「そんなバカなことを」などと、とにかく、ネガティブな反応ばかり・・・。
中には、ムリヤリ、欠点をあげつらっているようなものさえありました。
こうなると、詰まるところ、いくら懇切丁寧に教えてあげても、彼らが受け入れることはないんですね。
つまり、人間というものは、本質的に、人から指図されることが嫌いな生き物なんだと・・・。
いくら有益な指導でも、それを本心から受け入れさせる為には、本人が壁にぶつかっているか、そいつが考え出したことにするかしないと、ダメなんですね。

その意味では、昨日も申しましたように、「前を向け!」と言われれば、黙って、前を向けるアスリートというのは、指導者からすれば、大変、有り難いわけですよ。
これは、革新技術の導入という点では圧倒的に有利ですが、しかし、一方で、コーチが言っていることが正しいとばかりは限らない・・・。
昔、プロ野球のコーチの中には選手をいじくり廻して、結局、ダメにしてしまうコーチもいたとかで、大成した選手は多くが頑として自説を曲げなかった選手だと言われていました。
昨今では、野茂英雄投手やイチロー、少し前では、落合博満選手などがその代表でしょうか。

特に落合さんは、新人時代、当時の山内和弘監督から、あの「独特の打ち方を直せ」と散々言われて、「仰ることはわかりましたけど、もう、結構ですから」と言ったところ、山内監督の在任中はずっと、二軍暮らしを余儀なくされたとか。
かといって、山内監督という人物も、決して、無能な人物などではなく、現役時代は、「打撃の職人」、「シュート打ちの名人」と呼ばれ、その確たる打撃理論はコーチとなってからも、掛布雅之選手を始め、幾多の名選手を育て上げたことでも知られています。
それほどの人を持ってしても・・・、いや、それほどの人だからこそ、自分の枠にはめようとすることがあると言えるのでしょう。
その意味では、自我をなくすべきか、なくさざるべきか・・・、難しいところだと思います。
石川 遼くんの素直さが、「武器」でもあり、「不安要因」でもあるといったのはこの部分のことでした。

続きはいずれ続く・・・と思いますが未定です(笑)。
平太独白
by heitaroh | 2008-05-27 08:19 | スポーツ | Trackback | Comments(6)

自我自賛 1
親愛なるアッティクスへ

先日、プロゴルファーの石川 遼くんの特集があってましたがご覧になりましたでしょうか?
その中で、非常に印象に残ったことがあります。
それ即ち、遼くんが、コーチである父親のことを「お父さん」と呼ぶことでした。
「親父」でも、「父」でもなく、「お父さん」と・・・。
そこには、気負いも、照れも、反発もない・・・。
自然体であると同時に、自我もない。
それを裏付けるかのように、番組中、その、お父さんの日記にも、「遼は素直だ。怖いくらいに」という一文が出てきました。
なるほど、これがこの若者の強みであり、武器であり、そして、不安要因なんだろうな・・・と。
(まあ、この点は、「体は大きくてもまだ子供なんだな・・・」とは改めて、思いましたけどね。)

e0027240_11234672.jpgこの点で思い出すことがあります。

(←関係ないけど、イノスです。ソニーではありません。無論、画像を逆さまにしたわけではないことも、念のため、付け加えておきます(笑)。)

アベベというマラソン選手をご存じでしょうか?

そう、あの、「裸足のランナー」として知られるエチオピアアベベ・ビキラのことです。
この人は、日本でも東京オリンピック金メダルを獲得したこともあり、よく知られた選手ですが、ところが、エチオピア国内の代表選考時点では、必ずしも一番速かったわけではなかったとか・・・。

エチオピア政府は、1960年ローマ・オリンピックに参加するに当たって、スウェーデンからマラソンのコーチとしてニスカネン氏を招いたそうですが、彼は、当時、まだ一般的ではなかった高地トレーニングを練習に導入するなど、斬新な指導方法を導入しようとしますが、代表選考に招集された選手たちは皆、エチオピアではそれなりの健脚自慢でもあり、突然、現れた何者かわからない外国人コーチの指導になど、容易に耳を貸そうとはしなかったとか。
そんな中で、一人だけ、「ここを直せ」と言われたら、「はい」と言って従う選手がいたと・・・。
それがアベベだったと・・・。
アベベがなぜ、素直だったか。
それは、彼は、マラソン選手であると同時に、歴としたエチオピア軍人だったからだとか。
軍人であれば、それが外国人のコーチであっても、一旦、上官となった以上、その命令に従うのは当然であり、そこに疑問が生ずる余地はなかった・・・と。

・・・人間、誰しも自我という物を持ってますよね。
本来、人は他人から指図はされたくないし、特に、それが自分が自信を持っていること、つまり、自画自賛するようなことでならなおさらです。
この点で、実は、私にもある経験があります。

明日に続く・・・と思う・・・。
                            平太独白
by heitaroh | 2008-05-26 08:58 | スポーツ | Trackback | Comments(4)

器論 後編
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

私は、モータースポーツという物にはとんと興味がありません。
なぜなら、乗る車が「同じ性能」でないことが競技としては不適切だと思うからです。
かつて、F1ホンダの車が上位を独占することがありましたが、いろんな要素はあるにしても、基本的に、「速い車が勝つのは当たり前」という気持ちがあるんです。
「OO社の車がやりました!」ではなく、「OO選手がやりました!」というからには、やはり、厳密なまでに規定された同じ車で競うべきではないかと・・・。

この点で、以前、ある建設業者の方が、学校のプールを作ったときに、竣工検査の折、横幅が規定より3cmほど狭くなっていたということで大問題になったそうです。
「たった3cm」と言ったところ、「いや、これが、横側だったからまだしも縦側であれば、 何らかの記録が出た場合、すべて、参考記録ということになってしまう」と。
なるほど、コンマ何秒を競う世界は大変だ・・・と。

であれば、プロ野球の球場も、広さも形も、数センチ単位までまったく同じにするべきだと思うのです。
なぜなら、その試合だけの優劣であれば大差はないかと思いますが、プロ野球という物が、単にチームの勝敗を競うだけでなく、個人記録というものの優劣を競う面もある以上、球場によって有利不利があってはいけないでしょう。
しかし、現実には、プロ野球は平然と違う環境で試合をしてますし、さらに、驚くのは、アメリカの球場で、ボストン・レッドソックスの球場なんて、レフトスタンドにはグリーンモンスターと呼ばれる高い壁がそびえ立っていますよね。
しかし、あれはあれで、興業としての観客動員を優先させてきた球団史を物語っているわけで、その意味では、メジャーリーグとは、極論すれば競技ではなく、文化であり、興業だということであり、日本のプロ野球もそういう認識を持っておくべきなのでしょう。

e0027240_1052345.jpgもっとも、球場の広さという点では、20年ほど前でしょうか、豊田泰光氏が、著書の中で、「アメリカより狭い球場でやっている限り、いつまで経ってもアメリカの野球には追いつけない」、「選手は広ければこそ遠くまで飛ばす打撃を研究し、技術も向上する」と言われたことがあります。
しかし、当時、世間はこういう考えには否定的でしたし、私も、「果たして、研究して飛ばせるようになるものか」という点で懐疑的でした。
しかし、その後、広い福岡ドームが登場したとき、「これでは、ホームランは出ない。観客動員のためにはもう少し狭くした方が良いのではないか?」というような意見も出ましたが、現実には、小久保松中、井口、城島などが、遠くに飛ばす打撃技術の向上に取り組み、ホークスは広い球場を持ちながらも球界屈指の強打線を持つに至ったことは周知の通りで、改めて氏の卓見に恐れ入った次第でした・・・。

                          平太独白
by heitaroh | 2008-05-21 08:07 | スポーツ | Trackback | Comments(4)

器論 前編
親愛なるアッティクスへ

先日、帰宅して、テレビを付けたところ、福岡ソフトバンクホークスのナイターをやっておりました。
で、すぐに、福岡ドームじゃないことには気づいたのですが、しばらく見ていて、球場が、まるで、メジャーリーグの球場みたいで、日本の球場ではないみたいに思えてきました。
相手が西武でしたので、「西武ドームか?」と思い、傍らにいた息子に、「西武ドームってこんなに立派だったか?」と問うと、「北九州市民球場じゃないの?」と・・・。
でも、とてもとても、その立派さは草野球場に毛が生えた程度の北九州市民球場の比ではないんです。

しばらく、疑問に思って見ていたのですが、ゲストに東国原英夫知事が出ていたのに気づき、「あ!宮崎何タラ球場だ!」と。
(我々の世代は、東国原氏のことは、「そのまんま東」から、単に、「ひがし」とか、「東国原」などと呼びますが、うちの子供は、皆が、「知事、知事!」と呼ぶもので、どうも、「ちじ」という名前かあだ名だと思っているみたいで、この日もナイターに東国原知事が映ると、「あ、ちじ!ちじ!」と(笑)。)
しかし、その球場の見事さは、観客席こそ少し狭いけど、どこかの球団がフランチャイズにしてもいいほど立派でしたよ。
楽天球団などは、動かせる物なら、垂涎ものでしょうね。

e0027240_15352117.jpgかつて、福岡ドームが出来たとき、その東京ドームを凌ぐほどの立派さを見て、「あ、ホークスはこれから強くなる!」と思いましたよ。
やはり、みすぼらしくては良い選手も集まりませんからね。
現地に連れて行って、「どうだ、ここで、野球をやってみたくないか?」と言えば、選手もその気になろうってもんでしょ。
若田部、小久保、井口、和田、斉藤・・・、皆、その年のドラフトの目玉でしたが、元々、九州とは縁もゆかりもない選手ばかりですよ。

(もっとも、発想からしてすでにバブルでしたけどね・・・(笑)。来年から無くなるスーパーボックスなどが、その象徴だったでしょうか。)

昔、小林よしのりだったかが、「成人式の時、父が『スーツを買ってこい』というので、『着ないからいらない』と言ったら、『いいから買ってこい。持っていて着ていかないのと、持たずに着ていかないのとでは、皆と会ったときのこちらの気の持ちようが違う』と言われた」ということを言ってました。
事の是非はともかく、楽天が、真に強い球団を目指すのであれば、まず、器をそれなりに整えるべきでしょう。
球場で負けていたら、選手だって、引け目に感じることもあるんじゃないですか。
ホークスだって、福岡に来てすぐに福岡ドームが出来たわけではないのですから・・・。

明日に続く。
                                     平太独白
by heitaroh | 2008-05-20 17:33 | スポーツ | Trackback(1) | Comments(2)

決断とは何かを得るために何かを犠牲にすること
親愛なるアッティクスへ

「何かを得るためには何かを犠牲にすること。それが、決断というモノだ」

これは、あるマンガの中で出てきたセリフです。

その論で言えば、もはや、「あるかないか」ではなく、「いつあるのか」・・という問題に移行してきたと言われる鳥インフルエンザなどのパンデミック(感染爆発)時に置いて、アメリカでは既に「優先的に薬を配るリスト」というものが出来ているとか。
で、当初は、抵抗力が弱い老人優先だったのに対し、当の老人らから、「我々はもう十分生きた。我々より、孫たちの世代を優先的に救って欲しい」という意見が出され、子供優先へ切り替えられたとか・・・。
無論、私がここで言いたいのは、子供と老人、どちらが大事か・・・などという問題ではなく、「アメリカではこういう非常事態での優先順位に対し、すでにコンセンサスが出来ている」ということです。

日本でも、阪神大震災以来、災害時には、「助かる可能性が高い人を優先する」という一応の目処のようなものは確立しつつあるようですが、現場での、「まだ、助かる見込みがある人の人工呼吸器を外さなければならない」という医師や看護師の「覚悟」という部分では、十分だとは言い切れないようです。

以前も、JR福知山線脱線事故の際の救護活動を特集した番組を見て、こういった災害現場で患者搬送に優先順位の札を付けていかなければならない、前線での医師や看護師の葛藤というものが理解されているのかは甚だ疑問でした。
私が医者なら、こういう現場に出くわしても、知らないふりをしますよ。
だって、次から次へと押し寄せる患者のランク付けするという行為だけで大変なのに、後で、「うちの子は本当は助かったんじゃないのか?」などといわれても迷惑なだけですから・・・。
(事実、その番組で、ある看護師さんは、「治療不可のランク付けをした直後にその患者の携帯が鳴ったのを聞いて、もの凄く、動揺した」ということを言っておられましたから・・・。)
つまり、最前線で戦う人に「覚悟」を求める以上、覚悟を決めやすい環境を作ってやるのは最低限必要なことだ・・・ということですね。

その意味では、以前、博多駅大雨により川が氾濫して水没したということが二度ほどありましたよね。
ところが、あのとき、二度とも、博多駅の対岸地域は殆ど被害がなかったんですよ。
で、嘘か本当かは知りませんが、「大阪では万一、川が氾濫した場合は梅田の方にこぼれずに十三の方にこぼれるようになっている」ということを聞きました。
どちらかを犠牲にする選択をすることは、今のニッポン社会主義共和国ではタブーな話なのかもしれませんが、しかし、やはり、どちらかにこぼれる・・・という場合は、そういう決断をしておくべきだったのではないかと思うのです。
即ち、どちらが被害額が少なく復旧も容易だったんだ・・・という問題もながら、非常時には「どこを(誰を)優先的に保護すべき」だという考え方について、もっと、コンセンサスを確立しておく必要があるということですね。

もっとも、博多駅が水没したときは、福岡市の中心地・天神は水没しなかったんですが、もしかして、しっかり、優先順位付けられていたりして・・・(笑)。
                           平太独白
by heitaroh | 2008-05-19 08:30 | 社会全般 | Trackback | Comments(2)

歴史の真実
e0027240_10581740.jpg昨日、を見ました。
なぜか、薄暗い古アパートに一人で住んでおり、弟を連れて帰宅してみると泥棒が入った形跡があり、よくみると、窓の鍵をかけ忘れてる・・・。
慌てて財布を探していると、弟が「あったよ」と言って、散らばった床から拾いあげました。

ならばと、他の貴重品を探しているところで・・・夢から覚めたのですが、今朝、玄関を見てみると、鍵を差し込んだままでした。
特に盗られた物はありませんでしたが、ちょっとびびりました。

ところで、唐突ですが、企業が自分の力の100%を発揮できているところは少ないと思います。
ひどいところは半分も力を発揮できていないのではないでしょうか?
そう考えると新規開拓するとか、新たに積み増すなどということをやるより、70%しか力を発揮していないところは80%になるように、80%のところは90%になるように、少しでも100%に近づけること、即ち、水の流れを妨げている様々な弊害を取り除くことを考える方が効果的なのではないか?と思います。
(かつて、明治の元勲、大久保利通「一利を為すは一害を除くにしかず」という徳川家康の言葉を好んで使ったといいます。西洋化政策を推し進める立場にあった大久保がこういう言葉を使ったというのは、少し意外でしたが、さすがに、大久保は何を導入し、何を導入すべきでないという基準が出来ていたということでしょう。もっとも、元はチンギス・ハーンの名宰相として知られる耶律楚材の言葉だそうですが。)

私が昔いた会社でも、こういう傾向が強く、私が売り上げを上げると多くの人が喜ばないという不思議な現象が多々ありました。
(つまり、これが、以前、申しました、「社長の利益と会社の利益は=の上下に点々だが、社員の利益と会社の利益は=に斜め線だ」ということです。)

その意味では、歴史とは何が真実で何が真実でないか、実際に世の中を生きているとよくわかるような気がします。
規模や時代に違いはあれど、人間模様に違いはないからです。
史書とは必ずしも真実が書いてあるとは限らない。
勝者、あるいは著者によって都合良く書き換えられるということもあるでしょう。
また、書き手の事実誤認ということもあるでしょう。
そんなとき、人は会社運営、組合活動、ビジネス、親戚づきあいなどの人間模様を通して、「史書にはああ書いてあったけど、意外に歴史の真実とはこんなもんだったのでは・・・」などという機微に触れることがあるように思えます。
会議の席でも「何を言ったかではなく、誰が言ったかが問題になる」ということをよく聞きますが、それなどは、その典型なのでしょう・・・。
                             平太独白

by heitaroh | 2008-05-17 08:34 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(0)

島津斉彬の戦争を避けるための武装化理論の現代的盲点
親愛なるアッティクスへ

今年の大河ドラマ「篤姫」、好調のようですね。
私も、かなり、早送りしながらではありますが、一応、毎週、見ています(笑)。

で、この中で、以前、高橋英樹さん扮する島津斉彬公が言ったセリフで、ひとつ、気になっているものがあります。
それは、「異国といくさにならぬために、我が国も軍備を充実させねばならぬのだ」というものです。
即ち、「日本が、軍事的に強国となることで、外国が戦争を仕掛けようという気持ちを失わせ、ひいては、それが反戦思想に繋がる」という主旨のものだったかと思いますが、それはそれで、真理だとは思います。
(現代で言うならば、核抑止論にも似たところがあるでしょうか。)
が、私が引っかかるところ・・・、それは、この論理を現代でも有効だと勘違いする者がいるのではなか・・・ということです。

まあ、果たして、斉彬が本当にこういうことを言ったのかどうかは知りませんが、この考え方は、あの時代には、それなりに真理であり、有効だったでしょう。
しかし、それは、あくまで、19世紀の考え方であり、その考え方が通用したのは精々、20世紀までだということを我々はしっかりと認識しなければならないと思います。

まず、斉彬がこの論理の前提として想定していたであろう事は、国家による、「正規軍同士の戦闘」だったであろうと思われ、それはそれで、クリミア戦争アヘン戦争など、この当時、斉彬が得ることが出来たであろう戦争形態を見る限りでは決して間違っていなかったと思います。
しかし、現代の戦闘はかつてのように、国家の正規軍同士の戦闘で決着がつく戦争形態ではなくなってきており、それを可能にしているのは、兵器の著しい進歩・・・、特に小型化だろうと思います。
(現代では、携帯用の核兵器製造可能だとか。)
その意味では、アメリカは、今だに、ナポレオン時代のような「敵は正面から隊列を組んで来る物」をイメージしているようですが、それが前世紀の戦闘形態であることは素人目にもわかるようになってきているわけで、つまり、テロとの戦いを標榜するのであれば、どこかの国の正規軍を叩けば済むという問題ではなく、イギリスのように、根っ子の所での対策、つまり、もっと、地味で地道な対策こそが必要なのではないか・・・。
(手っ取り早くを取るには、外国の正規軍と交戦し撃破する方がいいんでしょうが。)

その上で、今や、敵は、小型で破壊力の大きな兵器を体に隠し持って、相手に甚大な被害を与えることも可能なわけで、であれば、もはや、「軍事力強化にさえ走っていれば安心」という時代ではなく、むしろ、現代では逆効果になってしまう可能性の方が高いということですね。
強大な軍事力だけ持っていて、それを使わないのが一番理想でしょうが、一旦、強大な力を持ってしまえば、軍人はもとより、国民使いたくなるのが人情・・・ですよ。
「捕鯨反対?けしからん、やってしまえ!」という具合に・・・。

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by heitaroh | 2008-05-14 19:58 | 国際問題 | Trackback | Comments(0)

国家は利権を追うも領土という固定資産を軽視するなかれ
オリエント(東洋)は領土を欲し、オチデント(西洋)は利権を求める傾向がある」とは、以前からよく私が申し上げていることですが、その論で言うならば、この、「利権を追求する」という考え方は国益という点では非常に合理的だと思います。
なぜなら、単純に領土を獲得するという行為は、必ずしも、利益をもたらすと決まっているわけでもないからです。
(結果的には負担の方が大きかったにも関わらず、無邪気なまでに領土獲得に狂奔した帝国日本こそがその好例だったでしょうか。)
これらの点を踏まえた上で言うならば、東洋の一員である日本の歴史は、まさしく領土追求の歴史であると言えるのでしょうが、しかし、その日本の歴史にも、少ないながら西洋型の考え方をする人がみうけられます。
そのひとりが豊臣秀吉です。

秀吉は、政権獲得の過程において、行きすぎるまでの利権による政権確立を推し進めますが、その結果、天下が確定した後も、実は豊臣家の領土は2位の大名とそれほど差が無い・・・ということになってしまいます。
しかし、その代わりに、あちこちに利権を有することで、財政的にはかなり潤沢な政権運営が可能でとなり、これにより、秀吉は覇者としての圧倒的な地位を維持することが出来たわけですが、一方で、やはり、秀吉が死んだ後は、黙っていても収入が得られる「固定資産」の少なさというものが、豊臣家にとっては少々、不利に働いたようにも思えます。

そしてまた、一方で、領土を獲得するという行為についても、必ずしも、利点がないわけではありません。
人間活動というものは、かなりの部分を地面海面などの足下に依存しているものだからです。
即ち、領土という固定資産を保有しているということは多かれ少なかれ、何らかの生産を行うことを可能にする基盤を保有していると言え、この点では、イコールではないにしても、領土保有はある程度の収益が期待できる・・・と。
この点は、何だかんだ言っても、今でも、アメリカロシア中国など、広大な領土を保有している国が世界に大きな発言力を有していることがその顕著な例でしょうか。

その意味では、秀吉と対照的に、利権よりも領土の拡張と保全にこそ熱心だった人物がいます。
徳川家康です。
家康が、豊臣家から政権を簒奪するに当たっては、やはり何より、秀吉死去の時点で、既に大領土を持っていたことが大きいでしょう。
そして、覇権確立後は、さらに、徳川家の領土を増やし、豊臣家を始め、大領土を持っていた大名を縮小、もしくは取りつぶし、一位と二位の差をさらに圧倒的な物にしていきます。

家康は、その死に臨み、息子、秀忠から、「父上亡き後は伊達政宗などは心配です」と言われたとき、「政宗くらいになれば、目分量がわかるから何も心配はいらない」と言ったといいますが、これなどは、「徳川家が確立した圧倒的な領土の大きさ」を指しているのだと思います。
このことからも、領土というものの侮れない価値がわかるでしょうか・・・。
                                平太独白
by heitaroh | 2008-05-13 08:17 | 歴史 | Trackback | Comments(2)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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