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昭和33年の熱球!
親愛なるアッティクスへ

先日、野田双人という人の「熱球 昭和33年番記者が見たプロ野球の青春」という本を読み終わりました。
同書は、副題の通り、昭和33年プロ野球を、当時の若手スポーツ新聞の記者の目を通して語ったもので、リアルタイムならではの臨場感があって、しかも、なかなか読みやすく、久々に楽しんで読めた逸品でしたね。
もっとも、以前、平太郎独白録 : 残滓か鎮魂か・・・。昭和36年の「革命」でご紹介した名著「革命」同様、なぜか、博多弁の使い方がでたらめなんですよ。
(意味を理解しないまま使っているので、わかる人間が読むと、もの凄く混乱するという・・・。)
戦争が終わって13年・・・。
私は生まれる前・・・どころか、両親も知り合ってもいなかった頃だったでしょうが、皆、敢えて、前だけを向いて生きていたような、後ろを振り返りたくない・・・、そんな時代だったような気がします。

で、この、昭和33年という年のプロ野球界の最大の出来事は何かといえば、何と言っても、「長嶋茂雄のプロ野球デビュー」でしょう。
(私的には、西鉄ライオンズ「3連敗から4連勝で奇跡の日本一!」なのですが(笑)。)
で、その長嶋選手は、開幕戦でデビューしたものの、国鉄(現ヤクルト)の金田正一投手の前に、4打席連続三振でのスタートとなったことはよく知られています。
(実は、翌日、金田にはもうひとつ、三振を喫しており、5連続三振だったことは意外に知られていません(笑)。)
が、実は、このとき、巨人は試合自体も金田投手の前に完封負けしており、そのショックからか、そのまま、国鉄との開幕三連戦に三連敗し、さらに、次の大洋戦にも負けて、球団史上初開幕4連敗からのスタートだったそうです。
そのため、なかなか、波に乗れない巨人は4月28日時点で、10勝12敗で勝率5割を切っており、代わって、好調だったのが14勝7敗で首位の阪神・・・。
で、この時点での順位を言えば、阪神・中日・国鉄・巨人・大洋・広島の順だったそうですが・・・・・・・って、これって、よく考えたら今年と同じじゃないですか!
(まあ、五位と六位が入れ替わってますが、それを除けば、実に面白い符合だな・・・と。)
さらに言えば、今年、巨人は開幕5連敗からのスタートだったことは記憶に新しいところですが、そのきっかけをつくった開幕三連戦で三連敗したのは国鉄の後身であるヤクルトスワローズなわけで・・・。

この年、結局、セ・リーグを制覇したのは巨人でしたが、ただ、日本シリーズでは、3年連続で、宿敵、西鉄ライオンズとの顔合わせになったものの「神様仏様稲尾様」の前に、球史に残る大逆転負けを喫し、西鉄の三連覇を許しておりますから、この辺は、リーグ優勝しながらも、日本シリーズに進めなかった去年と、また、だぶりそうな気もしますね・・・。
縁起でもない?(笑)。

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by heitaroh | 2008-04-28 08:40 | スポーツ | Trackback(1) | Comments(2)

「明日への遺言」に「ハムナプトラ」のある死をみる その2
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

映画・「明日への遺言」ですが、この、岡田 資中将の美談自体にしても、以前、平太郎独白録 : クォ・ワディス! その1 「陸軍大将 今村 均」で申しました今村 均大将の逸話からすれば、素晴らしい話ではあることは認めながらも、驚くには当たりませんでしたね。
(終戦直後、「生きては帰れぬ」と言われた過酷な収容所から、九死に一生を得て、単身、内地の収容所へと送還されるも、「まだ部下が残されているから」といって、再び、元居た収容所へ戻り、過酷な待遇にもめげることなく、後日、無事、全員を引き連れて帰国した・・・という話です。)
この点は、元帝国陸軍参謀にして兵法研究家であった大橋武夫氏の言を借りれば、「死地に陥ったとき必死で戦うのはできないことではない。しかし、いったん九死に一生を得た後、ふたたびその死地に赴くことはなかなかできるものではない」ということであり、これは、やはり、特筆すべき事ではなかったでしょうか。

現実には、岡田・今村両将のような高潔な軍人ばかりでなかったことも事実のようで、実際には、かなり醜い、なすりつけあいもあったようですが、いわゆる、「2:6:2の法則」に則っていうならば、軍人たちの中にも、こういう2割低俗な連中もいる反面、同じ2割の割合で、こういう岡田中将のような高潔な軍人もいたのではないかということではないかと思います。
(終戦時に、一番、醜かったのは、軍の備品資材などを、このときとばかり、我先に隠匿したり横領したりした軍人たちだったとか・・・。)
まあ、そういうと、「往事を知らぬ者が何を言うか!」と一喝されそうですが、そんな容易ならざる時代だからこそ、こういう高潔な軍人たちの美談は、もっと顕彰されていいと思いますが、一方で、現代日本とは比較にならないくらい、せっぱ詰まった状況下での出来事ですから、私も、戦時物資の横領や命乞いをしなかったかと言えば、それには到底、自信はありません。

で、思えば、なぜ、人は死に臨んで、醜い争いを繰り広げるのか・・・です。
人は、生きているからこそ、人は「生」執着し、その脅しに屈しようとする。
しかし、死んでしまえば、もう、この脅しというものは意味をなさない・・・。
この点で、思い起こすことがあります。
以前、「ハムナプトラ/失われた砂漠の都」という映画がありましたが、その中で、恐るべき魔神の底知れぬ能力への恐怖が描かれていましたよね。
では、何が怖いのか・・・といえば、結局、人は、「死」が怖いんですよね。
でも、死はそこに至るまでの苦しみにこそ程度の差があれ、「死」という一点に置いては変わりはないわけです。
それを強く感じたのが、この映画の中で、大英帝国の空軍上がりの老軍人が見せたジョン・ブル魂かくありき」という形での死でした。

古代世界で隆盛を誇った古代エジプトの底知れぬ魔力に対し、思えば、老軍人が所属したイギリスも、最盛期には、世界の1/4を制した大英帝国であり、何ら、気後れする必要もないわけで・・・。
これをみたとき、私は、「結局、死んでしまえば何も怖い物はないではないか」と思ったのを思い出しました。
                           平太独白
by heitaroh | 2008-04-23 18:40 | 思想哲学 | Trackback | Comments(0)

「明日への遺言」に「ハムナプトラ」のある死をみる その1
親愛なるアッティクスへ

e0027240_11193779.jpg以前、映画・「明日への遺言」を見に行った旨申し上げましたよね。
この映画は、終戦時、部下の責任をすべて被って刑場の露と消えた岡田 資中将の美談戦争裁判を通して描いた物でしたが、全体に、抑揚に欠け、だらだらと進んだような印象があります。

まあ、大俳優・藤田まことがやると、どうにも、妙に偉そうにしか見えなかったのはご愛敬だったでしょうか。
もっとも、藤田まことも御大もギャラは度外視した出演だったそうですから、思いのほどは伝わってきたような気がします。
ちなみに、岡田中将その人は、確かに、実物の写真などを見ると、暖かい人柄が偲ばれるような感じの人でしたね。

それから、小泉堯史監督という人の作品については、どういうわけか、私は三本ほど見ているのですが、まあ、良かったり悪かったり・・・という印象でしょうか。
黒澤 明監督の遺作である「雨上がる」は途中で見るのをやめてしまいましたし・・・。あれだったら、「SF サムライ・フィクション」見てれば、別に見なくてもいいや・・・という程度の物にしか見えませんでしたね。)
この作品にしても、ラストの、刑場へ向かう途中で、主人公が振り返って月を見上げるシーンなどは、真横から取るよりも、全体を俯瞰で撮り、長く伸びた影を表現する・・・とか、背景が裁判所内から大きく外れない以上、役者は微妙に見せているのでしょうが、見ている側からすれば同じような日が続くだけで、少々、間延び感が否めず・・・、であれば、もう少し、猛暑、厳寒、事故、ハプニング、トラブルを使うなどして、この日とこの日の違いなどを印象づける・・・などという工夫があっても良かったのかなとも思いますが・・・。

ま、そこら辺の些事はさておき、岡田中将の美談自体については明日に続きます。
                            平太独白
by heitaroh | 2008-04-22 08:15 | 文学芸術 | Trackback | Comments(2)

救急車とギルの笛・・・
親愛なるアッティクスへ

e0027240_12421653.jpg以前、ガキ連れて、福岡ドームにナイター、福岡ソフトバンクホークスVS西武ライオンズを見に行った折りのこと・・・。
当時、どうしても西武には勝てないし、特に、松坂を打てない・・・。
で、この日の試合も、当然、グラグラこいたので、(博多弁で「やってらんねーよ!」って意味です。何ともわかりやすいフレーズでしょ(笑)。)ドームから1時間くらいかけて乗り継ぎの駅まで歩いて行きました。

その途中、平和台と言うところがあり(福岡城跡。ドームが出来るまでの本拠地球場があった所。お年寄りには昭和30年代の西鉄ライオンズ栄光が眠る聖地。)、折から桜が満開で花見があってました。
となれば、花見に付きものの・・・、そう、あれ!救急車!です!(笑)。
・・・いました。
そして、傍らにはお決まりの、その人の荷物を抱え持った同僚の姿・・・(笑)。

昔、人造人間キカイダー良心回路なる機械が不完全なゆえ、悪玉プロフェッサー・ギルが、悪心を呼び起こすを吹くと善と悪の心が葛藤し、苦しんでました・・・(笑)。
(わかる人にはわかるという名シーン。)
酒というのはまさしく・・・。

   「飲んだなら こうなるものと 知りながら
            飲まずで済ます 浮き世でもなし」

                     東梁庵 平太 つくづく独白 


で、それはさておき、思ったのが、「こんなので呼ぶ救急車有料にしろ!」と言うことです。
確か、以前聞いた話では東京都の救急車保有台数は200台程度しかなく、これは東京都の人口を考えれば驚くべき数字で、1分間1回出動だとか(絶句!)。
おそらく、これは地方都市でも同じような状況なのでしょう。
一日に見かける回数が博多も東京もほぼ一緒でしたから。
しかも、その時の話では、その出動の6割は救急車で来なくてもいい患者で、さらに出動回数年3万件づつのペースで増加しているなどという話でした。
でも、それは考えてみれば当然なんですよね。
タクシー呼んで行ったら、金取られる上に並ばなければならない。
救急車なら無料で、しかも、並ぶことなく最優先で医療を受けられる・・・。

となれば、例えば1万円程度でもいいから料金を徴収するとか、あるいは、すべてを有料にしないまでも軽度の傷病と認定されれば、それなりの救急車代を取る・・・などしたほうがいいのではないでしょうか?
これは金銭の問題もながら、本当に必要とする人が本当に必要なときにサービスを受けられないということにもなってくるからです。
都知事も、外形標準課税の導入や旅行者への課税などを考える前に、こういうものを有料化することを考えたら?・・・と。
                             平太独白
by heitaroh | 2008-04-19 08:10 | 社会全般 | Trackback | Comments(6)

ロシアを倒した男・明石元二郎大将の興味深いロシア観
親愛なるアッティクスへ

かつて、福岡県久留米市出身で、通産大臣衆議院議長を歴任した自民党の重鎮、石井光次郎という人がいます。
この人も、総理になれなかった福岡県人でした。
昭和31年(1956年)・同35年(1960年)の2回、自民党総裁選挙に立候補したものの、いずれも敗北・・・。
平太郎独白録 : 自民党次期総裁候補に見る総理大臣論 その1。:参照。)

で、この石井翁は、かつて、台湾総督府に勤めていたことがあり、大正4年、新任の台湾総督として赴任してきたのが筑前福岡藩出身明石元二郎大将だったとか。
明石大将については、以前から、平太郎独白録 : 遅れてきた志士、筑前福岡藩士 明石元二郎 中編などでもご紹介しましたように、日露戦争に置いてレーニン革命勢力を支援、ロシアの後方を攪乱することに成功した人物で、司馬遼太郎をして、「明石一人で、日本陸海軍すべてに相当したと言っても過言ではない」と言わしめた人物ですが、石井翁は、当時、秘書官として、明石大将がレーニンやトロッキーなどと交わした手紙を整理したことがあったそうです。

その折り、明石大将は、かつて、自分が支援したレーニンらの活動について、「あの連中は勢いに乗じてここまで来たが、ロシアという国柄から考えても、あのような思想が一国を長く抑えることは出来ないと思う」と述懐していたという、極めて、興味深い話を耳にしました。
まあ、ロシア革命(1917年)からソ連崩壊(1991年)までの74年間を長いと見るか短いと見るかは人それぞれでしょうが、私は個人的に言えば、十分、短い時間ではない・・・と思いますので、このときの明石大将の見解は、結果から見れば、的はずれという形になったようにも思えます。
が、問題は、当時から、こういう見方があったということと、何より、明石大将ほどの洞察力を備えた人が、「ロシアには本質的に共産主義が根を張る土壌がない」とみていたという事実です。

それを踏まえた上で、現在、ロシアでは、プーチン大統領の下、石油や然ガス資源を国有化したことで国民経済に好調感がある反面、旧情報組織出身者の勢力伸張、コサックの復権、共産主義勢力の復活など、色々な要素が色々なところで色々に現れてきている、百家争鳴的な現象を見せてますよね。
となれば、問題はプーチン後の行方・・・ということになり、この点が極めて注目される所以でしょうが、現在のロシアを見ていると、やはり、この国には、中国同様、何か共通の、それでいて有無を言わせぬものが必要であるようにも思えます。

おそらく、明石大将が指摘したのも、この部分ではなかったかと思われますが、ただ、明石大将のこのロシア分析というものが、極めて、断片的な物でしかないため、これが、どういう根拠に基づいて導き出されたものなのかがわからず、この点では、これ以上、推察する材料がないのが何とも残念なところです。
ただ、おそらく、明石大将は、日露戦争帰朝後、その辺の分析も含めた詳細な報告書をに提出していると思われ、おそらく、軍内部で隠匿され続けた後、おそらく、太平洋戦争終戦時焼却されたのではないか・・・と思いますが、いずれにしても、何とも惜しい限りです。
この辺は、ロシアの土も踏んだことがない私では埋まらないピースであり、いかんともし難い部分ですが、もし機会が有れば、是非、「外務省のラスプーチン」と言われた、現代のロシア分析の第一人者・・・、いや、日本外交の第一人者と言っても良い、佐藤 優氏の意見を聞いてみたいものです。
                              平太独白
by heitaroh | 2008-04-17 08:59 | 国際問題 | Trackback | Comments(8)

「男なら 眼光鋭く 豊田泰光!」
親愛なるアッティクスへ

先般も申し上げました豊田泰光という人の著書を読んで、色々と考えさせられるところがあったので、それについて、しばし、触れてみたいと思っているのですが、まずは、その前に、この、豊田泰光という人物自体について、少しふれておきたいと思います。

この人は、シーズン42勝鉄腕・稲尾和久や、最長不倒距離の本塁打をかっとばしたと言われる怪童・中西 太などとともに西鉄ライオンズ黄金時代を築いた人ですが、私が物心着いたときには、もう、西鉄にはいませんでしたので、その現役時代はまったく、存じ上げません。
が、その伝説は、我々の世代にはまだ息づいており、これは福岡だけの現象なのでしょうが、私と同世代のやつらの名前には、時々、「泰光」「和久」、「太」などというのがいたほどですから・・・。

で、その前に、そのライバルであった中西 太という人についてふれておきたいと思います。
かつて、氏が所属した西鉄ライオンズを率いた三原 脩監督は、「打撃の達人を5人挙げよと言われれば、王 貞治、長嶋茂雄、川上哲治、大下 弘、中西 太。そのうち、3人の天才を挙げるならば、長嶋、大下、中西。そのうち、誰か1人ということになれば、大下 弘」と言ったといいますが、私は川上・大下の両大御所については、世代的に語るだけの材料を持ちませんので置くとして、3人の天才のうちの残る2人である長嶋、中西ですが、長嶋を動物的直感と呼ばれた反射神経に象徴されるような「技」の天才としたならば、「力」の天才と言えたのが、中西だったでしょうか。
中西 太という人が、相撲取りさながらのその巨体から繰り出す打球は、遊撃手が飛びついた打球がそのまま本塁打になった・・・とか、中西が打つと打球から焦げた臭いがした・・・などという伝説からもわかるように、また、先述したように最長距離本塁打記録を有することからもわかるように、強力な怪力を想像しがちですが、実際には、巨体に似合わず、その体は柔軟で、打席に立つ前に柔軟体操を始めるとまるで軟体動物のようであったとか。
そして、また、一方で、巨体といかめしい面構えとは裏腹に、意外に気が弱く、好機を活かしきれないことも多かったとか。

そして、同一球団で好ライバルであった王・長嶋という二人が、何かにつけて、好対照であったように、中西 太と好対照であったのが豊田でした。
中西がその柔軟な体そのものに「柔」であったとしたなら、豊田はその剛直な視線さながらに、「剛」の人だったといえるでしょう。
新人時代、あまりにも守備が下手だったことから、激しい非難が巻き起こったとき、「エラーした分、打って返す!」と言ってのけ、その言葉どおり、この年、西武の清原和博選手に抜かれるまでの高卒新人の本塁打記録を作るほどの成績を残したことに象徴される、その気性の激しさは、驚くくらい好機に強かったといいます。

「男なら 眼光鋭く 豊田泰光」・・・とは、私が昔、何かに走り書きした一文でした。

その、彫りの深い顔立ちと相まって、昔の写真などを見ると、とにかく、格好良かったですよ。
                                 平太独白
by heitaroh | 2008-04-15 08:24 | スポーツ | Trackback | Comments(4)

福澤諭吉の勝海舟嫌いは木村摂津守への立ち位置の違い
親愛なるアッティクスへ

明治草創期、新政府で勢威をふるった薩摩・長州の二大派閥・・・。
薩摩人は、新政府構築についての意見を勝 海舟に仰ぎ、長州人福澤諭吉に求めたといわれています。
二人は、まさしく、当時を代表する新時代の知識人だったでしょう。

そして、勝も福澤も、共に、当時の社会体制にあっては優遇された立場からのスタートではなかったこともあり、門閥優先の封建制度を激しく嫌悪おり、優れた能力者同士、一度出会えば、すぐに肝胆相照らす仲であったように思えるのですが、実際には、両人の仲はあまり良好なものではなかったようで、特に福澤は、勝が維新後に栄達を得たことを批判するなど、生涯にわたり批判的でした。
この、福澤の「勝嫌い」は、元を辿れば万延元年(1860年)、咸臨丸での太平洋横断に始まります。

このとき二人は、遣米使節団の一員としてアメリカ合衆国へ渡ったのですが、後に、福澤をして、「蒸気船を初めて目にしてから、わずか7年たらずで、日本人手によってのみ行われた世界に誇るべき名誉」と言わしめたほどのこの大航海ですが、実は、初めて経験する太平洋の荒波の前には、日本側乗組員の大半はまるで使い物にならず、事実上は、同船していたアメリカ側乗組員の手によって、相当の部分が運行されていたとか。
そして、この点は事実上の指揮官として、また、海軍通の第一人者を自認していた勝も例外ではなく、特に、伝染病の疑いが懸念されたこともあって、航海の大半を自室に閉じこもって終えたのに対し、逆に福澤は、医学的知識が豊富だったこともあってか、船酔いもせず病気にもならなかったことで、福澤の、勝を見る目は太平洋の海面よりも冷たかったでしょうか。

さらに、福澤の目を厳しくしたのが、勝が艦長・木村摂津守喜毅に次ぐNO.2として、事実上の操船指揮官であったのに対し、福澤は、その、木村の従者として、自費での乗船だったことでした。
そういうと、従者待遇への不満が原因であったかのようですが、事は、勝の「上司」にして福澤の「主」である、この木村という人物に起因します。

で、この木村摂津守ですが、この人は、勝・福澤と違い、浜御殿奉行の嫡子という名門の家に生まれました。
従って、叩き上げの実力派を自認する勝からすれば、木村という男は、「名門の出」というだけで艦長の役職を与えられた唾棄すべき存在であり、このため、勝はこの航海中、木村を露骨なまでに無視・・・、というよりも、いびり抜きます。
しかし、一方で、木村にとってはこの任命は必ずしも歓迎すべきものではなかったようで、というのも資金難の幕府は任命はしたものの、出せる金はなく、従って、渡航資金はすべて自費。
木村は家宝を売り払っての捻出だったとか。 
さらに、元々、幕臣でも何でもない福澤の乗船を許したくらいですから、身分を鼻に掛けるだけの無能な人物などではなく、航海中も外に出るときは福澤を従者として扱ったものの、一旦、自室に戻ると、年下の福澤を、自分と同じ椅子に座らせ、「師」として遇し、真摯にその意見を聞いたとか。
これなどは、「同じ価値観を持つ一級の人物同士でも、見る位置が違えば、これほどに違って見える」・・・という好例でしょうか。

従って、福澤からすれば、勝というのは、木村の人となりを見ようともせず、「ボンボンだから無能」と決めつけ、ことあるごとに偉そうなことを言うくせに船酔いばかりで何も出来ない嫌な奴以外の何ものでもなく、一方で、勝の度重なる嫌がらせにも温顔を崩すことなく耐えている木村の姿・・・。
たぶん、私が福澤だったら、たとえ、勝の学識や人物は認めたとしても、「こいつとは、一生、付き合うことはない」と思ったでしょうね。
もっとも、勝からすれば、木村はともかく、何で自分が福澤からこんなに嫌われているのかは困惑ものだったでしょうが・・・。
                             平太独白
by heitaroh | 2008-04-11 08:12 | 歴史 | Trackback | Comments(4)

福田総理の現状にみる「名官房長官、名総理ならず」の理
福田康夫総理大臣・・・、なーんか、パッとしませんねぇ。
就任時には、良識派として、その手堅い手腕に期待したのですが・・・。
ちなみに、先日、うちの小学校低学年のガキが、テレビを見ながら、「福田総理は(総理に)なるのも早かったけど、辞めるのも早かったね」と呟いたのには、思わず、大笑いしてしまいました。
こいつ、わかってるのかよ・・・と(笑)。
とても、わかっているとは思えないけど、ある意味、良いところを突いているような・・・。
私も、この呟きに異議を唱えるつもりはありませんから・・・(笑)。
思えば、こういうのは単なる偶然などではなく、得てして、難しいことを考えるよりも、世の中の雰囲気だけを漠然と感じ取っている方が的確に認識できるものなのかもしれませんね。

で、その福田総理についてですが、まず、先般からの日銀総裁選出のゴタゴタについていえば、野党も野党ですが、与党も与党で、特に総理は、もう少し、リーダーシップというものを発揮できないものかな・・・という印象を持ちましたね。
以前も、平太郎独白録 : 発足四ヶ月目でみる福田康夫内閣の評価と課題で申しましたように、衆参ねじれ国会という難しい政局での登板というのもわかるのですが、それにしても、一連の政策すべて、少し、無策に過ぎるようにも思えます。
(昨日の国会論戦でも、総理の誠実さはわかるのですが、泣き言を言っているようにしか聞こえませんでしたし・・・。)

また、それ以前に、総理の姿勢という点で指摘したいのは、先の参議院選挙で大敗したことについては、その敗因を「改革を進めた結果」としての国民の疲弊とその批判に求め、元のばらまき予算に戻りつつあるような自民党を容認しているかのようにも思われることです。
しかし、参議院選挙の少し前に行われた衆議院の郵政解散のとき、国民は圧倒的に小泉純一郎元総理を支持したことを考えれば、それは何か違うような気がするのです。
つまり、果たして、旧来型の「ばらまき予算」、「利権誘導システム」が縮小されたことが、先の参議院選挙で大敗したことの本質だといえるのか・・・?、それらを復活させれば、国民の支持はつなぎ止められる・・・という認識は正しいのか・・・?ということですね。
即ち、あの参議院選挙における大敗というのは、私は当時の安倍晋三総理の失政という要素が大きかったように思います。
衆議院選挙で小泉さんを大勝させたはずが、未熟な安倍さんに独裁権を与えたような形となってしまったことで、国民は「大丈夫か?」となり、「反動」という形で応えた・・・ということですね。

こういう点を考えていくならば、やはり、福田総理には、毅然とした態度で政局運営に臨んでもらいたいのですが、現状を見る限り、残念ながら、それがあまり感じられません。
それらを踏まえるならば、やはり、福田総理に対する評価としては、「名官房長官、名総理ならず」ということになるのでしょうか・・・。
これ即ち、内閣総理大臣とは「決断の機関」であり、調整で決着がつくなら総理はいらない・・・というのが私の考えだからです。
                         平太独白

by heitaroh | 2008-04-10 08:24 | 政治 | Trackback(2) | Comments(6)

現代も生き続ける長州閥の恐るべき閨閥形成への貪欲性
親愛なるアッティクスへ

「二キ三スケ」という言葉をご存じでしょうか?
今更、釈迦に説法とは存じますが、戦前、日本の傀儡国家だった満州国で勢威をふるった五人の実力者、東条英機、星野直樹、鮎川義介、岸 信介、松岡洋右の、それぞれ、末尾の一文字をもじった言葉です。
つまり、「キ」「スケ」というわけですね。
ところが、このうちの2キを除く、三人の「スケ」ですが、この三人は、いずれも皆、長州人でして・・・、それは、まあ、明治の藩閥政治の名残・・・ということを考えれば、まあ、驚くには値しないのかもしれませんが、実は・・・、この三スケ、長州人であるばかりでなく、皆、縁戚でもあったのです。
(参考:平太郎独白録 : 日本の中枢で現代も生き続ける長州閥

まず、日産コンツェルンの創設者・鮎川義介ですが、鮎川の大伯父は明治の元勲・井上 馨であり、さらに、イトコの子供は、岸 信介の息子に嫁いでおり、となれば、当然、岸 信介の娘婿である安倍晋太郎安倍晋三の父子も縁戚に連なるわけです。
さらに、そこから、岸の実弟、佐藤栄作元首相の妻を通じ、三国同盟締結時の外務大臣で3スケの一人、松岡洋右にも連なるわけですね。
(ちなみに、吉田 茂元首相・・・、そして、その孫、麻生太郎前外相も縁戚関係に連なります。)

さらに、この閨閥を一層、深淵な物にしているのが鮎川の妹婿で久原房之助という人物です。
まず、久原の叔父、藤田伝三郎は維新の動乱期に、高杉晋作に師事して奇兵隊に身を投じ、明治の元勲・木戸孝允、山田顕義、井上馨、山県有朋らと親交を結び、やがて、これらの人脈を活かし、太閤園椿山荘箱根小涌園ホテルフジタ京都などでも今日も知られる藤田財閥を築き上げた辣腕実業家として知られています。
そして、久原自身は廃藩置県前の長州藩の藩都・萩に生まれ、戦前は、逓信大臣を務め、政友会総裁として政界の黒幕としても知られる一方で、日立製作所の基盤となった久原鉱業所(日立銅山)や久原財閥の総帥として「鉱山王」の異名を取っ財界人でもありましたが、閨閥を紐解くならば、彼には、妾腹の子を含めると3男10女の計13人の子宝に恵まれたことで、閨閥作りに一層の彩りを添えることになります。
即ち、長女は元衆議院議長・石井光次郎に、三女は大隈重信の孫・信幸に、四女は東急グループ創設者にして、強盗慶太とあだ名された五島慶太の長男にして、日本商工会議所会頭を勤めた五島 昇に嫁いでいます。

で、その五島親子ですが、父、慶太の東大時代の同級生は、讀賣グループ社主・正力松太郎らであったのに対し、息子、昇の東大寺代の同級生としては、中曽根康弘元首相が知られています。
その、昇氏がまだ婚約時代、当時の中曽根青年を房之助翁に合わせたところ、翁はたちまち、中曽根の才気を気に入り、是非、別の娘を嫁がせたいと言い出したとか。
あいにく、このとき、中曽根にはすでに婚約者がおり、翁は「何とかならんか」と粘ったといいますが、結局、断腸の思いで断念せざるを得なかったそうで、このとき、昇氏が「あいつのどこがそんなに気に入ったんですか?」と聞くと、翁は、一言、「彼は声が良い」と言ったとか。
すでに、中曽根青年の政治家としての資質を見抜いていたということでしょうか・・・。
ダイヤと見れば原石であろうが何であろうが、片っ端から取り込んでいく・・・、恐るべし久原房之助、恐るべし長州人・・・ですね。
                               平太独白
by heitaroh | 2008-04-07 08:00 | 歴史 | Trackback | Comments(6)

ケネディ暗殺の真犯人!
親愛なるアッティクスへ

e0027240_144556.jpg男というのは、ああいう父親にだけはなりたくないと思っていても、妙なもので、自分の父親嫌いなところが似てくる。
人に指摘されて、意地になって意識しているとよけい似てくる・・・。
昨夜は、少し、飲み過ぎました・・・。
がんばりましょう、ご同輩(涙)。

さておき、先日、床屋に行った折りに、漫画・「ジパング」を読んだのですが、そこで、一つの推論に行き着きました。
ケネディ暗殺の主犯が誰なのか?・・・・と。
私はかなりの自信を持って言い切ります。
CIAでも、マフィアでもジョンソン副大統領でもなく、むろん、オズワルドの単独犯行でもない・・・と。

e0027240_1685894.jpg(←ま、そりゃそうだ。)

その根拠は、その漫画にヒトラー暗殺未遂が出てきたことです。
これを読んで、改めて、如何に要人暗殺というものが難事であるかということを痛感しました。
おそらく、それはヒットラーに限らず、スターリンも、はたまた、今の北朝鮮などでも大差はなかったと思われます。
(ヒトラー?ヒットラー?「ドイツもこいつもヒットラー」・・・なんて昭和のギャグを思い出してしまいました(笑)・・・、あ、すみません。)

最初は独裁性が高いほど暗殺が難しくなるのかとも思いましたが、それでは必ずしも説明がつかないようです。
そう考て行くと、あそこまで見事に、組織的に、世界に冠たる要人中の要人アメリカ合衆国大統領を殺すことができた人物は、どうしても一人しか思い浮んでこないのです。

おっと、賢明なる貴台様に、これ以上言うのは釈迦に説法ですね。
失礼しました~(笑)。

                               平太独白
by heitaroh | 2008-04-05 06:59 | 歴史 | Trackback | Comments(5)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
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プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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