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祝!石の上にも三年の3周年記念! 付属報告編
親愛なるアッティクスへ

ついに、明日より四月・・・。
ガソリンは下がるそうですが、代わりに色々な物が値上がりするようですね。
取り急ぎ、ビールを買いだめしてきました(笑)。

e0027240_12201691.jpgとりあえず、上がるのは、サッポロだけだそうですが、ま、他のもいずれ上がるでしょうから買っておいていいかな・・・と。
どうせ、これから暑くなるんだし・・・と。

(←福岡タワーを真下から見上げた画像です。見上げるほどに高い・・・繋がりですね(笑)。)

で、まずはご報告です。

このたび、別館だったgooの方の平太郎独白録を今月一杯を持ってリストラすることにしました。
これからは、本館である、こちらの方に一本化する次第です。
お手数ですが、ご理解のほど、お願い申し上げます。

これは、先日から申し上げておりますように、始めた当初は平太郎独白録- livedoor Blogからのスタートだったのですが、3ヶ月くらい過ぎた頃、「ライブドアのブログがある日、突然、消えてしまった」という記事を目にしました。
そこで初めて、書き留めた物が消えてしまう危険性に気づいたことで、「これはならじ」予備としての別館併設必要性を思い立ったわけですが、このブログも三年を過ぎた今、予備を残しておく必要性はなくなったのではないかと思い至りました次第です。
(つまり、それほどの物でもないし、消えたっていいんじゃないの・・・と。)

で、そんなこんなで、これまで両者を併設していながら、なぜ、gooの方をリストラするのか・・・という点ですが、それは特に、gooの方が悪い・・・というわけではなく、偏に私の個人的なブログにおけるニーズによるもの・・・(というよりも、私の個人的な嗜好の問題)です。
むしろ、ブログ内検索に関しては、エキサイトは非常に出来が悪く、「これは、以前、書いたあれがあったよな・・・」と思い、検索してみると、検索にやたら時間かかる上に、「キーワードに一致する結果が見つかりませんでした」と出る・・・。
で、ならば・・・と、一文字、二文字減らして、同じ、ワードで検索してみると、またもや時間がかかったあげくに、しっかりと、その文言で検出される・・・という体たらく。
それを、gooで検索すると、その場で、過去の古い分からずらっと一瞬にして挙げてくれるんですよ。

それに、個人的な感覚ですが、エキサイトは、どこか閉鎖的な臭いがします。
エキサイト・ユーザーだけを囲い込んでしまおう・・・みたいな。
人の目に触れる機会もgooの方が多いんじゃないですかね。
何か、そんな気がします。

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by heitaroh | 2008-03-31 08:44 | その他 | Trackback | Comments(8)

祝!石の上にも三年の3周年記念! おまけ編
親愛なるアッティクスへ

e0027240_15583244.jpg←昨日、たまたま入った店で昼飯の後に出てきたアフターコーヒーの画像がです。

なかなか個性的な器だな・・・と思って、撮影したのですが、少し、近づきすぎたでしょうか、パッと見は何かわからなくなってしまいましたね(笑)。

で、本日は、3周年記念が、訳あって中途半端に終わりましたので、今更ながらのおまけ編です。
過去二回の周年記念号においては、それぞれ、副題である「アッティクス」と私の名前のいわれについて述べましたので、今回の周年では、私自身のことについて述べてみたいと思います・・・と言いたいところですが、実は、本当は、ここで、別の・・・、もっと、しっかりした周年に相応しい内容を考えていました。
が、それはまた、次回の4周年(あるのか?(笑)。)のお楽しみに廻すとして、私にもっとも相応しくない、私のファッション観というものについて述べてみたいと思います。

かつて、司馬遼太郎をして、「日露戦争において、日本軍陸海両軍匹敵する働きをした」と賞賛しめた、筑前福岡藩出身の軍人、明石元次郎大将は、風采にまるで気を使わなかった人だそうで、人から、「もう少し、気を遣ったらどうだ?」と言われたとき、「身なりなどに気を煩わされないのが筑前武士というものだ」とか。
別にそれに触発されたわけではありませんが、私も、元々、ファッションなんてものにはあまり興味がありませんで、以前、友人にそう言ったら、「あまり・・・じゃなくて、マッタクだろうが」と言われました。
まあ、確かに・・・と(笑)。

ここで、私に好意を持ってくださっている数少ない女性の皆様のために(←ここ、笑うところです(笑)。)くれぐれも誤解のないように申しあげておきますが、ファッションに興味がないといっても、決して、不浄不潔という意味ではありませんよ。
むしろ、逆で、家人などからは、「ちょっと汗かいたからと言って、日に何度も着替えやがって!」と言って怒られてます(笑)。

で、その、ファッションという点では、私にはひとつの理想とする姿があります。
それが、ゴルゴ13です。
ゴルゴ13とは、言うまでもなく、国際社会暗躍するスナイパーを描いたさいとう・たかをロングラン漫画ですね。
(私が幼稚園くらいから連載されてますが、やつは一体、いくつなんだ・・・と(笑)。)

彼は、報酬として大金を得ていますから、決して、貧しいわけではない・・・どころか、大金持ちなんですよ。
しかし、労働者として潜入しなければならない場合には作業服を着るし、浮浪者に成りすまさねばならないときには浮浪者の格好もする・・・。
つまり、私は、おしゃれとしてのファッションについては興味が無く、衣服については、機能性のみしか考えておりませんで、色形などどうでも良く、従って、ブランドなどにはまったく興味がない・・・ということで、強いて、おしゃれなどという物を求めるなら、そのときそのときで、必要なシチエーションにだけ意を持ち得ればいい・・・と思っている次第です。

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by heitaroh | 2008-03-29 17:47 | その他 | Trackback | Comments(6)

ホームでの突き落とし殺人に思う鉄道会社の責任の是非
親愛なるアッティクスへ

e0027240_13435297.jpg←最近、色々あって・・・、昨日は、珍しく独りで飲ってました。
隣はカップルでしょうか・・・。
私がいる間は、この上に物が並べられることはありませんでしたが・・・。

ところで、先日からの、相次ぐ少年の凶悪犯罪についてですが、今朝も「少年の心の闇」・・・などという、いかにもワイドショーが喜びそうな視点から、例によって張り切って採り上げられてましたが、ただ、私は、特にそのうちのJR岡山駅の事件については少し思うことがありました。
即ち、この事件に関しては、こういった「背景」以前に、鉄道会社の責任を云々する声があっても良いのではないかということです。

事実、岡山県警の調べによると、「少年は、当初、ナイフで事件を起こそうとしたが怖くてできず、結局、ホームから人を突き落とすことにした可能性がある」とのことで、だとすれば、もし、電車のホームが安易に突き落とせる構造になってなかったら・・・、もしくは、そこにいる人がこの状況の危険性を十二分に認識できるような啓蒙を受けていたら・・・、かなりの可能性で、この事件は防げたのではないかと思うのです。

まず、ナイフで人を殺す・・・ということですが、これは、実は、それほど簡単なことでもありません。
なぜなら、相手も抵抗する・・・というこの難しさもながら、刺した経験の無い人は、「さあ、刺せ」と言われても、「はい、そうですか」と刺せるものではない・・・ということがあります。
料理をしたことのない人が、「さあ、この鶏を捌きなさい」と言われても、なかなか出来ないくらいですから、ましてや、万物の霊長である人間は簡単には刺せないでしょう。
ところが、電車のホームというのは、例外的に、それが極めて簡単にできる状況にあるわけですから、本来、運営者側は、この点に十分に配慮する必要があったのではないでしょうか。
鉄道会社は、一刻も早く、これに対応しないと、この事件は、「安易に人が殺せる」方法があることを満天下に示したわけですから、次もある可能性もありますよ。

この点では、阪急の創始者・小林一三翁だったかが、最初に鉄道事業に乗り出したときに、経営の師匠であった北浜銀行岩下清周頭取だったかから、「駅のホームにはを付けるべきだ。そうでないと、上客は乗車を危険視して、その電鉄会社を敬遠するようになる」と強く要求されたことを思い出しました。
小林翁は、岩下頭取の要求にも頑として従わず、そのまま、開業したのですが、 それが、今日、電車のホームには柵がないことが一般的な形となったことで、これを翁の先見性だというような評価が為されている向きもあるようです。
ただ、このとき、翁が柵を設けなかった本当の理由は資金不足であり、そのときに口にしたのが、「欧米でも柵がないのが一般的だ」というものだったのですが、それを日本の電鉄会社は、安易に、「欧米でもそうなんだから・・・」という神話として受け入れすぎて来たのではないか・・・と思えるのです。
昭和の通勤ラッシュの時代など、よく、あれで責任が問われなかったものだな・・・という気もしますが、ちなみに、福岡市営地下鉄では、最近では、自動開閉式の柵が設けられています。

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by heitaroh | 2008-03-27 17:25 | 時事問題 | Trackback | Comments(7)

祝!石の上にも三年の3周年記念! 後編
親愛なるアッティクスへ

e0027240_1510597.jpg一昨日、いつものように川沿いの歩道を歩いていると、目の前で1m大魚が釣り上げられるところに出くわしました。
何と今日の記事に相応しい目出度い画像かと・・・。
で、「これ、何という魚ですか?フナ?」と聞くと、「いや、ソウギョだ」とのこと。

・・・私はソウギョが何か知らないのですが、針を外すと、そのまま、おもむろに魚を川にドボン・・・。
「食べないんですか?」と聞くと「食べるとは聞かんな」と・・・。
何か、絶版になったにも関わらず、中古市場ではなぜか定価以上で売れている拙著、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を象徴しているような・・・、目出度さ半分・・・といったところでしょうか(笑)。

で、気を取り直して、昨日の続きです。

その、自分では自信作ではあったものの、発表しようにも対象の賞が見あたらなかった最初の拙著ですが、その後、さて、どうしたものかな・・・と思っていたところ、「他に応募した作品でも可。字数も問わない」という自費出版系の出版社の賞が目に付きました。
まあ、これに応募すると言うことがどういうことかくらいはわかりましたが、他に選択肢もなく、やむなく応募したものの、こちらでも、字数の多さ(=本の厚さ=値段が高くなる=買い手が限られる。)敬遠されたとのことで、結果、落選・・・。
で、その出版社より声がかかったわけですが、もとより、こういう会社の営業トークを本気にすることはなく、一旦、これを断りました。
(もっとも、本音を言えば、自信があった作品だけに、こういう形でしか世に出せないことに対して忸怩たる物があったことが最大の要因でしたけどね。)

とはいえ、このまま、お蔵入りにするのも忍びなく、自分の中で、しばし、葛藤があった後、ある先輩の「私の取引先の社長は最近、乗っていたセスナ墜落して亡くなった。人間、悔いの無いように・・・」という言葉を聞き、また、出版社も、かなり値引きした金額を提示してくれたことで(後で、計算したところ、ほぼ、向こうも原価でしたね。)、さらに、通常は1000部しか刷らないところを、当初から、2000部刷る・・・という力の入れようを示してくれましたので、ようやく、重い腰を上げた次第でした。

が、結果は、無名の著者の本がすぐに売れるはずもなく、数ヶ月程度で店頭からも姿を消したわけですが、ここで、私は思いました。
田中角栄進歩党大麻唯男から、『君は何もしなくて良いから』と言われて初めて公認で選挙に出たとき、話と違って、誰も何もしてくれなかったので落選したことから、『よし!自分の力で通ってやる!』と思い直し、次の選挙で当選した」・・・と。
また、「歌手の松崎しげるさんは、名曲〔愛のメモリー〕をひっさげ、外国で賞を獲得して帰国したのに、何の話題にもならず、レコード化もされなかったので、自分でことあるごとにレコード会社へ売り込みをかけて、ようやく、世に出た」・・・と。

とはいえ、業界に何のコネも知識もない私にできる自助努力などあるはずもなく、そこで、まずは「自分の主張を知ってもらうこと」から始めようと、手を付けたのがブログでした。
ということで、「石の上にも三年」と言いますので、この3年間、休日以外は一日も欠かすことなくUPし続けてきましたが、ちょうど、先頃には、その、拙著、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]2000部を売り尽くし、このたび、目出度く絶版になったこともあり、「もう、この辺で良いかなー」と思うようになってきましたね・・・。

ということで、とりあえず、お付き合いくださってお疲れ様でした・・・。

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by heitaroh | 2008-03-21 00:09 | 私小説 | Trackback | Comments(12)

話の種にモンゴル式住居ゲルに泊まった肥前路 その7
親愛なるアッティクスへ

先週の続きです。

e0027240_132147.jpgこの鷹島という島ですが、行ってみて思いましたが、大きさの割には船が入れられるの数が多いんですよね。

(←元軍来襲時に日本側本営跡より睨む眼下の港。おそらく、往事にはここに元の大船団がひしめいていたのでしょう。)

最寄りの港としては、現在でも3カ所もの港からフェリーが出ているようですし、それ以外の港も含めると、繋留可能港はかなり多いのではないでしょうか。

e0027240_1323139.jpg(←鷹島守備隊本営跡に置かれた日本側現地軍司令官・少弐経資の像。戦死した経資の像は今も港を睨む。)
また、大船団の繋留港としては広さもながら、その深さというものも問題になってくるでしょうね。
この点まではわかりませんが、見た目的には問題ないように思えました。

e0027240_1324877.jpg(←鷹島で食べたアジ丼。鉄火丼のように鯵の刺身が乗ってくるのか・・・と思いきや、フライにされた鯵が乗ってきたときには、結構、新鮮な驚きを覚えましたよ。味の方も、見かけに似合わず(?)、まずまず、美味しかったですし・・・。)

で、鷹島に置ける元軍の最期に触れておくと、弘安4年(1281)、平戸島において友軍との再編成を終えた元軍は、捲土重来、再度、博多湾に侵入すべく鷹島沖へ移動を完了・・・。
無論、日本側も手をこまねいてみていたわけではなく、軍船による執拗な夜襲を敢行し、元軍に少なからぬ損害を与えるも、大打撃を与えるには至らず、両軍共に、にらみ合いのまま、運命の7月30日夜半・・・を迎えたところ、この夜、つかの間の静寂に包まれる両軍に、突如、激しい暴風雨が襲いかかり、特に、海上にいた元軍大船団は大打撃を受けた・・・と。
辛うじて生き残った兵士らも、日本軍の掃討作戦にあい、「日本遠征に参加して帰還しなかった者は、元軍(蒙漢軍と蛮軍)十万有余人、高麓軍七千余人」と伝えらるほどの損害を出し、「元寇」はここに終結します。
いわゆる、「神風」というやつですね。

ちなみに、この暴風雨については、最近、真鍋大覚九州大学工学部助教授が、興味深い推論を発表されました。
曰く、『中国南部の泉州湾の海底から引き揚げられた南宋時代の軍船を、風と波に対する船の復原力を計算した「船舶安全基準」にあてはめ、これをもとに、この船を沈没させるに足る台風の規模を計算したところ、結果は、「最大瞬間風速54.57m、中心気圧938ミリバール、毎秒25m」という暴風圏を持つ超巨大台風となった』・・・とか。
やはり、神風だったのでは・・・(汗!)。
                            平太独白
by heitaroh | 2008-03-20 20:54 | 歴史 | Trackback | Comments(8)

祝!石の上にも三年の3周年記念! 前編
親愛なるアッティクスへ

おかげさまをもちまして、このブログも2005年の3月下旬(実は結構あやふやです(笑)。)より書き始めて以来、3周年を迎えることが出来ました。
この間、UPした記事は836本、訪問者数はメインのエキサイトと当初やっていたライブドア75,000名、これに、別館であるgooも加えれば、おそらく、延べ15万名以上の方にお越し頂いたものと思われまする。
(ちなみに、検索ワードランキングでは、その時々で色々と変動はあったものの、なぜか、「瀬島龍三」というワードが、絶えず上位にランクインされていたことが印象的でした。他にも、何でこれなんだ?・・・というのも、ちらほら・・・(笑)。)

これもひとえに、皆々様のご厚情あってのことと、厚く御礼申し上げます。

e0027240_1132549.jpg(←毎年恒例、特に関係ないけど周年が殺風景過ぎるのもいかがなものかという、ただ、それだけの理由での画像です。私のホームグラウンド・博多駅前の夜景ですね。そういえば、過去二回は「道」繋がりでしたが、今回も、まあ、道と言えば、道ですね(笑)。)

思えば、このブログを書き始めた三年前・・・、当時、私はそのちょうど1年前の平成16年3月に、処女作、「傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯」を出版していました。
実は、この作品は、自分的には、それなりに自信はあったのですが、ここが地方にいる身の哀しさで、書いたは良いが、それをどうやって世に出せばいいのかが皆目検討がつきませんで、やっと、手がかりを掴んだのが、当時、とっていたそっち関係のメルマガでした。
そこには、「持ち込みなんてのは、まず、見てももらえない。に応募するのが王道」と書いてありましたので、なるほど・・・と思い、賞に応募することとしました。

ところが、調べてみたら、推理小説以外は、殆どの賞が「原稿用紙200枚以下」であり、中には、「50枚以内」というものさえある始末で、私のそれはと言えば、すでに、原稿用紙650枚になっていましたので、200枚以下では、少々、減らしたところで到底無理なわけで、やむなく、一つだけあった原稿用紙500枚以内の賞に応募しようと、様々なところをカットし、さらに、雑巾を絞るように、点や丸、さらには行を削除するなどして、ようやく、500枚ちょうどにしました。
ただ、その賞は、一応、「ジャンルは問わない」とは書いてあった物の、過去の入選作品を見てみると、明らか拙著とはにニーズが違うものばかりで、この点、そのメルマガにも、「賞には賞の求めている雰囲気のようなものがあるので、自分の作品が、それにあっているかもよく検討すること」とも書いてありましたが、そうは言われても、もとよりこちらには字数の問題で、賞に対しての選択肢などはないわけで・・・。
で、その結果は・・・というと、やはり予想通り、箸にも棒にもかからない・・・というものに終わったわけですが・・・。

後編へ続きます。

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by heitaroh | 2008-03-19 08:31 | 私小説 | Trackback(1) | Comments(12)

豊田泰光のチェンジアップ人生論に思う大部屋の効用
親愛なるアッティクスへ

先日、球界の一言居士と言って良い、元西鉄ライオンズの名選手、豊田泰光翁の著書を読み終えたと申しましたが、その中でいくつか考えさせられる話がありました。
まず、そのうちのひとつが、プロ野球選手の遠征時「宿泊」についてでした。
曰く、『旅館からビジネスホテルへという宿泊形態の変化は日本の旅を大きく変えた。大部屋文化から個室文化へという「個人」重視の象徴的な現象だが、プロ野球選手にとっていいことばかりではない』・・・と前置きした上で、『昔は主力だって個室を与えられることはなかった。よくて二人部屋で、普通は三、四人』だったそうで、その面での不便は色々とあったようですが、翁が説くのはその効用の部分でした。

曰く、『野球選手などというものは結局は一人一人が個人営業の事業主で、すべての企業機密を公開したら商売にならないから、隠しておく部分も多いのだが、上達のヒントはお互いに交換する』・・・ということであり、その上で、『西の端の球団、西鉄は遠征も一番長く、博多-川崎-東京-大阪-博多といった具合に、二週間、三週間と続く。最初の一週間は花街に遊びに出ていた野武士たちも、最後は路銀が寂しくなり、宿舎でくすぶるようになってくる』・・・と。
すると、手持ちぶさたの数人が野球談義を始めると、ぞろぞろと集まってきて、『勉強会』となり、『みんな何かを吸収してやろうとギラギラしていた』・・・ということになったのだとか。

私なども、ホテルよりは旅館の方が好きな人間なので、羨ましいようにも感じますが、もとよりそれは、家族や友人など、気心が知れた者同士で行く旅の場合・・・。
職場まるごと出張・・・などという場合は、そうはいかないでしょう。
誰しも、気むずかしい上司との相部屋などはご遠慮蒙りたいでしょうから・・・。

ただ、この話を聞いて、どうしても想起してしまうのが、私が常日頃、企業人として敬愛する本田技研工業元副社長にして、事実上のホンダの創業者であった藤沢武夫氏の話です。
本田宗一郎氏に代わり、ホンダの経営を一手に担っていた氏は、ホンダの役員室をそれまでの個室から大部屋にしています。
本来、大企業の役員ともなると、個室をあてがわれるのが普通なのでしょうが、敢えて個室を取っ払って、全員、大部屋に入れてしまったわけですね。
まあ、この辺は、創業者でないとなかなか出来ないような思い切った措置なのでしょうが、大部屋なればこその効用は決して小さくないと思います。
(その最大の効用は何と言っても、風通しでしょう。縦割り組織の悪弊を一番上の部分で再び繋げてしまう・・・わけですから。また、お互いの目があるわけですから、背任行為の防止にも繋がるでしょうし。)

豊田氏も、その辺をこう結んでおられました。
『帰ったらすぐ個室に直行というホテルだとこうはいかない。若い選手の大部屋であり食堂、かつ、ミーティングの場でもあるという旅館の大広間あってこそ。遠征先やキャンプ地のホテルをのぞくと、ロビーのテレビゲームに興じている選手がたまにいるが、野球談義に興じている姿などみたことがない』・・・と。
こと、風通しという点では、個室にしてていいことは何もないですよ・・・。
                           平太独白
by heitaroh | 2008-03-17 00:44 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(8)

原則論を軽んじるがゆえの三権分立の現実!
親愛なるアッティクスへ

e0027240_11501540.jpg今朝は3時に起きましたので、今ごろは白河夜船です。
眠くって、考えはさっぱりまとまりません。
で、適当にお茶を濁します(笑)。

(←佐賀県の鏡山山頂よりの夕景。なんか、日本の原風景残り香のようなものが・・・。)

以前、誰だったが、外交を専門にする学者の方の著書で、「原則があって外交上手というのはイギリスくらいで、アメリカを始め殆どの国が原則があって外交下手というものである。対して、原則が無くて外交上手というのはタイくらいで、原則が無くて外交下手というのは哀しいかな日本くらい」という記述を目にしたことがあります。
当時、この「原則」という意味が、イマイチ、わからず、しばらく考えた後に、「あ、哲学ということか」と思い当たったので、この話を知己にしたところ、「いや、それは哲学とは少し違う。あくまで原則なんだよ」ということを言われました。

そこで、この話は私の中で課題として残っていたのですが、その後、しばらく時が流れ、ようやく、愚鈍な私にも、「哲学」と「原則」の違いについて思い至ることできました。
確かに、言われたとおり、ここで使われていた「原則」は、あくまで、「原則」であり、「哲学」というのとは、少し、違いましたね。
身の不明が慚愧に堪えませんでしたが、それからまた、長ーい年月が流れ、その違いは・・・忘れました(笑)。
ただ、「哲学」と「原則」が違うものだということだけ、形骸的に頭に残っております。

その上で・・・、そもそも、この国の政治家全般には原理原則というものが無さ過ぎると思います。
以前、東京都の石原慎太郎都知事が、「都内のホテル・旅館などの宿泊施設に課税する。イヤなら東京に来るな!」と言ったことがありましたが、旅行者から都民の為の税金を取ろうなどと言い出すこと自体、見識を疑います。
それでは、都民には負担は少なく、都知事としては万々歳でしょうが、こういうのは、たとえ、役人からそういう意見が出ても、都知事が「いや、都の財政が厳しいのはよくわかっているが、都民税金は都民が負担するべきだよ。旅行者から都の税金をもらうわけにはいかない」と言って、原則論で歯止めをかけなければならないものだと思います。
石原都知事としては、とりあえず、自分の実績さえ上がればいいという考えでしょうが、大体が原理原則論を持たないという点では、日本の政治家一般に当てはまることのようです。

年金国債宗教・・・etc。
み~んな入口の段階で原則論を盾にストップをかけておけば容易だったものを、時の政権が自分たちの今現在に有利だから・・・と、安易に導入した結果、今となってはもう、誰も止められない・・・そう言うものが多すぎるようにも思えます。
今や現代の真の三権分立の三権とは、行政・立法・司法ではなく、マスコミ官僚宗教ではないかと思っています。
                            平太独白
by heitaroh | 2008-03-15 08:42 | 政治 | Trackback | Comments(2)

山本浩二選手と広島カープの昭和50年 その3
親愛なるアッティクスへ

遅くなりましたが、先週の続きです。

判定に抗議して、退場処分となった後もホームベース上に座り込んだ昭和50年当時の広島カープの指揮官・ルーツ監督ですが、これは、ルーツ監督によると、単なるパフォーマンスだったといいます。
しかし、当時は、なにせ、外人監督との接触自体が殆どなかった時代です。
従って、こういうアメリカ型のパフォーマンスに慣れていない日本の審判団は大いに困惑し、広島の球団代表に説得を要請したことから、ルーツ監督は一旦はそれに従いグランドをから出たものの、「グランド内でのことは監督に一任する」・・・という姿勢が出来ているアメリカでの常識からすれば、フロントが介入してくるという越権行為がどうしても許せなかったようで、ダブルヘッダーの第2試合を前に、「監督としての権限を冒された」として、選手たちに「今後、広島の指揮は執らない」と宣言。
球団からの慰留にもかかわらず、そのまま、帰国してしまう・・・という事態になってしまいます。
で、後任には古葉竹識コーチが昇格し、指揮を執り始めたわけですが、これには、当時、「やはり、広島は広島か・・・」と思った方も少なくなかったのではないでしょうか。

ところがその後、広島は、古葉新監督の下、快進撃を続け、この年、悲願の初優勝を達成するわけですが、その原動力となったのが、3割30本を打って首位打者のタイトルを獲得した山本浩二選手だったわけですね。
で、先日も述べましたように、元々、それほどの選手ではなかった山本選手が、この年を境に突然、打ち始め、さらにリーグを代表するような本塁打王になったのには、おそらく、このルーツ監督との出会いが大きかったように思います。
(あるいは、ルーツ監督がアメリカから持ち込んできた何か・・・、たとえば、サイン盗みのようなものがあったのかもしれません。つまり、相手のサインを知ったことで、もともと、ヤマ張り打者だった山本選手の洞察力に磨きがかかった・・・と。この辺は、ここ数年の外人監督の躍進とだぶって見えるような・・・。)
本人は「払うような感じでバットを振ることを覚えた」と言っておられましたが、確かに、それもあるのでしょう。
しかし、私には、それ以上に大きかったのが、「なぜ、勝利を目指すのか」という根拠を与えられたことだと思います。

ちなみに、新チームの改革を推し進め、チームに新風を吹き込んでいたルーツ監督が突然、辞めて帰ってしまうというアクシデントに、「やはり」という感があったという話については、奇しくも、同じく、万年最下位から一転優勝した昭和35年のときの大洋ホエールズもまた、同様の経緯をたどっています。
開幕戦の試合前の練習中に、対戦相手である中日の杉下 茂コーチのすっぽ抜けたノックバットが、大洋のエース・秋山 登投手の頭部を直撃し、そのまま病院送りになってしまう前代未聞のアクシデントが発生し、動揺した大洋は開幕戦を落としたばかりか、中日との開幕3連戦に全敗し、さらに、チームはその影響で開幕から7連敗という苦しいスタートを切ることになったとか・・・。
ちなみに、このことは、中日側にしても、自軍のコーチが相手のエースに怪我をさせての開幕ダッシュというものには、相当、心苦しいものがあったようで、シーズン終盤、ほぼ、優勝争いが、巨人と大洋に絞られ始めた時期での大洋との3連戦では見事に3連敗して借り(?)を返していますけどね(笑)。
                                 平太独白
by heitaroh | 2008-03-14 08:11 | スポーツ | Trackback | Comments(2)

日銀総裁不在の可能性にみる危機管理の欠如
混迷の様相を深める日銀の次期総裁選びですが、昨日、政府が提示した元財務省事務次官で現日銀副総裁の武藤敏郎氏の総裁昇格に対し民主党を中心とする野党による反対多数で不同意となったと聞きました。
折から、米連邦準備制度理事会(FRB)や欧州中央銀行(ECB)など欧米の中央銀行では、「サブプライムローン問題による混乱を抑える目的で短期金融市場への協調資金供給実施」・・・という発表をしたばかりであるだけに、日本の不手際だけが余計に目に付く格好になったようですね。
ていうか、日本の方は、不手際どころか、このままでは前代未聞の日銀総裁不在などという状態も想定されるわけで・・・。

この点では、党利党略のみで国益を考えようとしない民主党にも「いい加減にしろ!」と言いたい気もするのですが、ただ、「財政と金融の分離」を唱え、財務次官経験者の昇格を否定する民主党の言い分もわからないでもないような気もします。
もっとも、そうは言っても、そんなの、「今更」という観もなきにしもあらずですし、何より、「同意権だけがあるんだから、『誰が良い』ということを言う必要はない」と言い、かといって、「党首会談を」求める福田首相には応じようとしない小沢一郎民主党党首の姿勢には、やはり、党利党略優先という臭いを強く感じざるを得ません。
物価の番人と言われる日銀の総裁を不在にするという、国民生活へも直結するような話を「人質」として、政争の具にしている野党の姿勢には、どうしても、首を傾げざるを得ないところです。
「今回は、緊急のことであるから、一応、認めるけど、あくまで財務行政経験者は日銀総裁にはなることができないということを明文化する」ということを合意事項とでもしておけばいいのではないでしょうか。

それよりもむしろ、そもそも、「次の日銀総裁が国会の同意が得られない場合、日銀総裁の職が空席になってしまう」・・・ということが問題なんですよ。
アメリカのFRBなどでは、「総裁人事について、議会の同意が得られない場合、前任者がそのまま業務を行う」となっているそうですね。
何で、こんな大事なこと・・・、いや、当然のことが決まってないのでしょうか?

思えば、平成12年(2000年)4月2日、当時の小渕恵三総理が現職のまま急死したときも、意識を失う前に、病室で青木幹雄内閣官房長官(当時)を首相臨時代理に指名していたとされましたが、このときも、本当に総理にそんなことを言う余力があったのか・・・ということが、随分、追求されましたよね。
このときは、おそらく、当時の自民党の有力議員らが密室で談合して、そいう話にしたのでしょうが、そもそも、一国の総理大臣が任期中に執務不能になった場合に「誰が引き継ぐのかが法制化されていない」というのが驚きでしたよ。
(おそらく、今でも決まってないでしょ?聞いたこと無いし・・・。)
であれば、総理大臣には副総理という職制をきちんと整備し、日銀総裁など、国会の同意が必要な職責に関しては、同意が得られない場合の法整備をこそ、急ぐべきだと思うのですが・・・。
                  平太独白
by heitaroh | 2008-03-13 08:54 | 政治 | Trackback | Comments(0)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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