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ドラマ「フルスイング」にみる夢が途切れたときの論理 後編
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

高畠氏は、番組の中でも少し言ってましたが、元々、高校時代、甲子園を目指しながらも甲子園には行けず、卒業後もどこからも指名はなく、それでもプロを目指し、大学やノンプロを経て、ようやく、南海ホークスドラフト5位で指名されたものの、今度は怪我に泣き、選手生活はわずか5年で終わった・・・と。
つまり、彼は甲子園という夢に向かい果たせず、プロ野球選手という夢に向かい、夢破れた・・・という経歴を持っていたわけですね。
しかし、彼は、引退後、当時の野村克也南海ホークス監督(現楽天監督)に認められ、29歳という若さで新たな打撃コーチという仕事に巡り会います。
当初は、年上で自分より実績がある選手もいたでしょうから、それなりに葛藤やジレンマなどもあったでしょう。
しかし、彼は、やがて、そこに新たな「夢」を見出します。
つまり、彼は同じ野球でありながらも、「自分でやる」ことから、「選手を育てる」ということに「夢」を見出した・・・、いや、夢を軌道修正して、また、夢を使えるようにしたといえるわけですね。
(この話は、何もプロ野球に限ったことではなく、要は、主体が「自分」から「他人」に変わっただけ・・・と。)

なぜなら、往々にして、夢というのは「自分の為」のものであり、元々、他人のために夢を描いている人というのは少ないように思うからです。
であれば、視点を転じ、自分を捨て、今度は他人のために何かが出来ないか・・・と。

平たく言うならば、まず、夢破れた時点での選択肢は3つある・・・と思います。
即ち、
1.まだ、燃え尽きていないとして、あくまで「夢」を追いかける。
2.もう、十分にやったとして過去の栄光を思い出として、または遺産として、別の道で生きていく。
3.あくまで何らかの形で夢に関わりながら生きていく。
・・・夢とは、無論、各人各様であり、最終的にどうするかは自分で決めなければならないことなのでしょうが、とかく、多くの人が「1」と「2」の二者択一を迫られているように思えます。
つまり、それと別に、第3の道もある・・・ということをこそ、「夢」を語る上では生徒に教えてあげるべきではなかったかと思うのです。
(第3の道を歩き、あるいは縁在って、また、元の夢追い道に戻る可能性もないとはいえないでしょう。)

つまり、フルスイング第1話での「夢」の話には、単に、「夢を無くしていけない!」で終わらせるべきではなく、むしろ、こう言うべきだったでしょう。
「夢というのは絶対に持つべきであり、目指すべきだ。しかし、すべての人がそれが実現できるとは限らない。夢破れたときに、どうするかこそが大事だ。そこでどうするかによって、そこから先のが随分違ってくる・・・。しかし、それは各人各様でもあり、従って、その結論は自分で出さなければならない。しかし、夢に携わって行きたいと思うのなら・・・、あくまで、夢から大きく外れたくないと思うのなら、そういうときは、夢への視点を『自分』から『他人』へと移してみることも考えてみるべきではないか・・・」と。
                                    平太独白
by heitaroh | 2008-02-29 08:50 | 思想哲学 | Trackback | Comments(4)

ドラマ「フルスイング」にみる夢が途切れたときの論理 前編
親愛なるアッティクスへ

以前、NHKのドラマ「フルスイング」というのをやってましたよね。
元プロ野球の打撃コーチとして、落合イチロー、小久保、田口、サブロー30人以上の選手を育てた名伯楽であり、球界を去った後に、還暦間近で福岡県高校教師となった高畠導宏氏をモデルにしたドラマでしたが、高畠氏を演じた主演の高橋克実くん(意外でしたが、彼は私と同級生だったんですね。どうみても見えない・・・という(笑)。)は初のドラマ主演だったこともあったのか、少し肩に力が入りすぎていたような気もしないでもありませんでした。
実物は、ちらっと見た限りでは、もっと、朴訥な人だったように思いましたし・・・。

ついでに言えば、あの教頭先生役の人、見覚えはあるけど誰だっけ・・・と思っていたら、何と、本田博太郎さんじゃあ~りませんか!
ちょっと見ない間に随分とおじいちゃんになられているのに結構、びっくり・・・。
二昔前までは、二枚目俳優として一世を風靡していたイメージがあるのですが・・・。

で、それはさておき、このドラマですが、最初の第1話が、「夢」で始まり、最終回が「気力」で終わりましたよね。
まあ、「気力」の方は、自分がであることを生徒に告げる場面でもあり、当たり前すぎるようなセリフかなとも思いましたが、一方の「夢」の方でも、私なりにちと思うことがありましたね。
このセリフは、主人公である高畠氏が、この学校に、最初に教育実習で来たときに、その教育実習最後の日に、黒板に「夢」と大きく大書し、生徒らに「夢」を持ち続ける事の大切さを熱く語る・・・という場面で出てきた言葉だったのですが、「夢」を持つことは良いことだし、道を誤らないためにも必要なことなのでしょうが、彼は、「夢」を語る上で、もっとも大切なことを言っていないんですよね。
それ即ち、「夢が途切れたとき」のことです。

人間、「夢」というものは必要です。
ただ、夢を追いかけている間は良いんですよ。
目の前にあるゴールテープに向かって走っていればいいんですから。
しかし、本当にそれが実現できる人というのは、ほんの一握りの人であるというのもまた現実であり、であれば、いつかは夢破れる・・・、あるいは、夢と決別しなければならない日が来るわけで、本当に、生徒に教えてあげなければいけないのは、むしろ、そこから先のことではないか・・・と思ったわけです。
そして、その意味では、この高畠氏こそ、それを語ってやる上では適任中の適任だったのではないかと・・・。

明日に続きます。
                              平太独白
by heitaroh | 2008-02-28 08:31 | 思想哲学 | Trackback | Comments(2)

話の種にモンゴル式住居ゲルに泊まった肥前路 その4
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

e0027240_13493853.jpg名護屋城(←)を出て、そのまま、長崎県に入り星賀港というところへ到着・・・。
ここから、車ごとフェリーに乗って、モンゴル村がある鷹島という島へ渡ったわけですが、でも、私自身は自分で運転して車ごとフェリーに乗るのは初めての経験だったんですよ。

思えば、私が子供の頃は、よく、家族旅行などでどこかに行くときには車ごとフェリーに乗った記憶がありますが、気が付けば、フェリーに乗る・・・という行為自体、少なくなっていることに気づきました。
で、何でかな・・・と考えてみれば、最近ではどこもが架かってしまっているんですね。
だから、車ごとフェリーに乗る必要がなくなったわけで・・・。
実際、この鷹島も、立派な橋が工事中で、来年3月完成予定だそうです。

ま、そういう意味では、少し不便ではありましたが、車ごと船に乗る・・・というのも子供たちには良い経験になるだろうと思い、それもあって、敢えて、ここに向かったわけですが、だいぶ早めに着いたので、待ち時間1時間に対し乗船時間はわずか7分(笑)。
鷹島上陸後、一路、モンゴル村へ・・・といくはずが、なぜか、上陸早々、道を間違えたと思ったら今度はカーナビ誤作動して、海の上を走るように指示してくる始末・・・(汗)。
結局、看板を頼りにやっとの事で到着・・・。
着いてみて改めて感じましたが、ここは、冬には殆ど来る人がいないようで、連休中にもかかわらず、宿泊客は我々と他にもう一組くらいしかいませんでした。
で、生まれて初めて、モンゴル人の住居「ゲル」に入りました。
感想は・・・というと、思ったより暖かいな・・・と。

e0027240_13285341.jpgこの日は、風が強く、おまけに島の突端に位置する場所なので遮る物もなく、かなり寒かったのですが、中には、一応、エアコンはついていたものの、12畳くらいあったにも関わらず、割と低めの温度設定で、十分、暖まりましたし、毛布をはねのけて寝てましたから・・・。

ただ、あと、室内にある設備と言えば、テレビとベッド、それに、簡単なテーブルくらいで、風呂・洗面所・トイレがない為、その場合は、屋外に出らねばならないのがちと、不便でした。
トイレなど、夜中に、小さな子供一人で行かせるわけにもいかず、さらに、私は、夜半、一人で寝酒をしていたのですが、せっかく、眠くなったのに、外に出て、冷気に当たるとまた酔いが醒めてしまい・・・、後はご想像にお任せします(笑)。

明日に続きます。

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by heitaroh | 2008-02-27 08:20 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(0)

話の種にモンゴル式住居ゲルに泊まった肥前路 その3
親愛なるアッティクスへ

先週の続きです。

で、唐津城を出て、次に名護屋城へ向かったのですが、以前、私は、一昨年の10月下旬にも秋田人を連れて、肥前路を旅したことがありましたので、てっきり、ご紹介申し上げたとばかり思っていたのですが、どうやら、何も触れてなかったみたいですね・・・。
で、改めて・・・。

e0027240_1132929.jpgまず、ナゴヤと言っても、どえりゃあナゴヤ名古屋城とは違います。
こちらは、佐賀県名護屋にある名護屋城です。

豊臣秀吉朝鮮出兵のときに前線基地とした城ですが、城と言っても、今では石垣しか残っていないものの、その規模たるや、単なる寒村の城跡とは思えないものがあります。

黒澤 明監督の映画「乱」の撮影が行われたことでも有名ですが、昔は、単に石垣しかなかったのに、今では、立派な博物館が作られており、しかも、ここの素晴らしいところは「無料」だと言うことです(笑)。

(その代わり、昔は石垣は散策自由だったのですが、いつの間にか、「清掃協力費100円」なるものを取るようになっており、私はそんな物がいるなんて知りませんでしたから、何で、おばさんが睨んでるんだろう・・・と思いながらも、ずんずん、行ってしまいました(笑)。出るときになって、初めて、そういうものの存在に気づきましたが・・・。)

e0027240_1112642.jpgで、この名護屋城博物館(←)ですが、ここには実物・模型取り混ぜて、様々な物が展示されているのですが、なかでも私が感心したのが、豊臣秀吉朝鮮出兵についての日本側韓国側、それぞれ、双方の高校教科書の記述が紹介されていることです。

私は、当初、中身を見るまでは、またいつものように、韓国側のそれはヒステリックな論調で日本を責め立て、日本側のそれは自虐的にごめんなさいを連呼しているようなものだろうな・・・思っていたのですが、意外に、両国とも客観的に冷静に書いてありましたね。
結構、最初見たときは、「ほー」と感心しましたよ。

明日へ続きます。

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by heitaroh | 2008-02-26 08:06 | 地域 | Trackback | Comments(2)

新銀行東京にみる原理原則を軽んじる石原都知事の是非
親愛なるアッティクスへ

先日、東京都は、自らが1000億円を出資し経営不振に陥っている新銀行東京(本店、千代田区)に対し増資する方針を打ち出しましたよね。
同銀行の累積赤字は07年9月中間決算で936億円に達し、この増資をもって財務体質の改善を図るのだとか・・・。

この手の問題については、私の意見は、以前、平太郎独白録 : 日本振興銀行にみる融資という名のせめぎ合い。の中で言ったとおりで、日本振興銀行仕掛け人である木村 剛氏がインタビュー記事の中で「この銀行は、借り手が出資してできた銀行だから、借り手の気持ちがわかる銀行だ」という一言があったことで、この銀行の先行きには、かなり、疑問符をつけておりました。
即ち、本来、借り手貸し手とは、利害が相反するものであり、融資とは借り手と貸し手のせめぎ合いの中から生まれるものだと思うからです。
(貸し手は少しでも金利は高く、借り手は少しでも金利を低く・・・。
貸し手は少しでも担保を取ろうとし、借り手は少しでも担保余力を確保したい・・・。
貸し手は少しでもリスクを抑えようとし、借り手は少しでもリスクを冒させようとする・・・。)
その意味では、貸し手と借り手が、お互いの気持ちなどわかる必要はなく、また、わかってはいけないものだと思うのです。
で、「こんなことを言っているようでは・・・」と思った次第でした。

で、同様のことが、新銀行東京にも言えると思います。
似たようなことは、福岡市などでもセーフティネットの一環として、低利での緊急特別融資なども行っておりますが、その前提となるのは、一般の金融機関貸さないようなところに貸す・・・ということなのでしょうから、それは当然、焦げ付きも多くなるということであり、かといって、一般の金融機関と同じように採算重視路線を採るのであれば、「官業の民業圧迫以外の何ものでもない」ということになるわけで、つまりは、それを行政が行うということに本質的な無理があると言えるでしょうか。

ただ、「自治体の有力な構成員である中小企業というものを守る」ということは、自治体の長としては、当然、看過できないことでしょうし、石原慎太郎都知事がいうように、「中小企業救済は、本来、がやるべきことであり、国が何ら有効な対策を打ち出せないから都がやらざるを得ない」という主張もよくわかるのですが、やはり、それを東京都(行政)がやるということは、都民から集めた税金でそれをやるということであり、都民の税金で一部の人を救済し、焦げ付いた分については一般の都民から徴収するというのはあまりにも本末転倒であるように思います。
それに、自治体の首長としては、誰しも、こういう口当たりが良いようなことをやりたいわけで、これを「良し」としておくことは、この後は、皆、選挙対策として、こういうことをやりたがるようにもなることであり、この点は、以前から、日本の政治家全般に原理原則論を軽んじる傾向があるように思えると言うことを申し上げてきましたが、特に石原都知事においては、その弊害が強いように思えます。

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by heitaroh | 2008-02-25 08:52 | 経済・マネジメント | Trackback(1) | Comments(14)

「ルムンバの叫び」に見る、アメリカとの関わり方心得
親愛なるアッティクスへ

e0027240_13185878.jpg以前、熱出して寝ているときに、「ルムンバの叫び」という映画を見たことがあります。

ルムンバとは、ご存じかと思いますが、東西冷戦真っ盛りの昭和35年(1960年)のコンゴ独立時における初代大統領の名前ですね。

ま、映画自体は作りもしっかりしてましたし、それなりにインパクトがある映画でしたが、取り立ててどうという映画ではありませんでした。
ただ、驚くべきは、コンゴは独立まではベルギーの植民地だったんですね。
あんなすました顔したヨーロッパの小国までが植民地を持っていたわけで、であれば、当然、そこで行なっていたことは、オランダ300年に渡ってインドネシアで行っていたことと同じであり、まさに、「アジア諸国ならともかく、おまえらが日本人の戦争責任などと、どの口が言う!」でした(笑)。

ただ、このルムンバ大統領は欧米型の民主主義に慣れ親しんだインテリであったからか、一気に理想に走りすぎたきらいがあり、結果的に就任わずか2ヶ月で追放されてしまいます。
ここで、注目すべきは、政権運営が行き詰まったルムンバはバックアップしてくれていたアメリカ退任勧告を受けた際、時代が東西冷戦時代だったということもあり、それを拒否してソ連に乗り換えようとしたことです。
私が見ても、随分、甘い判断だと思います。

結局、アメリカの支持を失ったルムンバは、彼を憎む反対陣営に売り渡され、そこで、かなり、むごい最期を遂げることになります。
やはり、今もそうなんでしょうが、アメリカ様が鎮座ましましてる以上、日本などの傘下にある国には、元々、選択肢なんて、そんなにはないんですよね・・・。
今のイラク問題で政府の対応を批判している人たちや、歴代首相をアメリカの番犬のように言う人たちは、少し、ルムンバの最期を研究してみるのもいいかもしれません・・・。
                      平太独白
by heitaroh | 2008-02-23 08:03 | 国際問題 | Trackback | Comments(6)

大河ドラマ史上最高の秀吉!
親愛なるアッティクスへ

昨日は、久々、よく飲みました・・・。
カラオケで小椋 佳(おぐらけい)の歌を歌おうとして、曲の番号を言ったところ、店のおねーちゃんが「この歌、誰?ああ、こくじらけいね」・・・と呟きました。
つまり、小椋小鯨を間違えたんですね(笑)。
久々、噴飯ものでした。
おまえは、スザンヌか・・・とw

で、以前、友人と飲んだ折り、その友人が、「明日は、大河ドラマを見ないといけないから、帰らないといけない」と言いました。
当時の大河ドラマは、「利家とまつ」で、「おまえ、あげんと見ようとや!」と言ったところ、彼曰く、「利家とかまつなどはどうでもいい、。とにかく、秀吉が良かったい」と言うので、思わず、我が意を得たりで手を打って、激しく同意しました。
我曰く、「きっと、現実の秀吉という人はああいうやつやったとばい。おるったい!あげなおじさんが。大河ドラマ30年の歴史の中で最高の秀吉ばい」と答えました。
(筆者注:通訳が必要な方はお申し出ください。)
友曰く、「異議無し!」とのことでバロム・クロスしながら「バッローム!」と叫んで乾杯・・・!
(筆者注:違う意味で通訳が必要な方はお申し出ください。)

では、もっとも印象に残ったシーンは何だ・・・という話になり、友人は秀吉が、石田三成ら部下に対し、「おみゃあらは何をしとる!わしなら、相手の心をトロットロにしてみせたぞ!これが、忠義というもんだわ!」と怒鳴るシーンだとか。
対して、私は、賤ヶ岳合戦後、前田利家の居城に単身乗り込むシーンで、利家の息子から、「先だってから、和議などと言われるが、こちらがそれを真に受けて、少しでも防備を緩めると、雨あられ鉄砲を撃ち込んでくるではないですか!」と抗議されたとき、平然と、「そうだったかいのぉ」としらを切るシーンでした。
いるんですよ・・・、世の中にはこういう煮ても焼いても食えないおじさんが(笑)。

ちなみに、こちらは、アマゾンの「利家とまつ」のDVDに寄せた私のレビューです。
以前、書いたような気もしますが、本日、二日酔いと言うことで平に・・・。

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一徹で融通が利かない武骨者の夫(しかも、アリエネーってくらい人格者で人望家!)と、聡明で不幸な生い立ちにもめげずにけなげに夫を支える妻(こちらも、アリエネーってくらい、絵に描いたような理想の妻!)が、二人で力を合わせて、信長秀吉・家康らのビッグネームに早くから絡んで出世していくってストーリー自体もアリエネーって作品でした。

と言いつつ、実は、私、この作品は結構見てました。
もちろん、あのくだらないストーリーだけなら見てません。
私がこの番組を見続けた理由・・・、それこそが秀吉です。
香川照之さんが演じた秀吉は、私も今まで色々な人が演じた秀吉を見てきましたが、絶品中の絶品でしたね。

いるんですよ・・・、世の中にはこういう人が。
上司には、思いっきり媚びへつらいながらも、役職の上で、一旦、その上司に並んだなら途端に見下す・・・。
仕事は人一倍出来るのでしょうが、それ以上に、自分の功績は声高に主張する・・・。
福岡ダイエーホークスオーナー代行の某氏などがその典型でしょうか。
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彼の秀吉は、大河ドラマ史上でも、篠田三郎さんが演じた吉田松陰に次いで、演者としては高い評価を与えられる物でしたね。
                                    平太独白
by heitaroh | 2008-02-22 08:34 | 文学芸術 | Trackback | Comments(8)

「山座の前に山座なく、山座の後に山座なし」
親愛なるアッティクスへ

山座円次郎という人物をご存じでしょうか。
慶応2年(1866年)、筑前福岡藩の足軽の次男として福岡に誕生。
その後、藤雲館(現在の福岡県立修猷館高等学校の前身)、共立学校(開成中学・高校の前身)、東京大学予備門(旧制第一高等学校の前身)を経て、東京帝国大学法科を卒業後、外務省に入省。
特に東京大学予備門時代の同期生には、夏目漱石、正岡子規、南方熊楠、秋山真之らがおり、中でも、南方熊楠とはその後も親しく付き合っていたといわれています。

山座は、そのあまりの有能さゆえに、秀才揃いの外務官僚の中でも「山座の前に山座なく、山座の後に山座なし」といわれたほどで、当時、明治の元勲・伊藤博文が山座が起草する外交文書の完璧さを認めたがらなかったことから、山座は一計を案じ、伊藤が目を通すであろう外交文書には、伊藤であれば必ず修正するであろう部分を一箇所だけ故意に作っておいたという話さえあります。
伊藤博文でさえも、掌の上の孫悟空として扱っていたというこの一事だけでも、この山座という人の容易ならざる才能が見て取れるでしょうか・・・。

山座は、郷土の先輩で嘉永4年(1851年)生まれで15歳年長になる栗野慎一郎の引き立てを受けると同時に、明治11年(1878年)生まれで、山座より12歳の年少である後輩・広田弘毅(後の首相)を外務省に引き入れたことでも知られており、その意味では、栗野が山座を引き立て、山座が広田を引き立てた・・・といえるでしょうか。
(ちなみに、外務省福岡人脈で広田の22歳後輩に当たるのが守島伍郎という人物ですが、この人は皮肉なことに東京裁判において広田の弁護人を務めています。)

明治34年(1901年)には、栗野の後押しもあって、弱冠35歳にして外務省政務局長に抜擢され、その後、日露開戦時には宣戦布告文を起草・・・。
それを、ロシア政府に手渡したのが、時の駐露公使・栗野慎一郎だったわけで、そう考えれば、日露戦争当時、外には栗野、内には山座という、二人の福岡人が日本外交の中枢にいたということになるわけで・・・。
この点は、金子堅太郎明石元次郎らと共に、維新前夜に勤王派弾圧し、明治になってからは「贋札事件」を起こして、唯一、廃藩置県前にお取り潰しに相当する処置を受けた筑前福岡藩出身者の想いが何となく、透けて見えるような気もします。

その後、山座は日露戦争終戦時には、小村寿太郎外相を助け、ポーツマス講和に尽力し、その後、大正2年(1913年)に駐中国特命全権公使となり、辛亥革命後の中国に赴任するも、翌年の大正3年5月28日、48歳の若さで客死しています。
外務省内で山座のライバルと目されていたのが、後に外相・首相を歴任した幣原喜重郎であることを思えば、彼が早世しなければ、あるいは幣原と並ぶほどの栄達を遂げた・・・と思うのは私だけでしょうか。
                                       平太独白
by heitaroh | 2008-02-21 08:13 | 歴史 | Trackback | Comments(2)

球団経営も青い目に依頼してみるべきなのかも・・・の巻
親愛なるアッティクスへ

e0027240_1101431.jpgご存じでしたでしょうか?
今年はうるう年だから、2月は21日2回あるのを・・・。

嘘ではありません。
こちら(←)をご覧ください。
手元のカレンダーでは、2月は21日が2回あるようになっています(笑)。

最初、見たときは暗かったので、「21に見えるなぁ・・・」と思っていたのですが、明るいところで見ても、今日、水曜は21日でした。

で、野球ネタです。

もうひとつ、我が福岡ソフトバンクホークスですが、パウエルの二重契約問題でまたまた、お騒がせ・・・だったようですね。
ソフトバンク球団経営不在については、以前から、たびたび、申し上げておりますので、改めて、言うことは致しませんが、外国人選手についてはパウエルなんか獲ってないで、韓国台湾からイキが良いのを連れて来いよ・・・と。
で、福岡ドームの中に、ハングル中国語の表記のものを増やし、場合によっては、インフォメーション・スタッフくらいは言葉も習得させるべきだ・・・と。
ま、それ以前に、ファンの不満にもっと耳を傾けることが第一でしょうけどね・・・。

もうひとつ、話は変わりますが、福岡から最も近い別のプロ野球球団と言えば、広島カープですが、同球団から、主砲・新井貴浩選手がFAして阪神に行っちゃいましたよね。
これは私的には、少し、複雑な感があります。
今年、同じく、広島の黒田博樹投手がFAしてメジャー・リーグへ行くのや、かつて、東京出身の、主砲・江藤 智選手が同じくFAして巨人に行ったときとは、少し、ワケが違うんですよ。
つまり、先に、阪神に移った金本知憲選手といい、今回の新井選手といい、この二人・・・、共に、地元・広島出身の主力選手なんですよ。
その連中に同リーグの阪神に移籍されるというのは何とも・・・。

金がないと言ってしまえばそれまでなんでしょうが、こちらも、ソフトバンクホークスと一緒で、もう少し、経営努力で何とかできないものかな・・・と。
まあ、老朽化した広島市民球場に変えて、新球場の建設計画も随分前から立ち上がっているように聞いてますが、未だに、成就していないところを見ると・・・。
(すでにJR広島駅裏に用地を確保しているのに、御茶屋さん(?)の反対で容易に進まないという話も聞いていますが・・・。)
その辺を考えれば、しがらみが深い「マツダ」ではなかなか難しいのかなとも思いましたが、この辺も、青い目ゴーンさんに来てもらわないとどうしようもなかった日産に被ってくるような・・・。
そう考えれば、外人監督というのは今時、珍しくはないのでしょうが、球団経営のトップであるオーナーも一度、外国人に任せてみるべきなのかもしれません。

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by heitaroh | 2008-02-20 08:46 | スポーツ | Trackback | Comments(4)

話の種にモンゴル式住居ゲルに泊まった肥前路 その2
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

まず、順を追ってお話ししますと、そもそもが、私は連休というものに気づかずに生きてるんですね。
毎回、直前になって、「あ、連休か」と気づくのですが、何でかなーと考えてみたところ、私は一週間単位で予定を把握しているようで、これは、手帳が一週間単位であることが大きいのだと思います。
だから、土日の連休だと気づくのですが、日月の連休は、手帳のページが変わってしまうことから、土曜になって、初めて、翌営業日の予定を見て、「あ、月曜も休みなんだ」と気づくもののようです。

で、今回もご多分に漏れず、土曜になって連休だと知った私は、その夜、・・・そういえば、うちのガキが「お城を見たい」などとほざいていたなーということを思いだし、・・・そういえば、なぜか、自分が子供の頃は唐津城名護屋城は割とよく行ったけど、子供たちは連れて行ったことがないなーということに気づきました。
で、折角なら、連休だし、どこかで一泊してくるか・・・と思い、子供も泊まれる安宿を探していたところ・・・、「モンゴル村」というのがヒットしたわけです(笑)。
私も、モンゴル村というのがある・・・ということは知ってましたが、それ以上の深い知識はなく、とりあえず、キャンセル可能と書いてありましたので予約し、場合によっては日帰りでも良いか・・・というようなつもりで出かけることにしたのですが・・・。

ところが、またまた、その日の夜が眠れない・・・。
結局、5時頃に市販の睡眠導入剤を飲んで、寝たのが朝6時・・・。
一旦、8時半に起きて、薬の関係で寝たような起きたような状態で、布団を出たのが10時・・・。

e0027240_11195227.jpg数日前からの飲み会の疲れもあって、食欲はまるで無し・・・。
おまけに、折からの寒波と強風の中、遮る物もない島でゲルでの宿泊なんて・・・。
この状態で大丈夫か・・・と思い、中止するべきかどうか迷ったあげく、「GO!」と。
行くだけ行って、危ないようなら帰ってくればいいさと。

で、都市高速有料道路を乗り次いで、まず、向かった先が唐津城でした。
福岡市から車で小一時間程度で着くここは、佐賀県であるものの天守閣を持つ城を持たない福岡市民にとっては、もっとも、近場の城の一つ・・・。

(↑天守閣からの眺め。折から、日が差してきて、なかなかに綺麗な眺めでしたね。)

で、来週辺りに続く・・・と思います。

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by heitaroh | 2008-02-19 08:17 | その他 | Trackback | Comments(4)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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by sakanoueno-kumo at 15:22
>Mさん  そうだ..
by heitaroh at 20:52
壊れた時計が動く理由もネ..
by M at 20:38
> sakanoueno..
by heitaroh at 12:35
なるほど。 先日の疑問..
by sakanoueno-kumo at 22:50
>sakanoueno..
by heitaroh at 10:05
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