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昭和46年の巣鴨プリズン解体と最後のA級戦犯・鈴木貞一
昭和46年放送のスガモプリズン解体という番組を見ました。
戦後26年、私が10歳のときですが、A級戦犯や、B・C級戦犯の遺族達がたくさん映しだされていました。

その中で、印象に残ったのが二つ。
一つは、上官の命令でアメリカ兵の捕虜を殺害したことで、死刑判決が下った一兵士の遺書が読み上げられ、そこで、ナレーションが「ソンム(でしたっけ?ベトナムで大量虐殺があったところ)でのジェームス中尉(?)に対する公判とは、随分違うように思えるが・・・」と言っていました。
もう一つは、A級戦犯の一人として、元企画院総裁 鈴木貞一と言う人が出ていましたが、終戦当時はまだ、結構若く、50歳くらいだったでしょうか?
(この放送当時は、おそらく80歳近かったと思います。)
かなり、気骨に溢れた方のようで、「連合軍が我々を裁く根拠がない。そう言ったら、彼らは『人民の名に於いて』とか言った。人民の名などという法的根拠はない。結局、戦争に負けたから、我々は裁かれるのだ」と言っておられました。

ただ、先の一兵士の話といい、今のアメリカの自己中心的交渉術など、結局はここに行き着くようにも思えますが、この点は、以前から、平太郎独白録 : 相手の足の裏を舐めても負ける戦はしてはならないなどでも述べております通り、私は「負ける戦はしてはならない」という考えを持っておりますから、その論で言えば、彼の罪は、「負ける戦を安易に始めた罪」であったといえ、彼の気骨は認めるとしても、この辺は、少し、ノーテンキにすぎるようにも思えます。

もっとも、鈴木翁は、こうも言っておられました。
「一度、頂点の舵取りを誤った者は二度とその職に付くべきではない」と。
だから、戦後、恩赦となって釈放された後も、一切の公職に付くことなく、野に埋もれたままとなったとか。
この辺の潔さには、いささか敬服するところもあり、この人物に興味をもちました。
(企画院総裁などというし、話もいかにも官僚的でしたので、内務官僚上がりか何かかと思っていたら、元軍人だったんですね。もっとも、情報戦・宣伝戦のエキスパートであり、実戦部隊での経験は余り無く、『背広を着た軍人』と呼ばれていたとか。)

鈴木 貞一
明治20年(1888年) 千葉県生まれ。
昭和4年(1929年)、石原莞爾・永田鉄山・東条英機ら陸軍中堅将校が結成した一夕会に参加。
その後、国際連盟脱退論や、御前会議での太平洋戦争開戦などを主張し、戦後、A級戦犯として、極東国際軍事裁判終身禁固の判決を受ける。
昭和30年(1955年)に仮釈放され、3年後、赦免。
平成元年(1989年)、100歳で没。
葬儀は、東京都杉並区の福相寺で営まれ、葬儀委員長を務めたのは、福田赳夫元首相であった。
                           平太独白

by heitaroh | 2008-01-31 08:18 | 歴史 | Trackback | Comments(2)

犬丸徹三青年がみた一流のガラス拭きの誇りの論理
親愛なるアッティクスへ

犬丸徹三と言う人物が居ます。
あの、帝国ホテル社長にして、日本のホテル業界を一流に引き上げたと言っても過言ではない人物です。

明治20年(1887年)石川県に生まれた犬丸翁は、旧制小松中学校(現・石川県立小松高等学校)を経て、東京高等商業学校(現・一橋大学)を卒業。
しかし、在学中、読書政治演説に力を入れ過ぎたことから、ビリから三番目の成績での卒業であったそうで、この為、就職先はなかなか見つからず、やっと、満鉄経営の長春ヤマトホテルに入ったものの、与えられた仕事は、ドアボーイだったとか。
このとき翁は、客に揉み手をして頭を下げる自分の姿が、何とも惨めに思えてしかたがなかった上に、さらに、母校の同窓生からは、「今、君がやっているような仕事は、わが栄光ある母校の名前を汚すものである!」という苦情を言われ、何とも忸怩たる想いを隠せなかったとか。

しかし、この中傷があったことで、翁は、敢然、一流のホテルマンにならんとすることを決意し、さらなる武者修行の場として、大正3年(1914年)8月、ロンドンに飛びます。
しかし、当てがあって、ロンドンに向かったわけでもないことから、なかなか、仕事は見つからず、ようやく、フェンチャーチ停車場近くの鉄道ホテルに勤務することになったものの、与えられた仕事は窓ガラス拭きだったとか・・・。
やがて、翁は、このくだらない仕事に段々と空しさを覚えるようになっていたそうで、あるとき、作業中に、相棒の老ガラス拭きに、「君は毎日、こんな仕事で満足しているのか?」とこぼしたところ、その老ガラス拭きは、黙って窓を指差し、「イヌマル!見たまえ、私が拭いたガラスには一点の曇りもない。窓ガラスは拭けばきれいになる。きれいになれば、私はそれだけで限りない満足を覚える。私は、この仕事を一生の仕事として選んだことを、少しも後悔していない」と言い切ったと・・・。

27歳の犬丸青年は、この老ガラス拭きの言葉に大変強い衝撃を受けたといいます。
「イギリス人は、己の仕事に、これほどまでに誇りをもっている・・・。それに比べて俺は何だ!」と。
阪急グループ創業者小林一三氏は、「下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。そうしたら、誰も君を下足番にしておかぬ!」と言ったといいますが、犬丸青年のこのときの心境は、まさしく、これだったでしょうか。
「与えられた仕事に懸命に取り組まずして、何が一流のホテルマンになる・・・だ!」と。

犬丸翁は、これ以後、どんな職場に移っても、「この心で貫こう」と決めたのだとか。
やがて、その仕事ぶりを認められ、帝国ホテル常務支配人だった林 愛作氏に招かれ、帝国ホテルの犬丸としての活躍が始まったわけですね。
後年、犬丸翁は、こうも言っています。
「一流と言われる会社にいる人が一流なのではない。一流の人間が働いている会社こそ一流なのである」と・・・。
                             平太独白
by heitaroh | 2008-01-30 08:56 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(10)

大相撲千秋楽結びの一番にみる観衆は本物に飢えている!
親愛なるアッティクスへ

    「大相撲 原点見たり 意地と意地」
              平太独白

今更ではありますが、一昨日の大相撲千秋楽結びの一番、つまり、白鵬対朝青龍同星決戦は、久々に、見応えがありましたねぇ・・・。
・・・、意地意地・・・。
気魄気魄・・・、想念想念・・・、背負っている物と背負っている物とのぶつかり合い・・・。
それでもって、勝った方が優勝というとり直しが利かない、この一番の緊張感・・・。
場内も、満員御礼の垂れ幕に、もの凄い数の懸賞・・・。
そして、そのあげくの、白鵬が朝青龍を力で頭から土俵にねじ伏せる・・・という、素人目にも八百長などではない相撲内容・・・。
あれぞ、まさしく、大相撲の原点を見た!って感じでした。

注目すべきは、時間前のにらみ合いの段階で朝青龍の方が先に目をそらしましたよね。
ああいうときは、往々にして、先に目をそらした方が負けるんですよ。
だからと言って、「これで、白鵬が勝つと思った・・・」とは言いませんが、つまりは、「何だ、朝青龍が帰ってくると、やっぱ、朝青龍には勝てねえじゃねーか!」、「所詮、朝青龍が居ない間だけの横綱だ!」などとは、決して、いわれてはならない白鵬の意地の方が上回っていた・・・ということではなかったでしょうか。
ともあれ、昨今、相撲人気の低迷が叫ばれる中、「相撲は日本人がいないから盛り上がらない」などという話をよく耳にしますが、日本人がいないから・・・というのは、ちと、本質を見誤っているのでは・・・と思わせられるほどの熱気でした。

この点では、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本世界一の時だって、あの盛り上がりに対し、それを、日本が世界一になったことに対する「結果論としてのナショナリズムの高揚」に求める人がいましたが、でも、思えば、昨今のK-1プライドなどでは、別に日本人が絡まなくても、外国人対外国人の対決にあれだけの観衆が熱狂してるわけですよね。
だったら、日本が世界一になったから、国民的熱狂を知らない日本人が・・・というのは、少し、違うのではないですか・・・と。

要は、力士は、これまで、観衆が熱狂するほどの物を提供してこなかったということなのではないでしょうか。
それは、日本のプロ野球も又然り・・・。
たびたび、引き合いに出しています、西鉄ライオンズ稲尾和久投手の熱投のようなものを、現在の選手たちはファンに提供しているのでしょうか。

e0027240_14132921.jpgつまりは、WBCのときのような、本物のプレイに、今のファンは飢えているのだと思います。
だから、それを提供してくれるのであれば、人種は問わないよ・・・と。
判官贔屓というのはあっても、かつて、力道山アメリカ人レスラーを片っ端から投げ飛ばした時代とは違うんだよ・・・と。

そういえば、先日、福岡市城南区にある稲尾スポーツに行ってきました。
言うまでもなく、昨年亡くなった、その稲尾氏の店ですね。
実際に、経営には携わっておられなかったようですが、店頭には、しっかり、これ(←)が・・・。


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by heitaroh | 2008-01-29 08:13 | スポーツ | Trackback(1) | Comments(10)

30年の時を隔ててみる映画「羅生門」の巧み
親愛なるアッティクスへ

先般より、黒澤 明監督作品のリメイクということにちなみ、「椿三十郎」「隠し砦の三悪人」について触れ、先日は、同じく、「野良犬」について触れましたので、今回は、黒澤監督の出世作、「羅生門」について述べてみたいと思います。
(ちなみに、「天国と地獄」「生きる」「七人の侍」などについては、以前、述べさせて頂いております。)

で、その「羅生門」ですが、私がこの映画を初めてみたのは中学生だったかと記憶しています。
当時、同じ黒澤作品でも「七人の侍」などには愕然とするほどの衝撃を受けましたが、この、「羅生門」の方には、これが黒澤の出世作だとは聞いていたものの、どちらかというと物足りなさを感じました。
ところが、最近、自分が年を取ってきて改めてこの映画を見たところ、当時とはまるで別の作品であるかのように見違えるほどに素晴らしかったのです。

で、改めてみたこの映画ですが、私としては、実は、見る前に、「待てよ、よく考えてみればあの場面どう表現していたのか?」と気になった場面が二つありました。
ひとつは、三船敏郎演ずるが目覚めるシーン。

e0027240_21214424.jpg夫婦が通ったときに、路傍で居眠りをしていた賊が、たまたま、吹いてきた「風」で目覚める・・・というのは覚えていたのですが、黒澤監督はこの「風」という目に見えない物を、一体、どうやって表現していたのだろうかと・・・思ったわけです。

当時は、何気に見過ごしていたシーンでしたが、黒澤監督は、それを三船の顔にかかった「木の葉の影」が揺れると言うことで表現したという、これはまさに見事というほかなかったですね。
もっとも、実際にはなかなかそういう映像にならなかったそうで、それはそれで、照明さんなどは大変だったようですが・・・。

もう一つが、「賊」「女」「夫」・・・、三者がそれぞれに自分に都合の良い供述を繰り広げるわけですが、ここで、「賊」と「女」はともかく、賊によって殺された「夫」の供述は、どうやって表現したのだったろうか?ということでした。
死人に口なし・・・だからです。
その答えは、「死人の供述を取り上げるのに霊能力者を使う」という、現代から見れば奇想天外なもので、この発想にも舌を巻きました。
普通であれば、ここは夫も死なずに証言出来る程度の重傷くらいで止めるか、もしくは証言自体を削り、証言出来ない無念を表現するか・・・で処理したのではないでしょうか。
もっとも、こちらは原作の芥川龍之介という人物の並々ならぬ手腕であったと言えるでしょうが・・・。

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by heitaroh | 2008-01-28 00:15 | 文学芸術 | Trackback(2) | Comments(2)

「季布の一諾」その2、偉大なる大ハーン、チンギス・ハーン!
親愛なるアッティクスへ

先週の続きです。

一諾を守る・・・ということの持つ、信用というものの力。
もっとも、それは、いくら最終決定権を持つ権力者とは言え、そう簡単な事ではありません。
一諾とは、一面、実行力という面も持っているからです。
あるいは、「決定権者になりさえすれば、そんなの簡単だ・・・。」と言われるかもしれませんが、過日、申し上げました大久保利通にしても、田中角栄にしても、権力の座に着く前から一諾を守ってきたがゆえに、権力の座についてからは、権力信用というものが相乗効果を得て、それが誰にも打倒することが出来なかったという点では、まさに、運命的にまで強い「権威」というものを持ち得ることに繋がったのだろうと思います。
「今日から、決定権者になったから、約束を守るよ!」と宣言しても、信用という物は一朝一夕につくものではないからです。

一方で、そうは言いながらも、歴史上の英雄と言われた人たちを見てみると、どなたも、多かれ少なかれ梟雄的なところが有るようです。
必要と有れば、約束など破るのに、それほどの躊躇は持たない。
あるいは、約束など破っても、自分が強くなれば、相手は付いてこざるを得ない・・・という判断があったのかもしれません。
が、それらの古今東西、英雄と呼ばれる人の中で、一人だけ、信用という点で、異彩を放っている人物がいます。
それこそが、偉大なる大ハーン、チンギス・ハーンです。

チンギス・ハーンについては、今更、言うこともないでしょうが、彼の創設したモンゴル帝国は、旧ソ連に次ぐと言われる、空前版図を獲得したことでも知られてます。
晩年、幽閉中のナポレオンをして、「余の為したる事は、彼の偉業の前には児戯に等しいものであった・・・。」と言わしめたとか。
もっとも、モンゴル帝国の版図が最大になったのは、彼の死後であり、また、そのときには、事実上、帝国は分裂しており、厳密な意味での彼の帝国は、もっと、小さかったとは思いますが・・・。
で、そのチンギス・ハーンですが、彼だけは、どういうわけか、どのような苦境にあっても、どれほどに被害が大きくなっても、まさに、綸言汗の如し・・・で、一度、口にした言葉は絶対に実行したといいます。

「この城を落とす!」と宣言した後、攻城戦がうまくいかなかったときも、どれほどの犠牲を出してでも攻略したと言いますし、彼が「許す」と言った人間は、絶対に「許された」といいます。

さらに、この人物の尋常成らざるところは、自分もそれほどに一諾を守るものの、同時に、他人にも、その一諾を強制したことです。
1221年、バーミヤン攻略の折、ハーンの可愛がっていた孫が戦死したことで、激怒したハーンは、「この都市のすべての生き物を抹殺せよ!」と将軍に命令したと言います。
その将軍は、命令通り、住民はおろかも皆殺しにした後で、ハーンの入城を待って復命しているときに、その足許をネズミが一匹、駆け抜けていったことで、「命令違反」として殺されたか・・・。

また、逆に、戦いに敗れて帰ってきた将軍が、「今回は、装備不十分で、寒さに負けたのであって・・・。」と弁明しようとすると、ハーンは、「わかった。では、次回は春になって出撃しろ。」と言って、前回より多い兵を付けて送り出したとか・・・。
その将軍は、もう、死にものぐるいで戦ったそうですね。
それはそうでしょう。
彼の主君は、自ら、どれほどのことがあっても、一諾を守るということを見せつけている人間なのですから・・・。
これで、負けて帰ったら、彼は「約束を守らなかった人間」ということになり、その後に、何が自分を待っているかは、火を見るよりも明らかだったでしょう。

自らが、一旦、口にしたことは、どんなことでも守る代わりに、部下にも、それを遵守することを要求する・・・。
モンゴル軍が強かったはずです。
自分のところの大将が、戦争前に、「撤退しない」と言ったのであれば、この戦いには、「撤退」はないわけですから・・・。

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by heitaroh | 2008-01-26 08:52 | 歴史 | Trackback(1) | Comments(2)

発足四ヶ月目でみる福田康夫内閣の評価と課題
親愛なるアッティクスへ

福田康夫内閣が発足して、明日で丸4ヶ月だそうですね。
そこで、この辺で一度、福田政権というものを検証してみたいと思います。

まず、福田内閣というものは、一言で言って「地味」・・・というのがその印象です。
ここのブログに付いているタグ(右下欄参照)でも、小泉純一郎元総理は(32)、多分に、批判票が多かったとは言え、安倍晋三前総理でも(14)あるのに対し、福田康夫総理はわずかに(4)・・・。
まあ、派手であればいいというものでもないのでしょうが、あまりにも影が薄いような・・・。

福田政権が、それほどに地味な印象を与えているそもそもの理由の一つに、この政権が、「何をやりたいのか?」・・・という命題、方向性というものを打ち出していないということがあると思います。
まあ、福田総理にとっては、衆参ねじれ国会ということもあり、なかなか、思うような独自の政策を打ち出せない環境にいる・・・という点は割り引いて考える必要があるとは思いますが、それを考慮しても、何だか、ただ漠然とそこに存在しているような観が強いのです。
あの安倍前総理でも、多分に、短絡的な意向であったとはいえ、「憲法改正」という命題を掲げ、口だけだったとはいえ、「小泉改革を継続する」ということを唱えていたのに対し、福田政権は一体、何をしようとしているのか・・・が、イマイチ、鮮明ではない・・・と。

また、サブ・プライムローン問題の余波、原油高の影響などでの円高による(?)経済失速という点も、福田内閣にとっては気の毒な要素だったでしょう。
(ていうか、私的には、円高を言い訳にするのは、いい加減にやめませんかと言いたいのですが・・・。ドル・ショックプラザ合意から一体、何年経ってるんだ・・・と。)
しかし、福田内閣という物の有り様が、それらで巻き起こされた経済低迷に拍車を掛けているようにも思えるのです。
それは、本来、サブ・プライムローン問題では部外者だったはずの日本が蓋を開けてみれば、株価低迷一人負けになっている・・・というのが、その好例ではないでしょうか。
つまり、外国人投資家は、福田総理に対して、その手腕ではなく、姿勢に疑問符を付けているのだと・・・。

その上で、今、福田内閣にとって一番必要なことを言えば、やはり、内閣改造だと思います。
つまり、人心一新し、仕切り直しをする・・・と。
現内閣の閣僚の顔ぶれは、そもそも、安倍前総理の突然の辞任を受けての組閣・・・だっただけに、多くの閣僚が前政権からの横滑りであり、それは、あの時点では、混乱を避けるためにも妥当な人事だったと思いますが、一段落した以上は、早々に内閣改造を行い、安倍さんの思いつきではない、自政権が目指す方向に沿った適材適所の自前の閣僚をそろえるべきだと思うのです。
その上で、小泉内閣に置ける竹中平蔵氏のような経済政策の専門家を入閣させ、経済運営については一任すべきだ・・・と。
そして、人事によって、「小泉改革継続政権」なのか、「旧政策回帰政権」なのかをはっきりと打ち出すべきではないか・・・と。
もっとも、後者を選択したならば、株価の一層の下落は避けられないでしょうけどね・・・。

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by heitaroh | 2008-01-25 08:02 | 政治 | Trackback | Comments(4)

ベトナム・カンボジアの旅 11 もっとも確かな物「言語」
親愛なるアッティクスへ

年をまたいでのこのシリーズとなりましたが、ぼちぼち、賞味期限切れ・・・、この辺で終わりとしましょうか・・・。
ということで、先日の続きです。

日本では、所得格差が拡がってきて、かつてのような、一億総中流時代ではなくなってきたと言われてますよね。
(私的には、格差なんて、今に始まったことではないように思うんですけどね。ある意味、「ALWAYS 三丁目の夕陽」の時代の方が酷かったような・・・。)
でも、それは、日本以上の学歴偏重型社会韓国でも、一流大学を出ても就職がないということが起きているといいますし、元来がそういう社会だったアメリカでも、中国人インド人の進出で、今まで以上にそういう傾向が拡がってきているように聞いています。
アジアアメリカイギリスなどに比べるとワーキング・プアに対する取り組みが遅れており、それが治安の悪化にも繋がっていると言われています。)
私は、これら、ワーキング・プアの問題を見ていて、確かにこれまでとは違う、旧来的な価値観が通用しない、世界的な秩序再編の波が押し寄せてきているように感じました。

となれば、当然、日本も例外で居られるわけもなく、私の代は、今更、どうしようもないでしょうが、これから、その時代を生きていく、うちの子供たちのことを考えたとき、では、何が一番確かなのだろうかと思いは及びました。
(もとより、私の子供ですから、当然、どこからでも誘いがかかるほど優秀であるはずもなく・・・。)
この点、私が、学生時代に大いに影響を受けた兵法研究家の故・大橋武夫氏は、戦後、自分の娘に、「これからの時代に必要とされるのは、英語運転免許だ」と言って、それを取得させたといいますから、私も、子供たちに何らかの道くらいは指し示してやらねばならないだろうと・・・。

e0027240_1031813.jpgで、先般、ベトナム・カンボジア旅行・・・・、特にアンコール・ワット(←)に行っての経験から、「言葉」というのは、時代がどう変わろうとも、場所種類さえ変えれば、絶えず、一定の需要があるものなのではないか・・・ということに思い至りました。

というのは、このとき、通訳をしてくれたカンボジア人のガイド氏ですが、彼は、日本には一切、行ったことは無く、すべて、現地で先生から日本語を学んだとの話で・・・、つまり、彼は、日本にいて、自然と日本語を覚えたのではなく、より良い収入を得たいが為に、需要がある場所で意図的に日本語を学んだ・・・というわけですね。

となれば、どこかの国の言葉と母国語の二つが使えれば、観光地でのガイドに限らず、現地での日本語学校主催、また、日本企業の現地法人での通訳業務などにも携わることができるわけで、それは、たとえば、観光地が震災で無くなった・・・といった場合でも、場所と言語さえ変えれば、職種自体がなくなるわけではないのではないかと・・・。

e0027240_10361963.jpgそう思っていたら、先日、「携帯電話を使って、日本語と英語の会話を自動音声翻訳するシステムが今春にも実用化される」というニュースを耳にしました。
この道も、あまり、確かではなかったようですね・・・。

(←カンボジア料理です。)

ということで、大団円で終了!(笑)。

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by heitaroh | 2008-01-24 08:34 | 社会全般 | Trackback | Comments(0)

映画「野良犬」にみる「実直っていいもんだよな」の論理
親愛なるアッティクスへ

e0027240_14203386.jpg先日、今、封切り中の映画「椿三十郎」に続き、同じく、黒澤 明監督作品の「隠し砦の三悪人」リメイクされる・・・という話について、その是非について述べましたが、覚えておられますでしょうか?

(←付近の川で見かけた風景です。)

で、そのリメイクの是非はさておくとして、通常、黒澤作品を語る上で、ある人は、「生きる」「七人の侍」は別格と言い、またある人は「羅生門」と「七人の侍」は別格と言われる・・・。
まあ、異論はあるようですが、いずれにしても、誰もが「七人の侍」は別格・・・ということでは一致しているようですね。
この点は、私にも、まったく異論がないところで、同作については、以前書いておりますので、よろしければ、こちらをご覧ください。
        ↓
平太郎独白録 : 黒澤明の最高傑作「七人の侍」
平太郎独白録 : 黒澤明の最高傑作「七人の侍」 続編

で、「七人の侍」を一人横綱とすると、世間の評価は関脇クラスに当たるのでしょうが、私的には、大関を張ってもおかしくない・・・と思う作品が、時代劇での「隠し砦の三悪人」と現代劇での「野良犬」です。
無論、時代劇での「椿三十郎」「用心棒」、現代劇での、「生きる」や「天国と地獄」などの名作がこれらより劣る・・・ということでは決してないのですが、私の評価と世間一般の評価とが、必ずしも、一致しない一例ということでしょうか。

ちなみに、以下は、アマゾンでのDVD・「野良犬」に寄せた私のレビューです。

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黒澤作品の中では、どちらかというと、マイナーな方に属する作品だろうが、私の中では現代劇では、「生きる」や「天国と地獄」などと並んで、大変印象に残っている作品である。
この作品をそれほどに際だたせているもの・・・、それはひとえに、主演の三船敏郎演ずる刑事の一途なまでの実直さであろう。
特に、時代は、戦後という、実直というものの存在自体、許せないほどに荒廃した世相であり、それだけに、その時代の中で、敢えて、融通が利かないほどに実直であり続ける若き三船の姿は強く印象に残った。

見終えて、こう呟いたのを覚えている。
「実直っていいもんだよな」と。

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by heitaroh | 2008-01-23 08:09 | 文学芸術 | Trackback | Comments(4)

伝統継承的視点にみる無神論者の十日恵比須参拝 その3
親愛なるアッティクスへ

先日の続きです。

私は神様など信じていないのに、この日、十日恵比須神社に参拝に行きました。
これはどういうことかというと、神様は信じないものの、先日も書いた若八幡神社同様、こういうのは「信仰の対象」としてではなく、地域の継承文化・・・、つまり、「風物詩」として遺して行かなくてはならない・・・と考えているからです。

日本中の風習、習俗というものは、煎じ詰めれば、大半が何ら合理性を持たないものでしょう。
お正月、年賀状、初詣、門松、注連縄、七五三、盆、彼岸etc・・・。

そもそも、私には、年始の挨拶というのが理解できませんでしたね。
年明け最初に顔を合わせるときは、皆、儀式的に、「明けましておめでとう御座います」と挨拶しなければならない・・・。
家庭や近所・親戚はまだしも、仕事始めの日に、大して親しくもない取引先などと会っても、絶対にあの挨拶をしなければならない・・・。
ああいう儀式めいた物が、大嫌いな性格でしたから、私的には、どうにも、違和感がありましたね。
ついでに言えば、私は未だに「花見」というものは理解できません。
あんなのは、江戸時代の娯楽が少ない時代の習慣であって、今時、あんな寒い中、わざわざ、そこで宴会しなくても・・・。

e0027240_10222423.jpgただ、最近は、少し考えが違ってきましたね。

これは、日本の文化、地域の文化だと思うんですよ。
それを、合理性だけで切り捨ててしまうと、日本人がこれまで守り育んできた「文化」というもの自体が成り立たないと思うのです。

年賀状なんて、今時、メールでやればいいジャン・・・と言えば、それは確かに、そうなんでしょう。
わざわざ、葉書を出すなんてのは、メールファックス・・・果ては電話もなかった時代の遺習以外の何ものでもないでしょうから。
でも、それを言って、すべての風習を否定してしまえば、やがて、「昔は、正月になれば年賀状が来たもんじゃったが・・・。近頃では、味気ないのう・・・」となるわけで。
(実際、今では、年始の挨拶などというのは、すでに、絶滅危惧種となっていることを思えば、ない話ではないわけで・・・。)
同様に、竹とんぼや祭りの出店なども、文化であり、風物詩でもあるのでしょうが、今時、そんな物必要ないわけですから、「消してしまえ!」と言って、簡単に消してしまった後に、「懐かしいから見たいな」って言っても、「紙芝居」と一緒で遅いんですよね。

だから、自分が神様を信じても信じなくても、「年末には、こうやって厄八幡に行く。若八幡と書いて厄八幡と読む。理屈ではない。それが、語り継がれてきた博多の文化だ」ということを子供に教え、子も、やがて、たとえ場所はどこに居たとしても、「そう言えば、昔は年末になると、毎年、親父があそこ行ってたよな」と思い出せる・・・ということが大事なんだと。
それが、父から子へ、子から孫へと伝えていくべき「文化」と、そしてそれが、郷土愛という名の「誇り」なのだと、最近、そう思うようになった次第です。

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by heitaroh | 2008-01-22 08:21 | 社会全般 | Trackback | Comments(10)

敬愛する藤沢武夫翁にそれでも敢えて呈する疑問
親愛なるアッティクスへ

昨年、平太郎独白録 : 続・ホンダの広告塔としての「本田宗一郎」の功罪是非 の中で、佐藤正明著「ホンダ神話~教祖のなき後で~」という本を読んだということを申し上げましたが覚えておられますでしょうか。
で、この本を読んで、改めて、私が企業人として敬愛してやまぬ藤沢武夫という人の、私なんぞ、もう、到底、追いつけそうもない手腕を見せつけらたのですが、即ち、藤沢さんが現役時代の、ホンダの手形小切手はすべて、「代表取締役 藤沢武夫」の名前で降り出されていたということや、鈴鹿サーキットは当初、藤沢翁個人の邸宅を抵当に入れて作られたこと・・・などはもとより、中でも特に、改めて思い知らされたのが、その資金調達並びに、その返済手腕についてでした。

本田・藤沢両氏が共同経営を始めた直後、「無」から始めたホンダには潤沢手元資金があるわけでもなかったことから、藤沢さんは随分と資金繰りに苦労されたようですね。
(この点では、ホンダの創業神話を語る上で、よく、引き合いに出されるソニーは、何だかんだ言っても、「銭形平次」のヒットで人気作家だった野村胡堂や、実業家だった盛田昭夫の実父などからの資金援助や、さらには、井深 大岳父であった文部大臣経験者・前田多聞の信用・・・と言った有形無形のバックアップがあったわけで・・・。)

そのことは、「あのとき、藤沢さんは泥棒と詐欺以外のことは全部やったんじゃないかな」という往事を知る人の言葉が、すべてを言い表しているように思いますが、ただ、企業人として敬愛してやまぬその藤沢さんに対し、私が敢えて、疑問に思わぬことがないでもありません。
藤沢翁は、現役時代、「ホンダが技術を売る会社である以上、ホンダの社長は技術畑から出るべきだ」ということを言っていたそうで、実際、ホンダの社長は、初代の本田宗一郎氏から現職の社長に至るまで、歴代の社長は全て、技術畑上がりなのだそうですが、しかし、私的には、これはおかしいと思っています。

かつて、本田・藤沢両人とも、「身内は入社させない」方針を貫き、そのことを不文律とするが為に、本田宗一郎氏は、創業当初から苦楽を共にしてきた実弟の弁二郎氏を辞めさせ、長男・博俊は別途に「無限」を創業させねばならなかったのでしょうが、これらは、それもこれも、ひとえに、ホンダは、「努力次第で誰にも社長になれるチャンスがある」ということではなかったでしょうか?
また、本田宗一郎氏は、「ホンダの社長に社内で適任者が居ないときは、日本中から呼んでこい。日本に適任者がいないときは、外国から探してこい」とさえ言っていたともいいます。
これなども、多分に、たとえ話だとしても、少なくとも、「中途採用」「生え抜き」などということには、何ら、こだわらなくて良いということであり、事実そうだったと聞いております。
であれば、技術畑出身者だけが社長になれて、それ以外の人たちは、最初から、いくら頑張っても社長にはなれないというのは、たとえ、不文律であるにしても、如何なものかと・・・。

つまり、「俺たちは、いくら努力しても、実績を上げても、社長にはなれない」と決まっているというのは、本田・藤沢の思想とは、ちと、違うような気がするのです。
少なくとも、門戸は開放されていないといけないと。
これじゃあ、まるで、初級公務員試験に合格して地方公務員になった者は、永遠に初級待遇のまま・・・というのと似ているような気がしますが、如何でしょうか・・・。

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by heitaroh | 2008-01-21 00:14 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(8)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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