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「もうこれで」で終えてはいけないの今年の年末ご挨拶
親愛なるアッティクスへ

e0027240_1841154.jpg一昨日は、毎年、恒例行事となっている年末も押し詰まってからの気心の知れた連中との、今年最後の忘年会でした。
で、年末の大掃除の際に、昔の宴席での「人様に見せることが出来ない写真」がたくさん出て、その宴席に、それを持って行って、皆で見たのですが・・・。

最初、「こんな写真、流出したら、訴訟モンだよな」とか、「まだ、携帯デジカメもない頃だよ」などと言いながら、大笑いして見てましたが、段々、皆、そのうちに、「こういうバカが出来たのが若さなんだよな」と・・・。
今思えば、よくもまあ、来る日も来る日も、大した理由もなく、こういうバカ騒ぎをやっていたもんだ・・・と。
否応なく、自分の年を思い知らせてくれたような気がした一夜でした(涙)。

で、本日の本題です。

「もうこれで・・・と言って幕を引いてはいけない」

この言葉は、ローカル岡という二年ほど前に亡くなったお笑い芸人の方の言葉だそうですが、ご存じでしたでしょうか。
実は私も存じ上げなかったのですが、この方は50歳で人気が出た遅咲きの芸人さんだそうで、つまり、ずっと鳴かず飛ばずだったことから、「もうこの辺で・・・」と言って、50歳前のどこかの時点で廃業していたら、この人の名前が歴史に残ることはなかったわけですね。
(ちなみに、その宴席でも、必然的に、「織田信長大久保利通49才で死んだんだよな」という話が出ました・・・。)

e0027240_18133144.jpgで、このブログも2年半を数えたこともあり、もう、ぼちぼちいいかな・・・という気持ちになってきました。
その理由は、これにとられているエネルギーです。
私の場合、自分の中で溜まっていった欲求不満のようなもの吐き出すという行為が文章なのですが、このブログを書いているせいで、それをチョコチョコと吐き出すことになってしまい、一向に欲求不満が溜まらないんですよ。

(あくまで、「欲求不満のようなもの」であって、欲求不満ではありません。ここのところ、ご婦人方におかれましてはくれぐれも誤解のないよう御願い致します・・・(笑)。第一、もう、そちらの方は欲求自体があまり・・・、いえ、何でもないです。)

で、明年3月で当ブログも、まる三年に相成ります。
これも偏に、皆々様のお引き立ての賜ではありますが、上述のような理由で、三年を過ぎれば、ちと、歩みを緩めるかもしれませんが、何卒、宜しくご理解を賜りますよう御願い申し上げます。

ということで、今年一年、本当にお世話になりました。
どなた様もよいお年をお迎え下さい。

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by heitaroh | 2007-12-31 00:46 | その他 | Trackback | Comments(6)

ナセルの素性と藤堂高虎の遺訓に思いを馳せる年末 2
親愛なるアッティクスへ

先週の続きです。

以前、私は、ある保険の打ち合わせをしているときに、「私が死んだら、家族が困らないように」と言ったところ、アドバイザー(非保険屋)から「アナタァ?はあ?貴方はまだ、心配いらないですよ」と思いっきり、失笑されたことがあります。
でも、この「まだ」って、何か根拠があってのことでしょうか?
もっとも、このアドバイザー氏が現代日本では、それほど、特異な人ではないように私には思えます。
同様に、現代日本人の多くは、「明朝、目が覚めても、これまでと変わらない日常が続いている。」と思いこんでいるように思えるのです。
で、その根拠は何なのでしょうか?
昨日まで、ピンピンしていた人が突然、亡くなるなんて話、別に無い訳じゃないですよね。
私も、昨日まで普通にしていた人が、翌朝、脳梗塞だったかで目の前で倒れられたのを見たことがあります。
その方は、そのまま、救急車で運ばれましたが、一週間ほどして、亡くなりましたよ。

また、百歩譲って、仮に病気でなかったとしても、事故という可能性もあるわけでしょう?
これだけ、車が走っているんです。
自分が気をつけていても、交通事故に巻き込まれるってこともありますよね?
私自身、検査手術日帰り入院したところ、初歩的な医療ミスで、あと少しで死ぬところだった・・・という経験がありますよ。
(妙なもので、このとき、病院に行く前に、ちらっと一瞬、「人間って、案外、こんな何でもないことで死んだりしてね・・・」って頭をよぎりましたよ。でも、すぐに、「いくら何でも、検査手術なんだから、そんなことあるはずがないよな」と思い直し、そのまま、病院に向かいましたが、そのとき、心底にあったものは、間違いなく「まさか、俺が・・・」という根拠のない思いこみでした。)

さらに言えば、地震もまた然り。
数年前には、私自身も地震を体験しましたが、(私に限らず、福岡人は、多かれ少なかれ、日本が沈没することはあっても福岡が地震に見舞われることは無いと思ってました。)阪神大震災で亡くなった5000人以上の方は、誰もが翌朝も、翌々朝も、目覚めると同じ日常が続いていると、信じて疑われなかったのではないでしょうか?
そう考えれば、藤堂高虎のような戦国武者で無くとも、今日、布団に入るときに明日も同じ生活が続いていると考えることは、単なる思いこみに過ぎないのではと思えて成りません。
・・・何だか、保険の勧誘みたいになってきましたね(笑)。

もっとも、そう、イチイチ気にしていたのでは、到底、生きていけないのも、また、現代社会の動かし難い現実です。
ユリウス・カエサルは、数々の暗殺の危険に対し、「怯えて生きるよりも死んだ方がマシ」と意に介さなかったとか。)
私が言いたいのは、別に保険の心配をしろということではなく、「事」先送りしてませんか?ということです。
先送りとは、明日も、明後日も、いつもと変わらない日常が続いていることが前提なのですから・・・。
「この世に生を受けたるは事を成すが為にあり」と言います。

その意味で、藤堂高虎のこの言葉は、平和社会に生きる現代人に、「刹那刹那を疎かにすることなく生きる」ことの意義を問いかけているように思えて成りません。
ということで、一献、誘うなら今ですよ、御同輩・・・。
平太独白
by heitaroh | 2007-12-29 08:12 | 思想哲学 | Trackback | Comments(4)

今年言い残したことを語る その4 銃刀法問題
親愛なるアッティクスへ

いよいよ世間一般、今日が仕事納めのところが多いのではないでしょうか。
拙ブログは、一応、31日まで開店(休業?)の予定です(笑)。乞うご期待。

で、今年の出来事の中で、どうしても、忘れてはならない出来事と言えば、「偽」などよりも、私にとっては、むしろ、「銃」の問題だったような気がします。
まず、記憶に新しいところでは、先般の長崎県佐世保市散弾銃乱射事件が思い起こされます。
この事件は、水泳コーチの女性を狙ったストーカー殺人であった可能性が高くなってきているようですが、当初、犯人についての情報がまったくわからなかったことから、それが逃走して、数時間経っても未だに行方がわからない・・・というのは、「車で2時間」の距離にいる身としては、あまり、気持ちの良いものではありませんでしたね。

また、他にも、銃の手入れをしていた父親が目を離したすきに、5歳の長男が誤って銃の引き金を引き、2歳の次男が死亡したという、東京都目黒区ライフル銃暴発事故もありました。
まったく、痛ましい事故ですね。
うちにも、そのくらいの子供がいますので、とても、他人事とは思えませんよ。
家人も、「どうして、弾を込めたまま、手入れなどしていたのか」と言ってましたが、うっかりが多いうちの家人など、事故を起こしたのが、銃だったかアイロンだったかの違いだけで、決して他人事とは限らない話だと思います。
警察庁によると、「銃の暴発誤射などの事故は昨年1年間でも23件発生(うち死亡6件)している」のとのこと・・・。

この点で、実は、私の従兄が、子供の頃からのガンマニアでして、それが高じて、そのまま、某警察に就職してしまったほどなのですが、その彼が、学生時代、私に、「日本は銃規制に神経質すぎる」ということを盛んに力説していました。
(彼とも、もう四半世紀会ってませんが・・・。)
曰く、「アメリカの銃犯罪が問題にされるが、実際には、アメリカで起こっている犯罪は銃以外のナイフなどによるものが殆どなんだ」と。
それに対し私は、「ナイフなら、まだ、逃げるとか、もみ合うなどの自衛も出来るが、銃だと殆ど抵抗らしい抵抗が出来ない以上、規制してしかるべしだ」ということを言いましたが、従兄はどうしても納得しませんでした。

この話を踏まえた上で言うと、実は私も、以前、「銃刀法扱いになる工事機械」を持っていたのですが、福岡県警博多警察署から問い合わせがあり、「もう、今では使ってない」と答えたところ、「では、熔解処分にするので引き取りにくる」と言われ、すぐに、数人の刑事が引き取りに来たことがありました。
もっとも、「引き取りに来る」などと言われても、購入当時はそれなりに高価な物だったこともあり、私としては、少し、抵抗もあったのですが、「責任は重い」などと言われ、やむなく、処分に同意しましたが、銃扱いであったとしても、実際には狙撃出来るわけでもない以上、工事機械以外の何ものでもなく、これが凶器になるのなら、所有者(使用者)としては、別に丸ノコでもドリルでも凶器になるわけで、何も、これだけをそんなに杓子定規に・・・と思わなくもありませんでした。

「ナイフは人を殺さない」とはよく言われますが、私としてはそれでもやはり・・・。

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by heitaroh | 2007-12-28 08:45 | 時事問題 | Trackback(1) | Comments(4)

今年言い残したことを語る その3 プロとは感動を売る稼業
親愛なるアッティクスへ

このシリーズ第三弾ですが、これもまた、プロ野球ネタです。
なかなか、他の話題にまでたどり着けそうにありません(笑)。

私にとって、昨年のスポーツ界が、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)での日本プロ野球世界一の年であったのに対し、今年は・・・と言えば、先日から申し上げておりますとおり、西鉄ライオンズの大投手、稲尾和久氏が亡くなった年でありました。
(私は、未だに、飲んでこの人の話をすると、「不覚にも落涙致しおり候・・・」です(笑)。)

その稲尾さんが亡くなって間もない今月初め、奇しくも、稲尾さんの精神を再認識させるようなイベントが行われました。
「WBCの感動をもう一度」と思い起こさせるような北京オリンピック・アジア予選です。
今大会は、オリンピック進出のためには一敗も出来ないという状況で、WBCにおいて二度までも苦杯をなめさせた韓国と、その韓国を破って前オリンピックでは本選進出を果たした台湾との戦い・・・となるわけで、否応なく、予断を許さない試合展開になるだろうということが予想されました。

結果的に、日本はこの二試合に連勝し、本選進出を果たしたわけですが、結果は別にして、この大会を見た限りでは、日本のプロ野球は、「プロとは何か?」ということに、少し、目覚めたのではないかと思えた内容でした。
即ち、中日・岩瀬は、シーズン中にないロングリリーフを見せ、日ハム・稲葉フェンスに当たりながらもボールを獲りに行く。
初戦で牽制死したロッテ・サブローは、帰塁するときに滑り込まなかったことをキャプテン、ヤクルト・宮本から叱責され、その宮本は懸命の走塁を見せる。
極めつけは、横浜・村田の、背中を直撃されてのデッドボールで、村田は、これに対して、文句を言うどころか、雄叫びを上げて「謝謝!」とばかり、一塁へ出塁した、この姿勢にあったでしょう・・・。
まさしく、WBCのときの多村(当時、横浜)を彷彿とさせるプレーで、これこそが、ヨコハマ魂だったでしょうか。

・・・これこそが「大和魂」ですよ。
彼らが客に売っているのは「数字」でも「技術」でもない、「感動」なんだ・・・と。
かつて、稲尾さんが、メジャーリーガーから、「クレイジー」と言われるほどに、来る日も来る日も投げ続けたことと同義であったでしょう。

おそらく、今の選手たちは「稲尾」という名前を知らない人もたくさんいたのではないかと思いますが、あるいは、「亡くなった」というニュースで、自分たちの本業を再認識したということもあったのではないか・・・と。
まことに、手前勝手な物の見方ですが、昨年の「WBC世界一」と、今年の稲尾和久という人の逝去こそが、オリンピック進出の原点であったように思えてなりません。

e0027240_10305166.jpgもっとも、我が福岡ソフトバンク・ホークスから選ばれたのは、川崎ムネリンだけ・・・というのが、今のホークスが置かれた現実を雄弁に物語っているのでしょうが。
(←数日前の福岡ドームです。さすがに閑散としてますね。「つわものどもが夢の跡」・・・って感じでしょうか。)


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by heitaroh | 2007-12-27 08:22 | スポーツ | Trackback | Comments(4)

ベトナム・カンボジアの旅 8 アンコールワット
親愛なるアッティクスへ

先日の続きです。

e0027240_14354328.jpg今回の旅の一番の目玉は、何と言っても、世界遺産「アンコールワット」でしょう。

実は、ここは意外に日本人とは縁深い場所でして、ここには中世以降、日本人が遺したと思われる落書きが15カ所も見つかっているのだとか。

(←森本右近太夫なる人物が遺した落書。落書きと言うよりは、「落書」(らくしょ)ですね。右下に「生国日本」という文字が見えます。あまり、写りは良くありませんが、これを鮮明に写すことはかなり難しいのだそうです。このときも、日本人観光客が次から次へ・・・状態で、ゆっくりとカメラを調整しながら写すことは到底、出来ませんでした。)

森本右近太夫については、肥後熊本加藤清正に仕え、その後、肥前平戸(現長崎県平戸市)の松浦家に仕えたと言われていますが、ついでに言うと、ここ、アンコールワットでもっとも新しく流された日本人の血といえば、同じく、肥前国は佐賀県武雄市出身の戦場カメラマン・一ノ瀬泰造を忘れることが出来ないでしょう。

昭和47年(1972年)3月、フリーの戦場カメラマンとして、ベトナム戦争・カンボジア内戦を取材、「安全へのダイブ」UPIニュース写真月間最優秀賞受賞、一躍、名を挙げるが、その一ノ瀬が次の目標としたのが、「アンコールワット」でした。
当時、世界の関心の的だったのが、内戦により、現状が心配されたアンコールワットであり、その現状を撮影することは、戦場カメラマンとしての「大成功」を意味したものの、一帯は、残虐を極めた共産主義勢力クメール・ルージュの支配下に有ったことから、かなりの危険が見込まれたことで、今だ、誰も撮影した者はいなかった・・・と。
そこで、一ノ瀬は、昭和48年(1973年)11月、「地雷を踏んだら“サヨウナラ”だ」と友人に言い残し、単身、アンコールワットへ潜入し、そのまま消息を絶った・・・と。
この辺は、浅野忠信主演による映画、「地雷を踏んだらサヨウナラ」でもよく知られているとおりですが、結局、一ノ瀬はアンコールワットにたどり着き、しばらく、そこに滞在していたものの、クメール・ルージュにより処刑されていたことが判明したとか。
その後、彼の遺体は、昭和57年(1982年)、シュムリアップから14km離れたアンコールワット北東部に位置するプラダック村にて発見され、両親によってその死亡が確認されたことはたことは、当時、ニュースでも報じられましたので、私もよく覚えております。

アンコールワットでは、願わくば、一ノ瀬が処刑されたところに佇んでみたいとも思っておりましたが、現地に着いたときには、すっかり、忘れてました(笑)。
だって、何だか、あまりにも懐かしい風景だったんです・・・。

e0027240_958768.jpgもちろん、ここには初めて来たのですが、私が子供の頃の福岡市下人参町付近には、こういう、アンコールワットみたいな煤けた古い建物が結構、あったんですよ。
←特にこれなどは然り・・・(笑)。

修復のために設けられた木造デッキ部分が、まさしく、まだ、戦後の臭いが少し残る古い建物にむりやり設置した物干し(嗚呼、これも死語ですねぇ・・・。)に見えるんですよ・・・。
修復中と言うことで、上には上がれませんでしたが、是非、上がってみたかったですねぇ。
あるいは、私の前世は森本君一ノ瀬君よりも先にここにいたのかも・・・(いきなり、ため口(笑)。)。
                            平太独白
by heitaroh | 2007-12-26 08:45 | 歴史 | Trackback(1) | Comments(2)

今年言い残したことを語る その2 功労者に冷たい福岡人
親愛なるアッティクスへ

その2と言いながら、日程的に、多くを語れそうにないのですが、にもかかわらず、またもや、プロ野球ネタです。

西鉄ライオンズ投手・監督で「鉄腕」の異名をとった稲尾和久氏に対し、旭日小綬章が贈られたという話。
意外なことに、元プロ野球選手の叙勲は、川上哲治元巨人監督、故鶴岡一人元南海元監督に次いで3人目だとか。
それを聞いて、これこそが、ある意味、稲尾さんにもっとも相応しい処遇ではなかったか・・・という気がしています。
即ち、国民栄誉賞というものは、「個人」の業績の結果であることが多いことから、どこか、浮ついたような感があるのに対し、叙勲の方は、「三人目」ということを考えれば、選考者側にも、しっかりと、稲尾という人の功績が認識されていたということであり、即ち、何だかんだ言っても、川上・鶴岡の両氏が東京・大阪という中央の二大都市を拠点としていたのに対し、稲尾さんは、一地方球団の、それも、今や地上から抹殺されてしまった球団でのそれだということを考えれば、この叙勲の持つ価値の意味は、改めて、価値を持ってくるように思えます。

e0027240_15474263.jpg
そこまで思って、ふと、思いました。
どうして、福岡市には、西鉄ライオンズ記念館のような物がないのでしょうか?
先般、ある友人から、「福岡には、郷土の偉人を顕彰するような施設が皆無である」という指摘を受けました。
確かに、言われてみれば、キャナルシティだの、エルガーラだの、キラキラした物にばかり興味があって、そういう物にはまったく興味を見せないのが福岡人・・・。
近世だけでも、明石元二郎、金子堅太郎、栗野慎一郎、頭山 満、広田弘毅、山座円次郎、緒方竹虎、中野正剛・・・etcと、偉大な足跡を残した人たちを輩出しておきながら、地元にはそれらを顕彰するような施設は殆どありません。
わずかに、「OOOO邸跡」などという石碑が、時折、道を歩いていると、目に付く程度・・・。
ある取引先に、その話をしたところ、「本来であれば、稲尾さんのそれくらいは福岡にあってもおかしくないんでしょうが、別府に持って行かれましたしねぇ」・・・と。
郷土にあれだけの勇気と誇りを与えてくれた方なんですから、もっと早くに、福岡財界でも、地元旦那衆でも、
誰か、思いついていてもよかったんじゃないですか?

そう考えれば、西日本鉄道さんは最適なんですよ。
何のために買ったかわからないような土地がたくさんあるんですから、そこに、「西鉄ライオンズ記念館」を建設するのもわけないことでしょうし、入場料をとる以上、事業の一つであり、であれば、株主から訴えられることもないのではないでしょうか。
数年前、募金を募って、わずかに、平和台球場跡の一部に記念碑を建設しましたが、それだけでは少し、寂しすぎません?
もう少し、何か考えてもいいんじゃないの・・・という気がするんですけどねぇ。

明日に続く。
                      平太独白

by heitaroh | 2007-12-25 08:08 | 地域 | Trackback | Comments(6)

ナセルの素性と藤堂高虎の遺訓に思いを馳せる年末 1
親愛なるアッティクスへ

e0027240_11113431.jpg←一昨日の夜は、ここにいました。
さすが、ひれ酒!、昨日の朝は、二日酔いが殆どありませんでした。
ところで、いよいよ、年末も本番モードに入ってきましたね。
今年は、貴方様に取りまして、どのような年でしたでしょうか?
やるべき事をやり、為すべき事を為せた年でしたでしょうか?
為すべきこと・・・と言えば、以前、ある畏友に、「為せば成る ナセルはアラブの大統領」と昭和30年代のギャグを言ったところ、「ナセルはアラブの大統領ではなく、エジプト・アラブ共和国大統領であり、アラブ連合アラブ社会主義連合盟主です」と言われました。

私もサダトの前のエジプト大統領ということは知ってはいたのですが・・・、まあ、この畏友の博覧強記のナセル技でしょう・・・(笑)。
・・・ていうか、何か反応する所が違うような(爆!)。

さておき、以前、平太郎独白録 藤堂高虎に見る「一芸」か「オールラウンドプレーヤー」かのハムレット的考察・前編並びに平太郎独白録 藤堂高虎に見る「一芸」か「オールラウンドプレーヤー」かのハムレット的考察・後編でも紹介致しました、藤堂高虎という人物の言葉として、「朝、布団から出るときは、今日、死ぬものと心得よ。」というものがあります。
まあ、戦国武将と、我々、平和ニッポンに生きる現代人とを同じように論じるのも無理があるでしょうが、思えば、人の命そのものには、今も昔もあるはずはなく、黒澤明の名作、「生きる」ではないですが、もし、「今日、死ぬとわかってたら、やっておけばよかった・・・。」ということがお有りになるのではないですか?

実は、拙著前作を出版しようと思ったときに、色々ありまして、この博覧強記の畏友に相談したことがあります。
すると、彼から、「先般、私のよく知っている取引先の社長が、乗っていたセスナが墜落して亡くなった。それ以来、私も、できること、やりたいことは、先延ばししないで、今のうちにやっておこうと思うようになった。君もまた然りだよ」と言われたことがあります。
そう言えば、阪神大震災を経験した義兄は、以来、いたずらに貯金するよりも、今出来る家族とのイベントを優先するようになったそうですし、三木谷浩史氏が楽天を起こそうと思ったきっかけも郷土のこの惨状だったとか、他にも女優の藤原紀香さんなどもそういう話を聞きました。

来週に続きます。
                              平太独白

by heitaroh | 2007-12-22 08:08 | 思想哲学 | Trackback | Comments(0)

ベトナム・カンボジアの旅 7 国際情勢さながらの人間模様
親愛なるアッティクスへ

少し間が空きましたが、先日の続きです。

世界遺産のアンコールワットにも行ってきましたが、ここは、観光地だけに色々な国の人たちが来ていました。
韓国人たちは我が物顔で大声で叫び散らし、それを日本人冷たい目で見ているその横を、中国人の一団が「なんだ、こいつらか」という顔で通り過ぎ、後ろからはシンガポール人が・・・。

e0027240_10161076.jpgドイツ人ロシア人イギリス人インド人がすれ違うときにも、同じように、何だか微妙なものがあり(^^)、さらに、ベトナム人はカンボジア人のことをバカにし、カンボジア人はベトナム人のことを悪く言う・・・。
(←カンボジアの夜明けです。)

そういう、国際情勢そのままの人間模様が見られましたが、それをみて、思わず、『対馬人壱岐人のことを「狡猾だ」と言い、壱岐人は対馬人を「粗暴」だと言う』というようなことが、司馬遼太郎「街道を行く」に書いてあったことを思いだしてしまいました(笑)。

帰国後、たまたま、アメリカにいる日系2.5世の親戚(お父さんは二世でお母さんは一世とうことですね。)から手紙が来てたのですが、聞けば、そちらの子供が大学院に進学するとか。
その親戚は、やたらと、どいつもこいつも博士号ばかりとる親戚で(当然、血は繋がっておりません(笑)。)、日頃、「あんたたちは、勉強ばかりしてるからだめなんだ。ちったあ、人生を勉強しろ・・・」などと軽口を叩いておりますが、ただ、今回のベトナム・カンボジアの旅で、そういう、国際情勢さながらの人間模様を見てきた私としては、思わず、「息子には、勉強ばかりしてないで、日本語を覚えさせろよ」と返事しました(笑)。
いくら、アメリカ多民族国家だからと言っても、外の世界を見せておくことや、もうひとつ、別の現を話せるということは、決して、マイナスにはならないから・・・と。

と、そこまで、書いて、ふと思いました。
アメリカ人は、自分たちが多民族国家だからということで、多民族がわかったつもりになっているのではないか・・・と。
つまり、「わざわざ、出かけていかないでも私たちは普通に他民族と交わってるんだから、他民族との付き合い方という点なら、あんたたちに言われるまでもなくスペシャリストだよ」・・・と。
しかし、今回の旅行での民族の違いということを考えると、アメリカという土壌がしっかりした枠組みの中で触れあう多民族と、旧大陸での、つまり、その場所で触れあう多民族というものは、養殖野生くらいにまるで違うものではないかと・・・、そのことにアメリカ人は気づいていないのではないかと思いました。

そのうち、続きます。

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by heitaroh | 2007-12-21 08:12 | 国際問題 | Trackback | Comments(0)

鹿内家の内紛
親愛なるアッティクスへ

先日、年末の大掃除で机の引き出しの奥深くから、一冊のメモ紙・・・というか、手帳というかが出てきました。
それをみると、「鹿内家の内紛」として記しているものがありました。
ブログネタかな・・・と思いましたが、書いた記憶はないし、裏を見ると、人の携帯の番号が走り書きしてありましたが、まだ、030で始まっており、つまり、今の090080になる前の番号なんですね。

で、他に書いてある内容からして、平成5年の初期頃の物ではないかと思うのですが、少し、面白いので開陳してみたいと思います。
で、その前に、少し説明をしておきますと、現在のフジサンケイグループというものを事実上、作り上げたのは、鹿内信隆という極めて、あくの強い人物です。
この人は、創業者にありがちな唯我独尊タイプの人で、グループ内では絶対的な権力者として君臨し、その思想は極めて保守的で苛烈、労働組合の結成などは絶対に認めなかったといいます。
その後、後継者として出てきたのが、信隆の長男の春雄氏であり、この人は両親に反発しながらも、高校を落第し、アメリカへ留学するもボストン大学を中退して帰国するなど、決して、順風満帆の人生を送ってきた人でもなかったようです。
帰国後、経団連会長秘書やニッポン放送勤務等を経て、グループ議長にまで登り詰めますが、当時のグループの置かれていた現状は、必ずしも、楽観視できるものでもなく、父の頑迷な組合潰しなどの影響もあり、業績は低迷していたそうですが、それを、この春雄氏が、一気に回復し、黄金時代を迎えることになります。
ところが、その春雄氏が昭和63年、突然、42才の若さで急逝してしまったことで、急遽、娘婿の宏明氏を養子に迎え、信隆氏が再び、実権を握る体制がスタートしたものの、2年後の平成2年、信隆議長が死亡。
すると、そのまた2年後の平成4年、社内でクーデターが起こって、宏明議長が追放された・・・というものでした。

で、以下が、このクーデター事件における当時の私見です。

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なぜ、鹿内宏明フジサンケイグループ議長は追放されたのか。
それは、彼が二代目心構えを持たずに、他人でありながら、三代目に就任したからである。

二代目は、自分の置かれている立場もわかっているし、上手くいっても先代の手柄、失敗すれば自分の責任というダモクレスの剣を意識している場合が多い。
また、先代に対しても、比較的、批判的な立場をとることができることから、悪いところを把握し、自代に活かせる。

そういったことを知らない、ただ、TOPの椅子の輝きに目がくらんだ人間が、宏明氏のようにその椅子に座ると、剣は自分の頭めがけて落ちてくる。

宏明氏は、パーティなどで名刺交換を供の者にやらせたり、エレベーターを自分専用にするなど、初代信隆氏の悪いところ、二代春雄氏が改めたところを、そのまま、復活させた。
自分にも許されると信じた。
二代目の椅子の上にぶらさがっているダモクレスの剣に気が付かなかった男の悲劇だろう。

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以上。
まあ、今だったら、必ずしも、こういう考えはもたないでしょうね。
ただただ、未熟者ということでお許しを・・・。
平太独白
by heitaroh | 2007-12-20 08:48 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(0)

ベトナム・カンボジアの旅 6 大悪の前に色褪せる小悪
親愛なるアッティクスへ

一昨日の続きです。

カンボジア人の間では、伝統的に、タイよりも、ベトナムに対する反感が強いと言われているようですね・・・。

共産ベトナムによる南北統一とほぼ同時期に成立したカンボジアの共産党政権・クメール・ルージュ、通称、ポル・ポト政権は、政権成立直後から国内のベトナム人を迫害し、たびたび、ベトナム領への攻撃を仕掛けたことで、両国の対立が激化。
当時の中ソ対立の影響もあり、(ベトナムにはソ連が、ポル・ポト政権には中国がそれぞれの後ろ盾となっていた)ついに、昭和53年(1978年)1月の国境紛争によって両国は国交を断絶。
さらに、ポル・ポトはカンボジア国内でベトナム系住民を迫害するなどの恐怖政治を行ったことから、ベトナムに大量のカンボジア難民が流入するという事態になったことを受け、ついに、ベトナムはカンボジアから亡命していたヘン・サムリン将軍を支援するという形でカンボジアに侵攻。
翌年1月には、ベトナム軍の鋭鋒は、首都・プノンペンを攻略し、親ベトナムのヘン・サムリン政権を樹立した・・・と。

当初、ポル・ポトの圧政に苦しんでいたカンボジア国民はベトナム軍を解放軍として歓迎したものの、支配者として、ポル・ポトと大して変わらないような圧政を行ったことは、映画、キリング・フィールドでもよく知られる話でしょうか。
その後、カンボジア支援のためにベトナムに侵攻してきた中国の人民解放軍を迎え撃ったベトナム軍との間で、中越戦争が繰り広げられたわけで、未だにベトナムは謝罪を要求し、中国は拒否しているということもあり、ベトナム人の嫌中感情は根強い物があるようですね。

思えば、ベトナムの歴史というものは、中国人の支配を受けてきたのが1000年
その後、自前の王朝を築いたものの、欧米列強の進出が始まると、フランスの支配を受け、次に、大戦中はフランスを追い出した日本の支配を受けたわけで・・・。
日本支配下でのベトナム人の被害も決して少なくなかったのでしょう、日越国交回復交渉の折りには、ベトナム側代表団は何を言っても猜疑心の固まりのようで、席を立とうとしたら、「ミクダリハンか?!」と言われたなどというという話も聞きます。
いわゆる、「三下り半」ですね。

e0027240_1324736.jpgただ、その後、フランスとの独立戦争が始まり、さらに、アメリカとのベトナム戦争に突入していくと、国交回復交渉どころではなくなり、さらに、ベトナム戦争から中越戦争まで終わってみると、日本がやった悪行の数々も、それら大悪の前には、すっかり、色褪せてしまったようで・・・。

今では、日本に対する反感は殆ど無いようです(苦笑)。
その意味では、ベトナム戦争、中越戦争というのはベトナムにとっては悲惨な大難であっても、こと、日本にとっては、「天佑」だったともいえるのでしょうか・・・。

そのうち、続きます。

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by heitaroh | 2007-12-19 08:19 | 歴史 | Trackback | Comments(0)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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