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痴漢えん罪にみる「やり方」を変えたがらない役所の体質
親愛なるアッティクスへ

以前、平太郎独白録 : 映画、それでもボクはやってないに想うそれを生業にする女性以来、たびたび、電車内での痴漢えん罪事件について書いおりましたが、先般、知人より、この件で以下のような記事をメールでもらいました。

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2007年11月16日付 毎日新聞中部夕刊
  
痴漢:男性無罪確定 愛知県警、物証収集怠る 警察庁通達に反し
 ◇担当部署に要請もせず


 満員電車で痴漢をしたとして愛知県迷惑防止条例違反の罪に問われた同県職員の男性(43)に対する名古屋簡裁の無罪判決が確定した問題で、男性を逮捕した県警鉄道警察隊警察庁の通達に反し、容疑者に付着する被害者の衣服の繊維片など物証の収集を怠っていたことが16日までに分かった。
 痴漢の無罪判決が全国で相次いだため、通達は客観的証拠に基づく捜査を促した。県警幹部は「通達を徹底したい」と話している。

 電車内での痴漢は、周囲の乗客や被害者が取り押さえて警察官に引き渡すケースが多く、明確な目撃証言や物証がないことが多い。
 このため警察庁は05年11月、全国各警察本部に▽目撃者の早期確保▽容疑者に付着した被害者の衣服の繊維片などの鑑定▽証言や供述を基にした実況見分--などを文書で要請。
 警視庁や大阪府警などは既に繊維鑑定による証拠固めを行っており、愛知県警も実施できる体制にある。しかし、鉄道警察隊は通達後の06年1月、電車内で下腹部を女性の右太ももに押し付け、手の甲で胸を触ったとして男性を現行犯逮捕した後、繊維片などの採取をせず、県警の担当部署に鑑定要請もしていなかった。

 男性は当初容疑を認め同年8月に名古屋簡裁に在宅起訴されたが、公判で否認に転じた。男性の弁護士は「被害者の衣服と類似の繊維が見つかれば有力な物証になるし、逆に見つからなければ冤罪(えんざい)の防止にもつながった。警察官が現認し男性も認めた事件で、男性が犯人でない物証が出たら困るため鑑定を怠ったのではないか」と指摘する。
 異例の16回に及ぶ公判では、男性と女性の股下に14センチの差があって下腹部を押しつけようがなかったことが判明するなど捜査のほころびも明るみに出た。県警幹部は「繊維片の採取は手間のかかることではない。改めて実施を呼びかける必要がある」と話している。

 県警によると、列車や駅構内での痴漢被害の受理件数は▽04年81件▽05年135件▽06年159件
 今年は10月末現在で134件増加傾向にある。【石原聖、岡崎大輔、米川直己】
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この問題は映画の公開と共に、犯罪を誘発する恐れがある・・・ことから、法整備を含めた対策の必要性を指摘していたのですが、今や案の定、社会問題にさえなっているようですね。
でもって、やはり、このような通達が出ていたんですね。
先日の平太郎独白録 : 野村高将氏の身に起きた大難に憤慨ひとかたならず 前編では、警察が何の手だてもとってなかったのにむしろ、驚いていたんですよ。
ちなみに、この通達の内容とは、
①目撃者の早期確保
②容疑者に付着した被害者の衣服の繊維片などの鑑定
③証言や供述を基にした実況見分

・・・となっているようですが、この野村高将氏の場合でも、警察は、②③以前に、①の目撃者という点で、「逮捕協力者」(黒幕?)とされる茶髪の若者に対して、公平という観点から、もっときちんと状況を聞いておけば、こういうことにはならなかったのではないかと思えてなりません。
結局、自動的に、ベルトコンベヤーに乗せられて送られてきた「容疑者」というものに、一律、同じような加工方法を施していたということであり、つまるところ警察に限らず、役所とは、長年やってきた自分たちの「やり方」を変えたがらないものなんだろうな・・・と。

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by heitaroh | 2007-11-30 08:22 | 社会全般 | Trackback | Comments(2)

ALWAYS的等身大の昭和!その2 「地下鉄に乗って 」
親愛なるアッティクスへ

で、続きと言えば続きなのですが、その、福岡タワーにあった昭和32年だったかの、中州付近の等身大の大伸ばし写真を見て思い出したのですが、先日、「地下鉄(メトロ)に乗って 」という映画を見ました。
友人から、アナタは絶対、こういうのが好きだよ・・・と、強く推薦されましたので、ならば・・・と見てみましたが、何だか、細かい突っ込むところが多すぎて・・・という作品でしたね(笑)。
あるいは、原作を読んでから、映画を見れば良かったのかな・・・と。

あらましを述べると、横暴「あの時代の親父」そのままの父に反発し、家を捨てた堤 真一扮する主人公がある日、地下鉄のホームで、早世したはずの兄を見つけ、追いかけていくと、いつの間にか東京オリンピックで涌く、昭和39年の東京にタイムスリップしていた・・・というものでしたが、まず、私としては、タイムスリップして、横暴な父の苦悩と、激動の時代をひたむきに生きた「実際の姿」を知り、嫌っていた父を理解していく・・・というのは、まあいいとしても、ご丁寧にも、戦後から戦時中、戦前と、父の変遷をここまでなぞってタイムスリップしていく必要はあったのかな・・・と。
何てバカ親切な神様なんだ・・・という気が(笑)。

e0027240_112956100.jpgつまり、昭和39年の範囲内だけで理解させれば良かったし、それは可能だったのではないかと・・・。
それから、岡本 綾ちゃん扮する不倫相手の設定も、もう少しどうにか出来たんじゃないの・・・と。
最後の方で、なぜ、ああいうことをしてしまったのかということの必然性がイマイチわかりませんでしたしね。

それから、最近、この手の映画に多用されるCGですが、これに関しては、良くできているのでしょうが、なぜか、私的にはピンと来る物がないんですよ。

で、ひとつには視点の高さが違うんだろうな・・・と思い至ったわけです。
(当時は、大人の人は、本当に、電信柱のように高く感じましたし、鴨居の上にある神棚はちらっとしか見えず、本当に、あの奥はどこに繋がっているんだろう・・・と神秘的にさえ感じましたから、その分、行動範囲が狭かった代わりに、かなり、コアに物事を見ていた私にとっては、むしろ、向かいの家の戸袋の下にいるダンゴムシ・・・なんて方がピンと来たのかもしれません。)

おそらく、リアルタイムで当時を知っている人が作っているわけではないでしょうから、どうしても、写真現存している物をもとに作らざるを得ず、そう考えれば、その写真などはすべて大人の目線で撮られた物だろうと。
(当時は、写真なんてのは高級品でしたから。そういえば、私が子供の頃に、父が近所の友人と一緒に写真を撮って、焼き増し(死語?)してあげたら、友人の親から、もの凄く恐縮されたのを覚えています。)
だからこそ、ALWAYSにしても、当時、すでに大人の目線だった私の母などが見れば感動するのかもしれませんが・・・。

P.S 常磐貴子ちゃんのアバズレ(?)役(これも死語?(笑)。)というのは、よく、はまってましたね。
思わず、惚れちゃいそうでした(笑)。
                                  平太独白
by heitaroh | 2007-11-29 08:31 | 文学芸術 | Trackback | Comments(6)

ALWAYS的等身大の昭和!その1 中洲大古写真
親愛なるアッティクスへ

先日、久しぶりに家族連れで福岡タワーに行ってきました。

e0027240_10275247.jpg別に、ここ自体、今更、改めてどうこう言うことはないのですが、ここの一階にあるお土産屋さん・・・みたいなところに行ったところ、昭和32年頃の博多の中洲付近の風景写真(←)が大延ばしして貼ってありました。

で、私も、もちろん、この手の写真は見たことがありましたが、結構、感動したのは、それが等身大に引き延ばして壁に貼ってあったことで、やはり、自分の目線と同じ高さで、等身大の大きさの物を見ると、何ともいえない立体感というか、現実感がありましたねぇ・・・。
でもって、昭和32年と言えば、度々採り上げております三原脩翁を始め、稲尾和久、中西 太、豊田泰光、大下 弘といった西鉄ライオンズ野武士たちが闊歩した時代の博多の風景で、歩いて15分くらいの福岡市下人参町在住だった私の父や祖父も、そこに写っている人たちと同じ空気を吸っていたのだな・・・と。
(あるいは、この日も、このフレームのほんの横を歩いていたのかも・・・。)

もちろん、私が生まれる前・・・どころか、私の両親が若い頃の風景なわけで、当然、私は見たことがない風景であり、昭和32年の博多・・・というよりは、むしろ、100年くらい前のサンフランシスコの写真のようにも思える写真ですが(笑)、こういう大きさで見せつけられると、その中に入ってしまったようで、結構、新鮮でしたね。

e0027240_10281847.jpg思えば、うちの近所も、一歩、大通りに出れば、似たり寄ったりの、錆びた鉄骨があちこちに張り出した風景があったように思います。

(←現在の同地付近。)

で、今度、また、「ALWAYS 三丁目の夕陽」あるそうですね。
ああいう物のCGについては、平太郎独白録 : 古き良き「ザ・ヒットパレード」に想う、寂しい暗さに蔭が匂う。でも申しましたとおり、良くできているなぁ・・・とは思うのですが、どうにも、私にはなぜか、リアル感がありません。
昭和30年代・・・と言っても、わずか、3年しか知らない私にとっては、おそらく、あまりにも情報量が多すぎるのかな・・・とも思っていたのですが、これについては、ひとつ、思い当たることがありました。
視点が違うんだ」と。
つまり、当時、私はまだ、子供でしたから、大人に比べ、目の高さ・・・つまり、視点の位置が低いんですよ。

このことは、また、明日。
                             平太独白
by heitaroh | 2007-11-28 08:22 | 地域 | Trackback | Comments(4)

「雪国」にこれが同じ日本なのか?!と目を見張った連休
親愛なるアッティクスへ

e0027240_9574963.jpg以前、長崎の高校生が、核廃絶だったかの一万人署名活動をやっているニュースを見たとき、「こういうことをやっている子供たちにはいじめはないんじゃないか」・・・となぜか、そう思った。
(←グラバー邸から長崎港内を見た風景。)

ところで、「いじめ」の原型という点では、先日の連休で撮りだめしていた映画「雪国」を見たので、それについて触れてみたい。
この作品は、言うまでもなく、ノーベル賞作家・川端康成の名作を映画化したものだが、大家が描く男女の心の機微よりも、むしろ、私には昭和初期の習俗を余すことなく映し出していたことの方が印象深かった。
それほどに、「これが同じ日本なのか?!」とさえ思わせられるほどに衝撃的で、かつ、新鮮でもあったのである。

見上げるほどに降り積もった雪。
その雪の中に多くの人たちが暮らし、多くの子供たちが見たこともない祭りに興じている。
その一方で、男がふらりと田舎町の宿屋に宿泊すれば、熱燗を頼むような感覚で、いきなり、「芸者を呼んでくれ」と言って普通に女を抱けるという現実・・・。
自分の想いとは別に、生きていくためにはを切り離さねばならないヒロインの現実・・・。
作品自体は、後半、少々、間延びしたような観がなきにしもあらずだったが、それらの悲哀を余すことなく描きったという点では十分に堪能できた作品であったように思う。

配役陣という点では、何と言っても大女優・岸 恵子の、「可愛い」駒子役が圧巻であったろう。
役柄、酔っぱらう姿が多かったが、本当に酔っぱらっているようにしか見えなかったし、自分の感情と、どうにもならない現実との間で身を焦がす姿も、今日でも、少々、「ぶりっこ」(死語?(笑)。)的なところがある人だけに、よくはまっていたように見えた。
相手役の東京人・島村役は池部 良でも佐田啓二でも大差なかったかもしれないが、駒子役だけは岸 恵子のそれが、圧巻であったように思える所以である。
                           平太独白
by heitaroh | 2007-11-27 08:01 | 文学芸術 | Trackback | Comments(0)

際だつ個性が奏でる不協和音のハーモニー・・・、ロボコン
親愛なるアッティクスへ

e0027240_12184156.jpg先日の連休、家で撮りだめしていた映画を見ました。
ひとつが、長澤まさみちゃんの出世作(でしょうか?)、「 ロボコン」・・・。
改めて説明の必要は無いだろうとは思いますが、ロボコンを知らないご年配(?)の方のために説明申し上げると、(御同輩殿も知らなかったりして・・・(笑)。)ロボコンとは、言うまでもなく、ロボット・コンテストの略で、「全国に62校ある高専(高等専門学校)の学生たちが、テーマに沿って一定条件を満たすロボットを開発し、フィールド内でバトルをくり広げるトーナメント方式の大会のことで、別名、理数系の甲子園と呼ばれる」・・・ですね。

で、この映画・・・以下、感想文風にまとめてみました。

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ストーリーとしては、ありがちな物なのかもしれない・・・。
しかし、それ以上に、この作品を際だたせている物こそ、ユニークな個性の登場人物たちなのであろう。
その意味では、この作品は人物のデテール勝利だと言えるのかもしれない。

快活奔放だが飽きっぽくて続かない感じの女の子と、好きこそものの上手なれで、誰よりも、ロボットに対する情熱を持っていながら優柔不断指導力ゼロの部長に、いかにもロボットだけを相手にしてきた感じの「人の心の機微がわからない天才肌の技術者」と、これまたそれとは対照的な、少しルーズな面があるものの突発事態には強いたたき上げの職人肌の若者・・・。

これほど、お互いに違うタイプでありながら、かつ、無い物を持ち合わせた組み合わせも珍しいだろう。
だがそれは、当然、激烈な副作用も伴う。
全員に共通するのは、不器用で未熟・・・ということであり、従って、一旦、うまく回転し始めると、お互いがお互いの欠点を埋めあい、長所を存分に発揮する理想的なコンビネーションとなるのだろうが、うまく行かないときはどうにも救いようがない観さえある。
だが、それを、上手に、そして個性を殺すことなく指導していく名伯楽の先生の指導の元、若者たちは、ぶつかりながら、時には、お互いを導きながら・・・、着実に、目的に向かって進み出す。
今日という日が終わらなければいいのに・・・と言いながら。

「不協和音の奏でるハーモニー」・・・、これこそが、若者が若者であることの証なのかもしれない。

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平太独白
by heitaroh | 2007-11-26 21:06 | 文学芸術 | Trackback | Comments(2)

人民元切り上げこそ、中国の悲願!
親愛なるアッティクスへ

昨今、人民元切り上げが話題になってますよね。
実際には、もう、切り上げは既定の事実となっているのかもしれませんが、私もかねがね、人民元は安すぎる・・・、それも、中国は、人為的にそう誘導しているのでは・・・という想いがありました。
で、数年前、香港に行った折りに、香港駐在の人と話をしていて、少々、思い当たることがありました。

e0027240_11463240.jpg

中国が目指しているもの、それは中華思想に根ざした中国史を貫く、「強い中国」への朝貢貿易外交と言う図式なのではないでしょうか?
朝貢貿易・・・即ち、中国の諸王朝が採ってきた「周辺諸国は貢ぎ物を中国に持って行き、中国はその従順な態度を良しとして、それ以上に値する文物を与える・・・」という形での貿易です。
ところが、今、現実に世界が朝貢を求めているのはアメリカのドルであり、世界ならばまだしもアジア諸国でさえ、ドルの次に欲しがっているのは、アジアのリーダーになろうなどという意識などさらさら持っていない日本のなわけです。
中国にとっては、人民元の地位が高まってきたとは言え、こういった朝貢貿易を当たり前のように繰り返してきた中国人の意識としては、強い人民元の存在こそ、本来、望むところであり、肩を並べるような通貨など、存在すら容認できないのではないでしょうか・・・。

人民元がアジアの覇者の地位を日本円から奪回する為には、人民元を安く据え置き、次々と安価な人件費を提供し続け、諸外国・・・特に地理的に近い、日本などの製造業を大量に引き付けておいて、一転、人民元切り上げに転じる・・・というのは、いくら何でも、ちょっと、飛躍しすぎでしょうか?
日本企業は、バブルのときも、皆、財テクは危険だとわかっていながら、本業不振をカバーする為に、猫も杓子も・・・だったわけじゃないですか・・・。
現在も多くの製造業が、リスクが大きいことはわかっているにも関わらず、競争力を保つためには中国に出て行かざるを得ない。

それだけに、中国としては、アメリカに今、せっつかれるのは迷惑な話で、お腹が一杯にさえなれば、中国は言われなくとも元安政策をかなぐり捨て、元高に切り替えるのではないでしょうか?
まあ、現実にこうなるとは考えにくい面もまだまだ多いかとは思いますが、これも一つのモノの見方として御笑覧ください。

関連記事:平太郎独白録:現代中国論 その2
                                    平太独白
by heitaroh | 2007-11-24 17:57 | 国際問題 | Trackback | Comments(0)

すーさんと食品偽装の社長は藤原銀次郎翁に学ぶべし
親愛なるアッティクスへ

とかく、世間を騒がせる食品偽装ですが、あれは、ちと、酷いですね。
酷いというのは、やったことではなく(あんなの今さら驚きませんよ。)、社長が「現場が勝手にやった」という責任逃れをしようとしていたことで、仮に、この主張が正しいとしても、社長には現場で行われていることを知らなかった責任があると思いますよ。
とかくTOPへは、耳当たりのいい情報しか上がってこなくなることが多く、だとすれば、彼ら経営陣は、知らなかったというのならば、それに、何らかの対策を立てていなければならなかったといえるでしょう。

この点では、一代の製紙王・藤原銀次郎翁の話が思い出されます。
翁がまだ王子製紙の専務だったころ、苫小牧工場の再建を託されたことがあったとかで、このとき、翁がまず手はじめに行なったことが、工場の抜き打ち調査でした。
以下、老財界記者・故三鬼陽之助翁の著書によると、
『あらかじめ日時を工場長に連絡して、それより二、三日まえに、極秘裏に東京を出発、現地に現われる。そして、一見土方風に顔をきたなくし、つけひげをつけ、ハンチングを深くかぶり、くまなく工場内を巡視する。すると、工場内は乱雑で、ときには禁煙の札のかかっている付近で平然とタバコを吸っている。藤原は、そしらぬ風をして、その場所、時間をメモする。ところが、二、三日後、専務として工場に行くと、見ちがえるように工場内は整頓され、タバコを吸っている不届者は一人もいない。工場長も、「製紙工場として、なにより火災に注意、したがって当工場では、禁煙個所では一人たりとも喫煙する者はいない」と胸を張る。そこで藤原はおもむろにメモを取り出し、工場長に厳重戒告したのである。その結果、苫小牧工場は藤原の不在中でも秩序が維持され、おおいに生産が上がったのである』と。

で、この話を聞いて思い出したことがあります。
以前、業界の旅行でどこやらへ行ったときのこと。
朝昼夜朝昼と飲みっぱなしの旅行ですから、「お疲れでしょう」からと貸し切りバスの中でのお休みタイムに、起きている人のため・・・ということで、映画・「釣りバカ日誌」のビデオが上映されたことがありました。

その中で、三国廉太郎扮する大会社の社長である「すーさん」が勘違いから失踪する・・・というユーモラスな場面があり、失踪後、すーさんはアルバイトで、ある会社に就職したところ、入社初日から、連れて行かれたところが自分の会社の清掃業務・・・。
大企業の社長だから、一々、出入り業者の名前まで知らないし、末端の社員の方も自分の所の社長の顔を直には知らない・・・。
(実際、かつてダイエー中内 功氏は、「俺は、この子たちとは顔も合わせないままで終わるだろう。だから、せめて、こうやって、写真だけででも会っておきたいと」と言って自分の会社の女子社員の顔写真をしげしげと見入っていたとか。)
でもってそこで、すーさんが目にしたものは、上役には媚びへつらい、その分、下請けに威張りちらし、「袖の下」を要求しようとする自社の末端社員の姿・・・。

何だか、あながち笑えないシーンでしたね。
世の大社長と名が付くお方ほど、実際、こういう目にあってみるべきだと。
「現場が勝手にやったこと」なんていうくらいなら、なおさらだ・・・と。
如何でしょうかな、御同輩・・・。
                                平太独白

by heitaroh | 2007-11-22 00:00 | 経済・マネジメント | Trackback(1) | Comments(7)

ホンダの広告塔としての「本田宗一郎」の功罪是非
親愛なるアッティクスへ

以前、平成元年頃に、ホンダの方と話したときに、「本田宗一郎さんが引退して、全国のホンダ販売店を廻ったときに、うちにも来られましたよ」という話を聞いたことがあります。
(ちなみに、このとき、この販売店では、全員整列・・・と言われて並んでいると、一人、若い社員がトイレに行っていたようで、慌てて、駆け込んできて列に並ぼうとしたところ、本田さんがその若い社員の頭を軽く一発、ペシっと叩いて「こらっ」と言って大笑いしたとか。いかにも、本田さんらしいエピソードですが、この、叩かれた人は、今や、「あの本田宗一郎に頭をはたかれたやつ」なわけですから、ある意味、人間国宝みたいなものでしょう(笑)。)
で、先日、ホンダの営業の方と一献やる機会があった折に、「会ったことあるの?」と尋ねてみたところ、「いえいえ、まったくありませんよ」との答え。
なるほど、言われてみれば、本田さんが引退してからすでに、35年以上が経っているわけで、ホンダの社員といえども、会ったことがあるのは、まあ、私より上の世代の人たちだよなと。

で、まあ、会ったことはなくても・・・と思い直して、企業人として私が敬愛する、本田宗一郎の盟友にして共同創業者であった副社長・藤沢武夫についても、この営業の人に聞いてみました。
すると、「藤沢?それ、誰?」という答え・・・。
説明しても、やはり、「まったく知りません」と。
そういえば、藤沢さんが亡くなったとき、ホンダの広報が「藤沢武夫が亡くなりました」とマスコミ各社に連絡したところ、どこのマスコミも、皆、「藤沢?誰?」という反応だったといいますが、一方の本田氏が今では伝記にすらなっていることを考えれば、私としては少々、感慨深い物がありました。
(つまり、当時、本田・藤沢コンビはソニーにおける井深 大・盛田昭夫のコンビと並び称されたそうですが、盛田昭夫は社長になったから有名で藤沢武夫は社長にならなかったからその名が埋没している・・・ということですね。)

そういえば、いつだったか、やはり、別のホンダのディーラーに行ったところ、その営業マンがやたら本田宗一郎の名前を連呼するのを聞いて、少し、違和感を覚えたことがあります。
で、知らないふりして、「え?本田って、まだ、生きてるの?」と言ったところ、「いえ、死んでますけどね」・・・と。
「だったら関係ないだろう」
「いえ、理念は生きてますから」と。
「その理念が生きているかどうかは本人はどうやって確認するんだ?」と言うと、口をもぐもぐさせながら、「まあ、そうですけどね」と・・。

少し意地悪な気がしましたが、セールストークに本田宗一郎の名前を連呼するというのは、私には何か違う・・・という気がした次第で、その一方で、得てして、こういう人は藤沢武夫の名前は知らないというケースが多いような・・・。
(語るのなら、そこまで語れよ・・・みたいな(笑)。)
この点は、本田・藤沢のコンビが揃って引退するという鮮やかな出処進退もあったことで経済誌などで大きく採り上げられたことや、さらには、本田が、まるでアイドルのような扱いをされたことで、ある程度、ホンダの広告塔にもなっているんだろうなという気はしていましたが・・・。
(演出者の藤沢さんも「虚像が大きくなりすぎた」と言ってましたからね。)
無論、たまたま、私が当たった営業の人が個人的に本田宗一郎を尊敬していただけなのだろうとは思いますが、一般論として、その会社の社員が創業者を崇拝するのは悪いことではないとしても、最大のセールスポイントにしてしまうのは如何なものか・・・という気がしたまでです。
                            平太独白
by heitaroh | 2007-11-21 08:06 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(2)

続・球史に残る大投手、稲尾和久氏の急逝に弔意を表す
親愛なるアッティクスへ

e0027240_10271960.jpg先日の続きです。

元西鉄ライオンズの大エース・稲尾和久さんが亡くなった日、その夜の福岡地方夕刊(←)は、さすがに、凄かったですね。

1面トップ2/3を占め、さらに、6面7面「稲尾死す」で占めましたから・・・。
おそらく、福岡市長が死んでもこれほどの扱いはないんじゃないですか・・・。
やはり、福岡においての稲尾和久という人の存在が如何に大きかったがおわかりいただけると想います。

ちなみに、稲尾さんが亡くなった翌日の昼、二日酔いで息も絶え絶えの私の元へ一本の電話が・・・。
見ると、東京人の友人からで、「今から行くから」と・・・。
突然言うなぁ・・・みたいな(笑)。
で、その晩、その友人ともつ鍋を食いながら、稲尾さんの話になり、大いに盛り上がり、ついには最後は泣きました(笑)。

つまり、プロ野球は、本来、観客にもっと、感動を与えなければならない・・・と思うと。
稲尾さんは、一人で、大巨人軍を向こうに回して、マウンドに立ち続けた・・・。
当時の巨人というのは、まさしく、「大日本国」そのものだったと。
大日本国に対して、おらがチームが戦いを挑み、そして稲尾は期待を一身に背負って投げ続けた・・・と。
ファンは、そのボロボロになっても、来る日も来る日も投げ続ける姿に胸を熱くした・・・と。
だから、貧しい中からでも工面して、皆、平和台球場に足を運んだわけで・・・。
それに対し、今の野球選手を見ていると、皆、サラリーマンにしか見えない・・・と。
FAだなんだって、自分たちの権利ばかりを主張し、自分たちが顧客に何を売っているのか・・・という根本を忘れているように思えてならない・・・と。
オリックスの7番打者が三割打ったからって、俺たちの生活には何の関係もないんだ・・・と。
そいつが来年から1億もらうと言っても、そいつは、果たして、給料に見合う仕事をしたと言えるのか・・・と。
投手の足下を抜けた打球がそこから急上昇してそのままホームランになったという中西 太の打球や、二塁手の前の打球まで捕りに行ったという長嶋茂雄の躍動感・・・などは、今、もし、現役で活躍しているのなら、是非、金を払ってでも見てみたい・・・と思うが、現在の選手では、これを見てみたい・・・と思うのは、イチローレーザービームくらいかなと・・・etc。

日本のプロ野球は肝心のことを忘れてしまっているようです。
「400回投げてシーズン42勝したと言ったら、メジャーリーグからはクレイジーだと言われたが、別に俺は嫌々投げされられていたわけではないんだよ」と言った稲尾さんの急逝こそが惜しまれてならない所以です。

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by heitaroh | 2007-11-20 08:26 | スポーツ | Trackback | Comments(2)

守屋前次官の醜態と防衛省の体質に瀬川翁の故事を想う
親愛なるアッティクスへ

先般、「類は友を呼ぶ」ブログにおいて、少々、興味深い記事を拝見しました。

曰く、『チンピラの分際で下請工場を管理するポストに着けられたとき、時の上司に先ず言われたことは「ポチ袋(小さな熨斗袋)をいつも持ち歩け。そして接待を受けたらその場の総額の5パーセントから10パーセントぐらいの切りのいい金額のカネを入れ、担当の仲居かホステスにそっと渡せ。口止め料というか、ま、保険だな。その金はオレがナントカしてやる」
後年、ゴルフの接待も受けるようになってからはキャディに渡すことにしていた。
守屋クン守屋武昌前防衛事務次官)はそういう指導を受けていなかったのかな。
もっとも、同じ相手からゴルフだけで300回も接待を受けていたら面倒くさくてやってられないか。』・・・というものでした。

私は、無論、このような立場に立った経験があまりありませんので、この記事自体には論評するだけの見識がありませんが、この記事を読んだとき、ある、別の話を思い出していました。

かつて、野村證券社長・会長・相談役を歴任し、「天皇」と呼ばれた瀬川美能留翁は、若き駆け出し時代、行きつけの料亭の女将から、「あなたは重役にはなれないでしょうが、部長にはなれるでしょう」と言われたことがあったとか。
部長と言っても、当時、野村証券はオーナー企業であったから、重役以上は野村一族で占められており、一族以外で行けるのは部長まで・・・とされていたといいますから、即ち、「部長になれる」というのは、当時の野村の社員にとっては最高位を表していたわけですね。
このとき、瀬川翁が女将に部長になれると言わしめた理由・・・。
それこそが、翁が、駆け出し時代のある日、行きつけの料亭の女将ボーナスを丸ごと渡したことにあったそうです。

後年、瀬川翁は、このことについて、「私は入社当時の上司から入社四、五年は宴席に出てはならないと言われ、出るようになってからは、かならずボーナスを女将に前渡しした。というのは、商売がら、酒席で即決をせまられるようなことが多く、他人持ちの酒席ではどうしても私情に負けそうになることから、私はそうならない為に、自前で酒を飲んだ。おかげで、公私の区別がはっきりし、決断に大きな狂いを生ずることなく社長になれた。いまでも、私は、この教訓を守っているつもりである」と述懐したと言います。
たしか、この話は、老財界記者で故人の三鬼陽之助翁の著書にあったのですが、そのとき、三鬼翁は、これを評して、「遊興には、純然たる社用で客と遊興する場合と、それを越して私情にかられて遊興する場合がある。確かに酒席での話のほうが取引きをスムーズに進めたり、マル秘情報をつかむチャンスはあるという利点はあるが、それ以上に宴席での取引き、判断などは、ともすれば公私混同におちいり、結果からみて失敗、後悔する前例が多い。これが、公私を混同した結果、あたら有為の前途を棒にふったサラリーマンの例を、いやというほど目にしていた女将が、瀬川に部長の折り紙をつけた理由である」と述べておられました。

もっとも、その後、終戦により、財閥解体で野村一族が退陣したことにより、ついには、瀬川翁が戦後二代目の社長となったことから、結果的に、女将の予想は外れたわけですが、守屋氏については、残念ながら、「あたら有為の前途を棒にふったサラリーマンの例」のひとつとなってしまったようです。
その意味でも、この問題は、スタートの段階で、「宴席に出ることを戒めてくれなかった」防衛庁の庁風と、それを助長してしまったキャリア官僚というものの体質にこそ問題があるのかもしれません。
あるいは、防衛省というものの体質は、未だに、放っておくと、帝国陸軍になってしまものなのでしょうか・・・。
                             平太独白
by heitaroh | 2007-11-19 17:08 | 社会全般 | Trackback | Comments(0)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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