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越後路顛末記 新潟編 その3
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

ところで、その前についに明日から、11月ですね。
正月まで、あと、わずか2ヶ月を残すのみ・・・となったのですが、ここ最近の福岡地方は、日中は天気さえ良ければ、まだまだ、半袖ポロシャツでもいいくらいでして、(昨日も、10時頃から、長袖のワイシャツ一枚羽織った瞬間、「暑っ」と。でもって、そのまま、少し歩いたら、もう、汗かきましたから・・・。)当然、新潟に行った10月初旬は、普通に半袖ポロシャツでOKでした。
で、天気予報で東京、新潟の気温を確認したところ、東京で2℃、新潟で5℃くらい低く、慌てて、今冬初めての冬物を出した次第だったのですが、来てみれば、あまり、福岡と変わりませんでしたね。

で、その折り、東京で合流した東京人に、「こっちは皆、長袖だな。福岡は、まだ、Tシャツ一枚でもOKだよ」と言ったところ、「九州は、もう、温帯じゃない。亜熱帯だ」と言われました。
確かに、この時期まで、こんなに暖かいというのは・・・。
ま、例年、そう噂していると、急に寒くなるんですけどね(笑)。

e0027240_1145120.jpg(←新潟で見た人工降雪機です。)
カメラマン上がりの新潟人からは、「絶対に、雪は写らないから無駄ですよ」と言われましたが、一応、撮ったところ、何とか写ってましたことをご報告申し上げます(笑)。ていうか、そもそも、なぜ、新潟に人口降雪機がいるの?・・・って。

でもって、弥彦山山頂を降りてきて、麓にある弥彦神宮に詣でたところ、新潟人曰く、「ここは、ところてんが名物なんですよ」と。
ならば食わねばなるまい・・・と、林立する修学旅行相手みたいなお土産屋さんでところてんを戴きました。
(この手のお土産屋さんが林立していると言うこと自体、福岡の英彦山とはまったく、異質な空間でしたね。)

e0027240_11454957.jpg(←弥彦山山頂の神宮前に立つ石碑です。)

で、このとき、驚いたのが、こちらでは、ところてんは「一本箸」で食べるんですね。
どうやって食べるんですか?と聞くと、新潟人は、すました顔で、「ところてんは、どこでも、普通、一本箸ですよ」と仰います。
(今まで、色々なところでところてんを食べましたが、これが日本標準だとは初めて知りました(笑)。)

よほど、私は偏った経験しかしてないようですが、そうは言われても、やはり、こちらは食べたことがないので、食べ方がわからず、かなり、悪戦苦闘して食べました。

ちなみに、このとき、なぜか、店のおばさんが店内で流れているラジカセの音楽を聴いて、我々に、「変わった音楽を聴いてますね?」と。
我々は顔を見合わせ、「はぁ?」と。
黙っていると、さらに、「あなたがたは音楽家なんですか?」と。
困惑以外の何ものでもありませんでしたが、あるいは、・・・・神が降りてきていたのかもしれませんね(笑)。

明日に続きます。

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by heitaroh | 2007-10-31 08:42 | 地域 | Trackback | Comments(0)

越後路顛末記 新潟編 その2
親愛なるアッティクスへ

ワールドシリーズ、先日、指摘した通りの結果になりましたね。
やはり、初戦がすべてだったと思います。
ロッキーズと同じような勝ち上がり方をしてきた日本の中日ドラゴンズは、同じく、初戦を落としたものの、こちらは接戦でおとした分だけ、さすがに、ロッキーズのようなことにはなりはしなかったようですが・・・。
昭和29年以来・・・ですから、何とか中日に勝って欲しいんですけどね(笑)。
で、一句。

             「中日の 日本一識る 戦中派」  平太独白

いい加減に日本一になれよ、ドラゴンズ・・・ヽ(;▽;)ノ。

で、昨日の続きです。

e0027240_12343553.jpg新潟では、日本三大彦山の一つ、弥彦山(やひこさん)へ行けたことが一番の収穫でした。

(←弥彦山山頂より見た日本海に沈む夕陽。)
一応、我が福岡市も同じ日本海側とはいえ、面しているのは、一応、日本海ではなく玄界灘です(笑)。

ちなみに、この夕陽の先には福岡では上海がありますが、ここからは朝鮮半島があります。
緯度的には、ちょうど、ソウル辺りでしょうか・・・。
そう考えると、改めて、福岡における上海、釜山が、新潟では、北朝鮮ウラジオストックとなるわけで、改めて、ここが古来の渤海国や現在の北朝鮮などとの窓口になっているのがわかるような気がしました。

で、話を元に戻すと、弥彦山ですが、私がここに感慨を持ったのは、以前、
平太郎独白録 : 深山幽谷分け入って妙、四十年一昔のリベンジ 前編
平太郎独白録 : 深山幽谷分け入って妙、四十年一昔のリベンジ 中編
平太郎独白録 : 深山幽谷分け入って妙、四十年一昔のリベンジ 後編
で述べましたように、去る8月8日に同じく日本三大彦山の一つ、福岡の英彦山(ひこさん)に登っていたからです。
実は、福岡の英彦山に登るに当たり、何せ、40年ぶりだったこともあり、道がわからなかったのでネットで調べていたところ、福岡の英彦山は「日本三大彦山」のひとつで、後の二つは、新潟県兵庫県にある・・・ということを知りました。
で、新潟と聞いて、10月頃には新潟に行く予定があったよな・・・とは思いましたが、まさか、実際にそのひとつに登れるとは思いませんでした。
と言いますのも、福岡の英彦山は霊峰というイメージがぴったりの修験道の山であり、不摂生の固まりのようなおっさんに、片手間で気軽に登れるとは思っていなかったからです。

ところが、新潟の弥彦山は、行ってみて、ちと、驚いたのですが、福岡の英彦山とはまるで違い、まったくの観光地で、車で頂上のほんの手前まで登れるし、お土産屋展望台はあるわ、なぜか、その目の前に高層展望タワーがあるわ、遊園地もどきはあるわで・・・、つまるところ、実にあっさりと登ることが出来ました。
おまけに、案内してくれた新潟人は、展望台より上に神宮があることをしらず、私が「福岡の英彦山には麓と別に山頂にも英彦山神宮がある。こちらにもあるはずで、そこが山頂だ」と言って彼を導いてあげたのですが、そこへ向かう途中でさえも、テレビの電波塔林立しているし、トイレはあるし、排水パイプは露出している・・・で、三大彦山というわりには、福岡の英彦山とあまりに違い、これはこれで新鮮な驚きを禁じ得ませんでした。

明日へ続きます。

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by heitaroh | 2007-10-30 08:24 | 地域 | Trackback | Comments(2)

越後路顛末記 新潟編 その1
親愛なるアッティクスへ

先週からの越後路続編、新潟編です。

そんなこんなで、長岡を出て、新潟へ向かったわけですが、新潟では、まず、時間が余ったので、新潟市美術館での柄にもない美術鑑賞から入ったのですが、その後も、ホテル日航新潟の上の無料展望台から(結局、滞在中、3回も上りました。)、ぶっかけ味噌アイス舌鼓(?)をうち、信濃川水上バスに乗りました。

e0027240_17234362.jpg(←信濃川から見た新潟市内風景。河口付近から上流方向を臨む。)

「酢ぶっかけ味噌アイス」の方のお味は、まあ、ご想像にお任せ致しますが、ただ、信濃川水上バスに関しては、あのシステムだけはどうかと思いますね。

まず、驚いたことに、デッキには椅子がわずかしかなく、室内は予約席となっていながら、室内の連中はデッキに出られるけど、我々、デッキ組(非予約組)は、たとえ、室内の席が空いていてもデッキで1時間立ちっぱなしでなければいけないわけで・・・。
折から、ちょうど、休みだったこともあり、町内会ご一行様で室内席は予約で占められており、「あなた達は室内に入ってはいけません」と。
その段階で、我々は、一時間立ちっぱなしが決定したのですが、ただ、それよりも、その人たちはデッキに出っぱなしで、それでなくとも狭いデッキはますます人であふれかえっているのに対し、逆に、室内はガラガラでも我々は座れないと。
これには、少し、カチンときましたね。
デッキ組は室内に入れないのであれば、定員が決まっている以上、室内買ったやつは、基本的に室内からは出られないということにしてもらわないと・・・。

ま、それはいいとして、新潟は、長岡同様、二度目なのですが、6年前に来たときと、一番の違いは、新潟市が政令指定都市となっていたことでした。
大合併により、80万都市となったということでしたが、驚いたのは、区の数が8つもあったことで、いくら、面積が広いとはいえ、140万の人口を擁する福岡市7つしか区がないことを考えれば、ちと、びっくりでした。
相当、面積が広いんだろう・・・と尋ねたところ、「仙台ほどは広くない」とのこと。
改めて、仙台の広さに思い当たったのですが、この点で、毎度、思うのは、日本中、市町村の大きさは、ある程度、統一しろよ・・・と言いたいですね。
単純に人口比較ひとつとっても、面積が3倍4倍も違えば、これでは、正確な比較はでないでしょ・・・と。
一例を挙げれば、福岡市の人口は140万人で第8位、札幌市190万人で第5位となっていますが、面積でいえば、福岡市の340.60km²に対し、札幌市は3.3倍1,121.12km²で、これを、札幌市の面積とほぼ同じの福岡都市圏での面積で比較すると、確か、220万人となり、あっさりこれを逆転するわけで・・・。
同様のことは、三大都市圏にもいえると思いますよ。
東京にしても、大阪にしても、行政が線を引いた外側に人は溢れているわけで・・・。
市町村合併も、住民同士の恣意調整妥協でしかない実態を考えれば厳しいのでしょうが。
ちなみに、新潟市の面積は、726.09km²で仙台市の788.09km²より少し小さいものの、札幌に比べると、意外にそれほどの広さではなかったんですね・・・。

で、明日に続きます。

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by heitaroh | 2007-10-29 00:20 | 地域 | Trackback | Comments(3)

二〇三高地の功罪
親愛なるアッティクスへ

日露戦争での激戦地・二〇三高地は「乃木希典が攻略したと言われているが、実際には苦戦を見かねた児玉源太郎が、自ら担当部署だった第3軍に乗り込み、現地軍を直接、指揮して陥落させた」と言われています。
この点は、確かに日本の死命がかかっていたわけで、やむを得なかったとは思いますが、あのとき、児玉は日本軍全体の指揮を執る立場にあった満州派遣軍参謀総長だったわけで、そのことを考えれば、それが、その下の第3軍の指揮権を奪ったということは、後に、帝国陸軍において高級参謀たちが「緊急時だ!」と言って、勝手に現場の指揮権を剥奪するという悪例をつくってしまったことでもあり、そのことを思えば、一概に賞賛ばかりされることでもないような気がします。

本来ならば乃木第三軍司令官と伊地知幸介参謀長ら司令部幕僚を更迭し、第三軍を編成し直すべきであったのに、乃木が明治天皇のお気に入りだったのと、軍首脳の任命責任も問われることになるのを恐れたため、責任を明確にすることなく、安易に弾力的解釈でこれを乗り切ったことが、後々、太平洋戦争において、大きな混乱と災いを招くことになった・・・と。

e0027240_12143685.jpgさらに言えば、あの甚大なる被害を出した旅順要塞攻略戦は、乃木・伊地知コンビの無能ゆえであったということが巷間、指摘されているわけですが、これは一概にそうは言えないようです。
まず、乃木は司令官に任命された時、隠退生活を送っていた事実上の退役軍人だったことや、伊地知参謀長も必ずしも要塞攻略の専門家ではなかったことを思えば、薩長のバランス人事だけで登用されたという不適切人事だったことが挙げられるでしょう。

また、こういう場合、往々にして現場の方が状況をよく理解している場合が多く、旅順は203高地を含む敵防衛拠点を奪取しなくとも、十分、別の山から湾内のロシア艦船砲撃は可能であり、実際、ここから湾内の敵艦隊を砲撃しており。しっかり、これでロシア旅順艦隊は殆ど壊滅していたと言われていますから、すでに目的は果たしていたと言っていいでしょうか。
もっとも、旅順要塞攻略を要請した海軍側としては、「壊滅したと思う」では困るわけで、どれだけの犠牲を払おうとも、はっきりと「壊滅した」という報告を聞くまでは、それ以上の確実な結果、つまり二〇三高地攻略を望むのは当然だったでしょう。

ただ、もし、そうであるならば、児玉源太郞の「悪弊を残してまでの指揮権剥奪」とは一体何だったのか?と言わざるを得ないように思います。
児玉にしてみれば、203高地が戦争自体を左右しかねないと認識していたがゆえの、大局的見地に立った指揮権剥奪などではなく、一大決戦が迫ろうとしていた満州での主力軍同士の主戦場では、消耗が激しく、その為には、一刻も早く、旅順など切り上げて、本軍に合流してくれという想いでのことだったのでしょう。
これはこれで、やむを得ない話ではあるのでしょうが、203高地の攻略と指揮権剥奪という二つの大きな「被害」は、もっと他の形でもクリアできたのではないでしょうか?
これは、権限委譲を進めていく上で、現代の我々にも当てはまることだと思います。
ご自戒ください、御同輩・・・。
                       平太独白
by heitaroh | 2007-10-27 08:56 | 歴史 | Trackback(1) | Comments(4)

連敗はエースが止める物、連勝はチームリーダーが作る物
親愛なるアッティクスへ

オールスターの時と言い、プレーオフから日本シリーズと言い、どうして、日本のプロ野球はこんなに間を空けるんでしょうか?
選手に休養を与えるため・・・というのはわかるのですが、アメリカなんて、殆ど間を空けることなく、次から次へと、かなり、強行軍で進めていきますよね。
銀行が午後三時になったら窓口を閉めるのと一緒で、本当は、やれば出来るんじゃないですかぁ?

ところで、最近、我が家では、私の運動不足解消五十肩予防の為に息子を相手にキャッチボールをやるようになりました。
で、先日、キャッチボールをしているときに、「おまえ、部活ではキャプテンにならんのか?」と聞いたところ、「とんでもない」という答えが返ってきました。
まあ、所詮、私の子供ですから、何も、大それた事を期待しているわけではないのですが、「なぜだ?」と聞くと、「俺は、そんなに上手くない」と・・・。

それを聞いて、少し、思うところがあったのですが、キャプテンというのは、「上手いか上手くないか」は必ずしも関係ないことで、チームを如何にまとめていけるか・・・ではないだろうかと思いました。
無論、皆をまとめていくためには、「実力」というのは、確かにひとつの大きな要素でしょうが、必ずしも、すべてではないのではないでしょう。
往々にして、名選手というのは、「我が道を行く」的なところがあり、必ずしも、チーム全体のまとめ役に適していない場合もありますから。
川上哲治元巨人監督は現役時代、チームの打撃練習の時間を殆ど独りで使った・・・と言いますが、現役時代、自分は好き勝手にしておいて、監督になった途端に色々綺麗ごとを押し付けても選手も反発しますよ。)

ここで、少し唐突ですが、「リーダー」「キャプテン」の違いは何だとお考えになりますか?
言うまでもなく、「リーダー」とは直訳したならば「指導者」であり、「キャプテン」とは「主将」となるのでしょうが、私は敢えて、指導者とは「リードする者」という意味で「先頭に立って引っ張っていく者」と捉え、主将とは「主」たる「将」という意味で「中心にいて統率する者」と解したいと思います。
具体的に言うならば、「人一倍の体力があって集団を先頭に立って引っ張っていく者」がリーダーであり、「集団の中心にいて、全体をひとつにまとめ上げることができる者」がキャプテンなのだと。
つまり、これをプロ野球に当てはめると、私はかねてより、私見として、「連敗はエースが止めるもの、連勝(勢い)は主砲が作るもの」だと思っておりますが、ただ、かといって、先にも申しましたとおり、強打者が必ずしもリーダーや統率者であるわけではありませんよね。

昔、西武が強かった頃は、主砲の清原・秋山よりもトップバターの石毛宏典選手が打つとチームは勝つ!などと言われましたし、今のイチローにしても、本来は、彼は主将と言うよりは技術者肌の人であるように思えますが、それでもWBCのときなどは見事にチームリーダーとしての働きをしていたように思えたのですがが如何でしょうか。
                                  平太独白
by heitaroh | 2007-10-26 08:01 | スポーツ | Trackback | Comments(4)

あしたのジョーに時代を見る その5 九州中央病院
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

とかく、日本ではなかなか、折り合いをつけるのが難しい、「興業」「競技」とのねじれですが、それを端的に表している物こそ、以前、平太郎独白録 「阪神、金本選手の世界記録達成に見るプロスポーツの本質!」でご紹介申し上げました、西鉄ライオンズの大投手、稲尾和久氏の著書の中にあった、「太平洋クラブ・ライオンズ監督時代、人気低迷に悩む球団は、試合前に、本物のライオンを球場に連れてきて、ファンの歓心を買おうとした。日本のファンサービスはとかくこうした筋違いの方向に走りやすい。しかし本当は本業でいいプレーを見せることだ・・・」という部分だと思います。
観客は、ライオンが見たいのなら、球場へ行かずに直接、動物園に行きます。
アイドル曲芸師が見たいのなら、最初から、試合場競技場ではなく、コンサート演芸場に足を運びます。
(もっとも、これしか打つ手がなかったというのが当時のライオンズの実態だったのでしょうが。)
従って、本番前やリング外のパフォーマンスは、許されても、それをする以上は、本番でもきちんと実力結果を残さないといけないわけで、亀田父子はここをはき違えていたわけですね。

この点で、私には、ひとつ、思い当たる話があるのですが、以前、人に誘われて、九州中央病院理事長という方の講演を聴きに行ったことがあります。
この病院は、まあ、地元では知る人ぞ知る赤字病院だったのですが、この理事長先生が就任して以来、経営の立て直しに取り組み、その結果、この赤字病院を今では貯金が出来るほどの優良病院とすることができた・・・という話でしたが、ただ、この方は、病院がそういう状態であることを知らずに就任したのだそうで、就任当初は、金がないから、手術の時も、切れなくなったメス摘めないピンセットなどを使っていたとか。
それを見て、この方が、「すぐに、新品に買い換えろ!」と指示したところ、「でも、理事長、お金がありません」と言われたそうですが、そこを、「金のことは後で何とかするから、とにかく、いいから全部買い換えろ!」と言って、やっと、新品を使わせたといいます。

この話なども、自分たちは、何で飯を食っているのか、自分たちの扱っている商品が何なのか、何の為に誰にサービスを提供しているのか・・・がわかっていない、つまり、何が本分で何が本分でないのかをはき違えているのだということではないでしょうか。
切れないメスを使って手術をやっているような病院を、患者は敬遠するでしょうから、そんなことをやっていれば、ますます、悪循環に陥るだけなのですから、いくら、当面の金がない・・・といっても、本来、自分たちが何で収益を上げているかをわきまえていれば、そういうはき違えはないはずなんですねよね。
となれば、いくら金が無かろうが、投資すべきところには投資しなければ、どんどん、じり貧になっていくわけで、それでダメなときは、社会から淘汰されるしかないわけで・・・。
本末転倒ということですね。
                                 平太独白
by heitaroh | 2007-10-25 08:17 | スポーツ | Trackback | Comments(2)

あしたのジョーに時代を見る その4 亀田父子編

このシリーズの続きなんですが、しっかし、間が空くと見事に忘れますねぇ・・・(笑)。
でも、書きかけにしたまま、ずーっと置いたまま・・・というのも、気になるところで・・・。
で、ふと、思い出したので、うろ覚えで書き進めてみると・・・。

先日から、亀田父子の問題が取りざたされてましたよね。
この父子への私の考え方は、以前から、平太郎独白録 : 新庄の襟問題に見る具志堅氏の亀田批判は同種同根。などでも述べておりますとおりで、特に改めて言うことはないのですが、この点で思い出されるのが、以前から何度か採り上げました名作アニメ「あしたのジョー」の一場面でのことです。
それは、主人公・矢吹 丈が、闘争心が強すぎるあまり、プロテストで相手を殴りすぎて失格になり、さらに、それを取材に来たマスコミにも暴行を働いたことに対し、ライバル・力石 徹とジム会長の白木翁は、「たとえ内容は何であれ、たかがプロテストで、紙面にこれだけのスペースを割かせたことは凄い」ということを評価していました。

また、一方の力石も、丈との対決のとき、力石のパンチを受けてダウンした丈は、辛うじて立ち上がったものの意識朦朧としており、そこへすかさず襲いかかった力石は、丈のあごに向かいパンチを打ち込む・・・が、寸前でゴングが鳴ったことで、あごの先、薄皮一枚のところでパンチを止めた・・・という場面がありました。
誰もが、力石のフェアさを讃えましたが、でも、これも、止めなければ、世紀の一戦ワンサイドゲームになっていたわけですよね。
これらのことは、何も、アニメの中の架空のことばかりではなく、同様のことは伝説の大投手 サチェル・ペイジにも聞いています。
サチェルは、彼の剛球に相手打線が手も足も出ないで、観客が退屈してくるのと、突然、四球を3つ出して満塁にして、さらに、外野手を内野の位置まで前進させて、わざと、敵の主軸打者と勝負したのだとか。
相手打者はこの屈辱に激怒し、盛り上がりに欠ける試合は、一転、大盛り上がりとなり、その上で、サチェルは見事に相手打者を三振に切ってとる・・・と。

これらのことを考えれば、亀田父子がやってきたことは、負けたら負けたで、処分されたら処分されたで、謝罪したら謝罪したで、とにかく、あれほどの話題になるわけですから、必ずしも、興業という点では間違いではないと思うんです。
ただ、特に、今回のことで亀田父子の勘違いが著しかったのが際だったのでしょうが、矢吹 丈も、サチェル・ペイジも、どこにも、「反則」はおかしてないわけです。
自らリスクを引き受けてはいても、どこにも、卑怯な真似はしてないわけですね。

これらのことは、何を表しているか・・・といえば、平太郎独白録 : 新庄の襟問題に見るオリジナルを逸脱する「もどき」の弊害。の中で述べた王・野村・仰木の三監督の考え方の比較に集約されると思います。

また、明日に続きます・・・と思います。

親愛なるアッティクスへ
                                平太独白
by heitaroh | 2007-10-24 10:25 | スポーツ | Trackback | Comments(0)

サブプライムローンにみるステップ償還制度への危機感 2
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

バブル崩壊後、急速に、住宅金融公庫への返済が滞る人が増え、債権に焦げ付きが拡がっている・・・という話でしたが、この件で、私がこの問題を知って、まず、思い浮かべたのが「ステップ償還」でした。
当時、マンションの購入のための借入と言えば、自分で住む場合には住宅金融公庫を利用するのが一般的で、ステップ償還とは、その金融公庫からの借入(民間でもあった?)に際して、当初5年間の返済額を低く抑える・・・という制度で、五年を経過すると返済額が上がり、10年を経過するとまた上がる・・・というものだったのですが、まあ、新築マンションだと耐用年数が長いため、支払い年数も35年と長く、従って、6年目以降のUP幅もそれほどでもなかったのですが、中古マンション一戸建てなどは耐用年数が短いため、借り入れ年数も短く、そして、それが短ければ短いほど、6年目以降の上昇率が急激でした。

一方で、その住宅金融公庫からの借り入れというのは、通常、貸出額の上限が決まっており、満額借りられれば、時には、「頭金無し」での購入ということも可能でしたので、多くの人が、満額の借り入れを希望したのですが、これに対して、住宅金融公庫では「返済額は年収の一定額以下でなければならない」・・・という基準年収というものを定めていました。
従って、借り入れに当たっては、顧客から所得証明をもらい、そこから、借入できる金額を割り出し、購入のための資金計画を立てねばなりませんで、これにより、時には、顧客が言う年収所得証明に記載された金額が大きく違っていたりすることがあり、当時、私は住宅産業の末端に携わっていたこともあり、それが、営業マンらに悲喜こもごもを少なからず見てきました。

ところが、その一見もっともに見える基準年収の制度ですが、実はこの制度、事実上は、まったく、意味をなしておりませんでした。
それは、「あくまで、購入時の年収でしかない」・・・という分子の上の問題もながら、それ以上に、「可能返済額は当初の5年間だけ低く抑えられるステップ償還での返済額で計算して良い」という分母での問題でした。
すなわち、その人の年収が6年目以降の返済に耐えられる・・・ということは、一切、考えられていなかったわけですね。
もちろん、このステップ償還を適用するかどうかは、借入側の意思だったのですが、ところが、このステップ償還を適用せずに借入をしようとすると、まず、購入希望者の大半が基準年収をクリアすることが出来ませんでした。

その後、時代は、ご承知の通り、バブル崩壊後の経済低迷期に入ったことを考え合わせると、返済不能になった人も多かったのではないかと思いますが、実際、住宅金融公庫の焦げ付きも問題となり始めましたが、しかし、住宅金融公庫はどこやらに統合され、この話はあまり、聞かなくなりました。
でも、このステップ償還の問題こそ、サブプライムローン問題と何ら変わらないわけですよね?
債権が証券化されて、出回ったかどうかだけで・・・。
ということは、この住宅金融公庫の焦げ付きはどこに行ったのかを考えることは、サブプライムローン問題の解決に役立つと思うのですが・・・。
つまり、もし、これがきれいに処理できたのであれば、サブプライムローン問題は一時的な物で終わるのでしょうが、もし、これが処理できていない・・・、今でも、存在しているのだとしたら、サブプライムローンと同様の火種が存在することになるわけで、となれば、こちらへ飛び火する可能性もあるんですよね?
下手すれば、ダブルで・・・。

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by heitaroh | 2007-10-23 08:35 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(2)

サブプライムローンにみるステップ償還制度への危機感 1
先週末の19日より、G7(先進国財務相・中央銀行総裁会議)が開催されたそうですが、主に、サブプライムローン問題の処理について話し合われたとか。
(手詰まり感が強かったようですが・・・。)

で、この、サブプライムローン問題についてですが、ちと、思うところがあります。
ちなみに、サブプライムローンってのは、主にアメリカ合衆国で貸し付けられた住宅ローンのことですよね。
そして、それら住宅ローンのうち、「当初数年間の返済負担を軽減したもの」が、その使い勝手の良さもあって、急速に普及した・・・と。
ところがこれは、「債務者が自らの返済能力を超える借入」を行うことが可能となることから、アメリカの住宅価格上昇率が鈍化し始めると、急速に焦げ付きだした・・・と。
で、さらに、金融機関も、その住宅ローンを証券化して、様々に組み合わせて販売していたことで、どこに、そのうちの悪性の不良債権が混じっているかわからなくなり、それが投資家の疑心暗鬼を招いたことで、今年の7月から8月にかけて、世界中で株価の急落や信用市場の混乱にまで発展し、ついには、FRBによる公定歩合の緊急引き下げにまで及んだ・・・と。
まあ、厳密な定義はともかく、大体、こういう理解でよろしいのでしょうか。

この問題は、この商品を、「良い品物」と信じて買っていたヨーロッパでは、取り付け騒ぎまで起きたことで、かなり、アメリカに対して怒っていたように聞いておりますが、日本では、先般、野村ホールディングスがこの問題での証券化事業で、今年の7~9月期で約730億円の損失を出したものの、元々、あまり、この商品が出回っていなかったこともあって、庶民の皮膚感覚としては、少なくとも、日本では一時的な混乱で済んだような感があります。
が、果たして、一時的な混乱なのかどうか・・・。

その前に、この点では、私にはむしろ、驚くべきような話があります。
それは、20年前に、あれだけ日本の土地神話を嗤ったアメリカ人が、当時の日本人同様に不動産の家格は下落することはない・・・と信じていたことであり、また、同じく、アメリカ政府も、当時の日本政府同様、人々の住宅購入を促進税制を採用していたことです。

おまけに、「無資産・低所得」という人たちにまで、住宅ローンが容易に組めたというのも、まさしく、かつてのバブル日本の、「無担保・頭金無し」でのマンション購入状況を見るようですが、それを可能にしていたのが、日本版サブプライムローン・・・とも言える、ステップ償還制度であり、住宅金融公庫に代表される政府系の住宅融資機関だと思うのですが、確か、バブル崩壊後、住宅金融公庫の不良債権が拡がっているという話でしたが、あれって、結局、どうなったんでしょうか?
もし、この問題が解決されることなく、未だに潜在化しているのだとしたら、サブプライム問題の影響は意外に広く、そして、長く、尾を引くような気がします。

長くなりましたので、明日に続きます。
                 平太独白
by heitaroh | 2007-10-22 10:23 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(2)

敬愛する企業人・藤沢武夫翁に学ぶ水魚の交わり
親愛なるアッティクスへ

藤沢武夫という人物がいます。
あの、本田宗一郞氏と一緒にホンダを作った共同創業者です。
そういうと、参謀や番頭というものを想像しがちですが、現役時代は、「技術の本田、営業の藤沢」と呼ばれ、ワンマンならぬ「ツーマン」と呼ばれたほど、当時のホンダは完全に開発部門と経営部門が分離していたそうで、つまり、本田は作業服を着て工場におり、藤沢はネクタイを締め本社に居る・・・、その意味では、藤沢こそが事実上のホンダの創業経営者だったと言えるでしょうか。

ただ、その藤沢は今日では知名度はあまり高いとはいえないようです。
(引退から15年後、藤沢逝去の報を受け、ホンダの広報がマスコミに電話したら、「藤沢?誰??」という扱いだったとか・・・。)
なぜ、それほどの人がこれほどに知名度が低いのか?それはひとえに、彼が社長にならなかったからで、一説によると、迷走し始めた本田社長を退任させるべく、自らの退任の意向を申し入れたところ、この点は、さすがに老いたりといえども本田宗一郎!、即座に「辞めるなら二人一緒だ!」と答え、二人揃っての見事な退任劇となったそうです。

もっとも、そういうと、二人とも仲良しコンビだったように聞こえますが、現役時代は長年、ろくに口もきかない、顔も合わせないような関係だったとか。
その為、当時のマスコミは、「藤沢がいずれ、ホンダを乗っ取る!」と言い続けたそうですが、そこを問われると、いつも二人は、「最初の頃にまとめて全部話したから」と言ってたそうで、実際、共同経営に乗り出した頃は、まさに、「水魚の交わり」と言えるほどに、毎日毎日、寝食を惜しんで色々なことを語り明かしたとか。
それでも、「あの頃は奴も、ああ言ったが・・・」などという意識が芽生えて来るのが普通で、仮に二人の間に何も含むことがなかったとしても、周囲には面白おかしく騒ぎ立てる輩もおり、あの西郷隆盛でさえも、下野後、盟友、大久保利通への中傷を聞いて、「大久保も堕落した」と嘆いたという話があるくらいですから、いくら、最初の頃の付き合いが密接だったからといっても、今のコミュニケーションが希薄では中傷や離間が入り込む隙が生まれるように思えてならないわけです。

で、最近、ようやく、このことが愚鈍な私にも理解出来るようになってきました。
つまり、話す必要がなかったということは、折りに付け、お互いに、「社員の仲人にはならない」、「身内を入社させない」といった、「かつて、語りあかした理想」変質していないことを確認していたのではないでしょうか?
それさえ出来ていれば・・・、そこさえ崩れていなければ、後は人が何と言おうと構わないよ・・・ということだったのだろうと思います。
                    平太独白
by heitaroh | 2007-10-20 08:09 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(0)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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