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ちゃんこ若で織田信長と信成は天才だと思った夜
親愛なるアッティクスへ

e0027240_14415047.jpg昨夜は、ここにいました。
元横綱・若乃花こと、花田 勝氏が経営する、ちゃんこダイニング若ですね。
思ったより、流行ってましたね。
男二人で行ったのに、まるで、密会するかのような席に押し込まれましたから(笑)。
で、若乃花といえば、私は現役時代、この人、結構、好きだったんですよ。
小兵にも関わらず、強靱な足腰で、でっかいをぶん投げたり。
弟の貴乃花と比べると、むしろ、こっちのほうが天才肌だったように思えましたよ。
ちなみに、こちら(←)は、若乃花さんの手形ですが、彼は意外に、手が小さいんですね。
私と、殆ど、変わりませんでしたよ。

で、天才と言えば、かつて、現役時代、マスク越しの囁き戦術が有名だった野村克也現楽天監督ですが、彼が、日本シリーズ巨人と対戦したとき、王 貞治選手などには、「足の上がりが早くなったんじゃないの?」などと囁いて、打撃を崩したのに対し、ON砲と呼ばれたもう一方の、長嶋茂雄選手には、「あれ?チョーさん、構え、大きくしたの?」などと言っても、殆ど、返事が返ってこないで、たまに返ってくると、「いやぁ、ノムさん、今日も良い天気だね」などという、チンプンカンプンな答えが返ってきた・・・というのは有名な話ですよね。
この瞬間、ノムさんは「長島は天才だ」確信したと言いますが、その点では、日本史上、いや、世界史的に見ても類を見ないほどの天才児、天才の中の天才と言って良い、戦国の英雄、織田信長・・・の子孫であるスケートの織田信成選手もまた、天才だと思います。

もとより、スケートの技術的なことなどは、私にわかろうはずもないのですが、私が彼を天才だと思う所以・・・、それが、彼のあの、号泣です。
普通、人前では、ああも、人目を憚らず泣けませんよ。
クリエーターとは、ああいうものなのだろうなと・・・。
ご先祖様と、天才の種類は違うかもしれませんが、間違いなく、彼は、先祖のDNAを受け継いでいると思います。

この点では、そのノムさんとバッテリーを組んだ、往年の南海ホークスのエース、杉浦 忠投手は、昭和34年(1959年)の日本シリーズで、4連投4連勝で、巨人をくだし、日本一になったとき、感涙にむせぶ、他の選手を尻目に、「早く独りになって静かに泣きたい」と言ったといわれてますが、(まあ、実際には、ヒーローインタビューなどで拘束された結果、仲間と一緒に泣けなかったので・・・ということだったようですが、)こういうタイプは、やはり、一つ一つ固めていくタイプで、その意味では、理論家というところでしょうか。
                           平太独白
by heitaroh | 2007-08-31 00:39 | スポーツ | Trackback | Comments(6)

皆既月食の夜に想う隕石に当たって死にたいの心情
親愛なるアッティクスへ

e0027240_151317.jpg先夜の皆既月食はご覧になりましたか?
私も、今まで、見たことがなかったので、是非、見なきゃ・・・と思っていたのですが、例により、すっかり忘れてしまい、おまけに、こういう日に限って、残業で、いつもより遅く帰ってしまったという。

e0027240_155569.jpgで、晩飯食っていると、家人が、ちょこちょことベランダに出ている・・・。
気にも留めずにいたところ、ちょうど、飯食い終わったところで、「消えた消えた!」という声・・・。
初めて、事態を悟って、押っ取り刀でカメラを持ってベランダへ飛び出しました。

なるほど、これが、月食か・・・と。
まあ、だから何だと言ってしまえばそれまでのものでしたが、割と、飽きずに見てましたね。
夕涼みがてら・・・。

私が見たときは、一旦、消えてしまってから元に戻るところでしたが、聞けば、消え始めるときがきれいだったそうですね。
真っ赤になって、もの凄く、幻想的だったとか。

で、それをみているうちに、ある方の「死ぬなら隕石に当たって死にたい」というコメントを思い出しました。

数年前、ちょうど、火星地球に最接近する・・・とか言われていた頃に、家族連れで、福岡県星野村というところにある宿泊施設がある天体観測「星の文化館」に行ったときのこと、案内してくださった職員の方との話の中で、隕石が落ちてくるという話になり、私が、「突然、隕石が落ちてきたら怖いですよね」と言ったところ、その方は、「えー?そうですかぁ、私はどうせ死ぬなら、隕石に当たって死にたいですねぇ」と少し、うっとりした顔で言われました。
好きこそものの上手なれといいますが、多くの人が、「好きなことを仕事にしたい」・・・と思う一方で、その人たちのどれほどが、本当に、ここまで入れ込めるのか・・・と少し考えさせられました。
おそらく、彼は、一生、を見て暮らして行ければ、世の中の毀誉褒貶などというものには無縁でも構わないんでしょうね・・・。
なぜか、少し羨ましかったことを思い出してしまった一夜でした。

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by heitaroh | 2007-08-30 00:00 | 時事問題 | Trackback | Comments(6)

安倍改造内閣に貴人常を知らずの感をみる
親愛なるアッティクスへ

「早朝に 戸を開けにせば 蝉も起き」  平太

e0027240_1713278.jpg最近、一度、目が覚めるともう眠れません。
先日も、12時に寝て、2時に目が覚め、4時まで布団の中で格闘したものの眠れず、とうとう、枕元の般若湯ラッパ飲み・・・
それでも眠れずに、近所(←)を散歩・・・(笑)。

結局、6時に寝て、8時に起きましたが、朝・・・どころか、終日、ベロベロでした・・・。
長生きは出来そうにありませんわな・・・。

まだまだ、暑い日が続きます。
お風邪など召されませんよう、ご自愛ください。

ところで、安倍改造内閣、船出しましたね。
まあ、新内閣の評価を下すのは、まだ、これからでしょうが、ま、随分、マシにはなったようには思いますが。
でも、だったら、最初から、こういう布陣で行っておけば良かったのに・・・と。
ただ、一つ、首を傾げるのが、谷垣派だけを、あそこまで冷遇することです。
安倍総理としては、谷垣禎一氏を自政権を脅かす「脅威」と捉えているのかもしれませんが、事ここに至ってもなお・・・、あそこまで、露骨な谷垣外しをしないでも・・・という気もしないでも。
この辺の意図はよくわかりませんね。
単に、個人的な好き嫌いだけのような気もするんですけど・・・。
あまり、お育ちのことは考えたくないんですが、この件に限らず、細川護煕元総理と一緒で、考え方に、「貴人情を知らず」ならぬ、「貴人常を知らず」的な物を感じるんですけどね。

しかし、谷垣さんも、情けない。
あそこまで、コケにされるのなら、徹底して、反安倍勢力として息巻いて闘えばいいのにと。
次の選挙で、自民党の公認から外されることが怖いのかもしれませんが、安倍総理の責任を問う声は、決して、少なくないんだから・・・。
自派から、誰も、入閣しなかったことがはっきりしたときの映像が流れてましたが、顔面蒼白涙目・・・じゃぁなと。
あの弱腰じゃあ・・・なと。
才知に長けて胆略に欠ける・・・というところでしょうか。
こちらは、まさしく、かつての、宮沢喜一元総理を見ているような。
言ってることは、正しいんだがなと。
あれじゃ、次は麻生太郎新幹事長で決まりでしょう。

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by heitaroh | 2007-08-29 00:45 | 政治 | Trackback | Comments(0)

日本プロ野球史の一隅を埋めた渡辺秀武投手の逝去を悼む
親愛なるアッティクスへ

昨日の朝刊だったかと思うのですが、スポーツ欄の片隅の物故欄に、ひっそりと、元プロ野球投手・渡辺秀武氏の訃報が伝えられてましたが、ご覧になりましたでしょうか。
この選手のことは、私も辛うじて、覚えてます。
アンダースローからの軟投派だったかと思うのですが、良い球もっている割には、気が優しすぎて、ついたあだ名が「メリーちゃん」・・・。

昭和38年(1963年)、川上哲治監督率いる読売ジャイアンツ入団。
昭和45年(1970年)には23勝を挙げ川上巨人の6連覇に貢献。
(さらに、この年には、広島戦でノーヒットノーランも達成。)
この23勝というのは、当時の巨人のエースだった堀内恒夫(18勝)や高橋一三(12勝)を抑えてのチーム一の勝利数・・・でしたが、この好成績については、実は、彼らしい裏があり、私の記憶では、当時、エース堀内は、主に、阪神、大洋などの強敵相手に数多く登板しての18勝だったのに対し、渡辺投手は、それら上位球団相手には、殆ど、投げずに、つまり、主に、下位球団相手に積み重ねた23勝だったかと・・・。
まあ、川上監督の戦略だったのでしょうが、堀内さんにしてみればそれで勝ち頭と言われることには不満だったでしょう。
確か、契約更改の時に、堀内さんが文句を言ったとかいう話も聞いたことがあるような・・・・。

その後、日拓ホームフライヤーズから大洋ホエールズ、ロッテオリオンズと渡り歩き、古葉竹識監督時代の広島カープでは、リリーフエース・江夏豊へつなぐ貴重な中継ぎとして、広島の連覇に貢献。
昭和57年(1982年)にひっそりと現役引退
その間、実に実勤20年に渡るプロ野球生活であり、41歳での現役引退であった・・・と。

それほどの長きにわたり、プロ野球の投手として、第一線で活躍してきた割には、今日、その名を知る人はあまりにも少ないのではないでしょうか。
強敵相手に登板した堀内恒夫投手は、何だかんだ言っても、その、あくの強い個性と共に、日本プロ野球史の中にしっかりと足跡を残したのに対し、渡辺投手は陽の当たる道を進むことはなかったでしょうが、自分に出来ることを精一杯やったという点で、少なくとも、日本プロ野球史の一隅を埋めることは出来たのではないかと・・・。
人間、出来ることを出来るところで精一杯やるしかないんですよね・・・。

ちなみに、渡辺投手は、引退後は広島のスカウトを23年間勤め上げた後、平成18年(2006年)勇退、そして、平成19年(2007年)8月25日肺炎のため65歳で没。
通算606試合登板 118勝 100敗 8セーブ 防御率3.35
76完投 18完封 1041奪三振

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
合掌・・・。

P.S ちなみに、渡辺投手は、西武ライオンズ・東尾 修投手に抜かれるまでの、通算与死球日本記録保持者でもあったそうです。
・・・メリーちゃん、しっかり、えげつないことやってるじゃない(笑)。

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by heitaroh | 2007-08-28 00:13 | スポーツ | Trackback | Comments(0)

幸運が去る前の基盤固めをおろそかにしている中国
親愛なるアッティクスへ

「幸運により国を得た者は、幸運が去る前に実体作りをしておかねばならない」

これは、マキャベリの言葉だったと記憶していますが、まさしく、今の中国に当てはまる言葉ではないでしょうか。
その上で、中国の繁栄を見ていて気づく、一つのキーワードがあります。
それが、「人脈」です。
大連の資産家も、北京の資産家も、上海の資産家も、皆、その成功を見ていると、共通して、どこかに「人脈」というワードが出てくるんですよ。
つまり、 中国では、繁栄と富を一部の人の間で回しているだけに過ぎないのである・・・と。

中国は幸運により、財を得た。
であれば、幸運が去る前に、本来ならば、きちんとした産業育成という基盤固めをしておかなければならないのに、多くが財テクに奔り、単に金を回しているに過ぎない・・・。
ただ、この点は日本のバブル期も大差なかったでしょう。
しかし、日本はバブルが去ってみれば、何だかんだ言っても、世界に誇れる技術力が残った・・・と。
もっとも、日本の技術力というのはバブルの前から存在していたということであり、何も、バブル期に涵養されたものではないのでしょうが、その点では、まずバブルありきの中国経済とはバブル後の形で大きく違うように思います。

ただ、思い起こせば、第一次世界大戦の折、ヨーロッパが戦場となったことで、日本は大戦景気に沸き、「成金」と呼ばれる富裕層が出て、彼らは玄関先で灯りの代わりに一円札(当時の一円ですから、現在で言えば一万円札みたいなものでしょうか。)を燃やして見せたとなどとも言われていますし、当時の風潮として、鉛筆を輸出したものの両端にのみしか芯を入れず、途中を空洞にした粗悪品を輸出するようなことをしていたともいう話もありますよね。
チャップリンが、その映画の中で、「メイド・イン・ジャパン」と書かれた拳銃を、「安物だ」と言って捨ててしまうというシーンがあると聞いたことがあります。

日本人もまた、基盤固めをしなかったがゆえに、戦後、欧州経済が復興すると、たちまちのうちに、日本製品は駆追され、反動不況に陥ってしまった・・・と。
やはり、物事の発展には経緯というか、順序という物があるのであり、一朝一夕にしてなるものではないのでしょう。
それを考えれば、何も、日本も偉そうなことを言えた義理ではないのでしょうが、その意味では、中国もまた、産みの苦しみというという課程なのかもしれないわけで・・・。
この点は、以前、別の意味で、平太郎独白録: 中国三千年も日本百年に学ぶべし-表音文字編でも述べたことですが、中国は経済の意味でも、日本百年の歴史にこそ、学ぶべきでしょう・・・。
                                    平太独白
by heitaroh | 2007-08-27 00:55 | 国際問題 | Trackback | Comments(0)

戦国武将の方向戦略
親愛なるアッティクスへ

織田信長の一番凄いところは、戦術・戦略・ビジョン・先見性といったこともさることながら、その方向感覚とでもよぶべき国家方針なのではないかと思います。
桶狭間の戦いの後、普通なら空き家となった敗者・今川氏の領土に攻め込み、東へ進むのではないでしょうか?
普通、これを自分のものにして、他の大国と渡り合える力を付けた後、京へ登るなりすることを考えるでしょう。
実際、毛利元就厳島の戦いの後、京都とは反対方向にあたる敗者・大内家の旧領(陶氏の領土)に攻め入って、これを我がものにしています。
むろん、このときの両者の年齢は親子ほどに違うのだから、同じように考えるのはちょっと酷だとは思います。
しかし、100人中99人はこのように考えるのではないでしょうか。
それに対し、信長は徳川家康という、隣国で頭角を現してきた武将にすべてを任せ、脇目もふらず西へ進みます。

他にも、後年、この信長の方向感覚というものは、様々なところで発揮されています。
浅井長政の裏切りによる越前からの撤退などの戦略面ばかりでなく、鉄砲生産元を押さえておきながら、その敵国への流入を全く妨げていないことなどは、自分が一体、この国をどこに持っていくのかという、明確な方針を持っていたことの証しだと思います。
これこそが、今の日本の政治家にもっとも欠けているものではないでしょうか?
これを考えると改めて、信長の凄さを感じます。
だからこそ、信長のその国家方針の卓越性が尚、際だつと思います。
いくら全速力で走ってもゴールと逆の方向へ走ったのでは、いつまでたってもゴールインできませんし、その遅れを取り戻すことは極めて難しいからです。
方向さえ間違ってなければ、少々のずれは修正できる・・・ということでしょうか。

三国志の諸葛孔明の凄いところは、その伝説の戦術にあるのではなく「NO.2国 と同盟し、NO.1大国 に立ち向かう」という国家方針、いわゆる天下三分の計というものにこそあると言われます。
旧帝国日本が一体どこへ向かおうとして、アメリカ中国ソ連と戦争したのか?
ヒットラーはどこへ行こうとして、フランスソ連北アフリカを攻めたのか?
・・・即ち、これこそが、思想に裏打ちされた方向性ということの有る無しなのだと思います。
平太独白
by heitaroh | 2007-08-25 08:48 | 歴史 | Trackback | Comments(2)

タイムマシーンに想う違う道を進もうとも今居る道にくるの理
親愛なるアッティクスへ

昔・・・、もう、四半世紀も前のことになりますか、まだ、学生だった頃、私は通学途中にある本屋でよく立ち読みをしていました。
で、そのとき読んだマンガの中に、主人公が、タイムマシーンで新人の頃の長嶋茂雄選手を見に行く・・・というのがありました。
ところが、そこで見た長島選手は意外に平凡な選手であり、それを見た主人公たちは、これではいかん・・・と時間を移動して、投手が次に投げて来る球など、次に起こることを見て、再び、元の時間に戻ってそれを長島選手の耳元で囁く・・・と。
その結果、「どこからともなく聞こえてくる声」のおかげで、長島選手は、「動物的直感」とまで呼ばれるほどの、常識はずれの勝負強い打撃でスーパースターへの道を駆け上っていくことになった・・・と。
そして、最後は、その、「どこからともなく聞こえてくる声」を聞くのが、晩年の長島老人の楽しみになった・・・というものでした。

実は、私も、天中殺・・・(古い!)なのか、最近、ツイてないことが続いてまして・・・。
車で出かけた際、うちを出てすぐ大事な忘れ物をしたことに気づき、慌ててバックしたところ、慌てていたこともあり、傍に駐車してあった車に思い切りぶつけてしまいました。
まあ、このときは相手も非常に良い方で、特に何事もなく片づいたのですが、ただ、何も無理してバックする必要もなかったわけで・・・。
こんなとき、どこからともなく声が聞こえて来て、「バックするな!」とか、あるいは、「そのまま、そこに停めろ!」などと言ってくれれば・・・と思った次第でした。

この点で、以前、福岡市職員が運転する酒酔い運転の車に、追突され、子供三人が溺死した事件がありましたよね。
この点で、あの、加害者の若者も、朝、家を出るときには、自分がその日の夜に全国紙を賑わすような大事件の加害者になっているとは夢にも思わなかったでしょう。
まあ、彼の場合、「どこからともなく聞こえてくる声」が、少々、「乗ってはいけない」と言ったところでハンドルを握ったんだろうとは思いますが(酔っぱらいとは、そんなもんですから・・・・。)、当時、私は自分が被害者になった場合の目線よりも、加害者、あるいは、加害者の親になってしまった場合のことの方を強く考えました。
被害者にもなりたくないが、加害者にもなりたくないな・・・と。

その意味で、15年くらい前でしょうか、私はある方から、「私も、本来は、**志望だったので、あのとき、そちらの道へ進んでいたら、今頃、違う人生送ってますよ」ということを言われたことがあるのですが、このとき、私は「いや、人間というものは違う道を進もうとも、結局、今居る道にくるものですよ」と答えたところ、相手は怪訝な顔をしてました。
私も、別段、何か根拠があっての話ではなかったのですが、なぜか、そんな気がしました。
人間なんて、少々、道が違っても分相応の道を歩むもんさ・・・と。

それで思い出したのですが、数年前に上映された、映画、「タイムマシーン」では、恋人を強盗の銃弾により亡くした男がタイムマシーンを作って過去へ行き、恋人が災難に巻き込まれないように誘導し、馬車で自宅まで送り届けたところ、恋人は馬車から降りてすぐに、交通事故で死んでしまう・・・というストーリーでしたよね。
まあ、被害者(恋人)の死という点では同じでも加害者は強盗と事故、それぞれに違うわけですから、その後の加害者の人生に与えた影響ということを考えれば、あまりにも、主人公中心史観に過ぎる展開だとは思いますが、そこまで極端でないにしても、人間の人生の到達点という意味では、この映画の言っていることは、何となく、当を得ているような気がしないでもないような・・・。
                             平太独白
by heitaroh | 2007-08-24 08:27 | 思想哲学 | Trackback | Comments(19)

人の痛みはわからないパットン戦車軍団
親愛なるアッティクスへ

最近、ようやく、「鬱病」というものについての理解が浸透してきたようだが、この点で、実は、私も20代の頃に腰を傷めた時、誰も腰痛というものを理解してくれないことに閉口したことがある。
裂傷のような、目に見える物であれば、周囲も、「ああ、大変だね」ということになるのだろうが、それがない以上、いくら、「腰が痛いんだ、歩けないんだ」と言っても、「若いくせに情けない」と言われ、さらには「さぼってるんじゃないか」、「甘えている」、「特別扱いするわけにはいかん」・・・などということになった。
詰まるところ、人の痛みは、自分で体験してみないとわからないのである。

この点で、第二次世界大戦のアメリカ軍の英雄で「パットン戦車軍団」のタイトルで映画にもなった人物にジョージ・パットンがいる。
「猛将」と呼ぶに相応しい理想的なアメリが軍人であるが、特に、敵に対して牙をむく臭覚・・・というか直感力には独自の物があり、彼の戦い方は、敵の抵抗拠点を見つけた場合、一々、それを攻略してから、次に移るのではなく、そのまま、一気に敵の後方へ駆け抜けるというものであった。
どのような、堅固な陣地であっても、意外に、後方は弱体であることが多かったし、また、補給路を遮断されることを恐れるという心理的効果もあっただろう。
この点では、何とも、生まれながらの軍人であるとしか言いようがない、直感力であったろう。

ノルマンディー上陸作戦後はまるで水を得た魚のように一気にドイツ軍を突破し、その後方へ駆け抜けたことで、結果、包囲殲滅することに成功した。
ドイツ軍にとっては、「西方のスターリングラード」とも呼ばれるほどの大敗であったという。
その後も、パットンの快進撃は止まらず、2週間で1000キロ近い距離を進撃する。
だが、それだけに、一方で、溢れすぎる闘志は、時として、問題にもなった。
中でも、シチリアで野戦病院を見舞ったとき、無傷で収容されている兵士を見つけたことで激怒し、「臆病者!」と言ってこれを殴打した。
この兵士は、戦闘で精神を病んだ精神病患者であったのだが、パットンのような、人一倍の旺盛な敢闘精神を持った者には、戦闘で精神を病む・・・などというのは、理解できなかったのであろう。
まさしく、人の痛みはわからない・・・である。

その後、パットンはこの事件の責任を問われ、一時、左遷されたが、ノルマンディ上陸作戦に際し、親交が深かったアイゼンハワーによって前線に復帰、上述のような活躍を見せるも、一転、終戦直後の記者会見で問題発言をし、司令官を解任>される・・・。
さらに、それから間もなく、自動車事故により首から下が麻痺した体となり、12日後、失意のうちに死亡した。
果たして、病床でのパットンは何を思っただろうか・・・。
                               平太独白
by heitaroh | 2007-08-23 08:21 | 時事問題 | Trackback(2) | Comments(14)

紙切れ一枚の理に想いを馳せる池田は嘘を申しません
親愛なるアッティクスへ

e0027240_9422753.jpgこの辺の海も私が学生の頃は、もっと、きれいだったんですけどね・・・。
昔、「日本人がオイルを付けて海に入るから、ハワイの海が汚れた」という話を聞いたときには、「うっそつけー、あの広い海が人間が付けたオイルくらいで汚れるわけ無いだろう」と思ったのですが、実際・・・。

で、昔、平太郎独白録: 詰め寄るも かばうも共に 親心で述べさせて頂いたように、よく、日本人は、「結婚なんて、紙切れ一枚のことだから・・・」といって、入籍を拒否する人がいると耳にします。
この傾向は、むしろ、昭和40年代の学生紛争が多かった時代にこそ、顕著だったでしょうか。

で、この点で、その典型のひとつが、画家・故池田満寿夫氏とバイオリニスト・佐藤陽子女史のカップルだと思いますが、この点で、佐藤女史が、池田氏の没後、「結婚なんて、紙切れ一枚のことだからと思って、籍は入れなかったけど、今となっては入れておけば良かったかなと後悔している」とコメントされているのを耳にしました。
遺品の所有権などを含む、権利関係での法的なモノかと思いましたが、そうではなく、「紙切れ一枚のことというけど、相方が死んでしまうと(夫婦だったという証は)紙切れしか残らないのよね」ということでした。

女史と「内縁の夫」・池田満寿夫氏は昭和54年(1979年)に、共同で個人事務所を設立するなど、しばしば、おしどり夫婦として話題になるほど、池田氏が他界する前後の一時期は女史の演奏活動にも支障を来したほどに仲睦まじかったと伺っています。
その辺を踏まえれば、先立たれた女史の言には、少し、胸が熱くなるモノを感じました。
(この点は、間違っても、我が家はそういうふうにはならないという感から、なおさら、そう思ったのかもしれませんが・・・。)
ちなみに、「籍」を入れなかったのは、池田側の事情だったといいますが、それが信念かどうかは知りませんが、最後くらいは愛する「内縁の妻」の希望に沿ってあげてもよかったのでは・・・。
まあ、この辺の融通の利かなさは、私も大いに思い当たるところがあるんですけどね。
池田家の人間の特徴でしょうか(笑)。
(ちなみに、当然、まったく縁戚関係は在りません。)

ちなみに、池田と言えば、「池田は嘘を申しません」とは、私の飲んだときのギャグ・・・ではなく (お恥ずかしい(笑)。)、昭和35年の流行語です。
これは、当時の池田勇人総理大臣が、就任時に所得倍増計画を打ち出したところ、これを疑問視する声が多かったことに対し言った言葉です。
池田勇人という人は、かなり曲解に近かったとはいえ、「貧乏人は麦を食え」などの問題発言で叩かれた過去をもつ政治家であり、それを逆手にとってのこのセリフだったとか。
「池田は嘘を申しません。むしろ、これまで、本当のことを言い過ぎて、損をしてきた人間です」と。
(ちなみに、この池田も、当然、まったく関係在りません(笑)。)
平太独白
by heitaroh | 2007-08-22 08:43 | 社会全般 | Trackback | Comments(17)

報酬と業績の関係に想うプロの定義
親愛なるアッティクスへ

e0027240_1024465.jpg今、NHKで「プロフェッショナル~仕事の流儀」という番組をやってますよね。
(←地球は丸い!)
ブームを巻き起こした「プロジェクトX」の後継番組のようですが、前作とは違い、私はこちらは初回に見ただけであとはあまり見てません。

で、その番組の最後で、いつも、「あなたにとって、プロとは何ですか?」とゲストに問いかけるシーンがあります。

「プロとは何か・・・?」
この点では、番組中で、様々なゲストが、様々に「プロ観」を述べていますが、これを、私なりに言わせていただくなら、「お金をもらうことを意識して、お金がもらえるものを提供することが出来る」のが「プロ」だと・・・。
言うならば、ビギナーズ・ラックの対極にあるものだと考えれば、わかりやすいでしょうか。
つまり、無欲で何となくやってみたら売れた・・・が、その後、「売る」とか、「報酬」ということを意識してやってみると、意外なほどに、まったく売れない・・・などという話もありがちな話のようです。
いわゆる、一発屋というのが、それでしょうか。
最初は、単に、「良い物」を意識していただけが、そこに、「欲」が出てきて・・・ということもあるのでしょうね。
そこで敢えて、「売れる物」を作ろうとして、作れる人がプロなんだと・・・。
そこが、アマチュアとプロとの、大きな一線ではないかと・・・。

徳川家康は、「家臣の禄(給料)を上げすぎるのも、かえって、逆効果になることが多い」という意味のことを喝破していますし、最近では東横インの社長が、問題発覚時に、自身は驚くくらいの豪邸に住みながらも、社員である女性支配人らにはこれまた驚くくらいの薄給しか与えていなかったことを指摘された際に、「上げすぎるとモチベーションが下がる。足りないくらいが良い」というようなことを言ってましたよね。
私は、テレビで見る限りでは、この社長氏の人間性はあまり好きになれそうにはなかったのですが、そこで言っていることは、ある程度、真実・・・、いや、現実なんだろうなと思いました。

事実、古代ローマでは、前線の兵士らには、妙にゆとりをもたせると、どんなに心酔している司令官でも、どんな切迫した状態の時でも、途端にストライキを打ち出したといいます。
所詮、人間とは、「苦」は共に出来ても、「楽」を共にすることはできない生き物なのでしょう。
また、最前線で苦労している兵士の待遇を良くするたびに、国家としての、ローマ帝国は凋落の一歩を踏み出すことになったようにも感じます。
「どんなに最悪の結果となった政策でも、それを打ち出したときには多くが良かれと思って始められた」とはカエサルの言葉ですが、思わず、なるほど・・・と。
                            平太独白
by heitaroh | 2007-08-21 09:59 | 経済・マネジメント | Trackback(3) | Comments(8)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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