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おばかながきどもといくふくしまいわきのたび
親愛なるアッティクスへ

先週末、うちのお馬鹿なガキを二匹連れて、福島県いわき市まで行って参りました。
といっても、福岡~福島の飛行機の直行便がなくなっており、やむなく、一旦、羽田経由で行かなくてはならず、やむなく、ガキどもも初東京・・・させてしまいました。
で、その際、うちのガキの発想のユニークさに思わず・・・。

まず、福岡空港に到着すると出発ロビーに報道陣警察などがたくさん・・・。
「???」と思っていたら、「皇太子殿下ご来福」とのこと。
いい機会だから、ガキがわかるようなら・・・と思い、「こうたいしさんってわかるか?」と聞いたら、「わからない」と。
まあ、そうだろうな・・・と思い、「じゃあ、てんのうってわかるか?」と聞くと、「わかる」と。
それならば・・・と思い、「今から、そのてんのうさんが、ここから出てくるんだよ」と言ったところ、「え?!しょうむ天皇が出てくるの!」・・・と。
何で、聖武天皇なんだ・・・と(笑)。
昭和天皇ならまだしも・・・。
ちなみに、聖武天皇というのは奈良の「大仏さん」を建てた人ですね・・・。
どうやら、最近、習ったみたいです・・・^^;。

次に、飛行機に乗った後、離陸しようと動き出したときに、「ほら、見てごらん。動いているよ」と窓の方を指し示したところ、しばらく眺めた後に、「お父さん!もしかして、この飛行機も動いてない?」と・・・。
・・・オイオイ景色が動いていたら日本沈没じゃないか・・・と(笑)。
こういう程度の低いガキどもを連れての旅が、どれほど、私にとって過酷なものだったか・・・は、容易に、ご想像頂けると思います。

で、まず、浜松町ポケモンセンターに行きましたが、まあ、福岡のキャナルシティにあるポケモンセンターより、多少、売り場が広いだけのものでしたね。
で、その晩は、東京人の友人を呼び出して、ガキ同伴で飯食った後、ガキをビジネスホテルに送り、そのまま、銀座辺りで軽く一献・・・。
翌日から、いわきのほうに移動して、かなり、強行軍で用事を済ませて、再び、羽田へ。

e0027240_11252552.jpg(←いわきで食べた刺身定食一人前・・・。殆ど、刺身の盛り合わせじゃねーかと(笑)。もっとも、後で値段を聞いて、少し、ムッとしましたけどね。単に、量を増やして、値段つり上げただけじゃねーかと。)

で、東京について、急いで羽田へ・・・。
何とか最終便には間に合ったのですが、結局、飛行機が遅れて、帰宅したのは夜の11時・・・。
思わず、ポカリスエットを開けたので、ガキどもにも、「飲むか?」と聞いたところ、当然、飲むと・・・。
で、コップについでやったところ、何を考えたか、「お父さん、無事に帰ってきたことを祝って乾杯しよう!」と・・・。
思わず、「人の気も知らないで・・・」と苦笑しながら、グラスを合わせるときに、「お疲れ」と言ってしまった自分が少し、哀しかったです^^;。
こいつら、一体、誰に似たんだ・・・と(笑)。
                                平太独白
by heitaroh | 2007-07-31 08:16 | その他 | Trackback | Comments(0)

元祖堀内伝説・5
親愛なるアッティクスへ

ついに、一年の半分が終わったと思っていたら、あっという間に、7月も明日で終わりですね。
光陰矢のごとし・・・です。

巨人の元エース、堀内恒夫さんの話では、3で述べた物が感動する方の話なら、大笑いする方の話がこちらです。

ある年、雑誌の企画で、巨人・川上哲治監督、阪神・藤本定義監督の対談があったそうです。
ちなみにこの二人、共に巨人OBの先輩後輩の間柄で、お互いに認め合った仲だったこともあり、次第に話は盛り上がって、藤本監督が、「じゃあ、次の巨人戦はうちはエース江夏で行きます」と予告登板をしたところ、川上監督も、それを受けて、「では、うちは堀内で行きます」と。
当時は、予告先発などというのは一般的ではなく、監督同士の対談でこれがきまったということは、言うならば、剣豪同士の名乗りを挙げての一騎打ちと同じ事で、日本中が注目する一戦となったとか。

そして、当日。
大阪へ向かう新幹線の中には巨人の選手・・・。
ざわざわと拡がるざわめき・・・。
「あれ?堀内は?」・・・「堀内見なかった?」・・・「堀内を捜せ!」・・・。

このとき、予告先発のはずの堀内は、ひとり、まだ、ベッドの中・・・。
目が覚めたとき、新幹線はすでに動き出していたそうで、慌てた堀内さん、すぐに駅へ向かおうとしたものの、普段、切符なんか買ったことがないから、金も持ってない。
一旦、球団事務所に戻るや、「オレ!金貸して!」で1万円ふんだくると、一目散に新幹線へ・・・。
新幹線に乗って、ふと周りを見回すと、なぜか知った顔ばかり・・・。
そこには、前日まで戦っていた中日ドラゴンズの選手たちがずらり・・・。
中日の選手も、堀内が予告先発で投げると知っているから、皆、不思議そうな顔で眺めていたとか・・・。

e0027240_15183677.jpgその後、結局、堀内さんは試合開始には間に合ったそうですが、それにも関わらず、川上監督は甲子園球場に着くや、あの!プライドの高い監督自ら阪神ベンチへ赴き、藤本監督に頭を下げ、「事情があって、先発を高橋一三に変えさせていただきます」と詫びを入れたとか・・・。

また、こういうときは、得てして、フのワルイもので、この試合、巨人の負け・・・。
試合後、川上監督の部屋には、異様な光景が広がっていたそうです。
床には、正座した堀内の姿・・・。
その前には、椅子に座り、何時間も無言で、独り、酒を注いでは飲み干す川上監督の姿があったとか・・・(笑)。

うーん・・・、遅刻した方が悪いのでしょうけど、まあ、あまり、こういう上司は持ちたくないな・・・と(笑)。
                                平太独白
by heitaroh | 2007-07-30 08:36 | スポーツ | Trackback | Comments(2)

昭和は遠く成りにけり、「父・緒方竹虎と私」を読み終えて 2
親愛なるアッティクスへ

一昨日の続きである。

緒方四十郎氏の大著にて、次に印象に残ったのは、公職追放解除がなったばかりの父、緒方竹虎に、新たに発足する保安庁長官就任の話が持ち上がったとき、社会人一年目の著者が真っ向からこれに反対したときの記述である。
曰く、「日本が独立国となる以上は、自衛の軍備を保有する必要があることは僕も認める。しかし、新しい軍隊は、かつてのそれと異なり、完全に国民、即ちその代表者としての国会のコントロールの下におかなければならない。従って、軍事を担当する国務大臣は必ず国会議員として、それ自身の地位についても国会及び国民にコントロールされる者でなければならない。もしかりに父が民主的でかつ有能な人物であって軍人を旨くおさえることができたとしても、それはたまたま人物に恵まれたまでのことであり、原則としては、国会議員が軍事を担当すべきだ。最初が一番大切なのだから、第一番目の保安相はこの原則論で行くべきだ」と。

この点は、大いに考えさせられる話である。
e0027240_22243468.jpg

まず、著者は、「自衛についての軍備の保有」については、はっきりと、これを肯定している点である。
その上で、戦前までのようなことのないよう、シビリアン・コントロールについて言及しており、驚くべきは、学生に毛が生えた程度の若さで、ここまで、具体的な見識を持っていたということであろうか。
この点は、良い悪いではなく、また、あくまで、当時の所感であることには留意すべきだろうが、少なくとも、この後、この新時代を生きて行かねばならない、当時の若者がリアルタイムで持った所感として、何かしら、伝わってくるものが感じられる。

これに対して、父・竹虎は、熟慮の末に、保安相就任の決意を固めたが、結局、保安相就任は、本人の意に反して、その後、何ら進展のないまま、衆議院解散に至ったことで、緒方竹虎は正式に自由党より出馬し当選した。
これにより、著者の指摘は杞憂に終わったが、これは、ただ、結果的にそうなっただけで、著者の指摘は十二分にもっともなことであったろう。
改めて、著者の見識の高さに敬意を表するばかりである。

ただ、著者の見識も、そこに至るまでに感じたのは、やはり、うらやむべくはその恵まれた人脈であろうか。
曾祖父は、緒方洪庵と義兄弟の盟を結び緒方姓を名乗り、祖父は適塾出身の佐野常民に同行してオーストリアに学び、帰国後、内務省入省から山形県庁に勤務。
(ここで、竹虎が生まれている。)
4年後、福岡県庁へ転勤、その後、福岡県農工銀行頭取
竹虎は、高校まで、福岡で学んでいるが、このときの学友に、東条内閣を批判して、割腹自殺を遂げた中野正剛がいる。
その後、竹虎に息子の嫁の妹を妻に世話したのは、観樹将軍と呼ばれた、長州奇兵隊上がりの維新の元勲、三浦梧楼
つまり、三浦は、著者からすれば、義理の大伯父となるわけで、ついでに言えば、このときの仲人は、頭山 満・・・。
それらの人脈から、古島一雄、 吉田 茂などとの交流も普通に出てくる辺り、何とも羨ましいような環境であったといえ、その意味では、以前、読んだ大久保利通の次男、牧野伸顕伯の自伝を想起した。
                    平太独白
by heitaroh | 2007-07-27 07:49 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

安倍総理の通信簿 その3
親愛なるアッティクスへ

一昨日の続きです。

e0027240_8474479.jpgついに、安倍政権は「参議院選に負けても退陣しない」と言い始めたようですね。

実は、その官房長官談話が出る日の前夜、私は久々に仲間と一献傾けていた(←)のですが、その際、参院選後の話になりました。

その際、私が、「安倍さん、意外にしがみつくと思いますよ」と言ったところ、ある先輩が、「そうなった後に、周りから非難が高まって、結局、辞めた・・・なんてことにならなければいいんだが・・・」と宣いました。
一同、激しく同意しましたが、一夜明ければ、早速、そんな雲行きに・・・。
参議院選で、もし、自民党が大敗して、それで、安倍さんが責任を取らないと言うことになれば、党内からの反発半端じゃないと思いますよ。
それでなくとも、挙党態勢とは言い難い仲間内政権なんですから・・・。
かつての、四十日戦争みたいなことにならなければいいんですけど・・・。
この点は、「人事の佐藤」と呼ばれた、彼の大伯父、佐藤栄作元総理を想見習って欲しいものですが・・・。

もうひとつ、佐藤元総理といえば、エリート官僚出身の総理大臣らしく、実務に長けた政権運営は「待ちの栄作」などとも揶揄されましたが、この点でも、そもそも、安倍さんは、内閣総理大臣と名の付く者が、一旦、「面舵一杯!」と言えば、その通りに曲がるもんだ・・・と思っておられるような節があるように見受けます。
が、実際には国家という大きな歯車は、曲がる為には、幾種類かの手続きを必要とするかと思うのですが、この点は、やはり、「直感力の政治家」小泉純一郎前総理はよく理解されてましたね。
小泉さんは、よく、「諮問会議」「有識者機関」などというものを活用しましたが、これも、「曲がる」為に必要な手続きの一つであり、結果的に、曲がるには、「早道」だと愚考しております。

で、内政面はこれくらいにして、次は、安倍政権の外交面を見てみたいと思います。
外交問題といえば、やはり、北朝鮮とのことが一番に頭に浮かびますが、これに対しては、以前から、平太郎独白録 : 北朝鮮に対する安倍総理の危うさと中国の深謀遠慮!などで述べているとおり、安倍さんのやり方は、あまりにも、短絡的だと思います。
まず第一に、安倍さんは、拉致問題での対応では、小泉政権時代から「経済制裁」というものを強硬に主張してこられましたが、そもそも、「経済制裁」というのは、軍事力を行使しないことが建前の日本にとっては、唯一、切れる切り札であるといえ、であれば、切り札という物は、相手がどうしようかな・・・と思っているときに切るからこそ、効果があるのであって、最初から切ってしまっては、あまり、意味がない物だということがあります。
また、平太郎独白録: アジアには王様が必要で述べたように、戦前の帝国日本は、経済制裁という「圧力」を受けて軟化したのか?ということがあります。
こういう武力を背景に成り立っている政権というものにとって、「圧力に屈する」と言うことは、日本の江戸幕府よろしく、致命的な問題であり、彼らとしては、絶対に譲れない一線だといえるでしょう。
(拉致の問題にしても、不誠実でも交渉相手がいる交渉と、交渉相手さえいない状況ではどちらがいいのでしょうか?)
安倍さんには、そこまで考えがあって、「経済制裁」を口にしていたのか・・・という点が、どうしても、私には首を傾げざるを得ない部分です。

もっとも、北朝鮮にしてみれば、「核」を持っているからこそ、 アメリカを始め、周辺諸国もあそこまで上げ膳据え膳でやってくれたわけですし、一方で、「核」を持たない日本が捕鯨などで、ああいう扱いを受けてしまうことをみていれば、改めて、「核放棄はしない・・・」と確信したと思いますけどね・・・。

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by heitaroh | 2007-07-26 08:33 | 政治 | Trackback | Comments(2)

昭和は遠く成りにけり、「父・緒方竹虎と私」を読み終えて 1
親愛なるアッティクスへ

先日、緒方 四十郎著、「遙かなる昭和―父・緒方竹虎と私」という本を読み終えた。
著者の父君で、この本のタイトルにもなっている緒方竹虎翁は、現在では、あまり、知る人もいなくなったのかもしれないが、地元・福岡では「あの岸 信介も、緒方在りせば首相になること能わなかった」と言われるほどに、未だに知る人ぞ知る名前である。

e0027240_8393782.jpg(←福岡市の都心部付近にある旧緒方竹虎邸跡。)

その翁が、最近、あの!緒方貞子女史の舅であるということを聞き、かねてより、是非、その二人を結びつける立場にある著者の話を聞いてみたいと思っていた。

残念ながら、著者が夫人と結婚されたのは父君没後とのことらしく、両者の直接のエピソードなどを聞くことは出来なかったが、差し引いて有り余るくらい、父・竹虎という、昭和史に名を残す人物を「膝下」より眺めた貴重な話を知ることが出来た。
(特に、著者が米国留学中に父の死と遭遇する前後の手紙のやりとりについての記述は、竹虎翁の末子への細やかな情愛が伝わってくるようで、思わず、胸が詰まると同時に、羨ましくもあった。)

ただ、私は、不覚にも、この本を読むまで著者のことはまったく存じ上げなかったのだが、この本は、同時に、著者の見識の高さを印象づけた一冊でもあった。
特に印象に残ったのが、戦後、著者が、まだ学生であった頃に当時の時事について、今読んでも、極めて適切な意見を持っておられたことである。
一部抜粋すると、サンフランシスコ講和条約においての、吉田 茂の演説について、こう批評している。
「第一に、彼は奄美大島、小笠原諸島が歴史的にみても日本の領土であり、決して侵略によって獲得したものでないことを史実を挙げて立証すべきであった。
 第二に、過去の日本の侵略によってもっとも大きな痛手を受けた中国民衆と同席することができないことを遺憾に思うこと、アジアなくしては日本はありえないという歴史的地理的条件からして、日本政府は中国民衆との協力、なかんずく経済的協力を心から望んでいる旨を力説すべきであった。
 第三に、彼は不必要な程度にまで共産主義の脅威を力説しすぎた。我々とても共産主義の浸透の危険を感じないわけではないが、共産主義は社会的不正義、政治的圧制の存するところに、最も育ち易い。
 第四に、日本が昔日の日本でなく、新しい国民に生れかわっていることを述べるにあたっては、日本は、新しい憲法の定める国民主権、基本的人権の保障という二つの基本原理を講和後も守り抜く決意をもっている旨を強調して、ソ連修正案に答えるべきであった。
 第五に、演説を結ぶにあたっては、日本はこの上なく世界平和を希求するものであること、何故なら、日本こそは、世界史上において原子爆弾の洗礼を最初に受けた国民であり、あの惨澹たる原子爆弾の魔力を考えるとき、次の大戦が必ずや世界の破滅と人類の終焉をもたらすものであることを他のいずれの国民にもましてよく認識しているからであること、日本が降伏後、率先軍備を放棄したように全世界が一日も早く戦争と軍備を放棄する日が来ることを望むものであること、何故なら、我々は剣によって立つものは剣によって亡ぶとの堅い信念を有するからであることを力説すべきであった」

明日に続く。
              平太独白
by heitaroh | 2007-07-25 08:42 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

安倍総理の通信簿 その2
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

安倍政権発足時の閣僚人事を見て、まず、最初に思ったのが、「やはり、経験不足が出たな」というものでした。
典型的な論功行賞人事・・・という以前に、あんなに、仲間内で閣僚人事を固めたら、他からの反発が出るんじゃないか・・・と。
安倍政権で、次から次に出ている閣僚の不祥事問題などというのは、結局は、ミートホープ不二家などと同類のものなので、内部告発なのではないか・・・と。
まあ、実際のところはわかりませんが、これだけ、次から次に出てくる政権というのも珍しいですよ。
前任者の小泉さんが、人事は派閥にとらわれなかったのをみて、安倍さんは勘違いしたのでは。
小泉さんは、かなり、派閥にとらわれない人事をしたとはいえ、仲良しだけを登用したわけではありませんでしたからね。
その後、決定的に失望したのが、優勢造反組の復党だったのですが、この点、父、晋太郎氏が、「オレも人が良いけど、息子はもっと人が良いから心配だ」と言っていたといいますが、つまりそれは、抵抗勢力からすれば、「御しやすい」ということにもなるわけで、その心配的中するような形になっているかと・・・。

次に、失望したのが、平太郎独白録 : 総理の増税論議先送りに見る木から落ちても猿の選挙制度。の中でも申し上げた「消費税増税を主張してきた石 弘光 政府税調会長」、「財政再建推進論者だった与謝野 馨 自民党税制調査会会長」を辞任に追い込んだことでした。
何だか、参議院選挙が片づくまでは、なりふり構わず、増税の「ぞ」の字さえも口にさせまいとしているように感じました。
ブッシュ現アメリカ大統領が就任当初、国内経済の歓心を買うために京都議定書の批准を拒否したことを思い出しました。)

彼がそこまでする理由としては、「憲法改正」ということがあるのでしょうが、私は、時の政権が自分なりの命題を持つことは決して悪いことだとは思ってません。
小泉さんの時も、平太郎独白録: 何も決まらないのは、選択を誤るよりも弊害が大きい。で申し上げたように、日々浮上してくる課題とは別に、国家百年の計に鑑みた命題を持つということは、一国の総理を志す人間なら持っていて然るべしだと思うからです。
ただ、安倍さんのそれは、どこまで思想的な背景があってのことなのかという点が、大きな疑問なのです。

彼が、憲法改正を悲願にしている理由・・・、それは、祖父、岸 信介元総理がなし得なかったこと・・・という、ただ、それだけの理由のような気がするのですが如何でしょうか?
憲法改正論議を聞いていても、担当の舛添要一さんや他の野党の担当議員ほどには、理解がないように思えます。
その意味では、のなし得なかった「総理総裁」というものの続きを・・・、祖父のなし得なかった「憲法改正」というものの続きを、単に無邪気に追い求めているようにしか思えないのです。

岸さんと安倍さんでは、血は繋がっていても、経歴や経験などの点で、全く別の能力者であることは明々白々なのであり、何より、時代背景がまるで違うということを認識した上で、主張しているのか?と言う点で、安倍さんには事の是非以前に、少々、危うさを感じます。
(この点でも、ブッシュ大統領が、出てきてすぐに、尊敬するレーガン元大統領の時代のスターウォーズ計画を再度、持ち出してきたことを思い出しました。以前、平太郎独白録: 連動する日米の政権・・・。そして、小泉後・・・。でも、申し上げましたように、やはり、あの二人は似ているのでは?)

続きは股(?)明日。

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by heitaroh | 2007-07-24 08:05 | 政治 | Trackback | Comments(4)

安倍総理の通信簿 その1
親愛なるアッティクスへ

今日の福岡県地方の天気は、明らかに夏本番!って感じです。
ついに、今週から、子供たちの夏休みが始まりましたね。
うちの、ガキどもも通信簿をもらってきてました。
まあ、どいつもこいつも、お世辞にも良い成績とは言えませんでしたが、でも、私はうちの子を成績のことでは、それほど、叱りません。
だって、当時の私の成績よりは良いんですから・・・(笑)。
私の時は、終業式の日が本当、憂鬱でしたよ。
通信簿もらって帰ると、親父から、「何か!貴様!この成績は!」と叱責されて殴られて・・・。
大概、翌日から、「テレビ禁止」「マンガ没収」などの仕打ちが待ってましたし・・・。

で、まあ、今後の政局に大きな影響を与えるであろうことが予想される参議院選も近づいてきましたし、一度、この辺で、安倍総理にも私なりの通信簿を付けてみようかな・・・と。
参議院選の結果が出る前に・・・と(笑)。

まず、そもそも、私は、前政権である小泉政権に対しては、その発足から退陣まで終始一貫、支持していたのですが、その後継者である安倍さんに対しては、当初から、総理就任には否定的な考えを持っていました。
私が危惧したのは、ひとえに、安倍さんの経験不足という点でした。
この点は、まだ、総裁選出馬の時点で述べた、平太郎独白録 : 自民党次期総裁候補に見る総理大臣論 その1の中で「時期尚早」と論じたように、本来、総理大臣候補と呼ばれる人たちは、そこに来るまでに、外務・財務・経産などの主要閣僚経験に、党三役の一つくらいは経験しているべきだと。
この点では、小泉さんにしても、総裁選に初出馬するまでには、大蔵政務次官を1回と、主要閣僚ではないにしても、大臣ポスト2回を経てきており、何より、ここまで、小泉さんには23年の議員経験があったのに対し、安倍さんは13年の議員経験で、官房副長官幹事長官房長官のポストをかなりの駆け足で経験してきており・・・。
つまり、安倍さんはまだ、次の次を狙うべきで、その間にもう少し、地に足をつけて閣僚経験を積むべきではなかったかと。

安倍さんとしては、父、安倍晋太郞氏が総理総裁まであと一歩!というところまで行きながら、病に倒れたという「遺志」というものが大きいのでしょうし、また、彼自身、衆議院議員に当選後、再起不能と言われるほどの大病を患った経験を持っているということもあるでしょう。
しかし、次の次でだめだったら、それはやはり、総理総裁職には縁がなかったというだけのことでいいのではないでしょうか?

次に、私が安倍さんに失望したのは、総理就任後の閣僚人事でした。
閣僚人事については、平太郎独白録 : 安倍新総裁誕生にみる「木を見ずして森を見る」的見方。の中でちらと触れましたが、平沢勝栄さんのような、ちょっときつめの官房長官に「あんたが総理になったつもりでやってくれ。私は御輿に徹する」と宣言するやり方で良かったのではないかと思っています。
「御輿に徹する」というのは、簡単なようで、その実、侮れない立派な戦略だと思います。
それが、蓋を開けたら、仲良しばかり入れて・・・。

続きは明日ですね。

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by heitaroh | 2007-07-23 08:49 | 政治 | Trackback(1) | Comments(4)

「マッカーサーからの質問」
親愛なるアッティクスへ

吉田茂「回想十年」という本の中に、ある大学教授の回想として、吉田茂がマッカーサーより質問を受けたときのことが出てきます。

以下、若干の加筆と共に要旨のみ抜粋しますと、
『マッカーサー曰く、「自分は日露戦争のころにも日本に来て多くの将軍たちに会った。彼らはそれぞれに風格があって非常に感じがよかった。ところが今度、三、四十年ぶりに日本に来て、また大ぜいの将軍たちに会って見ると、前とは非常に違った印象を受ける。同じ人種、同じ民族だとは思えないくらい違っている。これは一体どういうわけなのだ?」
(中略) 
 東郷、乃木などを代表とする将軍たちは、少時、論語孟子のような中国の古典によって教育され、すでに性格が出来上がった後に西洋の軍学を学んだのであった。
それに反して、東条荒木を代表とする世代の将軍たちは、初めから教育勅語や軍人勅諭によって育てられたのであって、論語孟子の素読はもうやらなかったであろう。
 して見ると論語孟子で育った将軍達は、それぞれの風格をもってマッカーサーに良い印象を与え、軍人勅諭教育勅語で育った将軍達は、まるで人種が違ってしまったような悪印象を与えたのである。
(中略) 
 あまりに要領のよい教育は、かえって創造的な思考の芽を枯らしてしまう。
 わたくしはこのことを例に引いて、迂遠に見える古典の方が、適切に見える要項的なものよりも、真の意味で有効であろうという意見をのべた。
 長い年月の試練を経て生き残った古典には、人を創造的ならしめる不思議な力がある。西洋の文明を取り入れる時には、その根である西洋の古典をもっと根本的に取り入れるべきであった。』 

というものでしたが、この点で、私見を述べさせて頂くなら、古典というカリキュラムの問題よりは、むしろ、東郷平八郎に代表されるような明治の将軍たちは多くが、元々、自分の目で見、自分の耳で聞くことに対して、あまり、束縛のない環境で育ってきた下級武士の出であったのに対し、昭和の将軍たちは、多くがスタートの段階から陸軍幼年学校などで、大量生産された人たち、すなわち、押しつけのカリキュラムを受け容れることに抵抗を感じない人々、つまり、エリート軍人として養育されてきたという、教育システムの問題にあったのではないでしょうか?
この点は、以前、平太郎独白録 「学年不要論」の中でも述べましたように、限られた予算を限られた人材に投入しなければならなかった明治初期はやむを得ないとして、問題はその制度をずっと、続けてしまったということにあったように感じます。

e0027240_11222794.jpg(←長野県松本市にある現存する明治の学校建築、開成学校にあったレリーフです。新時代の教育機関を象徴しているような・・・。)
つまりは、最初から将軍になるように決まっていた人たちと、決まっていなかった人たちの差ではないかと・・・。

如何でしょうかな、ご同輩・・・。
                              平太独白
by heitaroh | 2007-07-21 08:13 | 教育 | Trackback | Comments(0)

名作アニメ・あしたのジョーにとことん時代を見る その3
親愛なるアッティクスへ

はい、ようやく、このシリーズの続きです。

ちなみに、一世を風靡したボクシング漫画「あしたのジョー」での、矢吹 丈とライバル・力石 徹を見ていて思ったことがあります。
この作品が、少年マガジンで連載が始まったのが、昭和42年(1967年)の暮れですから、原案のテーブルの上に乗ったのは、その少し前かと。
で、連載から間もなく、丈は少年院に収容されたことから、このとき、16歳は過ぎていたわけですね。
でもって、力石は、少年院で丈と出会うわけですが、二人に同級生的なものは感じられないところからすると、おそらく、丈よりは少し上で、かつ、少年院に入れる(?)19歳以下であったと・・・。
しかも、力石はすでにプロテストを受けていたことから、受けることが可能な年齢17歳以上であり、さらに、丈が入所する前から少年院にいたわけで、それも、かなり馴染んでいたことを考えれば、すでに1年くらいは居たと考えられ・・・。
で、これらのことを勘案すると、力石は連載開始時には18歳の昭和24年生まれ・・・
となれば、丈はマンガの後半で背が伸びて減量に苦しむ姿が描かれていたことを考えれば、やはり16歳以下であったと考えられ、少年院も15歳以下の入所もないわけではないようですが、少年院に入るきっかけとなった詐欺事件を考えても、15歳以下であったとは考えにくく、となれば、ほぼ、力石より2歳年下の昭和26年生まれであったと。
つまり、二人とも、「戦争を知らない子供たち」世代だったわけですね。

当時の世相を考えれば、力石徹という人物は、ドッジ・ライン (財政引締策)実施下の生活苦の時代に生を為したといえ、となれば、丈ほどではないにしろ、その前半生は決して、経済的に恵まれたものでもなかっただろうと・・・。
ただ、財閥・白木ファミリーの一員となってからは、その所作も、それなりに上流階級に馴染んでいたことなどを考えれば、中流以上のちゃんとした家庭に生まれたと思われ、幼少の頃から、頑健で体格が良く、ガキ大将であり、中学生くらいのときには、もう、近隣ではしられた番長であった・・・と。

一方で、矢吹 丈は朝鮮戦争の最中・・・、そして、サンフランシスコ平和条約による日本独立と共に生まれたわけですね。
力石が死んで以降の後編アニメの中で、本編にはない子供時代の回想がほんの少し、出てきていたように記憶しておりますが、確か、幼くして、親はなく、随分と早い時期から施設を飛び出し、放浪生活を続けていたように描いてありました。
10歳くらいの頃として、私が生まれた昭和36年頃のことでしょうか・・・。

当時は、人々の暮らしは一時期に比べると良くはなってきていたのでしょうが、それでも、人々の記憶からは、まだ、戦後の苦しい時代の記憶が消えておらず、社会の偏見は著しかったように記憶しております。
当家でも、以前、祖父の戸籍に遠縁の人の名前が載っていたことがあります。
不審に思って聞いてみると、その遠縁の方は、「片親」だったからとのこと・・・。
今からは考えられないような話ですが、当時は、片親の家の子供は、まず、就職できなかったのだとか。
ましてや、両親が居ない丈のような子供はどうだったか・・・ということですね。

いずれ、「その4」に続きます。
                         平太独白
by heitaroh | 2007-07-20 08:57 | 社会全般 | Trackback | Comments(0)

塩野七生女史の言に我が意を得たり3 後継者としての資質
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きである。

これら、世界のリーディング・カントリーであるアメリカ合衆国という国家の衰退・・・、あるいは、変質と言うべきかもしれないが、それが、世界にどういう影響を与えるのか大いに懸念されるところだが、これ以上は憶測でしかないので控えたいと思う。

その上で、そのインタビュー記事の中では、塩野女史は日本のことについても触れておられたのだが、女史は、「小泉純一郎前首相の構造改革路線、郵政民営化を一貫して支持してきた」ということが紹介されており、この点は、私も、登場から退陣まで、終始一貫、小泉政権を支持してきた者であることから、塩野女史の言っておられることは、概ね、理解できた。
女史は、冒頭、「最近、『小泉さんが推進した市場経済主義の流れの影響で格差が拡大した。だから社会政策に力を入れるべきだ』という勢力が盛り返していますが」という問いに対し、明確に、「それは社会政策に名を借りた利益誘導政策でしょう」と喝破されておられた。

曰く、「小泉さんの構造改革は5年ぐらいで終わる仕事じゃないんです。世界もそうですが、日本も今、大変な時期ですよ。世界史を見ると、国や民族は、外部からの脅威よりも内部的な原因で衰退、崩壊していく例が多い。日本は、中国の脅威によってではなく、われわれ日本人の決断力のなさから自壊していく可能性が大きいと思います」と。
続けて、「ルビコン川を渡ると言うでしょう。渡った直後なら後戻りできる。でも、しばらく行くと難しい。今は渡ってすぐだから、やっぱり後戻りしましょうと言う人たちがいて、その声も大きい。小泉さんは多くのことは改革できなかった。しかし、手は着けた。だから本当は、次の人が『とにかく渡ったんだから前に行こう』と言わなきゃいけないんです」と述べておられたが、まさしく、我が意を得たりで、私の考えもほぼ、女史と同様である。

ただ、安倍さんへの後継人事だけは・・・ちと、首を傾げることではあったが、この点でも、女史は、歴史上最高の後継人事として、「イエスからペテロ(キリスト教会初代法王)、カエサルからアウグストス(ローマ帝国初代皇帝)」の2例を挙げておらるそうであるが、これは、「どちらも後継者に正反対な男を選び、後継者こそが「革命」をやり遂げた」ということにあるというのが論旨のようだったが、ただ、同時に、「いかに愛国者の私でも、小泉・安倍のバトンタッチを、ここにのべた世界史上の例と比べるのは大変に気がひける」とも付け加えておられた(笑)。

この点、私も、安倍総理誕生前から、平太郎独白録 : 自民党次期総裁候補に見る総理大臣論 その1。などでも述べていたように、経験不足という点から、総理就任には否定的だったのだが、女史も、この後継人事については、あまり、感心しておられないようだと感じた。
ただ、経験不足という点では、カエサル暗殺時に、後継者として指名されたアウグストゥス(オクタヴィアヌス)は、彼の相棒であるアグリッパ共々、このとき、まだ十代の少年であり、経験不足という点では、安倍さんの比ではなかったろう。
しかし、彼らはその後の内戦を戦い抜く中で、着実に力を付けて行ったのだが、安倍さんに関しては、総理大臣としての適否はともかくとしても、こと、「改革の後継者」という観点からは、果たして、元来が適任であったのか、少々、疑問に思えてならない・・・。

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by heitaroh | 2007-07-19 08:58 | 政治 | Trackback | Comments(2)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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