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石原完爾の言にみる平和憲法の維持はタダではない!
先日、満州事変についてテレビでやってましたが、そのとき、陸軍の鬼才、石原莞爾が映っていました。
(彼と松岡洋右については、以前も申し述べさせていただきましたが、あまりにも、自分の力を過信しすぎたと言う点で、極めて共通点が多いように思います。国家という大きな歯車が一旦、廻りだすと、誰にも止められないという点を甘く見ていたという・・・。)
それで、別の番組で、彼が晩年、インタビューに答えた映像を見たことがあるのを思い出しました。
その中で、彼は意外にも、「日本は一旦、平和憲法というものを選択したのだから、たとえ蹂躙されようとも、これを堅持しなければならない」ということを言っていました。

私は、平和憲法云々以前に、GHQが、「あまりにも理想的で、日本の現状に合わない憲法を押しつけたことが、現在の日本の混迷の根本的問題である」という論者ですので、この石原の言葉には、少し否定的に見てしまうのですが、(GHQとしては、本国政府や同盟国への配慮など、当時の世界情勢を考えれば、やむを得ないものがあったとは思いますが。)まあ、石原としては、太平洋戦争というものに至った経緯に対しては直接的ではないにしてもある程度、責任は感じていたでしょうし、当時の世論を考慮して、こういう発言になったのかもしれません。
が、同時に、この発言には、言外に「平和憲法というものを維持するということは決して安いコストでは済まないんだよ。でも、これを選んだ以上は、その覚悟でこの憲法を護っていって欲しいし、日本の為には、むしろ、そっちの方がいいのかもしれない」ということが、日本をこういう事態に追い込んでしまった当事者の一人として、言葉の端々から滲み出てくるように感じました。

昨今、憲法改正論議が行われていますが、ちょっと、気になるのは、改憲反対派の人の中には、この平和憲法というものを「タダ(無料)」だと勘違いしている人がいるように思えることです。
一方的に戦争を放棄すれば、それでタダで平和が維持できると言うようなことは、普通、有り得ない話で、平和憲法という物を維持していくと言うことは、石原が言うように、たとえ、「蹂躙されようとも」護っていくという「覚悟」が必要であり、その為には、そこまで理解した上での絶対的な国民のコンセンサスが必要となって来ると思われます。

つまり、円借款や政府開発援助などはもとより、PKOなどの国連活動や復興支援なども必要となってくるし、周辺諸国との関係改善と関係諸国の理解は最低限、維持しなければならず、となれば、経済分野などで譲歩することも必要となってきます。
そうなれば、当然、自衛隊だけの出来事でなく、国民生活も外国製品に押されるなど、何らかの影響があると思われるわけで、それでも平和憲法を守っていくという、言うならば、「覚悟」というものへの認識が必要である・・・ということですね。
                     平太独白

by heitaroh | 2007-06-30 21:41 | 政治 | Trackback | Comments(0)

オイル・ショックの本質!
親愛なるアッティクスへ

昨夜、夜更かしして撮りダメしていた昭和47年の人気番組「木枯らし紋次郞」をみてしまいました。
昔、あれの主題歌が好きだったんですよ。
で、今見たら、色がきれい。特に青々とした緑がきれい!
「あ、これって、あの時代の色だ!」って思いましたね。

ところで、それを見て改めて思ったのですが、あの番組は暴力、貧困、因習・・・等々、人間の不条理というか不寛容というか、そういったものが、かなり前面に出てる作品でしたが、さすがに、私の身近では、あそこまでのことはもう無かったものの、今ではすっかり死語になった観がある「ひもじい」「人さらい」などという言葉が、まだまだ生きていた時代でもあり、あの当時は、それほどの違和感を持つことはなかったように記憶しております。

今でも暴力や不条理を描いたモノはありますが、それを突き動かす原理は主に「欲望」であり、「貧困」とか「因習」などというものはかなり少ないように思えます。
それだけに、今の子供たちにとっては、そういう世界って、もの凄く現実感がないものだろうな・・・と。
そして、そう考えれば、もし、今、また戦後みたいになったら、我々の世代はともかく、今の子供たちは対処できるのだろうか・・・と。
そこまで考えて、ふと思ったことがあります。
それが、この翌年、昭和48年(1973年)に起こった「オイルショック」です。

私は、かねがね、このオイルショックというものが、イマイチ、よくわかりませんでした。
当時の政府の実務担当者たちの証言番組も見ましたし、様々な回想録なども読みましたが、やはり、どうにも説明としては判然としないものを感じていました。
あの騒然とした世の中・・・、トイレットペーパーに群がった人々・・・、まるで、日本という国そのものが顔面蒼白になったような雰囲気だったように記憶しております。
「オイルショック」とは一体、何だったのか・・・。

で、それこそが、まさしく、「木枯らし紋次郞」の放送当時の時代背景・・・、即ち、日本にまだ「「貧困」というものの記憶が残っていた最後の時代の怯え」だったのではないでしょうか・・・。
私には今でも鮮明に覚えている、その時の記憶があります。

小学校から帰ってきた私に、母が深刻な顔で言いました。
「大変な世の中になった・・・。これからは、今までのようにはいかないんだ。とにかく、今までが良すぎたんだ・・・。いつかこんな時代が来ると思っていたんだ・・・」と。
戦後の貧困の時代から、一転、バブル以上と言われた未曾有の好景気、高度経済成長を謳歌しつつも、それでいて、皆、心のどこかで、「いつか反動が来るのではないか?」、「出来すぎなんじゃないか?」と、この良すぎる時代に怯えがあったのではないでしょうか?
単なる産油諸国の「脅し」にすぎなかったものが、「見積有効期限1時間」などという、狂乱物価へと成ってしまった本当の原因だったのではないかと思えてなりません。
「貧困への怯え」の残滓・・・、これこそが「オイルショック」というものの本質だったのではないでしょうか・・・。
                                 平太独白
by heitaroh | 2007-06-29 18:05 | 思想哲学 | Trackback | Comments(6)

斎藤佑樹にみる「捕手が捕れない物を打者が打てるか!」
先日、東京人の友人に、「来月、東京で一泊するので一杯やろう」とメールを送ったところ、「実は俺、明日から福岡なんだ」との返事・・・。
「じゃあ、明日、一杯やろう」というと、野郎、「俺は仕事で来てるんだから、翌日、酒臭いとまずいからだめだ」と。
で、翌日。
いきなり、その東京の友人から電話があり、「やはり、今日、OKになった」と。
で、急遽、人にお断りの電話を入れて、そいつと飲みに行ったのですが、野郎、「酒臭い」どころが、がっつり飲んで、あげくには、こちらが「帰るぞ」といっても、まだ飲み足りなそうな顔して、「ラーメンが食いたい」・・・と。
結局、「臭うとまずい」などといいながらラーメンまで食って帰ったという・・・。
やつは、本当に仕事だったのか・・・、疑惑・・・。 

e0027240_11232123.jpg

それはさておき、この友人は、某大のOBであることから、先般の某大の野球部優勝パレードのときは、かなり、裏方を仕切っていたらしく、色々と裏話を聞かせてもらいました。
その中で、斎藤佑樹投手のお立ち台での映像が流れていたときは、すぐ後ろにいたらしいのですが、彼によると、「斎藤佑ちゃんって、意外に小さいね」と。
「176cmっていうけど、もっと、小さく感じたよ。よく、あの体で、あれだけの活躍が出来るもんだ」
「まあ、体の大きさがすべてではないだろう。小さくったって、凄い球投げるさ」
「まあ、それはそうだけど、急成長した選手だからな」
「彼が甲子園で活躍できたのは、捕手が彼の変化球を捕れるようになったからなんだそうだ」
「そうそう、俺もテレビでやってるのを見た」
・・・という会話の後、私が「かつて、『キャッチャーが捕れない物をバッターが打てるか!』と言ったのは、川上哲治だったけどな」と言い、これで二人で妙に納得したのですが、実は、この、川上選手の有名な一言には補足説明が必要なのです。

昭和29年、この年のプロ野球界を席巻し、「打撃の神様」と呼ばれた川上哲治の前に立ちふさがっていたのは、中日のエース・杉下 茂魔球フォークボールでした。
この、当時は杉下以外に誰も投げることが出来なかった魔球に対し、この日も、バットが空を切った川上が見たものは、捕手が取り損ねて、あたふたする姿だったとか。
そこで思わず、この有名な一言が川上の口を衝いて出たわけですが、ところが、実は、この捕手氏は、前日、選手同士のけんかを止めに入った際に顔を殴られ、このときは、片眼があまり見えていなかったそうです。
つまり、この捕手は、片眼で杉下の球を受けていたわけですね・・・。

ちなみに、真偽の方はともかく、杉下のフォークの凄さを示す話として、こういうのがあります。
数年前、杉下を取材した記者が、立ち去り際、杉下老人から「忘れ物ですよ」と言って、ひょいと取材用のボールを投げられ、捕ろうとしたところ、突然、目の前で消え、気が付くと、ボールは記者氏の股の間を抜けて後ろに転がっていたと・・・。
恐るべし杉下、恐るべしプロ!
                             平太独白

by heitaroh | 2007-06-28 07:49 | スポーツ | Trackback(1) | Comments(7)

時代を映したアニメ・あしたのジョーとことん的考察 その2
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

で、この、アニメ「あしたのジョー」で何が好きだったって、私は「力石のテーマ」が大好きだったんですよ。
で、アニメ放送から10年くらい経った頃でしょうか、レコードが発売されたので、私は勇んで買いにいったのですが、買ってみたら、何と、「力石のテーマ」だけが入ってなかったんですよぉ。
・・・いや、正確には、歌は入ってたんです。
でも、私が好きだったのは、歌無しのイントロだけのやつなんです。
いわゆる、劇中の挿入歌として流されていた音楽だけのバックミュージックですね。

力石が指を一本高々と挙げてKOを宣言するシーンなどで、「タンタンタ~カ♫タカタンタンタン~♪」と流れてくるやつ・・・。
あの、何ともいえない、挑戦的なメロディが大好きだったのですが、当時は、まだ、DVDどころかビデオ・・・、いや、カセットレコーダーすら一般的で無い時代ですから、記録方法は記憶にとどめるしかないわけです。
何度も、覚えて口ずさめるようになろうとしましたが、なかなか私のメモリー機能がない脳みそでは厳しいものがあり・・・。
だからこそ、この曲に対して、乾いた物があったんでしょうね。

e0027240_14383290.jpgで、まず、このドラマを盛り上げる要素のひとつ・・・、いや、最大の物として、主人公・矢吹 丈に対する、ライバル力石 徹の存在があります。
この二人は、長島ですよ。
対局のキャラクターと言っても良いでしょうか。

(←昭和の光と影・・・。明日はどっちだ~♫)

力石と丈の対決は、実践理論の対決であるともいえ、そして宿命的なまでに結果としての理論は実践を上回る・・・と。

(でも、洋子お嬢様と同じタイプの人間ですよ(笑)。ただ、「与えられることを知らない人間」「与えることしか知らない人間」の違いだけで。初期の頃はお互いに相手に自分の嫌な面を見ていたのではないでしょうか?)

ちなみに、その番組の中で、なるほど・・・と思い当たったのが、矢吹丈が少年院に入るときに、「俺は、人からおもちゃも何も与えられたことはない。だが、自由だけは、この腕で勝ち取ってきたんだ!」というセリフに対してのコメンテーターの話でした。
氏曰く、「まさしく、当時の子供たちですよ。物は少なくとも丈よりは与えられたけど、でも、自由ってあるんだろうか・・・」と。
その分、ジョーと違い、「保護」されてきたことも否めない事実でしょうが、当時は、この「保護」というものの裏表(代償)としての「自由」というものは、随分と恨めしく思いましたけどね・・・。

また、そのうち続きます。
                             平太独白
by heitaroh | 2007-06-27 08:41 | 社会全般 | Trackback | Comments(0)

時代を映したアニメ・あしたのジョーとことん的考察 その1
「我々はあしたのジョーである」・・・とは、よど号ハイジャック犯たちの犯行声明文の末尾に書かれていた一文だと記憶しておりますが、私は、おそらく、アニメ放送前に、少年マガジン「あしたのジョー」を見ていた、ぎりぎり最年少の世代ではないかと思います。
「あしたのジョー」とは、言うまでもなく、ちばてつや梶原一騎の名作として知られる人気マンガのことですね。
当時は、子供ばかりか、よど号ハイジャック犯ら若者にまで、多大な影響を与えた伝説の作品であり、当時、阪神タイガースのエースで、無頼漢的イメージが強かった江夏 豊氏までが、「力石のように生きたい」と語っていたのを聞いて、「江夏のような人までが」と思ったのを記憶しております。

この作品は、確か、少年マガジンの企画会議で、当時の人気漫画家・ちばてつや氏と、同じく、スポーツマンガ原作の第一人者・梶原一騎氏との共作を提案したことに始まるとか。
ただ、当時、梶原一騎は原作は書くものの、漫画家が自分の原案に勝手に手を加えるのを徹底的に嫌っており、果たして、ちばてつやとの「共作」を承諾してくれるものか・・・というのが、少年マガジン側が一番、危惧していたところだったそうですが、おそるおそる持ち込んだ担当者に対して、梶原は、一言、「ちばてつやと手塚治虫なら別だ」とOKを出したそうです。
曰く、「あの二人は、独自の世界を持っているから」と。
ところが、第一作の原稿を渡されたちばてつやは、一コマも、それを描かなかったとかで、梶原が激怒!した・・・ということもあったとか。
その後、ちばの人間描写と梶原の構想力とが相乗効果を呼び始め、作品はヒットを通り越して社会現象とまでなったわけで、特に、主人公・矢吹丈のライバル・力石徹が死んだときは、出版社の電話という電話が鳴り続け、あげくは、力石の葬式まで執り行われたというのは有名な話ですよね。

で、以前、NHKのBSで「BSアニメ夜話スペシャル とことん!あしたのジョー」という番組を放送していましたが、ご覧になられましたでしょうか?
昭和45年放送のアニメの「あしたのジョー」の特集番組です。
番組の中で、色々語られていることを聞いていると、多々、思うことがありましたね。
作品自体は、確かに、今のアニメと比べれば技術的には見劣りするかもしれませんが、逆に、あの制約の中で、よくぞ、あれほどのものを作ったな・・・と思いますよ。
現代の世界に誇る日本のアニメーションに至る過程・・・をみるような気がします。
(今のアニメは、確かに、「ゴトン」と落ちたら「ゴトン」と落ちた質感がありますからね。)

明日に続きます。
                             平太独白

by heitaroh | 2007-06-26 09:40 | 文学芸術 | Trackback(1) | Comments(0)

時代は違えども・・・裂帛の気魄至言三態
親愛なるアッティクスへ

「立ちゆかぬときは・・・、立ちゆかぬときは・・・、それがしが何としても立ちゆくようにして見せまする!」

これは、以前、平太郎独白録 「真田太平記に見る昭和的クソ親父のあり方」でも触れさせていただきました、二十年くらい前のNHKドラマ、真田太平記の中での主人公、真田信幸真田幸村の兄)が言う言葉です。
お家滅亡の危機に直面した真田家で、「真田家は、もはや、立ちゆかぬかもしれぬ」という話になったときに狼狽した母より、 「たちゆかぬときは如何するのじゃ?」と言われた渡瀬恒彦演ずる若き真田信幸が、覚悟の果てに毅然と言い放った言葉です。
このドラマがあったとき、私もまだ、二十代前半だったかと記憶しているのですが、どういう事態になっても、家を「立ちゆかせ」なければならない立場にある長男としての覚悟・・・、大変、印象に残りました。

e0027240_10252561.jpg←その真田家が本拠をとした信州上田城の正門前にある「真田石」
(ただし、信幸自身は父、昌幸の失脚後に入城。)
後年、真田家が松代に移されたときに、信幸が、父、昌幸の形見として、この石を持って行こうとしたところ、あまりの重さに断念したとか。

当時は、築城に当たっては、巨石を一番、目立つところに使うことが流行しており、つまりは、「うちの殿様は、これだけの巨石を城の石垣に使えるほどの勢威がある」ということを誇示するためのものだったそうです。

一方で、「武士が病で死ぬなど情けない」とは、数年前の大河ドラマ、「北条時宗」の中で、渡辺謙扮する時宗の父、北条時頼が病に伏すようになったときに言うセリフです。
なぜか、敵に銃撃され、重傷を負ったイギリスネルソン提督が死の間際に言ったとされる言葉、「私は義務を果たした」を想起してしまいました。
妙に人の命が大切にされるのが当たり前になっている現代日本と比すれば、「武士の気骨」を見せられたようで新鮮な驚きを感じましたね。

で、最後は、この言葉です。

「戦争など恐ろしいことがあるか!こちらも鉄砲持っとるのに!」

これ・・・実は、私の祖父(下人参町自治会長(笑)。)が生前、言った言葉です。
私が「戦争は恐ろしかったろう?」と聞いたとき、「馬鹿たれが!」と一喝した後、訝しむ私に向かってこう言いました。
もっとも、その祖父も、続けて、「ただ、夜戦だけは恐ろしかった。どこから、弾が飛んでくるかわからないから」と述懐していましたから、何だか、ただの負け惜しみなどではなく、本当に恐ろしくなかったようにも思えましたよ。
明治人の気骨、ここにあり!・・・って感じですね(笑)。
                         平太独白
by heitaroh | 2007-06-25 08:22 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

日本の中枢で現代も生き続ける長州閥
以前、岸信介元総理大臣について書かれた本を読んだことがあります。
私が興味があったのは、岸とは実弟佐藤栄作の夫人を通して義理の伯父に当たる松岡洋右元外務大臣(国連脱退時の全権代表にして三国同盟の立役者。)との関係を知りたかったからです。
二人は、満州国「2キ3スケ」と言われたうちの二人で、かつ同郷で親戚同士でも有れば、当然、他者には入れないような濃厚な関係があったと思うのが普通でしょうが、佐藤と松岡の伝記には、ここら辺のことについては、実にあっさりとしか書かれていませんでした。

私が松岡と岸、佐藤兄弟の関係を知りたいと思った理由、それは、明治日本を牛耳った藩閥のなかで、閥としては大正期の山本権兵衛を最後に完結している薩摩閥に対し、長州閥はしぶとく生き続けたと思うからです。
かつて、司馬遼太郎さんは、「革命というものは三世代に渡ってなされる。まず第一に思想家が出てくる。長州においては吉田松陰、薩摩では島津斉彬がこれにあたるが、多くは非業の死を遂げる。第二にその後を受け、革命家が出てくる。高杉晋作、桂小五郎、西郷吉之助、大久保一蔵らがこれに当たる。そして、これも多くは、事半ばにして死ぬ。そして最後に出てくるのが政治家であり、伊藤博文、山県有朋、井上薫、松方正義、黒田清隆、大山巌、西郷慎吾らがこれに当たる」と言っておられましたが、(その論で行けば、第一世代には孫文、マルクス、第二世代は毛沢東、レーニン、第三世代は、鄧小平、スターリンらがあたるのでしょうか。)そう考えれば、伊藤、山県、井上ら第三世代の後も、児玉源太郎、乃木希典ら日露戦争の英雄をはじめ、桂太郎、寺内正毅、田中義一となおも三人の首相を輩出し続けた長州閥・・・。

ここら辺は、恬淡とした伊藤博文と違い、閥意識が強かった山縣有朋という人の性格が、こういう結果を導いたのかもしれません。
なぜなら、桂、寺内、田中の三人は山縣の影響下にある軍人出身の首相であり、そして、その最後の門下生こそが松岡洋右なのです。
なぜならば、松岡の仲人は山県の懐刀であった田中義一元首相であり、その松岡と縁戚関係で繋がりを持つのが、岸信介佐藤栄作の兄弟総理であり、この二人が戦後、巨頭として隠然たる勢力を誇ったばかりか、そのあと、総理には届かなかったとは言え、岸の娘婿である安倍晋太郎が巨頭として存在感を誇り、それはその子、安倍晋三に引き継がれているのではないでしょうか?
二階堂進ら、鹿児島出身の有力政治家がいないわけではありませんが、彼らはで存在しているのであり、閥としての繋がりがあるようには感じられないのに対し、長州閥というものは上述のように、閥としての流れを維持したまま、存在しているように思えます。
ここら辺が、長州怜悧と呼ばれる長州人の県民性なのかもしれません・・・。
                                 平太独白
by heitaroh | 2007-06-23 08:04 | 歴史 | Trackback | Comments(2)

またもや、徒然なるままに・・・
親愛なるアッティクスへ

e0027240_10182673.jpgおはようゴンザレス。
本日もしっかり二日酔いです。
ていうか、かなり、まじやば・・・の二日酔いです。
まだ、べろべろです。
ここまで来るのも、まじやばって感じでした。

で、昨日は、 この人(←)と飲んでました。
井戸の上に祀られた神様・・・、つまり、井戸の上にあるから井上さん・・・。
これが、全国の井上さんの元祖だそうです。
まあ、昨日飲んだ井上さんも、神様には違いないかと(笑)。
で、今日はまともなことは書けないなと・・・。
こうなりゃ、とりあえず、思いつくままに何か書こうと・・・。

今や、参議院選挙有名人知名度選挙と化していますね。
何でもありかな・・・みたいな。
これで、どこが良識の府なんだと・・・。

キッシンジャー元合衆国国務長官のインタビューを聞いていて、いつも思うんですが、あの人は、本当に、本当のことは言いませんよね(笑)。
ただ、彼のそれが、割とわかりやすいものであるのと対照的に、どうにも、理解しがたい二面性を持っているのが、ロシアプーチン大統領でしょう。
彼がやっていることは、決して、間違ってはいないと思うんですよ。
ガスプロムにしても、サハリン2にしても。
現に、破綻していたロシア経済立て直したという点で、国内の支持率も高いようですが、一方で、 「ナーシ(Nashi)」と呼ばれるプーチン政権擁護の為の青年組織団を結成して、市民の中で反プーチン的な言動をする人に目を光らせているとか。
この点は、かつての毛沢東「紅衛兵」や、ヒットラー「ヒットラー・ユーゲント」に比されるようですが、私はむしろ、平安時代後期に驕れる平家が市中に放った「禿 (かむろ)」を想起しましたね。
平 清盛の晩年、多数の禿の頭髪の少年を放ち、平家に対する批判を口にする人を密告させた・・・というやつです。
まあ、いずれも、こういうことをやる政権は行き詰まるもののようですが、問題はプーチン以後に暴走しなければいいな・・・ということですね。

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by heitaroh | 2007-06-22 08:03 | 時事問題 | Trackback | Comments(0)

風林火山にみる歴史ドラマの年齢設定に対する違和感
親愛なるアッティクスへ

先日も触れた大河ドラマ「風林火山」ですが、先日、ついに、武田信玄のライバルと言われるGackt扮するところの上杉謙信が出てきましたよね。
まあ、評価自体は、もう少し、見てみないと何とも言えないのでしょうが、私には、何だか、ゲームのキャラのようにしか見えませんでした(笑)。
で、まあ、それはさておき、私が、いつも、こういうドラマを見ていて思うことがあります。
それが登場人物の年齢です。
昨年の大河ドラマ、「巧妙が辻」(あまりに、くだらなさすぎて見てませんでしたが。)でも、織田信長を演じた館ひろしさんは、すでに信長が死んだときの年齢を超えていたんですよね。
であれば、いくら、人間の老化が早かった時代とはいえ、それで、信長の十代、二十代を演じるのは少し、厚かましすぎるような気が・・・(笑)。

でもって、本題に戻ると、この武田信玄と上杉謙信ですが、二人の年齢差は、実は14歳もあるんですよ。
(無論、信玄が年長です。)
まあ、政治的ライバルというものは、スポーツと違うわけで、単に、年齢だけで区切れるものでもないでしょうが、少なくとも、謙信(信長もまた然り)の方はともかく、信玄には彼らに対するライバル意識などはなかったのではないでしょうか。
(その意味では、こと年齢という点で言えば、信玄が一番、ライバル視していたのは、むしろ、6歳年長北条氏康であり、謙信がライバル視したのは4歳年下織田信長ではなかったかと。)

二人を好敵手としているのは、ひとえに、川中島で行われた「竜虎相打つ」名勝負ゆえのことでしょうが、そもそも、この名勝負自体が怪しいもので、まず、発掘された物証がヒジョーに乏しいと言われています。
次に、この戦いを描いたのは、山本勘助を一躍、スターダムに押し上げた「甲陽軍鑑」と呼ばれる資料だけなのですが、これも、資料的には如何なものか・・・と言われているということです。
小競り合いくらいはあったのかもしれませんが、あそこまで、絵に描いたような(まさしく、絵に描いたような!)名勝負が行われたというのは、イマイチ、信じがたいところがあるような・・・と。

で、話を元に戻しますと、こういう、ドラマを描くときは、もう少し、実年齢という物を考慮してもいいのではと思うんです。
今回の大河ドラマでも、おそらく、ガックン(Gackt)の方が市川亀治郎くん(?(笑)。)より、それこそ、10歳くらい年長じゃないですか?
(ガックンが年齢不詳なのでわかりませんけどね。)
以前の大河ドラマ、「武田信玄」でも、信玄役の中井貴一さんに対して、謙信役の柴田恭兵さんが10歳の年長でした。
時々の人気俳優を使わざるを得ないという台所事情はわかるのですが、せめて、映画、「風林火山」のように、萬屋錦之介の信玄に対し、謙信の石原裕次郎2歳の年若・・・という程度で抑えておいてもらわないと・・・(笑)。

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by heitaroh | 2007-06-21 08:36 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

中国の人件費の安さに知らぬが花のロシアンルーレット
親愛なるアッティクスへ

e0027240_10292288.jpg先日、地震対策を考えて、本棚の一つの下にベニヤを一枚敷くことに・・・。
ところが、簡単に考えていたところ、上はてこの原理で動くのですが、下は重量に堪えきれず、はずれてしまうい、まるで、動かない・・・。
で、とうとう、本を一旦、ぜ~んぶ出すことに・・・。
そしたら、まあ、あるわあるわ・・・。
この作業だけで、この日は終わりました(笑)。
(←これで全部じゃないんですよ。まだ、この足下にもかなりの数があるんです・・・。)

で、本題です。
少し前に、上海に行った友人が帰ってきてすぐに入院したという話を聞きました。
詳細は聞いていないのですが、食あたりではないかと・・・。
でも、ひ弱な奴・・・などと言う無かれ・・・、いつだったかの新聞記事です。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 
 中国の有力紙「南方週末」によると、中国調理協会06年実施調査の結果、中国では、レストランの紙ナプキン、つまようじなどに潜む様々な病原菌が健康を脅かしている事が判明した。
 紙ナプキンの製紙工場に10年勤めた男性は、「原料の中には、使用済みの生理用ナプキン病院が廃棄したガーゼもある」と証言

 ・大腸菌や結核菌、肝炎ウイルスなどが検出された物も
 ・レストランやゴミ捨て場から回収したようじを水につけて汚れを落とし、包装し直しただけ
 ・再利用のつまようじからは、エイズウイルスまで検出
 ・紙ナプキン、ようじが輸出されていたかどうかは不明
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

・・・なるほど。
レストランは一応、高級でも、そこに納入しているつまようじ業者までが高級とは限らないってことですね。
確かに、日本だと、つまようじを一本一本磨いて再利用するのは、人件費的に割に合わないのでしょうが、中国だと十分に割に合う・・・と。
そう言えば、インドでは、通常、生水が飲めないので、皆、飲料水としてはミネラルウォーターを飲むようなのですが、ミネラルウォーターと言いながら、製造元を取材すると、空のペットボトルを道路に並べて、ホースで水道の水を注いで、「はい、ミネラルウォーターできあがり・・・」みたいなことをやってましたっけ・・・。

ま、入院したのは一人だけでしたけど、ある意味、我々は、知らないうちにロシアンルーレットをさせられていたのかも・・・ね(笑)。
                               平太独白
by heitaroh | 2007-06-20 08:27 | 国際問題 | Trackback | Comments(4)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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>sakanoueno..
by heitaroh at 11:09
あけましておめでとうござ..
by sakanoueno-kumo at 15:22
>Mさん  そうだ..
by heitaroh at 20:52
壊れた時計が動く理由もネ..
by M at 20:38
> sakanoueno..
by heitaroh at 12:35
なるほど。 先日の疑問..
by sakanoueno-kumo at 22:50
>sakanoueno..
by heitaroh at 10:05
キリのいい年となると、あ..
by sakanoueno-kumo at 19:28
>細田さん すみま..
by heitaroh at 10:36
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