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赤ちゃんポストにみるその是非は反対で賛成 その3
親愛なるアッティクスへ

続きです。

本日は、赤ちゃんポストに対する私の考え、即ち、「反対で賛成」賛成の部分についてです。

「反対」と言っておきながら、なぜ、賛成なのか・・・。
それは、今の日本が置かれている特殊な事情があります。
即ち、少子化問題です。
ただ、私は、この少子化という点では、戦前の日本の人口は六千万人くらいだったことを考えれば、それが適正人口かなとも思っていますから、少子化自体が問題だとは思っておりません。
・・・急激な少子化が問題なのです。
で、今の少子化対策が、あまり、効率的だと思えない点は、女性一人一人に、まんべんなく子供を産んでもらおうとしているところにあると思います。

もちろん、一人一人の女性に、各人、まんべんなく産んでもらうことが生態系の上からも、社会秩序の面からも大原則であり、抜本的な問題解決を図るためには何より必要なことでしょう。
ただ、それは、現代社会の有り様そのものにまで踏み込まねばならない問題であり、一朝一夕に解消される問題でもないように思えます。
であれば、少子化の速度を緩めるという点では、橋本弁護士夫妻のように、経済的な意味でも、環境的な意味でも、まずは、「産める人により多く産んでもらう」というのも、一策なのではないでしょうか?

その意味では、少子化の速度を緩める・・・という点では、「小さな命を救う」ということも一助になる・・・というのが、私の考えです。
(先日も、30年後の全国の人口分布予測が発表されてましたよね。東京沖縄以外は、すべての道府県で人口が減少するとか・・・。現状は、もはや、背に腹は代えられない・・・という状況にまで至っているのかもしれません。)
つまりは、日本の「人口減少」がますます、顕著化していくということであり、それを考えれば、表現が適当かどうかはわかりませんが、かつての、オスマン=トルコイエニチェリのように、「国家で子供を扶養」するということも考えていい時代に来ているのかもしれません。
(イエニチェリは、スルタン(皇帝)と直接結びつくことにより、その「誇り」を維持できたことを考えれば、結局、捨てられた子供にとって、もっとも大切な物、与えてやらねばならない物は、人間としての尊厳、即ち、「誇り」なのではないかと・・・。この部分は、赤ちゃんポストを設置する上でも、一考に値するところであるような気がします。)

とまあ、内容が内容だけに、随分と、オブラートに包んで言ってはきたのですが、それでも、おそらく、反対の部分でも、賛成の部分でも、天使のようなヒューマニストの方から言わせれば、「何てやつだ!」と唾棄されるような意見かとも思います。
しかし、「人間の死」だと言って、死ぬはずの人をすべて助けていたら、地球はパンクしていまうのも現実です。
(すでに、パンクしかかってますよね。)
であれば、快不快で済む問題ではなく、これが、もっとも、現実的な考えではないかと。

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by heitaroh | 2007-05-31 08:42 | 社会全般 | Trackback | Comments(6)

赤ちゃんポストにみるその是非は反対で賛成 その2
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

で、この問題での私の考えを言わせて頂くなら、「反対で賛成」です。
どういうことかというと、まず、「反対」というのは、昨日も述べましたように、私は人の生き死にというものは、自然の摂理に逆らうべきではない・・・という考えを持っているということがあります。

ジャングルでは、怪我をして動けなくなった動物(特に子供)や、群れからはぐれた子供は、酷なようですが、他の動物の餌になるわけですよね。
また、子供を捨てる親が居る・・・というのは、動物の社会でも、時折、あることだと聞いております。
元々、地球上には、これだけ生命体がいるわけですから、そういう生命の根源を揺るがすような何かが欠落して生まれて来るものがいても、おかしくはないといのではないでしょうか。
それが多い種族は種の理論から言えば、淘汰されやすくなるというだけで。

人間社会だって、人間の遺伝子解析の成果で、あと2年もすれば人間は永遠に死ななくなる・・・などということも言われていますが、私は、人間も寿命が尽きれば死ぬべきだと思っています。
ここで、誤解のないように申し上げておきますと、私は、「人間社会の常識に反してでも、ジャングルと同じ摂理で生きろ!」と言っているわけではありませんよ。
私だって、じゃあ、今、病気になったから、そのまま、死んで良いかと言われれば、現実には、家族もあることですし、手術も受ければ、も飲みます。
ただ、死ねるような境遇になったなら、必要以上の延命措置はしたくないなと・・・。
(まあ、女房も私が長生きするのを望んでないでしょうから・・・。マジです。)

で、本題ですが、この赤ちゃんポストの主旨である「小さな命を救いたい」という想い自体はわからないでもないのですが、収容して以降のことはどの程度、考えているのか・・・という気もします。
テレビで女優の高木美保さんが、「親に捨てられた子供は、壁に向かって独りで泣く」と言ってましたが、まさしく、真実・・・、いや、現実だろうと思います。
いくら、素晴らしい里親にもらわれたとしても、十月十日という妊娠期間があるわけですから、周囲の人は気づきますし、人の口に戸は立てられませんから、いつかは本人の耳にも入りますよ。
やがて、自分が「捨てられていた」子供だったと知ったとき、その子の、その後の人生に対して、誰がどう責任を持てるのでしょうか?
(また、里親によっては、大変、残酷なことにもなる可能性もあるわけで・・・。)
道ばたに捨てられている子猫を「可哀想」に思い、拾って帰っても、結局、育てられなかったりしますよね。
ましてや、相手は意志もあれば、思惑も持っている人間の子供ですよ。
良かれと思って、入り口だけ広げても、その後のことにまで、きちんと、責任を持てないのであれば、赤ちゃんポストというものは、あまりにも無責任だと思うのです。

この問題では、反対の人の主旨は、多くが「モラル・ハザードを誘発」するということにあるようですが、私が「反対で賛成」の「反対」を唱える主旨は上記の通りです。
で、その一方で、「反対で賛成」の「賛成」という点での続きは、また、明日ですね。

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by heitaroh | 2007-05-30 17:22 | 時事問題 | Trackback | Comments(2)

赤ちゃんポストにみるその是非は反対で賛成 その1
親愛なるアッティクスへ

唐突ですが、私の人生観として、人の生き死には「自然の摂理に任せるべき」だというのがあります。
この点を具体的に言ったのが、たびたび、拙稿でも採り上げております、私が企業人として敬愛する本田技研工業元副社長藤沢武夫氏です。
氏は、晩年、奥方に対し、
「①80歳までに死ぬ
 ②自分の寝床で死ぬ
 ③病気になっても病院に入院させるな
 ④手術はするな
 ⑤下の世話にはならない」

という五箇条を厳命しておられたか。
これこそが、氏の哲学であり、美学だったのでしょうが、この点では、私もこうありたいと思っています。
過度な医療技術に頼り、いたずらに、持って生まれた寿命を凌駕するようなことは本意ではない・・・とl。

で、本日の本題です。
熊本赤ちゃんポストについては、色々と、賛否両論があるようですね。
この問題については、また、色々と何か言うと、「そんな考えではいかん!」とか、「あなたに何がわかる!」などというヒステリックなお叱りがあるかと思い、今まで、敢えて、触れてこなかったのですが、まあ、ぼちぼち、ほとぼりも冷めただろうし、いいかな・・・と思い、書いてみることにしました。

まず、この件では、先日、その赤ちゃんポストには3歳の子供が捨てられましたよね。
3歳といえば、可愛い盛りじゃないですか。
私にも、大差ない子供が居ますので、本当に胸が痛みますよ。
おそらく、父親もやむにやまれぬ状況だったのだろうと思いますし、むしろ、そうせざるを得なかった父親のことを思うとやりきれないものを感じます。
思わず、江戸時代、参勤交代単身赴任で江戸へ行った武士が、財政難から単身赴任が長期化してしまい、郷愁の念から、夜中に幼い子供が捨てられていたというニュースを聞いてしてしまった・・・という話を思い出してしまいました。

で、この子供が、「他の県から来た」と言ったと聞いたとき、私は「あ、これは福岡県人だな・・・」とピンときましたよ。
その後、「お父さんと新幹線で来た」と言ったと聞いて、「新幹線なら違うかな・・・」とも思いましたが、(福岡~熊本間には、まだ、新幹線は開通しておりませんので。)でも、3歳の子供に、新幹線も何もわからないでしょうしね・・・。
そしたら、やっぱり・・・で。
わざわざ、熊本まで行って、敢えて、赤ちゃんポストに捨てる・・・という辺りが、如何にも、深い理屈抜きに、こういうことをしそうな福岡人だという気がしたんです。
でも、昼の3時頃でしょ。
誰も見てなかったんですかね・・・などと思っていたら、今度は、ゴミの中から赤ちゃんが出てきたとか、空き家に嬰児が捨ててあったなどというニュースが次から次と・・・。
とにかく、なんとも、やりきれない話です。

で、その上で、この問題での私の考えを言わせて頂くなら、「反対で賛成」ですが、この続きとお叱りは、明日に続くのココロだー・・・。

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by heitaroh | 2007-05-29 08:38 | 思想哲学 | Trackback | Comments(2)

白鵬のはたき込みにみる観客は何を求めているかの論理2
親愛なるアッティクスへ

白鵬、優勝したみたいですね。
もう、横綱になるのは間違いないのでしょうが、これで、また、「昇進見送り」なんてことになった日にゃあ、日本モンゴル国際問題になりますよ・・・。
向こうじゃ、白鵬が横綱になったというコマーシャルまで流れているそうですから・・・(笑)。
で、ちょうど、白鵬の優勝と横綱昇進と言うこともあり、時節柄、以前書いたこのシリーズの続きです。
随分、間が空いてしまいましたが、よしなに・・・(笑)。

この話題ですが、改めて言うまでもなく、白鵬と朝青龍の大一番に白鵬が大相撲を展開することなく、「はたき込み」で勝ったことに対して、熱戦を期待していた観客から「金返せ!」のヤジが怒ったという物でした。
で、この件では、前回、私は、「やはり、アスリートもプロである以上は、ただ、勝てばいいということではなく、観客を堪能させた上で勝たねばならない・・・ということだ」というふうに述べさせて頂きました。
覚えておられますでしょうか。
この点で言えば、かつて、北ノ湖輪島が、横綱同士全勝同士のまま、千秋楽結びの一番を迎えたことが何度かありましたよね。
でも、その一番では、両力士とも、力の入った大相撲を展開し、そして、決まって、熱戦の末、ほぼ、交互にどちらかが勝ってました。
この対決には、あるいは、筋書きがあったのかもしれませんが、それでも、少なくとも、この大一番を見終わった観客は、熱戦の余韻に酔いしれて帰途についたのではないでしょうか。
観客は、ただ単に、試合を見に来たのではなく、天下分け目の大一番を見に来たのではないかと・・・。

この点は、かつて、昭和58年(1983年)、江川、西本、中畑、原、篠塚を擁した古豪球団・巨人と、田淵、山崎、東尾、石毛、森を擁した新興球団・西武との間に繰り広げられた「史上最高の日本シリーズ」を思い出します。
両球団とも、他球団を圧倒するほどの戦力で勝ち進んできてのシリーズだっただけに、まさに、横綱同士の一騎打ち・・・というに相応しい陣容で、私もわくわくしながら見守った記憶がありますが、試合は、その期待に違わず、一進一退の展開で、一旦、王手をかけられた西武が、逆に4勝3敗の接戦の末に巨人を下す・・・という内容でした。
やはり、興業という点では、大一番というのは、こういう、ファンを惹きつけるような展開でなければならないと思います。

また、いずれ別稿で加工と思っているのですが、漫画、「あしたのジョー」では、主人公の矢吹 丈は、宿敵、力石 徹が去った後で盛り上がりに欠ける少年院でのボクシング大会で、一旦、リングに上がるや、相手に好きなだけ打たせておいて、「え?!」と思わせておいて、一転、逆転KO・・・という挙に出たことがありました。
で、盛り上がらない試合に歓声を起こした・・・と。
少し極端な例かもしれませんが、ある意味、これこそが、ただ強いだけではない、客が呼べる「プロ」のプレーではないでしょうか。

プロに入って1年目のときの巨人の堀内恒夫投手は、母校の監督から、「一回り大きな帽子をかぶれ」と言われたといいます。
如何にも、力投しているように見える・・・ということだったようですが、それを聞いて、堀内さんは、「いいですよ、そんなの」と言ったそうですが、監督さんは、「いや、これまでの高校野球とは違い、プロでは、何か、アピールするものがないといけない」と言われたとか。
アマチュアの草相撲なら、ただ、強いだけでもいいかもしれませんが、白鳳は「プロ」だという意識を持つべきでは無かったか・・・と。
横綱になったら、是非、この点を自覚して精進していただきたいと。
相撲の横綱だけは、他のチャンピオンと違い、「品格」というものが条件の一つにあげられていますが、「品格」というものの中には、こういうことも含まれているのではないかと思う次第です。

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by heitaroh | 2007-05-28 17:08 | スポーツ | Trackback(1) | Comments(2)

平 将門、独立失敗の要因
親愛なるアッティクスへ

以前、義経所縁の奥州平泉・金色堂(岩手県)に行ったことがありますが、私は金色堂よりも、むしろ、その周囲の雰囲気に感銘を覚えました。
世に入れられぬ者たちの無常の声が聞こえたような気がして・・・。

 「いにしえの いにしえびとの いにしえに
       えにしうけにし 幽明の里」
   梁庵平太郎

で、義経と言えば、大河ドラマで同じ時代を扱ったものに「草燃える」(1977年放送)というのがあります。
(もちろん、大河では他にも度々、採り上げられてますが、それは一旦置くとして・・・。)

e0027240_17121825.jpgこの「草燃える」は例によって、現代の倫理観を無理矢理反映させた勧善懲悪式発想が随所に見られ、当時はあまり好きではありませんでした。

「おんな太閤記」しかりで、女性が主人公になったときに、特にこの傾向が強いようですね。)

で、最近、ビデオでこれを見て、改めて思ったことがあります。
石坂浩二扮する源 頼朝は、ご本人そのままに(?)育ちの良さが良く出ていましたネ(笑)。石坂氏曰く、「このドラマは、地方の資産家のところに婿養子に入った男の話だと思えばわかりやすい」とのこと。なるほど、確かに(笑)。)

このドラマは、主役は岩下志麻扮する北条政子でしたが、全編を通して背景を彩るのは、当時の関東地方の住人である板東武者でした。
そこで思ったのが、何故それ以前の平 将門は失敗して、急速にあの時代から、坂東武者が力を持ち始めたのか?ということでした。
そこで思ったのが、ひょっとして、平安末期あたりから急速に関東圏では人口が増加していたのではないか?ということです。
何があったのかは、わかりませんが、あるいは、「2℃ほど気温が上昇した」とか、「関東ローム層に適した農業技術の開発普及があった」・・・などの、何らかの変化があったのではないでしょうか。
それにより、箱根以西で食えなかった人たちが、広大な関東平野への入植へ続々と流れ込んだのではないかと。
かつて、多くの日本人が満州フロンティアを夢見たように・・・。

もちろん、当時は、家康入植前ですから、現代と違い、江戸などの沿岸地帯は葦が生い茂る湿地帯だったでしょうが、ちょっと内陸に行けば、一国すべてが武蔵野と呼ばれるススキが生い茂る平野だったのですから、開墾により、一族を養おうと夢みたことは十二分に考えられたと思います。
この点で、将門の時代には、哀しいかな人口の絶対数が足りず、関東に割拠(独立)するには国力として限界があった・・・というのが、将門の「叛乱」が失敗した真の理由であるように私には感じられますが、如何でしょうか・・・。
                         平太独白
by heitaroh | 2007-05-26 00:01 | 歴史 | Trackback | Comments(2)

郷ひろみの至言にみる我流から基本を経て我流に至るの理
親愛なるアッティクスへ

以前、歌手の郷ひろみさんが、NHK「英語でしゃべらナイト」という番組に出ていました。
(お!「郷ひろみ」は一発変換しますね。さすがの知名度というべきでしょうか(笑)。)
私は、英語はまったく、わかりませんし、わかろうとも思っていない人間なのですが、この番組は、単なる英会話勉強番組ではなく、 英語を学ぶつもりなど無い人間にも、情報番組としても、なかなかに楽しめる番組ですので、割とよく見ています。
で、その番組での彼の話を聞いていると、さすがに、この世界で何十年も飯を食ってきた人だけあって、なかなかに含蓄に富んだ話をされていました。

e0027240_11375313.jpg

まず、彼には、大切に思っている3つのことがあるとか。
即ち、「考える、行動に移す、繰り返す」・・・と。
彼の言葉を借りれば、「人間は他の動物とは違い、考えるという能力を持っている。でも、考えたならば、それを行動に移さなければならない。そして、実行に移したならば、それを継続させねばならない」・・・と。
概略、こういう意味のことを言われたと思うのですが、これは、確かに・・・と。
継続は力なりとはよく言いますよね。

私も、このブログも、いい加減に飽きてきたな・・・と思っているところでしたが、3年だろうが、10年だろうが、30年だろうが、実行に移した以上は継続させねばならないんですよね。
継続させることこそが難しい・・・と。
でも、とかく、好きやすの飽きやす・・・と呼ばれる、熱しやすく冷めやすいアバウトな福岡人ですから・・・。
ま、適当に、続くまで続ければいっかなーと・・・。

まあ、それはさておき、次に彼が言っていたことで、なるほど・・・と思った言葉です。
「創造とは、徹底的に真似ることから始まる」・・・と。
この点は、囲碁棋聖にして、秀策流と呼ばれる独自の境地を切り開いた本因坊秀策も、本因坊家に入ってすぐは、徹底的に先人棋譜を真似ることから始めたといいます。
スポーツでも、いくら我流から入っても、慣れてくればくるほど基本に近づいてくるもののようで、その意味では、王 貞治さんの一本足打法などというのは、「基本を超越すると我流に至る」・・・というところでしょうか。
落合博満、イチロー、野茂といった人たちの一見、奇をてらったようなフォームというのも、決して、素人の思いつきなどではなく、血のにじむような練習の末に、基本を超越してたどり着いた境地なのでしょう。
その意味では、郷ひろみさんのこの言葉にはなるほど・・・と思い、聞き耳を立てていたのですが、彼は続けて、「僕がアチチ~♪と歌っていたのも、オリジナルの歌を徹底的に真似して、そこから、自分のオリジナルを作り出したんだ」・・・と。
でも、それって、結局、物真似の範疇から出てないのでは???と思ったのは私だけ・・・(汗!)。
                             平太独白
by heitaroh | 2007-05-25 00:35 | 思想哲学 | Trackback(1) | Comments(2)

吉野ヶ里遺跡に遊び邪馬台国のロマンを想う その3
親愛なるアッティクスへ

またまた、昨日の続きです。

ここで、畿内説の疑問点である方位についてですが、そもそも、私は、中国人というものは、方位というものには、かなり、アバウトな民族なのではないか・・・という感があります。
かつて、三国志などを読んでいて、その方位のいい加減さには、かなり混乱させられました。
「赤壁の戦い」で有名な赤壁も、記述を読めば、明らかに南なのに、なぜか西だったりします。
「こっちから来た軍が、こっちに向かって、ここで戦うぅ???」みたいな(笑)。
ましてや、倭国などという、中華思想以前に、何ともしれない未開の蛮国でのことですから、方位に関する記述など、「南」でも「東」でもいい・・・、船出したときに、「南」と思ったので、「南でいいや」ということになったとしても不思議はないのでは・・・と。

と、まあ、畿内説を採る意味について述べてきたわけですが、ただ、九州説も捨てきれない部分があります。
といいますのも、魏志倭人伝の記述を詳細に読んでいくと、北部九州一円だけの、ごく狭い範囲での記述のようにも感じるからです。
で、畿内説を採ると言いながらも、イマイチ、捨てきれない邪馬台国=北部九州説についても、敢えて、触れておきたいと思います。

まず、吉野ヶ里遺跡=邪馬台国説ですが、私も、遺構などが、魏志倭人伝の表記と合致するからと言っても、おそらく、この構成は、当時のそれなりの規模の国では、標準仕様だったのではないかと思っており、それだけで、吉野ヶ里遺跡が邪馬台国だと類推するには、ちと、説得力に欠けるかと・・・。

e0027240_18212773.jpg一方で、魏志倭人伝には、「女王国より北には、一大率という指令官を置いて諸国を監視させている。一大率は伊都国にいる」という記述もあり、その記述通りに見てみたならば、伊都国のある福岡県糸島郡の南には、まさしく、吉野ヶ里遺跡があるのです。

ただ、その吉野ヶ里遺跡ですが、その展示や説明書きなどでは、かなり論争に気を遣った書き方をしており、「ここが邪馬台国だ!」というような直裁的な表現は一切無かったですね。

で、そもそも、魏志倭人伝そのものの信憑性を問う説もあるようですが、確かに、どの程度、信憑性があるのか・・・と言われれば、極めて、頼りない気もしますが、私はある程度、信用して良いのではないか・・・と思っています。
対馬壱岐などの記述は、地政学的に見ても、現代のそれとかなり合致してますし、それ以降のものも、部分部分を見る限りでは、「水行20日」のように、考えようによっては符合していると思われる記述もあるからです。
おそらく、この魏志倭人伝の記述の基になった報告者たちは、実際に使節団の一員として、日本に来ていたように思えます。

で、結論を言えば、私は、この魏志倭人伝が記された少し前辺りに、邪馬台国は吉野ヶ里辺りの北部九州から、畿内へ移ったのではないかと考えています。
いわゆる、神武東征というやつですね。
で、おそらく、使者は数度にわたり、その時々で、邪馬台国を訪ね・・・、つまり、北部九州期にも、畿内期にも派遣されていたことで、使節が派遣された年代と人により、混乱してしまったのではないか・・・と。
まあ、本店所在地が変わった取引先の場所を尋ねるのに、前の担当者と今の担当者に聞いたら、前の担当者が移転したことを知らなかったことで混乱してしまった・・・ようなものでしょうか。
如何ですかな、卑弥呼の子孫各位様・・・(笑)。
                                       平太独白
by heitaroh | 2007-05-24 00:12 | 歴史 | Trackback | Comments(7)

吉野ヶ里遺跡に遊び邪馬台国のロマンを想う その2
親愛なるアッティクスへ

続きです。

まず、私が畿内説を採ったのは、この魏志倭人伝における「水行」という記述です。
対馬壱岐などに行く場合の記述は、はっきりと、「海」と書いてあるのに対し、ここでは、「水行」とあります。
このことから、これを海ではなく、「川」だという人もいるようですが、いくら当時の交通事情でも、水路を20日と10日の計30日も行けば、仮に九州最大の大河、筑後川であったとしても尽きてしまうし、九州内からはみ出てしまうのではないでしょうか・・・。

e0027240_16532692.jpgやはり、敢えて、「水行」とはっきり書いてあることは、外してはいけないと思うのです。
この点は、はるばる、玄界灘を渡ってきた外国人から見れば、瀬戸内海は川なのか、海なのかわからなかったのではないかと。
川でも、下流だと、塩分濃度は高いしですね。

おそらく、奴国の次に記載されている不弥国というのは、現在の福岡市北九州市の中間付近だと思いますが、ここから、「南」へ行ったというのは、門司から瀬戸内海を行く場合、一旦、周防灘南下しますので、この報告者は、途中で「東」へ向きを変えたことに最後まで気づかず、「南」へ向かっていると思いこんでいたのではないかと思います。
そう考えれば、水行20日という投馬国は岡山県辺り、そこから、水行10日大阪・難波の津に上陸・・・というのは、割と当を得た記述ではないでしょうか。
この時代より、約1500年後の安土桃山時代、当時の毛利家当主であった毛利輝元が初めて豊臣秀吉に謁見するために瀬戸内海を東上した際に、広島から大阪まで、船旅で15日間かかっています。

動力という点では大差なかったでしょうが、船の装備、受け入れ側の施設、航海技術などの面では、おそらく、かなりの差があったと思われます。
ただ、一方で、この旅自体は、かなり、のんびりした旅であったこととを考えれば、ある程度、参考にして良い日数なのではないかと・・・。
それに、広島からの船出であり、「伊都国と奴国間が100里、奴国と不弥国間も100里」という魏志倭人伝の記述に従えば、少なくとも、船出は現在の福岡市と北九州市の中間に位置する宗像郡・遠賀郡付近ではないかと思われ、そこからの距離を加えたならば、おおよそ30日弱になるのではないかと・・・。
ただ、わからないのは、むしろ、「水行」を終えて、上陸した後の記述でしょうか。
大阪・難波の津に上陸したとして、そこから、陸路を1月も行けば、これまた、かなり遠方まで行って、近畿地方を突き抜けてしまうのではないかと思うからです。
1月というのは、今日の30日ではないのかもしれませんが、それにしても・・・と。

・・・という、ここから先の続きは明日のココロだ~。
                               平太独白
by heitaroh | 2007-05-23 00:48 | 歴史 | Trackback | Comments(4)

吉野ヶ里遺跡に遊び邪馬台国のロマンを想う その1
親愛なるアッティクスへ

先日、佐賀吉野ヶ里遺跡に行ってきました。
ちょうど、ガキが、学校で弥生時代のことを習っているというので、テストを見てみたら、地名こそ載ってませんでしたが、そこに出ていたのは、まごうことなき吉野ヶ里遺跡でした。
で、ここなら近いし・・・と。
(うちから、高速でジャスト1時間です。)

e0027240_18435546.jpg私も久しぶりだったのですが、復元遺跡はもとより、それなりの遊戯施設もあるし、結構広いし、さらには、弥生人に扮した地元の人たちが、「勾玉作り」「火熾し」、「縄結い」などを催してくれていて、子供たちも、割と退屈せずに一日が過ごせました。

(↑吉野ヶ里遺跡です。東南アジアではありません(笑)。)

難を言えば、昼飯時、付近には食事をするところなど無く、であれば、吉野ヶ里歴史公園内のレストランで食事をするしかないのですが、これが実に手狭で、席の奪い合い・・・
もう少し、外でも食べられるように考えればいいのに・・・と思いましたね。
ま、味自体は、こういうとろこのレストランにしては、思ったよりは、まずまずでしたけど・・・。

で、邪馬台国がどこにあったか・・・です。
「女王・卑弥呼の都する所」として記された「邪馬台国」はどこにあったのか・・・です。
これは、大別して、九州説と畿内説があるようですが、実は私は九州人でありながら畿内説を採ってます。
それは、中国の史書、魏志倭人伝のその記述にあります。

魏志倭人伝に登場する国々のうち、「狗邪韓国」、「対馬国」、「一大(支)国」、「末廬国」、「伊都国」、「奴国」の位置については、ほとんど異論なく推定が為されているようですね。
問題は奴国から先で、「100里行くと不弥国(ふみこく)に至る。長官は多模(たも)、副官は卑奴母離。1000余の家」、さらに、「水行20日投馬国(とうまこく)に至る。長官は彌彌(みみ)、副官は彌彌那利(みみなり)である。5万戸余」 、そして、「水行10日陸行1月で女王の都のある邪馬台国に至る。官に伊支馬、弥馬升、弥馬獲支、奴佳碑があり、人口は7万余戸 」とありますが、この記述を単純に当てはめると、邪馬台国は日本列島のはるか南の海上に位置するようになってしまうようで、論争の種もここにあります。

私は、この報告書(?)を書いたのは、実際に邪馬台国に使いした中国人の記述を基にしたものだったのではないかと思っています。
言葉の問題などで、そう思える部分があるからです。

明日に続きます。
                                     平太独白
by heitaroh | 2007-05-22 00:38 | 歴史 | Trackback | Comments(4)

ホークス快勝の夜に想う私だけが知るプロ野球勝利の基準
親愛なるアッティクスへ

先週、久々に福岡ヤフードームに行ってきました。
福岡ソフトバンクホークス対オリックスバッファローズ戦でした。
(オリックスといえば、私的には、ローズ衰えていないのには驚きますけどね。)
その前日が、「球音を楽しもうデー」だったとかで、鳴り物での応援が禁止されていたので、 どうも、ああいうお遊戯みたいな応援が嫌いな私的には、この日も期待していたのですが、どうやら、一日限りのことのようで何とも残念至極でした。

e0027240_16415436.jpgで、この日は、予告先発の顔ぶれを見て、これは厳しいかな・・・と思っていたら、見事なまでに快勝でしたね。
試合後、勝つといつも開くドームの屋根が、この日は悪天候のため、開かなかったのですが、それはそれで、なかなかよかったですよ。

(↑何だか、映画、「未知との遭遇」みたいでしょ(笑)。)

で、野球といえば、私的には、実は、先日、歴史的な大事件がありました。
RKBラジオを聴いて、福岡ソフトバンクホークス勝利したのです!
・・・これは、福岡県には、今も昔も、AMラジオの民放局はRKBKBCの二つがあるのですが、私が中学生くらいから、野球をラジオで聞き出して、以来、RKBで野球放送を聴いて、贔屓チームが勝ったためしがなかったのです。

最近はどうかわかりませんが、昔は、音質の方が、RKBラジオの方が少し良かったんですよ。
だから、できれば、RKBラジオで聴きたかったのですが、ところが、KBCラジオを聴いての勝率は、まあ、勝ったり負けたりだったのですが、RKBラジオを聴いてのそれは、見事なまでに1勝もできていなかったのです。
そのジンクスはもう、見事な物で、「6-0で勝っているからRKBに変えても大丈夫だろう・・・」と思い、チャンネルを変えると、段々と旗色がおかしくなってきて・・・、「あ、これはいかん」と思い、慌てて、KBCに戻したところが、すでに手遅れで逆転負け・・・なんてことも、多々・・・どころか、100%ありました。
それが、先日、間違って、一瞬、RKBを聴いてしまい、慌てて、KBCにしたのに、何と、そのまま、ホークスが逃げ切って勝ってしまったんですよ。
実に、歴史的な出来事でした(笑)。
これって、息子に、「RKB聴いたら負ける」と漏らしてしまったからでしょうか・・・。
今まで、誰にも言ってなかったんですけどね・・・。

e0027240_16443324.jpgついでに、もう一つ、私の野球でのジンクスを言うと、ランナー2・3塁や、ランナー3塁などの場面でホームランが出るようなチームは優勝できない・・・というのがあります。
これを端的に表しているのが、昭和51年阪神でした。

この年は、長打の阪神、連打の巨人と言われ、両軍が激しく優勝争いをした年だったのですが、巨人のそれが、1・2塁など、塁が詰まった場面で出るホームランだったのに対し、阪神のそれは、ことごとく、ランナー2・3塁などでのホームランばかりでした。
だから、去年も一昨年も、ランナー3塁でホームランが出た瞬間に嫌な予感がしましたし、その前の年は、優勝を競っていた西武戦で、西武にランナー3塁からホームランが出てホークスが落とした試合があったのですが、それを見て、「あ、これで、ホークスの優勝は決まった!」と思い、そして、その通りになりました。

ま、所詮、ジンクスですけどね・・・、確率100%の(笑)。

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by heitaroh | 2007-05-21 00:40 | スポーツ | Trackback(1) | Comments(2)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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