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背割り
親愛なるアッティクスへ

以前、とあるセミナーに行ったときのこと。
村上春樹と書いてあるかと思ったら、上村春樹でした(笑)。
ご存じかと思いますが(私は知りませんでした。)モントリオールオリンピックの無差別級優勝者だそうです。

e0027240_19421720.jpgかなり面白かったですよ。
「柔道で金メダルなんか取る人は子供の頃から運動神経抜群で精神力が強くて・・・なんて思ってるんじゃないですか?そんなやついたら、柔道なんかやらずにプロ野球選手になってますよ!」って言ってましたが、まあ、確かに(笑)。
その人自身、中学の時から運動なんて苦手で、100mを20秒で走ったとかで、未だにワースト記録を持っておられるそうです。
それから、「柔道は金で当たり前」、それでいながら、ヤワラちゃん始め、本命が何大会か連続で、皆、負けていると。
それほどのプレッシャーだということでしたが、私はそれを聞いているうちに別のある感慨が浮かんできました。

大工の世界では、銘木を仕入れてきたら、真っ先に、4面のうち一番悪い面を犠牲にして、上から下まで、丸鋸で一直線に切れ目を入れてしまうんです。
それを背割りと言います。
木は湿度によって収縮しますから、それを入れておかないと、木は収縮に耐えられず、あらぬところにひび割れが入ってしまうことになります。
背割りを入れることによって、一番抵抗が少ない部分で収縮しますので、他の面にひび割れが入らなくて済むのです。

私の知り合いで、両親は優しく、娘たちも皆、才色兼備、美人で一流大学を卒業・・・という、ケチの付けようのない家庭がありましたが、あることを境に、突然に家庭崩壊になってしまった・・・という方がいらっしゃいます。
要は、金メダルでも家庭でもこれではないかと。
うちの場合は、私と父との確執がありました。
それが我が家の背割りだったのかもしれません・・・。
(ちなみに、当家では次の世代の背割りも用意されつつあるようです(笑)。)
何の根拠もある話ではないのですが、なぜかふと、そう思いました。

で、柔道の金メダルも同じではないでしょうか?
氏曰く、本命中の本命万全の状態のときほど勝てない。
ヤワラちゃんも篠原井上康生も、皆、絶頂期で怪我もしてない・・・、だから、絶対に取れるもんだと思っていたと。
愚考致しますに、そんな状態の時というのは、余裕がありすぎるから気持ちを維持し続けるのが難しいのだと思います。
「この一球に賭けるしかない」と思うのと、「どの球で打ち取ろうかな・・・」と思うようなものでは。
私は常々、山下泰裕選手が、ロサンゼルスオリンピック金メダルを穫れたのは、怪我したからではないかと思ってました。
大本命の実力があったところに、大けがという背割りがあったから、よけいな余裕がなくなったから勝てたと・・・。
まあ、上村先生の話では相当、運も味方したみたいですけどね。
                              平太独白
by heitaroh | 2007-04-28 17:30 | 思想哲学 | Trackback | Comments(8)

権力とは何ぞや
親愛なるアッティクスへ

e0027240_1810239.jpg豊臣秀吉が低い身分から、一代にして築いた豊臣家。
しかし、その豊臣家も、秀吉の晩年に出来た息子、秀頼の時代になると、妙な名門意識ができていることにおかしさをこらえ切れません。
母方が名門・・・と言ったところで、秀頼の母・淀殿は父方である浅井家も母方である織田家も、その数代前から下克上で身を起こしてきたに過ぎず、天皇家を取り巻く公家などから見れば、浅井、織田、豊臣家程度で名門意識なんて、笑止千万だったでしょう。

(←豊臣秀吉の旗印、千なり瓢箪だそうです。でも、私的には、「ほんまもんかいな・・・」と、少し、眉唾・・・(笑)。)

面白いもので、明王朝の創始者・朱元障もまた、流民の中から一代にして王朝を築いた人物ですが、この王朝も末期になると名門意識が出てきています。
流民だったことは、はっきりしているのに・・・。

思えば、人間とは、とかく権力というピラミッドを造りたがるもののようです。
では、権力とはなんぞや・・・とよくよく突き詰めて考えれば、体力や経済力のように実体があってのことではないわけで、つまりは、「人がそれに従う」という意識を持つということが前提でしょう。
だから、体力が無い人でも、一旦、権力を持つと、体力がある人を大勢使って、如何に強靱な肉体を持った人でも拘束してしまうことができるわけでですね。

これは、人は、権力を持つ者への反発よりも、権力、権威に対してすり寄ろうとする傾向が強い・・・ということも側面としてあると思います。
つまり、権力を倒して権力を握るよりも、権力に近づいて権力を握る・・・ということでしょうか。
古代ローマの晩期には国境を突破して侵入し占領してしまった蛮族に対し、ローマ皇帝は「総督」の地位を与えることで懐柔しようとしたと聞いていますし、同様のことは、中国の王朝においても耳にします。
発想の転換と言えばそうとも言えるでしょうが、一定の権力を持った者はより以上の権力をほしがるもので、苦肉の策であることには違いないと思います。
(ある意味、「金印」などというのも、それと同義のものだったかもしれません。)

ただ、「権力に従う」という意味では、人は本来、「人は命令されることを本能的に拒絶する」ものだと言われています。
誰しも、「おい、おまえ、あれやれ!」と言われて、素直にやりたい!と思う人も少ないでしょう。
一方で、「士は己を知るもののために死す」という言葉もあります。
本能寺の変の時、織田信長の小姓団は、粛々と一斉に迎撃体制をとったと言います。
淡々と、誰一人、狼狽える者もなく、逃げ出す者もなく・・・です。
つまり、「人は命令されることを喜ばない」ものだが、「素晴らしく命令されたときには、喜んで従う」という一面もあるわけですね。
                          平太独白
by heitaroh | 2007-04-27 08:05 | 思想哲学 | Trackback | Comments(4)

不覚にも落涙仕り候の映画「力道山」 その3
親愛なるアッティクスへ

e0027240_1050284.jpg先日から、色々と触れております、映画、「力道山」についてですが、他にも、色々と思ったことがあります。
まず、昔の相撲部屋というのはある意味、たこ部屋と一緒で、とんでもない環境だったんですね。

力道山の弟弟子にあたる初代若乃花(いわゆる、「花田まさるし~」兄弟の伯父さん)が相撲部屋に入ったときも似たような話は聞きましたが(初代若乃花は、力道山の足に噛みついたとか・・・。)、まあ、考えてみれば、元来が、食えない農家の口減らし的な要素も大きかったんでしょうからねえ・・・。
あまりの過酷な環境に耐えかねて夜逃げしたなどという話もあったようで。

特に、力道山の場合は、朝鮮人ということで、昇進も含めて、何とも、陰湿な仕打ちが為されたようで、それらのことが描かれてましたが、もっとも、この点は、どの業界でも、当時は似たり寄ったりだったでしょうか。
親元で食っていけない子供たちは、商家に丁稚奉公に入るにしても、職人噺家などの世界に弟子入りするにしても、今の感覚では考えられないくらいに、「陰惨な仕打ち」というものが少なくなかったと聞いています。
徳川家康が作り出した江戸時代階級固定社会というのは、驚くほどに細かい階級、仕切りが設けられており、上の階級が下の階級に意地悪をし、意地悪をされた階級の者は、さらに、下の階級の者に意地悪をすることで、自分の優位性を確認し、その積み重ねにより、徳川将軍家の支配に服す気運を成り立たしめていた・・・ということを聞いたことがあります。)

一方で、力道山は、相撲を辞めて、プロレスの草分けになるわけですが、当時の興業をとり仕切っていた暴力団とのことも、色々、あったようですね。
まあ、この辺は、以前、平太郎独白録 またもや「ザ・ヒットパレード」中編、功績、異論、そして真実。でも書いたことですが、当時、興業というものに暴力団が絡むのは当たり前のことであって、それに対して、初めて、一線を画したのは南こうせつさんたちの時代だったとか。
つまり、力道山も、プロレスという興業を始めるに当たっては、元手があるわけでもないし、銀行が貸してくれるわけでもない以上、否応なく、暴力団の協力を求めなければならなかったと。

映画、「力道山」では、それに従うことを、なかなか、良しとしない力道山が、だんだんと興業から排除されつつあったところで、不慮の死を得たように描かれていましたが、実際には、かなり、八百長はあったようですね。
でも、このプロモーター側の考えも、ある程度は、わからないではないんですよ。
観客が求めている物、観客の嗜好を知っているのは、選手よりも、収益面を見ている興行主側であることが多いわけで・・・。

続きは・・・、いずれ、続くかも・・・。
                                  平太独白
by heitaroh | 2007-04-26 08:38 | スポーツ | Trackback | Comments(2)

日露戦争開戦にみる福岡縣人・頭山満と堺利彦の是非 2
親愛なるアッティクスへ

で、続きです。

e0027240_9175854.jpg頭山 満翁は、日露開戦に先立ち、ロシアが満州を占領したとき、近衛や犬養毅らとともに国民同盟会を結成、対露強硬外交を主張して全国運動を起こしています。
このときは、ロシアが満州の兵力を一部撤退させたことで、間もなく解散したものの、その後、再び、大々的な世論動員を展開。
世論を沸騰させる一方で、開戦を逡巡する政界の大御所、伊藤博文をたずね、言外に生死をかけた威圧で開戦決意を迫るという実力行使にもでたとか。

(このとき、伊藤からは、「今は、君たちの名論卓説よりも、一発の砲弾が欲しい」という言葉が出たのは有名な話です。)

しかし、現代なら、テロ行為の一種とも言って良いようなこの行動も、当時の世論からは英雄視され、拍手で迎えられたとか。

では、日露戦争開戦を積極主張した頭山翁の主張とはどういうものだったのか?
曰く、「ロシアは、日清戦争で日本人が血と肉であがなった新領土・遼東半島を強大な力でおどしながら、もぎとるように清国に返還させた。日本の遼東半島領有は東洋平和の害になるとして、日本を追い出しながら、自分のやったことはなにか。ひそかに清国に手を回し、満州鉄道敷設権を手に入れたり、平和を口にしながら軍艦を派遣して日本から取り上げたものを自分で占領、25年間の租借権を獲得してアジア侵略の足場を固めた。これはカをかさにきて日本、清国をみくびった切り取り強盗そのままの無法なやり方だ。連理の上からも許しておけない。ドイツ、フランス、イギリスまでが、ロシアにならってそれぞれ清国の領土をもぎ取り、各地を租借、アジアは白色人種に食い荒らされて亡国一歩手前の状態。どこに白人のいう正義があるのか」と。
そして、頭山翁の心配を裏付けるように、ロシアは、満州に続々と軍隊増派する動きを見せ始めます。
となれば、「日本の受けた屈辱をそそぎ、東洋人の手で東洋の平和を守る為には、ロシアを討ち、西洋列強をアジアから追い出すしかない」と。

頭山翁の行動を受け、燃え上がった世論の中で、慎重論が強かった政府も、もはや、開戦不可避とみて、明治37年1月、ついに、開戦の方針を決定します。
これにより、一気に、挙国一致、国をあげて、取り憑かれたように戦争へと走り始めた世情の中で、敢えて、強硬に反戦論を唱えた人物が出てきます。
その代表的な人物の一人が、福岡県出身 堺 利彦でした。
日露戦争をめぐって、開戦・反戦両極端の運動の先頭に立ったのは、いずれも、福岡県人だったという・・・。
日露戦争における福岡人の活躍に関しましては、以前から、平太郎独白録 「日露戦争と福岡人の奮闘に見る、男装の女傑と人参畑!」などの中で触れてきましたが、思えば、維新後、鳴かず飛ばずだった福岡県人も、この頃から、ようやく各界の一線に立つようになってきた・・・ということだったのでしょうか。

明日に続きます・・・続くと思います。
                          平太独白
by heitaroh | 2007-04-25 08:01 | 歴史 | Trackback | Comments(2)

日露戦争開戦にみる福岡縣人・頭山満と堺利彦の是非 1
親愛なるアッティクスへ

e0027240_8522936.jpg最近、白州次郎という人がもてはやされていますよね。
しかし、私はこういう、すべてに渡って、ケチの付けようがない、素晴らしい人・・・を額面通りに受け取ることには、少し、首をかしげます。
少しマイナスの評価もあって、それを勘案して、初めて評価を下すべきではないのかと・・・。

実際、会田某という人の古いの著書の中には、白州次郎のことを、「戦後のどさくさに紛れて、広畑製鉄所英国資本に格安で払い下げようとした売国奴」などと書いてあるものもありました。
これが、事実なのかどうかは別にして(私も、この点に関しては、かなり、誤解ではないかと思いますが・・・。)、こういう、悪いことの一つも言われ、その上で、それらを勘案して、自分なりに評価するべきだと思うのです。
つまり、悪い評価がない、良い評価だけの人・・・というのは、ある意味、偏った見方になってしまう・・・ということですね。

その意味では、最近、「周恩来秘録」という本が出ているそうですね。
聖人君子化された中国の周恩来元総理の虚飾を暴く、つまり、悪い部分に触れた本だそうで、私もまだ読んではいないのですが、是非、読んでみようと思っています。
もっとも、それを読んでも、私の周恩来という人物への評価は変わらないと思いますけどね。
「やれもしないことをやるよりも、やれることの中で最善を尽くす・・・ということの方が結果的には成し遂げられる成果は大きい」というのが私の考えですから。
ただ、往々にして、この手の話には、「やれもしなかったことをやろうとしなかったことへの批判」というのがつきまとうようですが。

で、左右両極の異なった意見を聞いて、ことの是非を判断するという意味で、日露戦争開戦前夜の二人の福岡県人の動きを採り上げてみたいと思います。
まず、一人目は、以前、平太郎独白録 「日露戦争と福岡人の奮闘に見る、男装の女傑と人参畑!」でも、紹介しましたが、日本の右翼を作った人・・・とも言える、筑前福岡藩出身、頭山 満翁です。

で、頭山翁の日露戦争に対する考え方と行動については、明日以降(?)に続きます。
                          平太独白
by heitaroh | 2007-04-24 08:51 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

元祖堀内伝説・2
親愛なるアッティクスへ

またまた、先日の続きです。
堀内恒夫氏の著書ですが、この本は、本当に面白かったです。
この堀内氏の本の中から、今でも記憶に残っている部分があるのですが・・・。
それは、先日も申しましたように、堀内恒夫という人はONをバックに擁しながら・・・、203勝も挙げながら・・・、王・長島の次、江夏と並ぶほどの知名度を誇りながら・・・も、当時の一流投手の条件であった20勝(今で言うなら、10勝経験というところでしょうか。)というものを1度しか経験してないんですね。
ただ、その年、昭和47年には、26勝を挙げ、最多勝はもとより、巨人の9連覇中、王と長島以外には誰も獲ったことがなかったMVPにも輝くほどの活躍を見せています。

この年は堀内にとって、どういう年だったか・・・。
それは、実父がガンで、余命幾ばくもない時期だったそうです。
そんなとき、堀内が勝利を挙げて、父が入院している6人部屋に見舞いに行くと、病室で拍手が湧き、そのたびに、父が泣いて喜ぶのだとか・・・。
天才・堀内恒夫が、初めて、本気を出した瞬間だったのでしょう。
ところが、その反動で、翌年は12勝17敗で全く振るわず、チームはリーグ優勝を果たした物の、日本シリーズが始まったときも、堀内は、まったく、主戦力に入れてもらえなかったとか。
その年、昭和48年の日本シリーズ、巨人の相手は、智将・野村克也プレーイング・マネージャー率いる南海ホークス
堀内の父の病状は、一層、悪化し、病院から「帰宅を許され」てしまったとか。
つまり、「もう長くはない」ということですね。
このシリーズ、シーズン中絶不調の堀内は、シリーズ全体でも登板がないことが自分でもわかったそうです。
以下、物語調に・・・。

そんな第二戦、寂しさを紛らわす為、言われたわけでもないのに、独り、ブルペンで投げていた堀内に、突然、登板命令が下る・・・。
先発投手が突然、崩れたのである。
慌てて、マウンドに上がった堀内が見た物は、7回裏、南海の攻撃で、1対0、巨人リードながら、無死満塁の光景・・・。
ここで、堀内の頭には、「長くはない」父の枕元に、日本シリーズMVPの賞品を持って帰ってやることがひらめく・・・。
「勝ちたい・・・。」
堀内の天才性に火がついた瞬間だった。

堀内は、この場面、犠牲フライで1点を失ったものの、次打者をあっさりと併殺に討ち取り、この場面を凌ぎきるや、延長戦で堀内自身が決勝タイムリーを放ち、巨人はこのシリーズ初勝利を挙げる。
そして、続く第三戦、堀内は先発し、完投勝利、そして、自ら2本ホームランを放ち、見事、シリーズMVPに輝いた・・・。

おっと、時間です(笑)。
また、いずれ・・・ね。
                                平太独白
by heitaroh | 2007-04-23 08:48 | スポーツ | Trackback(2) | Comments(4)

百年後の教科書にみる勝者の真実
親愛なるアッティクスへ

e0027240_149294.jpg先日、帰宅したら、子供が新しい教科書をもらってきておりました。
教科書問題が外交問題にまで発展している昨今、ちょっと、歴史教科書を見せて貰いましたが、もう、昔の味気ない物とは随分違いますね。
それに、5年前まで載っているという・・・。

それって、まだ、歴史じゃないでしょ・・・みたいな。
ていうか、我々はもう、歴史上の人物何ですね(笑)。

で、それはさておきまして、ふと考えたことがあります。
ご承知の通り、1991年、この年、世界は大きく動きました。
それまで、アメリカ合衆国と共に、世界を二分してきた世界帝国、ソヴィエト社会主義連邦共和国、略して、「ソ連」崩壊し、この地上から消え去ってしまったことです。
これは、東西冷戦終焉と共に、共産主義世界の行き詰まりを、世界に対し、イデオロギー否定と共に白日の下にさらけ出すものとなりました。

そして、それから、はや歳月が流れたわけですが、その後、唯一の世界帝国となったはずのアメリカは、今日、何故か精彩がないようです。
アメリカに限らず、日本EUを初めとする資本主義国の多くでも、あまり、いい話は聞こえてきません。
中国が一人勝ちのようにも見えますが、これも、又、内実は、極めて不安定であり、アメリカ発、日本発、いや、中国発の世界恐慌が・・・と、囁かれて久しい昨今です。
そう考えてきたところで、ふと、思いました。
果たして、行き詰まったのは共産主義だけなのであろうかと。

十年や二十年などというのは、歴史の長いサイトからすれば、ほんの一瞬です。
昔、我々の中学生時代くらいには、教室の後ろの壁に歴史年表が貼られていたと思いますが、その中で、中国の古代王朝「新」というのがあったのを覚えておられますでしょうか?
前漢後漢に挟まれ、ほんの少し、筋のように記載されていたやつです。
でも、その「新」でも、実際は、15年も続いているんです。
そう考えるならば、あるいは百年後の歴史の教科書には、「第二次世界大戦後の世界を「冷戦」という形で支配した共産主義体制資本主義体制であったが、皮肉なことに1990年頃から共産主義が相次いで崩壊したのに続き、次いで2000年をまたいだ辺りから資本主義社会が行き詰まりだした。」との記述が載っていないと言えなくもないような気がします。
                            平太独白
by heitaroh | 2007-04-21 08:40 | 国際問題 | Trackback(1) | Comments(4)

アジアには王様が必要
今のイラクアフガンを見ていて、つくづく思いましたが、アジアにはまだ、王様が必要なんですね。
「何をばかなことを!」と言われるでしょうが、それを端的に表すのが、蒙古来襲の折、果たして時宗の決断と、江戸幕府におけるペリー来航への対応です。
結論を言えば、「いずれにしても幕府は滅びる」ということだったでしょう。
つまり、鎌倉幕府は国内の威信は保てたものの、対外的には存亡の危機を招き、撃退することこそできたものの、その結果としての財政負担に耐え切れず、自らを滅亡に追い込む事となり、江戸幕府は対外戦争は回避できたものの、自らの弱体化を白日の下にさらしてしまい、それが国内諸勢力からの侮りにつながり、ひいては倒幕勢力の台頭を招き、結果的に自らを滅亡に追い込んでしまったわけです。

戦った鎌倉幕府と戦わなかった江戸幕府。
即ち、北条氏にしても、徳川氏にしても、武力を背景にして成り立っている政権というものは、その君臨基盤は、端的に言えばガキ大将的なものであり、一言で言うならば「彼は強いから逆らえない。」だったと思います。
強いから威張っている。そこに理屈はないわけで、自分の村のガキ大将が強いから誰も理不尽な事をされても文句を言わないわけで、それが隣村のガキ大将にはヒト睨みで何もいえなかったりすると、いきなり、威信は地に落ちるわけです。

で、何が言いたいかと言うと、日本はアメリカ様の占領政策という、恩恵(?)を受けたが為に、やや趣を異にしていますが、アジアでは今日でも多かれ少なかれ、幕府と大差ないということです。
即ち、イランにしても、北朝鮮にしても、たとえどんな大敵でも腰を屈したりしないんだと言うポーズを取らなければならず、彼らが、わずかでも屈する姿勢をとったならば、一瞬にして、彼らの威信は地に落ち、あるいは、生命を維持することすら、おぼつかなくなるでしょう。
だから、彼らは本音とは別に、強気の態度を取り続けなければならず、この点を考えるなら、アメリカは彼らのこの点だけは立ててやる度量外交を展開するべきだと思います。
北朝鮮に対しても、今、安易に経済制裁を叫ぶ人が増えてますが、彼らがいなくなることは、その地域にとっては、とてつもない真空状態を招く事につながり、それは混乱、混迷・・・、大変危険な事だと思います。
拉致の問題にしても、不誠実でも交渉相手がいる交渉と、交渉相手さえいない状況ではどちらがいいのでしょうか?

話が横道にそれましたが、ここで、王様は誰でもいいというわけではありません。
今日でも、社長の息子が社長になっても、「仕方ない!」であきらめもつくでしょうが、ドングリの背比べの副社長の中から・・・ということになれば、「何であいつなんだ!」となるでしょう。
次の天皇には天皇の子供がなるから誰も文句を言わないわけで。
源頼朝を担いだ鎌倉の御家人たちもそういう心理であり、執権となった北条氏がその後、他の御家人衆と「仁義なき戦い」を繰り広げなければならなかったことも、これに起因するかと思います。

人間、貴種がないとまとまらない世界もあるんですよね。
まさしく、今のアフガンやイラクなどが、これに当たると・・・。
つまり、きれい事、いい悪いではなく、アジアにはまだまだ、王様が必要だと思います。
その意味では、GHQ天皇を排除しなかったのは、まさしく正解だったでしょう。
そして、それだけに、アフガニスタンやイラクのブラックホールのような混迷が心配でなりません。
                                    平太独白

by heitaroh | 2007-04-20 00:49 | 国際問題 | Trackback(5) | Comments(6)

20世紀はアメリカの時代だったのか?
親愛なるアッティクスへ

19世紀イギリスの時代、20世紀アメリカの時代と言われますが、果たしてそう断じきっていいのでしょうか?
パクス・ブリタニカの時代の19世紀、世界に冠たる大英帝国を追い上げる二つの新興勢力。
ひとつは、南北戦争を巨大なボイラーのようにものすごいエネルギーで推進しつつあるアメリカ
もうひとつは、ビスマルクのもと、オーストリア、フランスを立て続けに破り、プロイセン統一を成し遂げた日の出の勢いのドイツ
そして、結果的に二度の大戦でドイツの挑戦を跳ね返したアメリカは、イギリスの後継者としての超大国の地位を確定するわけですが、では、果たして、本当に今はアメリカの時代なのでしょうか?

かつて、西アジアにおいて、バーヤジィード1世によって建国され、日の出の勢いで中東を席巻しつつあったオスマン・トルコ
その前に立ちふさがったのがチンギスハンの再来を目指す、一代の英雄、ティムール
さしものオスマン・トルコも、ティムールの前には歯が立たず、一敗地にまみれ、バーヤジィード1世は捕虜となり、失意の内に死去ました。
では、その後ティムール帝国が、その世紀を代表する世界帝国となったのかといえばさにあらず。
ティムールが死ぬとすぐに、その帝国は後継者難から崩壊し、それとは対照的に、バーヤジィード1世の子孫により、オスマン・トルコは復興し、ビザンチン帝国を破り、未曾有の繁栄を謳歌することになったことは周知のとおりです。

そういう観点から見てみると、日の出の勢いを叩かれ、またしても頭を上げたところを、二度目の大戦で完膚無きまでに叩かれたことにより、武力による侵略をあきらめたドイツは、融和による拡張に切り替え、荒廃した国土から復興を果たし、分断されていた東西を統一し、フランスを抱き込み、EUとなり(EUもこのままトントン拍子に行くとは思っておりませんが)、着々と階段を登っているようにも見えます。
その意味で、今は果たして本当にアメリカの時代なのか?
それともオスマン・トルコと同じく、アメリカというのはティムールと同じように、長いドイツの時代の始まりを彩ったほんの一時的なものなのでしょうか・・・。

私もこの論の奇抜なことはよくわかっているつもりです。
まあ、こういう角度から見る見方も・・・というくらいのつもりで聞いて頂きたいにですが、昨今のG7でのアメリカの発言力の低下EUを背景にしたドイツの発言力の高まりを見ていると、あながち的外れでもなかったかなと思い始め、ご意見を頂戴しようと思い立った次第です。

ただ、アメリカの競争社会のすごさは認めざるおえないところであり、それに大国というものは衰えていくのに時間がかかる物でもあり、今すぐ、アメリカが没落するとは思えませんが、いずれにしても、先般から述べておりますように、アメリカは長い目で見たときには、下り坂に入ったとは思います。
では、それに取って代わる国がどこに?と考えたときに、まず中国が浮かぶでしょうが、これも以前書いたように、元来が、かなり、不安定な物であり、このまますんなりいくとは思えません。
その意味では、BRICSと呼ばれる諸国も似たり寄ったりでしょう。
そこで、世界を見回してみると、EUでヨーロッパを巻き込み、巨大な力を蓄えつつあるドイツが浮かんだわけです。
もちろん、こちらもそうすんなり行くとは思えませんが、国民の民度の高さという点を考え合わせたとき、うまくいけばアメリカをしのぐ、次の世界の中心となる可能性があると思います。
むろん、あくまで可能性であり、アメリカの衰退が前提でもあり、 又、アメリカという国は競争相手がいたら燃える国ですから、また復活するかもしれません。
しかし、19世紀から続くアメリカとドイツのイギリスの後継者争いの延長という見方をすると、EUというのはまた違った見方が出来るのではないでしょうか。
                             平太独白
by heitaroh | 2007-04-19 08:28 | 国際問題 | Trackback | Comments(16)

祗園精舎の鐘の声にみるただ春の夜の夢のごとし 比叡山
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

大治4年(1129年)、77歳崩御するまで、実に3代、43年間に渡って、院政を敷いた絶対権力者・白河上皇をして、「思いのままにならぬもの、双六の賽(サイコロ)、賀茂の流れ(賀茂川・鴨川)と山法師(比叡山の僧兵)」とまで嘆かせた比叡山延暦寺に行ってきました。

e0027240_1195792.jpg私は、比叡山は初めて行ったのですが、ここに登って、初めて、この山が持つ戦略的重要性、つまり、ここが王城鎮護の地とされた言葉の意味がわかりました。
上の画像は比叡山から見た京都市内ですが、特に、京都御所が一望出来るのがおわかりいただけると思います。

(中央の緑地部分が京都御所。)
つまり、ここからだと、御所の警護体勢・・・、あるいは、京都の防衛体制が、手に取るようにわかるわけです。

e0027240_11115081.jpg一方、場所は少し違いますが、下の画像は、同じく比叡山の頂より見た大津市内琵琶湖です。
(←左に見える橋が琵琶湖大橋。)
つまり、比叡山という山の上から、東を見たならば京都御所を眼下に見ることが出来、振り返って、西を見れば大津が一望できる・・・というわけですね。

その上で、京都という都を上から見てみたとき、まず、南北からの脅威というものは、それほど考えなくてもいいと思います。
京都という街が大勢力の脅威にさらされるのは、主に、東西でしょう。
天武天皇、木曽義仲、北条泰時、足利尊氏、はたまた、蛤御門の戦いの時の長州勢然り。
直接攻め入らないまでも、山崎の戦いでの豊臣秀吉や、鳥羽伏見の戦いの時の徳川軍、また然りでしょう。
特に、大津という街は、琵琶湖を押し渡るにしろ、北国街道から南下して来るにしろ、東海道西進するにしろ、東からの大軍の行軍という点では外せない、要地中の要地だと思われます。

その大津と京都とを一望できる地というのは、攻める側からすれば確保したい場所であり、守る側からすれば、獲られてはならない場所・・・。
だからこそ、白河上皇が荒くれ者の僧兵集団の存在を容認したのも、織田信長「すり潰せ!」と号令したのも、ともに、よくわかるような気がしました。

書くことは、まだまだ、たくさんあるんですが、書けるかな・・・と。
おそらく、そのうち、続くと思います。

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by heitaroh | 2007-04-18 08:54 | 歴史 | Trackback | Comments(2)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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