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野武士集団・西鉄ライオンズよ、永遠なれ その3
今日で2月も終わりですね。
ちなみに、私の従兄は2月29日生まれでした。
やつは、私より年上なのに、まだ、10回ちょっとしか誕生日を迎えていません(笑)。
でも、ある意味、うらやましかったですよ。
誕生日が四年に一回ですから、その四年に一回の時は、盛大に祝ってもらってましたから・・・。

ということで、またまた、昨日の続きです。

確かに、稲尾さんや豊田さんたちが言われるように、「日本の野球とアメリカの野球というのは、もともと、まったく別の発展過程を経てきたのだから、すべて、アメリカ仕様にならなくてもいいじゃないか」という部分には、なるほど・・・と思うところもあります。
これに対する答えは、愚鈍なわが身では、すぐに答えも出かねるので、また、後日・・・としても、ただ、言われてみれば、今の日本のプロ野球は、なんだか、アメリカの野球こそが、最終到達点・・・、もっといえば、アメリカの野球に呑み込まれてしまうことが、絶対無二の道になっているような雰囲気が醸成されているような観もありますよね。

e0027240_18161245.jpgで、この西鉄ライオンズについてですが、同じ福岡出身で、西鉄時代を知る人と言えば、あの、タモリさんがいますが、彼が西鉄ライオンズについて言っていた言葉があります。
「俺はよく、野球が嫌いだと言われるけど、野球が嫌いなんじゃない。西鉄ライオンズが好きだったんだ。西鉄がいなくなった野球というものに興味がないだけなんだ」と。
でも、同時に、「でも、あの頃の福岡のファンはせこかったねー。『タダ券もっとらんや?』、『タダ券、手に入らんかいな?』ばかりだった・・・。」とも。

そう言えば、ダイエー・ホークスが来た最初の頃も、そんな雰囲気有りましたね。
「あんなもんは、タダでいくもんだ。」みたいな。
まあ、貧しい時代だったとは言え、広島では、広島カープの存続が立ちゆかなくなったとき、広島市民が皆、僅かづつ、お金を持ち寄って球団を存続したなどという話もあります。
以前、平太郎独白録 「負けてたら、すぐに席を立つ博多のファン!」でも申し上げましたが、とにかく、この辺が、何とも福岡人の県民性でして・・・。

この点で、以前も、一度、紹介したことのある江戸時代の地元の名僧、仙崖さんの話があります。
仙崖さんは絵と書の名手として、すでに当時から有名だったようで、この点で、福岡人の悪い癖で、「タダより安いものはない」とばかり、我も我もと描いてもらったようで、辟易した和尚の言葉が残っています。
「うらめしや、わが隠れ家は雪隠(便所)か、来る人ごとに紙おいていく」
最近では、福岡人も、衣食足りて礼節を知るようになったのですが・・・。
今度、おごってください・・・、御同輩。
                  平太独白
by heitaroh | 2007-02-28 09:06 | スポーツ | Trackback(1) | Comments(2)

野武士集団・西鉄ライオンズよ、永遠なれ その2
親愛なるアッティクスへ

e0027240_14484647.jpgとにかく、この忙しいのに、まったく、ウィンドウズ・ビスタを使いこなせてませんので、どうにも、神経が行き届きませんことをお許しください。
ということで、どうにも、内容にまとまりがないようで、あいすいやせん。

ともあれ、昨日の続きです(笑)。

その、昭和30年代に一世を風靡した野武士集団、「西鉄ライオンズ」の「番組同窓会」ですが、ちなみに、昨日も言いましたように、西鉄ライオンズの黄金時代は、私が生まれる前で、私が子供のころは、すでに、西鉄は、それでなくとも決して強くはなかったのに、黒い霧事件が起こって、いよいよもって・・・って感じでした。

ただ、それでも、当時は、後の西武の大投手、東尾修さんや、後に、巨人で活躍した加藤初さんらが頭角を現し始めてましたが、後に、あれほどの制球力を誇った人たちも、平和台球場時代は、東尾さんも加藤さんも、カウントワンスリーになったら、絶対、四球でしたよ。
つまり、2球続けてストライクが取れないという(笑)。
「あーあ、ワンスリーになったけん、もう、フォアボールばい。」と言ってたら、案の定、絶対、フォアボールでした(笑)。
また、この点では、野武士の最後の生き残りだった東尾さんなんか、歌手の梓みちよさんと、普通に、中洲を歩いてましたよ。
私だって、二人の仲は当たり前のように知ってましたから、数年前に週刊誌に出た時は、「いまさら、何言ってるの?」って感じでした。
その「西鉄同窓会」でも、「俺たちは、隠したりしなかった」という発言が出てましたが、今の福岡ソフトバンク・ホークスの選手なんか、ほとんど、中洲で見かけないですね。
まあ、写真週刊誌がうるさい・・・というのもあるんでしょうが・・・。

ちなみに、西鉄ライオンズと言えば、「野武士」でしたが、往年のライバル、野村克也現楽天監督も、「飲み屋でばったり会ったら、盛り上がって、朝まで飲んでしまい、翌日、ダブルヘッダーがあったので、こっちは、あらー・・・と思っていたら、中西太なんか、「ヨッ」なんて言いながら、ホームラン2本打ったりしていた」と言ってました。

で、話を戻しますと、その「同窓会」では、他にも、今のプロ野球への苦言のようなことも言ってましたが、私がなるほど・・・と思ったのは、「日本のプロ野球アメリカのプロ野球というのは、まったく違う発展の仕方をしてきたのだから、必ずしも、すべて、アメリカ仕様にならなくてもいいじゃないか」という部分でした。
なるほど・・・と。

続きはまた明日・・・です。
                               平太独白
by heitaroh | 2007-02-27 17:49 | スポーツ | Trackback | Comments(0)

野武士集団・西鉄ライオンズよ、永遠なれ その1。
親愛なるアッティクスへ

いつだったか、たまたまテレビをつけたら、昭和30年代に一世を風靡した野武士集団、「西鉄ライオンズの同窓会」なるものをやってました。
稲尾、中西、豊田、関口、和田、河野・・・などなど往年の名選手たちが出演してましたが、皆さん、いいおじいちゃんになってましたねぇ(笑)。
もっとも、厳密に言えば、それらの顔ぶれで圧倒的な強さを誇ったのは私が生まれる前ですから、熱狂したのは私の世代ではなく、私の父の世代なんでしょうけどね。

亡父は、当時、独身だったということもあり、毎晩のように、平和台球場に通い、「勝てば勝ったで祝い酒、負けたら負けたで悔し酒」ということをやっていたようですね。
(この辺は、以前、どこかで書いたような気もするのですが・・・(汗!)。)
ともあれ、その時代の熱気が、なんとも、うらやましい限りです。
私が子供のころは、西鉄はもう、あまり、強くなく、池永正明投手だけが孤軍奮闘していたところへ、黒い霧事件が起こって、いよいよ・・・って感じで、子供心には大人が皆、「西鉄、西鉄」と騒いでいるのが、どうにも理解できませんでしたね。
私自身、当時は阪神ファンでしたし・・・。

で、その番組の中の同窓会で、いろいろ、面白いことを言ってましたね。
闘将、豊田泰光翁が、「どんたくで、仮装して、皆で街に繰り出したとき、俺はスカート履いて、女装していた。で、そのまま、飲みに行ったら、えらくモテまくってるうちにだんだん、変な気分になってきて、そのまま、ホテルへ行ったところ・・・、朝、目が覚めたら服がスカートしかなかったので慌てた」などという話をしていたかと思えば、一方で、「俺が、決勝トンネル・エラーしたとき、福岡に帰るまで、誰も、一言も口をきいてくれなかった。あれは、辛かったなー。」と言えば、関口さんは、決勝エラーをした時、この、当時、すでにベテランだった人が「皆の前で泣いて詫びた」なんて話も出てました。
(この辺は、単なる市井の人であった私の父にも、似たような話を聞いておりますから、あるいは、そういう「時代」だったのかもしれませんね。)

この点は、元西鉄の投手、故、河村英文氏の著書、「西鉄ライオンズ―伝説の野武士球団」と言う本に詳しいのですが、私が読んだのは、25年ほど前に出版された初版の方ですが、当時、あまりに面白かったものだから、色々な人に送りました。
中には、野球のことなどまったく興味のない人、普段、到底、活字など読もそうにない人などもありましたが、送られた全ての人が瞬く間に読み終えたそうです!
それほどに面白く、私もはまりこんで読みました。
その後、同類の書は他にも読みましたが、未だにこれを超えれるモノにはお目にかかっておりません。
でたらめで、奔放で、それでいて、結束しながらも、エネルギーに溢れ、若さ個性が同居していたチーム。
(福岡人は、こういうのを喜びます(笑)。)

で、明日に続きます。
                                   平太独白
by heitaroh | 2007-02-26 17:39 | スポーツ | Trackback | Comments(0)

映画「生きる」に想いを馳せる第四の分野は日本から!
先般、ある先輩様が、黒澤明の名作、「生きる」をご覧になられたとの由、伺いました。
今頃かよっ・・・という突っ込みはさておき、私も、あの、「生きる」に関しては、さすがに、クロサワ映像シェークスピアと評されるだけあると思いましたよ。

e0027240_10591174.jpg(←信州上田城よりの夕景です。映画「生きる」でも、主人公が夕焼けを見つめながら、「美しい、夕焼けとはこんなに美しいモノだったのか・・・」と呟く、印象的なシーンがありましたよね。)

この作品で、私が特に印象に残っているのが二つ。

ひとつは、「昔の役所はひどいもんだったんだなー(今よりもっと)」ということと、助役室に怒鳴り込んできたやくざに胸ぐらを捕まれ、「殺すぞ!」と言われたときの志村喬の演技は、もう絶品だったということです。
怖いものなしでもなく、やけになるでもなく、哀しいような可笑しいような・・・もう、人が本能的に恐れる「死」というものを超越している・・・という、まさに名演技でした。
ある意味、以前、平太郎独白録 「ベアトリーチェ・チェンチの肖像」でも紹介したベアトリーチェ・チェンチの表情を思い出してしまいました。

で、ストーリーというものはシェークスピアの時代に、おおかた出尽くしたと言われていることを考えると、日本では、「日本のシェークスピア」の時代に、こういう中身のある映画は出尽くしたのかもしれません。
だとすれば、その後、映画=ストーリー性を第一の時代とすれば、特撮という新しい分野を確立した円谷英二第二の時代の革新者だと思います。
そして、第三の分野は世界を席巻しつつある、日本のアニメーション、ジャパニメーションではないでしょうか?

ただ、哀しいかなこの全ての日本が、オリジナルではないと言うことです。
クロサワの前にもハリウッドというものがあり、円谷の前にもキングコングというものが、また、ジャパニメーションの前にもディズニーがあったと・・・。
となれば、次の第四の分野(CGは特撮の延長線上であり、第四の分野ではないと思います。)は、是非とも日本人の手で切り開いて欲しいと思うのですが、現状のシステムを見る限り、とても難しいと思わざるを得ません。
現代日本にはクリエーターと呼ばれる人たちが、掃いて捨てるほどいると聞きます。
ぜひ、がんばって欲しいものです。
                            平太独白

by heitaroh | 2007-02-24 11:17 | Trackback | Comments(0)

泰平の眠りを覚まさなかった蒸気船!と昭和時代の考え方
親愛なるアッティクスへ

すみません。
最近、とにかく、忙しくて、以前書いた、平太郎独白録 「泰平の眠りを覚まさなかった蒸気船!・前編。」ですが、その続きはまだ書けずにいます。
今回は、まあ、言うならば、その分派みたいなものでしょうか・・・(笑)。
で、その中でも、少し触れたのですが、学校の校門の門扉を閉めるようにしたところで、入ろうと思えば、簡単に入れますよね。
(ご丁寧に、最近の小学校では、昔と違って、塀で囲むことをせず、中が見渡せるような生け垣で囲んでるところもあります。)

また、いつも思うのですが、キャッシュカードクレジットカード暗証番号なんてのも、最初に申込用紙に書いたときは、それを処理する人間には、名前口座番号から暗証番号まで全部わかるわけでしょ?
処理する人間が、悪心を起こして、それを控えておけば、あるいは、横流しすれば、全部、引き出せるわけですよね。
あれって、そんなに盲信してもいいのかな・・・って、記入するたびに思ってましたよ。
だって、処理が終わるまでに、何人の人間がそれを見ているかわからないでしょうし・・・。
「大丈夫だ!」と言われるかもしれませんし、「そこまで気にしたら、きりがない」と仰るかもしれませんが、でも、これって、学校の校門と一緒で、何の根拠もないことの証なのでは?

また、昨年、名古屋中学生が金品目当てにホームレスを襲い、殺害するという事件がありましたが、以前、福岡でも、早朝、新聞配達の若者が襲われるという事件がありました。
突然、車が止まり、「すみません!」と声を掛けられたから、道を聞かれるのかと思い、立ち止まったところ、いきなり、金属バットを持った連中が数人降りてきて・・・ってやつです。
このとき、襲われた新聞配達の方の事件後の写真を見たことがあるのですが、半殺しなどという生やさしいものではなく、まさに、四分の三殺しか、五分の四殺しに近いような襲撃の仕方でした。
で、その折、名古屋人の友人にその話をしたところ、「そんな新聞配達なんて襲って何にするんだ?」と言われました。
つまり、それこそが昭和時代の物の考え方なんですよ。
これまでなら、新聞配達の方が、普通、いくら持っているか考えれば、割に合わない犯罪だったわけですよね。
だけど、現実に襲われている・・・。
なぜか・・・、昭和時代の考え方では、掴まったときの費用対効果を考えれば引き合わない・・・というのがあったのでしょうが、検挙率が落ち、世界一優秀と言われていた日本警察の威信が低下した今、「掴まる」ということは必ずしも前提ではなくなったからです。

また、以前、ある、金にまったく困ってない知人から言われたことなんですが、「本当に安い買い物の仕方をアナタに教えておいてあげる。本当にいいモノを一つ買って、それを親子何代にも渡って使っていくのが、結果的に、本当の安い買い物なんだ。アナタのように、安物ばかりを買うのは、結果的に高い買い物なんだ」と。
でも、これも、昭和時代の考え方大きな勘違いです。
これも同じく、平太郎独白録 「『もったいない』は、現代日本に於いては罪悪である!」でも述べたように、技術革新が激しい平成の御代は、「どうせ、いつかはいるモノだから・・・」といって、まとめ買いや、少し高いモノを買っておこうものなら、あっという間に、「もう、今どき、こんなモノ使わないもんなー」ということになってしまいます。
その良い例が、白金カイロです。
30年ほど前、「どうせ、こういうものはずっと使うんだから・・・」と思って、一番、良い奴を買ったら、今では、使い捨てカイロばかり・・・。
誰かもらって頂けませんか?(笑)。
                                  平太独白
by heitaroh | 2007-02-23 08:18 | 時事問題 | Trackback | Comments(0)

一般人の目線で描かれた風林火山にみる山本勘助の存在
親愛なるアッティクスへ

今年の大河ドラマ「風林火山」・・・ですが、今年は、まあ、去年までよりはマシだとは思うので、見るとも無しに見ています。
ただ、私の場合、どうしても、「風林火山」と言えば、三船敏郎主演の、映画、「風林火山」の印象が強すぎて、何だかなあ・・・って感じなんですが、ただ、その中で、福嶋役のテリー伊藤さん!・・・、良い味出してましたねぇ!
誰かわかりませんでしたよ。

e0027240_1471536.jpgでも、あのご面相(失礼!)ゆえに、戦国武者としては、もの凄い、存在感でした(笑)。

(←武田信玄の墓だそうです。意外に、うら寂しいところにありました。先日、テレビで見た信玄の墓は、もっと、立派だったような気がしたのですが・・・。)

ところで、映画の方の風林火山と言えば、山本勘助に三船敏郎、武田信玄中村錦之介(後の萬屋金之助)、上杉謙信石原裕次郞・・・という、当時の日本映画界を代表するそうそうたる三人が顔を揃えた大作でしたが、主役の三船敏郎の最期のシーンは、今見ても感涙にむせびますし、中村錦之介扮する武田信玄の存在感もなかなかのものでしたよ。

でも、私の場合、中でも特に印象に残っているのが、セリフは一切無い、石原裕次郞の上杉謙信でした。
石原裕次郞扮する上杉謙信が、川を挟んで、武田軍と対峙したとき、馬を駆って行軍中に、川向こうの武田方を睨むシーンがあったんですが、見るからに、映画俳優・・・って感じの美男子とは違う、その男臭さに、思わず、「本当の上杉謙信という人は、こういう人だったんだろうな」と思ったことを覚えています。

それに対して、今回の大河ドラマ「風林火山」は、まあ、最近のトレンドなんでしょうが、妙に、一般人の目線から描くんですよね。
一般人の共感を得ようとしているのだろうとは思いますが、でも、彼らに限らず、歴史上の偉人という人が一般人と同じ目線のわけがないんですけどね。
まあ、それはいいとして、 私が、今年の大河ドラマを(去年もそうでしたけどね)、それほど、乗り気で見ているわけではないところが、その主役の山本勘助という人物が、かねてより、実在しなかった・・・、少なくとも、実在はしても、それほど、重要な地位にいた人物だとは思っていないことがあります。
つまり、「なぜ、NHKは、そこまでして、視聴者媚びなければいけないのか?」ということです。

私は、少なくとも、山本勘助という人が、武田信玄の軍師などという存在ではなかったと思っていますが、その理由の第一は、山本勘助の活躍は、それほどに重用された人にしては、あまりにも、史料が少なすぎる・・・ということがあります。
彼の活躍話の殆どは、江戸時代に書かれたと言われている甲陽軍鑑という、イマイチ、史料としての信憑性に疑問が残るモノが出て以降に書かれた資料を基にしていると言われており、一説によると、甲陽軍鑑の作者は、武田家の係長クラスだった「山本勘助」なる人物の息子で、この軍学書を書くに当たって、同じ書くなら、「自分の親父が偉かったことにしてやれ・・・」で書いたとも言われています。

今でも、ときどき、「俺は、陸軍士官学校卒だ!」とか、「元々、俺の親父は、元満州国事務局長だったんだ」などということを言う人がいるような・・・。
でも、そういう人に限って、「アナタ、計算したら、年が合わないでしょ」・・・みたいなことになるんですけどね(笑)。

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by heitaroh | 2007-02-22 17:53 | 文学芸術 | Trackback | Comments(2)

吉村作治教授と淀川長治翁にみる職業とは情熱の継続
親愛なるアッティクスへ

吉村作治という人が居ますよね。
今更、私なんぞが言わなくても、テレビなどで、よく、ご存じの、「日本のインディ・ジョーンズ」との声もあるエジプト考古学者です。
私も、こういうのが好きなので、よく、テレビで拝見するのですが、まあ、最近は、テレビ局側の都合もあるのでしょうが、特に目新しい話もなく、「また、この話かよ」って感じですが、それはさておき、この人の凄いところは、小学校4年生の時、ハワード・カーターが書いた「ツタンカーメンの秘密」という本を読んで、現実に、エジプト考古学者を目指し、さらに、現地での発掘活動を容易にする為に、エジプト人の嫁までもらったという事ではないでしょうか。
(元妻となってましたから、現在は、離婚されたみたいですが、子供は、今でも、母親の元で、エジプトにいるみたいですね。でも、それもあってか、1971年に、初めて、早稲田大学エジプト調査隊として、初の本格調査をルクソール西岸のマルカタ南遺跡にて開始したときは、参入から、わずか5年という異例の早さで、エジプト考古庁から単独調査の認可が下りたと言います。)

私も、同じく、小学校4年生くらいのときに、学校の図書館で、その「ツタンカーメンの秘密」という本を読んだ記憶がありますが、そのとき、そこにロマンは感じても、現実に、それを生涯の職業にしようという発想は浮かびませんでしたね。
(ちなみに、同教授は、福岡県宗像郡海の正倉院と呼ばれる、「沖ノ島」世界遺産化運動の第一人者だそうで、毎年、宗像市を訪れて講演を行っているそうです。)

ましてや、その為に、妻さえも・・・といことにはならなかったと思います。
あ、もちろん、実際のところは知りませんよ。
ただ、テレビで、吉村教授本人が、「発掘をしやすくする為にエジプト人の女性と結婚し、子供もいる」といって、子供の映像も出ていたのを見ただけです。
誤解の無いように言うならば、その国が好きになれば、その国の女性と結婚して、その国に骨を埋めたいと思う・・・、それ自体は私にも、わからないではありません。
ちょうど、ラフカディオ・ハーンが日本人の妻を娶ったようなものだったのではないでしょうか。
ただ、小学校4年生のときに思ったことを、20代のときにも、そして、現在でも、変わらぬ想いとして持ち続けられるということに、感服・・・です。
ある意味、たとえ、邪道だとしても、ここまで、これだけに生涯を捧げ続けられれば、立派な物ではないかと。

この点では、淀川長治という人が居ましたよね。
あの人も、若い頃、映画を見て感動して、「生涯、何らかの形で映画に関わられることを職業に出来たなら、一生、妻帯はしません」と神に誓い、以来、生涯、独身を通したという話を思い出してしまいました。
すべては、情熱の継続にある・・・と言っていいのでしょうか。
                                平太独白
by heitaroh | 2007-02-21 17:39 | 社会全般 | Trackback(1) | Comments(4)

オールスター初出場でのノムさんの賭けと覚悟と自信と涙。
親愛なるアッティクスへ

15年くらい前でしょうか、私は草野球に引っ張り出されたことがあります。
すでに、その段階で、もう、10年くらい、まったく野球をやってませんでしたから、久々、打席に立ったところで、当然、打てるはずもなく、3打席ノーヒットで、最後の4打席目を迎えました。
で、それなりに考えました。
まず、変化球には、まるで、目が付いていけないから、打てるとすれば直球だけだなと。
であれば、ストレートだけに的を絞ろう・・・と。
それで、カーブ三球続けられたら、一球も振らずにごめんなさいで帰ろうと・・・。

このとき、私の考えの根拠となったのが、まだ、売り出し中だった頃の野村克也氏が、初めてオールスターに出たときの話でした。
同点で、9回裏走者3塁となった場面でノムさんに打席が回ってきたところ、ここでセ・リーグは、当時、全盛だった、国鉄金田正一投手をマウンドに上げたそうですが、ノムさんがベンチでその投球練習を見ていると、当時のカネやんの直球は、もの凄く速く、うなりを上げてミットに突き刺さっていたとか。
ノムさんは、これを見て、「これは、とても打てそうにないな・・・」と思ったそうです。
で、「ストレートはとても打てない。もし、打てるとすればカーブだけだな」と思い、カーブだけに狙いを定めて、打席に立ったとか。
もし、ストレートが3球来たら、「ごめんなさい、失礼しました」と言って、さっさと帰るつもりだったと。
すると、初球、カーブが来たそうで、「これしかない!」と思って、思い切り振ったら、三遊間を破りサヨナラ打になったとか。

e0027240_14292528.jpg

試合後、カネヤンもカッカきていたようで、「ノムのやつは、よう、わしのカーブを打ちよった」と放言したそうですが、逆に、ノムさんは、これを聞き、「もの凄い、自信になった」と言ってました。
まあ、それほど、当時のカネやんの実力はぬきんでていたと言うことなのでしょうが、逆に言えば、「自分には、これしかカードがない」という場合、そのカードを使うしかないわけで、となれば、相手に、そのカードを切らせる駆け引き上の工夫などは必要でしょうが、やはり、基本的には「それだけを狙い」、それが来なかったら、あるいは、それさえも通らなかったら、潔く、「ごめんなさい、失礼しました」で帰ってくる・・・、もっと言えば、「腹を切る」という「覚悟」が必要なのではないかということです。

ちなみに、私のその最後の打席は、それほど甘くはなく、ストレートを2球ほど打ち損じた後、ようやく、四球を一つ選んだだけでした(涙)。
                              平太独白
by heitaroh | 2007-02-20 08:03 | スポーツ | Trackback | Comments(0)

よく遊びよく働けの野村證券創業者、野村徳七の教え
親愛なるアッティクスへ

最近、日興コーディアル証券が色々と世間を騒がせている。
これも、まあ、損失補塡と同じで、以前だったら、それほど騒がれなかったような話なのかも知れないが、松井証券の躍進などを見るにつけ、かつて、「四大証券」と呼ばれ、大いに、勢威を振るった時代があったことが、遠い昔のように思われる。
この点で、四大証券の一角を崩してしまた山一証券破綻は記憶に新しいところだが、ちなみに、山一証券は、昭和40年(1965年)5月にも、危機的状況に陥っている。
このときは、当時の大蔵大臣、田中角栄果断をもって何とか、事なきを得たようだが、その後の、山一破綻の時も日本初世界恐慌に成りかねないような事態だったが、このときも、単に山一の危機に留まらず、証券業界全体を揺るがす大激震だったとか。

ただ、このときも、リーディング・カンパニーである野村證券は微動だにしなかったという。
この点で、先般、平太郎独白録 「野村證券元会長、奥村綱雄の失意にみる創業者の役割」の中でも触れたように、野村證券の創業者、野村徳七翁には、「よく働きよく遊べ」の遺訓があるようで、その意味では、野村證券には、そういう社風が生きていると聞く。

今日でも、野村證券は、業績という点では、他の証券会社に比べ、一頭群を抜いていることはよく知られているが、昭和三十年代、野村證券に君臨した奥村綱雄、瀬川美能留といった人たちは、同時に遊びのほうも他社の追従を許さないと言われたとか。
ところが、よく見ていると、野村證券がよく「遊んで」いるのは、主に、証券業界が好調のときであり、一旦、証券不況となると、一変したという。

その、野村證券について、ここに、三鬼陽之助というかつての、老財界記者が遺した古い経済記事がある。
三鬼翁の記事から、その辺を抜粋すると、
「不況襲来の昭和38年後半から40年の前半にかけての野村の幹部連の活動が、じつにめざましかった。会長、社長をはじめとして、幹部総がかりの体制で、いわゆる新規投資層の開拓に、地方の農村・漁村をかけめぐったのである。
これに対して、山一では、地方支店の従業員をはぶけば、支店長以下幹部社員たちは、この非常時にあって、遊ぶでもなく働くでもなく、土曜日の午後になると浮かぬ顔でゴルフに出かけるというありさまであった。
軍隊では、賢明な指揮官であればあるほど、ここ一番の突撃という前夜など、兵士たちをよく遊ばせ、そしてよく眠らせるという。ビジネスの世界においても、これと同じことが言えるのである」と。

まあ、決戦前夜の兵士が「よく眠れる」ものかどうかは疑問だが、何をかいわんやという気はしてくる話ではある。
もっとも、遊びという意味では、「格差社会」などと言われながらも、現代の日本人は、ある意味、驚くほど、上手に実践しているのではなかろうか。
天正10年、宿敵、武田勝頼を滅ぼし天下統一をほぼ、確実なものにした、戦国の覇王、織田信長は、た帰途、徳川家康に案内させて、富士山を観光している。
しかし、思えば、戦国の覇者にして、事実上の日本国王と言っても過言ではなかった信長にして、この程度なのである。
そう考えれば、現代の日本では普通のOLさんたちが、フランスだ、エジプトだ、ハワイだ・・・と海外に出かけているわけで、そう考えると、これは国王以上の娯楽を満喫していると言えるからである。

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by heitaroh | 2007-02-19 08:36 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(0)

現代中国歴史的独自考察
親愛なるアッティクスへ

歴史的に見ても中国という国は、揺り返しがある国だと思います。
おまけに野党がないお国柄、世論というものをあまり気にしないでいい国です。
イギリスの政治家の言葉に「絶対王朝は絶対的に腐敗する。」というのがあります。
従って、いいときは、もの凄い勢いで発展するのでしょうが、悪くなるときも救いようがないくらい悪くなるというのが私の考えです。

そこで例によって勝手な持論ですが、現代の中華人民共和国の成立過程と紀元前の前漢王朝の成立過程項羽劉邦の話とが酷似していると思うのです。
始皇帝亡き後、覇を競った両雄の話ですが、これを以下の通りに当てはめてみました。
(焼鳥屋のメニューの看板みたいでしょう(笑)。)
毛沢東=劉邦  蒋介石=項羽
日本軍=秦王朝  江青と4人組=呂后と呂一族
周恩来=張良 琳彪=韓信  劉少奇=膨越
鄧小平=陳平   華国峰=周勃  胡耀邦=晁錯
  等々。

つまり国共合作で秦王朝を追い払った後、両雄が覇権を争い始め、初め軍事力に勝る方が押していたが経済で世論の指示を得たほうが最終的に勝利した・・・という図式ですね。
むろん蒋介石は台湾海峡を渡り、国を二分したけれど、項羽は河を渡らず自害したという違いは残りますが、しかし、当然といえば当然で、これは、規模が世界的になってアメリカという超大国の介入を考えなければならなかったことの違いを考慮すれば、あながち的外れでもないと思います。
(アメリカに該当するのは共和制ローマだと思いますが、こちらは当時、接触すらなかったわけで。)
ほかにも建国後の粛正(文化大革命)も、権力者の嫁が強大な権限を握り残酷なことをしたという点も、その後、革命生き残りの元勲・陳平が国政立て直しに乗り出した際、周勃に倒させて自分は裏で実権を握ったところなども華国峰を利用した鄧小平とよく似てると思いませんか?

で、ここからが本題ですけど、陳平以後の漢王朝はどうなったか・・・ですが、まず優秀な官僚による法治政治がしばらく続く。
呉楚七国の乱というのが起き、中央政府によって鎮圧されますが、これは、さしずめ、天安門事件でしょうか。
(このとき、これまで、前漢王朝をリードしてきた宰相、晁錯が失脚しますが、これも、胡耀邦が失脚したことと恐ろしいほどに酷似していますよね。)
そして、ついに、第5代皇帝に武帝という極めて独裁色の強い皇帝を産み出すことになるのですが、この武帝こそ軍部の人間ではないでしょうか。
つまりこうしてみてくるとしばらくは、鄧小平の路線の元、官僚による近代化が進むが、ある程度安定期を迎え、地力も付いてきたとき、官僚による腐敗は進み、軍部の台頭を許すことになる。
そして軍の権威を背景に独裁色を強め、拡張政策に出る。

もっとも、先述しましたように、この時代周辺に大国の存在はなく、北に狂奴という軍事力のみの突出した国があったことから(さしずめソ連か)、それを武帝は攻撃したわけですが、当時と今とでは核抑止力の問題も違い、また、特に接点がなかった古代ローマに対し、接点があるアメリカの存在などの違いもあり、同じように論じるわけにはいかないとは重々、承知しております。
しかし、内部での権力闘争と言う観点でのみ見れば、大いに参考になると思いますが如何でしょうか?
                                  平太独白
by heitaroh | 2007-02-17 08:56 | 国際問題 | Trackback | Comments(0)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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