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大軍の統帥とは、方向を指し示し、後方を整備すること
親愛なるアッティクスへ

最近、色々とあって、なかなか、こちらの方の筆が進みません。
何か、気乗りしないんですよ。
まあ、今までもこういうことがなかったわけではないのですが、なんだかなぁ・・・って感じです。
ま、いよいよ、面倒くさくなったら、ズルすればいいや・・・と(笑)。

e0027240_11451143.jpgところで、旧日本陸軍バイブルである「統帥綱領要項」には、「大軍の統帥とは、方向を指し示し、後方を整備すること」と書いてあると言いますがご存じでしょうか?

(←中国厦門の沿岸に残る、旧日本軍が築いたトーチカ跡。)

考えてみれば、応仁の乱においては、東西両軍併せて、30万近い大軍が集まったと言いますが(かなり、誇張もあるでしょうが)、考えてみれば、30万人の兵士がそこで対峙するということは、そこに30万人のができるようなものであり(ちょうど、福岡県で言えば、久留米市くらいに相当するかと。今では小都市でしょうが、当時は京に匹敵するくらいの人口だったのでは。)、関ヶ原の戦いのように、すぐに決着がつけばともかく、応仁の乱のように、膠着状態になって、にらみ合いが長引くようなら、兵士たちへの食糧、武器弾薬の補充を始め、その他、生活必要物資など、30万人の都市が円滑に運営されていく為に必要な物資の供給、処分を図らねばならないでしょう。
また、供給はともかく、処分という点では、まず、汚物の処理があげられるでしょう。
毎日、30万人の人間が輩出する汚物をどう処理するかというのは、考えただけでも、大変な大事業だということがおわかりいただけると思います。

思えば、総戸数100戸マンション竣工した場合、一日2軒ずつ引っ越したとしても50日かかるわけです。
現実には、どうしても、土日祝日に集中するわけで、それを考えれば、入居者が思い思いに、自分の良いときに引っ越しをしたとすれば、とてつもない混乱が生じてしまいます。
つまり、誰かが、交通整理しないといけないわけですね。
まさしく、統帥綱領要項が言うところの、「大軍の統帥とは、方向を指し示し、後方を整備すること」でしょう。
実際の「戦争」というものは、「戦争映画」の世界だけではない、つまり、単なる戦闘行為だけではなく、こういった、「戦争事務」が占める割合も決して少なくない・・・ということですね。
今の米軍などを見ていると、特に思いますが、ある意味、戦場にいる兵士たちは、内地にいる人間よりも、「快適」でなければならないんですよ。
そうじゃなければ、「家でこたつに入っていた方がいい」ってことになるじゃないですか。

この点で、今のイラク戦争での米軍の基地内の映像を見ていて思うのが、こと基地内に限れば、よりどりみどりに自動販売機が置いてあることです。
ということは、この危険なイラクに、コカコーラを運んでいる人がいる・・・ってことですよね。
同様に、毎日、彼らが垂れ流す汚物の処理をしている人もいる・・・と。
かつて、古代ローマは、「補給で勝つ」と言われたと聞いていますが、これが欧米の伝統的な補給という物に対する意識が根付いていることがよくわかります。

で、ここからが本題です・・・。
と行きたかったのですが、何を言いたかったのか、本題を・・・忘れました・・・。
なんだかなぁ・・・って感じで、ま、これでいいか・・・と(笑)。
平太独白
by heitaroh | 2007-01-31 08:38 | 歴史 | Trackback | Comments(2)

昭和35年、三原脩の奇跡に想いを馳せた一夜。
親愛なるアッティクスへ

e0027240_1164138.jpg昨夜は、ここにいました。そうです。
言うまでもなく、日本プロ野球裏面史に名を刻む、あの!博多の老舗水炊きやです。

昭和35年、智将、三原 脩を監督に戴き、前年の最下位から一転、セントラル・リーグの優勝を果たした大洋ホエールズ(現横浜ベイスターズ)・・・。
その大洋が次に日本シリーズで戦う相手となったのが山内和弘、榎本喜八、田宮謙次郞、葛城隆雄などを擁し、ミサイル打線と呼ばれた強力打線でパシフィック・リーグを制した大毎オリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)、率いるは38歳の若き勝負師、西本幸雄
下馬評は、大毎の圧倒的有利・・・。

前年の最下位から一転、翌年初優勝を果たした球団としては、昭和50年の広島や昭和51年の巨人などの例がありますが、それらと当時とでは大きく状況が違っていました。
何が違ったかというと、当時は、ドラフト制の施行前ですから、巨人のような常勝球団と大洋のような弱小球団とでは、同じプロ球団と呼べないほどに歴然たる実力差があったわけで、その大洋が巨人や阪神、中日などを抑えて優勝するということは、まさしく、奇跡というに相応しいことだったわけです。
このとき、「超二流選手」という言葉に代表される三原の名采配は、「三原魔術」とまで呼ばれたと言います。

リーグ優勝が決まった瞬間から、三原監督は動いていました。
大洋のリーグ優勝が決まった当日の祝賀会でのこと。
三原監督は、当時の正捕手・土井 淳に近づくや、そっと、一枚の固い紙切れのような物を握らせます。
土井がよく見ると、それは、一枚の博多行き国鉄特急券・・・。
水炊きでも食ってきてくれ」と。
土井は、周囲の喧噪をよそに、ひとり、密かに祝賀会を抜け出し、指定された特急に乗り込みます。

当時は、新幹線など無い時代です。
松本清張原作の映画に「張り込み」というのがありますが、この中で、犯人を追いかける刑事たちは、横浜から国鉄に乗り込み、丸一日以上をかけて、犯人の潜伏先である九州の佐賀に到着します。
(そう言えば、私が子供の頃も、祖父母が東京に行くときは寝台車でしたね。)

e0027240_117351.jpg土井を乗せた特急列車が付いた先は国鉄博多駅

改札を抜けた土井を二人の男が出迎えます。
二人は、そのまま、軽く目配せをすると、土井を九州一の繁華街、中洲の水炊きやに連れて行きます。
この二人こそ、大毎と同じパ・リーグの球団で、福岡博多に本拠を置く西鉄ライオンズのエース、稲尾和久と、正捕手・和田博実のバッテリー。
そこで、二人は、水炊きをつつきながら、大毎打線の攻略方法を事細かに教えます。
三原は、前年まで西鉄ライオンズの監督を務めており、二人としては、恩師・三原に何とか勝って欲しいという一心からのことだったと言います。

当時は、今と違い、日本シリーズ対戦前に相手リーグの他球団の選手などから、情報を仕入れるということは殆ど、行われていなかったといいます。
「四番の山内サンには、2ナッシングになったら、1球遊ばずに、三球勝負に行ったら割りと見逃す」などという、彼らにとっては最高機密もあったと言いますから、その想いが伝わってくるでしょう。

その結果、昭和35年の日本シリーズは、終わってみれば、大洋の4勝0敗で幕を閉じ、しかも、4勝すべてが「1点差勝ち」というものでした。
特に、打てない打線に業を煮やした西本監督は、第2戦の一死満塁でスクイズを仕掛けたものの、シーズン中は強力打線で打ち勝ってきた選手たちは、スクイズなどやったことがなく、その結果、最悪のダブルプレーに終わったことで、戦後、その采配を大毎の永田雅一オーナーに批判され、西本は責任を取る形で監督を退任。
そして、奇しくも、この対戦から9年後の昭和44年、三原が近鉄の監督としてチーム初優勝に挑んだとき、阪急の監督としてそれを阻んだのが西本であり、奇しくも、それから10年後の昭和54年、三原のなしとげられなかった近鉄の初優勝を実現することになったのも西本であり、そして、奇しくも、この年の日本シリーズで、再び、スクイズのサインを出し、「江夏の21球」の前に押さえ込まれ、日本一になれなかった「悲劇の名将」となったのが西本でした。
もし、昭和35年のこの水炊きやでの一夜がなかりせば・・・などと、柄にもなく、想いを馳せたのは、風情ある店の雰囲気に酔ったからだったでしょうか。
                                  平太独白
by heitaroh | 2007-01-30 10:34 | スポーツ | Trackback | Comments(2)

藤がサクラに変わった不二家にみる桑の木を切った教訓。
親愛なるアッティクスへ

最近、不二家が色々と世間を騒がせて居るみたいですね。
藤井一族「藤」不二家だったんですね。
初めて知りました。
私も、幼少期をペコちゃんで育った世代ですから、事の是非は別にして、不二家が凋落していくのを目の当たりにすることには、一抹の寂しさを禁じ得ません。
(私が、幼稚園の頃、通園路には、大きなペコちゃんの看板がかかっておりました。)

でも、社長が藤井さんから、桜井さんに変わって、創業者一族以外からの社長になった・・・と言ったところで、要は、筆頭株主は藤井一族のまま、番頭さんが社長になったというだけですよね・・・。
だとしたら・・・、これって、単なるサクラなんじゃないですか?
であれば、まるで、「藤」が「サクラ」に変わっただけ・・・なんて、大喜利のオチでも、ここまで、ピタリとはまらないような話じゃないですか・・・(笑)。

で、同社の経営については、色々と報道が為されているようですが、バブル崩壊後から、苦しくなったようですね。
リストラという流行語に乗り遅れまいと踊らされたような観があったのではないでしょうか。
実際、「これからは、機械コンピューターがやってくれる。熟練工ベテランもいらない。」という発言もあったとか・・・。

この点では、日下公人という人が面白いことを言ってました。
「昔のような職場秩序を戻さなきゃいかんと思っている経営者は多い。ところが、そういうものにつけるいい名前がない。封建的だとかマイナスイメージが強くて、せいぜい『日本型雇用関係の復活』ぐらいでしょ。壊す時には民営化とか合理化とかグローバル化とか、プラスイメージの名前があった。それはみんな米国の宣伝だったと思うけどね。」

なるほど・・・と。
そう言えば、確かに、バブル崩壊後、猫も杓子も、「もう、終身雇用の時代は終わった」と言って、一斉にそちらへ傾いていったのを見ていて、当時、私には、どうにも、その根拠が理解出来ませんでした。
少子化ピラミッド型人口分布が崩れる・・・とか、グローバル化で優秀な人材は外資に獲られてしまう・・・などということが囁かれましたが、それだけで「終身雇用がダメ」と決めつけるのは、少し、私には説得力が弱かったように感じられました。

また、日下氏は、この点では、「市場原理の風を吹かせるのもたまにはいい。引き締めゆとりが交互にあればいい。揺らぎの理論になる」
とも言っておられましたが、確かに、そうでしょうね。
風は激しすぎても作物は育たないが、空気がよどんでいるところでも、新鮮な作物になるとも思えない・・・。
よどみすぎても、激しすぎてもいけない・・・。
吹いたり、治まったりしなければならない・・・と。

かつて、私が敬愛する本田技研工業元副社長の藤沢武夫翁は、出張の飛行機の中で、たまたま、隣り合わせた人から、「『これからは、人工繊維の時代だ』と言われ、桑の木を全部切って、人工繊維に転換したら、今頃になって、『やはり、だ』ということになった。だが、もう、桑の木は全部切ってしまっており、もはや、どうすることも出来ない」という話を聞き、「桑を切ってしまってからでは遅い」ということを、強い教訓として受け止めたと言いますが、つまるところ、不二家は安易に桑の木を切ってしまったということなんでしょうか・・・。

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by heitaroh | 2007-01-29 08:20 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(4)

関門海峡からこちら側の世界、福岡北九州比較・後編。
親愛なるアッティクスへ

e0027240_12362681.jpg昨日は、ここ(←)に居ました。
ここで飲んだわけではないのですが、結果的には今日も二日酔いです(笑)。

先週、木下恵介監督作品、「陸軍」について触れましたが、この映画は、舞台が現北九州市である豊前小倉(当時は小倉市?)だと申し上げましたよね。
でも、この映画・・・、確かに、舞台は豊前小倉なんですが、実際にロケが行われたのは福岡市なんですよ。
でも、私は、この映画を見たときは、小倉の風景だとばかり思って見ていました。
(もちろん、小倉でのロケも相当数、あったでしょうが・・・。)

その意味では、やはり、福岡も小倉も、所詮は、関門海峡からこちら側の街なんでしょうね(笑)。

でも、当時の福岡の町並みを見て、私が懐かしいと思うことはないですよ。
昭和31年に放映された映画に、「大怪獣ラドン」というのがあるのですが(総天然色だそうです。若い人には、何のことか、わかりませんよね(笑)。)、ラドンは、熊本は阿蘇から飛び立ち、なぜか、当時、人気の観光スポットだった西海橋を破壊し、福岡市の中心部に襲来しました。
中学生くらいの時に、その映画を見たときは、「あ!これは、うちの近所のあの建物だ!」と思いったのですが、今見たら、どこがどこやら、さっぱり、わかりません。

同様に、昭和53年頃に放映された「高校大パニック」という映画も、福岡市が舞台なのですが、今見たら、殆ど、「ここどこ?」って感じです。
ましてや、戦時中の映画ですよ。
同時代の他都市の古写真とどこが違うの?って感じです。

で、話を元に戻しますと、ロケは福岡だけど、舞台設定は小倉なのですから、東京の方がみれば、何の違和感もないのでしょうが、やはり、地元の人が見れば、違和感があったと思われます。
なぜなら、ある意味、博多弁北九州弁は、「日本でもっとも違う方言」と言ってもいいくらい言葉が違う・・・からです。
ですから、福岡人は、出ている人たちの話し方を見て、そう思ったのではないかと。
(北九州の中の門司には、「門司に方言なし」という言葉があるくらいで、北九州弁というものは、語尾に、「ちゃ」が付くくらいのもので、博多弁から比べると、殆ど、方言色がありません。それに対して、博多弁は武田鉄矢さんなどでお馴染みのように、かなり、方言色が強いです。博多人同士の普通の会話が、東京の人にはケンカしているように聞こえるとか。)
まあ、元々、出演している役者さんたちは、必ずしも、小倉出身者ばかりでもなかったでしょうから、いずれにしても、違和感があったでしょうが・・・。

以前、大河ドラマで、「飛ぶが如く」というのがあっていたとき、主演の西田敏行さんが演じた西郷隆盛に対して、「イントネーションが違う」というクレームが多々、寄せられたやに聞いております。
まあ、鹿児島県民にとっては、今でも、思い入れが強い西郷さんですから、やむを得ないといえばそうなのでしょうが、西田さんは、鹿児島県の仇敵、福島県出身だと聞いております。
その意味では、よく受けたな・・・と。
非国民扱いされたのでは・・・(笑)。

でも、私は、以前、テレビで、福島県の人と鹿児島県の人がお見合いするという企画の番組を見たのですが、男性の方が、立派な鹿児島弁を話してましたので、「ああ、男が鹿児島か」と思ってみていたら、何と、女性の方が鹿児島人でした・・・。
つまり、福岡県出身の私の耳には、福島弁鹿児島弁も、そっくりに聞こえたというわけです。

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by heitaroh | 2007-01-27 12:16 | 地域 | Trackback | Comments(2)

実体験に照らしたデノミ賛成論。
親愛なるアッティクスへ

私はデノミに関しては賛成論者である。
「デノミなどしなくても、実生活には何の影響もない。混乱をもたらすだけ余計な物だ」と仰る向きもお有りかもしれないが、私がそう思うのは、生活レベルの話ではない。
基軸通貨であるドルを初めとする世界の主要通貨に対して、日本のだけが単位が100倍も違えば、政府や企業の実務担当者の負担が大変だろうと思うからである。
この点では、私には実体験がある。

e0027240_8405747.jpg以前、日系二世の遠縁の親戚が来日した際、福岡市内見物に連れて行ったことがある。
すると、車窓に広がる光景を見て、「この辺で土地って大体、いくらくらいなの?」と聞かれた。
「大体、坪100万くらいだね」と答えたが、すると、相手は、「ツボ?」と言う。
あ、そうかと思い、相手にわかるように伝えようとしたが、これが大変な難事業なのである。
まず、日本は「百万円」、「一千万円」という具合に万円単位だが、アメリカ千円単位であるから、万円を千円単位に直さなければならない。
「100万」「ワン・サウザンド・サウザンド」という具合に。
次に、に直す。
それから、㎡を平方ヤードに直す。

(ていうか、アメリカの面積の単位って、何?それって、いくらで換算?・・・と。)
そこで終わりではない。
それから、その上で、今度は、ドルと円を、直近の為替レートで変換しなければならないのである。

日本の不動産を外国人に販売するのが、如何に大変なことかがおわかり頂けると思う。
それほどではないにしても、官庁や企業の為替実務担当者は、毎度、この不便さを味わっているわけで、いくら慣れているとはいえ、混乱することもあるのではないか?
いや、取扱量が多いからこそ、彼らの負担を少しでも軽減してやらねばならないのではないかと思う。

「実務担当者の負担」という点だけでは、国民の理解は得られにくいというのが現実だろう。
その上、おまけに、「デノミとは極秘に進めなければならないもの」・・・ということもあれば、その辺を考えたらば、実際には、実施は極めて難しいのだろうと思われる。

しかし、庶民レベルで考えてみれば、商売仲間と、一人だけ、単位が違っていれば、不便で仕方がないわけで、一般の商取引であれば統一しようという動きになるのではないか。
                                平太独白
by heitaroh | 2007-01-26 08:37 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(2)

「羅生門」にみる黒澤明と芥川龍之介の手腕の妙
親愛なるアッティクスへ

以前、誰だったか、落語家の人が、「江戸時代の庶民というものは基本的に文盲だったんだから、文字だけではなく、言葉も、全部、ひらがなだった」と言ってたのですが、どういう事かというと、庶民だと、「見せておくんなせえ」というのに対し、武士などの教養階級が言うと、「拝見つかまつる」となると・・・。
つまり、「見せて」「拝見」ということですね。
思わず、「なるほど・・・」と思いましたよ。
と言っても、別に時代劇で見ただけの世界しかしらないんですけどね。

さておき、映画監督、黒澤 明の出世作、「羅生門」ですが、私が、この映画を初めてみたのは中学生くらいの時だったかと記憶しております。
当時、同じ黒澤作品でも、「七人の侍」などには、愕然とするほどの衝撃を受けましたが、この「羅生門」の方は、これが黒澤監督の出世作だとは聞いていたものの、正直、当時は、あまりにも物足りなさを感じました。
ところが、最近、自分が年を取ってきて、改めてこの映画を見たところ、当時とは、まるで別の作品であるかのように、登場人物の描写一つ取っても活き活きとしており、見違えるほどに素晴らしかったです。
これほどに、読み手の世代が変わると、当時とは違って見える作品も珍しいのではないでしょうか。
もっとも、これには、以前、一度、見ていたことで、簡単なストーリーは頭にあったことも影響したのだろうと思います。
「賊」と「女」と「夫」・・・、現実というものはあまりにも醜く、そして、それゆえに、一層、現実的であると・・・。

で、この映画ですが、私としては、実は、最近、「待てよ、よく考えてみれば、あの場面、どう表現していたんだっけ」と気になっていた場面が二つありました。
ひとつは、涼風三船敏郎演ずる賊が目覚めるシーン。
「一行が通ったときに、路傍で居眠りをしていた賊が、たまたま、吹いてきたで目覚める・・・」というのは覚えていたのですが、黒澤監督は、この、「風」という、目に見えない物を、一体、どうやって表現していたのだろうか・・・と。
すると、三船の顔にかかった「木の葉の影」揺れると言うことでそれを表現したんですね。
これは、まさに見事・・・というほか、なかったでしょう。
もっとも、実際には、映像としては、なかなか、そういう映像にならなかったそうで、それはそれで大変だったそうですけどね。

もう一つが、「賊」と「女」と「夫」・・・、三者がそれぞれに、自分に都合の良い供述を繰り広げるのですが、ここで、「賊」と「女」はともかく、賊によって殺された「夫」の供述は、どうやって、表現したんだっけ?・・・と。
死人に口なし・・・ですからね。
その答えは、「死人の供述を取り上げるのに、霊能力者を使う」という奇想天外なものでしたが、この発想にも舌を巻きましたよ。
まあ、こちらは、黒澤監督よりも、原作の芥川龍之介という人物の並々ならぬ手腕だと言っていいのでしょうが、普通であれば、ここは夫も死なずに証言出来る程度の重傷くらいで止めるか、もしくは、証言自体を削り、証言出来ない無念を表現するかで処理したのではないでしょうか。
いくら、現代よりは、まだ、その辺の非合理性が息づいていた明治時代の人であるとはいえ、なかなか、凡人では思いつかない発想ではないかと・・・。
                               平太独白
by heitaroh | 2007-01-25 08:26 | 文学芸術 | Trackback | Comments(0)

島津義弘と飯 第二弾、義弘 兵隊と同じ飯を食う。
親愛なるアッティクスへ

以前、平太郎独白録 「男の老後、そのひとつの形・・・島津義弘と飯!」の中で触れた、戦国の猛将、島津義弘と「飯」についての、まあ、言うならば、第二弾である。
第三弾は・・・ない(笑)。

島津義弘と言えば、関ヶ原の戦いの折、西軍が潰走する中、僅かな手勢で、東軍のまっただ中を敵中突破した事でも知られる猛将である。
元々、島津軍は、西軍に加わり、その一翼を為したものの、西軍の事実上の主将、石田三成への不信感から、激戦中もまったく、動こうとしなかったと言われ、その為、西軍が潰走を始めると、逆に、島津軍は、敵中に孤立することになってしまった。
このとき、島津軍、その数、千人余。
ここで、島津義弘は、大胆にも数十倍の敵の大軍の中を敵中突破するという、まさに、「死中に活を求める」道を選択するのである。

だが、この選択は、無謀なようだが、この段階となっては、もっとも当を得たものであったろう。
このとき、東軍の主力部隊は、皆、敵将、石田三成の首に殺到していたことから、背後に控える東軍主将、徳川家康軍との間は伸びきっており、一種の空白地帯になっていたからである。
後に逃げていれば、他の西軍兵士の掃討戦に巻き込まれ、いかな薩摩隼人でも全滅したであろう。
さらに、東軍諸将にしてみれば、これまで、文禄慶長の役などで、友軍として共に戦ってきた島津軍の勇猛さは、つとに知り抜いているところであり、しかも、戦いの趨勢が決っする前ならともかく、決っした後に、そんな厄介なのに関わっても評価は低く、いたずらに損害を出すだけ割に合わない・・・、狙うなら、三成の首だ!という心情もあったと思われる。
歴戦のベテラン、島津義弘は、この一瞬のチャンスを見逃さなかったのである。

島津軍は、東軍の前線部隊である福島正則軍の脇をするりと抜けると、徳川家康の本陣に一気に突っ込む・・・と見せ、その眼前で、くるっと向きを変えると、そのまま、伊勢街道を南下し、戦場離脱を図った。
とはいえ、現実には、勝敗が決した直後の戦場とは、獲物に群がる猛獣の群れにも似て、理屈が通る世界ではない。
恩賞にありつこうとする人間の欲の前には、島津軍の勇猛の「看板」も目に入らないのである。
戦場を離脱しようとする島津軍に対し、東軍は追撃に討って出た。
だが、ここで、改めて、東軍は、島津軍の「看板」の意味を知ることになる。

この時、島津軍は、「捨て奸(すてがまり)」と呼ばれる戦術を採る。
即ち、幾人かずつをそこに残していき、彼らは全滅するまで敵の追撃を遅らせるのである。
当然、彼らは、自らが生還することを考えていない。
これら、島津軍の激しい抵抗により、追撃側の主将であった井伊直政は重傷を負い、家康の四男、松平忠吉も負傷。
一方で、徳川軍の追撃も執拗で、島津方も、義弘の甥、島津豊久や、重臣、長寿院盛淳が、度々、義弘の身代わりとなり戦死
こうやって、戦場離脱に成功した義弘は、帰途、摂津住吉に逃れていた妻を救出し、海路から薩摩に逃れることに成功した。
このとき、生きて薩摩に戻れたのは、わずか80余名だったといわれるから、激戦の凄さが窺い知れようというものである。

だがそれは、勇猛果敢でしられた薩摩武士にとっても過酷な旅路であったことには違いなかった。
如何に、敵中突破したとは言え、敗残兵であることには違いなく、となれば、途中、食糧の補給を受けられるわけではないことから、逃避行のさなか、食糧が窮したのである。
兵士たちは、木の根っこや、雑草を食って、飢えを凌いだと言うが、主将、義弘に食わせる飯を巡って、将校の間で口論となったとか。
「殿には、何を差し上げれば良かろうか」
「こんなときは、殿にも同じ物を食ってもらえ」
「何を言うか!殿にこのような物を食わせられるか」
「おはんこそ、何を言うか。こういう非常時に、大将が兵と同じ物が食えずして戦ができるか!
そんな大声でのやりとりが聞こえたのであろう、島津義弘、その場に現れると、大きく頷きながら、
「よかよか。そん通りたい。おいも一緒にご馳走になりもんそ」と言って、兵士の傍らに、どっかと腰を下ろすと、黙って、同じ物を食ったとか。

聞けば、大企業などの中には、「役員専用食堂」などという物がある・・・という話も聞く。
この点では、別に、非常時でなくとも、「大将が兵隊と同じ物を食えずして、戦(いくさ)が出来るか!」ではないのではかろうかと・・・。
如何ですかな、御同輩。
                               平太独白
by heitaroh | 2007-01-24 17:52 | 歴史 | Trackback | Comments(2)

スポーツ観にみる目的意識のはき違えに対する捕捉 後編
親愛なるアッティクスへ

続きです。

「勝てば楽しい。楽しくなる為にやっている」という論に対する、拙ブログで当方が述べた「目的意識の差」・・・というのは、わかりやすく言えば、昨日述べたような接待ゴルフを思い浮かべて頂ければいいと思います。
彼らは、何の為にゴルフをやっているのか・・・です。
相手に勝って、自分が気持ちよくなるのが目的ではなく、相手に気持ちよくプレーをしてもらって、その後の商談に結びつけるのが目的だからです。

私は接待されたことはありませんが、人の話では大変みたいですよ。
お客さんが打つと、自分のプレーそっちのけですぐにボールの方向へ走り、「ボールはここです!」と言い、また、戻って自分のボールを打つ。
しかも、上手すぎても、下手すぎてもいけない・・・。
それを、「相手をコテンパンにやっつけて、自分が気持ちよくなってきましたよ」と上司に報告したら、何と言われるでしょうか?
つまり、その競技をするときの目的がなんなのかです。
親睦なのか、修行なのか、報酬なのか・・・という。

その論で行けば、プロスポーツ選手のそれは、報酬なのですから「楽しむ」というのは、本来、あっていい話ではないと思いますが、要は、目的をきちんと認識しているかどうかだと思います。
イチローは、初めてオールスターに選出されたときには、「楽しみたい」と言っていましたが、WBCの前には、「もし、今度のWBCを『楽しみたい』などという選手がいたら、僕は代表を辞退するつもりだ」と言ったといいます。
これは、まあ、イチローの「置かれた立場の違い」・・・と言うこともながら、それよりもむしろ、彼一流の「目的をきちんと認識出来る」能力なのだろうと思います。
お祭りなのか真剣勝負なのかという。

などと、私も偉そうなことを言いつつ、いつだったか、ある業界の「親善ソフトボール大会」に出て、博多区チームの投手として決勝戦に駒を進めたことがあります。
まあ、業界のソフトボール大会ですから、何もそれほどのものではなく、最初は、試合の合間に缶ビールをプシュッとやりながら・・・で、他チームにも、「何もそんなにムキにならなくても」とか、「親睦なんだから・・・」などと言いながらやっていたのですが、なぜか決勝戦まで勝ち進んで、9回を迎え、「ここを抑えたら優勝!」 となったとき、男という物は哀しいもので、それまでの、「親睦」という言葉はきれいに消え、突然、目の色が変わって・・・(笑)。
それまで、1回戦、2回戦辺りの時は、ピッチャー前にゴロが転がっても、野手に、「捕れよ。俺に仕事させるんじゃネーぞ」などと言っていたのが、決勝戦の9回裏は投手前の打球に限らず、全打球、ダッシュして、体に当てでもアウトにしよう・・・ですよ(笑)。

自分が打たれても、「今のはショートのエラーだ」などと言っていたのが、野手がエラーしても、「心配しなくていい。もう、絶対に点はやらないから!」広言してましたし、本気で、「絶対に点は取られない」確信してましたね。
この流れは、「もう、絶対に点は取られない」と、なぜか、疑いもなくそう信じてました(笑)。
で、見事、優勝投手になり、胴上げまでしてもらい、その後、閉会式に臨んだのですが、隣に整列した決勝相手の南区チームのオヤジが、「博多区はずるい」といつまでも言っていたのを勝者の余裕で聞き流したとき、「優勝」の実感を嚙みしめました(笑)。
                                       平太独白
by heitaroh | 2007-01-23 08:18 | スポーツ | Trackback | Comments(13)

スポーツ観にみる目的意識のはき違えに対する捕捉 前編
親愛なるアッティクスへ

藤山雷太(初代日本商工会議所会頭)翁の話だったかと思うのですが、あるとき、通りかかった新入社員を捕まえて、「どうだ、仕事は楽しいか?」と聞き、その新人君が、「はい、楽しいです」と答えたことろ、「そんなに楽しいなら、給料はいらないだろう」と言うので、新人君が、「そんなぁ」と言うと、翁は急に真顔になって、「会社は、君たちに楽しくないことをさせているから、その対価として、給料を払っているんだ」と言った・・・という話を聞いたことがあります。
まあ、一方では、本田技研創業者の本田宗一郎氏のように、「会社のために働くのではなく、自分が楽しく遊びたいために働け」という言葉もありますが、二人の語録は、一見、まるで、正反対のようですが、根は同義のことじゃないかな・・・というふうにも思えます。
要は、目的は180度違っても、「何の為に働くか、目的意識をもって、納得して働け」ということではないかと。

ところで、以前、平太郎独白録 「日米のスポーツ観の違いにみる日米親善の目的意識。」という記事の中で、日米親善小学生野球で、日本側は「送りバント」をしてくる・・・とか、試合中にトイレに行った少年が帰ってきたので、タイムをかけて、元の守備位置に就けようとしたら、日本側から、「ルール違反だ」抗議が出た・・・といった話をしたのですが、覚えておられますでしょうか?
結果、アメリカ側は怒って帰ってしまった・・・ということで、全然、親善になってないじゃねーかということを申し上げましたが、要は、「日本側は、目的をはき違えているのではないか?」ということだったと思います。

その後、この記事を紹介したところ、これに対し、「勝てば気持ちいいからいいんだ。自分が気持ちよくなりたいが為にやっているんだから・・・」というコメントを頂戴したことがあります。

e0027240_11525339.jpgなるほど・・・と。
確かに、それはそれで一理あるように感じましたね。

また、その方は、同時に、「プロスポーツ選手や、オリンピック代表選手などが、よく、『楽しんできます』などと言うのはふざけている!ということを仰ってましたが、これ自体は当方が述べたこととは少し論点が違うように思ったものの、ただ、この方の言われることにも少なからず共感出来る部分もありました。
まあ、アスリートとしては、大舞台を前に緊張しないように、自分にそう言い聞かせているのだろうとは思いますが、ただ、最近は、何だか、それが流行語のようになってしまって・・・。

競技で報酬を得ているプロまでが、そういうことをクチにするようになったことには私もいささか違和感を感じております。
藤山翁じゃないですが、「楽しいなら、報酬もらうなよ・・・」みたいな(笑)。

私は、昔、知人の会社の親善野球試合応援で行ったことがあります。
対戦相手は下請けサンだったようですが、私は9回裏にマウンドに上がって、逆転満塁サヨナラ本塁打を打たれてしまいました。
何せ、応援で行ってるんですから、それが、自らマウンドに上がって、試合をぶちこわしたわけですから、内心、「あーあ、やっちゃった・・・」と。
ところが、その後、誰の目にも明かな、完全なオーバーフェンスだったにも拘わらず、なぜか、エンタイトル扱いになって、同点止まりになりました(笑)。
よく、接待ゴルフの話を耳にしますが、あれも大変みたいですね。
試合に勝つことが目的ではないわけですから。

ということで、ちと、話が前後しますが、明日に続きます。
                         平太独白
by heitaroh | 2007-01-22 08:59 | スポーツ | Trackback | Comments(2)

関門海峡からこちら側の世界、福岡北九州比較・前編。
親愛なるアッティクスへ

e0027240_1254573.jpg今日の福岡県地方は、大寒にも関わらず、まるでを思わせるような好天で、ウォーキングしている人たちは、汗だくでした。
で、こんな天気の時に、こんな画像(←)で恐縮なのですが、この絵、実は、うちの子供が単に、段ボール箱に落書きしていただけの物・・・です(笑)。

何だか、思わず、どこかの絵本に出てきそうな絵のように思え・・・、見入ってしまいました。
あ、いえ、決して、某都知事のように、我が子の偉業に自分を見失っているわけではありませんから(笑)。

そう言えば、先日、ある雑誌に、4歳の子供が「僕ねぇ、は・・・。」と2年前の出来事について述べていたという記事が載ってました。
まあ、確かに4歳の子供にとって2年前というのは人生の半分ですから、確かに「昔」だな・・・と(笑)。
私が20代の頃を思い出すような物なのでしょうから。
「昭和」なんて言ったら、「紀元前」なんでしょうね(笑)。

で、本題です。
以前、どこかで言ったかもしれませんが、日本で唯一、一つの県で日銀の支店が二つある県があります。
どこかおわかりでしょうか。
そうです、我が福岡県です。
ちなみに、一つの県で新幹線の特急が二つ止まるのは、福岡県と東京都。
(今回、品川駅に止まることになる前は、これも福岡県だけでした。)
ついでに言うと、一つの県で百万都市が二つあるのも、福岡県と神奈川県(横浜川崎)だけですね。
で、この福岡県の特徴である「二つ」というものこそ、言うまでもなく、福岡市北九州市です。

この二つの百万都市は、福岡県内で1位と2位ではあると同時に、九州での1位と2位でもあります。
(ちなみに、3位熊本市、4位鹿児島市、5位長崎市・・・だったかと。)
ただ、静岡浜松新潟長岡長崎佐世保のように、両雄並び立たず・・・で、あまり、仲が良いとはいえないようです。
まあ、あまり、この件をこれ以上、深く掘り下げると、また、色々と問題になる向きもあるようですから、これには触れないとして、木下恵介監督作品に、「陸軍」というのがあるのですが、ご存じでしょうか?
タイトルの通り、戦局悪化著しい昭和19年(1944年)、旧陸軍省の肝いりで「大東亜戦争3周年記念映画」として製作された国威発揚映画です。
それだけに、出ている面々もそうそうたる顔ぶれで、 主演は、日本映画史に残る大女優、田中絹代、共演者には、笠 智衆、杉村春子、東野英二郞といった、後の大御所が顔を並べていたのですが、この映画は、舞台が現北九州市である豊前小倉(当時は小倉市?)なんですね。

続きは、また、来週ですかね(笑)。
                                 平太独白
by heitaroh | 2007-01-20 08:01 | 地域 | Trackback | Comments(4)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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