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日ハム・日本一への快進撃に想う黄金時代の持続の難しさ。
親愛なるアッティクスへ

日ハム、ついに、日本一を勝ち取りましたね。
44年ぶりの・・・。
まずは、地盤沈下が囁かれること著しかった「パ・リーグ」の4年連続日本一・・・ということで、おめでとうと言いたいですね(笑)。
もっとも、私としましては、52年間、日本一になっていない中日を、どちらかといえば心情的応援していたんですけどね。

e0027240_11233941.jpgここで、中日の敗因分析などをやると、また、お叱りを蒙りそうなのでやりませんが、ただ、落合監督というのは、非常に優秀な監督だと思いますよ。
特に、このご時世に、補強に頼らないということを打ち出している点で、出色の監督だと思います。

何だか、悲運の名将、西本幸雄さんに似てきたような気もしますけどね(笑)。

(←福岡ドームでの日ハム戦のヒトコマです。今のカメラはこうなってるんですね・・・。撮ったら、すぐにパソコンに一覧で画像が映し出されるという・・・。確か、その場から、東京札幌などの本社に、すぐに転送出来るんですよね。)

で、中日のことは置くとして、プレーオフから日本シリーズ快進撃を続けてきた日ハムですが、そのあまりの順調さに、「まるで、去年のロッテを見ているようだ」という声も聞かれるようですが、この点では、私はむしろ、1999年のダイエーを見るような気がしています。
この年のダイエーは、シーズンオフに、エース工藤が抜けたことで、「もう、ダイエーの優勝はない」と言われたのに、しっかり、翌年優勝し、2003年には再び日本一にも輝きましたからね。
当分は、ダイエーの黄金時代が続くと思いましたよ。
皆、選手はまだまだ、若かったし・・・。

ただ、やはり、黄金時代というのは、長く続かないようで、ここ3年、プレーオフが導入されて以来、優勝から遠ざかっており、特に今年は明らかに力が落ちてきていたように思います。
まあ、それも当然と言えば当然の話であって、2003年のメンバーから、村松、井口、小久保、城島、バルデス・・・と抜けたわけですから・・・。

で、それはさておき、以前、平太郎独白録 「祝!ホークス第二ステージ進出にみる投手陣への苦言。」の中で、1992年阪神のことについて触れたと思うのですが、そのとき、その年のことを調べていて思ったことがあります。
この1992年、阪神は惜しくも優勝を逃しながらも、大健闘の2位だったのですが、その前に優勝したのは1985年バース、掛布、岡田、真弓という強力打線日本一になったときなんですよ。
つまり、、わずか7年前なんですね。
ところが、この1992年、そのときのメンバーは殆ど残ってないんです。
チーム構成もながら、顔ぶれも、「まるで違うチーム」だったんですよ。
思い起こせば、上田監督阪急黄金時代も、その後、数年して、同監督で優勝したときは、「まるで別のチーム」でしたね。

つまり、当たり前の話でしょうが、今、28歳で全盛期の選手でも、5年経ったら33歳でぼちぼち、引退か・・・ってことになってくるわけで、やはり、黄金時代を持続させるということが、如何に難しいか・・・ということなんでしょうね。
もっとも、今年の日ハムのように、「優勝すると人件費が上がり、主力選手放出しないと、他の選手に金が払えない」という、一種のデフレスパイラルと言うか、それにしても、ヒルマン、新庄、小笠原、岡島と、日本シリーズが終わったら、ここまで解体されるチームというのも珍しいですけどね・・・。

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by heitaroh | 2006-10-31 08:21 | スポーツ | Trackback(1) | Comments(0)

バルトの楽園その7 脱亜入欧しきれなかった日本。
親愛なるアッティクスへ

e0027240_15132350.jpg←こちらは、先般から取り上げております、第一大戦中現職ドイツ海軍大臣博多で殺され、俘虜として収容されていた夫が自死した、博多版バルトの楽園、「ザルデルン夫人殺害事件」があった住吉・簑島側から、対岸の旧柳橋遊郭方向を見たものです。

ちなみに、左に写っている木造三階建ての建物は、決して、遊郭などではなく、博多では有名な高級料亭三光園です。
ちなみに、私も一度だけ行ったことがあります。
(参照:平太郎独白録 「バルトの楽園が福岡ではザルデルン夫妻の悲話・前編。」及び、平太郎独白録 「バルトの楽園が福岡ではザルデルン夫妻の悲話・後編。」

で、先日から申しておりますとおり、先般、「板東俘虜収容所―日独戦争と在日ドイツ俘虜」という本を読んだのですが、同時期に、塩野七生女史の「ローマ人の物語XIV キリストの勝利 」も読んでおりました。
これは、特に意味のあることではないのですが、昔と違い、なかなか、読書にいそしむ時間がない身としては、寸暇を惜しまねばならず、となれば、至る所へ、本を置いておかねば成らず、車の中、カバンの中は言うに及ばず、私が入る可能性があるあらゆるトイレにも置いてあります。
つまり、はええ話が、こっちのトイレかあっちのトイレかという違い・・・ということですね(笑)。

で、以前から感じていたことなのですが、この二つの本を読んで、改めて、思ったことがあります。
明治期、日本は脱亜入欧を宣し、近代化への道を歩み出したのでしょうが、そのとき、アジアを出て欧米に入る・・・と言ったのであれば、その為には、欧米文明の基礎知識となっている、「古代ギリシャ・古代ローマ文明」「聖書」くらいは、最低限、知識として、広く識っておかなければならなかったのではないか・・・ということです。

にも関わらず、日本人は技術的な物、制度的な物を取り入れることばかりに汲々とし、本質のところで、欧米人と価値観を共有することはできなかったと言え、それが、第一次大戦後講和会議で、「サイレント・パートナー」などという蔑称を頂戴する遠因になったと思われますが、この点で、この第一次大戦によって、当時、日本に俘虜として抑留されていたドイツ人たちに対する日本人との比較が、その辺を解き明かしてくれるかも知れません。

同著曰く、最初の国際条約であるハーグ条約を読み解くと、「ああ、ヨーロッパ人同士の戦争を想定しているな」ということがわかるそうで、それを端的に表している部分として、「宣誓解放」という制度があるそうです。
即ち、ドイツ兵俘虜が、「私はに誓って、このたびの戦争に二度と参加いたしません」と誓うと、その俘虜は解放されるのだとか・・・。
国内法制定されていれることが前提だそうですが・・・。)
実際、大正時代に、俘虜情報局というところが発行したドイツ人俘虜名簿には、ところどころ、線が引っばってゴム印が押してある部分があるそうです。
それが即ち、「宣誓解放」で解放された者の名前だとか・・・。
でも、これは、現代でも日本人には、なかなか、なじめない制度ではないでしょうか?
「こんな誓いで解放して良いの?」、「本当に守るの?」、「どれほどの拘束力をもつの?」・・・、ていうか、「そもそも、日本人は何に対して宣誓すればいいの?」・・・と。

つまり、この条約は「明らかにキリスト教徒同士、つまり欧米諸国間の戦争を前提とした条約である」・・・ということになるわけです。
なるほど・・・と。
この一事だけを採っても、日本人は、スーツを着て、ネクタイを締めて、脱亜入欧を宣したものの、根本的なところでは決定的に異邦人であったと言えるでしょう。

この点で、同著は、「日本では、裁判の場合の証言でさえ、ちゃんと誓っているはずなのに例の有名な『記憶にございません』という返答になるわけですから、(日本人の場合の)宣誓は (欧米人のそれとは)まったく違った意味を持つのだろう」と結んでおられました。
「例の・・・」という辺り、どうやら、ロッキード事件当時に書かれた論文だったようです。
平太独白
by heitaroh | 2006-10-30 18:12 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

アメリカの国益にみる東アジアでの分割統治策。
親愛なるアッティクスへ

e0027240_10445753.jpg左の画像は、柱状節理「造反有理」・・・ではありませんよ。念の為(笑)。)の奇観「七ツ釜」です。

一昨日は、とにかく、波が荒かったですねぇ・・・。

しぶきが飛ぶ・・・どころか、頭から降り注いでましたから・・・。

ところで、先日、平太郎独白録 「米中新冷戦時代到来に対する日韓両政府の難しい対応。」で、日中、日韓、日露、米露近国でも、日米、米中、米韓、露印遠国であり、「遠交近攻」外交原理に照らしてみたならば、米中は、本来ならば、今すぐ、目くじらを立てないでもいい相手であると。
今回は、その続きです。

遠交近攻の外交原理では、そういう組み合わせとなっておりますが、もうひとつ、欧米には、古代ローマ帝国以来の分割統治策という概念があります。
読んで字の如く、他民族を支配する場合に、分割して統治するという意味です。
そして、それは、実に驚くほど、機能します。
イギリスが、欧州大陸において、フランスドイツの対立を煽り、インドを支配する際にイスラム教徒ヒンズー教徒の対立を煽り、パレスチナを支配するに当たっては、ユダヤ人アラブ人の双方にいいことを言った・・・というのが、その好例でしょう。
その結果が、今日の混乱の原因を作り出しているわけですが・・・。

ちなみに、この分割統治策は、驚くほどに巧妙で、民族同士の対立軸に限らず、オランダインドネシア支配や、フランスベトナム支配で実際に地元民支配したのは、彼らに「雇われた中国人」であったわけですし、インドでの統治にはネパール人を使ったわけです。
つまり、搾取の恨みは、直接、白人に返らずに、それらの「代官」に向けられるわけですね。
他にも、同様の例は、ミャンマーでのビルマ族支配の為のカレン族ルワンダでのフツ族支配の為のツチ族などにも見られます。
悲惨な内戦で記憶に新しいユーゴスラビア紛争も、ルワンダでの大虐殺も、上述したパレスチナ紛争も、インド・パキスタンの紛争も、全部、元を辿れば、欧米列強の植民地支配の延長線上にあるわけです。

で、それはさておき、遠国が、その地域を支配するにおいては、その地域に並び立つ二つの民族、国家があった方がいいわけで、その公式をアジアに当てはめたならば、かつて、日本が強大になってきたときには、中国支援し日本を敗戦に追い込んだわけですが、今や、それが、今度は中国強大になろうとしているわけですよね。
とすれば、アメリカとすれば、米中が仲良くするという選択肢はないと仮定したならば、日本というのは、台湾と同じくらいに大事な支援国になるわけですよね。
とすれば、近隣諸国に限らず、遠国であるアメリカとしても、日中が仲良くすることは望んでないといえるわけで、「遠交近攻」「分割統治」・・・それに、先般、平太郎独白録 「脱亜入欧ならぬ、脱亜入「オ」の合従連衡論。」の中で申し上げました「合従連衡」といった、どれをとっても、日中が仲良くすることは国家原理としては基本的に有り得ないという結論に繋がるわけで・・・。

となれば、逆に言えば、これら外交原理、もっと、平たく言えば、「周辺諸国の思惑」というものを、為政者の方々は、頭の片隅に絶えず置いておくべきではないかと思います。
                     平太独白
by heitaroh | 2006-10-28 00:43 | 国際問題 | Trackback | Comments(2)

元寇に見る北条時宗の決断の是非!

以前、平太郎独白録 : 「アジアには王様が必要!」の中で、元寇のときの北条時宗の決断について述べたと思いますが、私はその決断自体は誤りだったと思います。
世界帝国と言うものの本当の恐ろしさは、その物量ではなく、継続性に有ると思うからです。
戦力二乗の法則と言うものがあります。
4隻の軍艦と8隻の軍艦が戦うと、一見、8-4=4となりそうですが、実は集中砲火を浴びた軍艦は早く沈み、敵を撃沈させた軍艦は味方が交戦中の軍艦の攻撃に加わるから圧勝する・・・というもので、これと同じで、小国が大国に二度三度大勝しても結局、損耗するのは小国の方であり、それを繰り返すうちに小国は滅亡する・・・と。

ただ、私も、モンゴル帝国・・・、つまり、「元」があのまま日本に上陸できたとしても、そのまま、一直線に日本を征服できたとは考えにくく、仮に征服したとしても、元の統制下で維持することは無理だったと思います。
しかし、戦争と言うことになれば、その被害は計り知れず、それを考えると友好関係を樹立することは必ずしも不可能ではなかったと思います。
その根拠は、日本は日本人が思っているほど重要視されていなかったことです。
モンゴルの主目標は、日本に使節を寄越した時点では、中国南部に未だ割拠する漢民族の王朝「宋」であり、使節を寄越したのも、その包囲策の一環だったといいます。

そこで、問題となってくるのが、時宗はモンゴル帝国というものについて、どの程度、知った上であの決断を下したか?ということです。
つまり、一番の問題点は、主な情報源を宋からの亡命僧たちにのみに頼ったということです。
これこそが、今も昔も、情報チャンネルは複数持つ必要があるということの好例ではないでしょうか?

時宗は、まずモンゴルの申し出を受ける。
それでいて、実質的なものは何も渡さない。
使節を送る。
彼等にモンゴルと言うものの視察を命じる。
朝鮮の現状を把握させる。
その後、出兵要請などが来たら何だかだ言っておいて、最後通牒がきたその時点で手切れとする。

この選択でよかったのではないでしょうか?
おそらく、当時は、このやりとりだけで、かなりの日数がかかったんでしょうから・・・。
時宗がまずやるべきことは時を稼ぐこと。
そして、その間に、出来る限りの情報を集めることだったと思います。
何より、使節と言う絶好の情報収集方法があったわけで・・・。

ただ、彼がもし、正解不正解はともかくとして、屈服外交を展開したら、たちどころに執権どころか、北条家自体が凋落の一途を辿ったでしょう。
(こう考えると、ペリー来航以降、江戸幕府が急速に不平分子の跋扈を許し、坂を転げ落ちた、「あの」時代の空気がわかるように思えます。つまり、今の北朝鮮同様、軍事政権は武威という心理的なもので成り立っているということです。内弁慶じゃ通用しないということですね。)
結局は時宗には、あの選択しかなかったのかもしれませんが、その意味で、彼の視野には北条家はあっても日本国はなかったとも言えるのかもしれません。
もっとも、これも、当時の日本人の感覚からすれば、日本という概念自体がなかったわけですから、やむを得なかったとは思いますが・・・。
                           平太独白
by heitaroh | 2006-10-27 08:38 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

中日ナインにみる、「苦しいときほど声を出せ!」の原理。
親愛なるアッティクスへ

e0027240_11144549.jpg←ここはどこかおわかりになられますか?
そう、中華街です。
中華街というと、横浜が真っ先に頭に浮かぶのでしょうが、実は九州にもあります。
日本三大中華街のひとつ、長崎の中華街です。
先日、秋田人と行ってきました。

ところで、日本シリーズ、とうとう、日ハム王手ですね。
まだまだ、中日も慌てる必要はないのでしょうが、プレーオフのときも札幌で決めてしまいましたから、今日で決まる可能性は十分あるでしょう。
どちらかと言えば、44年ぶりの日ハムよりは、52年ぶりの中日を応援してたんですけどね・・・(笑)。

中日と日ハムの戦力比較では、両軍とも、似たような構成なんですよね。
ところが、たったひとつ、日ハムにあって、中日に見えてこない物がある・・・。
おそらく、戦力的にはまったくの五分と五分・・・。
であれば、わずかに、何かの部分で勝った方に均衡は傾く・・・。
それが、新庄剛志・・・、「SHINJO」の存在です。

中日には、ああいうお祭り男というか、チーム内を「カーッ」と燃え上がらせる選手が見あたらない。
皆、大人しい印象があるのです。
実際にはしりませんよ。
しかし、少なくとも、テレビの画面には見えてこないのです。

かつての、長島さんであるとか、中畑清、石毛宏典さんなどのような、あいつが打ったらチームが沸く!・・・みたいな人が見えてこないのです。
かつて、西郷隆盛が、「理想の総司令官」について聞かれたとき、「地味で堅実な人より、派手でイケイケの人の方が、戦場では兵の士気が上がるようだ」と答えたことがあると言います。

その意味では、中日の選手たちに、是非、耳を傾けて欲しいことがあります。
それ即ち、「苦しいときほど声を出せ!」です。
これは私自身の経験でもあるのですが、野球選手に限らず、調子が悪くなったり、負けがこんで来出すと、声が小さくなってくる。
声が小さくなってくると、暗くなる。
暗くなると、萎縮してしまう・・・。
萎縮すると、勝てるものまで勝てなくなる・・・。

つまり、リーダーは、嘘でも良いから、苦しいときほど声を出さないといけないんです。
中日ナイン・・・、誰か、本音を隠してでも、チーム内で脳天気なことやらないといけないんですけどね・・・。

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by heitaroh | 2006-10-26 08:09 | スポーツ | Trackback(1) | Comments(0)

貧乏性で浪費癖が見る郵便物で占う企業の柔軟性。
親愛なるアッティクスへ

e0027240_11144831.jpg私のところには、毎日、色々な情報物が届きます。

(←長崎佐世保沖の九十九島に沈む夕陽です。)

郵便物だったり、宅急便だったり、メールだったり、ファックスだったり・・・。
(無論、ただの広告も多いのですが。)

で、あるとき、よく知った取引先から、私宛と家人宛に、それぞれ、別の封筒で二通、請求書が送られてきました。
で、例によって、「浪費癖なのに貧乏性」の私としては、こういう無駄が気になるわけで・・・。
(これは、双子座の特徴だそうです。あまりにも当たっているのに苦笑・・・(笑)。)
で、何かの折に、先方に、「同じ住所なんだから、今度から一つの封筒でいいよ。勿体ないから。」ということを申し上げました。
たかが、郵便切手一枚、80円の問題であるのでしょうが・・・。

それらの中で、最近、感心するのが報告書などを送付してくるのに、件数が少ないときは葉書で、件数が複数になるときは一つの封筒でまとめて送ってくる会社があることです。
また、別の会社は、「ひとつにまとめて、送って良いですか?」と聞いてきたところもあります。
両方とも、誰でも知っているような大きな会社です。
この点では、得てして、中小企業の方が対応が役所的な感じがします。
一つには、大企業の場合、たとえば、インターネット閲覧などにして切手代80円を浮かした場合、何せ、量が多いのでグロスではもの凄い金額になって返ってくる・・・ということがあるでしょう。

福岡に西鉄という私鉄がありますが、20年ほど前からでしょうか、この会社のバスは、信号停止した場合、エンジンを切るようにしています。
そして、青信号に変わったら、また、エンジンを掛ける。
(おそらく、どこの私鉄でもやってるとは思いますが・・・。)
たったこれだけのことで、環境問題はもとより、経費的にも、年間、数千万円の節約になるとか・・・。
(なんせ、昔の話ですから、額はアテになりませんよ。あるいは、数百万円の間違いだったかも知れませんし。とにかく、当時、私が聞いて桁違いの額だったことだけは間違い有りません。)

逆に中小企業では、80円切手を節約しろ!と言ったところで、トータルで10通しか送らないのであれば、800円の節約にしかなりません。
「じゃあ、目くじら立てるだけ、損じゃない!」ということになるのでしょうが、しかし、やはり、貧乏性で浪費癖の私的には、それでも、節約できるところは節約するべきだと思うのです。

なぜなら、大企業の場合、いくらコンピューター化が進んだとは言え、仮に、誰と誰が同じ住所で・・・とまではわかったとしても、そこに、どういう事情があるかわからないわけですし、迂闊に80円節約したばっかりにとんでもないクレームが来たなどということになったら割に合わないわけですよね。
その点、中小企業は、事情はある程度、わかっているわけですし、ちょっと確認するだけで、節約が可能なんですよ。

要は、機転と、モチベーションの問題だと思います。
この点で、中小企業、それも、名門企業などでは、往々にして、一部の人が特権階級化しているようなことが多く、こんな封筒詰めするような現場は、しらけきっていることが多いのが実情であり、それが問題なんだと思いますけどね。
                              平太独白
by heitaroh | 2006-10-25 08:49 | 社会全般 | Trackback | Comments(4)

カッコウの託卵!
親愛なるアッティクスへ

「かっこうのたくらん」・・・。
格好の攪乱、鬼の霍乱の間違いなどではなく、アタマが錯乱したわけでもありません(笑)。
「カッコウの託卵」です。

e0027240_1341740.jpgご存じかと思いますが、カッコウという鳥の一部には、自分で雛を育てるということをせず、「託卵」という方法で雛を育てるものがいるそうです。
一度、テレビで見たことがあるのですが、他の鳥のに狙いを付けるや、(親鳥が出かけたのを見計らい、)その巣の中に入り込み、その鳥の卵の傍らに自分の卵を産み付けます。

そればかりではなく、何と!孵化したカッコウの雛は、驚くことにその家の本来の主であるその鳥の雛を片っ端からから追い落としてしてしまい、親鳥が運んでくるエサを独り占めにしてしまいます。
やがて、雛は成長し、自分とは、はっきりと似ても似つかぬ形となっても、親鳥はせっせとエサを運び続ける。
自分よりはるかに巨大になり、どこから見てもカッコウそのものになっても、なおもせっせとエサを運び続ける。
そして、完全に成長したカッコウは、「もう結構」とばかり一声鳴くと、もの凄い羽音と共に大空へ飛び去っていく・・・。
後に残された親鳥は、茫然として誰もいなくなった巣の中で独り立ちつくす・・・。

鳥に表情があるはずもないのですが、他の雛が巣から追い落とされるときも、明らかに戸惑ったような哀しい表情に見えたし、最後も、こちらに先入観があるからでしょうか、茫然としているような表情に見えました。
少しばかり客観的に見たならば、何とも間抜けな話ですよね。
当然、この番組のゲストからも、「(カッコウの雛が他の雛を追い落としているのを)親鳥はたしなめないのか?」という質問が出てましたが、それに対して識者の答えは、「親鳥は、我が子のすることには何も言わない。容認するんです」というものでした。
(私自身、世の親バカというものに何度か苦汁を飲まされたことがありますので、よくわかります。他の友人も、本人でさえも、自分が悪いということを言っているのに、そこの親だけが、「息子は悪くない。友達が悪いんだ」と・・・。客観的に見れば、普通に見えていることが、「親」というフィルターを通せば、見えなくなるのでしょう。)

以前、ある番組で、歌手で俳優の清水健太郎氏が覚醒剤で逮捕されたとき、収監された清水に対し、上京してきた父が、「おまえの保釈申請は取り消したから。完全に治ってから出て来い」と言ったという話を聞いて、ある女性ゲストは、「これは、やはり、男親だから出来ることですよ。女親だと、もう、理屈抜きに、どんなことをしてでも出してやりたい!と思いますから」と言ってました。
どんな行為でも、どんな出来の悪い子供でも、我が身に替えても容認してくれるのが、男親と違う、有り難い母の愛なのでしょうが、もし、それが、産婦人科で取り違えられた子だったとしたら・・・。
まるで、横溝正史推理小説の題材になりそうな、あまり気色のいい話ではないでしょうが、実際に、世の中の母親を見ていると、「そんなに親ばかやってるけどアナタの子じゃなかったらどうするの・・・?」と思わなくもありません(笑)。・・・失礼!
                          平太独白
by heitaroh | 2006-10-24 18:14 | 思想哲学 | Trackback | Comments(4)

宇喜多直家の成長戦略
親愛なるアッティクスへ

織田信長武田信玄、上杉謙信ら群雄が割拠した戦国時代、今日の岡山県一帯に盤踞した戦国武将に宇喜多直家という人物が居ます。
といっても、意外に知られていない人物で、むしろ、豊臣家五大老の一人にまでなった息子の宇喜多秀家の方が知られているのかも知れません。
が、備前から、備中、美作の一部まで、ほぼ、今日の岡山県に相当する版図を、一代で切り取ったほどの武将で、享禄2年(1529年)の生まれと言いますから、上杉謙信より1歳、織田信長より5歳の年長になり、宇喜多家は、元々、名門であったものの、直家6歳の時、祖父暗殺されたことから一気に没落し、直家は流浪少年時代を送らねばならなかったといいます。

その後、成長した直家は、宇喜多家復興の為に、政略、謀略をもって頭角を現すと、備前国に勢力を持っていた浦上宗景に仕え、次第に備前に勢力を伸ばしていきます。
彼は、まず、祖父を暗殺し、宇喜多家没落の発端となった島村盛実を暗殺したのを手始めに、舅である中山信正や龍口城主穝所元常を殺害、その後も、三村家親、金光宗高などを暗殺し、その所領を自己のものとし、浦上家中でも、並び立つ者無き実力者となり、さらに、安芸(広島県)を中心に中国地方一円を支配する大大名、毛利輝元と浦上家が対立するようになると、今度は一転、毛利と結び、その力を背景に主家・浦上家を滅ぼし、これによって、備前一国と備中、美作、播磨の一部を領有する戦国大名に成長しました。
ところが、今度は毛利輝元と中央で勃興した織田信長の対立が尖鋭化し、次第に毛利家の旗色が悪くなってくると、これまた一転、織田家の部将・羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の勧誘に応じ、毛利家を裏切り、積極的に毛利方へ攻撃を仕掛けます。

この点で、この男の成長戦略というものは、割とはっきりしたものであったと言えるでしょう。
それは、一言で言うならば、「より強い奴と組んで強い奴を制する」というもので、この男の凄いところは、その「明確な戦略」「明快に実行」に移してきたところにあるわけです。
すなわち、その為には、決して、手段を選ばなかった・・・と。
身内・親戚・恩人・主君・・・、何ら躊躇うことなく、毒殺、謀殺ばかりで今日を成し、戦いらしい戦いは殆どしなかったとさえ言われています。
直家と生涯、行動を共にした実弟でさえも、直家の前に出るときは暗殺を用心して、鎖帷子(くさりかたびら)を着用していたとさえ言われており、曰く、「兄、直家は恐ろしい人であった」と。

そして、この男は、この成長戦略を自ら信仰のように信じぬいたわけですが、実際、毛利家は織田家の攻勢の前に風前の灯火であり、また、毛利の所領を手に入れた後に打倒すべき対象であった織田信長も、家臣、明智光秀のクーデターにより、業火の中に滅んでいるわけですから、何だか、本当に最終目標にまで到達することが可能であったようにも思えてきます。
しかし、現実には、直家の天下は来なかった・・・、なぜならば、直家自身が、毛利と織田の抗争が激しさを増しつつあった天正10年(1582年)、死去していたからです。
実際には、その数ヶ月前に死去していたと言いますが、直家存命ならまだしも、後に残されたのは、9歳の一人息子・秀家であり、それに何より、もうこの頃になると宇喜多家は織田家の中国戦略や、その後継者・羽柴秀吉の天下統一路線の中に組み込まれてしまっており、それ以上の成長は無理だったでしょう。
むしろ、ここまでで終わったと言うところが、所詮、直家の戦略の限界だったのかも知れません。
                           平太独白

by heitaroh | 2006-10-23 00:33 | 歴史 | Trackback | Comments(2)

小笠原獲得にみる競争こそが巨人の活力!
親愛なるアッティクスへ

ついに、日本シリーズ始まりますね。
44年ぶりにして、北海道に初の日ハム日本一か、52年ぶりにして、球団創設70周年での中日日本一か・・・。
どちらも、たぶん、二度目の日本一かと思いますが、共に凄い数字ですね(笑)。
どちらにも、勝って欲しいものです。

e0027240_14412277.jpgこんなときに、なんなんですが、これ(←)、何だかわかりますか?

そう!プレーオフ第二ステージ・第三戦チケットです!

幻の逸品・・・になってしまいましたけどね(泣)。
でも、将来、プレミアが付くかな・・・と(笑)。

ところで、日ハムと言えば、これを言うと、また、叱られそうですが、巨人は、小久保が出て行くってことで日ハムの小笠原道大選手の獲得に動くそうですね。
まあ、それはいいんですよ。
それが、巨人のカラーなんですから。
巨人というチームは、そうやって、チーム内で激しい競争をさせることにより、活力を得てきたチームなんですよね。

以前、広岡達郎さんが言ってましたけど、「私が新人王獲った後、これで、実績も出来たし、少し、ゆっくりできるかな・・・と思っていたら、巨人は、これでもか!というくらい、有望な遊撃手を獲得してきた」と。
そういえば、打者だけ、挙げてみたところでも、高倉、富田、張本、加藤英、有田、そして、記憶に新しい所では、広沢、石井、江藤、清原・・・、外人では、マルティネス、ペタジーニ、ローズ・・・。
そして、今(?)の小久保

ただ、一点だけ、昔と今とで大きく違う所があると思うとです。
それは、彼ら移籍選手は、所詮、咬ませ犬だったということ。
つまり、いくら、有田修三が実力を発揮しようとも、絶対に、生え抜きの山倉メインの捕手であり続けましたよね。
つまり、あくまで、生え抜き優先だったということ。

当時は、私は巨人のこの気位の高さ嫌いだったのですが、今にしても思うと、やはり、これはこれで、必要悪だったのかな・・・と。
それが今は、咬ませ犬が試合に出て、これから伸びる若手が試合に出られない・・・。
まあ、現時点での実力という点で及ばないのでしょうが、サンだって、新人時代は、まるで打てなかったのに、当時の水原監督が辛抱して使い続けたという話があるわけですから・・・。

巨人ファンの友人(東京生まれ東京育ち。多摩だけど(笑)。)も言ってましたけど、「今の巨人は、若手・・・っていうから、いくつかな?と思って、みてみたら、30歳だったりする。全然、若手じゃねーじゃねぇか!」と。

ま、巨人のことだし。
ま、いっか。

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by heitaroh | 2006-10-21 17:40 | スポーツ | Trackback | Comments(2)

教員免許更新制導入論議に対する教育の是非。
親愛なるアッティクスへ

e0027240_11362363.jpgここ最近、鬱々として楽しまざる事がありましたので、思い切って、「自分にご褒美」みたいな感じで、結構な昼飯を食いに行きました(笑)。
おかげで、今日はそこら辺の弁当か何かで我慢・・・です。

ところで、安倍政権は、首相の私的諮問機関「教育再生会議」の設置を決定しておりましたが、先日、そのメンバーが決まったというニュースを耳にしました。

まあ、はっきり言って、顔ぶれになどは興味がないのですが、主に、学習指導要領の見直し、教員免許の更新制度、学校・教員の部外評価制度、全国的な学力調査の実施、学校選択制、大学入学時期の見直しと社会奉仕活動の義務づけ、教育バウチャー(利用券)制度などが、議論されると聞いております。

元々、教育という点では、私の考えは、平太郎独白録 「学年不要論」や、平太郎独白録 「学問とは志であり、学校制度は日本にはなじまない。」などで述べたとおりですが、いずれにしても、少しでもいい方向に進んでくれればと思っております。
ただ、これら教育再生会議の討議事項の中で、一点だけ、「ん?」と思ったのが、「教員免許の更新制度」でした。

先般より、姉歯建築士の構造計算偽造に端を発し、世間を騒がせた「耐震偽造」問題以来、一級建築士などにも免許の更新制度が導入されるそうですが、まあ、こういった建築士などを始め、日々、新しい技術が出てきている業界は、まあ、こういう更新制度というものもありなのかな・・・とは思います。

その意味では、真っ先に、更新制度導入の対象になってもおかしくないと思われるのが医師免許でしょう。
しかし、今、医師不足は深刻な問題となってきており、現段階で医師免許にも更新制度を導入することは、決して、現実的だとはいえないと思います。
まあ、だからこそ、医療制度改革というものが、なかなか、進まない一因になっているのでしょうが。

で、思うのが、古代ローマ共和制から帝政へと移行する道を拓いた、英雄、ユリウス=カエサルですが、彼は自らが権力を握ると、元老院議員の議席を増やし、征服したばかりの属州の族長などを元老院議員に登用するなどの様々な、改革に取り組みましたが、その中の一つに、「医師教師には、無条件でローマ市民権を与える」・・・というものがありました。
つまり、「医師と教師」というのは、時代は変わっても、国家にとっては、それほどまでして、量を確保しなければならない存在・・・ということなのではないでしょうか?

となれば、更新制度を導入するという点では、教員もまた、一考を要するのではないかと思った次第です。
大学のような、最先端の知識が求められるところは別としても、指導教材の変更で十分に対応出来る小中高などの教員免許も更新制度を設けるのでしょうか?
もし、これが導入されれば、まあ、更新のレベルにもよるのでしょうが、実際に、いじめ校内暴力などの学業以外のことに対処しなければならない教員に対し、もの凄い負担になりますよね。
実際には、教員は順番待ち・・・というくらい、数が多いといいますから、いきなり、医師免許と同じように考える必要はないとは思いますが、将来的に見て、「量の確保」という点では如何なものかと思った次第です・・・。

ちなみに、うちの子供が通っている市立小学校へは、私は殆ど行ったことが・・・、ていうか、行かせてもらったことがないのですが、なぜかというと、妻曰く、私が行くと、すぐにケンカになる・・・からだそうです。
以前、一度、ちらっと話を聞いたときには、厳しく叱る先生が、一度、担任を外れた後に、また、戻ってくるということになったときに、父兄の中には、「あの先生には戻ってきて欲しくない。子供が学校に行きたくないと言い出した」といって、反対した人がいたそうです。
私的には、子供が悪いことして、先生が叱るのは当たり前のことだと思います。
私だって、そりゃあ、毎日のように先生から・・・、あ、いえ、何でもないです(笑)。

問題は、価値観の相違だと思うんですよ。
つまり、そういう、「うちの子に手を挙げるなんて!」って親は、そういう価値観を持った人ばかりの学校に行かせるべきだと思うんです。
今のように、日本人全体の価値観が多様化してきた時代に、一律に住民票でその区域の公立学校に行かせるから、とかく、問題が起きる。
もっと、柔軟に、「こちらではあわないみたいだから、こっちに行かせますね」くらいのことがあっていいと思うんですよ。

ていうか、イマイチ、言いたいことがまとまりませんでした。
やっぱり、モチベーションが上がらないもんで・・・。

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by heitaroh | 2006-10-20 08:21 | 教育 | Trackback(2) | Comments(7)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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