<   2006年 09月 ( 24 )   > この月の画像一覧

博多駅前史 その11 博多駅移転区画整理編 Ⅳ
親愛なるアッティクスへ

e0027240_9581919.jpg←これは、博多駅と博多港を結ぶ大博通りという大通り沿いに設置されている、通称、「おポンプ様」です(笑)。
元々、この辺には民家があり、その庭先に設置されていたのでしょうが、道路拡張により家屋が撤去された際に、この手動ポンプだけが残されたようです。
ちなみに、今でも、しっかりと水が出ます・・・。

で、また、今週も、この自己満足シリーズの回がやって参りました。
今週は、博多駅土地区画整理における「選挙戦」のお話です(笑)。
昭和33年6月13日・・・、この日の新聞には以下のような記事があります。
------------------------------

博多駅周辺80万余坪にわたる土地区画整理事業の審議会委員の選挙がきたる15日に実施される。
すでに去る3日立候補を締切ったが、公職選挙法が適用されない選挙だけに、ちよっと毛色の異なった選挙模様をえがき出している。

土地区画整理審議会委員というのは市長諮問機関で、土地評価員の選任議決保留地の処分を決める権限を与えられている。
博多駅周辺の場合は土地所有者から15名、借地権者から1名を選ぶことになっているが、立候補者は土地所有者22名、借地権者3名となっている。
一方、有権者は所有者3,133名、借地権者231名だが、福岡市外に住む土地所有者も5%あり、なかにはアメリカ在住、北海道の札幌、根室に住む人もいて、15日の投票日には「棄権確実」とうわさされている。

「審議会委員に当選しても世間でいうようにモウケがあるわけではない。換地問題にしても一定基準で減歩率を算定、公開で移転先を決めるので、委員の肩書を利用し個人的にモウケをたくらむことはとうてい不可能だ」と福岡市博多駅土地区画整理事務局は説明している。
にもかかわらずこれほどの立候補者が出たのは、やはり「自分たちの財産が処分されるのだから大いに監視してやろう」とか「肩書がほしい」というのが真意らしい

------------------------------
「・・・真意らしい」って、でも、「世間でいうようにモウケがあるわけではない」ってことは、しっかり、当時から、そういうがあったってところが・・・(笑)。
で、その翌々日の選挙当日の記事には、以下のようにあります。

------------------------------
博多駅土地区画整理審議会委員選挙が15日午前9時から行われた。
公職選挙法の適用もうけず選挙運動気まま勝手の選挙とあって投票所の前にはズラリと候補者の氏名を書いた立看板がならび、青空にナワをはりめぐらして、それにまで名前のビラをすきまなくぶら下げ、さては各候補者を応援するために出身区からテントを持出して即製の選挙事務所を造る有様。
有権者のかり出しにも乗用車、トラック、タクシー、オート三輪車と思い思いに使い放題。
車が投票所の前までさっと乗りつけると、待っていた候補者がドアを開けてニッコリ「ダメおし」の微笑をしてみせるといった工合で、日ごろはさびしいこの地区もきょうばかりはもう博多駅ができたときのような混雑ぶりだった。
また名義が土地所有者になっておればだれでも有権者の資格があるため、2オの子供もりっばな有権者として投票所に姿をみせ、お父さんが代理投票をすませた。
------------------------------
日頃はさびしい・・・というところが、正直ですね(笑)。
ちなみに、オート三輪・・・という辺りに時代を感じます。
ちなみに、このとき、私の祖父は、下人参町自治会長として、歴史に名を刻んでおります(笑)。
                                平太独白
by heitaroh | 2006-09-30 08:57 | 地域 | Trackback | Comments(0)

今更ながらのオリンピック続編、日本のスポーツは見る物
親愛なるアッティクスへ

e0027240_1241279.jpg「今年も残すところ、あと三ヶ月となりました。」

・・・これは、今朝のラジオの一言です。

そうなんですよね。
気が付けば9月ももう終わり・・・。
早いものです。
もう、中秋の名月(←)の季節を過ぎれば、瞬く間に冬、そして、正月です。

などという感慨に浸っている場合ではなく、実は、以前、平太郎独白録 : オリンピック招致その3 その是非に見る日本のスポーツは見る物。という記事を書いていたのですが、その続きを書くのを忘れて、4に進んでおりました。
で、今更ながらに、その続きです(笑)。

以前、テレビで、「討論 福岡市・五輪招致」というのをやっていたのですが、その中で、シドニーオリンピックを開催したオーストラリアのシドニーでは、閉幕後、それらに使われた競技施設は一般開放され、市民の健康増進に役立つと共に、増える一方だった福祉予算の削減に役立っている・・・という話が出てました。
で、ここで、印象に残ったのが、東大教授の方の話しで、「欧米では、スポーツはする物であるのに対して、日本ではスポーツは観る物である。それは即ち、する場所がないからである」というような意味のことを述べられたことでした。

そう言えば、野球やりたいなと思って、場所を探したら、球場はもの凄い順番待ち・・・。
で、その日が来たら、敵味方合わせて18人もの予定を合わせるなんてことは至難の技で、体育会系の規律で縛って・・・と、こうなると、もう、気軽に野球やろうなんて感じではない・・・と。
で、仕方がないので、キャッチボールでもやろうと思って、公園へ行くと、「ここでキャッチボールしてはいけません」と書いてある・・・。
つまり、日本に於ける公園とは、スポーツをする場所ではなく、市民が憩い、くつろぐところなんですね。
となれば、どこかの学校の運動場にでも潜り込むほか無く・・・、かといって、大阪池田小学校の事件以来、学校に関係ない人間が気軽に入れる雰囲気でもなく・・・。

こういったスポーツに対する感覚の違いは、何も今に始まったことではなく、先般、紹介しました、第一次大戦中ドイツ兵捕虜収容所について書かれた、「板東俘虜収容所―日独戦争と在日ドイツ俘虜」の中にも、名古屋俘虜収容所の所長の所感として、同様の記述が出てきます。
曰く、「彼らはよくスポーツをし、自ら体を鍛える。ただし、これは命令されてやっているのではない。全部、自発的にやっていることである」と。
自ら、スポーツに親しむことに対して、軽い驚きが伝わってくるような所感ですよね。
当時の日本人には、自発的にスポーツをする・・・という感覚がなかったようですが、考えてみれば、これは、無理からぬ事だったのでしょうか。
当時の日本人と言えば、まず、大半が第一次産業第二次産業従事者であったわけですから・・・。
                       平太独白
by heitaroh | 2006-09-29 08:36 | 社会全般 | Trackback | Comments(0)

プロスポーツ、興業と修行のねじれ・後編
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

つまり、それまでの学生野球とは、自分を鍛える為の修練の場であり、彼らは試合はしても、それは自分の報酬などを得ようとする、賤しい気持ちからではなく、それを人に見せて、金をもらう・・・などというのは、まるで、「猿回しの猿」になったかのような感覚だったでしょうか。
戦後、日本人初の世界王者となった白井義男さんが、世界戦挑戦のときに胸によぎったのは、「これほど多くの人が応援してくれている。敗戦で打ちのめされた彼らに勇気を与えたい」という想いだったと言います。
そこには、いささかも、「これだけの観衆が入ったから、いくら儲かる」という発想はないわけですね。
そして、日本人は、そういう無私の精神を喜ぶのもまた、事実でしょう。

この点で、改めて、プロ・・・というものの位置づけを、ある意味、これほどわかりやすく教えてくれる物もないと思うのが、あの荒川静香選手です。
今、あのトリノオリンピック金メダリスト、荒川静香選手は、アメリカプロスケーターとしてやってますよね。
プロと言うことは、荒川選手の今の職場は、アイススケートショーです。
川上哲治さんの時代でなくとも、金メダリストが何もそんなことしなくても・・・という気もするのですが、それどころか、荒川選手への金メダリストとしての扱いはまったくないそうで、今は前座だそうです。
ここでの、プロとアマチュアの違いは何か?
それは、「ジャッジをするのは審査員ではなく、観衆である」ということです。
これこそが、プロスポーツというものの在り方なんだろうと・・・。

今回のプロレスの問題も然りだと思います。
そもそも、彼ら、悪役レスラーは何の為に存在しているか・・・。
それは、興業を盛り上げる為・・・、ひいてはファンを楽しませる為であって、であれば、あくまで、本来の目的を見失ってはいけないわけです。
最近では、アントニオ猪木さんに殴られたいファンが列を作っている・・・というような現象も起きてますから、一概には言えないのかも知れませんが、そういうマニア的なファンはともかく、孫に付いてきたお婆さんは、普通、罵られるのを喜ぶようには思えませんよね。
すべての人が、すべて、悪役の存在を喜ぶわけではないと言うことです。
であれば、殴られるのを喜んでいるファンなのかどうか、彼らに悪役としてのプロ意識が在れば、その辺は、瞬時に判断しなければならないでしょう。

昔、私が子供の頃に流行った「タイガーマスク」というマンガの中で、無法者レスラーだったかが、タイガーマスクをやっつける際に、お構いなしに観客を殴ったということで、興行主が今後の興業を拒否する・・・というシーンがあったように記憶しております。
曰く、「どんな悪役レスラーでも、観客に手を挙げると言うことはない。それなのに・・・」と。

とかく、日本のプロスポーツの場合、興業と修行と競技の整合性がとれずに、極端に走りやすいというのも、元々、日本にプロスポーツという文化がないことがあるのでしょうね。
                                         平太独白
by heitaroh | 2006-09-28 17:52 | スポーツ | Trackback | Comments(0)

プロスポーツ、興業と修行のねじれ・中編 
親愛なるアッティクスへ

e0027240_17485684.jpg←以前、私の通勤路で見かけた風景です。
いつぞやの台風で倒れた物ですね。
台風慣れしている九州人も、この台風だけは生まれて初めて、「怖い」と思いましたよ。

・・・などと、感心している場合ではなく、昨日の続きです。

時々、実力はともかくとして、奇抜な格好で出てくるアスリートがいますよね。
この点では、「盛り上がってるんだから良いジャン!」という考え方のアスリートもいれば、一方で、成績さえ残せばば、報酬は自動的に付いてくる・・・と思っているアスリートが多いのも、また、事実・・・。
では、なぜ、日本のプロスポーツは、こうも、興業と競技に整合性を見出せないのでしょうか?

思えば、とかく、日本のプロスポーツというものの基本的な考え方は、「修行」になりがちですよね。
(その反動で、興業としての側面のみを重視する人たちが出てくるという素地があるように思います。)
まあ、それもやむを得ないことで、平太郎独白録 「興業としてのプロスポーツのあり方」でも触れたところですが、元々、日本のプロスポーツとは、剣豪が腕を磨く為に行う「修行」から出ているわけで、問題は、その行き着く所に在ったように思います。

では、彼ら剣豪は、剣の達人になって何をするか?
人を集めて、自分の鍛え上げた技を、直接、大衆に見て貰い、報酬を得ようとするのではなく、それなりの大名家に「仕官」するんですね。
(つまり、大企業に就職する為のもので、今で言うなら、履歴書に「ボランティア活動歴何年」などと書くような感覚でしょうか(笑)。)
それは、江戸期の相撲取りも然りです。
つまり、大名という貴族(パトロン)お抱えとなるわけですね。
その辺は、まあ、同時代のヨーロッパの画家たちも、似たり寄ったりではあったでしょうが・・・。

元々、日本のプロスポーツとは、剣豪が腕を磨く為に行う「修行」から出ているわけで、彼ら剣豪は、己の鍛え上げた技を、直接、大衆に見て貰い、報酬を得ようとするのではなく、それなりの大名家に「仕官」することを目的にする・・・と申し上げたわけですが、それに対し、アメリカ型のプロスポーツとは、一人のパトロンに頼らず、自らの技を見せて、直接、客から金をもらう・・・という画期的なものであり、この辺は、間接金融に対する直接金融のような位置づけのようにも思えます。
まさしく、いつまでも、なかなか間接金融から抜け出せない日本人の思考法と、あるいは、何か共通する物があるのかも知れません。

ただ、日本では、とかく、この直接金融方式は白い目で見られがちのようです。
川上哲治元巨人監督は、戦前、生活苦の為に、高い契約金をくれる職業野球に入ることになったとき、「まるで、サーカスにでも売られていくかのような、惨めな気持ちだった。」と述懐しておられました。
この辺に、日本のプロ・スポーツという直接金融に対しての、根本的な考え方が如実に表れているような気がします。

明日に続く。
                              平太独白
by heitaroh | 2006-09-27 07:36 | スポーツ | Trackback | Comments(0)

プロスポーツ、興業と修行のねじれ・前編。
親愛なるアッティクスへ

ここ数日、福岡県地方台風一過の影響か、秋晴れの好天が続いております。
で、昨日、私は必ずしもヒマではなかったのですが、あまりの好天につい魔がさしたか、福岡市美術館 「ポンペイの輝き展」に行こうと思い立ちました。

e0027240_18113936.jpg博物館は嫌いではない私ですが、美術館はまったくの門外漢であり、福岡市美術館は敷居をまたぐのも初めてでした。
ところが、わざわざ、片道一時間かけて歩いて行った私が入口で見た物は・・・休肝日ならぬ「休館日」の文字・・・。
がーっくり・・・して、また、片道1時間かけて歩いて帰ってきました(泣)。
私のような粗野な人間には、やはり、美術は縁がないようです・・・。
(←ちなみに、これは、うちの近所のビルに書いてあった落書きです。近くに、専門学校があるので、そこの生徒さんだろうと思うのですが、やりますよねぇ・・・。立派な、アートではないですか・・・。)

などと、感心している場合ではなく、本日の本題です。

先般から書いております通り、日本では、どうにも、不慣れというか浸透しにくいというか・・・、プロスポーツという文化はなかなか理解されにくいもののようですね。

それを象徴するような事件が、去る先月の27日、馳浩議員(選手?)の引退記念試合で起こりました。
同僚議員の引退試合ということで、観戦に訪れた森喜朗前首相に対し、悪役の極悪集団ヴードゥー・マーダーズ(VM)の3人が、リングサイドで観戦中の前首相に対し、「カス野郎」などと罵倒した挙げ句、ツバを吐きかけ、さらに、そのうちの一人は、リング下に降りて襲いかかったのだとか・・・。
当然、SPは身構えるし、前首相も、一時は、椅子を持って応戦しようとするなど、騒然としたそうですが、さすがに、これには、武藤敬司全日本社長は平謝りに謝る事態になってしまったとか・・・。
(むしろ、全日本プロレス事務所に抗議電話が殺到したということに、少し、驚きました。何だかんだ言っても、この辺の良識はあるんだなと。日本人、まだまだ、捨てたもんじゃないな・・・と。)

で、武藤社長曰く、「彼らは彼らなりにヒール(悪役)として、プロに徹したのだろうが、社会的地位のある方に対して許される行為ではない。全日本を代表しておわびしたい」とコメントしたそうですが、この辺の線引きのあやふやさが、以前から、平太郎独白録 「新庄の襟問題に見るオリジナルを逸脱する「もどき」の弊害。」や、平太郎独白録 「新庄の襟問題に見る具志堅氏の亀田批判は同種同根。」などでも、度々、触れております通り、「興業競技というものの一体化がどうしても理解出来ない日本人の体質」が出たような気がします。

ということで、続きは明日です。

よろしければ、クリックお願いします。→ 人気blogランキング
by heitaroh | 2006-09-26 00:10 | スポーツ | Trackback(1) | Comments(2)

博多駅前史 その10 昭和 博多駅移転区画整理編 Ⅲ
親愛なるアッティクスへ

毎度おなじみ、先週の続きです。
土曜がなかったので、本日にしました。

昭和33年、順調に行き始めたかに見えた博多駅土地区画整理ですが、正式に決定した途端に、壁が立ちはだかります。
まず、そのひとつめとなったのが農地問題についてです。

当時の空撮の写真を見ると、元々、博多駅移転予定地は見事に農地ばかりであり、区画整理対象区域全体でも、3割以上の区域を農地が占めていたことで、補償金を巡って、地主福岡市、それに、小作農を代表する農業団体の三者の利害が複雑に絡み合い、容易成らざる事態となってしまったとか・・・。

e0027240_18514447.jpg(←現在の博多駅から見る博多駅前の風景。この大部分は農地だったわけで・・・。)
中でも、難航したのが、離耕を余儀なくされる小作農の問題だったと・・・。
それは、まあ、そうでしょう。
耕地が無くなれば、いきなり、明日から、失業を意味するわけですから・・・。

となれば、当然、小作農の人たちの危機感は強く、そのことは、区画整理が進み始めたばかりの昭和29年には、早くも、前述の博多駅促進農民評議会が結成されていることからもわかると思います。
特に、1/3を占めると言われた農地の半分以上、約56%が小作地だったわけで・・・と、ここまで言ったところで、あるいは、「嘘ツケぇ!」と思われるかも知れませんね。
なぜなら、昭和23年GHQによって、行われた日本民主化政策の一つである「農地解放」があったことから、日本中から、小作農というものはいなくなっていたはずですから・・・。

ところが・・・です。
どういうわけか、この博多駅移転予定地一帯のみは、見事に、その指定地域から外れていたんです・・・。
従って、この地域の少なくない地域を占める小作農地ですが、その51%を、わずか13名大地主が所有するという事態になっており、このことが、今でも、博多駅一帯には地元でも有数の資産家が多いという現象になっているようです。
(ちなみに、当家は、誠に遺憾ながら、この13名の中には入っておりません(笑)。農民ではなく、大工ですからね・・・。あしからず・・・。)

ということで、この問題は、こじれにこじれ、昭和36年には地主と小作人との離耕条件の交渉が進展しないことに業を煮やした小作人たちが、新駅の杭打ち工事反対を申し入れる騒ぎにまでなったとか・・・。
これは、農地法で、「耕作者の同意が無ければ、工事には手を付けてはならない」と定められていたことから、言うならば、小作人側の「切り札」だったわけで、ストライキのようなものだったでしょうか。

まあ、結局、すったもんだあった末に、昭和38年7月8日、農業団体との間で、ようやく、補償問題で妥結にこぎつけるわけですが、結局、新・博多駅開業は当初より8ヶ月も遅れ、この年の12月になってしまったわけですから、如何にこの問題が・・・ということがおわかりいただけると思います。
                                平太独白
by heitaroh | 2006-09-25 00:50 | 地域 | Trackback | Comments(2)

小泉内閣の総決算 その2 外務省改革担当大臣と9.11。
で、今日は一昨日の続きで、小泉内閣の総決算として、「日本外交」についてです。
普通、任期が終わりに近づくと、どうしても、政権という物はレームダック(死に体)になってしまうものなのでしょうが、この小泉政権という物については、この時期においても、なお、50%を超える驚異的な支持率を誇っていたということを考えると、私には、どうしても、この政権が、「単なる物がわからない愚民をたぶらかすことで成り立っていた」政権・・・とは思えないんです。
私的には、一昨日も触れた、テレビの「小泉内閣の通信簿」が終わった翌日くらいにこの数字でしたから(まあ、皆がその番組を見ていたわけではないでしょうが、度重なるマスコミの洗脳にもめげず、この支持率ですから・・・。)、ますます、その想いを強くした次第です。
とはいえ、マキャベリ「民衆は具体的なことには割と的確な判断を下す」という言葉とは裏腹に、私も、世論という物が如何に目先の感情論で構成されているものなのかということは、一度、実感として感じたことがあります。

小泉内閣が、一番、支持率を下げたとき・・・、それは、田中真紀子氏の外務大臣解任のときでしが、この数日後、私は家族旅行で別府温泉へ行きました。
宿を経つ日の朝、私が家族より一足先に朝食を済ませ、部屋に戻ったところ、まだ、仲居さんが布団を上げて下さっているところで、「あ、早かったですね。すみません。」と言われるので、「あ、いえいえ、いいですよ。」と言って、そのまま、片隅の壁にもたれ、テレビを付けた所、ちょうど、田中真紀子氏の解任の場面が、その週の特集か何かでやっていたのですが、それを見るともなしに見ていたら、傍らで布団を上げていた仲居さんが、「真紀子さん、可愛そうですねぇ。」と。
私的には「そうかぁ?」と思ったのですが、同時に、「あ、これが世論か。」という感を強くしました。

あのとき、支持率を下げた方には申し訳ないのですが、田中氏は外務大臣ではなく、外務省改革担当大臣でしかなかったことが問題なのだと思います。
この点は、以前、平太郎独白録 「外務省が外務省であることの弊害」で述べたことですが、国民が外務省の必要を認めていない・・・、余計な物だという認識があるから、そんなところで無駄遣いばかりやっている官僚を叩くことに、国民は喝采を送ったのでしょうが、それでは、政権担当者の小泉さんとしては困りますよね。
あくまで、外務大臣もしながら、外務省改革もやってくれるのでないと・・・。

これについて、少し、思う所があるのですが、田中真紀子氏の父の、故田中角栄元首相は総理を退任間際、「外務省には気をつけろ」と言ったといいます。
田中内閣の末期、支持率低下に悩んでいた元首相は活路を外交に求め、積極的な外遊に打って出るのですが、このとき、低学歴の総理大臣を認めたくないエリート集団・外務省は、東奔西走南船北馬を絵に描いたようなスケジュールを組んだとか。
さすがに、体力に自信がある元首相も、国内を飛んで廻るのとはワケが違い、うち続く時差と気候の違いの連続で体力をすり減らし、遂には顔面神経痛になってしまい惨めな退陣に追い込まれたわけで・・・。
当時、元首相のファーストレディ代わりに外遊に同行していた真紀子氏は、その辺のことを十分知っているはずだと思います。
とすれば、当初から、外務省にはいい感情を持っていなかったことも予想されるわけで、外務省改革というあら探しは、ある意味、私怨だったという見方も出来るわけです。

外務大臣としては、失格だったでしょう。
9.11テロの時、トップシークレットのパウエル国務長官(当時)の潜伏先をマスコミに喋っちゃうし、アメリカも、表だっては何も言わなかったけど、本当のところは、「おい、おまえのところのあれ、いい加減にしろよ!」ってのがあったんじゃないですか?
もっとも、小泉さんも、外務大臣に指名したわけですが、実際には、本命の緒方貞子氏でギリギリまで折衝して、結局、断ってきたから、やむなく・・・って感じで指名したようでしたが。

ちなみに、9.11のとき、実は私は友人と、「シアトルイチローを見に行こうぜ!」という話をしていたんですよ。
で、かなり、話が具体的に進み始めた矢先、福岡で、ある会議が催されるようになってしまい、結局、断念したのですが、そのとき、福岡入りするはずだった人間の仲には、ニューヨーク経由で入る奴もいたみたいですが、そこへあのテロですから、もう、福岡での会議どころか、帰国の目処も立たない・・・ということになったようで、大変なことになったようです。
私も、本当なら、直接、テロに巻き込まれることはなかったにせよ、数日は、不安な夜を過ごすことになっていたかも知れないわけで・・・。
                          平太独白

by heitaroh | 2006-09-22 08:35 | 政治 | Trackback | Comments(10)

安倍新総裁誕生にみる「木を見ずして森を見る」的見方。
親愛なるアッティクスへ

正式に安倍総裁が決まりましたね。
ちょっと、きついかもしれませんが、頑張って欲しい物です。
ちなみに、私なら、麻生幹事長、谷垣経産、平沢官房、福田外務、中川財務・・・としますが、果たして、如何でしょうか(笑)。
で、目玉は、平沢(勝栄)さんのような、ちょっときつめの官房長官に「あんたが総理になったつもりでやってくれ。私は御輿に徹する。」と。
「御輿に徹する」というのは、簡単なようで、その実、侮れない立派な戦略だと思いますよ。
(参考記事:平太郎独白録 : 好漢惜しむらくは兵法を識らず
もっとも、平沢さんの登用には、天敵・公明党難色を示すでしょうし、それ以前に、無理して、サプライズ作らなくてもいいと思うんですけどね・・・。

e0027240_1124499.jpg←で、先日、私はここにいました。
何をしていたかというと、塩爺こと、塩川正十郎氏の講演を聴きに行ってました。
で、このとき、塩爺さんが言ってたのは、「今の小選挙区以前の中選挙区で出てきた人は考え方がまるで違う。中選挙区の時代だから出てきた人は、業界や団体などを重視していればそれでよかったけど、小選挙区になれば、それでは全然足りないので、業界団体などよりも、こうなると総裁の人気度頼りになる。」と・・・。
なるほど・・・と。
それで、大してキャリアもない「アベさん」なんですね。
もう少し、真剣に選べよ・・・という気もしないでもありませんが・・・。

ところで、そのアベさんに対して、今朝のテレビなどは、早速、「親の七光り」だとか、「ボンボンだから・・・」などというネガティブな話を垂れ流しておりましたが、この点については、少し、思う所があります。
それが、「木を見ずして森を見る」です。
つまり、その人個人を見るのではなく、その人の背景を見ている・・・ということですね。
アベさんが、親も祖父も有力者だった・・・などということは、アベさん個人の資質とは何ら関係ないことなのではないでしょうか?
この点は、かつて、細川護煕氏のときも同じでしたね。
殿様だから」、「近衛の孫だから」・・・って細川さん自身の資質の問題とは関係ないでしょう?

この話は、私自身も体験として持っております。
かつて、私がまだ、20代前半の新卒当時、ある職場で、取引先や下請けなどと世間話をしていると、若い者だけなら、まず、、車の話女の話か、罪がない話で盛り上がるんですが、これにおじさんが一人入ってくると、すぐに、「おまえ、いくら給料もらってる?オレなんか、たったこれだけだぜ。それなのに、あいつは、いくらもらっている。・・・もらっているに決まっている。」などという待遇上の不満の話になる。
まあ、女房子供抱えて、生活に追われ出すと仕方ないんでしょうが、はっきり言って、内心、「しらねえよ!」と・・・。
で、つまるところ、これの延長線上に、「木を見ずして森を見る」があると・・・。

ある地場産業大手の社長さんが、以前、「是非、某会の理事長に・・・」と口説かれたそうですが、その方とは当時、たまたま、割と親しくしていたこともあり、その話を聞いた私は、その方に、「誰もアナタ個人には期待していない。皆が期待しているのは、アナタの会社であり、アナタの家だ。」と言ったことがあります。
つまり、「『OOさんのこういう能力を理事長として活かしてもらいたい』という言い方は誰もしないでしょ。」と・・・。
結局、その方は、理事長にはなりませんでしたね(笑)。

で、「親が総理大臣だったから」、「あいつは、名門の出だから」とか、その人の背景ばかり見ずに、もっと、その人個人を見ろよ・・・と言いたいです。

よろしければ、クリックお願いします。→ 人気blogランキング
by heitaroh | 2006-09-21 08:02 | 思想哲学 | Trackback | Comments(2)

小泉内閣の総決算 その1 自国のTOPを酷評する文化。
親愛なるアッティクスへ

e0027240_1256639.jpg朝、出勤していると、近所の公園の木が根元から倒れ、中には、のように、将棋倒しになったものさえあり、改めて、今回の台風の凄さがおわかり頂けると思いますが、この点は、以前、平太郎独白録 「銘木ばかりが木に非ず-雑木保護」の中で触れたとおりのことで・・・。

どうしても、計画的に植えられた木は根が張ってませんから、見た目は綺麗でも、こういうときには弱いですよ。
公園でも庭園でも、作るときには、できるだけ、元々、そこに植わっていた樹木(雑木でも)を活かす植栽配置計画でやればいいんですけど、絶対、一度、全部、掘り起こして、既存の木を処分した後に、改めて、新しい木を植樹するんですよね・・・。

で、さておき、いよいよ、自民党総裁選、そして、安倍総裁誕生だとか・・・。
まあ、これからの人にコメントするのは別に急がないでもいいでしょうから、私としては、五年に及んだ小泉内閣について、私見を述べさせて頂きたいと思います。

と言いますのも、先日から、朝のワイドショーで数回にわたって「小泉内閣の通信簿」というのをやっておりましたが、すべてを見たわけではないのですが、各項目ごとに、5点満点中、最高でも、3.5点という、私の小学生時代の通信簿に毛が生えた程度の低評価で、とにかく、「いいところは一つもなかった薄っぺらな政権」、「国民(愚民)は、表面だけしか見てない、見えてない」ということを、まるで、国民を洗脳せんばかりに念押しのように言っておりました。
でも、私的に言わせていただくならば、以前から申しておりますとおりに、「そもそも、総理大臣にあんな小さな権限しか持たせていないのに(「憲法68条 他の国務大臣を任命し、かつ、任意に罷免すること、内閣法4条2項 閣議を主宰すること。」つまり、閣僚を任命し、閣議を主宰できるという閣議の議長程度の権限。) 、何をもって、迅速にして十分な改革でなかったから失格!というのか。」と・・・。

ま、それはさておき、その通信簿では、これについて、このとき、このコーナーの担当者が、うっかり、本音を言ってしまった瞬間がありました。
それは、「これって、今までの人は皆、出来てなかったんじゃないの?」というコメンテーターの突っ込みに、「そうです。歴代総理はもっと点数が低かったということです。」と認めてしまったことです。
つまり、「満点のレベルが、相当、高い所(理想ライン)に設定されている」ということで、「そんなに高い期待をしているのなら、もっと、権限与えてやれよ!」と言いたいのですが、まあ、それもさておき、ここで思ったことがあります。

どうして、日本人は、日本のマスコミは、自国のTOPに対して、絶えず酷評・・・、いや、こき下ろそうとするのか・・・ということです。
かつて、佐藤栄作氏は総理大臣の退任会見で「新聞は嘘をつく。私は直接、国民と話したいので、テレビカメラだけを残して、記者は出て行ってくれ!」と言ったことがありましたし、森前総理においては、マスコミとは、もはや、仇敵の間柄のようになってましたよね。
ていうか、日本の歴代TOPの中で、誰か一人でも、在職中に評価された人が居たんですか?
皆、在職中は、でたらめにこき下ろしておいて、死んだら途端に、「実は素晴らしい人だった。」、「大変な功績のある方だった。」と言い出してるんじゃないですか?

現代では高い評価を受けている大久保利通、原敬、吉田茂の三氏などは、在任中は酷評なんてものではなかったですよね。
罵詈雑言、誹謗中傷・・・雨あられだったじゃないですか。
前二者の非業の死にこそ、それが如実に表れていると思います。
岸信介、浜口雄幸、犬養毅・・・、また然りでしょう。
三木武夫氏のような、清廉を売り物にしていた総理でも、在任中は決して、良くは言われませんでしたよね。
是非、今、小泉さんを低評価したがっているお歴々は、御願いだから、小泉さんが亡くなった後でも、「やはり、つまらない人物だった」と言い続けて欲しいですね。

で、続きは明日です。
ああ、台風が恨めしい(泣)。

よろしければ、クリックお願いします。→ 人気blogランキング
by heitaroh | 2006-09-20 00:48 | 政治 | Trackback | Comments(37)

台風被害、謹んでお見舞い申し上げます。
親愛なるアッティクスへ

せっかくの連休でしたが、ご承知の通り、九州地方は台風でした。
列車の転覆、車両の横転・・・。
見るも無惨な状況のようですが、とにかく、今までにない台風でしたね。

e0027240_1225159.jpg台風が一番激しい時間帯に、ドアがたたきつけられた音がした為、気になって、強風が吹き荒れる最中、少し、拙宅付近を見て回ったんですが、ヘルメットかぶってないと恐ろしいと感じたのは、今回が初めてでしたよ。
福岡市内でも、昔よく行っていた焼鳥屋の屋根が飛んだり、また、拙宅付近でも、ちょっと、風が弱まったと思って出てみたら、結構、びっくり・・・。
大通り沿いは木が根元から倒れ、看板は風で押し倒されて、脇のブロックを押し倒し、さらに、その向こうにある自動販売機までも押し倒したという・・・(青汗!)。

(←ブロックが傾き、自動販売機が横倒しになっているのがおわかり頂けると思います。)

ということで、まずは、被害に遭われた方には、謹んでお見舞い申し上げます。

もっとも、うちもしっかり被害者なんですけどね。
上の画像ほどではないけれど、結構、まっつぁお・・・でしたよ。
(もちろん、これ↓だけではないですよ。うちの被害のほんの一部です(笑)。)

e0027240_138211.jpg一歩間違えれば、本当に、大惨事になるところでした。
幸いにして、反対方向に倒れたから良かったけど・・・。

一昨日、しまい込もうかどうしようか・・・と思ったんですが、まあ、今までも問題なかったんだから、いいだろう・・・と思っていたら、今回は見事にそれがやられてました。
保険出ればいいんですけどね・・・。

まあ、九州人は、良くも悪くも台風慣れしているのですが、今回はこれが裏目に出ましたね。
風がいつもとは違う方向から吹いたみたいで、とにかく、これまでの物とは、ちょっと、性質が違う台風だったようです。

当方もしばらくは、台風の事後処理に走り回らなければならないようです。
こういうときに、人がたくさんいるところはいいんでしょうが・・・。
まあ、うちなど、被害のうちにはいらないんでしょうが・・・。

よろしければ、クリックお願いします。→ 人気blogランキング
by heitaroh | 2006-09-19 00:14 | 時事問題 | Trackback | Comments(6)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
ライフログ
最新のコメント
> sakanoueno..
by heitaroh at 19:21
わたしは小学生の頃、少し..
by sakanoueno-kumo at 10:11
> sakanoueno..
by heitaroh at 10:46
ようやく読み終わりました..
by sakanoueno-kumo at 19:09
> sakanoueno..
by heitaroh at 17:31
12周年おめでとうござい..
by sakanoueno-kumo at 03:47
> sakanoueno..
by heitaroh at 18:12
光を当てられていない人に..
by sakanoueno-kumo at 15:14
>sakanoueno..
by heitaroh at 11:09
あけましておめでとうござ..
by sakanoueno-kumo at 15:22
>Mさん  そうだ..
by heitaroh at 20:52
壊れた時計が動く理由もネ..
by M at 20:38
> sakanoueno..
by heitaroh at 12:35
なるほど。 先日の疑問..
by sakanoueno-kumo at 22:50
>sakanoueno..
by heitaroh at 10:05
検索
タグ
(65)
(54)
(54)
(51)
(50)
(46)
(42)
(41)
(41)
(36)
(32)
(31)
(30)
(30)
(29)
(28)
(26)
(26)
(25)
(25)
(24)
(24)
(24)
(24)
(23)
(23)
(21)
(21)
(21)
(20)
(19)
(19)
(18)
(18)
(18)
(18)
(17)
(16)
(16)
(16)
(16)
(15)
(15)
(15)
(15)
(14)
(14)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(12)
(12)
(12)
(11)
(11)
(11)
(11)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
カテゴリ
以前の記事
2017年 11月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
2005年 10月
2005年 09月
2005年 08月
2005年 07月
2005年 06月
2005年 05月
2005年 04月
2005年 03月
最新のトラックバック
八犬傳(上・下)
from 天竺堂の本棚
2016年NHK大河ドラ..
from <徳島早苗の間>
明治日本の産業革命遺産の..
from 坂の上のサインボード
明治日本の産業革命遺産の..
from 坂の上のサインボード
時~は2015年♪。
from <徳島早苗の間>
フォロー中のブログ
ブログパーツ
  • このブログに掲載されている写真・画像・イラストを無断で使用することを禁じます。
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧