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越本隆志選手の初防衛戦にみた福岡開催の意味。


e0027240_17375814.jpgこの日の博多はご覧の通り、終日、雲一つ無い快晴でした。
「この日」・・・とは、言うまでもなく、先週末に平太郎独白録 「越本隆志選手の初防衛戦福岡開催の意義とその是非。」でお伝えしておりました、7月30日(日)の午後3時からマリンメッセ福岡で行われた35歳ボクシングWBC世界フェザー級世界王者越本隆志選手と、22歳のメキシカン、ルディ・ロペス選手との世界タイトルマッチがあった日です。
もちろん、行ってきましたよ。
一人でテクテクと・・・。

試合結果については、私が改めて言うまでもなく、すでにご存じだと思いますが、レフリー・ストップでのKO負け・・・
しかも、越本選手は倒れた後、意識がなかったのか担架で運ばれていきました。

e0027240_17462264.jpg(←試合終了のゴングが鳴り響いた瞬間です。レフリーが急に止めたので、「え、まさか?」と思ったら、そのまま、ぐらりと倒れ、起きあがってきませんでした・・・。)
「惨敗」・・・といえば、そうなのでしょうが、私には、何だか彼を責める気にはなれませんでしたね。

負けて、改めて思いましたが、彼も年齢からして、おそらく、現役の王者のまま、リングを去れるとは思ってなかったでしょうから、いつになるかはともかく、おそらく、こういう最期で終わることは覚悟していたのではないでしょうか。
つまり、このあと何度も世界王者として、防衛戦を戦えるとは思ってなかったと言うことは、本人が一番良くわかっていたことであり、だからこそ、地元、福岡開催にこだわったのだろうなと・・・。

e0027240_18115240.jpg試合後、引退を表明したとのことですが、やはり、本当は、ベルトを手にした段階で燃え尽きていたんでしょうね。
もう、本当に、よくやってくれた・・・と。
今は、ただただ、ご苦労様でした・・・としか言いようがないです。
私には、10歳下のあの老ボクサーの負け様を、どうしても、責める気にはなれないんですよ。

e0027240_17593019.jpgで、ちょっと早く着きすぎて、開場の15分くらい前に着いたのですが、着いてびっくり・・・。
券が売れてないと聞いていたのに、この行列・・・。
暑い中、しばらく並ぶ羽目に・・・。

席に着いてみたら、意外に席は埋まっていて、ざっとみたところ、7~8割は埋まってました。
でも、よく数えてみたら、自由席が2000席弱・・・。
指定席がその半分と考えて、計3000席程度しかない・・・。
最大収容能力は12,000とか言ってましたから、「あれ?」と・・・。
で、よく見ると、客席の上半分は、空席が目立たないように黒い幕を掛けてありました・・・。
おそらく、売れたのはその8掛けとして、2400席・・・、精々、3000席程度というところではなかったでしょうか。

e0027240_18113564.jpgで、私は今回、初めて、ボクシングを見に行ったのですが、まず、相撲もそうですが、券が高い。
福岡ドームでの福岡ソフトバンク・ホークスの試合など、スーパーボックスを別にすると、一番高い席で今年から出来たフィールドシートA席で10.000円、一番安い外野自由席で1.000円(大人)・・・。
それに対し、今回の世界タイトルマッチは一番安い自由席で7.000円、次に指定B席が10.000円、A席は20.000円、一番高いリングサイド席となると30.000円です。
35,000人収容15,000人収容の差が出るのかもしれませんが、3万円となると、確かに、庶民感覚では、「気軽に二人で出かけよう・・・」という気にはなりませんよね。
であれば、よほど、ボクシングに興味がある人か、マニアの人の数を増やさないとあわない・・・。
であれば、もっと、ボクシングその物に触れ合える機会を作らなければならない・・・と。

越本選手は引退後、どうされるのかは知りませんが、彼には是非、福岡でのボクシング振興に力を注いで欲しいと思います。

まだまだ、言いたいことはあるんですが、まずは取り急ぎ、ここまで・・・。

P.S 越本選手の顔は、福岡県宗像辺りの漁師の顔だな・・・と、改めて思いました(笑)。

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by heitaroh | 2006-07-31 00:15 | スポーツ | Trackback(2) | Comments(0)

博多駅前史 その2 江戸時代~明治編
e0027240_15403724.jpgたびたび、ご紹介申し上げております私の通勤路からの風景ですが、この川が福岡市で一番、メインの川、那珂川です。
中世以前は、前回申し上げましたように、この川ともう一つ四十川(現在の薬院新川)が、現在の住吉一帯にあった入江付近に注いでいたわけですね。

しょっちゅう、氾濫を繰り返していたとは言え、平時は、清流が注ぎ込む、さぞかし魅力的な風景だったことでしょう。
叶う物なら、是非、往事の風景を見てみたいものです。

で、先週の続きです。

福岡市博多区博多駅前三丁目・・・。
ここの廃藩置県以前の地名は、正式には筑前国那珂郡春吉村・・・ですが、俗称としての「人参畑」で知られていたようです。

まず、春吉村とは、元々、隣の住吉村にある住吉神社の境内地だったようですが、慶長7年(1602年)、住吉村から分かれたとあります。
関ヶ原の戦いの2年後ですね。)
が、同時に、「されども、この所、その時は民家無し。この地に田畑を作る農人は皆、博多市中より通う。」と記されているように、かつてのように海岸線に隣接するという事はなかったとは言え、まだまだ農地だけが拡がる寂しい所だったようです。

この春吉村に、初めて、人が住んだ記録としては、それから、10年が経った慶長16~17年頃、二代藩主黒田忠之が、ここを宅地として造成し、足軽を入植させたことが記されています。
そして、この頃から、以前、平太郎独白録 「民主党のお粗末さに想いを馳せる筑前福岡藩の財政運営。」で申し上げたところですが、日本一の裕福藩とまで言われ、潤沢だった福岡藩の財政が、慢性的な赤字体質を見せ始めたようで、これに苦しんだ藩は、江戸時代中期、殖産興業の一環として、その春吉村の一角である、現在の博多駅前の地に高麗人参の栽培を企図し、新たに足軽数名を入植させています。
もっとも、この事業自体は頓挫してしまったようですが、ともあれ、以来、この地は、それにちなみ、「人参畑跡」と呼ばれるようになった・・・と。

ちなみに、以前、平太郎独白録 「日露戦争と福岡人の奮闘に見る、男装の女傑と人参畑!」で触れました、男装の女傑、高場乱がここに興志塾という私塾を開き、右翼の巨頭、頭山満翁などに薫陶を与え、晩年、「人参畑の婆さん」と言われたのは、幕末から明治にかけてのことだそうですが、当時は人家もまばらな寂しいところだったと言います。

その後、明治4年の廃藩置県に伴い福岡県那珂郡春吉村となり、同6年9月には第2大区第22小区、同9年12月には第6小区、同11年11月には1区となります。
ちなみに、同15年の「字小名調べ」によると、春吉村には54の小字があり、そのうち、当家の所在地は「馬場添(ばばぞい)」というところで、従って福岡県那珂郡春吉村大字春吉字馬場添となります。
そして、同19年6月には隣村である住吉村と同区となったことで、明治22年の大日本帝国憲法発布に伴う市町村制施行により福岡市が誕生したのと同じくして、この地域は、春吉村から分離して住吉村に編入され、福岡県那珂郡住吉村大字春吉字馬場添となります。
元々、ここは春吉村とは言いながら、春吉の飛び地的な感覚のところであったようで、従って、実際には、春吉よりも住吉に含めた方がいいような地域であったようです。
従って、春吉村から住吉村へ編入された後、「住吉村大字春吉」という変則的な地名で残ったようです。
ちなみに、現在、住吉は博多区ですが、春吉は中央区です。
が、まあ、お世辞にも、柄の良くないところは五十歩百歩といったところでしょうが(笑)。
                            平太独白
by heitaroh | 2006-07-29 18:04 | 地域 | Trackback | Comments(0)

越本隆志選手の初防衛戦福岡開催の意義とその是非。
明後日の7月30日午後。
福岡市のマリンメッセ福岡で、ボクシングWBC世界フェザー級世界王者越本隆志選手(35歳=Fukuoka)のタイトル初防衛戦が行われます。
相手は、22歳の新鋭、同級15位ルディ・ロペス(メキシコ)。

福岡で、地元のジムから出た世界王者のタイトルマッチが見られるなどというのは、およそ有り得ない話で、おそらく、この先も、未来永劫無いのではないでしょうか。
(昔、あの、輪島功一選手が福岡市で初防衛戦を行い、1ラウンド開始後、わずか1分49秒で、挑戦者のドメニコ・チべリア(イタリア)をノック・アウトし、これが日本での世界戦の史上最短記録となっている・・・というのがあるそうですが、当然、私はまったく、覚えておりません。ちなみに、輪島選手は福岡とは何の関係もありません。)
元来、東京大阪など大都市以外から世界王者を輩出するのは事実上不可能であると言われてきましたよね。
強くなろうと思えば、どうしても、強い相手とやって腕を磨く必要があり、そうなると、地方では選手層に限界があり、そうなると、一々、スパーリングするのにも交通費や、場合によっては宿泊費などを負担する必要が出てくるわけで、実績もない選手であれば、ファイトマネーからアシが出ることにも成りかねず・・・。
そんな中で、越本選手は福岡県の、それも、福岡市から30kmくらい離れたところにある宗像郡福間町(最近、合併して、福津市となりました。)というところからのチャンピオンなわけで・・・。
しかも、ボクサーとしてはピークは過ぎたであろう35歳という年齢(当然、日本最年長世界王座記録)での世界王者であり、彼の偉業には大いに喝采を送ってやまないところです。
越本陣営は初防衛戦を福岡開催することにこだわったと言いますが、この辺からも、彼の想いが伝わってくるような気がします。
従って、30日は是非、行きたいと思っているのですが、目下、誰も一緒してくれる人がいません(泣)。
誰か、行きませんかね・・・。

が、その越本選手のタイトルマッチですが、マリンメッセ福岡というところは1万5000人収容だそうですが、にも関わらず、今月3日の時点で売れたのは何と、たった2000枚だとか・・・。
4500枚以上というのが採算分岐点らしく、それを下回った場合、越本選手のファイトマネーを大幅カットするしかないと言われています。
ちなみに、世界王者へのファイトマネーは最低1000万円が相場だそうで、前回、タイトルを奪取した2月の世界戦では、王者側に2000万円以上を支払った関係で、挑戦者である越本選手の報酬は「0円」だったといいます。

ただ、興業という観点で言わせてもらえるなら、もう少し、どうにか出来たのでは・・・という気もしないでもないようにも思えます。
即ち、ジムの経営は、会長兼トレーナーである実父が執り行っておられるのでしょうが、広報や営業などは素人であろうし、何より、トレーナー業の片手間でやっているというのが現状でしょう。
さらに、その上、資金繰りなどもしないといけないわけで・・・。
まあ、広報や営業、経理といった専門職を雇う資金がないということだろうと思いますが、それでも、大企業の営業や広告代理店を定年退職したような人を見つけてきて、当面、ボランティアででもやってもらった方がいいのではないでしょうか?
この辺は、一昨日の平太郎独白録 「新庄の襟問題に見る具志堅氏の亀田批判は同種同根。」でも触れたことですが、亀田兄弟のところは色々と経営努力をやってますよね。

また、年齢から言ってそう何度も防衛戦を主催出来るわけでもないでしょうから、福岡開催にこだわった彼の気持ちも痛いくらいによくわかりますが、興業という観点から見たなら、果たして福岡開催が妥当だったのか・・・という気もします。
福岡に限らず、地方都市のジムからは世界王者が出ないと言うことは、逆に言えば、それだけ、市民がボクシングの試合に触れる機会も少ないということであり、つまり、ファン層云々以前に、ボクシングに馴染みがないということでしょう。
それは、ボクシングに限らず、私だって、多分、見たことがあるプロスポーツと言えば、野球サッカー相撲プライドくらいしか無いんじゃないかなーと。
ブルーノートも撤退したし、劇団四季も撤退の噂が出たしやはり、福岡程度の都市で興業することは都市としての経済力の点からも無理があるんでしょうか。
まだ、言いたいことはあるんですが、長くなったので、月曜にでも試合の感想と共に触れてみたいと思います。

ということで、誰か一緒に行かないかなー・・・。
                           平太独白

by heitaroh | 2006-07-28 08:46 | スポーツ | Trackback(1) | Comments(0)

星は何でも知っている的、名文は業務連絡には適さず。
親愛なるアッティクスへ

「星は何でも知っている」という歌をご存知でしょうか。
昭和33年のヒット曲で、作詞:水島哲  作曲:津々美洋  歌:平尾昌晃です。
で、その歌詞。

  星はなんでも知っている 今夜あの娘の見る夢も♪
  やさしいナイトがあらわれて 二人でかける雲の上
  木彫りの人形握って眠る
  若いあの娘の見る夢も♪

って、以前、この歌詞聞いて、吹き出してしまいしたよ。
まあ、今の時代から見ると、「アリエネー」ってくらい臭いセリフには敢えて触れないとして・・・、それ以前に「木彫りの人形」・・・なんて握って寝たら、何か違う方の夢見ちゃった・・・とか(笑)。
ていうか、若いあの娘の見る夢も♪って、普通、娘って若いだろう?とか(笑)。
若くない娘が見たらどういう夢になるんだ・・・みたいな(笑)。
あ、若くない娘さん、失礼しました(笑)。

まあ、私が生まれる前の母が若いときの歌・・・ですからねぇ。
今と違って、ぬいぐるみなんて無い時代でしょうし、人間もすれてないんでしょうが(笑)。

さておき、文章繋がりですが、以前、平太郎独白録 「矢沢永吉に想う昭和時代の顔と小説は名水で論文は工業用水。」の中でも述べたことでもあるのですが、日露戦争時の帝国海軍の名参謀にして、天才と謳われた人物に、司馬遼太郞さんの「坂の上の雲」で有名な秋山真之という人物が居ます。
この人が書いた文章で、名文として有名なのが、日本海海戦の折に大本営に向けて打った、「天気晴朗なれど波高し」の一文です。
これは、司馬さんによると、たまたま航海日誌の最初のページに書いてあったことなのだそうですが、戦後、秋山参謀はこの一文を巡って、激しく非難されたとか。
つまり、「名文すぎる」ということだったそうです。
作戦報告に名文は一切必要なく、名文が一度、まかり通るようになると、作戦の失敗などの都合の悪い事実を名文で固塗するようになると・・・。
なるほど・・・と。

参考までに、こういう場合に好まれる文章とは以下のような物でしょうか・・・。

 「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」
〈出征中の徳川家康の家臣、本田作左衛門が嫁に宛てた手紙〉
つまり、火の用心子供の面倒と仕事の道具であるをよろしく・・・と。

 「三島の胴体と首の距離 1メートル」
〈作家、三島由紀夫割腹事件の折りの警視庁入電〉
当時、警察には色々な情報が飛び込んできて、生死がよく摑めていなかったのだそうだとか。
首と胴体が1m離れていればそりゃ死んでるわな・・・と。

 「ダンナハイケナイ、ワタシハテキズ」
〈西南戦争前夜、熊本鎮台司令長官種田政明少将が、その愛妾と同衾中に不平士族に襲われたときの状況を知らせる愛妾からの電報〉
種田少将がもう助からないという緊迫感・・・。

e0027240_19143046.jpgすべて、短文ながら、状況がよくわかりますよね。
用件を手短に、それでいて、的確に相手に知らせなければならない、ビジネス文書などには必要な心得のひとつでしょう。
あ、それと・・・、ついでに、もう一つ、「人の話を最後まで聞かないお年寄り対策」にもなります・・・。
ワタシも苦労させられましたから・・・。
だって、話聞かないんだもん・・・。

(←種田政明少将殺害より3ヶ月後、西南戦争が勃発。征討大総督に任じられた有栖川宮熾仁親王は、西郷軍討伐の為に、下向の途次、福岡市に立ち寄ったときの仮本営跡の碑。日銀福岡支店の裏、今では割りと町の真ん中に在ります。)
 
                             平太独白
by heitaroh | 2006-07-27 08:01 | 文学芸術 | Trackback | Comments(6)

新庄の襟問題に見る具志堅氏の亀田批判は同種同根。
e0027240_18532569.jpg←以前、吉野ヶ里遺跡に行ったときに張り出してあった物です。
残念ながら、左側の項目の欄が欠けているのですが今度、行く機会があったら、もう少し、よく撮ってきますので、これにてご容赦を・・・。

ちなみに、どうやら、私は間違いなく、争いを好む弥生人のようです。

争いを好むと言えば、先日、ボクシングの亀田興毅選手ら「亀田三兄弟」について、元世界王者で東日本ボクシング協会副会長具志堅用高氏が、所属先の協栄ジムも含め、痛烈に批判したという話がありましたよね。

それに対し、今度は亀田陣営が激怒し、金平桂一郎・協栄ジム会長が謝罪を要求し、事実上の「絶縁」宣言をブチ挙げたとか・・・。
で、昨日の朝刊に、最初にこの件を取り上げた新聞記者氏の見解記事が載っていたのですが、それを見て私も初めて、この記者氏の卓見に共感すると同時に、ことの本質がわかったような気がしました。

私も、元々、亀田三兄弟については、およそ、あの品のない言動や、圧勝を演出する為の明かな格下とのマッチメイク・・・などに対し、むしろ、嫌悪感さえ持っておりました。
ただ、一方で、たびたび、平太郎独白録 : プロスポーツ、興業と修行のねじれ・後編。平太郎独白録 「阪神、金本選手の世界記録達成に見るプロスポーツの本質!」などで触れておりますように、興業という観点から見た場合には、お世辞にもスマートではなかったとは言え、ボクシングという物に世間の耳目を集めさせたという点は評価せざるを得ないと思っております。

で、この問題は、「正統派」具志堅氏の、「品位に欠ける」亀田陣営への批判・・・であるという捉え方をしていたのですが、同記事を読む限りでは、むしろ、以前、平太郎独白録 「新庄の襟問題に見るオリジナルを逸脱する「もどき」の弊害。」で申し上げたこと本質的に同じ問題であると思いました。
この記者氏も、まさしく、指摘しているところなのですが、「亀田ブームが起こる前、ボクシング人気低迷の中で関係者たちは『いい試合をすれば、好カードを阻めば客は戻る』 『スターが一人出れば盛り上がる』と言っていた。だが、私は『それは幻想。ボクシングファン以外に働きかけない限り、人気回復はない』と専門誌で提言した。」と。
まさしく、王監督のような、自らの技術に絶対の自信を持つ、典型的な技術屋社長にありがちな発想ですよね。

さらに、「人気高揚とはファン層の拡大だ。ところが、日本ボクシングコミッション、日本プロボクシング協会及び大半のジムには、実質的な広報担当者がいない」そうで、これなども、思わず、「日本プロボクシング協会及び大半のジム」という部分が、「日本プロ野球機構と大半の球団」、あるいは、「日本相撲協会と大半の部屋」と・・・、広報担当者というところが、経営感覚という言葉に言葉に置き換えたなら・・・、まるでデジャブを見ているような気さえしました。

対して、「亀田陣営は一般の人たちにもアピールすることを重視してきた。3兄弟はメディアに数多く登場。試合会場に女性限定シートなども設け、ジムも記者に頻繁に行事予定をメールで連絡するなど広報活動を欠かさない。亀田ブームは、亀田一家とジムの地道な成果だ。」とも指摘。
記者氏も、「この姿勢は正しい」と喝破しておられます。

一方で、「ボクシングは命がけのスポーツである。だからこそ、ボクサーはリング外では紳士であるべき。」というのは具志堅氏の言葉だそうですが(この辺は、現役時代の圧倒的な実績と同様、求道師的な考えは、王さんに通じる物がありますよね。)、それだけに、敢えて、こういう人の批判には耳を傾けるべきで、亀田陣営の反応は明らかに過剰反応だと。
その上で、「大言壮語も結構だが、計量などでの相手への挑発行為は、亀田選手にとってイメージダウンではないか。」とも述べ、これまでは仕方なかったとしても、今後は王道を歩むことを示唆して記事を結んでました。
私も計量での三兄弟、寄ってたかっての挑発行為は、ヒーローと言うよりは、単なる弱い者イジメにしか見えませんでしたし、逆に言えば、その程度の相手ばかり選んでいるように見え、その辺にも作為的な物を感じました。
その挙げ句が、世界チャンピオンとやって、あっさり負けたら、「なーんだ」ということになり、一気にブームがしぼみかねませんよ。
この点は、まさしく、以前指摘した「もどき」以降の弊害と共通するように思います。
新庄選手や亀田陣営の考え方には、諸刃の剣のような、危うい一面があることも十分に認識するべきで、その意味でも、具志堅氏の指摘には耳を傾けるべきではないでしょうか、金平会長殿。
                      平太独白

by heitaroh | 2006-07-26 08:41 | スポーツ | Trackback | Comments(0)

競争に強い選手と競争させない方が良い選手
親愛なるアッティクスへ

昨今の日本社会は成果主義、競争至上主義というものが、ある意味、信仰のようになりつつありますよね。
まあ、色々と、その弊害もあらわれているようですが・・・。

かつて、クラウゼウィッツという人の言葉に、「断固として血を流す者にはすべてが敗れる。」といううのがありましたが、これなども、さしずめ、「断固として競争する者にはすべてが敗れる。」ということのようにも思えます。
その意味では、EUが打ち出した、「ゆとりある競争社会」というのは、理想的な桃源郷のようにも思えますが、やはり、「断固として競争する」アメリカ社会には勝てないような気がします。

ただ、すべてにこの公式を当てはめていいのか・・・と言われると、少し、疑問です。
やはり、人それぞれ、部署も仕事の内容も、それぞれですよ。
それを、皆、一律に当てはめてしまうから色々と問題が出てくるわけで・・・。
少なくとも、人も、世の中には、競争させた方が良いタイプ競争させない方がいいタイプというのがいるように思うのです。

野球に例えて言えば、実力はあるんだけど、精神的に少し弱いタイプ・・・というのがいますよね。
こういう人は、競争させると、ノーヒットに終わった試合があると、段々と、一打席凡退するごとに、監督の方を見るようになり、それを繰り返せば、「ああ!打てなかった・・・。何とか、次の打席で打たなくっちゃ、どうしよう、どうしよう。」ってことに・・・。
そうなると、「結果を出さないと、代えられてしまうかも・・・。結果、結果・・・。カーブが来るんじゃないか?いや、裏をかいてストレートかも。いやまてよ、そのまた裏をかいて・・・。」なんてことになり、これでは、到底、打てるものも打てる気がしませんよね。
それよりも、「この選手には、実力がある!」と監督が見込んだら、はっきりと、使い続けることを宣言してやるべきではないでしょうか?
「心配しなくて良いから。何試合かヒットが出なかったからと言って、代えたりしないから。」と。
そうすれば、こういう選手は、安心して、結果を残せると思うのです。

e0027240_10581976.jpg(←常勝牛乳です。最近は常勝というほど強くはないんですが・・・(笑)。)

また、それとは少し違いますが、競争させない方がいいタイプの例として、かつて、阪神昭和60年に優勝に導いたランディ・バースという外国人選手は、三冠王2回、最高打率日本記録.389などでも球史に名を残す好打者でしたが、彼は意外にも一年目はそれほどの成績ではなかったんですよ。
それが、2年目、吉田義男監督になって、突然、大爆発したように記憶しているのですが、バースという選手は、例えそれまで3打席が凡退していても前の3打席を自分なりに分析して、4打席目できっちり打つタイプの選手だったそうです。

それが、一年目は、「3打席凡退していると、次の打席は交代させられた」と・・・。
こういうタイプの選手には、競争はさせないほうがいいんですよね。
「気にしなくて良いから、じっくりやれ。」と。

世の中、何事も、臨機応変、適材適所・・・ってことですかね・・・。
by heitaroh | 2006-07-25 08:11 | スポーツ | Trackback | Comments(0)

ジャワ島南西沖地震に想う2、被災者支援と消費下支え。
親愛なるアッティクスへ

ということで、前回のインドネシア地震について思うことの続きです。

私、以前から思っていることがあるのですが、日本の家庭で眠っている古着などは、これら、インドネシア被災者アフリカなどの難民キャンプなどに送れないもんですかね?
送料などを日本政府負担してやってでも送ってあげるべきだと思うんですけどね。

以前、トルコで大地震があったとき、「古着などを被災者に送るので」という呼びかけがあり、私も、「そういうことなら・・・。」と思い、送料を負担して、送ったことがありました。
が、どうやら、その後の話を聞いたら、どうも、予想以上に大量に集まったようで、捌ききれなくなったのか、「もう、結構です。送るのを止めて下さい。」とHPに書かれていたように記憶しております。
でも、こういうのは、民間の慈善団体か何かでは、資金的にも人的にも、こんなふうに大量に送りつけられると対応出来ないのかもしれません。
だとすれば、がもっと、前面に出て、やるべきだと思うんです。
無論、現地で寒さに震えている人たちの為にもなるでしょうし、日本という国が国際貢献しているという、国民レベルでのいいアピールにもなるでしょう。
でも、それ以上に、国内問題の解消にも繋がると思うんですよ。

どういうことかというと、私などは、貧乏性(ちなみに、貧乏性で浪費癖・・・。まさしく、双子座の典型なんだそうです(笑)。)ですから、まだ、どこも破れてもいない服なんか、入らなくなっても、とってるんですよね。
でも、いつか着るのか・・・と言えば、確かに、そのとき、また、買った方が安いし、狭い家も片づくわけで・・・。
でも、やはり、捨てたりはしないわけですよ。

同様に、「買ったときは高かったんだけど、殆ど、着てない」という服や、「昔は流行ったんだけど、もう、今どき、こんなの着ないもんねー。」などというケースもあろうかと思います。
でも、捨てると勿体ない・・・という気持ちが日本人の多くにはある。
その場合、それを「捨てる」のではなく、「外国の困っている人たちに役立ててもらう・・・。」ということであれば、手放す方も手放しやすいと思うのです。
そうすれば、「この際」ということで、家庭のタンスの中で死んでいる衣服も処分されるわけで、となれば、「では、新たに服を買おうか。」という気になるのではないでしょうか?
つまり、消費の拡大、下支えに繋がるのではないかと思うのです。
内需拡大というのは死語でしょうか?)

この点は、以前、平太郎独白録 「消費は是か非か」の中で触れた事とも共通するのですが、無理して作り出した消費というのは一時的には消費拡大に役立ったとしても、必ずや、その反動があると思うのです。
やはり、納得してない消費は、どこかで、そこで使った分だけ抑えようとする心理が働くと。
だからこそ、人々に納得させた消費というのが必要になってくると思うのです。

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by heitaroh | 2006-07-24 08:44 | 国際問題 | Trackback | Comments(0)

博多駅前史 その1 前フリ・自己満足の世界
親愛なるアッティクスへ

実は私、十年ほど前に、家史を作ろうとしたことがあります。
ただ、結論を言えば、昔のことは、とにかく、もう、わかりませんねぇ・・・。
「明治は遠く成りにけり」と言いますが「大正も遠くなったなぁ。」というのが私の実感でした。
私の五代前の人(創業者?)が、大正15年に亡くなっているのですが、もう、この人の顔を特定出来る人がいないんですよ。
大正生まれの親戚のご婦人のところへ持って行っても、その方でも、まだ、子供だったから、もう、わからない・・・と。
はっきりと、特定出来るくらいまで成長しておられた方・・・となると、もう、明治生まれなんですよね・・・。
うちの祖父辺りが、もうちょっと、よく調べてくれていたら、結構、わかったんでしょうが、今となっては・・・ってところです。

e0027240_1243561.jpgで、その折りに、その一環として、私の地元、博多駅前のことなども、色々と調べました。

そういう関係から、博多駅前(正確には、そのうちの旧下人参町付近)の歴史と言うことになると、今では、おそらく、私が一番詳しのではないかと思っております。

で、ちょいと、コアマニアの世界の話(笑)になりますが、意外に埋没しかねない郷土史でもあることから、後世に語り残す意味でも、敢えて、ふれておきたいと決意致しました次第です。
ということで、土曜なら余り、人も見てないでしょうから、迷惑も掛からないと思いますので、しばらくは自己満足にお付き合い下さい(笑)。

まず、私が生まれ育った福岡市博多区博多駅前というところは、元々、大昔は2本も川が流れ込んでいた河口だったようで、従って、川からの土砂が堆積し、鎌倉時代くらいには入江のような形になり、室町時代くらいには完全に陸地になっていたようですが、川が近接して2本も流れ込んでいたことで、たびたび、洪水などの被害を与えていたそうです。
で、中世に大土木工事を行い、川の流れを一本他へ流れ込むように変え、これにより、とりあえず、耕作地程度にはなったようですが、湿地帯であることには変わらず、以後も、なかなか、人が住むには至らなかったようです。

ということで、来週を乞うご期待(笑)。
                             平太独白
by heitaroh | 2006-07-22 08:15 | 地域 | Trackback | Comments(0)

ジャワ島南西沖地震に想う1、難民移民問題への取り組み。
親愛なるアッティクスへ

先日、インドネシアで、またまた、地震津波被害があったそうですね。
何でも、予算不足で、津波警報がまったく、機能していなかったことが被害を大きくしたのだとか・・・。

日本政府も、いち早く、インドネシア・ジャワ島南西沖地震・津波被害に対する緊急支援を決定したと言いますが、もう、こうなると、直接の震災被害もながら、決して少なくないであろう、観光収入が事実上、死滅状態となってしまうでしょう。
天災だけは、どうしようもないとは言え、日本政府としても、単なる財政支援に留まらず、この問題には、移民も含めて、検討すべき時期に来ているのではないでしょうか?

e0027240_17555757.jpg(←見渡す限りの大海原などを見ていると、大自然の前では、人間の営みなど、偉そうなこと言っていても、所詮、蟷螂の斧みたいなものだと強く実感出来るように思えます。)

この点で、以前、1993年の、第一次北朝鮮危機の際だったかと思うのですが、私は、「韓国がいまやるべきことは、この後、増えるであろうと思われる脱北者に対し、彼らを収容すると同時に、資本主義社会がどういう物かを教える施設を作るべきである。」と言ったことがあります。
そして、「当然、日本もそれに対して、全力を挙げて支援をするべきで、今のままだと、脱北者が出ても、これまで、資本主義社会で生きてこなかった人たちが、いきなり、資本主義社会の厳しい現実に対応出来得るはずもなく、であれば、必ずや、韓国社会の不安定要因になるばかりか、脱北者は脱北にさえ希望をなくし、国を挙げてのネズミの集団自殺のようなことに成りかねない。」とも言いました。

当時は、豊かな南をイメージして脱北して来た人たちが韓国社会の、単に豊かなだけではない現実に適応しきれず、失望し、また、北朝鮮に戻る・・・などということもあったように記憶しておりますので、それを踏まえた上でのこの発言だったのですが、それから、早13年が経ち、少々、状況は変わってきたようです。
今や、北朝鮮の閉塞感は当時の比ではなく、戦争になるならない以前に、今、北朝鮮が崩壊すれば、北朝鮮の腐れ方は東ドイツの比ではないですよ。
あの優良国、西ドイツでさえも、ああいう大不況に陥ったことを考えれば、到底、韓国経済ではそれを支えきれないでしょう。
であれば、一気に北朝鮮から難民をあふれ出させるよりも、少しずつ、少しずつ、あふれ出た分を受け容れ、そして、教育予備知識くらいは与えて、韓国社会なり、どこかの国へ出国させるなりしておくという、崩壊したときの衝撃を少しでも和らげる努力はしておくべきだと思うのです。

これは何も韓国に限ったことではなく、日本にも大量の難民が流れ着くことが予想されます。
人道支援金科玉条に掲げる日本政府は、この、大量に押し寄せる難民をどう捌くつもりなのでしょうか?
つまりは、難民と移民についての明確な規定・・・というよりも、その比率の予測と、それを受け容れる定義をあらかじめ、定めておくべきだと思うのです。

あ、そう言えば、93年当時、「いざとなったら日本にミサイルを撃ち込む!」と、北朝鮮が威嚇しているときに、関口宏の朝のニュースショーをやっていたのですが、当然、番組の主題はこの問題一色でした。
が、それが一通り終わって、司会の関口氏が、「では、次はスポーツのコーナーです。」と次に行こうとしたとき、私も、二度ほど面識があるのですが、ペマ・ギャルポさんというチベット人のコメンテーターが「隣の国がミサイル打ち込むって言ってるときに、スポーツのコーナーなんかやってるのは、日本だけですよ!」と驚愕しておられましたのを思い出しました。
このとき、関口さんは困惑されてましたが、私は、この方の言っておられたことは、当時、少しも的はずれなことだとは思えませんでしたが・・・。

あ、肝心のインドネシア地震のことを述べる余白がなくなってしまいました。
ということで、また、次回・・・。

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by heitaroh | 2006-07-21 07:46 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(0)

欽ちゃん球団解散って、よーく考えて言ってみよう!
親愛なるアッティクスへ

e0027240_13251135.jpg←こちらは、福岡ヤフー・ドームの周囲にある、「有名人の握手手形銅像」です。
枝みたいに突き出しているのが、そうです。
わかりますでしょうか?

芸能人、スポーツ選手から、外国の有名人まで、色々な人のがあります。
やっぱ、サスガにごつい・・・って手から、なるほど・・・というくらいに繊細な手まで・・・、まさに、人それぞれですね・・・。
ちなみに、ここにあるのが、誰の物だったか、メモるのを忘れてましたが、確か、萩本欽一氏の物もあったと・・・。
萩本御大も、一度、この大勢の人との握手を思い出してみては如何でしょうか。

ところで、お笑いコンビ「極楽とんぼ」山本何某の淫行問題の責任をとる形で、萩本欽一氏率いる、社会人野球チーム「茨城ゴールデンゴールズ(GG)」が解散することになったそうですね。
萩本氏が会見で電撃発表したとか・・・。
でも、あれって、会見場らしい会見場で会見したわけではなく、羽田空港に着いたところで、取り囲まれて・・・の会見でしたよね。
萩本御大、本当に熟慮の末のことだったんでしょうか?
その場の、思い付き、自己陶酔の結果だけなんじゃないですか?
何だか、会見で自分でしゃべっているうちに、段々と、自己陶酔してきて、つい、口を突いて出ただけ・・・のことのような気がするんですが・・・。

だって、山本何たらの責任を云々するのであれば、山本何タラと、せいぜい、その場に同席した者だけを球団から追放すれば済むことであって、本当に球団そのものを解散しなければならない必要性があったというのでしょうか?
せいぜい、無期限の活動自粛でよかったんじゃないですか?
実際、空港で取り囲まれて電撃発表するまでは、他の選手も誰も知らされてなかったんでしょ?
何か、その辺りも、ああいう、パフォーマンス好きの人が、しゃべっているうちに、自分の言葉に酔って、「わたしって、もう、ピアノがひけない体なの!」調の悲劇のヒロインになっちゃった・・・だけのことのように思えて成らないんですが・・・。
でも、もし、そうだとしたら、だったら、まじめにやっている他の選手への萩本氏の責任はどうなるの?と言いたいですね。
萩本御大は満足かも知れませんが・・・。

でも、こういう形でチームが無くなれば、山本何某にも、もはや、誰も同情しませんよね。
萩本御大も、口では、「あいつがちゃんと次の仕事を始めるまで私に責任がある。」なんてこと言ってましたが、これって、結構、陰湿なんじゃないですか?
まあ、萩本御大の怒りもわからないでもないですが・・・。

かつて、シャネルズ(ラッツ&スター)なども、同じような事件を起こしたように記憶しておりますが、当時は、ここまで、厳しくはなかったように思います。
どうも、山本何がしの場合は、他にも色々と問題を起こしていたみたいですね。
やはり、人気者ということで、勘違いしてしまうのでしょうか・・・。
本当は、人気者ほど、襟を正さねばならないのでしょうけどね・・・。
ま、吉本興業自体も、「2年前に社内にコンプライアンス室を設置し、社長以下、普段から口をすっぱくして法令順守に努めるよう言ってきた」そうですから、もう、横山やっさんの頃とは時代が違ってきていることを芸能人たちもはっきり、認識するべきなのでしょう。

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by heitaroh | 2006-07-20 08:24 | スポーツ | Trackback(8) | Comments(4)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
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プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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