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クォ・ワディス! その3 「関西電力社長 太田垣士郎」
親愛なるアッティクスへ

昨日に続いて、「クォ・ワディス!」続編です。

e0027240_20263323.jpg昭和43年公開の映画に「黒部の太陽」というものがあります。

あの石原裕次郞をして、「人生を振り返ってみれば、どれもこれも一生の思い出だけど、その中でも、 やっぱりあのときは・・・と、思うのは、やはり『黒部の太陽』だな。」と言わしめた作品だそうです。

当時の大スター、三船敏郎と石原裕次郎の夢の共演ということもあり、当時としては記録的な盛況を博した一大傑作映画だそうで、私も一度、見てみたいと思っているのですが、何でも石原裕次郞のこの映画への思い入れは相当の物があったらしく、氏の意向で一般にDVD化などはされていないと聞きました。

ただ、DVD化はされておりませんが、先般、NHKプロジェクトXでも取り上げられましたので、あるいは、内容自体はご存じの方も多いかと存じますが、これは、関西電力が、7年の歳月513億円の巨費171人の犠牲者を出して完成した、「黒部第四ダム」の完成までの物語です。

映画自体のことは、さておくとして、この工事は日本建築史に残るほどの難工事だったそうで、中でも、破砕帯にぶつかったことで大量の泥流が噴き出し、にわかに、工事の先行きに暗雲がたれ込めたときのこと、報せを聞いた、当時の関西電力社長太田垣士郎は、幹部らを伴い、現場に急行してきたそうです。
駆けつけた太田垣社長らが、そこで見たものは、押しつぶされた掘削機械の残骸などが無造作に転がり、辺り一帯からは、大量の泥流が噴出している光景だったと言います。
太田垣社長は、しばらく、それをじっと見つめていたそうですが、おもむろに、傍らにいた現場監督に向かい、「では、見せてもらおうか。」と言葉をかけたそうです。
現場監督は慌てて、「いつ地崩れがあるかわかりませんし、ガスが発生しているところもあって大変危険です!おやめ下さい!」とこれを押しとどめる・・・。
それに対して、太田垣社長は一言。
「その危険なところで作業させているのは、社長の僕なんだよ。」
そして、笑みを浮かべると、「さあ、案内してもらおうかね。」と言い、狭い坑道の中を一緒になって入っていくと、泥流の中で悪戦苦闘している坑夫たちに、「ご苦労さん、ご苦労さん」と、声をかけてまわったそうです。

太田垣氏の死後も、このとき同行した関西電力の幹部たちは、社長のこの一言が、いつまでも耳に残っていたとか・・・。
「クォ・ワディス!」ですぜ、御同輩。

参考:コラム de H!NT | 太田垣士郎資料館
                            平太独白
by heitaroh | 2005-09-30 18:24 | 思想哲学 | Trackback | Comments(2)

クォ・ワディス! その2 「陸軍大将 今村 均」 後編
親愛なるアッティクスへ

以下、大橋武男氏の著作より抜粋します。
 「大東亜戦争敗戦後、多くの軍人の評判は悪かったが、今村大将だけは不思議な人気を全国的に幅広くもっていた。
 私は同じ偕行社(陸軍軍人の社交クラブ)の役員として、戦後接触が多かったので、よく視察したが、要するに普通の人である。軍事的才能や政治手腕なら、彼より優れた軍人はいくらでもある。
 偕行社の経営についても、わけのわからぬことを主張してわれわれを苦しめるなど、老人共通の頑固さもタップリ持っていた。しかし、さしもの私が、どうしても頭のあがらないことが一つある。 
 それは「クォ・ワディス」である。
 今村大将はこれと同じことを、それも至極たんたんとやってのけたのである。

 オーストラリア(豪州)の戦犯収容所は虐待で有名であり、温和、仏のごとき今村大将ですら、豪州兵の鉄拳制裁を免れることは出来なかった。減食、苦役の懲罰などは日常茶飯事で、無法絞首刑乱用されて、恨みをのんだ者も数知れず、死の収容所と恐れられていた。
 ラバウルの軍司令宮だった彼は、豪州軍の裁判で10年の刑を言い渡されたが、ラバウルに行く前に蘭印(イジドネシア)攻略の軍司令宮だったので、今度はそちらへ送られた。オランダの軍事法廷に立たされ、死刑を求刑されたが、具眼の裁判長により無罪と判決され、連合軍トップの意向によって巣鴨で服役することになり、日本に帰って来た。まさに九死に一生の生還である。
 ところが今村大将は「マヌス島で服役させてくれ」と請願した。
 連合軍の厚意を無視した申立てであり、連合軍当局者もまず驚き、つぎには危険を説いて、熱心に引き止めたが、どうしても聞きいれなかった。
 ラバウルに収容されていた戦犯者は、その後、豪州のマヌス島に移されたが、ここの虐待ぶりはさらにひどく、「このままでは全員餓死して、再び日本の土を踏める者は皆無であろう」といわれるほどであった。

 死地に陥ったとき必死で戦うのはできないことではない。
 しかし、いったん九死に一生を得た後、ふたたびその死地に赴くことはなかなかできるものではない
 ところが今村大将は、再び死地に赴くことを再三再四懇願して、ついにマヌス島に赴いたのである。まさに使徒ペテロの心境であり、そしてペテロに優ったのは、熱誠をもって収容所員を説いて待遇を改善させ、無事、全員を率いて内地に帰還したのである。
 今村大将の行ったことは軍を率いる将帥としては、当然のことである。 しかし、『もし私があの立場にあったら、今村均大将と同じ行動がとれるだろうか?』とひそかに自問自答してみると、どうも私にはその自信がない」

「クォ・ワディス!」です・・・。御同輩。
これを行うのに、村上ファンドやホリエモンのような、才智は関係有りませんぜ・・・。御同輩。
                           平太独白
by heitaroh | 2005-09-29 18:48 | 思想哲学 | Trackback(1) | Comments(4)

クォ・ワディス! その1 「陸軍大将 今村 均」 前編
親愛なるアッティクスへ

先日、平太郎独白録 「三洋電機に見る『裸の王様』現象」の中で、三洋電機の創業者である故井植歳男氏について述べましたが、改めて、リーダーとは如何にあるべきかということについて考えさせられました。

e0027240_1648241.jpg

ソフトバンク氏や楽天三木谷氏などのように、きらめくばかりの才智をお持ちの人はいいとしても、私のような愚鈍な人間は、そういう立場に置かれたならばどうするか・・・。
何もリーダーというものは、起業や企業に限ったことではありません。
非常時の消防団や、地域の自治会長などもまた、然り。
いつ、そういう物が廻ってこないとも限らないのではないでしょうか?
となれば、いざ、そういう立場に立たされた時、私同様のお考えの方は、あるいは、少なくはないようにも思えます。
では、自ら、機転が利いた才智タイプではない・・・という人は、どうすればいいのか?
その道標の一つとなるのではないか・・・と思わせられるのが、「クォ・ワディス!」です。

これは、20年以上前、学生時代の私がむさぼるように読んだ、大橋武夫という人の本の中に書いてあったことなのですが、「クォ・ワディス!」とは、「神よ!どちらへ行かれるか?」という意味だそうで、大旨、以下の通りだったと思います。

【紀元六四年、ローマでは皇帝ネロ(37~68年)がキリスト教徒の大虐殺を行おうとしたとき、辛うじて収容所を脱出した数人の教徒が、必死の逃避行を続け、走りに走り、もう大丈夫!というところまで来たとき、難民の流れにさからって、こちらへ急ぐ人影が見えた。見ればキリストである。
教徒のうちのリーダーが、「クォ・ワディス(神よ!どちらへ行かれるか)?」と、不思議そうに尋ねたら、「ロ-マへ!」と答えて、さっさ!と行ってしまわれた。
リーダーの耳には、「お前こそどこに行こうとしているのか?」と聞こえた。つまり、「自分だけ逃げるのか」と。
それに気づいた彼は、直ちにローマに引き返すと、進んで収容所に入り、多くの仲間と運命をともにして殉教した。その教徒の名こそ、使徒ペテロであった】だそうです。

おそらく、聖書か何かに載っていることであって、史実ではないと思いますし、ここだけ読むと、イマイチ、ピンと来ない話ですが、この後に続けて、同書にはこの好事例の出来事が書かれていました。
それが、帝国陸軍の陸軍大将であった今村 均という人物についてでした。

明日に続く。
                                         平太独白
by heitaroh | 2005-09-28 18:20 | 思想哲学 | Trackback | Comments(0)

昭和は遠く成りにけり・・・ 後編
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

ついでに、4~5年くらい前でしょうか、まだ、新聞紙上を「バブルのツケ!」、「バブル崩壊の後遺症!」などという言葉が、多々、賑わせていた頃、ある酒席で若い女性と話したところ、「バブルって何?」と聞かれました。
「???」と思い、返事をためらっていると、その女性曰く、「だって、私まだ子供だったから、知らないんです」と。
「は??何??知らないって・・・」 と思っていたら、「だって、私、まだ、私、小学生だったから・・・」と。
バブルなんて、当時の私にとってはまだ、昨日おとといの出来事でしたから、「こいつ、何言ってんだー?」くらい思って、「んなわけねーじゃねえか」と言っところ・・・、「だって、私、今、22歳ですけど、バブルってもう10年くらい前のことでしょう?だったら、やっぱまだ小学生ですよ」・・・と。

e0027240_13325988.jpg12歳と言えば、まさしく、我々の年に於ける「オイルショック」みたいなものかと・・・。
であれば、私も当時、「大人は騒いでいるけれど何が起こっているのか正確には認識し得ていない」という状態でしたから、まさしくその通りでしょう。
で、思えば、我々が生まれる16年前までは戦争があってたんですよね。
我々の父祖が、我々が生まれた頃に、戦争中を思い出すというのは、まさしく、我々がバブル崩壊を思い出すような程度の距離感だったのかと・・・。

そして、そうこうしているうちに、平成フタケタ生まれが出てくるのでしょう・・・。
「うちの兄貴は、平成ヒトケタだからさ・・・。」
「おまえんちはいいよ。うちなんて、姉貴は昭和生まれだぜ!」
「えー!おめーんちの姉ちゃん、昭和生まれなの!まさか、四大工業地帯なんて言うんじゃねーよなー!」
・・・などという会話が交わされるようになるのでしょう・・・。
まさしく、昭和は遠く成りにけり・・・ですぜ・・・(泣)。御同輩!
                                         平太独白
by heitaroh | 2005-09-27 18:27 | 社会全般 | Trackback | Comments(0)

昭和は遠く成りにけり・・・ 前編
親愛なるアッティクスへ

昨日、息子の社会のテストを、初めてのぞき見ました。

e0027240_13121465.jpg成績自体は本人の・・・、いや、当家の名誉の為にも伏せさせて頂きますが、我々が習った頃は、「四大工業地帯」として京浜、中京、阪神、北九州が上げられておりましたが、当時から、「北九州の未来は暗い」と習ったくらいですから、その点では、予想通りというか、案の定、北九州工業地帯のシェアは、わずか2%程度で、瀬戸内、東海、北陸、内関東、京葉などに抜かれ、最下位でかろうじて名前が載ってました。
(←下関側より見た北九州側の夜景・・・。暗い?)

驚いたのは、今は、中京工業地帯京浜工業地帯を抜いて第一位なんですね。
さらに、これとは別に、東海工業地域もまた、上位におり、中京・東海を併せると全体の20%をも占める一大生産拠点になっていました。
京浜が京葉を併せても13%くらいだということを考えると、あらためて名古屋経済の景況感、ひいては昨日閉幕した愛知万博の盛り上がりの裏付けを見たような気がしました。
トヨタ様々なんでしょうが、まあ、考えてみれば、今時、何も東京のど真ん中で物を作る必要は無いですし・・・。

あと、驚いたのが内関東(?)工業地域、北陸工業地域などというものがあることです。
我々が小学校時代は聞いたこともなかったですが。
まあ、北陸や瀬戸内・東海は面積がでかいですから、一概に言えないでしょうが、これは逆に言えば、点在している状態だから工業地域以上の物ではないと言うことであり、その点では、北九州は最下位ながら、面としてみた場合には未だに工業地帯(四大工業地帯という言葉は、三位との差があまりに開きすぎたからか、もう使われておりませんでした・・・。)の一角を占めているということなのでしょうか?

以前、平太郎独白録 「百年後の教科書」の中でも申し上げましたが、知らぬ間に、時代は我々を過去へと押しやっているようです(泣)。

明日へ続く。
                          平太独白
by heitaroh | 2005-09-26 18:15 | 社会全般 | Trackback | Comments(2)

三洋電機に見る「裸の王様」現象
親愛なるアッティクスへ

三洋電機の創業者である故井植歳男氏は当初から海外への雄飛を志し、太平洋、大西洋、インド洋をまたにかける!というので、三洋の社名の謂われとしたそうですが、ただ、得てして、こういう老舗、名門と名が付く企業は、気位だけは高く、そのくせ、古株の重役連中などに、妙に都合の良いシステムが出来ていたりするようです。
で、そういうところは、TOPには「悪い話」は上がってこないとか、側近はイエスマンばかりだったり・・・といった社長「裸の王様」現象!が、往々にして見受けられるようです。

私も、8年ほど前でしょうか、友人から、「新しいの買ったから」と、三洋のデジカメをもらったのですが、折から、ウィンドウズ95から98に変わったので、それに適合したドライバーをダウンロードしようとしたところ、他社はすべて無料で対応していたのに、三洋だけがアップデート有料でした。
ふざけやがって!と・・・。
以来、二度と三洋は買わん!と思いましたね。
買ってませんけど・・・(笑)。

で、ご承知のように、三洋電機の創業者の井植歳男氏は、経営の神様と呼ばれた松下電器創業者の松下幸之助氏の奥さんの弟であり、松下電器創業時からの社員だったそうですが、その後、松下電器の成長と共に、松下の番頭から、戦後、独立して、三洋電機を起こしたと言う経緯をお持ちの方です。
その井植氏も独立したときは、財界などから随分と奇異な目でみられたらしいですね。
井植歳男と松下幸之助の関係を、義経頼朝に例えた見方もあったそうです。

ところで、彼が松下の番頭だったとき、もう一人、松下には有能な番頭がいたそうで、一方は三洋を興したが、もう一方は大成しないで終わったそうです。
私は松下幸之助は嫌いですので、今日、名が残っていないからと言って、彼の言うことを盲信することはしませんが、その両者の違いを、松下幸之助が何かの本で語っていた記憶があります。
人からお褒めにあずかるときの違いだったと思いますが、もう一人の方が、
「**さんは良い番頭さんや。松下さんは良い番頭さんをもっておられますなぁ」・・・だったのに対し、井植氏は、
「井植さんは良い番頭さんや。松下さんにはう良い番頭さんが何人もおられるらんでしょうなぁ」・・・であったとか。
松下曰く、「二人とも僕に対しては忠実で、いい番頭だったが、人間の本心というものは、どこかに出るものです。それが、成功、不成功というようなことに繋がるんですな・・・」と。

住友銀行が、借金担保に創業資金を融資したという伝説を持つ、井植歳男の私心のない人柄・・・、三洋創業者の面目躍如!というところでしょうか・・・。
その点、私には、後継井植一族が、どんなに傾いても何だかんだ言って実権を離そうとせず、それでいて危機感に乏しいように思えるのですが、いかがなものでしょうか・・・。
                            平太独白
by heitaroh | 2005-09-24 20:11 | 経済・マネジメント | Trackback(1) | Comments(2)

福岡市の都心のど真ん中にある昭和の風景
親愛なるアッティクスへ

e0027240_19531917.jpg←これは、私の中の昭和三十年代です。
わかる人にはわかるでしょうか・・・。

福岡市の中心、中央区天神の町の真ん中にあるスポットです。
思わず、違う時代に迷い込んだかのような錯覚に陥ります(笑)。

ここのモツ鍋屋も、昔はよく行きましたよ・・・。
しかし、ホント、もう、こういうところは少なくなりましたねぇ・・・。

e0027240_172048.jpg

      「下町の 釣瓶落としに 里心」
                       梁庵平太
  
e0027240_17264140.jpg


                              平太独白
by heitaroh | 2005-09-22 19:46 | その他 | Trackback | Comments(0)

先の衆議院選挙で覚えた違和感!
親愛なるアッティクスへ

以前、新聞のコラムで、郵政民営化法案反対派に、小泉純一郎首相がぶつけた「刺客」戦術と小選挙区比例代表並立制という選挙システムについて載ってましが、これを見ると、小泉さん自身、小選挙区比例代表並立制というものを「忌み嫌って研究していた」そうですね。
私の国政選挙の制度に対する基本的な考え方は、このブログの初期に、平太郎独白録 「日本の最大の問題点は行立未分離に在りと見つけたり!」の中で述べております通り、国会議員大選挙区であるべきだと思っております。

で、私が毎回、衆議院議員選挙に於いて、一番、違和感をもつのが、落下傘刺客抵抗勢力も皆、連呼する、ある一つのワードについてでした。
それ即ち、「地元の為に!」・・・。
地元の声を国政に!」、「地元の発展の為に!」、「地元の皆さん」・・・、地元地元・・・って、それ、何か違ってません?
地元の繁栄の為に働くのは、地方議員の仕事ですよね?
国会議員というものは、本来、国政を議論するべきものでしょう?
地元という、その狭い地域さえ栄えれば、国は滅びてもいいのですか?

確かに、この制度になって、「自民党の派閥政治を崩壊させた」という点は評価しなければいけないでしょうし、大選挙区制になれば、特定の団体が擁立する政党などの躍進も許すことにもなり、二大政党制による政権交代という自浄能力を期待することは困難になるでしょう。
しかし、それでも、こういった小選挙区制というものは、あくまで改革を進める上での経過措置であるべきで、国会議員の本来の姿は大選挙区制であるべきではないでしょうか?

参考までに、上記コラムから一部抜粋しますと、
【小泉首相は海部内閣時代に浮上した小選挙区制に対し、反対派議員連盟代表世話人を務めていた。
91年に首相は後援会機関誌のインタビューにこう答えている。
「小選挙区選挙で落選しても、比例代表の名簿で上位に登載されていれば当選することになる。これは、有権者の判断よりも政党幹部の判断が優先することになる。」
また、友人に対して、「(一つの選挙区に1人を選ぶ過程で)党の権限が強くなりすぎ、公認が党主導になってしまう。重複立候補もばかげた話だ」と語っていたとも言う。】・・・と。

となれば、小泉さんは、自らが批判していた制度を使って、抵抗勢力を一掃することに成功したことになるわけですが、それは即ち、この制度の弊害というものを、実際に目に見える形で表現したということでもあり、小泉さん自身、この制度は改革の為の経過措置的な物であり、未来永劫残すべき物だとは思っておられないように思いますが、一方で、なかなか一旦出来た制度は替えにくい・・・ということがあり、この点が懸念されます。
                                平太独白
by heitaroh | 2005-09-21 17:55 | 政治 | Trackback(3) | Comments(6)

「もったいない」は、現代日本に於いては罪悪である!
e0027240_23554636.jpg昨今、「もったいない」という言葉を国際語にするとか何とかで新聞でよくみかけますが、これは私のように食い物を残したら親から死ぬほど殴られた世代には心情的には理解できるのですが、こと、現代日本ではこの言葉は「罪悪」だと思います。
なぜなら、昨今のコンビニにしても、リサイクルショップにしてもそれを強く感じるからです。

先日、見たリサイクルショップの「お売り下さい」のチラシには、「春夏物衣類は1-6月、秋冬物は7-12月しか買い取りません」と書いてありました。
彼らは古本でもそうですが、すぐに売れる物しか買わないようですね。
今日仕入れて、今日のうちに売れる物が彼らにとって引き取りの対象なんです。
これ即ち、以前、平太郎独白録 アレキサンダー大王の強さの秘密、「時間差攻撃!」で申しましたように結局「スピード」なんですよ。

つまり、彼らにとって、いつか高値で売れるかもしれないような名品はもう必要ないということのようです。
これは、即ち、倉庫に大量の在庫を抱えることはしないということであり、結局まあ、あらゆる業界でコンビニ化が進んでいると言うことでしょうが、即ち即ち、これを支えている前提・・・、つまりは、「もったいない」罪悪にしている大前提というのは、技術革新サイクルの早さと、大量消費社会だと思います。

「もったいない」と言って、物を大事にしていたら、技術革新が進んで、結果、「もう、今時、こんな物使わないし。」ということになってしまうし、商店にしても、結局、使うアテのない大量の在庫が残る事になるだけのことであり、となれば、挙げ句が高いお金を払って、処分することになる・・・。
技術革新を否定することは、今更、出来るはずもなく、社会が後戻りすることも考えられない以上、「もったいない」は、かつて、仏教がその発祥の地、インドで根付かなかったように、必ずや、その言葉の母国によって否定されるでしょう。
                   平太独白

by heitaroh | 2005-09-20 19:57 | 時事問題 | Trackback | Comments(2)

チャウシェスクは生きている?
親愛なるアッティクスへ

e0027240_11321958.jpg以前、中洲で飲んでましたら、ルーマニア人のお姉ちゃんと少々、お近づきになりまして・・・。
と言っても、単にそういう店に行ったというだけでして、文字通り、お近づきに成ったというだけで、それ以上、別に深い意味は何もないんですけどね(笑)。

(←普段はこういう所で飲んでます。妙に言い訳がましい?(笑)。)

で、その折、ちと気になることを聞いたのですが、チャウシェスク生きているんだそうですね。

カミサンと二人でハワイ悠々自適なんだとか。
「ルーマニアでは皆、知ってる話よ。」と・・・。
他の子にも聞きましたが、皆、普通に「そうだよ。」・・・。
(もう、ちょいとばかり前のことになりますので、今のルーマニア人の若い子たちが知っているかどうかは定かではないのですが。)

でも、確かに、言われてみれば、チャウシェスク夫妻が連行される映像があって、遺体になった映像はあるのに、撃たれている部分の映像だけは無いですよね。
つまり、処理前処理後はあるけど、処理中だけはない・・・。
不自然と言えば、不自然ですよね。
あのとき、その場面を撮影することが、それほど、困難な状況にあったとは思えませんし、今どき、撃たれている映像がタブーなんて事もないでしょうしね。
それに・・・・・・。
これ以上は、まあ、やめておきましょう。
私が消されてはかないませんから(笑)。

でも、誰のどういう意志が働いたかは知る由もありませんが、意外にそっちのほうが安上がりだとおもいますよ。
独裁者に亡命を認め、年金も出してやったほうが・・・です。
もっとも、「国外に秘匿していた金を持ったまま亡命することを暗黙」すればそれで事足りるのでしょうが。
                                        平太独白
by heitaroh | 2005-09-19 07:23 | 国際問題 | Trackback | Comments(0)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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