<   2005年 08月 ( 22 )   > この月の画像一覧

今 東光に校長が与えた言葉、「絶望することなかれ」
今 東光という人物をご存知でしょうか。
僧侶にして作家ですが、その豪放磊落な人柄もあり、まあ、良いにつけ悪いに付けエピソードには事欠かない人でして、中でも私が忘れられない話に、「絶望するなかれ」というものがあります。
大正三年16歳の東光少年は女性問題を咎められたことで教師を殴り、学校を二度目の退学処分になった彼は、上京すべく、独り、駅のホームに立ちます。
当然、一人の見送りもなく、他には人もまばらで、がらーんとしたホームなのに、誰かが隣に立つ・・・。
フロックコートに山高帽という当時の正装に身を固めたその人物は、よく見れば、それは何と!退学になった学校の校長先生だったとか。

校長と言っても、当時の校長は今とは比べものにならないくらいステイタスが高い時代の校長です。
驚きながらも、たまたま、誰かを迎えにでも来たのかな・・・などと思っていたら、その校長先生が突然、「絶望するなかれ」と一言、口にしたそうです。
きょとんとしている16歳の今に対し、校長は前を見つめたまま、「君にこの言葉を贈ろう」と言い、こう続けたと言います。
「絶望したときがすべての終わりである。絶望さえしていなければ、まだ事は終わったわけではない」

うろ覚えで書いてますので、言葉の詳細は違うかもしれませんが、ニュアンス的には大筋はこのようなものだったと思います。
戦場において、敗戦とは、どの段階で決まるものなのか?という定義がありますが、それは「司令官撤退を命じた瞬間に決まるものなのだそうです。
司令官が負けを認めてないうちは、まだ、負けてない・・・ということで、この校長が言ったのも、そういう意味のことだったのでしょう。
けだし名言ですね。
絶望し、投げやりになったときに終わりが始まる・・・と。

しかし、この言葉の意味もながら、さらにこの言葉を効果的にしているのが、このシチュエーションでしょう。
地域の名士としての地位が高い時代の校長が、これまた、退学処分になるということは、とんでもない烙印を押されたようなことであったその時代に、問題の生徒を独り見送りに来た・・・。
おそらく、この校長は駅まで来て、もし、見送りの生徒が数人でもいたら、一言も声をかけず、その場を立ち去ったのではないでしょうか?
すでに名士としての地位が確立されている以上、人気取りなどする必要がなかった・・・という背景もあったのですから。
そんな気がします。
                         平太独白

by heitaroh | 2005-08-31 08:11 | 思想哲学 | Trackback(1) | Comments(2)

有事法制議論にみる自衛隊創設史 その2
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きですが、陸上自衛隊、海上自衛隊、その生い立ちの違いは、現在使われている自衛隊旗、自衛艦旗の違いにも現れているそうで、なかなか、興味深い内容ですので、成立過程での主導権の件も併せて抜粋してみました。

 【自衛隊旗、自衛艦旗は自衛隊発足直前の昭和二十九年六月、閣議で決定したものだが、自衛隊旗は日章旗に旭光八本、戦前の軍旗の半分の本数となっている。
 これに対して、海上自衛隊の自衛艦旗は先々と旭光一六本、戦前の軍艦旗と寸分違わない。これは今まで述べてきた陸上自衛隊と海上自衛隊の生まれ方、育ち方の遠いを象徴しているように思える。
 旧陸軍関係者は敗戦直後から四分五裂、極端な国家主義者が残ったり、北京政府礼讃者までがおり、団結してアーミーを復活しようとする態勢ではなかった。
 そのため警察予備隊創設以来、旧内務官僚が主導を握り、なにかと混乱した。 
 公職から追放されていたのだから仕方がないとはいうが、旧海軍関係者も多くは追放されていたにもかかわらず、彼らはネイビー再建を目指して団結し、米極東海軍とネイビー同士の話を進めたため、つねに主導権を振り、旧内務官僚の介入を最小限に止めた。それが旭光八本と一六本の旗の違いに現れている。】

e0027240_14521334.jpgもっとも、東西冷戦が激しさを増すと同時に、GHQ警察予備隊などではない、本格的な日本陸軍の復活の必要を感じたことから、海同様に陸にも旧陸軍軍人の採用に前向きになり始めたそうです。
そこから、旧陸軍参謀本部第二課長(作戦担当)服部卓四郎大佐を中心とする服部グループによる内務官僚よりの主導権奪取工作が活発化し、一時はほぼ決定したとさえ言います。
参考までに、そこから後の件も以下に抜粋しました。ご参照下さい。
 
 【そこで警察予備隊設立準備委員会が七月十七日にあらためて組織された。
 準備委員会が組織された直後、おそらく七月下旬のことだと思われるが、GHQのウィロビー少将の紹介状を持って準備委員会の前に現れたのが服部グループであった。
 「新たな組織に置かれる制服組の中枢は我々であるからよろしく」と挨拶したのである。
 軍刀や参謀飾措こそ吊っていないが、束条英機の懐刀と言われた服部らエリート大本営参謀の面々が突然現れたことに、旧内務官僚は悪夢を見る思いがしたことであろう。
 こうなると、旧内務官僚としては本能的に組織防衛を考えざるを得ない。】

この後、両者の攻防の結果として、旧内務官僚と旧軍人の協力体制が固まり、昭和27年10月15日に警察予備隊は保安隊に改組、そして昭和29年7月1日にそれぞれ、【陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊が発足する】のだそうです。
「今日、有事法制を議論する場合、半世紀前を振り返る必要がある・・・」との藤井 久氏の言には、耳を傾ける必要があるように思えますが如何でしょうか・・・。
                                  平太独白
by heitaroh | 2005-08-30 01:07 | 政治 | Trackback | Comments(0)

有事法制議論に見る「自衛隊創設史」 その1
親愛なるアッティクスへ


e0027240_11335781.jpg先日書きました平太郎独白録 映画「宣戦布告」に見る「戦争」の続きですが、この映画全編を通して、日本の(映画作成当時の)問題点が幾つか描かれていました。

中でも、もっとも端的に表されていたのが、「敵が上陸した」・・・との報せを受けて、自衛隊の出動を命じる総理大臣に対し、防衛庁の役人が山のような書類を抱えて来て、「これだけの各官庁の決済をもらわなければ、自衛隊は出動できません。」と言うシーン・・・。

こういった点は、以前から指摘されていたことであり、今では随分、整備されたようですが、私はこれを見て、思い出したことがあります。

数年前、ある雑誌の中で、藤井 久氏の自衛隊創設史という記事を読んだことがあるのですが、その中で、【「現在、注目されている有事法制三法案は、昭和五十三年七月のいわゆる栗栖発言に端を発している。たしかに警察予備隊創設の時点で整備しておくべき法制に不備があったのだろうが、旧軍正規将校ならば、戦争状態では行政法規の機能は死んでいるとの認識であるから、いざとなったら有事法制の欠陥をそれほど意識しなかっただろう。その一方、海上自衛隊は法制的な問題をあまり意識せずにストレートに行動してきた。平成三年四月、ペルシャ湾に掃海部隊を派遣する時も、機雷など危険物除ネを任務と定めた自衛隊法第九九条を援用しただけである。そして最近、テロ特措法だけですぐさま艦艇をインド洋に派遣した。この行動については議論されるべきところだが、両者の違いは、明らかに生まれ方育ち方から生じており、根は深いのである。今日、有事法制三法案を審議する際、半世紀前を振り返る必要があるのではなかろうか・・・。】ということが書いてありました。

敗戦後、海上自衛隊の方は、戦争責任の多くを陸軍が負わされたことや復員輸送も含め、日本周辺海域の治安体制が空白となったことでの治安維持、厄介だった機雷除去作業といった業務があったことから、わずかながらでも海軍としての組織が生き残ったそうですが、これと対照的に、陸上自衛隊は徹底的に旧陸軍の組織が破壊された上に、旧将校の間には幼年学校出身者中学出身者という根深い対立などもあったそうで、それは、単に旧陸軍内の対立に留まらず、当時の政界やGHQ内部の勢力争いにも繋がった、実に複雑な様相を呈するまでになっていたようです。

明日に続きます。
                                 平太独白
by heitaroh | 2005-08-29 07:27 | 政治 | Trackback | Comments(0)

私事ですが宝箱を開けたら出てきた昭和・・・。
先週の土曜、うちの倉庫を片づけていたら、一抱えもある大きな箱が4つ出てきました。
以前から有るのは知ってましたが、何が入っているのかは知りませんでした。

で、片づけようと思い、表に出してきて中を確認したところ、何と昭和29年の地域の祭りの時の下人参町樽御輿記念の段幕・・・。
つまり、昭和44年、当地区が博多駅地区土地区画整理によって、現町名になる前の町名ですね。
(祖父の名前が世話人の欄に・・・。)

e0027240_14562967.jpg


それから、昭和31年町内対抗子供マラソン大会の時のシャツ。
(手縫いでマークが付けてあるという・・・。何だか、温もりが・・・。)
他にも何だかわからないがフラッグ!

e0027240_14543425.jpg


(マークは福岡市のマーク。けど、町の名前入りの見学団だとか、女子青年団とか、一体、いつ、何に使ったんだ・・・と。)
他にも、祭りの式次第を書き出した紙etc・・・。

何でこんな物があるんだ・・・。ていうか、いつからあるんだー(涙!)。
少なくとも、私はこの祭りに出た記憶はないんですよ。
1歳くらいの時、祖父のヒザの上で出ただけ。
でもって、昭和40年~43年くらいまでしか、この祭りはなかったはず・・・。
ということは、それ以来、40年間、ここにこうしてあったということ!

で、その翌日が、亡父命日でしたので、実家に向かおうとしたところ・・・、途中、よく見たら、至る所に夏祭りの格好した子供たちが・・・。
よく考えてみたら、その日が祭りの日だったんですよ。
(都心化で町内自体が、事実上、消滅したので過去の話になってますが、神社の祭り自体は今でも続いています・・・。細々とですが・・・。)
その上で、よりによって、昨日、40年ぶりに陽の光を見るなんて・・・。

何とも、奇遇だなーと思いつつ、私的には感慨深い物があり・・・。
関係ない話にお付き合いさせてしまい、失礼しました・・・。
                    平太独白

by heitaroh | 2005-08-26 20:48 | 地域 | Trackback | Comments(0)

昭和の怪僧、今 東光にみるアメリカとの関わり方心得。
親愛なるアッティクスへ

e0027240_12455949.gif以前、平太郎独白録: 「ルムンバの叫び」に見る、アメリカとの関わり方心得で述べたことですが、「ルムンバの叫び」という映画を観ていて、日本とアメリカの関わり方という点で思い出したことが有ります。
昭和時代、極道和尚と呼ばれ一時代を築いた今 東光という僧侶・・・にして、直木賞作家がいます。

この人が、参議院議員時代に日米関係について聞かれた際、「日本とアメリカの関係は、家康と信長の関係でなくければならない」と言ったそうです。

曰く、「日本が家康で、アメリカが信長である。家康は信長から、我が子の首を出せと言われれば、黙って、歯を食いしばってでも差し出さなければならない」ということだったようで、つまり、「アメリカ様には逆らえない以上、アメリカ様からのどのような理不尽な要求にも、じっと我慢して従わなければならない」ということだったと言います。

これは、徳川家康がまだ、三河・遠江の領主だった時代、その同盟者・・・にして、その時点での事実上の天下人であった織田信長の要求で、嫡男・信康と妻・築山殿自害させなければならなかったことを言っているのだと思いますが、東西冷戦時代のこととは言え、私もこれは卓見であり、まさに、日本が対米関係で取るべき方向性と言う点で言い得て妙だと思います。

アメリカに「90億ドル出せ!」と言われれば、歯を食いしばってでも120億ドルくらい出さなければならない。
アメリカがアタマがおかしくなっていても、「自衛隊を出せ!」と言われれば、断腸の思いででも出さなければならない・・・。
「to littele, to late」などと言われているようではダメなのです。
平和とは決して、「タダ」ということではないのだと・・・。
つまり、平和とは何もしないことで維持される物ではなく、「覚悟」がいるということだと。
それが、イヤなら、再軍備して、自分たちで国を守るしかないのでしょうが、私は現段階では、まだ、こちらの方が高くつくと思います。
                         平太独白
by heitaroh | 2005-08-25 18:01 | 国際問題 | Trackback | Comments(2)

消費は是か非か
親愛なるアッティクスへ

「取水口  落ちてたまるか  水すまし」  平太郎
(落ちてたまるか!)

e0027240_12101144.jpg以前、阪神大震災が起こったとき、これで建設ブームが起こり、消費が喚起され景気がよくなる・・・というのを聞いたことがあります。
当時、そりゃないぜと思いましたが、実際に関東大震災の時は一時的に景気がよくなったそうで、その時、「果たして消費とは善なのか?悪なのか?」というテーマについて、ちょっと考えてみたことがあります。

その結果、自分なりに行き着いた結論は「無駄な消費は悪である」というものでした。

そこに至る経緯はまた後日、ご意見を頂戴したいと思いますが、小渕恵三内閣のときのようなといりあえず、自分の任期中だけ景気が良くなれば良いというような、行き当たりばったりの景気対策で、仮に一時的に消費が回復しても、根本的なところにメスを入れない限り、必ずその反動があると思います。

e0027240_1216980.jpg

ていうか、そもそも、果たして「消費不況」という事自体、言えるのでしょうか?
不況感が特に強かった頃、私は日曜日に嫁御料がCDラジカセを買いたいというので、ヤマダ電気につれていきましたところ、買い物客で大渋滞。
次から次へ商品をかかえた客が出てきていました。
そのあと、家族で外食しようということで、飯屋にいったのですが、ここも待たないといけない始末。
一体、本当に不況なのかと疑問に思いました。
人々の営みがある限り、消費というのは、ほっといても存在し続けるものではないでしょうか?
無理して消費を喚起するようなことをしなくても、血液の流れを妨げるものを取り除いてやれば済むことだと思います。
                              平太独白
by heitaroh | 2005-08-24 20:11 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(0)

不況と経営者
親愛なるアッティクスへ

「不況と経営者」という問題で、少し考えてみました。
まず、不況期で成功する経営者のパターンとしては、3つあると思います。
一つが、不況を逆手にとって発展するタイプ。
二つめが、不況があまり関係無いタイプ。
そして、3つ目が、不況を凌ぎきるタイプです。

e0027240_1140842.jpg

まず一つ目ですが、これはかなり超人的な例であり、ある意味、山師的な要素も抱えているともいます。
したがって、このタイプ自体が非常に珍しいのに加え、同時に大きなリスクも抱えている為、本当に本物と呼べるのは、一時代に一人程度では無いでしょうか?

e0027240_11425746.jpg

次に、二番目のタイプですが、これは例えて言うなら、世界恐慌の時のロッキードがいい例だと思います。
航空郵便という、一旦この便利さを知ってしまったら、誰もが不況だからと言っても使わずにおれない分野。
現代で言うならば、まさしくNTTドコモがこれだと思います。
ただ、これは、経営者の能力と言うより、事業の特殊性にあると思います。
ロッキードは確かに魅力的な経営者でしたけど・・・。

e0027240_11435197.jpg

そして、第三のタイプが、世界恐慌の時の松下幸之助のように、何とか凌ぎきるタイプではないかと思います。
そして、やはり消去法で見て行く時、やはり、1,2のタイプは、あまり我々の参考にはならないのではないでしょうか?
そう考えると、誰もが抗いようの無い大津波が来た時は、良寛じゃないですけど、「災難を受ける時は受ける」しかないんじゃないでしょうか?
                              平太独白
by heitaroh | 2005-08-23 15:29 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(0)

中継貿易基地として見た対馬の存在
親愛なるアッティクスへ

私の友人の奥方に長崎県の壱岐の人がいます。
その奥方の兄上が壱岐で漁師をしておられるそうなのですが、聞いた話では、地球温暖化の影響で、今や取れる魚が、皆、身が締まらず、値段が下がる一方だそうで、近頃では、「もう、漁師を廃業して、陸に上がろうか・・・。」とさえ話しているそうです。
私も一時期、暴力団資金源とする為に、高い値が付く高級魚を密漁して、(稚魚ごとごっそりと持って行くことにより)漁場の荒れが深刻なことや、3Kによる後継者不足の問題、さらに、元々、命がけの商売であることに加えて、北朝鮮による拉致の恐怖など、漁師をとりまく環境が大変厳しいものだということは知っていました。
しかし、魚の品質そのものが低下しているということは知りませんでした。
このままでは、西日本の海から、漁師という職業はなくなってしまうことになるかもしれません。
思えば、これまで、伊豆辺りで捕れていた魚が、今や宮城県の気仙沼あたりで水揚げされるという話も聞きましたし、これまで、鹿児島県でしか生息が確認されていなかった虫が、福岡県の南部で見つかったという話など、地球温暖化の問題は、もはや、はっきりと我々の目に見えるようになってきました。
この点でも、「これでいいのか!」と強く思います。

地球温暖化の問題は、日本だけではどうしようもない問題でしょうから、一旦、ここでは置くとして、漁業という一大収入源を絶たれたならば、壱岐や対馬、五島列島などの九州の離島は、どうしても、観光収入特産品販売(真珠養殖)などの現金収入に頼らざるを得ないでしょう。
現実に壱岐や五島などは、グルメレジャーなどを全面に掲げ、九州本土・・・特に福岡市からの観光客誘致に積極的に動いているようです。
ただ、この点で、対馬だけは、少々、他の島とは違う展開を検討できないものか?と思います。
以前、平太郎独白録 対馬が日本にある幸せでも申し上げましたが、日本海の入口付近に位置し、浅茅湾という天然の良港を所持する対馬の地理的特徴は、観光・特産品以外の中継貿易という選択肢も有るのではないかと思うのですが、如何でしょうか?
ただ、その為にはいくつか大きな問題点があります。

まず、観光以外に対馬が経済発展する為には、あくまで、大陸との間が平穏であることが前提ですし、何より、多くの人間が居住する為には本土から水や食料などの物資を運ばねばならず、香港やシンガポールのような後背地を持たないと言う点では弱いかもしれません。
(かつて、ロシアは対馬を領有する動きを見せましたが、中継貿易基地には卓見を持つイギリスは、下関の彦島の租借を主張したことがあります。)
しかし、かつての琉球王国の栄華然りで、後背地を持たない島が中継貿易により繁栄した例が無いわけでもないと思います。
定住する必要がない、物資だけの保管など、何かもう一工夫あれば・・・と思う次第です。
もっとも、現代科学技術の発展は、対馬を素通りすることができる存在に貶めるに十分なものではあったのでしょうし、また、あの美しい浅茅湾の自然を壊すことがいいことだとも思いません。
漁業収入がこれまで通りでやっていけるのならば、何も無理することはないとも思っております。

e0027240_16114687.jpg(←美しい浅茅湾の風景)

つまり、具体的に今すぐどうこうする・・・ということではなしに、対馬の持つ地理的特性(特異性と言い換えてもいいかもしれません。)、地の利と言うものを考慮し、普遍的な有利性を述べたものとして、むしろ、忘れ去られた観がある対馬というものへの喚起と受け止めて頂ければと思います。

                              平太独白
by heitaroh | 2005-08-22 16:06 | 地域 | Trackback(1) | Comments(0)

権力の重心不在
親愛なるアッティクスへ

ある資料を探していたら、8年前に友人にあてたメールをプリントアウトしたものが出てきました。
当時の世相と相まって、なかなか面白いと思うのですが、如何でしょうか?
以下。
------------------------------

以前、「今の日本の一番問題点は、権力に重心がないことだ。」と申し上げましたが、その件で、私なりに、ちょっと考えてみました。
権力の重心不在・・・。
一つには、戦前の反省から誰かに(どこかに)権力が突出するのを警戒するということ、フィクサーになったほうが責任もとらなくていいし、そうなると余計突出した権力者の出現というのは困る・・・という風潮も有ると思います。
さりながら、私の意見としては、現在の日本の制度上の欠陥に問題があると思います。

本来でしたら、重心は内閣総理大臣に有るべきなのでしょうが、(本来の首相の権限は旧帝国陸軍GHQを併せたより強いという人もいます。)現在その力が発揮できる環境にはないことは、よくご存じのことと存じます。
確かに議院内閣制というものは、行政のトップが議会のトップも兼ねられるという建前があり、その意味では、理屈では確かにそうなるのですが、実際はそうなっておりません。
私としては、どうしても、持論である行政と立法の未分離というところへ行き着かざるをえません。
(その一つとして、議会のトップが行政のトップを兼ねるところまではいいとしても、大臣をはじめ議員みんなが行政にタッチすることが、すでに議会の放棄につながっていると思います。)
参考:平太郎独白録: 「日本の最大の問題点は行立未分離に在りと見つけたり!」

制度上の欠陥というところへ話を戻しますと、かつて、共和制時代の古代ローマでは、通常は選挙で選ばれた2名の執政官がトップとして国家の運営に当たっていたそうですが、非常時には執政官が指名した独裁官1名任期を区切って、事にあたったそうです。
日本でも、江戸幕府などは通常4名老中によって運営されていましたが、将軍が非常事態の必要を感じれば大老というものを老中の上におき、強大な権限を与えて、事に当たらせたわけで、その意味では現代の日本の首相も戒厳令を布告する権限を持っているあたりは、そうだと言えるでしょう。
しかし、首相自体、選挙で選ばれる以上、国民に不人気な政策や、選挙に影響を与える利権をなくす政策は採りにくく、それでは思い切った政策はとれないと思います。
しかし、非常時には、強大な権限を与え、任期を区切って、選挙を気にせずに(場合によっては憲法の一時停止すらも含め)、 首相の指名ででも誰かをたてるべきではないでしょうか?

先日より私の主張であります、資本主義の「民意を反映しすぎるがゆえの行き詰まり」という前提に対しては、こういった補足制度が必要だと思います。
ツキディデスペロポネス戦役の中で「大国統治には民主制は向かない。」と言っておりますし、スッラは「民衆の思うままに国家を運営すれば、君主制に行き着く他はない。」とも言っております。
現代に置いて、絶対君主制というのは不可能でしょうが、国家主席という名の君主制もあることですし、このままでは日本も軍事政権の登場以外に打開策はないように思えて成りません・・・。

「身は防人の露となり 何とこの世はみたむない」 平太郎
------------------------------
以上。
まあ、若気の至りということで・・・(笑)。
                                平太独白
by heitaroh | 2005-08-20 08:29 | 政治 | Trackback(1) | Comments(2)

男の老後、そのひとつの形・・・島津義弘と飯!
e0027240_1165619.jpg私には、ジジイになったときのひとつの思い描く形があります。
(もうじゅうぶん、ジジイだという暴言には耳を貸しません(笑)。)

戦国時代、勇猛揃いで知られた戦国武将の中でも、特に勇猛で名を馳せた人物に、薩摩(現鹿児島県)の島津義弘と言う人物が居ます。
(←少年、老いやすく学成り難し・・・(笑)。嗚呼、馬上少年幾星霜・・・。明日は我が身ですぞ、御同輩・・・。)
この人は、あの関ヶ原の戦いのとき、味方がすべて敗走する中、敢然と敵の中央突破して戦場を離脱することに成功したことでも知られる人物ですね。

ところが、このさしもの猛将も・・・、いや、猛将だったからこそなのかもしれませんが、晩年ボケてしまい、自分でも食えなくなったそうです。
で、衰弱していく義弘を見て、心配した家臣たちが相談し、それならば!と、義弘の食事の時間になると、膳を用意させた上で、庭に若者を集め、ドラを打ち鳴らし、鬨の声をあげさたところ、何と、このボケ老人のそれまで視線も定まらなかった眠たげな目がクワッと開き、おもむろに箸と茶碗を手にとるや、飯をガブガブと食べ始めたそうです。
以来、義弘の食事の時間には、毎日、この光景が繰り返されたとか。
戦国が終わった後の天下泰平、即ち太平の世というのは、この戦国を駆け抜けた老雄にとっては、ただ、退屈なだけの時間だったのかもしれません。

私も別にボケたいとは思いませんが、もしボケたなら、男としては、こう有りたいものだと思っています。
                                 平太独白

by heitaroh | 2005-08-19 17:56 | 思想哲学 | Trackback | Comments(2)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
ライフログ
最新のコメント
> sakanoueno..
by heitaroh at 10:46
ようやく読み終わりました..
by sakanoueno-kumo at 19:09
> sakanoueno..
by heitaroh at 17:31
12周年おめでとうござい..
by sakanoueno-kumo at 03:47
> sakanoueno..
by heitaroh at 18:12
光を当てられていない人に..
by sakanoueno-kumo at 15:14
>sakanoueno..
by heitaroh at 11:09
あけましておめでとうござ..
by sakanoueno-kumo at 15:22
>Mさん  そうだ..
by heitaroh at 20:52
壊れた時計が動く理由もネ..
by M at 20:38
> sakanoueno..
by heitaroh at 12:35
なるほど。 先日の疑問..
by sakanoueno-kumo at 22:50
>sakanoueno..
by heitaroh at 10:05
キリのいい年となると、あ..
by sakanoueno-kumo at 19:28
>細田さん すみま..
by heitaroh at 10:36
検索
タグ
(64)
(54)
(54)
(51)
(50)
(46)
(42)
(41)
(41)
(36)
(32)
(31)
(30)
(30)
(29)
(28)
(26)
(26)
(25)
(25)
(24)
(24)
(24)
(24)
(23)
(23)
(21)
(21)
(21)
(20)
(19)
(19)
(19)
(18)
(18)
(18)
(17)
(16)
(16)
(16)
(16)
(15)
(15)
(15)
(15)
(14)
(14)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(12)
(12)
(12)
(11)
(11)
(11)
(11)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
カテゴリ
以前の記事
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
2005年 10月
2005年 09月
2005年 08月
2005年 07月
2005年 06月
2005年 05月
2005年 04月
2005年 03月
最新のトラックバック
八犬傳(上・下)
from 天竺堂の本棚
2016年NHK大河ドラ..
from <徳島早苗の間>
明治日本の産業革命遺産の..
from 坂の上のサインボード
明治日本の産業革命遺産の..
from 坂の上のサインボード
時~は2015年♪。
from <徳島早苗の間>
フォロー中のブログ
ブログパーツ
  • このブログに掲載されている写真・画像・イラストを無断で使用することを禁じます。
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧