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改革者に必要な資質
親愛なるアッティクスへ

日本の改革者にとって、もっとも必要な要素、それは「辛抱」である。
改革とは快刀乱麻のように一刀両断にやることと思いがちだが、日本社会では、そうあるのは難しいし、うまくいっても多大な反発・・・ひいては、反動を招く。
その為、必要な粛正は極力最小限に抑え、かつ、少しでも多くの人に納得させる必要がある。
それゆえにこそ、改革者に必要な資質は辛抱なのである。
小泉総理はよく辛抱してあると思いますが、如何ですしょうか・・・?

小泉総理に限らず、地方自治体首長もよく辛抱している方も決して少なくないように見受けます。
自治体の中には、赤字にあえぐところも決して少なくないようですが、自治体も倒産状態になると自治省(今何でしたっけ?国土交通省ですよね・・・。)の管理下に置かれるんでしょう?
と言うことは、当然、議会停止に追い込まれ、議員身分、特権、歳費などといったことも停止されるんでしょうね?
それなくしては、旧自治省の管理というのも意味ないんじゃないですか!

どこかの自治体では議員たちが「自力再建を目指すよりも倒産した方がよかった。」などと言ってました。
本末転倒ではないですか・・・。
自治体が倒産したら、議員も失業すると思うから、初めて、倒産だけは食い止めようと改革に協力するんじゃないですか?
自治体は倒産しても、議員の身分だけは残るのであれば、自治体予算削減など、出来た話じゃないでしょう?

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by heitaroh | 2005-06-30 18:17 | 思想哲学 | Trackback | Comments(0)

福岡市の人口、7月にも140万人へ!
親愛なるアッティクスへ

いつの間にか、140万人にまで膨れあがってたんですね・・・。
知りませんでした。

◆――――――――――――――――――――――――――――――◆

05/06/06付 西日本新聞
 福岡市の人口140万人到達が目前となった。
 同市が6日発表した推計人口によると、1日現在の人口は139万9543人(前月比1582人増)。
 同市の人口はここ数年、月平均800~1000人ペースで伸びており、市総務企画局は「来月には百四十万人を突破する可能性が高い。魅力的な商業施設の集積が進み、九州一円から人を呼び込んだ結果」としている。
 同市は1889年に市制施行。当時の人口は5万847人だった。1975年には人口百万人を突破し、79年には、北九州市を抜いて九州最大の都市となった。現在の人口は、全国13政令市(東京都区部を除く)の中で、約146万人の京都市に次いで七番目。
 福岡市が2002年度に策定した基本計画は「140万人到達」を06年度と見込んでいたが、一年早く実現する見通しとなった。

◆――――――――――――――――――――――――――――――◆

だそうです・・・。

130万人まではそう思わなかったけど、140万人となるとちょっと・・・。
だって、福岡市って小さいんですよ。
(札幌の1/4程度と言われてます。)
そんなところに、140万人。
さらに、周辺ベッドタウンまで入れた実際の都市圏人口は200万とも250万とも言われているわけですから・・・。
道理で、が足りなくなるはずですね。
一方で、北陸や会津は大雨で洪水とか・・・。
こちらは、このままでは、完璧に取水制限みたいです。
北陸ではうらめしい水も、福岡ではうらやましい水です。
まあ、慣れましたけどね・・・、水不足。

あ、ここで終わるつもりだったのですが、最近、思うんですよ!この定義!
「劣悪な環境から来た人たちは、それに慣れていると言うことだけで、好環境の人に優越感を持つ」と。
治安の悪いところから、いいところへ来た人たちは、「このくらいなら、別に驚かないよ。」と胸を張るし、物価が高い地域の人たちは安い地域で同じ物、同じサービスが受けられても、「いや、こっちじゃ、このくらいはするんだ。」って高い金を払うことに違和感を持たない。
ちなみに、日本は治安が悪化していると言われてますが、一番、治安が悪かったのは昭和30年代だそうです。

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by heitaroh | 2005-06-29 18:16 | 時事問題 | Trackback | Comments(0)

我が心の快獣ブースカ!

ブースカ昭和41年から42年にかけて放送された子供向け人気番組に「快獣ブースカ」があります。
ご多分にもれず、当時、私もテレビにかじり付いて見たクチなのですが、先日、このDVDが出ているのを見つけ、ちょっと高かったけど、買ってしまいました。
で、何が言いたいかというと、私には暖めている企画があるのです。

それは、この「快獣ブースカ」の続編をやりたいんです。
それも、大人向けに・・・。

ブースカは昭和42年放送の最終回で弟チャメゴンと一緒に宇宙へ旅立ちます。
宇宙での20日間は地球での20年に相当することを知らずに・・・。
だから、彼らは本当は20年後の昭和62年に帰ってきていないといけないんですよ。
まあ、一度、「ブースカブースカ」という形で再放送はされているみたいですが、それには触れないとして(笑)、上述の通り、ブースカとチャメゴンは20日間と思っているけど、帰ってきたときには地球上では20年が経っているわけですが、現実には昭和62年はとっくに過ぎ去ってしまっていますから、そこで、この20日間というのを由利徹扮する博士の計算間違いで、片道が20日間だったということにするわけです。
つまり、往復40年後に帰ってくる。
そうすると、2007年ですから、再来年なわけです。
地球上では、ブースカの仲間たちは皆、40代、50代になっているわけです。
そこで、設定です。
主人公の少年発明家だった「大作」は、意外に普通に区役所の職員。
大作のライバルで腕白少年「メチャ太郎」はバブル期はかなり、派手にやっていたものの、今では自己破産。
他にも、玉の輿に乗ったものの夫の不倫に悩む主婦、冤罪逮捕歴を持つ者、失業中、子供の家庭内暴力に悩む者etc。
そこへ、40年前のままで、ブースカとチャメゴンが帰ってくる。
皆、自分たちが於かれた現実の前には、二人(2匹?)は余りにも眩しすぎるわけですね・・・。
で、浦島太郎状態のブースカとチャメゴンがハチャメチャ騒動やりながら、徐々に皆の心が戻っていく・・・。
で、もう一度、皆が遊べる広場を作ろうってことで、彼らは何度も壁にぶつかりながら、それを実現していくって、ストーリーです。

以前、もう少し、きちんと書いた物があったんですが、ちょっと見つかりませんので、まあ、概略、こういうことです。
円谷プロさん、何とかなりませんかね・・・。
きっと、泉下の神様・円谷英二翁なら賛同してくださるように思うのですが・・・。
             平太独白

by heitaroh | 2005-06-27 18:14 | 文学芸術 | Trackback | Comments(11)

私小説「昭和33年の10円玉、父、そして、平和台球場・・・」

以前、福岡ドームの帰り、勝利の雄叫びと共に、焼酎片手に焼鳥屋で猛烈な勢いで書いたものです・・・。
ご照覧ください(笑)。

***********************

その日、確かに私は疲れていた。
仕事もうまくいってなかったし、妻ともしっくりいってなかった。
帰宅すると、子供の寝顔を見るのもそこそこに、すぐにパソコンに向かった。
ここ何日も、そういう日が続いている。

不意に、私は顔が水面に浸かるのを感じた。
(あ!、また風呂の中で寝てしまったか・・・。)
最近では、珍しくない事だった。
だが、目を開けた私の前には、先ほどまでと変わらぬパソコンの画面があった。
電源が落ちてしまったか、画面は真っ暗だった。
「???」
(寝たのか・・・。それにしても、今の感触は何だったんだ・・・。)
そう思い、ふと画面に触れてみた・・・。
すると、画面が水面(みなも)のようにぴとっと手のひらに吸い付いた。
瞬間、そのおかしな感触に驚いたものの、そんなバカなと気を取り直し、再び、手のひらを画面の中へと沈ませてみた。
すると、チャポンという音と共に、ずぶずぶっと、手が中に入ってしまった・・・。
(どうなってるんだ・・・。俺は疲れているのか・・・。)
次の瞬間、画面の向こうで誰かが私の手をグッと握った。
暖かく、大きな手だった。その手は、もの凄い力で私を画面の中に引きずり込んだ。
抵抗も何も、あ!っと言う間もない出来事だった。
視界が真っ黒になり、頭は真っ白になった・・・。

やがて、「早く座らんか!」という声が聞こえ、私は我に返った。
低い声だった。
(あ、オヤジ!)
そこには、数年前に死んだはずの父が座っていた。
「他のお客さんの迷惑になるだろうが!」
再び、父の叱責がとんだ。
辺りを見渡すと、そこは野球場だった。
だが、今ハヤリのドーム球場などとは似ても似つかぬ殺風景な球場で、座椅子などは板が張り付けてあるだけの背もたれもないものだった。
観客も皆、痩せこけて、それでいて、異様に目がぎらついた男たちばかりだった。
その中に、父も見事にとけ込んでいる。
痩せていて決して血色が良いとは言えない風貌であり、さらに、肌寒さを感じさせる空気の中、袖から出た父の腕は土色で至る所に染みがあり、そこへ、太い血管が巻き付いている姿は蔦蔓(つたかずら)に絡まれた枯れかけの樹木のようであった。

慌てて、私は父の横に腰を下ろすと、まじまじと父の横顔を凝視した。
生前は口うるさいだけの父で、父子仲もあまりいいとは言えなかった父であった。
その父は、晩年の風貌ではなく、まだ、三十代くらいであったろうか。
父はそんな私の視線になど、構うことなく、前を向いてグランドを眺めて続けていた。
「長島だ。」
父が不意に口を開いた。
「は?」
父はあごでグランドを指した。
私もそれにつられるように、グランドに視線を落としたとき、「3番、サード、長島・・・。背番号3。」というコールが聞こえた。
「あれが、巨人の新人、長島だ。」
父はぶっきらぼうにそう言った。
そこには、若々しい長嶋茂雄がいた。
私は思わず、興奮した。
子供なんだから、興奮していいんだとわけのわからない理屈で納得していた。
「お父さん!お父さん!長島はね、長嶋は凄いバッターなんだよ!」
父を「お父さん」などと呼んだ記憶は絶えてこの方なかったが、思わず、「お父さん!」を連呼してしまった。
「心配いらん。稲尾は絶対に負けん。長島のような新人とは背負ってるものが違う・・・。」
父はそういうと、そのまま、グランドを睨み付けるように凝視し続けていた。
(いなお・・・?)
スコアボードに目をやると、そこには、手書きの文字で巨人と「西鉄」と書いてあった。
(西鉄・・・って、西鉄ライオンズかよ!てことは、ピッチャーは伝説の名投手、鉄腕・稲尾和久か!)

マウンドの稲尾は誰が見てもわかるくらいに、疲労困憊していた。
肩で息をしている。
ここで、長島である。
父の足下には、何本も、もみ消したタバコが落ちていた。
稲尾は振りかぶって、渾身の一球を投げ込んだ。
魂がこもっているのが、素人目にもわかった。
長島の打球は「カッ!」という乾いた音を残して、宙に舞った。
ピッチャーフライだった。
父に限らず、満員の観衆の呼吸が一瞬、ひとつになった。
直後、歓声ともため息ともつかぬ、異様などよめきが起こり、ボールは、すっぽりと稲尾のグラブにおさまった。

気が付いたら、父と二人で球場の外にいた。
ここはどこなの?というくらい、辺りに明かりはなかった。
横をチンチン電車がガーっという音と共に走り抜けていった。
「お父さん、電車で帰らないの?」
私がそういうと、父は少し、口をゆがめて、ポケットの中から10円玉を一枚取り出した。
「券買ったからな・・・。もう、これだけしか残ってない。歩いて帰るしかなかろう。」
二人はトボトボと真っ暗な道を歩いた。
少し先に街の明かりが見えた。
よく見ると、歩いている道は土の道で、至る所にくぼみがあり、雨が降ったのだろうか、水たまりができていた。
私たちの横を、これ見よがしにチンチン電車が再び、ガーっという音と共に通り過ぎた。
不意に、私は涙がこみ上げてきた。
(お父さん!)
そう、声に出そうとした刹那、父が口を開いた。
「おまえ、自分に恥ずかしくない生き方をしとるか・・・。」
私は「うん」と答えるのだけが精一杯だった。
「それならいい。」
私はもう、声にならなかった。
少し無言で歩いた後、また、父が口を開いた。
「人はどうでもいい。おまえが、自分に恥ずかしくない生き方をしとるのなら、それでいい。」
私はただただ、かぶりを振るのみであった。

顔を上げた私の前には、パソコンの画面があった。
画面には、スクリーンセーバーが無感動に動いていた。
そのとき、後ろで声がした。
「コーヒーでも飲む?」
妻だった。
久々に聞くような優しい声だった。
私は少し考えて、「いや、ビールをくれ。」と言って、笑って、大きく背伸びをした。
笑ったなんて、いつ以来だったろう・・・。
妻は少し口をとがらせて微笑むと、奥へ消えた。
缶ビールのプシュっという音を聞きながら、私はたばこを手に取ると、ライターを出そうとズボンのポケットをまさぐった。
ポケットには、ライターはなく、代わりに10円玉が一枚出てきた。
(まさか・・・。)と思って年号を見ると、昭和33年と書いてある。
長島が入団した年で、西鉄が日本シリーズで奇跡の逆転優勝をした年である。
(よく考えたら、昭和33年なんて、オヤジと試合見に行ったどころか、俺はまだ、生まれてもないじゃねーか・・・。)
私は思わず、苦笑すると共に、思わず、涙がこぼれ落ちた。
(父さん・・・。)

*************************

あ、これ、「空想もので」という条件でしたので、モデルは特にありません。
くれぐれも、私ではありませんから(笑)。
あしからず・・・。
                                 平太独白
by heitaroh | 2005-06-25 18:13 | 私小説 | Trackback | Comments(2)

空想 妄想 瞑想に迷走・・・
よくわからないまま、ちょっと、書いてみてくれと言われたので作ってみました。
PCを使った空想ものが対象だそうです。
覆水盆に返らず(笑)。

*************
ある日、パソコンのスイッチを入れると、画面の中にサエナイ坊主頭の子供が居た。
「何だ、おまえ、どこから来やがった。」
そういうと、その子供は少し口を尖らせて、
「おまえだよ。」という。
「何だ、俺か。」
こともなげにそう言って、「で、何の用だ。」と続けた。
「お前がどうしてるかと思って、見に来たんだよ。」
「どうもしてねーよ。おまえのままだよ。」
「おいおい、冗談だろ!ちったあ、これから、おまえになるこっちの身にもなれよ!」
「おまえに言われたくはねーよ。いいから、どけよ。今から、メール見るんだからよ。」
そういうと、無造作にマウスを動かした。
「あ、この野郎!」
メールソフトの画面が立ち上がると、そいつはその陰に隠れて、声しか聞こえなくなった。
「おい、俺の時から、30年も経ったんだぞ!おまえのそんな姿と現実を見せつけられる俺の身にもなれよ!」
「うるせーな。少し、静かにしろよ!折角、大事なメールが来てるんだから・・・。」
「おい!俺より大事なのかよ!」
「あたりめーだろ!あっち行けよ!」
「あったま来たぜ!」
子供はそういうと、画面の上の隙間から指だけ出して、Xを押した。
たちまち、メールソフトは姿を消し、その子供が現れた。
「あ!何すんだ、このガキ!折角、今、テレクラでしりあったおねーちゃんと・・・。」
「おまえ、そんなことやってんの?」
「あ、いや、それは・・・。って、関係ねーじゃねーか!」
「関係無いわけ無いだろう!」
「大体、おまえは何なんだよ!」
「おまえだよ。」
「・・・。」

今度は、子供の方から切り出した。
「で、何やってんの?」
「は?」
「仕事だよ、仕事!」
「べ、別に、普通に・・・。」
「普通に何だよ。まさか、普通にサラリーマンやってますなんか言うんじゃないだろうな・・・。俺たちの時代なら、サラリーマンが普通だったけど、今はそればっかりじゃなねーって事くらいしってるんだからな。当然、『フリーのライターやってます』くらい言うんだよなー。」
「・・・。」
「普通のサラリーマンかい!」
「悪いのかよ!」
「別に・・・。幼稚園の時の夢は「博士」で、小学校の時の夢が「プロ野球選手」だったんだろ。で、中学生のときが・・・。」
「いーじゃねーか!俺の生活に干渉すんなよ!おめーだって、心の中では、そんなもんになれねーってことくらいわかってたじゃねーか。」
「ま、それもそうだな。」
子供は一転、画面の中で肩をすくめると、そのまま、続けた。

「で、どうよ。」
「何が・・・?」
「会社よ。いってんだろ?いい年なんだから、課長くらいやってんでしょ。」
「係長だよ!・・・って、おまえに言われたくねーよ。」
子供はちょっと、後ずさりすると、そこへ腰を下ろし、そのまま、寝そべると、片手で頭につっかえ棒した姿勢で話を続けた。

「で、どうよ。」
「だから、係長だって言ってんじゃねーか。」
「違うよ。会社の中での立場はどうだって、言ってんだよ。」
「・・・。」
「さえねーみてーだな。で、結婚は?してるんだよな?」
「・・・。」
「してねーのかよ!いい年こいて・・・。」
「したよ!・・・、っつうか、してたよ・・・。」
「別れたのか!」
「何で、おまえにそこまで言われなきゃならねーんだ!」
「おまえだからだよ。」
「・・・。」

また、しばらく、間があって、今度はこちらから切り出した。
「もう、いいだろう。こっちは、今から、明日のデータ作らなきゃならねーんだからよ、もう、どけよ。」
子供は、ゆっくりと起きあがった。
「そうだな。おめーにはおめーの今の生活があるしな。」
「だから、おっさんみてーなこと言うんじゃねーよ。大体、おまえは何なんだよ!」
「おまえだよ。」
「・・・。」

そういうと、子供はくるっと、きびすを返して歩き始めた。
でも、俺にはわかっていた。
こいつは、立ち止まって何か言うと。すんなり帰らないんだと。
だって、俺がいつも、そうしていたから。
子供は、足を止めると、そのままの姿勢で振り返らずに、「ああそうそう、ひとつだけ、聞いておきたかったことがあったんだ・・・。」
(いつも、殴られてばかりいた親父のことか・・・。俺もちったあ、可愛いところがあるよな・・・。)
そう思っていると、子供は、
「1999年に人類は滅亡したのか?」と聞いてきた。
(ノストラダムスの大予言かい!・・・。)
思わず突っ込みそうになったが、それを抑え、
「してねーよ。な〜んにも無かったよ。」となぜか、優しい口調で言った。
「本当にしてねーのか?」
「ああ、してねーよ。」
「そうか・・・。おまえらは、1999年におだぶつになってしまってるのに、それに気づいていないだけじゃないのか?」
それだけ言うと、こちらの返事を聞くことなく、子供は画面の中に消えていった。
「おい、また、来いよ。」
そう呟くと、遠くから、
「もう、来ねーよ。」と微かに聞こえた。

子供がいなくなってから、しばらく、私は真っ暗な画面を眺めていた。
スクリーンセーバーが動き始めた。
「1999年に人類は滅亡していて・・・、気づいてないだけか・・・。」
画面から目をそらすと、「かもな。」とだけ呟いていた・・・。
*************

あー、あくまで、空想物ですから・・・。
モデルは私ではありませんよ(笑)。
サラリーマンじゃないですしw。
     ・・・・・・平太独白

by heitaroh | 2005-06-24 18:12 | 私小説 | Trackback(1) | Comments(2)

軍事的能力は銀、政治的能力は金。
親愛なるアッティクスへ

軍事的才能を持つものは政治的才能を持つものはには勝てない運命にある。しかし、純金の才能を持つ者は見受けられても純銀の才能を持つものはきわめてである。しかも、銀メッキはできるが、金メッキはきわめて難しい。」

これ何だかわかります?
じつはこれ、25年ほど前に私が大学ノートにまとめていた論文の一つなのです。

この点で、源平期のスター・源義経はまさに好例と言えるのでしょう。
義経に政治感覚があれば、彼は平家を倒してはいけなかった・・・と。
つまり、兄で上司の源頼朝も、平家の脅威があれば、義経をお払い箱にできなかった・・・ということですね。
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この点は現代政治も同じで、アメリカは日本とドイツを弱くしすぎたから、ソ連という大敵と向き合うことになったわけで、今ではそのソ連を牽制する為に力を与えた国や組織(アルカイダなど)が、アメリカ自身に対する新たな脅威として浮上してきているわけですから、自業自得(むしろ自縄自縛?)と言ってしまえばそれまででしょうが、何とも皮肉な巡り合わせでしょう。
アメリカという国は、何とも目先の敵しか見えない国のようです。

ところで、話を元に戻せば、平清盛に対する一方の主役である後白河法皇の目指した「院政復活による絶対王政堅持」は清盛・頼朝らの「新興勢力武士による革命」とは見事に相容れない思想であり、この点、鎌倉幕府成立から武士の時代が始まったとするのではなく、むしろ、室町時代になって朝廷の力が完全に衰えるまでの300年にも及ぶ武士と貴族という階層間革命権力闘争だったととらえるべきではないでしょうか。
その意味では、武家政権成立は、あるいは厳密な意味での、世界史史上初めての革命だったといえるのかもしれません。
平家一門の没落の真因は、清盛とその嫡男で早世した重盛以外に、この階層間の権力闘争という意味を誰も理解せず、ただ、栄華を誇るだけに安住していたことにあるのではないでしょうか・・・。
その意味では清盛のあとを継ぐべきだった重盛が清盛よりも先に死んだということが惜しまれてなりません。
                               平太独白
by heitaroh | 2005-06-21 17:41 | 歴史 | Trackback | Comments(4)

プロ野球交流戦・・・どうよ!
親愛なるアッティクスへ

史上初のプロ野球交流戦も、千葉ロッテの1位で幕を閉じました。
私としては、福岡ソフトバンクが惜しくも1位を逃したことよりも、1位と2位をパ・リーグが独占したことの方が、意味ある出来事でした。
しかも、ソフトバンクは、中日と引き分けただけでセの全チームに勝ち越しての2位ロッテはヤクルトには負け越したものの他の5球団にはすべて勝ち越した上での1位
しかも、全体でもわずかながら、パ・リーグの勝ち越し。
(でも、実際には楽天を抱えての勝ち越しですから、圧倒的優位といえるのではないでしょうか?)
私としては、とにかく、セ・リーグに対し、一言、言いたい。
「どうよ!(勝ち誇った笑い!)」

かつて、優秀な選手は皆、FAしてセ・リーグに行ってしまうわ、ドラフトでも逆指名制で有望選手は皆、セの球団を志望するようになったわで、日本シリーズはおろか、オールスターでもパは勝てない状況が続いており、そんなパの選手を、セの選手たちは見下していたのでしょう、パ・リーグの日ハムから、FAでセ・リーグの阪神に入団した経緯がある片岡選手が、2003年日本シリーズのときにダイエーの松中選手にこう言ったそうです。
「松中、お願いだから、ホークス勝ってくれ!こっちの連中は、皆、パをなめとる!」
(当時、この話は知らなかったけど、阪神側は皆、態度にでまくってましたね。今岡が怪訝そうな顔でホークス応援団見てました。「世の中で相手を応援するところがあるなんて・・・」て顔で。それだけに、ホークスが勝ったときは、嬉しかったですよー!)
その上で、去年のシーズンオフの、「パ・リーグがセ・リーグに吸収合併される形」での1リーグ制構想だったわけですから、パはいらないものと宣言されたも等しかったのではないでしょうか・・・。
それだけに、いざ真剣にやってみたら、ソフトバンクばかりかロッテにも、セのどこも歯が立たなかったことを証明した形となったこの交流戦は、パ・リーグ全体のレベルの高さを見せつけた形となり、まさに、その自信が何の根拠もない迷信だったことを証明した形となったように思えて成りません。
「で・・・、どうよ!(笑)。」

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by heitaroh | 2005-06-20 22:08 | スポーツ | Trackback | Comments(8)

哀しいかな日本は三等国・・・
親愛なるアッティクスへ

戦前のソ連のスパイ、ゾルゲが指摘するように日本人はオカミに従順です。
(日本人は頭が良く従順で支配されるためにいるという話を、きいたことがあります。非常に不快でしたが、哀しいかな現実は近いモノがあるのではないでしょうか?それだけに外国人のマフィアが暗躍する素地があるのかもしれません。)
しかし、それゆえに明治維新で新政府の基盤が固まったのはこの要素が大きかったと思いますし、逆にそれゆえに太平洋戦争に負け、そしてまた、それゆえにGHQの改革がすんなり受け入れられたとも言えると思います。
しかし、日本で受け容れられたからと言って、それがイラクアフガンでも受け入れられるかは一概にいえないところで、アメリカは日本人の特殊性・・・というか、希少性をきちんと認識しているのでしょうか?

私が、かねてより敬愛してやまぬ本田技研工業元副社長(・・・というよりも、本田宗一郞との共同創業者)・藤沢武夫氏の著書に「日本はまだまだ三等国だ。いきなり一等国というのはむりだから、なんとか君たちの世代でせめて、二等国にしてくれ。」というのがありました。
私が読んだ当時は、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などと言われ始めていた頃であり、「何で日本が三等国なんだ?」と不可解に思いましたが、今にして思うと、哀しいけど、これが現実なのだろうと。

まあ、そうなるのもやむを得ないことでしょうか。
なぜなら、日本という国の特徴は、言うまでもなく、四囲を海で守られていたことで、近隣諸国と接触することなく、言うならばギアナ高地状態で独自の進化を遂げてきたことにあるでしょうから。
そのギアナ高地に緊張を与えた近隣勢力との接触を挙げるなら、
第一が、渡来人(大和朝廷)による縄文人侵略。
第二が、白村江敗戦。
第三が、元寇。
第四が、秀吉の朝鮮出兵と敗退。
第五が、ペリー来航・・・でしょうか。
ペリー以降は置くとして、秀吉を除けば、面白いものでほぼ600年周期で起こっていることがわかります。
(秀吉のそれは、白村江と違い、東アジアの情勢とは何ら関わりなく、秀吉個人の思いつきで実行された戦争ですから、海外情勢での国難とは一線を画していいのではないかと思います。)
つまり、グローバル化が進む以前は、放っておけば、外国が日本に興味を示すのは、600年に一回程度のことだったと見ることができるのかもしれません。

もっとも、他民族というものを肌で知るという点では、一度、外国に占領された経験を持つのも悪くはなかったか・・・とも思っております。
それが、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などと言われて、「アズ」「イズ」を勘違いするような「三等国」に、自らを客観的に見せることができる一番の妙薬だったのかも知れませんから。
                               平太独白
by heitaroh | 2005-06-18 21:11 | 政治 | Trackback | Comments(2)

自分の好物は他人も好物!
親愛なるアッティクスへ

昭和29年、広岡達郎が、早稲田大学から巨人に入団したとき、当時、巨人には、主力選手として「打撃の神様」と呼ばれた川上哲治がいたそうです。
広岡と川上の確執は、改めて言うまでもなく野球ファンにはかなり有名な話ですが、特にその昭和29年という年は、さしもの「神様」川上も衰えが見え始めた年で、実際、川上はこの4年後に引退し、対照的に広岡はこの年、新人王を獲っています。

この年、不調に苦しんでいた川上は遠征先の旅館で素振りを繰り返していたところ、広岡が軽い気持ちで顔を出し、「カワさんも、苦しんどるのー」と一言・・・。
川上は青ざめた形相で広岡を睨み付けたと言います。
なぜ、広岡はこんなことを言ったのか?
広岡曰く、「自分の兄と川上が同じ年だったから、兄貴のような気分で接してしまった」だそうです。
が、川上にしてみれば、当然、イチ新人としか見てないわけですから、「生意気なやつ!」という印象を持ってしまった・・・と。
さらに当時、選手としては晩年だった川上は若い広岡の矢のような送球を捕れなかったそうで、ある時、広岡のショートバウンドの送球を川上がはじき、結果、広岡にエラーが付いたところ、広岡は、以来、すべて同じコースへ送球し、そのたびに、川上はポロポロとはじきまくり、満場の失笑を買ったそうです。
このときの「神様」川上の心中は察するに余りあるものがあったのではないでしょうか。

当然、川上が監督になると、広岡に対する露骨ないじめが始まり、広岡は引退に追い込まれます。
その後、評論家としてスタートした広岡が巨人のアメリカ・キャンプを取材に訪れたところ、川上は広岡に対して選手らに箝口令を布き、一切の取材に応じさせなかったそうで、この仕打ちに広岡は独り、ホテルのベッドで泣いたと。
その後、川上は巨人の監督として、9年連続日本一という前人未踏の遺業を成し遂げ、それと入れ替わるように、広岡は監督としてヤクルト初優勝に導き、その後、西武常勝へと導きます。
これほどの二人でありながら、その確執の原因となったのが、広岡の「友達」のような勘違いだったのですから、まったく笑えない話です。
でも、これは、有り得ない話のようで、結構、ありがちな話なのです。
広岡という人間は、大先輩に対して平気でショートバウンドのボールを投げるような人間ですし、一方の川上もチームの打撃練習の時間を一人で使いきったとか、ゴルフで後の組がどれほど詰まっていようと、平気で自分のボールが見つかるまで探した・・・などという逸話がある人物で、言うならば、似たもの同士だったのでしょうが、そういう普通の尺度で測れる人間同士じゃなかったのですから、さもありなんと・・・。

その上で、敢えて、もし、川上と広岡の兄とが同じ年でなかったら・・・、中国人が皆、日本人と似てない黒い肌白い肌をした人間ばかりだったら・・・。
それでも、同じ状況になっていたのでしょうか?
どうにも人間というモノは、「こんなにおいしい料理を嫌いなやつがいるはずはない!」と思いこむことがあるように思えて成りません・・・。

参照:平太郎独白録 :中国人は異質の民族
                               平太独白
by heitaroh | 2005-06-17 18:07 | スポーツ | Trackback | Comments(2)

夢なき航海は北極星無き航海に等しい
親愛なるアッティクスへ

時節柄、私の廻りでも精神病になったという話を二、三、耳にしました。
ある人に聞いた話では、そうならない為には「夢」「目標」を持つことが有効なのだそうです。
やはり、夢を持つのは必要なんでしょうね。
言うなれば、「夢なき航海は北極星なき航海に等しく、大海原で迷子になるようなものだ。」ではないでしょうか?
ただ、そうは言っても、なかなか、夢が持てない年代に入ってきたとは思います。
この年代で自殺者が多いのもそれでしょう。

e0027240_188593.jpg私は恥ずかしながら、40歳近くなって、突然、小説を書き始めました。
その時の周りの反応は実に冷淡なものでしたね。
「馬鹿なことを!」とか「いい歳こいて」などと周囲の誰もが冷笑しました。
でも、そのうち、ふと気づきました。
「40のおっさんが今から歌手を目指していけないって、誰が決めたんだ!」って。
よく考えたら、世間が勝手にそう決めただけなんですよね。
俺はまだ、納得してない!って思いましたよ。

となれば、はっきりと結果が出た人はともかく、そうじゃない人は一度、自分の夢は何だったのかを思い返し、なぜ今は、それを追っていないのか検討してみたら如何でしょうか?
単なる世間というものの「思いこみ」洗脳されているだけかもしれませんから・・・。

でも、スポーツ選手はまだしも、将棋の世界に年齢制限があるのはどうにも理解できません。
プロって、実力の世界じゃないんですか?
実力にどうして、年齢が関係するのか、私にはどうしても理解できません。
日本人って、その人その物を見ずに、その人の背景をみてしまうところがあるような気がしますが如何でしょうか・・・?
                            平太独白
by heitaroh | 2005-06-16 20:01 | 時事問題 | Trackback | Comments(7)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
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プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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