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不覚にも落涙仕り候
親愛なるアッティクスへ

先代貴乃花、亡くなりましたね。
私は現役時代は北ノ湖に勝てない相撲取りという思い出しかなく、あまり、好きではなかったのですが、むしろ若貴の活躍と共に「二子山親方」としての印象が強く焼き付いているようです。

で、今朝は朝からテレビはすべてこの訃報で持ちきりでしたが、ちょうど、私が朝食を取っているときに、これまでの親方の歩みを振り返る映像が流されていました。
取り組みそのものよりも、二人の息子の小さい時分の映像を見ているうちに、どういうわけか柄にもなく、少しウルウルになっていたのですが、息子たちが結婚して、親方夫妻を含め、6人で食卓を囲む映像の中で、親方が二人の息子を前に、「長男というものはどこの家でも父親に反発するものだ。」と語ったときに、思わず、亡父との葛藤が絶えなかった我が身を想い、不覚にも涙がこぼれてしまいました。
その後に続けて、「次男は、その父と兄との・・・を見て・・・。」というようなことを言ってましたが、残念ながら、胸に詰まり、それ以上は聞き取れませんでした。
何とも面目ない話です・・・。

二子山親方も、実兄である先代二子山親方の弟子として、この世界に入ったのでしょうが、彼自身は、末っ子で、長兄である先代とは、親子ほどに年が違っていたわけですから、自身が長男のようなつもりだったのでしょうか。
あるいは、二子山親方が入門する前に、別の兄(次男?)が弟子として入っていたけど、大成しなかったらしいということも聞いてますから、何か、兄たちの葛藤を見て、思い当ったことがあったのかもしれません。

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by heitaroh | 2005-05-31 20:38 | スポーツ | Trackback | Comments(0)

ドームの夜に思うプロ野球選手は自らのスタッフを持つべし
親愛なるアッティクスへ

e0027240_1125108.jpg以前、福岡ソフトバンクホークスvs中日ドラゴンズを見に行った折のこと。
この夜は快勝でしたので、福岡ドームでは、ホークスが勝ったら試合終了後、恒例の、応援団による場外応援(←)があってました。

で、さすがに私はいい年こいて一緒にはやりませんが、この時、なにげにそばで見てたら、傍らで、観光客らしきおばさんが「な~ごやは負けとるわ」と言っておられたのが印象的でした(笑!)。

ところで、プロ野球選手は、自分の給料の何パーセントかの契約で、自分自身スタッフを雇うべきですよ。
そして、そのスタッフにチームを組ませ、一人は、対戦相手の状況、クセ、調子、傾向などを分析させる。
又、別の者には、自分のクセ、失敗の傾向、次の試合場の状況、天候、分析させ、そして別の一人には、自分の肉体的な管理を担当させる・・・etc。
勿論、球団からも、相応のデータは降りてくるであろうし、球団にはトレーナーも医者もいるでしょう。
だが、それとは別に、自分専用のスタッフを持つことにより、その他大勢と同じでない、自分だけのサービスが可能になるわけです。

なぜ、そういうものが必要かと言えば、球団は誰か一人にだけ活躍してもらおうとは思っていないからです。
だから、自分が人よりも成績を残そうと思えば、球団から下りてくる通り一遍のサービスよりも、それ以上の、もっと綿密に自分に合致したケアが大事なのではないでしょうか?
これにより、選手自身は、肉体の鍛錬にのみ多くの時間を費やすことができることになります。
現在のプロ野球選手たちは、チームがやってくれないそれらの部分は、一人でやっているわけで、非効率的、非機能的と言わざるをえないように私には思えます。

スタッフは、何もプロ野球関係者である必要はないし、たとえ関係者であるにしても、プロ野球からは毎年、大量解雇者が出ていることを考えると人材にも困らないでしょう。
又、選手の側も雇っても必要経費になるわけだし、選手の再雇用の受け皿にもなる。
それに、スタッフは選手が活躍して、その給料が上がれば自分の給料も上がるわけで、その意味では、実力のある選手にはスタッフのなり手が殺到し、スタッフ料も下がる。
スタッフの方も名伯楽、名スタッフと言われる人たちが出てくることになり、そういったスタッフには高給で迎える選手が出てくるようになる・・・、ならないといけないのでしょう、本当は・・・。
それが、本来のあり方だと思いますが。
高給貰って、それを投資に廻さず、自分のことにばっかり遣っているから、選手給料高すぎるなんて批判も出てくるんですよ。
                                   平太独白
by heitaroh | 2005-05-30 18:38 | スポーツ | Trackback | Comments(6)

中国、「客家の里」の建築形態、円形土楼への私的考察。
親愛なるアッティクスへ

先日、別件で捜し物をしていたところ、昔、あちらこちらに行ったときのレポートが出てきました。
ちょっと、興味深かったので、ここに披露してみたいと思います。
で、第一弾として、まずは、平成15年アジア太平洋センター主催の中国厦門、永定の視察旅行に参加したときの物です。

e0027240_1721880.jpg(そうです。書かされたんですよ、当時・・・(笑)。すっかり、忘れてました。)

メインは、永定にある客家と呼ばれる人たちの住居であり、あまり、他には類例を見ない、独特の建築形態を持つ円形土楼(←)の視察でした。

以下。

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今を遡る事、二千数百年の昔。山東半島から遼東半島にかけての環渤海地域一帯では、春秋戦国時代の動乱を逃れ、東へと歩を進める人々がいた。彼らはそのまま、海を渡り、我々、日本人の一祖となった。渡来人である。
その数百年後、同様に中央での戦火を避け、南に逃れた人たちがいた。彼らはその後も南進を続け、中国南部に広く分布する事になった。それが「客家」である。

客家は漂泊の民である。その語感には、客と言うより「よそ者」としての蔑称さえ漂い、事実、迫害の歴史さえあったと言う。
にも関わらず、洪秀全、鄧小平、葉剣英、朱徳、李登輝の各氏を始め、国境に拘る事無く、多数の有力者を輩出した「客家」と言う物のネットワークと組織力と言ったものについてこそ、私は当初、興味があった。
だが、やはり、この命題は突き詰めるには、少々、大きすぎたようである。
そこで、これにはあっさりと白旗を掲げ、とりあえず建築業に携わった者の一人として、これら土楼の中でも特徴的な形態を持つ円形土楼について、私が感じたなりの事を述べてみたい。

e0027240_1727531.jpgまず、土楼は木造建築と捉えると誤りやすい。むしろ、コンクリート造と捉えるべきである。
つまり、木造部分は日本におけるコンクリート建造物に固定されている木部を思い浮かべてみればいいであろう。
従って、四階建ての居住部分の柱などは、日本の木造建築物のように通し柱である必要はなく、1フロアーごとのぶつ切りである。
これが、日本の木造建築であれば、少なくとも1階と2階、2階と3階、3階と4階のように、互い違いに2フロアーずつを貫いた柱が必要であり、できれば、1階から4階までを貫いた通し柱が4本は欲しいところである。(現実にはなかなかに入手困難であろうが。)

e0027240_17303450.jpg次に、何故、この土楼が作られたかであるが、これは防衛の為と言う事であったが、当初、私はこの説に懐疑的であった。何故なら、一見した所では、土楼には城砦としては最も必要欠くべからざる機能が見当たらなかったのである。
物見櫓の存在である。
土楼によっては、七百人も居住していたというが、そうであれば、少なくとも、四方に敵の来襲を知らせる櫓を屋根の上に配備する事は、決して無理な事ではなかったであろう。
にも関わらず、その存在と思える物が、どの写真にも見当たらないのである。
その答えは、やがて、土楼本体が教えてくれる事になる。

e0027240_17492551.jpg車が目的地に近づくにつれ、窓外に土楼がちらほらと見え始めた辺りから、私はある一つの事に気付いた。それは、土楼には窓はあっても窓ガラスがないのである。
屋根に置かれた雪割用の瓦から、冬季には積雪が多い事が予測されたが、それにしてはガラスもなければ板もないと言う状態では、居住空間としては、少々、過酷過ぎるのではなかろうか?この疑問は、土楼の内部に入り、内側から窓を見た瞬間、氷解した。窓があったのは、すべて屋外階段部分であり、これはそのまま、物見櫓として使えるのである(←)。
しかも、土楼は、その断面を見せる事により、改めてその堅牢さを印象付けた。
これでは、火縄銃や大型の木槌などの破砕道具も歯が立たなかったであろう。

e0027240_1746710.jpgさらに、土楼自体、わずかに内側に傾いて建てられた事により、お互いの荷重でもって、その巨大な体を支えあうような構造になっており、その事が堅固さを、尚一層、容易ならざるものにしていたことにも驚嘆を禁じ得なかった。(←)

一方で、1970年代までは見られたと言う、近隣同士の深刻な武力闘争でも、「ここを根城に戦う」と言う事はあまりなかったようで、その防壁は、あくまで野盗、山賊に対する防衛の為のものであったという。
実際に、土楼の一つには、「1920年代に山賊が防壁を破って侵入しようとしたが、防壁の堅固さの前に一部を破損させただけで目的を達する事ができずに引き揚げた」ときの痕跡が今も見受けられる。
ある意味、20世紀に入っても、中国では梁山泊の世界が生きていたと言う事であろうが、住民にとっては決して笑えない現実だったであろう。

最後に、この土楼が、その特徴的な形である円形になった理由は、居住する者の平等を確保する目的があったそうである。
余談だが、日本にも中世、唐傘(からかさ)連判状と言うものが存在した。
豪族同士の連合体の結成の際などに使われたもので、円形に署名していく事により序列を生じさせないのである。
これこそが、他の図形にはない、円だけが持つ特徴であると言えよう。

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以上、お粗末様でした!

平太独白
by heitaroh | 2005-05-28 08:48 | その他 | Trackback | Comments(0)

大河ドラマ「花神」での教育者としての吉田松陰の名セリフ
親愛なるアッティクスへ

昭和52年放送のNHK大河ドラマ「花神」というのがあるのですが、ご存じでしょうか。
放送当時、私は高校一年生
当時は、それほど、名作という印象はなかったのですが、数年前に、たまたま、レンタルビデオでこれが在るのを見つけて以来、私のバイブルとなっています。
やはり、10代で見るのと、年取ってから見るのとでは、作品は一緒でも、受け止める方の何かが違うのでしょう。

いつも、これを見ると、背筋がピンと伸びます。
見終わると、毎回、「俺は一体、何をしているんだぁ!」という悔恨の念で、不覚にも落涙仕り候です。
「花神」とは元々、中村梅之助主演で大村益次郞の生涯を描いたモノですが、それよりもドラマの中に出てくる篠田三郎演ずるところの吉田松陰絶品です!
何度見ても泣きます。
最近ではテーマ音楽だけで泣きます(笑)。

配役も福岡市出身・米倉斉加年さんの桂 小五郎以外、実際の人物とよく似ている人(実際にはそれほど似てないのかもしれませんが、イメージがよく似ているようです。)を使ってますので、子供に教科書代わりに見せても良いくらいです。
入江九一なんか、よく、こんな顔の役者さんいたなーって思うくらいです(笑)。)
ただ、中村雅俊高杉晋作だけはいただけません。
どうみても、新春隠し芸大会です。
それから、田中健架空の人物も本編の充実ぶりを考えるといらなかったかなと・・・。
それでも、そんなところを割り引いても、間違いなく見終わったときには背筋が伸びている逸品です。
中でも、私が印象に残っているのが、初めて、高杉晋作が、志垣太郎扮する久坂玄瑞に伴われて松下村塾にやってきたときのシーンです。

高杉が名刺代わりに差し出した漢詩を見て、松陰は一言、「久坂君の方が優れています」と言う。
それを聞いて、食ってかかる高杉に対し、松蔭先生が言うセリフがこれです。
「私も学問を学びつつある人間の一人です。が、何が本物で何が偽物であるかは、はっきり言える。貴方の持つ優れた直感力、独創性・・・、確かに本物です。だが、学問の裏付けがなければ、ただの気まぐれ、独りよがり・・・。貴方は一個の乱暴者にすぎなくなる。貴方が乱暴者で終わるか十年後に大を為す者になるか、それは貴方自身が選ぶべきことです・・・」

・・・・・・こんなこと言われたら、学年有数の劣等生だった私だって、「勉強しよう!」って気になりますよ、先生。
                              平太独白
by heitaroh | 2005-05-27 18:06 | 文学芸術 | Trackback | Comments(2)

町の書店の対応に尼崎電車事故との同根を見る
親愛なるアッティクスへ

先日、近所の駅中にある本屋で、あるマンガの最新刊を探すべくと本棚から本を手にとって中を開いたところ・・・、突然、店員から「お客さん!」ときつい言い方で声を掛けられました。
「は???」と振り返ったら、おもむろに「ここで立ち読みしないでください!」と。
本には別に立ち読み防止用のビニールが巻いてあるわけでもなく、また、本棚に「立ち読み禁止」と書いてあるわけでもないので、思いっきりカチンときた私は「中を確かめているだけだろうが!」と反論・・・。
すると、「中を確かめるときは店員に言ってください。」と。
「そんなこと、どこに書きだしてある!このバカが!書いてもいないのにそれがわかるか!」
「そんなこと言っても、新刊はその番号じゃないじゃないですか!」
「このバカが!番号などいちいち覚えるか!!」というやりとりの後、立ち読みを咎められて開き直っていると思われても癪だったので、結局、その本を買いましたが、あとから腹立って仕方がありませんでした。

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(↑「ふざけんな、この野郎!」です(笑)。)

さておき、この本屋の対応というのは、私には、JR西日本尼崎の電車事故などと同質同根のもののように思えて成りません。
無論、被害の大小は比べるまでもないことでしょうが、こういう事故について、よく言われることとして、「一つの死亡事故の影には十の大けががあり、その影には百の中くらいの事故、そのまた影には、千の軽いミスでの事故がある」ということがあります。
私の場合の本屋も、よその本屋のようにビニール袋に入れておくとか、「中を確かめる場合は店員に・・・」といった張り紙をしておくとか、何よりそれ以前に、まず、声をかける場合にはいきなり「お客さん!」ではなく、「お探し物ですか?」の一言から入ったならば、お互いに、こういう不快なことにならずにすんだわけです。

そして、何よりの問題は、こういう対応をする所というのは、往々にして、まず、こういう反省を次に生かせないことが多いということです。
つまり、なぜ、そうなったかを一店員の出来事と考え、全体での教訓に活かしていくことをしない・・・。
客の側にすべての責任を押しつけ、「運が悪かった。」、「嫌な客にあたった」という一店員のやけ酒で終わる傾向が強い・・・と。
ベトナム戦争の折、ベトナム軍は、毎日、その日の反省会をやり、「今日、自分は怖くて思わず逃げてしまった。俺は卑怯者だ!」という発言にも、頭から非難をするのではなく、「いや、本当は俺も怖かった。」「あんなときに、怖くない奴なんかいないさ。」というふうに兵士の本音を自由に吐露させた上で、「じゃあ、次にそういう局面に出会ったら、せめてこれだけはやろう。」とか、「そういう局面に陥らないように、こうすればいい。」などと話し合ったと言います。
ベトナム軍が強かったはずですよね。

この辺は、駅の中に昔から安住してきた本屋などというものには、到底、望むべくもないのでしょうが・・・。
                            平太独白
by heitaroh | 2005-05-26 07:27 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(0)

「詰め寄るも かばうも共に 親心」
親愛なるアッティクスへ

「詰め寄るも かばうも共に 親心」 by平太郎

最近、子供が事件起こして、親が謝罪しているシーンがよくあります。
あれって、みんな、被害者の視線ですけど、でも、自分が加害者側になることもあるんですよね・・・。
悪意がなくても、ちょっとした不注意が事故につながることもあるわけですし、自らがそうならないと言い切れても、子供や孫がそうならないとは言い切れないわけで・・・。
それに、仮に長男が被害者だったとしても、ひょっとすると、次男が加害者になることもあるわけだし・・・。

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でもって、最近は「国家が私たちに干渉するなんて・・・」という思想犯(?)的なケースは減ったのかもしれませんが、よく、昔は欧米風に、「入籍なんて紙切れの問題だから」とか言って、入籍しないカップルがいましたよね。
池田満寿夫・佐藤陽子夫妻は、その論で入籍しなかったそうですが、死別後、佐藤さんは「そうは言ったものの、やはり、入籍しておけばよかったかなと思う。連れ合いが死んでしまうと、結局、紙切れでしか残らないのよね」と言っておられたのが印象的でした。)

それはそれで構わないのですが、では、たとえば、「結婚から25年(でしたっけ?)で夫から妻への贈与が2000万(でしたよね?)まで無税になる」などといった特例を適用を希望するような場合、[結婚しているかどうか]を役所の窓口アカの他人の係官にどうやって判断しろというの?・・・と。
つまるところ、それが証明できるのは、婚姻届という紙切れしかないのではないか?と。
また、それを否定するんだったら住民票戸籍謄本などの行政サービスも受けていないのですか?と。
それらの紙切れは、我々を物凄く縛ることになることは否定しませんが、一方で、それがあることにより、様々なメリットも受けているはずで・・・。

かつて、「ユダヤ人ほど、国家を持たない惨めさを味わってきた民族はない」という言葉を聞いたことがありますが、日本人は島国ゆえに国家というものが、型に塡めるように、自然に形成されてきたという側面が有るでしょう、そういう面に、元々、鈍感になる体質があると思います。
そこへ持ってきて、半世紀前の苦い体験から少々、国家軽視が行きすぎたものになっていると思うのですが、如何でしょうか?
全体主義者・・・というお叱りを受けるでしょうか。
でも、「防衛」や「治安」というものは如何にあがいても個人の力ではできないのも事実ですよ。
                                  平太独白
by heitaroh | 2005-05-25 19:39 | 社会全般 | Trackback | Comments(0)

中国政府の危険な綱渡り
親愛なるアッティクスへ

中国副首相ドタキャンして帰っちゃいましたね・・・。
反日デモに対しても、多くの人がそうであるように、「ああ言われる」と言いたいことがないわけではありませんが、あの国を決して嫌いではない人間の一人として言うならば、中国政府は大変、危険な綱渡りをやっているという認識がどこまであるのか、少々、疑問に思えて成りません。
「内政の不満を外圧に向ける」という政治手法自体はオーソドックスなものであり、今更驚くほどのことはありませんが、国家という大きな歯車は、一旦、動き始めると簡単には止まめられない物だと言うことへの認識があまりにも希薄のように思えます。
(かつて、同様の手法でソ連ダマンスキー島で衝突したときとは、要素も状況も違うんです。)

それは戦前の日本がいい例でしょう。
松岡洋右石原完爾・・・。
彼らは、歯車を思い切り廻しておいて、それをどこかで90°曲げる、自分ならそれが出来る!というつもりだったように思えますが、勢いがついた大きな歯車はもはや誰か個人の力では止まるものではなく、逆に彼らを押し潰してしまった・・・。
それは、卑近な例で言えば、国家に限らず、ある程度の規模の組織には当てはめられるのでしょう。
某新興宗教のように、事件を起こした一人一人は普通の人でも、それが一旦、歯車の一つとなると、あれほどの残酷な事件を引き起こしてしまうわけです。

根本に手を付けることなく、問題を先送りしてきた中国政府は、今回のデモ問題で、もはや統治能力の低下を露呈してしまったように思えます。
やはり、社会主義国でありながら、資本主義を実践するというねじれ現象が無理という形になって出てきたのかもしれません。
まさしく、以前、述べた「前漢王朝現代中国成立過程酷似論」そのままに、私は中国は軍事政権の登場に、また、一歩近づいたように思えますが如何でしょうか・・・。

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by heitaroh | 2005-05-24 17:31 | 国際問題 | Trackback | Comments(0)

負けてたら、すぐに席を立つ博多のファン!
過日、福岡ヤフードームに交流戦の目玉、ソフトバンクホークスvs阪神タイガースを見に行ってきてきました。
東京から、わざわざ友人も見に来たので勝って花火を見て帰って貰おうと思ってたら昨日に限って負けー(泣)。
もー、がっくり・・・でした。

西鉄ところで、この帽子、何だかわかりますか?
そう、言わずとしれたニューヨーク・ヤンキース・・・じゃなくって、言わずとしれた西鉄ライオンズです!
って、もう誰も知らないでしょうね・・・。

ちなみに、私は25才まで阪神ファンでしたけど(笑)。
でも、これには、理由があります。

私が子供の頃、博多では、野球!と言えばイコール「西鉄ライオンズ」だったんですが、私は皆が好きな物と同じ物はイヤだったので、かと言って巨人も、その当時、ON全盛時代でしたから、如何にもそれしか知らないって感じでちょっと・・・で、当時、あまり、博多ではなじみがなかった阪神のファンになったわけです。
正直、江夏しかしりませんでしたけど・・・。

で、今、そう言うと、「今、地元のホークスファンじゃねーか!」ってよく言われるんですけど、これにもちゃんと理由があります。
最初、ホークスが博多に来たとき、私は阪神ファンでしたから、あまり関係はなかったのですが、たまたま、初戦を当時の平和台球場に見に行ったのですが、何と博多人!やっとで来てもらった福岡ダイエーホークスよりみ~んな西武ライオンズを応援してたんですよ!!!
博多人の一番嫌いなところですが、 「弱くなるとまるで応援にいかない」→ 「そのくせ、居なくなるとなると文句ばっか言う」→ 「で、やっと呼んできたら、また気に入らないなどと文句ばっかりで、あっちがよかったなんて言って敵を応援してる・・・」
で、「それはなかろうもん!」で、速攻でホークス・ファンクラブに入り、ピラピラのウィンド・ブレーカもらいましたよ。
今でも、カカアに捨てろ!と言われながらも、大事に持ってます(泣)。

亡父が以前、言っていたことなのですが、「大相撲九州場所のとき、(相撲が終わった後にある)弓取り式を博多人は誰も見ようとしない。さっさと帰ってしまう。やりようモンがおるっちゃけん最後まで見てやらな・・・」と。
生前、父が言った、唯一、良い言葉です(笑)。
今でも、阪神ファンは大敗していても最後まで残って見ているのに、ホークスファンは勝敗に関係なくゾロゾロと7回くらいで帰り出しているという・・・。
                          平太独白

by heitaroh | 2005-05-23 17:30 | スポーツ | Trackback | Comments(4)

混浴禁止令に想う明治は遠く成りにけり。
親愛なるアッティクスへ

最近、さすがに内臓脂肪がしゃれにならなくなり出しまして、ここ数日、晴れた日だけですが、片道45分かけて徒歩通勤をしています。
で、気づいたのが、車歩分離信号が多くなっていること。
歩行者は歩行者だけ行かせて、車は車だけそれぞれに行かせる・・・って、やつです。
でも、これって、都心部の人通りの多いところなら、まあ、スクランブル交差点ということでわかるのですが、ちょっと離れた近隣商業地域のようなところには、いらないんじゃないですか?
私なんぞは、歩いていて、右でも左でも渡れる方を渡れればいいわけで、それなのに、右にも左にも渡れず、必ず、そこで立ち止まらないといけないという・・・。

で、1900年の今月・・・、5月24日は明治政府により、「男女混浴禁止令」発令された日だそうですね。

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(↑関係ないけど、薩摩にある日本最古の井戸だそうです。)

江戸時代は、日本の銭湯混浴で、幕末に来日した西洋人らが、それを聞き、「オー・マイ・ガッ」と(言ったかどうかはともかく)、驚愕した・・・という話は聞いたことがありましたが、まさか、前世紀初頭の、明治も33年までも、(なんと、日露戦争4年前、大正と名が変わる10年前です!)それが続いていたとは思ってもいませんでした・・・。
文明開化で明治の始めには、すぐに無くなっていた物だとばかり・・・。

そもそも、日本人には当たり前のように馴染みが深い入浴ですが、昔は、当然、今のように蛇口をひねるとすぐに水が出て、スイッチひとつで簡単に沸かせるというものでもなかったわけで、(ましてや、「自動で湯張り」なんてのはあるわけもなく。)女中や下男などの下働きがいるような、よほどの大身の家でない限り、風呂という物は存在せず、このため、江戸などの大都市では、「銭湯」という「事業」が成立するようになっていたのでしょう。

が、こと、風呂を事業として捉えた場合、事業主としては、「男女を分ける」ということは「仕切りを作る」という費用対効果の問題以前に、「男風呂に行列が出来ていても女風呂に入れるわけにはいかない」といった効率性の観点からも、無駄以外の何ものでもなかったわけで、庶民も使わざるを得ないから使っていたわけでしょうが、それでも・・・、ねー。
ちなみに、人間がこれほど繁殖したのはオスが繁殖期にかかわらず、年がら年中、発情することができるようになったからだそうですが、その意味では我々は褒められて良かったんですね、御同輩・・・(笑)。
                                 平太独白
by heitaroh | 2005-05-21 19:41 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

驕れる者も久しからず
親愛なるアッティクスへ

今年は大河ドラマと言えば、昔あったNHKの大河ドラマ「新平家物語」を覚えておられますでしょうか?
当時、私は小学校の低学年だったと思うのですが、結構、それなりに覚えてます。
特にその第一回が、なぜかこのときの正月の風景とともに澄んだ印象として残っておりまして・・・。
常々、機会が有れば、一度あらためて見てみたいと思っておりましたが、先日、ようやく念願叶い、DVDを見ることが出来ました。
当時の印象としては、若き日の仲代達矢扮する平清盛の乾坤一擲の気迫と、斜陽化してからの、やることなすことすべてが裏目に出るという閉塞状態が再び強烈に焼き付いております。

で、それとは別に思ったのは、「清盛頼朝を助けたばかりに平家を滅ぼしてしまった」という、巷間、言われる「情けが仇」の見本のように言われることについてですが、私は清盛が源氏の幼子を助けたというのは、決して間違っていなかったと思います。
なぜなら、保元・平治の乱という熾烈な権力闘争の後、人々は新しく権力者になった平家という武力新興階級に対し、どのような人たちなのか不安があったはずで、それに対する不安感を払拭し、政権発足早々の人心掌握に意味があったと思うからです。

私が学生時代に愛読した本の著者である大橋武夫氏も「平家の滅亡の原因は、よく敵に情けを掛けたことのように言われるがこれは違う。平家の滅亡の大きな要素は清盛亡き後、平家の側に清盛に代わる柱石がいなかったことだ。その意味では、清盛の長男で、器量人、重盛の早逝が惜しまれる。その証拠に、現に平家を都から追ったのは頼朝でも義経でもなく、木曽義仲なのである。」と書いておられました。
たしかに義仲の将帥としての能力は非常に高く、大橋氏は「義経よりは上」とさえ言っておられたほどで、頼朝や義経、範頼ら義朝の子らがいなかったとしても、木曽義仲(それがだめだったとしてもあるいは他の勢力)によって、結局は滅んでいただろうと思います。

もっとも、ここまではいいとして、ここで私が疑問に思うのは、命を助けるのはともかく、なぜ伊豆になど流したのか?ということです。
関東はもともと源氏の地盤であり、今は平家に靡いているとはいえ、湿った火薬庫に、火の気を投げ込むようなものではなかったでしょうか?
私なら、頼朝はに留め置きます。
さらにベストの選択は貴族制に代わる武家政権の樹立という源平共通の利害目的を掲げ、その上で、一門の娘をあてがい、平家一門(武家側と言いかえても)に取り込みます。
それができないのなら、やはり殺すべきで、それをやらないなら、最低でも源氏の基盤である東国ではなく、平家の基盤である西国へ流すべきだったと思います。
                             平太独白
by heitaroh | 2005-05-20 23:59 | 歴史 | Trackback(5) | Comments(0)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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光を当てられていない人に..
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>sakanoueno..
by heitaroh at 11:09
あけましておめでとうござ..
by sakanoueno-kumo at 15:22
>Mさん  そうだ..
by heitaroh at 20:52
壊れた時計が動く理由もネ..
by M at 20:38
> sakanoueno..
by heitaroh at 12:35
なるほど。 先日の疑問..
by sakanoueno-kumo at 22:50
>sakanoueno..
by heitaroh at 10:05
キリのいい年となると、あ..
by sakanoueno-kumo at 19:28
>細田さん すみま..
by heitaroh at 10:36
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