カテゴリ:経済・マネジメント
  • 昭和41年の三鬼陽之助著「HONDA商法」読了 その3
    [ 2012-04-09 17:50 ]
  • 昭和41年の三鬼陽之助著「HONDA商法」読了 その2
    [ 2012-04-07 14:02 ]
  • 昭和41年の三鬼陽之助著「HONDA商法」読了 その1
    [ 2012-04-06 18:35 ]
  • 大王製紙御曹司の不祥事に思う昭和5年の九軌不正事件
    [ 2011-12-03 18:22 ]
  • 東日本大震災・北関東派遣見聞録 その5 蕎麦と加藤武男
    [ 2011-09-09 18:05 ]
  • 遅い夏休みとなった今年の夏旅・五島列島福江島 その6
    [ 2011-09-05 07:51 ]
  • 早速、大丈夫か博多阪急・・・。
    [ 2011-04-04 19:57 ]
  • 新旧2作ずつの映画に想う心休まらぬ昭和の不条理 後編
    [ 2011-02-16 07:54 ]
  • 新旧2作ずつの映画に想う心休まらぬ昭和の不条理 中編
    [ 2011-02-15 07:27 ]
  • KARAを見ていて哀しくなった戦略無き日本製アイドルの劣位
    [ 2011-02-05 18:17 ]

昭和41年の三鬼陽之助著「HONDA商法」読了 その3
親愛なるアッティクスへ

先週の続きです。

これまでもたびたび、述べてきたことですが、本田技研という会社は、本田宗一郎、藤沢武夫という二人のカリスマ創業者によって発展してきた・・・と言われており、さらに、今日では本田宗一郎の名前しか残っていないような嫌いがありますが、本田宗一郎という人は技術担当重役というべきで、むしろ、事実上の創業者という意味では藤沢武夫だろうと思っています。

本田という人は社長として、そのユニークな言動と相まって、マスコミ受けした人なのでしょうが、すべてを演出、脚本していたのは藤沢であり、おそらく、藤沢が敷いた線路の上を本田はそ知らぬふりで滑るように走っていった・・・というところではなかったでしょうか。
(←「徒桜
  陰の緑の
  鮮やかさ」
   梁庵平太


この点で、まず、その1でも申し上げました本田宗一郎の「絶対に人まねはしない」という独創精神伝説について、興味深い記事が載っていました。

ホンダが昭和33年に発売し、未だに売れ続けているドル箱商品である「スーパーカブ号」は、藤沢が提案し、渋る本田を説き伏せて、他社に先駆けて世に送り出した独創的な商品・・・と聞いておりましたが、同書によると、これが売れたのは「片手で運転でき、下駄代わりになるという性能にもあったが、あくまでも低価格にあった」のだそうで、「このセールスポイントを強調した需要開拓に、副社長の藤沢武夫は、先頭に立って指揮」、「凄まじい需要開拓作戦」の前に、「すでに、スーパーカブよりもさきに発売されていた昌和製作所(倒産)の東昌エコー五〇CCは販売網の未整備をつかれて、緒戦で敗れ去った」・・・とか。

つまり、この商品以前に同様の商品がなかったわけではなく、そこには他社の商品と販売網の長短狡猾なまでに見据えていた一羽の梟がいた・・・というわけですね。
おそらく、その梟は、相手の販売網の整備の遅れに目をつけ、相手がこれを整備する前にこれを市場から駆追する必要を感じ、その為には同等品でより値段が安い物を供給する必要がある・・・と踏み、それを技術担当の相方に示唆という形で指示した・・・と。

二人の現役時代、「技術の本田、営業の藤沢」と呼ばれ、それぞれに、自らの分野に口を挟ませなかったことを評して、「ワンマンならぬツーマン」などと言われたと聞いていますが、その意味では、本田宗一郎その人も技術開発と広報、何より、TOPとしての確固たる思想という点で名創業者であったでしょうが、私が、藤沢武夫こそ、ホンダの事実上の創業者と評する点はここにあるわけです。
おそらく、三鬼陽之助翁も松下幸之助氏も本田宗一郎のカリスマ性よりも、藤沢武夫の経営手腕をこそ買っていたのではないでしょうか。
同書では、他にも多々、考えさせられることがあったのですが、まずは一旦、このシリーズはこれにて筆を置かせて戴きたいと思います。                                         平太独白
by heitaroh | 2012-04-09 17:50 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(0)

昭和41年の三鬼陽之助著「HONDA商法」読了 その2
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

今回、同書を読んで初めて知ったことがあります。
松下幸之助本田技研大株主だったんですね。
当時、筆頭株主は本田宗一郎 1330.4万株、2位が日本共同証券 1203.4万株、3位が藤沢武夫 697.1万株だったそうですが、松下幸之助の所有は公表している分だけでも、松下不動産の30万株あり、他にも松陽不動産、松下幸之助個人名義での所有もあったそうですから、それらも含めると、「相当の大株主であることは、まちがいないようである。」とのことで、これって、今はどうなってるんでしょうか・・・。
買い増しはしていないかもしれませんが、すべて売却してしまったら、風評被害ものですから、ある程度はまだ、松下家は持ってるんですよね?

松下幸之助が本田技研と交流があったことは知ってましたが、実際に、大株主という形で関わっていたというのは初耳でした。
この点を、著者である三鬼陽之助翁は「松下は義理や人情で株を持つ男ではない。」とした上で、「ただ、どういう心理か、松下は、自分が本田技研の大株主になったことを、世間に公表されることを好まない。現に、本田宗一郎にも、株主であることを世間に公表しないよう懇望している。」と記しておられましたので、公表したがらなかったというのは「義理や人情ではない」としたならば、おそらく、「儲け話の種」として見ていたと考えていいのではないでしょうか。

次に、私が注目したのは藤沢武夫の、「企業には、人間の心理学が必要だ。ユーザーが何を欲しているかを知るには、直接、相手に触れることがいちばんだ。」という言でした。
すなわち、「いわゆる新聞、雑誌、テレビ、ラジオなどを通じて、間接的にユーザーと接触してもだめだ」ということだそうで、この点は確かに、最近の企業でも、エンドユーザーの一人として少なからず、感じることでもあります。
携帯電話やパソコンなどでもそうですが、私はゲームもやらないし、音楽も殆ど聞かないので、その分、昼のニュースを自動で録画しておいてくれるとか、もっとほかの機能を付け、かつ、簡易に操作できるようにして欲しいんですよね。
おそらく、私くらいの年代の男性は結構、そういう人っているんじゃないですか?
そういう声はまったく届いているようには思えないんですよね。

この点、本田・藤沢のコンビは鈴鹿サーキットで第一回のオートバイ競争が行われた時、出場他社の首脳部がモーニングの胸にでっかい花飾りをつけて、いかめしく構えている中、来賓席よりはるか下の一般席にノーネクタイで一般大衆と一緒に大声で声援を送っていた・・・とか。
やっぱ、偉くなると、人間、なかなか、耳に痛い言葉が聞こえてこないようになりますから、余計に、こういう場は必要なんじゃないでしょうか。
                                         平太独白
by heitaroh | 2012-04-07 14:02 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(0)

昭和41年の三鬼陽之助著「HONDA商法」読了 その1
親愛なるアッティクスへ

少し前になるのですが、「HONDA商法―企業における”情無用”の研究」という本を読み終えておりました。
(本当はもう少し早めに触れようと思っていたのですが、とにかく、ここ数か月は多忙でして・・・。)
この本が、他のホンダ本と違う所は、発行日が昭和41年7月1日・・・、私が満5歳の時の物だということで、(当時の価格「300円」・・・。)すなわち、最近では子供向けの伝記になるなど、すっかり、神様になってしまった観がある本田宗一郎氏と、今や、氏の陰に隠れてすっかり、伝説の人になってしまった感がある藤沢武夫の両創業者が、まだ神様や伝説になる前の、バリバリの現役時代に書かれた物である・・・ということです。

著者は、拙稿でもたびたび採りあげております昭和の老財界記者・三鬼陽之助で、私はこれまで、「ホンダ」と名の付く本はある程度、読破していたつもりだったのですが、実は同世代本田・藤沢コンビの現役時代について書かれた本は殆どありませんで、その点では、世界恐慌以来、多くの財界の変転を見てきた三鬼翁がどういう切り口で描いているのか、他の本と違い、大いに興味がある所でした。
まずもって、最初に違和感と言うか、どうにも驚いたのが、その数字の大きさでした。
昭和41年と言えば、まだ、オイルショックの前で物価は現在とは一桁は違っていたはずですが、それが、数百億円なんて数字がポンポン出てきて、まるで、現在の経済誌を読んでいるような錯覚に陥るんですよ。
(私の記憶では、当時は確か、ハガキが1枚4円、封筒が7円だったと・・・。)

で、内容ですが、まず、読み始めてすぐに、私が抱いた感想は「失望」でした。
というのも、現在でも発行されているホンダ本と大差ない内容ばかりでして・・・。
それが、雲行きが変わってきたのは半ばを過ぎた辺りから・・・で、まず、「おや?」と思ったのが、ホンダとソニー・・・というよりも、本田、藤沢の井深 大、盛田昭夫との経営方針についての比較した部分でした。
「ソニーは技術開発でも、まったく新しい商品を考案する。」が、「本田技研は、ソニーとまったく逆である。オートバイは、戦前からの製品であるし、新しい車種にしたところで、かならず弱小他社が本田技研の先兵をつとめている。」・・・とした上で、具体的に事例をいくつもあげておられました。
この瞬間、私は、「あ、三鬼翁、今、笑顔の裏で匕首(あいくち)を抜いたな・・・」と感じましたよ。

これまで、私が聞いていたのは、本田宗一郎という人はF-1で、「部品が自前でないからダメ」と言って、空輸をストップさせた・・・などという話を聞いてましたので、とにかく、人まねが嫌い・・・、自ら、創造した物のみを世に送り出してきた・・・と思っていたのですが、これも、都市伝説にすぎなかったんですね。
「本田は石橋を何度もたたき、先輩・同輩会社の成功、不成功を凝視、これならぜったいだいじょうぶと思うや、一瀉千里の勢いで突撃するのである。」とも言っておられましたが、この辺は、本田・・・というよりも、むしろ、藤沢翁の手腕だったのでしょうが・・・。

次回へ続きます。
                                         平太独白
by heitaroh | 2012-04-06 18:35 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(0)

大王製紙御曹司の不祥事に思う昭和5年の九軌不正事件
親愛なるアッティクスへ

今、大王製紙の信じられないような不祥事が取り沙汰されていますよね。
この事件を聞いて、思い浮かんだことがあります。
世界恐慌の翌年、昭和5年(1930年)に今の福岡市の大手私鉄、西日本鉄道の前身である九州電気軌道会社で発覚した巨額不正事件、「九軌不正事件」です。
たかが、地方の私鉄の不祥事じゃないか・・・と言うなかれ、この事件で使い込まれた金額は当時の金で5千万円・・・、今の金にして1,500億円と言いますから、井川意高大王製紙前会長容疑者が使い込んだ金が、たかだか100億円であることを考えても、この事件の特異性が見て取れるでしょうか。
この事件の主役となったのが、当時の松本松蔵専務で、この人物は元々、大阪財界の巨頭・松本重太郎の養子にして、妻は明治の元勲の一人である松方正義元総理(公爵)の娘、アメリカ留学から帰国後、鐘紡社長・武藤山治の秘書を経て、創立間もない九軌に迎えられたという絵に描いたような華麗な経歴の持ち主であり、となれば、当然、「汽車は一等、料亭は一流、門司と小倉に別邸を構え・・・」という暮らしだったとか。

ところが、どういうわけか、それほどの人も羨むような人が人に顔を見せたがらないという妙な性癖があったらしく、読売新聞発行の福岡百年という古い本によると「松本邸の玄関は、一年中閉ざされていた。出入りは、裏口からして人力車にも深くホロをかけ、たまに電車に乗っても、新聞で顔を隠すほど。顧問弁護士すら、松本邸に出入りを許されたのは十年間にたったの二度限り」という状態だったそうで、ついた異称が「覆面の紳士」だったとか・・・。
10年間に渡って続けられていた不正も、初めは、「自社株をつりあげようとした」、いわば「愛社精神」だったものの、それでも、積もり積もって会社の持ち株の半分にも達していたといいますから、やはり行きすぎだったでしょう。
一方では、美術品収集にも惜しみなく費やされ、東京・上野の国立博物館を借りきってコレクションを披露したことからその名は美術界に知れ渡っていたそうで、この辺り、カジノで持てはやされた井川容疑者と共通したものがあったのかもしれません。
もっとも、同容疑者の場合と違い、美術品は残りますからこの点は幸いだったでしょうが。

事件は、松本が九軌の持ち株を手放したことから九軌の経営に参画していた麻生太吉・九州水力電気社長(麻生太郎元総理の曽祖父)が使い込みの存在を知ったことで発覚。
肝を冷やした麻生は井上準之助大蔵大臣に会って善後策を協議、結果、日銀、興銀が動いて1,400万円を調達、他に担保物件や松本の資産を売り払って何とか非常事態を切り抜け、10ヶ月を経てようやく最後の一枚の手形を回収したとか・・・。
同書によると、「病床に倒れた麻生のあとをひきついだ村上巧児専務」の存在が大きかったそうで、「大阪で一度に八百万円も返済したときは、大阪市中の金融が緩慢になり、手形の日歩利子までくずれかけた。以後の手形償還は一時にやると怪しまれるからと、半分か三分の一ずつ払い込むなど苦労の連続」だったとか。

なお、事件のその後について触れておくと、松本は逮捕され、裁判では執行猶予の判決を得たものの、まもなく病に倒れて他界、「かつてのハレムは三間だけのあばらやに転落。葬儀の弔問客に出すざぶとんすらなく、失礼をわびる夫人の顔にも、元公爵の子女の面影をみることはできなかった」状態となり、一方で、難局を切り抜けた九軌は330人の人員整理ベースダウンで合理化を推進、新社債の募集にも成功し、昭和10年には無配を続けていた配当も復活したそうですが、結局、巡り巡って馬鹿を見たのは合理化で犠牲となった庶民であったわけですね。
                                         平太独白
by heitaroh | 2011-12-03 18:22 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(2)

東日本大震災・北関東派遣見聞録 その5 蕎麦と加藤武男
親愛なるアッティクスへ

しばらくぶりにこのシリーズの続きです。

東日本大震災応援建築士として派遣されて、まだ初期の頃だったと思うのですが、栃木県日光市にある「小代行川庵」(こしろなめがわあん)という蕎麦屋(↓)に連れて行ってもらったことがありました。


ここはいつも行列している有名店とのことでしたが、ただ、私は蕎麦派ではなく、うどん派でして・・・。

(←店の前はこういう風景が拡がってました。)

うどんなら三食続けても抵抗ないのですが、蕎麦は正直言ってそれほど得意ではなく、ところが、栃木県は内陸だということもあってか、蕎麦は割と充実していたのに対し、うどんは・・・で最後の頃はもう、かなり、食傷気味でしたね。
(一度など、「うどん」と書いてあるから入ったら、「うどんは売り切れで、もう、蕎麦しかありません」と言われ・・・。昼時ですよ。詐欺じゃないかと思いましたよ。)

という話は置いといて、この店・・・、蕎麦の方はまあ、例にもれず、まずまず美味だったのですが、帰り際、何気にもらってきていたパンフレットを見ると、店名の傍らに小さく「旧加藤邸」と書いてありました。
加藤って、まあ、この地方の戦前の素封家か何かかな・・・と思っていたのですが、中の「由来」を見て、初めて知りました。
加藤・・・って、あの、加藤武男翁の事だったんですね。

加藤翁は、戦中戦後、三菱銀行の頭取、相談役を歴任し、吉田茂内閣経済最高顧問など多くの要職を務めた財界の大物なのですが、なぜ、私がこの人の名を知っていたかというと、それは二つのエピソードが印象に残っていたからです。
まず、三菱銀行頭取・全国銀行協会会長から、さらに日銀総裁まで歴任し、「法王」とまで呼ばれた宇佐美 洵氏は翁の甥になるのですが、在任中、怪文書が出回った際にこれを黙殺する姿勢を見せたと聞き、「こういう物は軽視すべきではない」と戒めた・・・という話です。
この点は私も思い当たることがありますが、こういう物には得てして声を挙げられない者声なき声があるものですよ。

もう一つが、財界四天王呼ばれた剛腕・小林 中、知恵者・水野成夫氏らが、何かのポストをお願いしようということで頼みに行ったら、3時間口説いても、「だめだ」「断る」の一点張りで最後までまったく変わらなかった・・・という話。
両氏とも、「普通、3時間も口説かれたら、『じゃあ、考えておく』くらいのことは言うだろう。それが、最初から最後までまったく変わらないんだから、大したもんだ」・・・と。
確かにこれは凄いですよ。
普通、3時間も口説かれてたら、私なら癇癪を起こすか、適当なことを言って追い返そうとしますよ。
それをせずに、正面から受けて立ち、かつ、考えを変えない・・・というのは凄いことだと思いますね。
                                         平太独白
by heitaroh | 2011-09-09 18:05 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(0)

遅い夏休みとなった今年の夏旅・五島列島福江島 その6
親愛なるアッティクスへ

先週の続きです。

「涼風が
  島をくるみし
   朝の風呂」
    梁庵平太


(←決して、私の貸切だったわけではありません(笑)。)

ところで、以前、会津若松の友人を訪ねた際、日新館という会津藩藩校復元した物を見せてもらった・・・という話をしたと思うのですが、行く前は失礼ながら、「復元」と聞き、内心、「どうせよくある観光客寄せコンテンツとして、むりやり数合わせに作ったような物だろう」と想像していたところ・・・。

それは「数合わせ」どころか、「復元という言葉は本来、こういう物のためにある」と思わされるに相応しいほどの立派な物でした。
(柱は当時の四寸角、壁はベニヤなどではなく、本物の土壁しっくいでした。)
ただ、これほどの立派な施設を復元し、駐車場なども十分に備えてあるのに、連休中だったにも関わらず、ほとんど観光客の姿はなく、私的にはこれだけのコンテンツを活かしきれていないのではないか・・・というような印象を持ちました。
で、そのことを案内してくれた友人に言うと、「夏はまだ良いけど、冬は人の背丈ほども雪が積もるので・・・」ということを言われ、「なるほど、他所の土地が一年を通じて稼いだ金でペイすれば良いのに対し、ここは半期でそれに相当する額を稼がねばならない・・・。確かに、これは大変なハンディだ」と思ったことがあります。
で、なぜ、今頃、こんなことを言うかといいますと、今回、この福江島に来て思ったことがあったからです。


、この島には先日から申し上げておりますとおり、離島とは思えないほど、意外なコンテンツが豊富にあったのですが、やはり、その中心となっているのは海であり、山であり、川なわけで、その意味では夏にどのくらい稼げるかだな・・・と思い至りました。
で、ふと思ったのが会津でのこの体験でして・・・、結局、観光地というのは北か南かに関係なく、どこも多かれ少なかれそういう宿命にあるんだな・・・と。
(以前、真冬長崎県の鷹島にあるモンゴル村に行ったという話をしましたが、このときも、「今頃の季節に来るのはあなたたちだけよ」みたいな、「時期外れ」とはこういうことを言うんだろうなと思うような感じでしたから・・・(笑)。)
となれば、夏に稼ぐ量を多くし、冬のダメージを如何に少なくするか・・・か、もしくは、冬のダメージを如何に緩和するか・・・でしょうが、口で言うほどに簡単な問題ではないのでしょう。

(↑素晴らしい自然のコンテンツに満たされた中、ゴルフ場まで作る必要があるのか・・・と。何とか観光客を誘致しようという気持ちはわかるのですが、私的にはどうにも違和感がありましたね。いくら冬場の閑散期をしのぐため・・・と言っても、わざわざ、真冬にここまでゴルフしに来る人がどれだけいるのかという気はするのですが。)

                                         平太独白
by heitaroh | 2011-09-05 07:51 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(0)

早速、大丈夫か博多阪急・・・。
親愛なるアッティクスへ


先日、ちと、買い物があったので、新・博多駅に新たにお目見えした博多阪急(↑)に行ってきたのですが、さっそく、いきなり「大丈夫かぁ?」という危機感を持ってしまいました。
まず、いくら買い物しても駐車場は1時間まで・・・ということ。
これはまあ、まだ、場内に駐車場が完成してませんから、外部駐車場と契約を結ぶしかないようで、理解出来ないことではないのですが、でも、1時間といえば、売り場まで行って帰る時間を考えれば、商品を選んだらすぐに帰らないといけないということを意味しており、これでは勿体ないんじゃないですか?
もっと、ぶらぶらさせて、購買意欲を高めなければ・・・。

次に思ったのが、会計時にポイントカードを出し忘れたら、もう一度、処理を取り消してやり直さなければならないそうで、ていうか、普通、今時、どこでも、「当店のポイントカードはお持ちではありませんか?」って聞きますよね。
でもって、ポイントがどれだけ付いたか見てみたら、何と、購入代金の1%なんですよ。
すぐ隣のヨドバシカメラで買うと10%付いてきますから、(駐車場は5千円以上で2時間無料です。)この瞬間、「おいおい、阪急、大丈夫か?」と・・・。
思わず、せっかく出来た阪急の将来性に極めて、危ない物を感じましたよ。

でもって、帰り際、1階に降りて、足早に店を出ようとして、ふと、見ると、「今なら、OO円以上で抽選で海外旅行プレゼント」などと書いてあるじゃないですか・・・。
で、レシートを持っていって、「これ、出来ますか?」と聞いたら、「はい、できます」・・・と。売り場の人も、一言、「今、1階でこういうサービスをやっております」とか何とか言えよ・・・と。
私が気づかなければ、そのまま、知らずに立ち去っていたわけですよね。
(←博多駅プレオープンの時の招待状です。)

まあ、運命的なまでにくじ運が悪い私は当然、はずれで、「30ポイント(つまり、30円です(笑)。)付きました」と言われましたが、その辺は良いんですよ。
元々、はずれなんですから・・・。

でも、そこに至る前のことはすべて、ちょっとした気配りで解消出来ることであり、思わず、出来たばかりなのにセクショナリズムのようなものを感じましたね。
こんなの、伝説的な名経営者であった阪急創始者・小林一三翁が見たら、絶句するんじゃないかな・・・と。
                                         平太独白
by heitaroh | 2011-04-04 19:57 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(0)

新旧2作ずつの映画に想う心休まらぬ昭和の不条理 後編
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

映画、「沈まぬ太陽」の中で「良い人」の主人公と対照的に「悪い人」として描かれていた経営陣ですが、これは昨日も申しましたとおり、まだ、戦前の官尊民卑の気質が濃厚に残っていたであろう時代のそれですから、特権階級的体質の人が多かったであろうことは私も否定するつもりはありません。
(どうせ、運輸省から天下りばかりだったんでしょうから。)
ただ、その一方で、日本航空(国民航空?)というのは団交の折、経営陣が言ったとおり、一般の民間企業と違い、経営陣と言えども政府の意向を無視できないという部分はあったように思います。
それらを踏まえた上で申し上げたいのが映画、「容疑者 室井慎次」の前作とも言うべき、「踊る大捜査線」での「真理」的名言、「正しいことしたいなら偉くなれ」です。

周恩来文化大革命の時、もっと人々を救うべきだった・・・という批判があると聞いたことがありますが、そもそも、人は自分が持っている権限以上のことは出来ないんですよ。
つまり、たとえ副総理でも副大統領でも所詮、であって、政府高官だからといっても、罷免されてしまえただの人であって、もう、救うことは出来ないことを考えれば、自分の権限の中で救える範囲を救う方が現実的ではないでしょうか。
そう考えれば、主人公氏はこれで経営陣の反感を買い、海外僻地勤務に飛ばされたとしても、わざわざ、上司が「詫び状を一筆入れろ」と僻地まで言いに来るという一事をとっても、他の有象無象たちと扱いが違うわけで、つまり、三浦友和さん演じるライバル氏と主人公氏の彼だけは、香川照之さん演じる他の組合仲間などと違い、はっきりと「キャリア」だったということでしょう。
だからこそ、経営陣も彼を持て余していた・・・という見方も出来るわけです。

そう考れば、主人公氏はあの場面では、上手に労使ともに傷つかない範囲での妥協点を探りながらソフトランディングさせることを考えるべきで、もっと良くしてやりたいと思うなら、自分の権限の拡大、平たく言えば、社長になることを目指すべきだったと思います。
(その意味では、出世の亡者に変質してしまったように描かれていたライバル氏の方が王道を歩んでいたとも言えるわけで・・・。)
もう一つ、確か、この賃上げ闘争の舞台となった時期は昭和39年だったと記憶しておりますが、当時はまだ、終戦直後に吹き荒れた先鋭的な組合闘争という物の雰囲気が色濃く残っていたということはないのでしょうか?
戦後の組合闘争には、非現実的な要求をし、それで会社が潰れてしまっても構わない、むしろ、どんどん潰して、そのまま共産主義革命へ突っ走ってしまえ・・・みたいなところがあったとも聞いておりますが・・・。

ちなみに、この映画は友人からも一見の価値があると聞かされていたのですが、やはり、3時間半という上映時間はそれなりの覚悟を持って臨まねば成らず・・・。
で、やむなく、録画して見たのですが、私的には、作り手の想いは良くわかるものの、やはり、もう少し短く出来たかな・・・というような気はしますね。
あ、「容疑者 室井慎次」については、また、いずれ日を改めて臨みたいと思いますので悪しからずご容赦ください。
                                         平太独白
by heitaroh | 2011-02-16 07:54 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(0)

新旧2作ずつの映画に想う心休まらぬ昭和の不条理 中編
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

本日は最近の作品である「沈まぬ太陽」「容疑者 室井慎次」についてなのですが、その前に、昨日の二作品は紛れもなく「昭和」の映画でしたが、本日のこの映画はつい最近の物じゃないか・・・と仰るかもしれません。
それについては、「沈まぬ太陽」は言うまでもなく、昨日の「白い巨塔」と同じ山崎豊子作品であり、昭和60年(1985年)8月12日の日航機墜落事故を中心に描かれたものですから、その意味では中身は昭和だといえるでしょう。
(この事故については私も生存者がいたという続報があったこともあって、「御巣鷹の尾根」という名とともに良く覚えております。この事故については、当初、いち早く動ける位置にいた米軍からの出動打診があったものの、日本政府がそれを断った・・・という話なども耳にしておりますが、真偽のほどはともかく、日本政府もまさか、生存者がいるとは思わなかった・・・ということだったのでようか。)

で、それはさておき、この映画では渡辺謙さん演じる主人公が組合活動を熱心にやりすぎたことから経営陣恨みを買い、不遇海外僻地勤務に追いやられるも、信念を曲げず、帰国後は墜落事故での遺族係として不誠実な経営陣と対照的に遺族に対して真摯に向き合う・・・という、まあ、これを見る限り、確かにこの主人公は素晴らしい人であると言えるのでしょうが、この見方では、あまりにも主人公氏の側から見た史観を押しつけられているよううな気もします。

その上で、私になりに思ったことを述べさせて頂くと、まず、主人公氏を苦況に追い込む発端となった労使交渉について言えば、彼の立場からすると、乗客の安全に直結する労働者の待遇改善の為の賃上げ・・・ということっだったようですが、「賃金を上げる」ということと現場の「労働環境改善」というのはまた、別の話でしょう。
(かつて、ヘンリー・フォード1世は「夫は疲れている。もっと、休ませてくれ」という従業員の妻の訴えに昇給という善意で応えましたが、何の問題解決にもなりませんでした。)
それに「低賃金」と言いますが、平太郎独白録 : JALの整理解雇100人超の根源は・・・でも申し上げたように、これまで航空業界の給与ベースを引っ張り、それを利用者の運賃に反映させてきたのは、他ならぬ日航だったわけで・・・。

一方で映画では随分、尊大な言い方をしてましたが、経営陣の言うことにも私は一理あったように思います。
(もっとも、この映画の冒頭部分は終戦からまだ20年経っていない時代ですから、当時の国有企業の経営陣なんてのは戦前の官尊民卑の意識の延長線上にあったということは十分に有り得る話でしょうが・・・。)
すなわち、確かに、国有企業は一般の民間企業と違い、政府の意向というものを無視できない一面もあったということです。

明日に続きます。
                                         平太独白
by heitaroh | 2011-02-15 07:27 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(0)

KARAを見ていて哀しくなった戦略無き日本製アイドルの劣位
親愛なるアッティクスへ

今、巷はKARA解散問題で揺れてますよね。
(揺れているのはお前だけだ・・・などという暴言には耳を貸しません(笑)。)
この点で思うのが、KARAに限らず、韓国アイドルがどんどん、日本デビューしている・・・ということです。
これは、「単なる可愛いおねえちゃん」・・・のこととなどではなく、まさしく、アイドルという名の韓国製品の躍進だと思うべきでしょう。
事実、少し前まで、東南アジアなどでアイドルといえば日本のアイドルだったのが、今や、韓国のアイドルばかりで、日本のアイドルについて尋ねてみても、「日本のアイドル?知らなーい」という状態だとか。

今、世界ではジャパン・ブランドにあぐらを掻いていた日本製品格下と思っていた韓国製品に次々と駆遂されているというような話を良く耳にしますよね。
(日本の家電5社が束になっても、サムソン1社に経常利益(?)で及ばない・・・とか。)
これについては「日本豊かな国内市場を持っていたので、それに安住して出遅れたが、韓国は元々、国内市場規模が小さく、積極的に外国に出て行かざるを得ず、韓国政府も国を挙げてそれを後押しした・・・」ということが言われているようです。
(もっとも、同時に、日本製品を駆遂した韓国製品の少なくない部分を日本製の部品が占めていることから、韓国はもの凄い、ジレンマを抱えている・・・という話もちらほら。)

韓国のアイドル市場もまた然りで、この方面での市場規模は日本はアメリカに次いで二番目なんだそうですが、それに比べると、韓国の市場規模は恐ろしく小さいらしく、だから、国内で少し売れると、すぐに日本にやってくる・・・と。
そして、韓国政府もこれらのアイドルの海外進出を外貨獲得の手段として認識しており、日本が違法コピーなどを警戒して出て行かない間に、韓国は違法コピーには敢えて目を瞑って、その分、人気を浸透させてコンサートなどで儲けるという戦略を徹底し、積極的に進出した・・・と。
この点も考えさせられることですが、中国などは違法コピーをするなと言ったところで所詮、無理な話なんですよ。
であれば、もうこれからのアイドルはCD人気を浸透させるツールだという認識で、タダで配るくらいの認識を持つべきではないでしょうか。

一方で、「製品」自体に着目すれば、痛感するのが、彼女たちの日本語習熟度です。
皆、たどたどしいながらも通訳無しで結構、日本語を話すじゃないですか。
それに対して、日本人のアイドルで韓国語中国語を話す人がどの程度いますか?
スマップ草薙 剛さんなどは結構、有名ですが、(もう、アイドルの範疇に入れるのも如何なものかと思いますが(笑)。)AKB48モーニング娘。などはどうでしょうか?
中国や韓国はまだまだ市場として魅力がないというのなら、英語を話せる人はどの程度いるのでしょうか?
そう考えれば、必要に迫られた上でのこととは言え、韓国のアイドルがあれほどに日本語を話しているのを見ると、日本製アイドル劣位は明らかな気がしてきて、何とも哀しい気持ちになります。
                                         平太独白
by heitaroh | 2011-02-05 18:17 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(4)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。

by heitaroh
プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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