カテゴリ:政治( 91 )

赤穂浪士討ち入りと衆議院選挙の日に思う原初の人口分布
e0027240_1710447.jpg「先生と
 呼ばれて背負う
  床柱
任に非ずと
  我ぞ良く識る」
   平太郎


気がつけばいつのまにやら12月も半ば。
今年一年も終わりですね。
毎年、同じことを言ってるような気がしますが(笑)。

で、少し早いかもしれませんが、今年一年を振り返ってみますと、まず、何と言っても大河ドラマ「軍師官兵衛」の恩恵に預かった一年だったと言えるでしょうか。

おかげさまで拙著黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望増刷の栄に預かり、また、幾つか講演などもさせて頂くなど、ちょっとばかり忙しくさせていただきました。
で、上述の句は講演の後の宴会に参加させていただいた折、柄にもなく、「先生」と呼ばれて上座に座らせていただいた時の句です。
大変、光栄なことなのですが、やはり、「先生、あなたはか弱き大人の代弁者なのか~♫」と歌ってる方がお似合いの私にはどうにも・・・(笑)。

で、今日は赤穂浪士の討ち入りの日・・・であると同時に、衆議院選挙の日でもありますよね。
選挙区の割り振りで違憲判決などが出ましたが、そもそも、ああいう物を政治に任せておくこと自体、無理があるんですよ。
まずもって、選挙区なんてものがあるから「地盤」なんて物が派生するわけで、あんなもの、当事者に任せておかずに司法がフレキシブルにその時、その時で変えていくべきだと思います。
次も選挙区になるかどうかわからない所に利益誘導しようとも思わないでしょう。

で、この点で思い出したことがあります。
明治23年(1890)、我が国で初の衆議院選挙が行われた際、議席定数300を人口に応じて各府県に割り振ったそうで、この時、首都東京府の12人、大阪府10人を超える13人の定員を得た県があったとか。
つまり、人口最大県ということですよね。
それが新潟県だそうで、明治21年の統計によると新潟県の人口は166万人で全国1位。
でもって、2位兵庫県、3位愛知県で、4位東京府で135万人、大阪府は124万人で6位だったとか。
これがある意味、日本の原初の人口分布だったんだなと。
もし、マッカーサー様が来られなかったら、これ、どの程度変わったんだろうなという気はしますが(笑)。
                             平太独白
by heitaroh | 2014-12-14 18:09 | 政治 | Trackback | Comments(2)

第二次安倍政権40日に門外漢なりのアベノミクス その3
昨日の続きです。

アベノミクスは、ご承知の通り、「大胆な金融政策」、「機動的な財政政策」、「民間投資を喚起する成長戦略」の3つを基本方針としてますが、具体的には、2%のインフレ目標、円高是正と並んで、日本銀行の買いオペレーションによる建設国債引き取りと、そして、国土強靱化の為と称する大規模な公共投資が挙げられてましたよね。
日銀の建設国債引き取りは、効果があるのか無いのか以前に、かなり禁じ手のような気がしておりますので、今回限りとなることを祈るばかりですが、問題はその先にある公共事業です。
これは東日本大震災の災害復興や、山梨県の中央自動車道、笹子トンネルなどのようなメンテナンスに向かうのであれば致し方無いと思いますが、景気回復の為の手段と考えているのであれば、残念ながらその効果は薄いと言わざるを得ません。

e0027240_14263543.jpg

まず、昨日も申しましたように、かつて、自民党政権は「自分の任期中だけの景気回復」を狙い、住宅も含めた箱物の建築を推進して来ましたが、これは一つには建設業界という物は驚くほどに裾野が広いということがあり、その為、建物が一軒建つとゼネコンなどの元請けは元より、電気、設備、ガス、土木、鉄筋、建具、大工、左官とこれに関わる職種が多く、さらに必要によってはそれらの下に二次、三次下請けさえも存在し、それらが、それぞれに部品や材料を買うことを考えれば建材屋メーカーも潤うわけです。
そればかりか、新しく住宅を建てた人は「せっかく新しい家に入るんだから、合わせて家電も買い換えよう」となることから、景気の拡大にダイレクトに役だっていたわけですね。

確かに、昭和40年代の高度成長期まではそれで良かったんでしょう。
しかし、その後、プラザ合意後の円高により構図が大きく違って来ました。
今は、新しく新築工事を請けて、ベニヤ板を発注しても、それが作られているのは中国で、原産地は東南アジアだったりします。
さらに言えば、工事現場で働いている作業員でさえも外国人だったりするわけで、テレビもかつてはソニー東芝日立松下だったのが、(GEフィリップスなんて見たことなかったですよね。)今は、普通に、サムソンだったりします。
つまり、かつては流した金は大半が国内で還流してたのが、今はそうではないわけで、言うならば、底に穴があいたバケツに水を注いでいるようなものだと思います。
従って、老朽化対策など必要な所に必要な工事を行うということはやむを得ないとしても、景気刺激策としては考えるのは適当ではない・・・と。
一応、安倍晋三首相はそうではないと言っておられますので、そうであって欲しいと願ってやまない次第ではありますが・・・。

親愛なるアッティクスへ
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-02-06 07:54 | 政治 | Trackback | Comments(0)

第二次安倍政権40日に門外漢なりのアベノミクス その1
 
   「梅の香に 鶯色が 興を添え」 梁庵平太

e0027240_16483593.jpg

今朝、家を出ようとしたら、傍らの蝋梅ウグイスもどき(?)が戯れておりました。
花の香に誘われてやってきたのでしょうが、思わず、春の足音が近づきつつあることを実感しましたね。

ということで、第二次安倍政権がスタートして今日で40日でもあり、私なりに少し述べてみたいと思います。
まず、なぜ、今頃言うか・・・と申しますと、私は前回の政権担当時、安倍晋三という人に対しては、決して高い評価を与えていなかったことがあります。
その辺は下の「安倍晋三」と書かれたタグをクリックしていただくとわかると思いますが、はっきり言って、「オレがやったほうがマシだ」と思った唯一の政権でした。
もっともそれは、安倍さん自身の資質の問題云々というよりは、駆け足で、満足な経験も無いのに総理にしてしまった小泉純一郎前総理(当時)のミスだと思います。
(やはり、総理になろうという人は、外務、財務、経産などの主要閣僚のポストに党三役の一つくらいは経験しておくべきでしょう。小泉さん自身、主要閣僚の経験はないものの、厚生・郵政の大臣時代の経験は大きかったようですしね。)

で、その後、野党になってからも果たして満足な野党経験があったように思えない安倍さんが、どの程度、政治家として成熟したのか・・・、それを見る為の期間が40日だったわけです。
結論から言えば、今回の政権は随分、まともになっているな・・・とは思いますよ。
ただ、その、安倍政権が打ち出したいわゆるアベノミクスについてはいささか、危うい感じがしております。
私はもとより門外漢ではありますが、ある意味、現場に近い分、少し感じているところもありますので、敢えて、蛮勇を奮い起こして触れてみたいと思います。

まず、円安デフレの問題ですが、ガソリン一つとっても、今の円高の状態でこの金額ですから、迂闊な形で円安が進行することは大変なことになりますよ。
それに、円安になったからといって、ダイレクトに国内に雇用が戻ってくると考えるのも少し早計でしょう。
企業は海外に拠点を移す時点でそれなりの覚悟で設備投資しているでしょうし、国内に戻すにしても円安基調が完全に定着したと見極める期間もかなり必要でしょうから、仮に戻るとしても決定までには年単位でかかるでしょう。
それに、国際競争が激しい以上、国内に戻ったからといって、それだけで賃金が上がるとも思えません。
(雇用が増えても、3Kや低賃金の仕事をやりたがらないという傾向も変わらないでしょう。)
となれば、賃金は増えずに物価だけ上がる・・・という最悪の事態にもなりかねないわけですね。

まあ、この辺まではそう思うのは私だけではないでしょうから、私なりの蛮勇は明日に持ち越しのココロだ~です。

親愛なるアッティクスへ
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-02-04 18:43 | 政治 | Trackback | Comments(2)

政治家も忘れてはいけない「仲良くケンカしな♪」の理
先日、ある人と一献やった折、私が、「最近は、犯罪の質が変わってきたもんな」と言ったことろ、「そうそう、最近の連中は怖いよ。ケンカの仕方を知らんから、いきなり、刺したりする」という言葉が返ってきました。
まあ、私としては、必ずしも、そういう意味で言ったのではなかったのですが、それはさておき、それを聞いて、ふと、なかなか前に進まない昨今の政局を想起してしまいました。

無論、理想としては皆、私心なく、是は是、非は非として国家国民のために事に当たらなければならないのでしょうが、現実には人間という業の深い生き物にそういう性善説を求めるのは酷な話で、その意味では、政権運営権力闘争というものは、表裏一体の副産物のような物で、程度に差こそあれ、やむを得ないもの、避けられないものなのだろうと思います。
ただ、同じ権力闘争でも、国家という同じ船に乗っている以上、船を沈めてしまっては元も子もないわけで、そう考えれば、それがであるのならば、野党も良識を持って、時には、政党を割ってでも、政策協議の場で法案成立に協力するべきだと思います。

この点では、かつて、吉田 茂内閣時代、三木武吉に代表される反吉田派の人たちは、吉田内閣に対し、血で血を洗うような激しい倒閣運動を繰り広げながらも、その一方で、内閣(省庁?)が提出してきた必要な法案の成立にはきちんと賛成し、法案を通し、成立させた上で、それが終わると、また、血みどろの政争を開始した・・・ということを聞いています。
つまり、その論で行けば、政治家の政争には、「仲良くケンカしな♪」という往年の名作アニメ「トムとジェリー」の主題歌の一節を忘れてはならない・・・ということなんでしょう。

e0027240_1165483.jpgこれすなわち、何事にも原則論が必要だということでしょうが、昨今の与野党攻防に伴う国民生活を顧みることなく、何でもかんでも法案を人質にしてしまうやり方には、思わず、冒頭の「ケンカの仕方を知らない、すぐに人を刺したりする最近の連中」という言葉をオーバーラップさせてしまいました次第でして・・・。

(←今の政局とかけて、初めて入った鍾乳洞と解く。その心は、「なかなか、出口が見つかりません」・・・、はい、そのまんまでしたね(笑)。お粗末!)

ケンカの仕方を知らなくなったのは、何も、市井のことに限らず、結局、政治家も同じなんだな・・・と。
考えてみれば、二世議員のお坊ちゃんたちばかりなんだから、どうみても、掴み合いの喧嘩したことなんか、なさそうな感じだもんなぁ・・・。

親愛なるアッティクスへ                      平太独白
by heitaroh | 2012-11-13 07:30 | 政治 | Trackback | Comments(2)

橋下徹大阪市長の視線の先にある物が気になる雪の日。
親愛なるアッティクスへ

e0027240_14221799.jpg年が明けたと思ったら、あっという間に、もう2月の始まりです。

で、今日の福岡県地方は雪。
朝は見る間に積もっていきました。
普通は夜に積もって、朝、少しゆっくりしてたら溶けるパターンが多いのですが、今朝は出ようかと思った頃から積もり始めましたのでちと、びびりました。

「雪まとう 
  川面の風の
    心地よさ」
      梁庵平太

うどん食った後だったもんで(笑)。

e0027240_14264222.jpgと言っても、東北や北海道の方が見れば噴き出しそうな程度なのでしょうが、生まれて一度もタイヤチェーンなんかつけたことがない身としては結構、狼狽えてます(笑)。

(←いきなり、凍結してます(汗!)。
「あ、凍ってるんだぁ・・・」と、九州人、結構、新鮮にびっくり・・・。)

昔、東京の友人から、「福岡は日本海側だから結構、雪は降るだろう」と言われたことがありますが、哀しいかなこれが福岡人の現実です(笑)。

e0027240_15162033.jpgもっとも、すぐに晴れ間が出てましたけどね。

「空青く 屋根白くして 頬赤し」 
          梁庵平太


「紅」じゃなくて、「赤」というところがミソですね(笑)。
ということで、ようやく、本題です。

昨年から採り上げようと思っていての積み残しの一つに、橋下通・・・じゃなかった、橋下 徹大阪市長のことがあります。
私は彼のことは別に好きでも嫌いでもありませんし、その政策を知悉しているわけでもありませんので多くを語る術は持ちませんが、昨年からの大阪市長選などを見ていて、この人物の視線の先にある物が何なのか・・・ということは気になってました。 
だって、富の蓄積が目的なら、彼はすでにタレント弁護士として莫大な富を築いていたはずで、今更、それをすべて失うかもしれないほどのネガティブキャンペーンを覚悟してまで政治を志さねばならなかった理由があるようには思えませんし、それでいて、彼には政策はあっても、思想理念のようなものがまるで感じられないことを思えば、政治を「志す」動機も薄弱なように感じます。
結果、言っていることは間違ってないと思う反面、ヒトラーと同じ臭いを感じるわけで・・・。
                                         平太独白
by heitaroh | 2012-02-02 17:31 | 政治 | Trackback | Comments(4)

「私の履歴書 保守政権の担い手」読了雑感 その3
親愛なるアッティクスへ

先週の続きです。

後藤田正晴氏はペルシャ湾への派遣そのものに反対したわけではなく、どうやら、「拙劣な派遣決定に異を唱えた」・・・ということだったみたいですね。
氏は、日本の自衛隊が終戦後、元々、警察予備隊として発足したという経緯もあって、警察官僚として、その本質を間近で知悉する立場にあったとのことで、それによると、日本の自衛隊は帝国陸海軍とも米軍とも違い、専守防衛を旨として作られていることから、補給も含め、様々な部分が海外派遣に適応するように出来ていないということらしく、うっかり派遣してしまうと役に立たないどころの話ではない・・・ということだったようです。
なるほど・・・と少し納得できたような気もしましたが、とはいえ、氏の説明はあくまで「一端」について触れただけという感じでしたので、私の中ですべて消化できるにはもう少し時間がかかるようです。

で、田中角栄さんについてもう一つ、述べておくと、私は常々、「頭がいいと言ったって、結局は、記憶力に優れているか、計算力に優れているかでしかないのではないか・・・」と思っているのですが、この点、角栄さんは、「暗記は教育の中でもっともたいせつなことの一つ」と喝破してありました。
まあ、いかにも、記憶力と計算力で「コンピューター付きブルドーザー」と呼ばれた人らしい感慨だなとは思うのですが・・・。
「本を読んでも、人に教えられても、それを記憶する能力がなければ身につけようもないじゃないか・・・」というようなことだったようですが、まあ、それはそうでしょうが、だからといって、すべてを丸暗記してしまうかどうかに価値観を置かなくても・・・という気がするんですけどね。

で、福田赳夫氏については以前、人口問題の項で触れたとおりで、他は特に印象に残る部分はなかったのですが、唯一、引っかかったのが赤字国債発行に関する部分。
今となっては天文学的な数字にまで累積してしまった赤字国債発行を最初に推し進めたのはこの人で、氏は発行に際して、戦前の反省から多くの人がこれに反対した経緯があったことから、一度、発行を終了させてしまうとまた発行するときが大変・・・という理由で、「種火」は持続させ続けなければならない・・・ということを言っておられました。
でも、氏ほどの人がどうして、種火を持つのが子供(日本人)だということの危険性に思いを馳せなかったのかがどうにも理解できません。

最後にそれら6人の登場人物らの中でも、出色と言おうか、もっとも異彩を放っていたのが中曽根康弘さんのそれでした。
この人のはもう、一遍の「物語」になってましたね。
その辺は田中角栄さんのそれにも少し近いものを感じておりましたが、中曽根さんのそれは田中さんと違い、総理を退任してから後に書かれたものだけに自らの半生記というに相応しく、まさしく、「健筆」というに相応しいような躍動感があり、その点では「回顧録」と言うよりは、もう、「自伝」と言ったほうが良かったでしょうか。
おそらく、この人だけはゴーストライターや口述筆記などに頼らず、自ら書き上げたのではないでしょうか。
不遜ながら、私が書くとしても同じような構成になったと思え、この点、なんとなく、中曽根さんの意気込みが伝わってくるような気がして、思わず苦笑した次第でした。
                               平太独白
by heitaroh | 2011-12-19 18:15 | 政治 | Trackback | Comments(0)

「私の履歴書 保守政権の担い手」読了雑感 その1  
親愛なるアッティクスへ

以前も少し申し上げましたが、最近、日経ビジネス人文庫発行 「保守政権の担い手―私の履歴書」という本を読んでました。
改めて言うまでもなく、日経新聞に連載されている「私の履歴書」のうち、戦後政治を彩った6人の政治家の回顧録で、私が敢えて、この本を手に取ったのは河野一郎という政治家について興味を持ったからだったのですが、結果的に、同書には他に、岸 信介, 福田赳夫, 後藤田正晴, 田中角栄, 中曽根康弘の5名の政治家のそれが集録されており、一部は既知の物もあったのですが、改めて6人連続で読んでみると、なかなかに興味深かったですね。
(河野一郎とは当時、一旦入ると生きて帰れないとまで言われたソ連クレムリン宮殿の奥ノ院に乗り込み、フルシチョフと机を叩いて激論し、日ソ国交回復の足がかりを作ったほどの政治家でしたが、それほどの人でありながら、どういうわけか、あまりこの人について採りあげた本は無く・・・。やむなく手に取ったのが同書だったわけです。)

まず思ったのが、池田勇人、佐藤栄作の両総理経験者がここ入らず、代わって、河野一郎、後藤田正晴の両氏が入っていたことです。
河野、後藤田両氏の政治家としての力量、業績については私も重々承知しておりますが、それでも、この顔ぶれで上げるのであれば、やはり、総理経験者で統一した方がすっきりしたはずで・・・。
まあ、その辺の経緯は知る由もありませんが、その6人の登場人物(?)ですが、年齢順で行けば、岸、河野、福田、後藤田、田中、中曽根(田中、中曽根の両氏は同年同月生まれ)の順であるのに対し、ここに登場した、つまり、回顧録をしたためた順ということでいうと、河野(S32年)、岸(S34年)、田中(S41年)、後藤田(H3年)、中曽根(H4年)、福田(H5年)の順となり、特に、前三者と後三者とにはっきりと分かれる形となります。
(従って、後三つは日経新聞連載当時にリアルタイムで読んだ記憶がありました。)

従って、末尾の解説では、当時は「まだ、フォームがまだ定まっていない時期の産物」だったようで、冒頭の岸 信介氏は「私はまだ、回顧録を語る時期に来ていない」との理由で、主に、学生時代までの思い出を語って終わっており、それもそのはず、総理在任中に書かれたんだそうです。
あるいは、安保闘争で支持率低迷に悩んだ総理だっただけに、もう少し、自分の人間性をわかって欲しいという悲痛な想いがあったのでしょうか。
また、田中、河野両氏はまだ、坂を上っている途中であり、特に、田中さんは年齢の割に回顧した時期が早かった分、政治家になった時点で終わっており、これはこれで貴重な証言記録ではあるものの、肝心の部分が欠けている観は否めないように感じます。

その点、福田、中曽根両元総理と後藤田氏は功成り名遂げた後にしたためているだけに回顧録らしい回顧録となっているように感じました。
この辺は、やはり、「人は棺の蓋を覆って評価が定まる」と言われるように、晩年に書いてもらうのが一番良いのでしょうが、それを待っているうちに逝かれては元も子もないわけで・・・。
実際、河野氏などは急逝に近かったと聞いてますし、比較的、早い時期に書いてもらったのはわからないでもないですね。

ということで、続きは明日になると思うけど、予定は未定・・・。
                            平太独白
by heitaroh | 2011-12-16 18:25 | 政治 | Trackback | Comments(0)

東日本大震災・北関東派遣見聞録 その15 武州岩槻城
親愛なるアッティクスへ

12月となり、このシリーズも、いい加減にけりをつけなければ・・・と思っているのですが、なかなか先が見えてきそうにありません。

で、長きに渡った東日本大震災での建築士派遣ですが、5月下旬に一旦、終息となり、そのまま、栃木県から北上してくれと言われるのか・・・と思いきや、言い渡されたのは北・・・ではなく、南の埼玉県でした。

e0027240_1661115.jpg
(埼玉であてがわれたホテルがこれ・・・(↑)。前日まで、宇都宮で泊まっていたホテルとのあまりの差に、隣室の友人は思わず、「何かあるんじゃないか?」と疑心暗鬼になってました(笑)。)

で、移動して後、せっかく埼玉に来たんなら是非、行っておきたい・・・と思っていたのが、岩槻城鉢形城でした。
言うまでもなく、川越城、玉縄城と合わせ、徳川家の入封以前に関東に覇を唱えていた小田原北条氏の重要拠点ですね。

e0027240_1685963.jpg
で、まず、岩槻城ですが、今では単なる公園(↑)になっており、ここだけを見て、ここにかつて重要な防衛上の拠点があったとは想像することの方が難しかったでしょうか。

e0027240_16225647.jpg
で、とりあえず、周囲にそってしばらく歩くうち、こういう場所(↑)に出ました。

おそらく、堀の跡だろうと思いましたが、やはり、そうで、往時はもっと堀も深く、北条氏特有の「堀障子」と呼ばれる堀の中の障害物も見つかっているのだとか。

e0027240_16355067.jpg


e0027240_1622138.jpgただ、そうは言っても、この程度の堀だけでは北条氏の重要拠点としては少し貧弱すぎるように思っていたのですが、しばらく行って、この看板(←)を見つけ合点が行きました。
ここは今では埋め立てられ、公園の広場になっていますが、かつては沼地で、周囲も川越城同様、腰までどっぷりとはまるような泥濘で、いわば、その中に浮かんだ水上要塞の観があったのでしょう。

ただ、中世の関東の土豪同士の戦いならそれでも良かったのでしょうが、豊臣秀吉の大軍を引き受けて戦うとなると、やはり、役不足の観は免れず、天正18年(1590年)、小田原征伐の折には2千の兵が篭るも、約2万の兵に攻められ、1000余の犠牲を出して伏落城した・・・と言われています。
土木技術の革新が進んだ上方勢の前にはこの程度の障害は大したものではななかったのではないでしょうか。
                                         平太独白
by heitaroh | 2011-12-08 18:42 | 政治 | Trackback | Comments(0)

山口良忠判事の死に思う正しいことしたいなら偉くなれの理
親愛なるアッティクスへ

去る10月11日山口良忠判事が亡くなった日だったそうですね。
山口良忠という人は、、戦後間もない昭和22年(1947年)、「判事という法の番人としての職責からヤミ物資が横行する中、敢えてヤミ米を食することを拒否し、真っ当に配給物資のみの生活を守り通した結果、栄養失調で亡くなった・・・、つまり、餓死された方です。
もっとも、私も、こういう事件があったということだけは、小学校の時、担任の先生から聞いて知ってましたが、ただ単に、そういう事件があったということを聞いただけで、実は最近まで深くは知りませんでした。
彼の行動は正しかった>のか・・・、賞賛されるべきものだったのか・・・という点については、当時から、賛否両論あったそうですね。

e0027240_1138367.jpg実際、このときも、時の総理夫人からは「奥さんがもう少し配慮してあげていれば・・・」という発言があったそうですが、賞賛されるべきかどうかは別にしても、少なくとも、総理夫人がそれを言っちゃあ自分の職責を全うした者は浮かばれませんよ・・・。
ま、要は、「正しいことをすることの大変さ」ということなのでしょうが、この点では、以前、平太郎独白録 「ノブリス・オブリージュ前編 正しいことしたいなら偉くなれ!」でも触れたことですが、かつての人気ドラマ・「踊る大捜査線」の中で、故いかりや長介さん扮する老刑事が言う、「正しいことしてえなら偉くなれ!」というセリフは、けだし名言だと思いますよ。

つまりは、現場だけで正しいことをするのは、いつの時代も無理があるってことなんでしょうが、これすなわち、同じく、平太郎独白録:新旧2作ずつの映画に想う心休まらぬ昭和の不条理 後編で述べた「周恩来文化大革命の時、もっと人々を救うべきだった・・・という批判があるが、たとえ副総理でも副大統領でも所詮、副は副であって最高権力者ではない以上、人は自分の権限の中で救える範囲を救うしかない、つまり、人は自分が持っている権限以上のことは出来ないものである」ということを申し上げましたことに集約されるかと思います。
(彼が毛沢東に正面から逆らってすべての人を救おうとしたら罷免されたでしょう。その結果、より多くの人が災厄に見舞われたであろうことを考えれば、周恩来の判断は正しかったと思います。)

その意味では、本当に国を変えようと思えば、いたずらに市井にあって現状を嘆くよりも、やはり、「総理大臣」を目指すべきですよ。
ユリウス・カエサルが自らの理想を実現するために、まず「執政官」を目指したことがその辺りを雄弁に物語っているだろうと思います。
日本の総理大臣は「本来、旧帝国陸軍と天皇の権限を併せ持ったほどに強いものである」と言われてますが、現実はそうなっていないのは周知の事実でしょうが、それでも一国のTOPの持つ権限はとりあえずは、他のどの役職よりも大きいわけで・・・。
                                         平太独白
by heitaroh | 2011-10-13 07:47 | 政治 | Trackback | Comments(0)

平沢勝栄議員の内閣不信任案は説明不足の言に不信任
親愛なるアッティクスへ

e0027240_1855341.jpgすっかり、もう、放免されたのかな・・・と思っていたのですが、どうやら、また、栃木県(←宇都宮の都心部近くで見かけたお寺です。)に行くことになりそうな雰囲気になってきました。
したがって、それでなくとも忙しいのに、その前に色々と終わらせておかねばならず・・・。
本当に、「目が回るほどの忙しさ」というのを実感しております。

ということで、まとまりの悪い内容で恐縮なのですが、自民党衆議院議員平沢勝栄という人がいますよね。

警察官僚上がり安倍晋三元総理の家庭教師だったというだけあって、私もその見識に信頼を寄せている政治家の一人です。
(無論、会ったことはありませんよ(笑)。)
先日、この方が新聞に寄稿しているのが目に止まりました。
で、かねてより、その見識に一目置いていることもあって、手にとって読んでみたのですが、一点だけ、「ん?」と思うところが・・・。

すなわち、「<政治屋さんの甘えもいいかげんにしてほしい>。地元の有権者から、内閣不信任案提出への批判のメールが続々と届いている。国民の皆さんが震災で大変なときに「なぜ」と思われるのは当然だ。しかし、どう考えても菅さんに危機管理能力はなく、この人のもとでは震災復興原発事故収束無理だ。不信任案が理解されないのは我が党の説明が足りないからだ」・・・という部分なのですが、おそらく、私に限らず、多くの方がそう思われるのではないかと思うのですが、「説明が足りない」とかそういう問題ではないよ・・・と。

もっと、率直に言わせていただければ、「権力争いやっている場合じゃないだろう」・・・と。
百歩譲って、仮に平沢氏の言うように菅直人総理ではダメだったとしても、じゃあ、誰なら良いんですか?・・・と。
安倍じゃダメだから福田に変えたんじゃなかったんでしたっけ?
福田じゃダメだで、麻生に変えたんですよね?
麻生じゃダメだで、鳩山政権に変わったんでしょ?
その、鳩山じゃダメだ・・・で変わったのがさんなんじゃないんですか?
次の人は本当に間違いないんですか???

確かに管さんの政治感覚もいかがなものかと思う時もありますが、原発を推進したのは他ならぬ自民党でしょうし、あれだけの大震災をすべて、管さん一人の責任に押し付けるのもどうかと思います。
何より、現実を見れば、今、総裁選をやり直して、政治空白を作っても、次の衆議院選挙で民主党が再び、政権を取る確率が低いことを考えれば、単にまた、短期政権ができるだけの話でしょ?
そう考えれば、以前も申し上げましたが、一番望ましいのは総理の続投、二番は解散総選挙、一番の愚策が内閣総辞職じゃないかと・・・。
こんな簡単な理屈がわからない平沢さんでもないでしょう・・・と。
                                         平太独白
by heitaroh | 2011-06-09 18:03 | 政治 | Trackback(1) | Comments(4)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30
プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
ライフログ
最新のコメント
> sakanoueno..
by heitaroh at 10:46
ようやく読み終わりました..
by sakanoueno-kumo at 19:09
> sakanoueno..
by heitaroh at 17:31
12周年おめでとうござい..
by sakanoueno-kumo at 03:47
> sakanoueno..
by heitaroh at 18:12
光を当てられていない人に..
by sakanoueno-kumo at 15:14
>sakanoueno..
by heitaroh at 11:09
あけましておめでとうござ..
by sakanoueno-kumo at 15:22
>Mさん  そうだ..
by heitaroh at 20:52
壊れた時計が動く理由もネ..
by M at 20:38
> sakanoueno..
by heitaroh at 12:35
なるほど。 先日の疑問..
by sakanoueno-kumo at 22:50
>sakanoueno..
by heitaroh at 10:05
キリのいい年となると、あ..
by sakanoueno-kumo at 19:28
>細田さん すみま..
by heitaroh at 10:36
検索
タグ
(64)
(54)
(54)
(51)
(50)
(46)
(42)
(41)
(41)
(36)
(32)
(31)
(30)
(30)
(29)
(28)
(26)
(26)
(25)
(25)
(24)
(24)
(24)
(24)
(23)
(23)
(21)
(21)
(21)
(20)
(19)
(19)
(18)
(18)
(18)
(18)
(17)
(16)
(16)
(16)
(16)
(15)
(15)
(15)
(15)
(14)
(14)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(12)
(12)
(12)
(11)
(11)
(11)
(11)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
カテゴリ
以前の記事
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
2005年 10月
2005年 09月
2005年 08月
2005年 07月
2005年 06月
2005年 05月
2005年 04月
2005年 03月
最新のトラックバック
八犬傳(上・下)
from 天竺堂の本棚
2016年NHK大河ドラ..
from <徳島早苗の間>
明治日本の産業革命遺産の..
from 坂の上のサインボード
明治日本の産業革命遺産の..
from 坂の上のサインボード
時~は2015年♪。
from <徳島早苗の間>
フォロー中のブログ
ブログパーツ
  • このブログに掲載されている写真・画像・イラストを無断で使用することを禁じます。
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧