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宗像大社の国宝と宮地嶽神社の光の道顛末記
以前から人に、宗像大社「宗像・沖ノ島 大国宝展」を勧められていたので、先日、ちょっと思い立って行ってきました。

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宗像大社というのは地元では交通安全の神様として知られており、だいたい、福岡市内から車で一時間半ほどの所にあることから、昔は車を買ったら「慣らし運転」がてら出かけるというのが定番でした。
ただ、最近では慣らし運転自体がもう、あんまり聞かなくなりましたので、私も本当に久しぶりで、思わず、「こんなんだっけ?」と(笑)。

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ここは「宗像・沖ノ島 大国宝展」となっているように、この宗像大社を中心とする宗像地区と、沖合に浮かぶ沖ノ島からなる地区で構成されており、それでこういう絵柄になっているわけですね。
(特に今、世界遺産申請をしているとのことで、こういう物が開催されたのでしょうが、私は管理警備の面で申請には疑問を感じているのですが・・・。)

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で、肝心の国宝ですが、まあ、意義ある物だとはわかるのですが・・・、やはり、私にはいささか高尚すぎたようです。
思わず、立ったまま寝そうになりました(笑)。

で、それはさておき、上述の通り、宗像大社はあまり近くもないことから、なかなか時間が取れず、ようやくこの日なら・・・ということで、時間を取ったのですが、当日の朝、テレビを見ていると、「今日が宮地嶽神社の光の道です」・・・と。
嵐のCMですっかり有名になった、神社の参道を夕日が満たす、いわゆる光の道ですね。
さぞかし多いんだろうな・・・とは思いましたが、宗像大社からの帰り道でもあり、ちょっと寄ってみるかと思い、行ってきました。

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が、案の定、既に大行列で、それどころか、行列すら既に締め切りました・・・と。

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(↑行列に入れなかった人たちが既に参道に座ってました。現象が起きる一時間半前の状態です。)

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私は実は、まだ、初日の出すら見たことがない人間なのですが、それすなわち、「行くのはいいけど確実に見れるのか?」だからです。
行ってみないと見れるかどうかわからない物にわざわざ行列しようという発想すらなく。
                     平太独白
by heitaroh | 2016-10-26 07:55 | 地域 | Trackback | Comments(0)

鎮魂原城跡
先日、たまたま人を案内することがあり、ちょっと雲仙島原まで行ってきました。
と言っても、それほど遠いわけでもなし、別に珍しく無いだろう・・・と思われるかもしれませんが、実は私がここを訪れるのは、昭和48年の小学校の修学旅行以来でして・・・。
ただ、「原城跡」は修学旅行の時も行っていないので、まったく初めてでした。

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原城は言うまでもなく、島原の乱の際、一揆軍が立て籠もった城ですね。

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ただ、どこの城も一緒でしょうが、往時、幕軍との最前線となったのはここから500mほど内陸に寄った島原街道の辺りだったようで、それでも、比較的周辺の地形は残っているように感じました。

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乱の経緯を簡単に説明しておくと、島原藩主・松倉勝家は島原城築城などで財政逼迫を招いた結果、領民に苛政を敷き、過酷なキリシタン弾圧と相まって農民一揆を引き起こしたと。
この戦争に従軍した福岡藩の支藩・秋月藩主である黒田長興の記録によると、直接のきっかけとなったのは、寛永14年(1637年)10月、領民の窮乏を斟酌すること無く、なおも重税を取立てようとする藩庁が庄屋の身重の妻を人質にとり、冷たい水牢に裸で入れて6日間苦しませた挙句、水中で出産、母子ともに絶命させたことにあると。

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如何に戦国の殺伐とした気風が燻っていた時代とはいえ、あまりに酷い仕打ち・・・。
ここに領民の怒りは頂点に達し、遂に代官所を襲撃して代官を殺害。
これが日本史上最大の民衆蜂起・島原の乱の勃発である・・・と。

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蜂起は島原半島のみならず対岸の天草にも飛び火、両者は合流し、約3万7千人の軍勢となって、一国一城令により廃城となっていた原城に立て籠もった・・・と。

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(↑本丸の断崖より対岸の天草を望む地蔵。)
で、総大将に担ぎ出したのが天草四郎時貞という少年。
一方の幕府は板倉重昌を派遣したが、板倉の石高はわずか1万5千石余、幕府役職も御書院番頭でしかないこともあって、九州の諸侯はこれを軽んじ統制がとれなかった・・・と。

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(↑天草四郎像。)
また、事実上の戦国最終戦争といえる関ヶ原の戦いから既に37年、大阪夏の陣からでも23年が経っており、戦闘の経験がある将兵は皆無に近く、討伐軍は城を攻めあぐねた。
ここに至り、幕府は「知恵泉」の異名を持つ老中・松平伊豆守信綱の派遣を決定。
焦った板倉は強引な突撃を行い非業の戦死を遂げる。
板倉の立場であれば当然のことであったろう。
幕府の初動の遅れの犠牲者か。

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(↑鳥取藩池田家家臣として参戦、戦死するに際し、自分の名を石に刻みつけたとされる佐分利九之丞の墓。当時としては老齢の61歳。まさしく、「武士道とは死ぬことと見つけたり」の最期であったろう。)


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信綱は立花宗茂、水野勝成、黒田一成ら戦闘経験がある老将連の意見を採り入れて兵糧攻めとすることとし、さらにオランダ軍艦に要請して艦砲射撃を行わせるなどしたことから、さしも、組織立った籠城戦を展開して3か月にも及び幕軍を苦しめた一揆軍も弾薬、兵糧が尽きてきた。
ここに至り、信綱は、自ら敵兵の遺体の胃を調べ、敵に食料がないことを知って総攻撃を決意。
大坂の陣での戦闘経験がある老将は信綱のこの姿を見て、「伊豆殿と決して知恵くらベ召されまじく候。あれは人間と申すものにてはこれ無き候」と語ったという。
幕府軍は千人もの戦死者を出しながらも、ついに一揆軍を壊滅。

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幕府の記録によると、原城は徹底的に破壊され、皆殺しにされた一揆軍の遺体は原城の敷地内にまとめて埋められ、一方で、大乱を引き起こした松倉勝家は大名でありながら斬首に処せられたという。
               平太独白
by heitaroh | 2016-07-14 18:58 | 地域 | Trackback | Comments(2)

やつしろ花火師競技大会行ってきました!
先日、熊本県八代市の「やつしろ花火師競技大会」に行ってきました。
普通の花火大会じゃなくて、花火師競技大会ですね。
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花火師競技大会自体は15年ほど前に秋田県でのそれに行ったのですが、その折、秋田人からは「これは花火大会ではなく、日本で唯一の花火師競技大会なんだ」と言われ、感心して帰ってきたら、なぜか、駅に「やつしろ花火師競技大会」のポスターがあり・・・。
「何じゃこりゃ」と。
「熊本でもあるんなら、わざわざ、秋田まで行かなくて良かったじゃないか」・・・と思って以来、苦節15年、ようやく、どんな物なのかと思いつつ行くことが出来ました。

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では、秋田と比べてどうだった?と言われると、実は前回は徹夜明けで行ったので、着くなり寝てしまって殆ど覚えてません(笑)。
ですので、比較は出来ないのですが、ただ、さすがに花火師競技大会というだけあって、普通の花火大会よりは見応えがあるように感じましたね。

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で、毎回、花火を見るたびに思うのですが、私の祖母などは生前、花火を見て楽しめたのかなあと。
空襲の記憶が蘇ったんじゃないかと。

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(↑これなんかはもう、惑星大爆発ですね。)

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今の人はこれを見て、普通に綺麗だと思える幸せを改めて認識すべきなんだろうな・・・などと、独り、夜空を見上げながら思ってました。

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みんなが綺麗な花火を見てうっとりしている時に、そんな無粋なことを考える人が変わっていると思われる社会。
なんて有難い社会なんだろうと。

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で、秋田の時もそうでしたが、まあ、人混みが凄い凄い。
ただ、秋田の時は確か、真夏だったと記憶しておりましたが、今回は十月。
さすがに昼は少し暑いくらいの気温だったのですが、夜は河っペリということもあり、結構、寒く・・・。
しばらくここで飲んでようにもビールではさすがに寒すぎ・・・。

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ちなみに、人混みよりもむしろ驚いたのが出店の多さ。
さらに、帰り際、そのうちの一つの焼き鳥屋によったら、「通常の3倍弱仕込んできたけど、すべて完売した」と。
これだけ出店してすべて売り切れるほどの人混み・・・と。
by heitaroh | 2015-10-22 19:08 | 地域 | Trackback | Comments(0)

よ~へ~ほ~~♪山鹿灯篭祭り行ってきました!
盆休み最後のこの土日、かねてより行ってみたかった「山鹿灯篭祭り」に行ってきました。
私、祭りというのは色々行ってみたいんですが、恥ずかしながら博多祇園山笠を別にすると、秋田の竿燈祭りしか行ったことがなく・・・。
どこも、自分の所に来てください!とアピールする割には、とかく、祭りというのは他所から行く人間にとってはわかりにくいことだらけんですよね。
つまるところ、ぶらりと出掛けて見れるのか?ってこと。
一番、最悪なのは、行ってみたら、「突然来ても・・・ねえ」で、結局、遠くから人の頭しか見えなかったで、その上、大渋滞で帰れず・・・ってことにならないかってことで、もうちょっとその辺を報知してくれればもっと行きやすくなるんですけどね。

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で、今回、前々日にふと思いついて、そっち方面の友達に無理を言って行ってきたわけです。
山鹿灯篭祭りというのは今回、私も初めて知りましたが熊本県の北部、福岡県との県境に位置する山鹿市という所の祭りで、画像の通り、女性が頭に灯籠を飾って舞うのが特徴的な祭りなわけです。

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私もかねがね、絵葉書とか観光案内などでは見たことがありました。
で、まず、頭の上のこの灯籠、知人に画像を見せたところ、「また、重たそうな物を・・・」と言われましたが、実はこれ、専門の職人が作っている紙で出来た物で重量は100gも無いんだとか。

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ただ、それだけに雨に弱く、(これがまた、どういうわけかこの季節、よく雨が降るんだとか。)あまりに激しい雨が降ると中止になってしまうとか。

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(↑お姉さんたちに混じって小学生の祭りデビューなんだとか。こういうのを見ると、地域の繋がりを無くしてしまった博多駅前人としては心から、「いいよなあ」と思います。)

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で、この祭りのハイライトがこれ(↑)。
千人灯籠というそうですが、さすがにこれだけの数が頭に灯籠乗せて舞うと壮観でしたよ。

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で、途中で「まもなく雨が降りますので灯籠にビニールをかけてください」とのコールが流れて少ししたら見事に雨。
最近の予報技術の正確さを改めて認めたけど、濡れながらの踊りは大変ですよ。
で、また少ししたら雨が上がり、終盤になると、この壇上の人達だけには「ビニールをとってください」のコール。
ちなみに、灯籠が金色が修行中で、銀色がプロ(保存会)なんだそうで、その中でもこの壇上に上がっている人たちはエース級なんでしょうね。
さしずめ、我々の時代では、柴田、高田、王、長嶋、末次、黒江、土井、森、堀内、高橋一という辺りがここにいると想像すればわかりやすいんでしょうか。
・・・たとえが、おっさん臭かったですね(笑)。
                        平太独白
by heitaroh | 2015-08-17 19:24 | 地域 | Trackback | Comments(0)

おっさんにとっての昭和のワンダーランド・箱崎放生会!
久々にここ(↓)行ってきました。
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博多の秋の風物詩、箱崎放生会です。
博多と博多駅前は違うということを常日頃から声高に主張している私としては箱崎に博多と付けるのはちょっと心苦しいのですが、まあ、便宜上やむなく。
箱崎という所は割りと早くから開けた集落でして、今では福岡市東区ですが、歴史的には博多と並立していたと言ってよく、まあ、江戸でいうところの品川みたいなものでしょうかね。

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で、ここは日本三大八幡宮の一つ、筥崎宮の秋祭りで、割と大きな縁日でして、友人と誘い合わせ、おっさんばかりで行ってきたのですが、まさしく我々にとっては昭和のワンダーランド!です。
(私も他をそれほど知っているわけではないのですが、たぶん日本有数の規模だと思います。)

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最初は、「もう、このまま中洲に行こうぜ」などと言っていた友人たちも童心に返りすっかりフィーバー!(死語?(笑)。)

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しっかり堪能してきましたので、はい、お約束の二日酔いです。
ごきげんよう・・・(笑)。
                          平太独白



by heitaroh | 2014-09-19 13:55 | 地域 | Trackback | Comments(0)

瀬戸内海を船で渡る伊予路の旅
今、訳あって四国は愛媛県松山市に来ております。
別に仕事・・・というわけではありませんが、決して遊びでもありません。

で、博多から一旦、広島に出て、そこから在来線でへ。
呉には「大和ミュージアム」なるものがあり、これが売りらしいですが、私はあんまり機械には興味がなく、向かったのはこちら(↓)でした。

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音戸の瀬戸・・・ですね。
かつて、この辺りは引き潮になると歩いて渡れる浅瀬だったのを平清盛が大型船も通行できるように切り拓いたと言われている所です。

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(清盛が扇で夕日を押し返したという伝説も・・・。)

で、ここだけ見ると、バタバタと戻ってきて船に乗って四国へ上陸。
で、今日まで猛暑と雨の中、何日も一日中重たいかばんを持って歩きまわり・・・。
とにかく疲れました。
ということで、とりあえず、私のノルマは終え、一旦撤収です。

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(↑ JR松山駅の夕景。魂、置いてきたから・・・。)
                                平太独白
by heitaroh | 2014-08-01 23:28 | 地域 | Trackback | Comments(4)

意外に知られてない幕末京都の色街・島原
このブログを始めるきっかけとなったのが2005年4月に知人に誘われ、京都で開催されるある会合に行ったことでした・・・とは過去に何度か申し上げたことではありますが、まったく休火山状態のブログに「いい加減に何か書かなきゃ、始めて以来、初の月間0になってしまうぞ」という危機感から、ちょっと思い立ちました。
で、この時、京都ではすべての行事を終えた後、駅に向かうまでに少しだけ時間があったので、幕末に新選組志士らがが大いに気炎を上げたことで知られる幕末京都の色街・島原に行ってきました

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     (↑島原

地名の由来は、あの、長崎県の島原から来ているというのは意外でしたが、もっと意外だったのが、当然、観光名所になっているんだろうとばかり思っていたら、タクシーの運転手さんが「島原」を知らなかったことにも驚きました。
以下、車中での会話。

「ほら、あの、新選組なんかで有名な・・・」
「いやあ・・・、そんなん聞いたことおへん」
「幕末の遊郭ですよ」
「ああ、遊郭でっか。わかったわかった。五条でっしゃろ」
「五条かどうかわかりませんが、結構、有名なはずですよ」
「いやあ、わては前からおかしい思うとったんですよ。やっぱり、あそこは遊郭やったんですね」
「はあ・・・」
「いやあ、京都には一応、そういう場所は無いということになってますけど、やっぱりあるんですなあ・・・」
「ん?わかってますか?」
「わかってますよ。前にそういうお客さん乗せたことがあるもので・・・」
「???」
「何か、勘違いしてませんか?」
「いや、わかってますって。まかしておきなはれ」
「新選組や高杉晋作なんかが行ってたやつですよ」
「はあ、そんなに昔からあったんやろか?今はもうマンションみたいになってますけど」
「マンション??」
・・・で、何かが違ってないか?と思い、住所を調べて告げたら、
「あら、それはまるで違いますね」
ということで、危うく、「昔の遊郭」ではなく、「今の遊郭」に連れて行かれるところでした(笑)。

あ、行ってませんからね(笑)。
                         平太独白

by heitaroh | 2014-04-16 06:25 | 地域 | Trackback | Comments(2)

東京スカイツリー行ってきました!
昨日、9周年を書いてふと気づきました。
これ、書かなかったら危うく3月は「0」になってしまうところだったんですね。
で、さすがに3月は9周年記念号の1本だけ・・・というのも、何か、心苦しいようで(笑)。

e0027240_16444479.jpgで、この年度末の忙しいさなかにちょっと訳あって、東京まで行ってきました。
(まったくの私的都合です(笑)。)

で、ちょいと、東京スカイツリーに行ってきましたのでそれ載せます(笑)。

と言っても、元々、東京に土地勘がそれほどあるわけでもなし、地元の人ほどにはあまり、感動はありませんでしたけどね。

まず、週末でもあったし、さぞかし並ぶんだろうなあと思っていたら、14時に着いて渡された整理券が何と19時・・・。
ようするに「またおいで」ってことですね(笑)。


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(←黄金のスカイツリーだそうです。結構、条件が整わないと出ないんだそうで、幸運のスカイツリーとも言われてるとか。雲海みたいですね(笑)。)

で、他行って飯食って時間つぶして19時・・・。
一時期に比べると、随分と日が長くはなりましたが、それでも東京は博多より1時間、日の入りが早いですから、さすがに19時は真っ暗でしたね。

で、見た景色がこれ(↓)です。
余計な注釈を考えなくて良かった分、純粋に楽しめましたね。



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平太独白


by heitaroh | 2014-03-29 17:07 | 地域 | Trackback | Comments(0)

姫路城工事見学ツアー「天空の白鷺」行ってきました。
先週末、ちょっとこちらに行く用事があり、ついでに姫路城へ行ってきました。
姫路城といえば、言うまでもなく、世界遺産で国宝でしょうが、ちょうど今、大天守保存修理工事が行われており、大天守をすっぽりと覆った仮囲いの部分から普段見ることが出来ない大屋根を間近で見ること出来るというのが売りの姫路城大天守修理見学、通称、「天空の白鷺」をやってました。

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この、天空の白鷺は、平成26年(2014年)1月15日(水)で終りとなるとは聞いてましたので、せっかくなので行かなきゃなあ・・・とは思っていたのですが、ちょうど、申し込んだツアーにこれが組み込まれており、好機至れり尽くせり(?)ってことで行ってきました(笑)。
ただ、普通に行くと、物凄い待ち時間を覚悟しないといけないらしく、この日は一時間半の待ち時間とのことでしたが、私が行ったツアーは「ストレスフリー」で見学できるよう、予約してあったそうで、並んでいる人たちを横目に割りとすんなりと入れました。
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ただ、私はもっと間近で見れる、もしくは、足場の上から俯瞰で見れるのかと思っていたら、横から、しかもガラス越しでの見学でしたので、これでは・・・と。
見学者も意外にあっさりとした感じで、舐めるように見る人は殆ど居ませんでしたね。
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まあ、この位置からなら、下から見るのとあまり変わらないような・・・。
白が漆喰で、黒が瓦だ・・・というくらいはわかりますからね。
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眺めは良かったですが、これもガラス越しでは何だか味気なかったです。
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それでもまあ、こういう物の工事中が見れるということはそれ自体がメモリアルなことなわけで・・・。
東京スカイツリーと一緒で、出来てしまえばいつでも見れるわけですからね。
                                         平太独白

by heitaroh | 2013-11-12 07:20 | 地域 | Trackback | Comments(2)

千年一昔 太宰府天満宮 その2
親愛なるアッティクスへ

先日の続きです。

菅公こと、菅原道真は一般に大宰府「左遷」されたといわれてますが、実際には「左遷」なんて生易しいものではなく、「流罪」そのものだったそうです。
つまり、大宰府政庁に出仕していたわけではなく、軟禁状態に置かれ、かなり過酷な環境で事実上の死刑判決に等しい措置だった・・・と。

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(←京都二条城近くの神泉苑。以前、紹介した晴明神社大将軍八神社と併せ、この3地点を結んだ四角形が、平安京遷都当時に御所が在った所だそうです。つまり、菅公はここに出仕していたわけですね。いつだったか、ぶらぶらとこのポイントを歩いたことがありますが、改めて御所の大きさを実感しました。もっとも、御所跡地には普通に人家がたくさんありましたけどね(笑)。)

で、道真配流から千年の後、再び貴人がここに不遇をかこつことになります。
三条実美五卿です。
(長州への「七卿落ち」として有名ですが、長州征伐後、福岡藩お預かりとなって太宰府天満宮に収容された時には5人になってたわけですね。)
ところが、3年間の太宰府軟禁時代、福岡藩黒田家徳川幕府から、「扱いが寛容すぎる!」とのお叱りを受けたことから、その処遇を酷薄なものとしたところ、直後に明治維新となってしまった・・・と。
で、すべてが裏目に出てしまい、これが福岡藩を「廃藩置県前の新政府による唯一のお取り潰し藩」という形での終焉へと導くことになるわけですね。

その一方で、太宰府天満宮だけは籍奉還の際、日本全国の社寺も昔からの社領、寺領を返還する中、その後も付属領600石、約20ヘクタールの「領土」をそのまま持ち続けることが出来た・・・と。
これは、三条卿が福岡藩から迫害された時に、天満宮の宮司が色々と懇意にしてくれたことの恩義に報いんと特例を認めたからだとか。
もっとも、その領土も戦後の農地改革で失い、残っているのは境内の一部という名目で接収をまぬかれた約5アールの水田だけだそうですけどね。

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ちなみに、太宰府には、もう一人、如水こと黒田官兵衛孝高も住んでました(↑)。
言うまでもなく、福岡藩黒田家始祖にして、来年の大河ドラマの主人公ですね。
関ヶ原合戦後、息子長政が太宰府がある筑前の国主となったことから、隠居所としてここに庵を建てたとか。
この辺は、今も東京の文化人が古都・鎌倉に住みたがるのと同じ感覚だったでしょうか(笑)。

またいずれ、次回に続く・・・と思う(笑)。
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-10-28 18:01 | 地域 | Trackback | Comments(0)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
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プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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