親愛なるアッティクスへ
昨日の続きです。
そんなこんなで、学生時代の友人と一緒に行くことになったわけですが、いくら、良い年こいた大の大人が自分の意志で来た・・・と言っても、そこはやはり誘った手前、私には彼の家族に対してのある程度の責任はあると感じておりました。
で、たびたび申し上げておりますように、今となっては隔世の感があるのですが、当時はまだ東日本大震災の発生から1ヶ月も経っていない頃ですから、どういう不測の事態が起こるやもしれず・・・、ノーリスクだとは毛頭思っておりませんでした。
(実際、「建築士」という腕章を付けていたら、殺気立った被災者の方たちから囲まれて、「うちも見てくれ」、「いや、うちが先だ!」などというようなことになったらしい・・・というような話も聞いていましたし・・・。)

そして何より困惑したのが、地震に起因する怪我などについては一切、
保険が適用されないということ・・・。
つまり、建物の調査中に余震が来て建物が倒壊し、その下敷きになったような場合でも怪我の
治療費はすべて実費かつ自腹ということになるということですね。
(つまり、
労災が出ないということですから、場合によっては
社会保険も否認される可能性もあったでしょうね。ちなみに、死亡の場合、生命保険は出るようでしたが。)

その上で、当初は
茨城、千葉、栃木と勤務地ははっきりしないし、行った後も「そこから誰か一人だけ隣県へ移動してもらうことも有り得る」・・・などという話もあったこともあって、私が一番危惧していたのは、お互い、別々の場所で活動していて、再び、大地震が起こった際に、「何日経っても彼に連絡が取れないから、もう帰ったのだろうと思って、独りだけ福岡に帰ってきたら彼はまだ帰ってなかった・・・」というような事態になった場合のことでした。
(←神社仏閣は殆どこの状態。)
したがって、できるだけ一緒に行動させてくれ・・・ということを申し入れた際には、他の建築士の中には
「この期に及んで女々しいやつらだ」という目で見ていた人もいたようですが、真意はそういう所にあったわけで・・・。
と、まあ、今となってはすべて笑い話ですが、当時は本当にそういう切迫感がある中での活動開始だったということですね。
いずれまた続く・・・。
平太独白