前回の続きです。
ある年、たまたま乗っていたタクシーの中で、成人式の光景を目にした34歳の矢沢永吉さんは、運転手さんに「良い天気ですね。絶好の成人式日和ですね」と話しかけ、さらに、「さて、この中の何人の人が幸せになれるんでしょうね?」と問いかけた・・・と。運転手氏は「さあ、考えたこともありません」と絶句する。
なぜ、そんなことを言ったか・・・と。
ヤザワ曰く、「20歳の時は一番良い頃。20歳の頃は何でも出来るような気がする。自分だけは年をとらないような気がする。自分だけは怪我しないような気がする。自分だけは長生きできそうな気がする」・・・と。
続けて曰く、
「でも、ここから向こう10年間ではっきり差が付きますよ。やったやつとやらないやつの」と言い、再び、何とも言えないシニカルな笑みを浮かべて、「さて、何人の人が幸せになれるんでしょう。たくさんなれればいいね・・・」と。
「20歳からの10年間・・・」、これこそは、まさしく、私が以前から
平太郎独白録 : 若き日の矢沢永吉に思う草千里と川島雄三的我が身。などで言っている
30歳成人論そのものではないですか。
すなわち、「日本では
20歳で成人式をやるが、それは
徴兵制度の名残であり、現代日本に置ける現実の成人は
30歳である。自分自身を振り返ってみても然り。ただし、その意味では、20代というのはそのための
滑走路であり、従って、30歳になったときには、いつでも離陸できるような態勢になっておかなければならない」と・・・。
(たまたま、このときも矢沢さんのことを持ち出して、この話をしていたというのも、我ながら奇遇だなと・・・。)
ちなみに、矢沢さんは私より、ちょうど、ひと回り上ですから、当時、私は
22歳・・・。
おそらく、大学を卒業したかしないかくらいで、まだそれなりにツッパッて(死語?)ましたね(笑)。
ただ、そうなると、矢沢さんがこの成人式を目撃されたのがいつのことだったのかは知るよしもありませんが、この1~2年前だとすれば、ちょうど私が成人式を迎えた年であり、まあ、このエピソード自体は、おそらく、東京での話でしょうから、直接、その場に私が居たわけではないでしょうが、少なくとも、矢沢さんが見た成人式の若者というのは、世代的にはまさしく私の世代であり、そう考えれば、私は「30歳成人論」などと偉そうなことを言う側ではなく、
言われる側だったんですね。
嗚呼、何とも
汗顔の至り・・・です。
(ちなみに、アニメーションの
宮﨑 駿監督は、「
60代はまだ何でもやれる年齢と言われる」と仰ってました(笑)。)
ただ、この34歳の挑戦的な目をした若造が、何とも言えぬシニカルな笑みを浮かべ、「たくさん、幸せになれればいいね」と語る姿は、他の巨匠と呼ばれる人たちのまったく心に残らないコトバと違い、とても印象に残ったのは事実でしたね。
平太独白