親愛なるアッティクスへ
(↑
真夏に撮影した画像です。気持ちだけでも
暖かい画像がいいかなと・・・(笑)。)
さて、私、
12月に入って、少し、バタバタとしておりました。
で、ふと気が付けば、もう12月なんですね。
昨日は、今年最初の
忘年会でした。
おかげで今日はそれなりに
二日酔いです(笑)。
バブルの頃は忘年会が月に
23回などという時代もありましたが、さすがにそのときはきつかったですね。
でも、数年前には忘年会が一件も無し・・・というときもあり・・・。
多すぎるのも考え物ですが、あまりにも無いのも寂しい物です。
その点、今年はちょうど良いくらいに忘年会が入っていますので、まあ、有り難い限りです。
で、今日の本題です。
プロ野球の
工藤公康氏が、まだ西武時代、当時のエース投手であった
東尾 脩投手から、「おまえ、左のエースなどといわれていい気になっているようだが、
本来、エースというのは一人だけなんだぞ」と言われた・・・という話を聞いたことがあります。
なるほど・・・と。
以前、
『ザ・決断!スペシャル ~八重山商工野球部物語~ 熱血監督と少年たちの“奇跡のドラマ”八重山商工ナイン甲子園出場の物語』という番組を見ましたが、この中で、エースの
大嶺祐太投手(現千葉ロッテマリーンズ)が肩を壊し、エースナンバーを外されたとき、腐って、祖父に、「もう、俺、野球辞める。必要とされてないみたいだから。これからはサッカーをやる」とこぼすシーンがありました。
私はこれを見て、「どうやら、この投手は真からの投手向きらしいな・・・」と思いましたね。
この点は、以前も、
平太郎独白録 : 越路吹雪とモハメド・アリの同種性に見るガラス的「晴耕雨読」。の中で申し上げましたように、
野村克也氏に言わせれば、「投手というのは
ガラス玉だ。
江夏 豊や
金田正一というのは、とびきり一級品のガラス玉だった」と。
おそらく、こういう場面で、何も感じないような選手は投手向きではないのでしょうね。
投手という職業は、
独り、一段高い山の上に立ち、最前線で敵に向き合う・・・。
そうなるのもわからないでもないですかね。
平太独白