苦労というものの功罪・後編、源氏一門の悲劇と苦労に値する人間。
親愛なるアッティクスへ

最近、さすがに内臓脂肪がしゃれにならなくなり出しまして、ここ数日、晴れた日だけですが、片道45分かけて、徒歩通勤をしています。
で、気づいたのが、車歩分離信号が多くなっていること。
歩行者は歩行者だけ行かせて、車は車だけそれぞれに行かせる・・・って、やつです。
でも、これって、都心部の人通りの多いところなら、まあ、スクランブル交差点ということでわかるのですが、ちょっと離れた近隣商業地域のようなところには、いらないんじゃないですか?
私などは、歩いていて、右でも左でも渡れる方を渡れればいいのに、右にも左にも渡れず、必ず、そこで立ち止まらないといけないという・・・。

で、昨日の続きです。

平家滅亡後、兄、頼朝と、弟、義経不仲は日を追うごとに激しくなっていきますが、これにより、範頼の立場は微妙なものとなっていきます。
そして、遂には、範頼は、頼朝より、義経追討軍司令官を命じられます。
おそらく、踏み絵的な意味合いもあったのでしょう。
範頼は、これを固辞したことから、頼朝からは、「汝も九郎の如き振舞いは為されぬよう・・・。」と言われたとか・・・。

そして、文治3年(1187年)10月29日、弟、義経は、遂に奥州の地で、横死します。
義経の悲劇を目の当たりにした範頼は、その後、義経の轍は踏むまいという政治的判断の元、徹底して、兄、頼朝のに徹し、それをまた、頼朝も好感を持って遇しますが、やはり、頼朝の猜疑心からは逃れることは出来ず、義経横死より6年後建久4年(1193年)、遂にそのときは訪れます。
ある日、頼朝の寝所に潜んでいた男が逮捕されるという事件が起こります。
その男は、尋問の結果、「範頼の命令で潜んでいた」旨を白状したと言い、これにより、範頼は、伊豆修善寺幽閉され、その後、頼朝に兵を向けられ、自害して果てたと伝えられています。

もっとも、範頼の死には、諸説有るようですが、それはさておき、ここで頼朝に話を戻しますと、頼朝は、子供の頃、平家が捕らえた自分に憐憫の情をかけて殺さなかったばかりに、自分によって、滅亡の憂き目をみることとなったことから、徹底して、自分に敵対した者の子孫を根絶やしにしています。
この辺は、以前、平太郎独白録 「驕れる者も久しからず」でも触れたことですが、その矛先は、源氏一門であろうとも容赦はなく、木曾義仲敗死後、人質ながらも、自分の娘の婿としていた義仲の嫡男、義高斬殺し、静御前が産んだ義経の子も、誕生すると間もなく、生き埋めにされ、殺されました。
頼朝の、こういった行動が、結果的に源氏一門を細らせることになってしまったことは間違いないことのようで、実際、頼朝の死後まもなくして、頼朝の直系子孫は、いずれも悲惨な形で絶えることになります。

でも、これって、平家は、頼朝を生かしておいたから滅びたのではなく、驕り高ぶるあまり、人心に見放されたから滅びたのであって、もし、平家政権の支持率が高かったならば、いかに頼朝や義経が生きていようが出番はなかったと思います。
(まだまだ、侮れなかった天皇権力を始めとする既成の権力軽視したゆえに滅びたという見方もできるでしょうが、そういう、政治的識見低下も、結局は驕りがあったからでしょう・・・。)
現実に、平家の大軍を都から放逐したのは、義経でも頼朝でもなく、木曾義仲だったのですから・・・。

(←木曾義仲が平家の大軍を打ち破った倶利伽羅峠にたたずむ碑。

得意の絶頂にあったであろう義仲は、これから間もなく訪れる己が凋落と、それに伴う我が子の悲劇にまで想いは馳せていたのかどうか・・・。

ただ、我が子を人質に出した時点での、義仲の状況判断は、三国干渉の時の明治政府と同様、驚くほど的確だったと思います。
しかし、であればこそ、なおのこと、頼朝とは徹底して対立してはいけなかったのではないか・・・。
何より、頼朝という人の凄惨なまでの、酷薄な性格に考えは及んでいたのか・・・。
あれほどまでに、冷徹な政治判断を下した男が、この倶利伽羅峠の大勝利を境に政治音痴の軍人に成り下がっていったのが、私には、どうにも解せません。
貧すれば鈍するということなのか。
いずれにしても、諸行無常の響き有り・・・でしょうか。)

しかし、そうは言いながらも、自らも同様の体験をしたことで、頼朝を尊敬していた徳川家康などには、このような、いたずらな猜疑心というものは、あまり見受けられません。
同様に、こういった経験を経てきた人物としては、始皇帝は頼朝的であり、ユリアヌス帝は家康的だと言えるようです。
まあ、とどのつまりは、「苦労をすること」自体には価値があるとしても、やはり、「苦労しても人間性が歪められない精神力を持った人間かどうか・・・」、つまりは、「苦労をするに値するだけの人間かどうか・・・」がすべてなのでしょうか・・・。

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by heitaroh | 2006-05-11 08:43 | 歴史 | Trackback | Comments(2)
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Commented by tokkey_0524zet at 2006-05-12 22:29
 永井路子著「北条政子」における義高と大姫の〝小さな恋のメロディ〟には泣かされました(感涙)。
 結果として頼朝は自分の娘をも精神的に「殺して」しまったんでしょうね。
 義高にも義経同様後世の同情からか「落ち延び伝説」があるそうで。

 義高を人質に出したのは義仲個人の考えではなく周囲の入れ知恵もあったのかも知れませんね。
 「経験」と「(それをする)人間の頭」については私もちょっと言いたい事があるんですが、これはいずれ自分のブログにて。
Commented by へいたらう at 2006-05-13 11:50 x
>tokkey_0524zetさん

私はむしろ、大河ドラマ「草燃える」で、義高と大姫の仲を引き裂いても、義経を殺しても、「育ちの良さ」でカバーしていた石坂浩二さん扮する頼朝が、義経が討ち取られた場所へ行ったとき、もう、こらえきれないって感じで号泣したのが印象に残ってますね。
意外と、そんなのものありかな・・・って気もします。

義高を人質に出したのが、周囲の入れ知恵であったとするならば、項羽におけるはんぞうのような、相当に優秀な政治顧問がついていたのでしょうね。
そして、何らかの理由でその人がいなくなり、単なる政治音痴の軍人と化してしまったと。
そう考えるのが、一番、流れ的も納得出来るのでしょうが、何だか、出来すぎって気もしますね(笑)。

>「経験」と「(それをする)人間の頭」については

期待しております。
人一倍、貴重な経験をしてこられたものとお察し申し上げます・・・(笑)。
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国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。

by heitaroh
プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」と「固定資産税」。

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年、共に完売となり絶版となる。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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