昨日の続きです。
そんなこんなで、要害山城に登って来たんですが、改めて思ったことですが、山梨県って、どこからでも富士山が見えるんですね。
まあ、当たり前と言ってしまえば当たり前なんでしょうが、九州人的には富士山が見えるというのはとても新鮮なことでして・・・。
で、しっかり、要害山城の山頂からも本当に「肩越し」って感じで傍らに見えました。
「幼子を 見守る富士の 根雪かな」 梁庵平太
思えば、
武田信玄が生まれた大永元年11月3日というのは、新暦で1521年
12月1日ですから、我々が行った時期と半月程度しか違わない頃だったわけで、城に籠っていた人々の中にはあるいは、そういう感慨をもった人もいたのかもしれないな・・・と。
(←麓の
積翠寺に残る
信玄産湯の井戸。ただ、信玄誕生の時は隣国駿河から優勢な今川勢の侵略を受けており、父、
武田信虎は迎撃に打って出て奮戦していたものの、勝敗は予断を許さない情勢で、産前産後は動かせないことを思えば、最初から、敵が攻め寄せてもある程度、動かさずに済む場所・・・、つまり、城の中枢付近で母親は出産したと考える方が妥当であるように思います。あるいは、当時は積翠寺も城の内側にあったのかもしれませんが、それでも・・・と。)
「空の青 冠雪の白 もやの白」 梁庵平太
それにしても、この日は冬とは思えないほどの
快晴でした。
晴れ男の面目躍如たるや如何!(笑)。
なかなか、本丸に行き着きませんが、時間があるうちに何とか、少しでも前へ進めておきたい今日この頃です。
明日に続きます・・・と思います。
親愛なるアッティクスへ
平太独白