親愛なるアッティクスへ
NHK大河ドラマ「龍馬伝」で、高杉晋作率いる長州諸隊の前に、我が福岡県の豊前小倉城、実にあっさりと落ちてましたよね。
あっさりではなく、かなり省略気味の落城でしたが(笑)。
(←「じも」ではありません。「もじ」です(笑)。)
肥後熊本藩兵などは高杉晋作の前に、「おい達ゃ、幕府軍やなか。肥後熊本藩兵たい。幕軍から、むりやり守らされとうだけですたい」みたいなことを言い、「ゴメンナサイ」と言わんばかりみたいな感じで描かれてましたけど、実際には熊本藩は小倉口の戦いでは長州藩にとっては最強の敵であり、西国雄藩らしく、最新兵器のガトリング砲などをも装備しており、長州軍は大打撃をこうむっています。
結果、さしもの高杉晋作も一旦、兵を退き、熊本藩兵が居ない所に矛先を変えざるを得なかったわけで・・・。
(↑関門海峡です。)
そもそも、熊本は勇猛で知られる
薩摩への抑えとして知られる存在ですが、一方で、熊本人は
川上哲治、江藤愼一、古葉竹識、秋山幸二、伊東勤・・・という人たちに代表されるように、プロ野球選手としても名選手であると同時に監督としても実績を残した人たちを多く輩出しております。
この点、長州が何だかんだ言っても総理大臣を日本最多で輩出していることと比較すると、「長州人は一つしかない総理大臣のポストを自分たちから輩出しようとするが、肥後人は自分が小集団のTOPになろうとする」・・・といえるでしょうか。
ちなみに、
菅 直人氏が学生時代まで山口県だったということはよく知られておりますが、同様に、阪神の
真弓明信氏も元々、小学校三年までは熊本なんだそうですね。
(福岡県大牟田市の出身だとばかり聞いておりましたが。)
話をもとに戻すと、その後、熊本藩兵は自分たちばかりを働かせようとする幕府軍の体たらくに愛想を尽かし、小倉戦争から撤兵。
これにより、高杉晋作はもはや、恐れるものなしとして一気に小倉城の攻略を命令。
幕府側の敗退は誰の目にも明らかになり、それが、そのまま、その後の明治維新に至るわけですから、その意味では、肥後熊本は薩摩にとっても、長州にとっても、鬼門であったといえるでしょうか。
平太独白