幕末土佐藩の独裁者・山内容堂の真実
よく大河ドラマなどで武市半平太率いる土佐勤皇党を排斥し、差別意識から抜けきれないる偏執的な独裁者として描かれている、幕末土佐藩の実験者・容堂こと山内豊信という人物だが、実は彼は必ずしも生まれながらに藩主の地位が約束されていたわけでもない。
 まず、容堂自身の出自についていえば彼の母は郷士の出であり、父も山内家の傍系の人で、言うならば彼自身は王族と下士とのハーフということになり、まあ、それゆえに敢えて郷士ら下士を忌み嫌わねばならなかったという見方も成り立つのかもしれないが、しかし、彼自身、旧長曽我部家の家臣の家柄である吉田東洋を抜擢し、市川団十郎などの庶民階級の者とも懇意にしていたというから、それほどに下層階級を必要以上に蔑視する考えがあったようにも思えない。

 それが、十三代豊熈、十四代豊惇と相次いで藩主が急死したことから期せずして藩主の地位に就くことになったわけだが、だからといってそれで容堂に最終権力がすべて与えられていたかというと、実は必ずしもそうではない。なぜなら、容堂にとって先代、先々代はいなかったが、先々々代はいたからである。
 すなわち、十三代、十四代藩主の父である「少将様」こと十二代藩主豊資は存命であり、しかも、彼が没したのは明治5年というから、容堂はこの人物より、わずかに半年長生きしたにすぎない。
 となれば、一見、絶対権力者かの如く、傍若無人な印象を与える容堂も、終生、実はやりにくい目の上のたんこぶがいたということになり、さらに、豊資は、容堂の藩主就任に際してはその後嗣には自らの十一男・豊範を指名しており、つまり、豊資に言わせれば容堂は豊範成長までの繋ぎの藩主に過ぎなかったのである。そのためか容堂と豊資とは終生、不仲であったという話も伝わっている。

 そもそも、武市一派の台頭自体、容堂の謹慎中に彼に何の断りもなく為されたものであり、その上、自らが藩政改革を託していた吉田東洋を暗殺して取って代わっていたことを思えば、特に、凡君ならともかく、自ら「果断の人」などと称する容堂のようなタイプの君主からすれば、このような主君を蔑ろにするような行為は許せるものではなかったであろう。となれば、自らの謹慎が解かれたならば排除に乗り出すことには何の違和感もなかったに違いない。
 つまり、容堂からすれば、「俺が抜擢した吉田東洋を殺したやつが藩政をとり仕切るなど、認めた覚えはない」というものであったろう。

 その意味では、やはり、武市はあまりにも安易に東洋暗殺に踏み切ったと言わざるを得ない。だが、この点では少し思うこともある。それすなわち、武市ほどの人物がそんな簡単明瞭な理屈に気づかなかったのか?ということで、そう考えれば、どうしても根本的な疑問が頭をもたげてくるのが、吉田東洋を殺したのは本当に武市なのか・・・ということである。
 まず、私が常々、疑問に思っていたのは、吉田東洋を殺した後、どうしてああもすんなりと武市が藩政を掌握できたのか・・・ということである。いくら武市が藩内守旧派と結んでいたからといって、守旧派も、別に下士に理解があって結んでいたわけではないのであり、そうなれば、大体、ああいうものは邪魔者がいなくなった時点で使い捨てにされるもののように思えるのである。

 それらを踏まえて私見を述べさせて頂くと、「東洋を殺したのは守旧派で、それもおそらく突発的に起きており(史実というのは往々にしてそういうものであるように思える。)、これに困惑した守旧派は藩政に隠然たる影響力を持ち東洋を快く思わぬ豊資に図った後、内諾を得て武市に相談。武市は豊資の暗黙の了解があることを担保にこれに加担。土佐勤皇党から数名の脱藩者を出し、容疑がこちらに向くようにしてやった」と。
 結果、「豊資は容堂への当てつけから武市が藩政を仕切るのを是認し、弱みを握られた守旧派はこれを容認、容堂も豊資の手前、しばらくはこれを黙認した」・・・と。
 武市にしても豊資の了意なかりせば、守旧派から話を持ちかけられても躊躇したであろうし、容堂もまたいくら謹慎中であったとはいえ、果断が売りの人物がああも辛抱強く対処したのも不可解である。この辺り、豊資の関与なくしては説明が付かないような気がする。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-07-14 08:26 | 歴史 | Trackback(4) | Comments(6)
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Tracked from 山南飛龍の徒然日記 at 2010-07-14 21:09
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Tracked from 坂の上のサインボード at 2010-07-24 00:46
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 土佐藩の政変から京における土佐勤王党の台頭までの流れを、江戸で謹慎中の山内容堂はどんな思いで見ていたのだろうか。彼ら勤王党は、自身が信頼を厚くしていた吉田東洋を殺した憎き集団であり、しかし、「君辱かしめを受る時は臣死す」と容堂に忠誠を誓っている集団でもあった。容堂にとって土佐勤王党は、物語などで描かれるような、不快な存在でしかなかったのだろうか。  約8年ぶりに謹慎が解かれ藩政に復活した山内容堂は、ちょうど時を同じく京で政変が起き、攘夷派が一掃されたことも相俟って、公然と土佐勤王党弾圧に乗り出...... more
Commented by sakanoueno-kumo at 2010-07-15 01:26
先日の稿の続きですね。
前稿のコメントが途中で終わっていたので気になっていました。

お説うかがいまして、豊資の関与という部分はなるほどと思いました。
で、あれから色々書物などを読み返しまして、でもやっぱり通説どおり、直接手を下したのは勤王党だと私は思っています。
坂崎紫瀾が執筆した「維新土佐勤王史」によれば、この東洋暗殺は、実は未遂事件があり、那須・大石・安岡が実行犯とされるこの実行は3度目の正直だったようです。
武市の妻・冨の伯父で、勤王党員でもある島村寿之助という人物の家が、その「秘密の参謀本部」だったと記述されています。
この島村は明治18年まで生きており、東洋暗殺の記述はこの島村が坂崎に語ったもののようです。
もちろん、島村の語るところが必ずしも信頼できるとは限りませんが・・・。

次に、何故武市が藩政を掌握できたか・・・についてですが、これは前にも述べましたが、やはり時勢から見て利用価値があったからではないでしょうか?
島津久光が、憎き西郷を沖永良部から呼び戻さねばならなかったように・・・。
Commented by silku928 at 2010-07-15 08:57
おはようございます。
博多の夏到来、リアルタイムで祭りの画像送信、有難うございました。この日は雨でしたか?
祭りの後は、いつもどこか寂しさが漂いますね。
燃え尽きた後の.....。

さて豊資と容堂の話、とても興味深く拝見しました。
権力闘争、いつの世も、嫉妬とプライドと派閥と。
いつその座を失うかわからない不安、ひやひやの毎日。
今も同じですね。平太郎さんが仰る、突発的、にもなるほどと。

トップはいつも孤独?だから酒におぼれた?
最近、江戸切子のグラスを見ると、容堂侯を思い浮かべる私です。。。
Commented by heitaroh at 2010-07-15 17:27
< sakanoueno-kumoさん

なるほど、少将様の内意を受けて土佐勤皇党が手を下した・・・という説も成り立ちますね。

>次に、何故武市が藩政を掌握できたか・・・についてですが、これは前にも述べましたが、やはり時勢から見て利用価値があったからではないでしょうか?

確かに、当時の情勢を鑑みれば利用価値はあったでしょうね。
ただ、それでもそれだけでは少し説得力に欠けるように思います。
情勢に鑑み、しばらくやりたいようにやらせておけ」・・・ということだったと思いますが、問題なのは「しばらく」が「しばらく」で済むのか・・・ということです。
確実に、「降ろせる時が来たら降ろすことができる」という担保のような物がないと・・・と思うわけです。
Commented by heitaroh at 2010-07-15 17:31
<silku928さん

昨日は午前中は警戒警報が出るほどの雨だったのですが、夕方頃から上がってきて、この時間帯は小雨程度でした。
このくらいが追い山にはちょうど良いくらいではなかったかと。

容堂という人は、大酒飲みだったのは事実だそうですが、龍馬伝の描かれ方は単なる癖が悪い酔っぱらいですよね(笑)。
あれでは少し可愛そうかな・・・と。
Commented by 細田 at 2016-08-03 21:04 x
すいませんが、色々とお聞きしたいことがあるのですが、

>武市一派の台頭自体、容堂の謹慎中に彼に何の断りもなく為されたものであり

半平太ではありませんよね。具体的にどの時期の誰のことでしょうか?

>守旧派も、別に下士に理解があって結んでいたわけではないのであり、

彼らの関係を示す面白い記述や出来事というか、具体的な記述はありますか。下士の方は守旧派を盲信していたように見えますよね。

>ああも辛抱強く対処したのも不可解である。
具体的にどの時期、どの事柄の辛抱かなど、この辺についてもう少し詳しくお聞かせ願えませんでしょうか?
知らない点は知らないでも良いのですが。
Commented by heitaroh at 2016-08-05 10:36
>細田さん

すみません。なにせ、6年も前のことなのですっかり忘れてます。
おそらく、詳細な記録があって書いたわけではないと思いますが。
この件は、上の、sakanoueno-kumoさんのほうを覗いてみてください。
そちらのほうが詳しいと思います。
<< 山笠、山解き、追い山・・・、そ... 寸暇を惜しんでも「酒は飲め飲め... >>


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
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プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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