親愛なるアッティクスへ
先週まで、岩崎夏海著、「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」という本を読んでました。
結構、売れてるそうですので、ご存じだと思いますが、まあ、文章自体は、私と五十歩百歩というところで、決して、こなれたものではなかったのですが、なかなかに楽しんで読め、かつ、考えさせられましたよ。
実は私は、
ドラッカーというのはそれなりに早い時期から親しんだ名前だったのですが、と言いますのも、私が若い頃に愛読した元帝国陸軍参謀で兵法評論家の
大橋武夫氏の著作に、たびたび、その名前が出てきたからで、ところが、人は「とても読みやすい」・・・などと言いますが、訳が悪いのか、私的にはちと
難解ホークス(古い!)で、敬って遠ざける・・・、早い話が
敬遠しておりました。
事実、同著においても、引用部分はかなり直訳気味の嫌いがあり・・・。
まあ、そういうこともあって、恥ずかしながら、まだ、面と向かって、ドラッカーは読んだことがなかったんですよ。
(実は、以前、ドラッカーの本は読んだことがあったのですが、内容はドラッカーのまったくの
自伝でして、彼の理論には殆ど、触れられず終いでした。その意味では、これはこれで、入門書としては良かったと思います。)
で、この本を読んで、私なりに思ったことがありましたので、備忘録的な意味も兼ねて、少し列記させて頂きます。
まず、この本を読み始めてすぐ、冒頭部分で感心したことがあります。
それは、主人公の
女子高生が
野球部の
マネージャーになって最初に何をしたか・・・ということですが、何と、この女子高生、まず、手始めに
「マネージャー」の意味を調べたんですね。
これには私は率直に驚きました。
普通、日本の高校野球でマネージャーなんて言えば、
「雑用係」という認識で疑いませんよ。
それを、まず、
「定義を調べてみる」などと考えるところが斬新で、ハッとさせられました。
実際、「課長」に昇進したときに「課長」の定義を辞書で調べた人がいるでしょうか?
で、この少女は
広辞苑を引いて、「マネージャーとは支配人・経営者・管理人・監督」、一方、「マネージメントとは、管理・処理・経営」であることを知る・・・と。
作者的には、この少女の勘違いを利用して、突き進むことを主軸に描いていくわけですが、私は決して、勘違いなどとは思いません。
つまり、こちらが、本来のマネージャーの姿であり、
「マネージャー=雑用」と思い込む必要はないのではないか・・・と。
明日に続く。
平太独白