我が家はガキの1匹が左利きなのですが、左利きというのは昔は、むりやり右利きに矯正(?)されましたよね。
(左利きというと、どうしても往年のヒット曲、麻丘めぐみさんの「わたしの彼は左きき」に触れずにはいられません(笑)。もう、あまりにも「とーーーーい昔」すぎて知ってる人も少ないのでしょうけどね。)
で、今は、左のままでも良いということのようらしく、それで、そのまま左利きになったのですが、でも、左利きの人はそんなこんなで生活の多くが右利き対応が前提となっているからか、結構、右左混同の人が多いですよね。
私の友人でも、「鉛筆は右で箸は左、ボーリングは右投げで野球は左投げ右打ち・・・」というのがいました(笑)。
で、昔はむりやり、右利きにしたというのは、個性軽視の全体主義の発想・・・という批判もわからないではないのですが、うちのガキを見ていて「やはり、仕方ないことだったのかな・・・」という感も強くします。
まず、飯を食うときは私の右に座ると、肘と肘が当たるんで、席順を考えないといけない・・・。
それから、回転寿司も右利きの人は去っていくのを追いかける形ですが、左利きの人は向かってくるのにぶち当たる形になるんですよ。
ズボンのファスナーも右手で触るのが前提ですし、パソコンのキーボードもテンキーが右にあることを考えると、やはり、右利き対応なんでしょう。
その上で、見ていて一番思ったのが、「文字」です。
漢字なんてのは、「はらい」とか、「はね」とか、明らかに右利き前提なんですよ。
その意味では、英語やフランス語などのアルファベッドも然り。
続き字では、左から右へと書いていきますよね。
あれなども、右利きの人はまだ何も書いていない白紙のところを手が滑っていきますが、左利きの人は文字を書いた上を滑っていくことになるわけで、手や手紙が汚れる可能性は高いでしょうし、左から右に流れるのは右利きの人が有利な動きだと思います。
(槍を連続で突き出す動きというのは、自分からして左から右へと逃げる相手には対応しやすいが、右から左へと逃げる相手には対応しにくいそうで、続き字もこれと同じ原理なのでしょう。)
そう考えれば、「右利き」というのは、日本だけのことではなく、中国でも西洋でも古くからそういう発想があったと言うことであり、これは人類史上最古の世界標準だと言えなくないでしょうか。
ということで、先日、無事、海外から帰ってきましたの基調報告でした。
海外・・・、はい、下関です(笑)。
平太独白