万里の長城に佇む大統領にヒートテックは寒いの理 中編
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

その、オバマ大統領くん(?)ですが、元々、閣僚経験があるわけでなし、経験不足・準備不足で大統領になったという面は否めなかったものの、多くの人がそうであると思いますが、私も彼は平太郎独白録: オバマ氏の大統領就任はアメリカ復活の最後の希望と危機でも申し上げたように、ブッシュのデタラメな政策を軌道修正するという意味で、もう少し、「やる」と思ってましたよ。
それが、大統領になって以来、この1年、何をやっていたのか・・・と言いたいくらいに影が薄く、目立った実績がないことから、批判離反に晒されているようで・・・。
(←彼の登場には全世界が旭日昇天を見る想いで期待していたんですけどね・・・。)

この点で、思い起こすのが、韓国の盧武鉉前大統領・・・です。
それまでの、何かしら旧時代のしがらみを引きずっていた政権とは違い、しがらみとは無縁の新しい時代のリーダーとして韓国国民の期待を一身に背負って登場しながらも、生真面目ゆえか、国民世論というものの行方を気にしすぎ、右にも左にも振り子が振れなくなって、支持率が低迷・・・。
結果、「俺が一体、何をした!」というほどに不人気だけが先行して、挙げ句が退任後の悲惨な最期に繋がった・・・という。

それはオバマくんにとっても決して他人事ではなく、今のままの右からも左からも支持されないという状態が続くことは、彼自身の生命にも影響してくると思います。
支持を失った大統領など排除する意味はない・・・とお考えに成られるかもしれませんが、反面、殺す側からすれば、支持を失ったところで殺した方が容易だということもまた事実なんですよ。
それなりに支持されていた大統領を殺すから、未だに「J・F・K」なんて映画ができるわけで・・・。

以前、テレビのインタビューで元アメリカ議会予算局局長 ダグラス・ホルツエーキンという人が、「大事なのは、約束したことがうまく行かなかったら規模を縮小すればよい」と言っていたのを聞いて感心したことがあります。
この方、見た目はあまり、風采が上がる人ではなかったのですが、さすがに、これまで、アメリカ国家予算の実務を司っていた方のそれだけあって、思わず、「凄いことを言うなぁ」と感じ入りましたね。
「外国人投資家たちがアメリカ予算に恐れを成すことがないように」と続けた後、再び、「一旦、規模を縮小し、再びそこから進めば良い」・・・と繰り返して言っておられましたが、つまりは、公約に囚われるな・・・ということでしょうか。
「公約違反だ!」と言われたら、「いや、やっているよ。ただ、予定していたより今は規模が小さいだけで」・・・と言えと。
同じ事は、日本の民主党にも言えるんじゃないでしょうか・・・。

と、ここらでちょうど時間となりました~ということで、また、次回に続く・・・ということでよろしくご理解ください。

                                         平太独白
# by heitaroh | 2009-11-20 08:46 | 国際問題 | Trackback | Comments(0)

万里の長城に佇む大統領にヒートテックは寒いの理 前編
親愛なるアッティクスへ

ここ数日、めっきり寒くなってきましたね。
(←シベリアです(笑)。)

で、私、昨年、周囲から「ユニクロヒートテック暖かい」と聞かされていましたので、それならば今年は買ってみようかな・・・と思っていたところ、家人から、「アナタ以外の分はすでに全員買ったよ」と平然とした顔で告げられました・・・。
で、先日、たまたま、通りかかったら改装成った博多デイトス(博多駅の中にある名店街みたいなものです。)にユニクロが入っているのを見つけ、「どうせ、俺は生まれたときから独りだぁーー」という思いを噛み殺しながら、シャツと靴下を自分の分だけ買いました。

で、ユニクロがCMでやってるじゃないですか。
「東京3℃」「ニューヨーク0℃」なんつって、モデルさんが薄着で歩いてるやつ・・・。
さぞかし暖かいんだろうな・・・と思って、いつもより薄着で外出したところ・・・、寒い寒い!
見事に風邪をひいたようで、本日、鼻水をすすりながら活動しております。

などという、くだらない話はさておき、今朝の新聞を見たら、昨日、アメリカオバマ大統領中国を訪問し、万里の長城に行って、寒い中、一人で城楼まで歩き、しばし、冬景色の山々に見入った・・・ということが書いてありました。
曰く、「神秘的だ。悠久の中国の歴史を思い起こさせてくれる」と・・・。

思えば、ナポレオンエジプト遠征の折、戦闘前に兵士に向かい演説し、「兵士諸君!四千年の悠久の歳月がピラミッドの頂上から諸君の戦いぶりを見つめているぞ!」と言ったといいますよね。
同様のことを、私が師と仰ぐ、元帝国陸軍参謀で兵法評論家の大橋武夫氏は「大東亜戦争において、万里の長城付近で戦った我々もそんな心境だった」とその著書の中で語っておられました。
壮大な歴史遺産というものが、人に何かを感じさせるとしたならば、昨今、子供にまで、「どうして、あなたは皆から嫌われるようになったの?」となどと言われるほどに、あまり芳しい評判が聞かれなくなった私と同級のアメリカ大統領は一人きりで、しばし、万里の長城の寒風の中に佇み、一体、何を考えたのか・・・。
意外に、「何だ、ヒートテックは寒いじゃないか」・・・とか(笑)。
「もっと、厚いやつにチェンジ」・・・とか言ったりして(笑)。

まあ、冗談はさておき、私が見る限り、彼は今、惑いの中にいるように思います。
同年の誼で、オバマくんのために言わせていただくと、「まず、軸となる自分の考えを持ったならば、後はもう、あまり、人の言うことを聞くな」・・・とアドバイスしたいですね。
この政策を実行することによって、この方面の人々の支持を失う・・・ということは、反面、実行することにより支持してくれる人もいる・・・というでもあるんですよね。
それが、今はどちらにも思い切って重心を傾けない状態が続いているから、結局、どちら側の人も不満を持ってしまう・・・という一番、最悪の結果になっているように思います。

明日に続く・・・と思います。
                                         平太独白
# by heitaroh | 2009-11-19 08:13 | 国際問題 | Trackback | Comments(2)

「農業をおろそかにする国は滅びる」にみる日欧の視線差
親愛なるアッティクスへ

少し前の話になるのですが、今年8月頃の新聞のコラムに実に興味深い一文が載っておりました。
それは、『欧州には「農業をおろそかにする国は滅びる」という考え方が根付いている』・・・というものです。
詳しい内容は忘れましたが、各国と日本との人口に対する農業生産高格差を呈示した後、「経済大国になるために、工業化を推進し、農業を切り捨ててきた日本」について触れ、続けて、「現在の世界的な経済危機食料危機を契機に、日本は農業を根本的に立て直すことに踏み切るべきだ・・・」というような内容でした。

この点で、私には常々、思うことがあるんです。
以前、テレビで、フランスで何代にも渡って昔ながらのやり方で「塩」を作っている親子・・・というのが映し出されてましたが、なんか、見ていて格好いいんですよね。
でも、フランスの製塩農家も、よく見ると、格好はジーパン(=向こうの作業着)泥だらけだし、やってることは日本の農家と大して変わりないような気がするんですよ。
まあこれは、製塩と農業と、少し、論点が違うのかもしれませんが、偏に、第一次産業・・・、特に、農業というものへの人々の視線の温度差・・・なのではないかと。
すなわち、欧州の農業には、「尊敬されている」・・・とまでは言わないまでも、もう少し、暖かい視線があるように感じられるんですよ。
その証拠に、一見、工業国に思えるドイツでも食糧自給率はしっかり84%ある・・・と。

それを端的に表すものが、先日、別のテレビ番組で見かけた、スペインフランスの間にまたがるピレネー山脈に政府が生態系を取り戻すために、絶滅したを放した・・・というものでした。
日本では、なかなか考えられない話で、言うならば、全滅したを、まるでトキのように中国から取り寄せて、再び、山に放すようなものですよね。
いくら、鳩山総理が「環境」を唱えても、そんなことしたら、林業農業の従事者から猛烈な抗議活動が起き、それに便乗したマスコミや野党は騒ぎ、次の選挙に影響を来すことになるわけで、到底、あり得ないでしょう。

しかし、ピレネーの羊飼いは、そのことを聞かれると、現実に、飼っている羊が熊に襲われる被害が出ているのに、「いやあ、羊がもう8匹も襲われて大迷惑さ」などと笑って答え、「しょうがねーよなー」って感じで、そこには、いささかの悲壮感も、政府を責める怒りの表情も見て取れませんでした。
つまり、彼らは政府が熊を放したことを受け入れているようにしか見えなかったわけで、それは、あるいは、戦前の日本の農民と同じように、「御上には逆らえねえ」という諦め感から来ているのかもしれませんが、やはり、そこには農民の側の「理解」というものがあるように思えるんです。
そう考えたとき、これはやはり、政府・国民の側からも、常日頃、農業という物への「理解」があるということであり、すなわち、両者に信頼関係があるように思える・・・と。
すなわち、農業に対する視線の温度差、それ自体が日本とは少し違うのではないかと・・・。

〈参考〉:平太郎独白録: 食糧自給率低下にみる農業立国というものの是非 その1
     :平太郎独白録: 食糧自給率低下にみる農業立国というものの是非 その2
                                         平太独白
# by heitaroh | 2009-11-18 18:30 | 社会全般 | Trackback | Comments(0)

今更ながらの追悼!V9巨人の名二塁手・土井正三氏
親愛なるアッティクスへ

先頃、V9巨人の名二塁手・土井正三氏がお亡くなりになりましたよね。
今頃・・・って感もあるのですが、土井さんと言えば、王 貞治さんや長嶋茂雄さんと共に内野の一角を占めていた方で、私は特にバントの上手さと、二塁守備でのインサイドワークの巧みさが印象に残っており、私自身も子供の頃、随分と参考にしたものです。
ただ、その土井さんも、今では現役時代の輝かしい球歴よりも、オリックスの監督として、あの、イチローを潰そうとした監督・・・というイメージが強いのではないでしょうか。

土井さんも、実際は、イチローを大事に育てようとした・・・ということも言われているようですが、一方で、あの、野村克也氏もキャンプで入団間もないイチローを見て、「良い選手が入ったねぇ」と言っていたら、一向に出て来ないので疑問に思い尋ねたところ、「土井が嫌って、使いませんねん」と言われた・・・という話もあるようで、真偽のほどはわかりませんが、ただ、そうでなかったとしても、それだけで、土井=無能と決めつけるのは少し酷すぎるような気がするんです。
この点は、以前も触れたように、努力の積み重ねによって今日を築いてきた指導者というものには、往々にして、一握りの天才は理解できないということがあるからです。
イチロー選手同様、入団間もない頃の落合博満選手なども、当時の監督で、現役時代、打撃の職人といわれ、幾人もの好打者を育てた名指導者・山内和弘氏から、あの、特異な打ち方を直すように言われ、「仰ることはわかりましたが、もう、結構です」と答えたところ、すぐに二軍に落とされ、そのまま、使ってもらえなかった・・・という話があります。

その土井さんですが、V9巨人の名選手・・・だけに、それを鼻にかけた指導をしていたような報道もされてましたが、この点では、私にはひとつ、思い起こす話があります。
土井さんが巨人に入団したとき、打撃練習で打球が外野へ飛ばなかったそうで、野球エリート集団の中にあっては奇異な観免れ得ず、そのうち、当時、王、長嶋の後の5番を打っていた国松 彰選手が無遠慮にゲージの中の土井氏に話しかけてきたそうです。
「土井君、一体、誰があんたを入団させたの?球団も契約金払ったんだろうに・・・」と。
土井氏が複雑な顔をしていると、そこへ、当時、巨人の名参謀といわれた牧野 茂ヘッドコーチが通りかかったそうで、国松選手は今度は牧野氏に向かい、「ねえねえ牧野さん。あなたですか?この土井君を引っ張ったのは?」と語りかけたのだとか。
すると、牧野コーチは途端に、「冗談じゃない!俺がこんなの入れるわけがないだろう。監督じゃないの?」と吐き捨てたとか。
入団間もない、内心、心細いはずで、時期ですから、私にも、似たような経験がありますが、もう、黙って下を向くしかないんですよね。
土井氏の心中や察して余りあるでしょうか。

結果的に、数日後行われた紅白戦で、レギュラーの選手が怪我をしたことで、やむなく試合に出場した土井選手は、詰まった当たりながらも5打数3安打4打点を叩き出したことで、これにより、当時の川上哲治監督の目にとまり、その後の飛躍に繋がった・・・わけですが、私には、少なくとも、こういう経歴を持った人がエリートを鼻にかけるようには思えないんですけどね・・・。
                                         平太独白
# by heitaroh | 2009-11-17 08:56 | スポーツ | Trackback | Comments(2)

血も涙もない狸オヤジ徳川家康の真実
親愛なるアッティクスへ

豊臣秀吉の死後、徳川家康はその狡猾な本性を顕わにし、そのまま秀吉の遺児・秀頼の生命もろとも豊臣家を紅蓮の炎の中に包み込んでしまうべく、一直線に突き進んだ・・・と言われていますよね。
確かに、秀吉の死後、家康に豊臣家の天下を簒奪しようという意図はあったでしょうが、そのまま一直線に豊臣家滅亡にまで突っ走ったというのは少し早計に過ぎると思うんです。
人間世界の現実とは、少なからず、過失錯誤勘違いが絡まってくるもので、そうそう、後の世の人たちが見るほどに真一文字に進んでいくこともないわけで・・・。

まず、私が指摘したいのが、秀吉の死の2年後に起こった天下分け目の関ヶ原合戦から豊臣家滅亡の大坂夏の陣まで、15年もかかっている・・・という事実です。
これを「15年もかけた」と見るべきか、「15年もかかった」と見るかは判断の分かれるところでしょうが、注目すべきは関ヶ原合戦のとき、家康は満の57歳だったということ。
当時は、「人間五十年」と言われた時代で、実際には明治中期の日本人男性の平均寿命42.8歳だったことを考えれば、おそらく、実際はもっと短かったと思われ・・・。
つまり、家康がまだ30代だったなら、慎重に慎重に、15年の歳月をかけ、真綿で首を絞めるように滅ぼす・・・という選択も出来たでしょうが、当時としては高齢の57歳であれば、結果を急いだのではないか・・・と。
事実、家康は、この間にたびたび倒れて、意識不明になっているといいますし、「自らの暗殺計画を口実に政権簒奪工作を推し進めた」と言われていることに対しても、政敵・石田三成からすれば、一番、早くて確実な政権維持策は家康暗殺であることを考えれば、それは、「口実」などではなく、暗殺計画は実際に存在したと考える方が妥当でしょう。
つまり、病死、事故死、暗殺と、家康がこの後15年以上生きる・・・という確信があったようには思えないということです。

まあ、その辺は家康は人一倍、健康管理には気を遣っていたと言いますし、老いの執念というものの凄まじさだったのかもしれません。
ただ、それでも、私には15年もかけなければならない理由がわかりません。
なぜなら、それには好事例が有るからです。
それは他ならぬ、秀吉が、主君・織田信長の死後、家康を臣従させ、事実上の織田家からの政権簒奪に成功するまで、わずか4年しかかかっていないという事実です。
しかも、秀吉は少なくとも、自らの手では信長の子孫を誰一人殺していないし、子孫の誰からも叛乱も暗殺もなされず、さらに、信長の嫡孫・秀信は関ヶ原では西軍に付き、徳川方と戦ってさえいます。

これらを勘案すれば、家康には少なくとも当初から豊臣家を滅ぼす意図はなく、孫娘を秀頼に嫁がせるなど共存も模索したが、曲折あって、結果的に滅亡に至ってしまった・・・と。
(事実、家康は秀頼救出失敗の報に接し、して、これを悔いたともいう話もあります。)
家康は、豊臣家滅亡から1年もしない翌元和2年(1616年)に73歳で死去していますが、これを、大願成就したがゆえの安堵感からと見るべきか、それとも、本意と違う形になってしまったがゆえの失意からの死と見るべきかも各人の判断の分かれるところでしょう。
                                         平太独白
# by heitaroh | 2009-11-16 00:11 | 歴史 | Trackback | Comments(4)

森繁久弥逝去に見る名優の定義と国は違っても・・・の理
親愛なるアッティクスへ

昨日、森繁久弥御大がついに、大往生なさいましたね。
大正2年生まれの96歳だったとか・・・、改めて、合掌
ということで、本日は本当は別の話題を起稿するつもりだったのですが、急きょ、予定変更で書いてます。
(←本日の福岡県地方は結構な。少し場違いな画像ですが、以前、何かで森繁さんが、「を見て、『あぁ美しいなぁ』・・・ということを思える人生を送らないといけないんだよ、きみぃ」と言っておられたと耳にしましたので。)

私は、この人は、三船敏郎さんなどと同様、「名優」と呼ぶに本当に相応しい人だった・・・と思っております。

それは、この人が千差万別多種多様、市井の人から英雄偉人まで、コミカルな役から重々しい役まで幅広く演じきったからです。
その意味で、やはり、役者とはこうあるべきだと・・・。
以前、テレビで「日本人が選ぶ名優ナンバーワン」などというのをやっており、三船敏郎、勝 新太郎、高倉 健、森繁久弥・・・という人たちの中から誰かを選ぶ・・・というものでしたが、選ばれたのは高倉 健さん・・・でした。
これは高校生なども投票に参加したから・・・だそうですが、高倉さんは、私は同郷ながら、正直言って、あまり評価しておりません。
それは、彼が自分に合う役・・・、できる役しかやってこなかったからです。
イメージを大切にした・・・ともいう言い方もできるのでしょうが、やはり、役者は「この役」と言われたら、どんな役でも、それを見事にこなしてこそ、役者なんじゃないかというのが私の役者観なわけです。
(三船さんでも、黒澤 明監督作品だけでも、「七人の侍」菊千代道化を演じ、「隠し砦の三悪人」では重厚な武人を・・・、はたまた、「酔いどれ天使」では抜き身の刀のようなやくざ者、そして、「野良犬」では実直を絵に描いたような責任感の強い刑事・・・と、これでもかというくらい、まるで違うキャラクターを見事に演じきっていましたよね。)

また、この方は、博多の中洲でも色々、勇名を馳せた人のようで、私も先達から何度かその手の話を聞かされましたが、その一方で、私には、この人が言っていた話の中で大変、印象に残る話があります。
戦時中、NHKアナウンサーとして満州に渡っていた時代、先に満州に渡っていた孫に呼ばれて、一人の老人が渡満してきたとか。
で、森繁さん一行がたまたま、孫が居るという所まで案内することになったが、途中で日が暮れたので、どこか旅館へ泊まろうとしたところ、その老人は「私は百姓だから百姓の家が良い」と言い張って聞かない・・・。
やむなく、一軒の農家へ泊めてくれるべく交渉し、その家に泊めてもらえることになり、老人を連れて家に入ったところ、老人は突然、土間に額をこすりつけて、「孫がお国に大変お世話になっております!」と声を張り上げて言ったとか。
その家の主は、近所でも有名な偏屈な老人だったそうですが、どういうわけか、とても快くもてなしてくれた・・・と、目に涙を浮かべながら語っておられました。
別に、森繁さん自身はその場に居ただけなのに。
この辺はその後の経験なども含めた、本人しかわからないことなのかもしれませんが、それでも先ほどの月の話然りのような一面を持っておられたということなのだろうと思います。
                                         平太独白
# by heitaroh | 2009-11-11 20:21 | 文学芸術 | Trackback | Comments(6)

男の子は男の子だが女の子は女の理に男世界の崩壊を嘆く
親愛なるアッティクスへ

←先日、たまたま、道を歩いていて見つけました。

「女心融資」・・・だそうです。

私は、こちらの方は、物心付いたときから慢性的欠乏しているようですので、是非、融資を御願いしたいです(笑)。
・・・などと、あまり言っていると、ご婦人方の視線が一層、冷ややかになりそうですので、一応、説明しておきますと、言うまでもなく一番上のうかんむりが雨風で潰れちゃってるだけで、正確には「安心融資」ですね。
でも、思わず、何とか珍百景というやつに、出そうかと思いましたよ・・・。
ちなみに、横には、「女性のひも大歓迎」と書いてあります(笑)。

で、本日のお題です。
先日、テレビのバラエティ番組で、郷土の先輩・タモリさんが「女の人と違って、男は元々は何も無いんだ。教育で、段々と男になっていくんだ」という内容のことを言っておられました。
なるほど、確かに、うちの子供たちを見ていても思い当たることがあります。
私も以前、友人に言ったことがあるのですが、「男の子男の子だけど、女の子なんだ」・・・と。

その上で、最近、良く、草食性男子という事が言われますよね。
これは、以前、畜産学の権威の先生に聞いたのですが、「生物の世界でも、外敵の脅威が無くなると、段々とが同化してくる」のだそうです。
その意味では、今の日本は間違いなく平和なんでしょう。
ただ、生物は本来、「平和」を前提に体が作られていない・・・ということを考えると、いささか、複雑なものを感じます。
(戦前の日本を顧みれば、その差は理不尽なまでに際だっていたわけで・・・。)
そう考えれば、男の子は昔から、多かれ少なかれ、男だけの独自の「大人になるための」システムという物が存在してきましたよね。
若衆宿然り、青年団、消防団然り、博多祗園山笠などの祭り然りでしょう。
あるいは、徴兵などというものも乱暴な言い方をすればその範疇に入るのかもしれません。
一定年齢に達すると、本人の意思に関わりなく、むりやりでもそこに入れられ、良いことも嫌なことも含めて、「男」になっていく・・・と。
それが今、見事に崩壊してますよね。
(男の習性の一番の好例が、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の祝勝会で、田中将大投手が胴上げされると見せかけて、皆から足で踏んづけられていた光景です(笑)。さすがの、まーくんもダルビッシュさんや松坂大輔さんたちには何も言えないでしょう。変な話ですが、私的には、もの凄く感動的なシーンでした。)
だから、引きこもりなどという現象が起きてしまうのではないか・・・と。
(勉強不足で申し訳ないのですが、あんまり、女性の引きこもりというのは聞かないもので・・・。)

ただ、そうは言っても、では、女性は子供の時から成熟した思考法を持っているか・・・と言えば、当然、そんなことはないわけで、それはやはり、男女の別ということではなく、教育とか、経験などによって、段々と「人」になっていくもだのと思います。
                                         平太独白
# by heitaroh | 2009-11-10 19:03 | 教育 | Trackback | Comments(6)

ハブ空港問題に見る「売る」ことにしか価値を見出さない日本
親愛なるアッティクスへ

先日、平太郎独白録: 今さら虚しい気がする羽田・成田のハブ空港論議の中で、韓国仁川(インチョン)空港に行った際、フライト・ボードを見上げながら、「日本はハブ空港(国際拠点空港)はいっそ、放棄し仁川に一本化した方が良いのかもしれないと思った」・・・ということを申し上げましたよね。
これには、とかく、否定的な意見が多かったのですが、ここで私が思い起こすのは、以前、平太郎独白録: 19世紀型力の論理を普遍の法則と信じる事の危険 その2で触れた、「残念ながら、日本にダメという国はあっても中国にダメという国はないのが世界の現実です」・・・という識者のコメントです。
曰く、「中国にダメを言うと、この後、中国市場でのプロジェクトに支障が出る」・・・と。
つまり、そう考えたならば、「中国『買う』から強い」・・・と言え、対して、日本人は『売る』ということのみにしか価値を見出そうとはしていない・・・と。

この点は、アメリカなども然りでしょうが、これは何も国家間の力学の問題に限ったことではなく、私の身の回りでも思い当たることです。
(私は日々の経済活動に際して、いつも言う言葉に、「銭をもらう人と銭を払う人は決して対等ではない」というのがあります。こういうと、これまた、「俺は、対価に見合うだけのサービスを提供している!」と胸を張って言われる方もいらっしゃるでしょうが、その論理が成立するには、まず、そのサービスが余人に代え難いものである必要があるでしょう。もっとも、その場合は、逆に、銭をもらう人の方が強くなるのでしょうが。)

そういうと、「米中の発言力が強いのは強大な軍事力を持っているからだ」・・・と言われる方もいらっしゃるでしょう。
それはそれで、私も否定はしませんが、ただ、米中はかつてのソ連のようにすべての局面に置いて、軍事力を前面に打ち出しているわけではありませんよね。
もっとも、中国の場合、アメリカの視線を気にして、露骨に軍事力を前面に出すことを控えている・・・という側面はあるのでしょうが、それ以前に『軍事力を背景にした圧力」というものが有効なのは、近いか、もしくは、規模に圧倒的な差がある・・・という場合でしょう。
実際、中国も、EUに対して、軍事力を前面に出しているようには思えませんし。

話を元に戻しますと、私が知る限り、もっとも早い段階でハブ空港の重要性を訴えていたのは評論家の竹村健一氏で、昭和60年頃のことではなかったかと思うのですが、当時ならともかく、四半世紀が経過した今、ご丁寧にも、静岡空港を初め、日本中にこれでもかというくらい地方空港を作ってあげた状況では、もう、事情が違うと思うんですよ。
であれば、仁川が日本からの搭乗客を一手に引き受けるということは、韓国は日本に莫大な収益依存するということになるわけで、色々と、問題を抱えた日韓関係円滑ならしめるという意味でも、十分、元が取れるのではないでしょうか。
破綻の危機に瀕しているJALの問題もあるかと思いますが、そもそも、JALは今まで、大して需要がないようなところにも地域の足としての利便性を担わされていたことを思えば、国民全体が食い物にしてきたとも言えるわけで(実際は政治家でしょうが。)、もう、それに耐えられない以上、国民全体で痛みを共有するべきだと思います。
                                         平太独白
# by heitaroh | 2009-11-06 18:01 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(0)

批判は良いけど非難が困る半回り単位の年齢差意識論
親愛なるアッティクスへ

以前から度々、申し上げておりましたことですが、私は昔から、「6」という年齢差、つまり、「半回り」を意識しておりまして、有名人でも、私の6歳上が島田紳助、明石家さんま、江川 卓掛布雅之、千代の富士、桑田佳祐・・・等々で、そのまた6歳上、つまり、一回り上になるのが村田兆治、矢沢永吉に、故松田優作という人たちでして・・・。
(逆に半回り下が大鶴義丹、織田裕二、桑田真澄、清原和博、一回り下が安住紳一郎、イチロー、松中信彦・・・etc。)
つまり、これは、有名人に限らず、身近な人たちでもそうなのですが、半回り上までは、「年長の兄貴」として足元を照らす灯りがぎりぎり届く存在なのですが、一回り上になると、ちと、上すぎて、灯りは見えるものの足元を照らすには少し遠い・・・、現実感が希薄な世代になるんですよ。

具体的に言えば、矢沢永吉さんや松田優作さんは私が学生時代にはカリスマ的な人気を博していた人たちですが、でも、それはやはり偶像としてのそれであって、現実感としては、少し遠い背中であり、現に、矢沢さんが今、「俺、今年、60歳になるんだよ」と言われてますが、それを聞いて、おそらく12年後に「ああ、あのとき、矢沢さんが言ってたよな」と思うことであって、今の私には実感としてはわからないんですよ。
それが半回り上の人たちが言うことだったら、ぼちぼち、「実感」としてわかるところに入ってきているわけで、従って、半回り上の人たち・・・、特に司会者として、そういうことを発信する機会が多い島田紳助さんの発言には結構、実感できる部分があるわけです。

で、昨日、たまたま、テレビを見ていたら、その、紳助さんが「最近、精神安定剤が無いと眠れないんですわ。俺、人にはぼろくそ言うけど、自分が言われるのはホンマは苦手なんですわぁ」などと言って、笑いを誘っておられたのを見て、思わず、「え?!あの、紳助さんでもそうなんだ・・・」と少し驚きました。
思えば、マンガの神様・手塚治虫翁も、「手塚の作品はくだらなさすぎる!」「荒唐無稽だ!」と言って教育評論家のような人から激しい非難を受けたと言いますし、「世界のクロサワ」として知られる巨匠・黒澤 明監督も、「椿三十郎」などの娯楽時代劇を作った際には「低俗!」「ばかげている!」と映画批評家のような人から激しく批判されたと聞いてましたので、まあ、あり得ない世界だ・・・とは思いませんでしたが、手塚さんや黒澤さんのように自分の父親よりも年長の人たちが言うのと違い、「半回り上」の紳助さんの口から聞くと、もの凄く、近いところの人が言ったような気がして、「皆、多かれ少なかれ、そういうことを経てきているんだな」・・・と。
ただただ、我が身の不明が恥ずかしい限り・・・です。

もっとも、誤解のないように申し上げておきますと、私は決して「ご機嫌取り以外お断り」と言っているわけではありません。
「批判」は良いんですが、「非難」が困るんですよ。
「ここは違うのでは?」ということに対しては、正誤のほどはともかくとしても、自分なりの考えは言えるのですが、ただ、感情的になるばかりで聞く耳を持たない人に対しては対処のしようがありませんから・・・。
                                         平太独白
# by heitaroh | 2009-11-04 18:20 | 思想哲学 | Trackback | Comments(0)

「振り向けば 遠くへ来たり 四十雀」を想う郷愁のおきゅうと
親愛なるアッティクスへ

本日は、本当はちと忙しくしており、起稿するつもりはなかったのですが、寸暇を惜しんで、小難しいメールの返事を書いていると、どこからか聞き覚えがある懐かしい声が・・・。

「おきゅうと~に~
            豆腐!

・・・と。
思わず、耳を疑ったのですが、やはり、「おきゅうとだ・・・」と思い、慌てて表へ出て・・・、買ってしまいました。

(←これが、その、「おきゅうと」です。パック詰めされてますので、ちと、わかりにくいのですが、まあ、見た目ところてんのような感じです。)

ちなみに、「おきうと」と書いてありますが、誰が何と言おうと私的には「おきゅうと」です(笑)。
ついでに、パッケージにある「ごりょんさん」というのは、博多弁で、「おかみさん」とでもいう意味で、場所によっては酢醤油をかけるところも有るみたいですが、我が家では敢えて武骨に、削り節醤油のみをかけて食します。

で、この「おきゅうと」・・・ですが、拙稿でも、たびたび、採り上げておりますように、私が子供の頃は、博多では、いつも、早朝に「おきゅうと~に~アサリ~、おきゅうと~に~豆腐~」という独特の調子で、おばさんがリヤカー引いて売りに来てました。
声を聞くと、長屋のあちこちから、奥さん連中がぱらぱらと出てきて、それが各家庭の朝の食卓に並ぶ・・・と。
当時は、我が、下人参町に限らず、おそらく、博多じゅうで繰り広げられていた光景ではなかったでしょうか。
それが、時代が進んで、「福岡市下人参町」から「福岡市博多区博多駅前」に呼び名が変わる頃から、段々とそういう光景を見かけなくなり・・・、今や、遠い歴史上のことになってしまいました。
私としては何とも寂しい限りですが、考えてみれば、そういう光景が日常見られたのは、ほぼ、40年前くらいまでで、そう考えれば、我ながら、何とも遠いところへきたもんだなー・・・と。

で、思わず、一句・・・。

   「振り向けば 遠くへ来たり 四十雀」
                              梁庵平太

今でも、我が家では、私の誕生日には食卓に「おきゅうと」が乗ります。
数少ない、私が一家の主であることを確認できる行事です(笑)。
本当は、今夜はこれをおかずにしみじみと・・・と行きたいところなのですが、本日は、宮城県から友人が来るので、今から迎撃出撃(`´;)ゞせねばなりません(涙)。
                                         平太独白
# by heitaroh | 2009-10-30 17:46 | 地域 | Trackback | Comments(2)

「THIS IS IT」にみるマイケルは日本語で呼ぶのが相応しい
親愛なるアッティクスへ

今年の夏、ロンドンで開催されるはずだったマイケル・ジャクソンの最後のコンサートのリハーサル風景を映像化した「THIS IS IT」が封切られたそうですね。
私は、彼とは同世代人ではあったのでしょうが、正直言って、なぜ、彼が未だに、こんなに騒がれるのかは少し理解できません。
一時代を築いた・・・、一世を風靡した・・・と言っても、私が若い頃のことであり、昭和時代のことですからね・・・。

私の周りを見ても、ずっと、マイケルのファンで有り続けた・・・という人は皆無ですし、どちらかというと、「過去の人」・・・みたいな感じでした。
まあ、WHAM!シーナ・イーストンなどと一緒にするわけにはいかないでしょうが、私の認識では・・・(苦笑)。
(そういえば、マイケルのライバルみたいに言われていたプリンスというのも居ましたね。私は、さすがにプリンスよりはマイケルの方が好きでしたよ。すっかり、忘れてましたけど(笑)。)

でも、今朝、その映画の上映にあわせて世界中、本当に色々なところでイベントやってるのをテレビで見ましたが、これには、少し、違和感を感じましたね。
台湾はともかく、中国旧東側諸国なんて、当時はマイケル・ジャクソンなんて知りもしなかっんじゃないんですか?
まあ、それはさておき、それらの映像を見てると、マイケルは本当に「神」になったんだなぁ・・・という気がしました。


で、それらを見ているうちに、「神」になったマイケルは、ある意味、日本語で呼ぶのが一番相応しい・・・という気になりました。

曰く、

   舞蹴る若尊


それほど若くもなかった・・・かな?(笑)。
                                         平太独白
# by heitaroh | 2009-10-29 08:54 | 時事問題 | Trackback | Comments(2)

野村監督退任にみる日本野球史相関性 後編
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

大選手として、また、名監督として、長く球界の中枢にいた野村克也氏は、それだけに、球史の多くに何らかの形で関与しており、曰く、西鉄黄金時代と鉄腕・稲尾和久投手を語るときはその好敵手として。
杉浦 忠投手の昭和34年の伝説を語るときには、その女房役として。
ミスタープロ野球・長嶋茂雄を語る上では、「長嶋が大輪のヒマワリなら俺は日本海に咲く月見草」という名文句で知られるように、たえず、意識してきた人として。
世界の本塁打王・王 貞治本塁打記録が語られるときには、記録の殆どを塗り替えられた前記録保持者として。

日本のプロ野球選手第一号三原 脩とはライバルチームの監督と選手として相対し、さらに昭和35年大洋ホエールズの優勝の折には、日本シリーズ対戦前に三原から直々に尋ねられ、川上哲治監督に率いられた巨人の9連覇を語る上では、対戦相手のパのチームの戦力分析を巨人の森 昌彦捕手に伝授した・・・etc。
また、野村再生工場の異名で知られるように、江本孟紀、江夏 豊から遠山奬志、山崎武司・・・まで、さらに、新人時代からさんの薫陶を受けたという点では古田敦也、田中将大・・・、更に言えば、スコアラーの祖・尾張久次氏を創設間もない西武ライオンズに紹介したのもノムさん・・・、果ては、「あぶさん」がプロ入りしたときの監督もノムさん・・・。

言えば、きりがないので、この辺で辞めますが、その監督としての経歴を見てみると、改めて、三原 脩という人と似てますよね。
ノムさんは初めて監督をやったのが昭和45年(1970年)の南海でのプレーイング・マネージャーのときでこのとき35歳
三原さんは、終戦間もない昭和22年(1947年)の巨人36歳
ともに、それぞれ、弱体球団を見事な手腕で優勝に導くも、球団との確執から「追放」され、三原さんは1年置いて、新興球団西鉄へと移り、ノムさんは13年の歳月を重ねた後、ヤクルトへ。
共にそこで4回の優勝3度の日本一に輝き、名将としての評価を確立する・・・と。

しかし、球団にとって、名監督というのは有り難い反面、持て余す存在でもあるようで、それほどの実績を積み重ねながらも引き留められることもなく、本当はその年限り・・・だったはずが、一転、二人とも日本一になったことから、慌てて球団に慰留され、もう1年やるも、結果は共に4位に終わり、晴れて退任・・・と。
でも、その名声を世間は放っておかず、ともに請われて、当時、お荷物球団といわれた阪神大洋へ。
ノムさんは阪神では結果を残せなかったのに対し、三原監督の方は1年目に大洋を前年の最下位から一転優勝に導き、「三原マジック」と賞賛されるもそこまでで、以後、二人とも優勝に輝くことはなかったものの、ノムさんは今年、お荷物球団・楽天を創設以来初の2位に押し上げ、三原さんもお荷物球団・近鉄を球団創設初の2位に押し上げた・・・と。
ノムさんが来期以降、楽天の名誉監督となるのに対し、三原さんはヤクルトの監督を最後に現場を退いて後は日本ハム球団社長として、初優勝を後方からサポートした・・・と。
                                         平太独白
# by heitaroh | 2009-10-28 18:14 | スポーツ | Trackback(2) | Comments(2)

野村監督退任にみる日本野球史相関性 前編
親愛なるアッティクスへ

楽天の名伯楽・野村克也監督・・・・、ついに退任されましたね。
本人はまだ、現場の執着があったみたいですが、何せ高齢という表向きの事情と、1億5千万円という高額の年俸という本音の部分で、どうやら、事実上の現場からの完全引退・・・という雰囲気になってますよね。
もし、これで完全にノムさんの現場人生が終わったと仮定したとして・・・ですが、もし、そうならば、野村克也という人の偉大なる野球人生についても総括しておくべきではないかと思い立ちました。
(↑ノムさんの故郷、丹後の日本海もこんな感じだったのでしょうか・・・。)

まず、ノムさんが南海ホークステスト生として入団したのが、2リーグ分裂から5年目の昭和29年(1954年)のこと・・・。
この年のプロ野球勢力地図を見てみると、日本一になったのは中日ドラゴンズで、対して、ノムさんが在籍したパ・リーグを制したのは、プロ野球選手第一号にして、巨人監督として実績を残しながらも「石を持て追われ」た智将・三原 脩に率いられて4年目で初優勝に輝いた新興球団・西鉄ライオンズ・・・。
川上哲治藤村富美男と言った戦前からのスター選手はまだまだ現役バリバリである一方、広岡達郎、吉田義男、豊田泰光、中西 太、山内和弘という若い力が台頭してきた時代でもあった・・・と。
この年のMVPは、セは「魔球フォークボール」セ・リーグを席巻した中日のエース・杉下 茂、パは三原 脩をして「ただひとりの天才」と謳わしめた青バットの大打者・西鉄の大下 弘
(ちなみに、この年、入団5年目の金田正一投手はすでに100勝(94敗)を挙げており、大投手への道を一直線に突き進んでおりました。)

その後、「松坂世代」ならぬ「野村世代」とも言うべき、長嶋茂雄、杉浦忠、仰木彬、近藤和彦同級生進学組が入団してきたとき、ノムさんはすでに前年に本塁打王を獲得しており、押しも押されぬパの看板打者のひとりとなっていた・・・と。
その後のノムさんの活躍は改めて言うまでもないことで、MVP5回、三冠王1回、8年連続本塁打王9回などなど、パを代表する強打者にして名捕手であり、さらに、監督としては日本一3回を含む優勝5回という名監督であったわけで・・・。
つまり、何が言いたいかというと、それら、長くプロ野球の中枢に居続けてきたことで、今や、誰かを語るときには必ず、何らかの形でこの人が出てくる・・・ということになっているということです。
言うならば、ノムさんの野球人生は日本戦後プロ野球史と大きく重なっており、ある意味、歴史そのものと言っても過言ではない・・・と。

明日・・・になるかどうかわかりませんが、とにかく、次回に続きます。
                                         平太独白
# by heitaroh | 2009-10-27 18:03 | スポーツ | Trackback | Comments(4)

死語になった「マンガの読み過ぎ」と永井豪の世界
親愛なるアッティクスへ

明治日本の近代小説の祖・二葉亭四迷は、親に「作家になりたい」と言ったら、「くたばってしめぇ!」と言われたことから、筆名を、「くたばってしめえ」→「ふたばってしめい」→「二葉亭四迷」にしたという話を聞いたことがあります。
事の真実はともかく、四迷が作家を志した明治初期には作家なんてものの世間の認知度はその程度だったということなんでしょう。
さすがに、私が子供の頃には「小説」に対するそういう偏見はなかったようですが、当時、まだ少しそういう扱いが残っていたのが「マンガ」だったでしょうか。
(「マンガばかり読んでいるとバカになる」なんてことも言われてましたし。)

この点で、最近、つくづく思うことですが、昔は何かあるとすぐに、「マンガの読み過ぎ!」などと言われたものですが、これって気が付けば、見事に「死語」になってますよね。
マンガが世間に認知されるようになったのか、現実がマンガを追い越したのかはわかりませんが、おそらく、両方なんでしょう。
で、そのマンガですが、私が子供の頃、一番よく見た漫画家は誰か・・・というと、実は、神様・手塚治虫でも、天才・石森章太郎でも、奇才・赤塚不二雄でも、大家・藤子不二雄でもありませんで・・・、永井 豪さんなんです。

手塚治虫という人は私的には代表作と思える「どろろ」を初め、漫画史に残るエポックメイキング「鉄腕アトム」から、未だに売れ続けている「ブラックジャック」など、これでもかというくらい代表作が目白押しなのですが、ただ、どちらかというと、私よりは一世代上の人たちがのめり込んだ漫画家であり、私が小学校高学年くらいの頃は「手塚はもう終わった」と言われていたわけで・・・。
(参照:平太郎独白録 : ブラックジャックに見る人間万事塞翁が馬。
一方、師匠の石森章太郎氏はあれほどの多彩な作品を残されたものの、私的には少し器用貧乏の感があり、確かに、特撮テレビアニメでは良く見てましたが、漫画でどれか一つ!と言われると少し考えないといけないんですよ。
また、赤塚不二雄氏については、「もーれつア太郎」辺りまでは好きだったんですが、代表作といわれる「天才バカボン」は少し下品な感じがして、あまり好きではありませんでしたし、藤子不二雄氏は、とにかく、当時は「ドラえもん」しかありませんでしたから・・・。

今になってみると、手塚翁は終わることなく復活し、「仮面ライダー」「人造人間キカイダー」はマンガとしての鑑賞度の高さが改めて評価されてますし、さらに、「ドラえもん」は記録的長寿作品になり、「天才バカボン」も未だ根強い支持があるようです。
しかし、それらは今だから言えることであって、当時は皆、そこまで意識して読んでたわけでもなく・・・。
その点、永井 豪さんのそれは、私が小学校高学年から中学生くらいまでの、ちょうど、昭和45年から50年くらいまでの「端境期」を見事に埋めた形になっており・・・。
ダイナミック活き活きとして力強い線、そして、少しばかりエッチな絵とストーリーは独特の世界観を醸し出しており、ちょうど、その辺のことに目覚め始めた少年たちにとっては、まさにむしゃぶりつくようにして読んでましたね(笑)。
                                         平太独白
# by heitaroh | 2009-10-26 00:55 | 文学芸術 | Trackback | Comments(0)

プロ野球、初の2位同士の日本一決定戦なるか? 後編
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

今回の野村克也監督同様、飛び抜けた実績を積むごとに「優勝請負人」として引っ張りだこになった分、報酬の方も一般的な監督の報酬からすると高くなっていたことがネックになっていったかつての名監督・三原 脩翁ですが、三原翁はこれに対して、「監督の給料は安すぎる」と反論していたとか。
曰く、三原翁は「私は監督として、それに見合うだけの仕事をしている」と・・・。
確かに、「当て馬」「ワンポイント・リリーフ」など、現在のプロ野球で見られる戦術大半を作った人だけに、ファンとしても、「三原が今度は何をやるのか?!」という采配の妙は十分に楽しめたはずで、その主張には説得力があります。

この点は、チームが優勝したりすると好成績を残した選手へもベースアップを図らねばならない以上、球団としてもやむを得ないところではあるのでしょうが、特に、楽天という球団は、採算ということに関してはシビアな球団であり、今、野村監督の給料は1億5千万円くらいだそうですから、創設以来初のAクラス入りした選手たちへ払う財源を確保するという意味に置いては、確かに、一番、手っ取り早いコストカットの対象なのでしょう。
ただ、監督やコーチの給料が安く押さえられているということの一つには、なり手はいくらでもいる・・・という、買い手市場になりがちな需給関係があるわけで、ましてや、三原監督の頃と違い、現代ではアメリカから安いコストでいくらでも外国人監督を連れてこられるわけで、その意味では、今後も監督の給料は著しいデフレ傾向にあるでしょう。

で、その楽天ですが、あっさり、日ハムに押し切られそうな気配になってきましたね。
ノムさん退任で士気が上がるチームの雰囲気からは、もう少し、健闘するかな・・・と思っていたのですが。
ただ、この点で、私が思ったのが、楽天はソフトバンクとのファースト・ステージから、先発投手は岩隈→田中、そして永井・・・という順番できましたけど、これは岩隈→永井→田中、もしくは田中→永井→岩隈ではなかったかと思うんですよ。
まず、ファースト・ステージを確実に勝つ・・・というのはわかるんですけど、楽天はすでにシーズン2位を手中にしている以上、日本シリーズに進出しない限りは、ファースト・ステージで敗退してもセカンド・ステージで敗退しても大差ないんじゃないかと・・・。

数年前、当時の西武伊東監督はファースト・ステージで涌井を使わず、敢えて、セカンド・ステージでの初戦のために温存したことから、結果的に3位のソフトバンクにファースト・ステージで敗退した・・・ということがありましたが、私はこれで良いと思うんですよ。
目的はあくまで日本シリーズ進出であり、ファースト・ステージ突破ではなかったわけですから。
そう考えるならば、今シーズン、ソフトバンクに5勝1敗(?)で相性が良かった永井が第二戦でも十分に勝ち目があったはずで、仮に落としたとしても第三戦で田中(岩隈)で勝てば良かったわけで、うまく行けば、セカンド・ステージの初戦から田中(岩隈)で行けたでしょうし。
やはり、1勝アドバンテージを持っているチームと戦う以上、初戦の持つ意味は大きいですよ。
まあ、野村監督の退任問題が影を落としたことは容易に想像付きますけどね。
                                         平太独白
# by heitaroh | 2009-10-23 18:30 | スポーツ | Trackback | Comments(2)

プロ野球、初の2位同士の日本一決定戦なるか? 中編
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

中日は強い・・・という点ですが、実は私、今年、セ・リーグの試合は殆ど見てないんです。
その私が中日は強い・・・と思う理由、それは、個人成績のある部分に注目したからです。
まず、打点部門ですが、1位が中日のブランコ選手(110打点)で、こちらは本塁打王も獲得してますから、「打点は本塁打の副産物」・・・といわれる視点に立てば、特に驚くには値しないでしょうが、私が注目したのは2位が1打点差で同じく中日の森野将彦選手だったことです。
(森野選手の本塁打は23本ですから、いかに好機に打っていたかということがわかると思います。さらに中日からは6位に87打点で和田一浩選手もランキングされており、この三人で中日の全打点の半分以上を叩き出している・・・と。)
同様に、防御率のタイトルを見てみると、1位が中日のチェン投手(1.54)で2位も同じく中日の吉見一起投手(2.00)・・・。

で、なぜ、この部門に注目したかというと、本塁打打率というのは、必ずしも、チームの成績に貢献しませんが打点は確実に貢献します。
また、投手の最大の勲章である最多勝利投手はチームの成績には貢献するものの、反面、チーム事情に左右されるところが大きく、必ずしも個人の実力を表しているとは思えないことから、その意味では、打者に置ける打点と投手に置ける防御率というのは完璧ではないまでも、一番、信頼できうるデータである・・・と。

もっとも、両部門共に3位は僅差で巨人の小笠原道大選手(107打点)、ゴンザレス投手(2.11)であり、さらに言えば、打点は4位にラミレス(103)も名を連ねており、決して、巨人が見劣りしているわけではありません。
その証拠に、打率・防御率ともに巨人からはベストテンに4人がランキングされているのに対し、中日は両部門ともに2人しかランキングされておらず、つまり、打撃成績、投手成績ともにチームとしては巨人の方が圧倒的に優れているということだと思います。
ただ、得てして、短期決戦ではこういう全般的に優れているチームよりも、どこかの部門にだけ戦力を傾斜したチームの方が強いことがままあるわけで・・・。
落合博満という人は、現役時代、「終わってみれば三冠王を獲っている」というスタンスから、「帳尻合わせ」と言われた人ですが、采配でも、どうやら、「帳尻合わせ」に向けて、しっかりとシーズン中を戦っていたように思えますが如何でしょうか。

次に、野村克也監督の退任問題ですが、表向きは「高齢」ということのようですが、実際には野村監督の「高すぎる給料」がネックになっているそうですね。
この点で、思い出すのが、拙稿でもたびたび採り上げております、「智将」と呼ばれた名監督・三原 脩翁のことです。
三原監督も、「三原マジック」と呼ばれるほどの采配の妙で、野村監督同様に、優勝請負人と言われた人ですが、監督時代の最後の頃はその高すぎる給料が色々と取り沙汰されていたように記憶しております。

少し長くなってしまいましたので、続きは明日のココロだ~。
                                         平太独白
# by heitaroh | 2009-10-22 08:29 | スポーツ | Trackback | Comments(2)

プロ野球、初の2位同士の日本一決定戦なるか? 前編
親愛なるアッティクスへ

「名にしほふ 杜の都の まぶしさよ 
    胸にしみいる 仙台のまつ」
    平太

秋ですね。
すっかり、いい風が吹いてます。
何年か前、仙台へ行った折り、青葉城跡から市内を眺めたときの句です。
ちょうどそのときも、何ともいい風が吹いてたことを思い出しました。
でも、どっかで聞いたような句のような気もしないでもないんですが・・・(笑)。

で、仙台といえば今日からいよいよ、球団創設初の日本シリーズ進出をかけて、野村克也監督率いる東北楽天クライマックスシリーズセカンド・ステージを戦うわけですが、実はここ最近、私、結構、忙しくしており、起稿をさぼってましたので、改めて、セ・パ共にファースト・ステージからの戦いも含めて触れてみたいと思います。

(↑いつの間にやら今年の夏も終わりました。河畔に並べられた灯明です。)

で、まず、セ・リーグから言えば、ファースト・ステージ、私は、「ヤクルトでは巨人には勝てないが、中日は巨人に勝つかもしれない」と思ってました。
そして、おそらく、セカンド・ステージに進出するのは中日だろうと。
なぜなら、中日はおそらく強いですよ。

次に、パ・リーグですが、私は今の楽天の勢いからすると、十分に、楽天が勝ち上がる可能性はあると思っていますが、むしろファースト・ステージ前から興味深く見ていたのが、野村克也・老監督が今期限りでの退任を通告されたことの影響についてです。
私の感覚では、チームに貢献してきた監督が「今期限り」ということになったら、逆に、「よし、花道を飾らせてやろう」と思うような気がするのですが、実際には、やはり、「来年、居もしない監督」というのは見事に求心力を失うもののようで・・・。
実際、あれほど、選手からもファンからも人望を集めていたように見えたロッテのバレンタイン監督でも、今期、シーズン前に、「今期限り」と宣告されると、あっさりと成績低迷に終わったことには、私も、「やはり、バレンタインでも来期やらないとなると、これほど、求心力を失うものか・・・」という想いを強くさせられました。
さて、その点、野村監督はどうかな・・・と思っていたのですが、さすが、百戦錬磨のノムさん。
自らの退任をもって、選手に火を点けることに成功したわけで・・・。
まあ、この点は、長期戦と短期決戦の差や、他球団をお払い箱になった選手が多い、創立以来初の日本シリーズ進出を目前にした楽天という球団の特殊事情もあったと思いますけどね。

セ・パ共に考察の解説と続きは明日のココロだ~ということで、今日の試合結果は神のみぞ知る・・・(笑)。
                                         平太独白
# by heitaroh | 2009-10-21 18:18 | スポーツ | Trackback | Comments(0)

今さら虚しい気がする羽田・成田のハブ空港論議
親愛なるアッティクスへ

先日、前原誠司国土交通相が「羽田空港ハブ空港(国際拠点空港)とする」旨を表明したことに対し、森田健作千葉県知事などは猛反発し、結果、国交相は会見で成田空港の地位にも配慮する考えを示した・・・という報道がありましたよね。
しかし、このとき、国交相は同時に、「韓国仁川(インチョン)空港に日本のハブ空港を取られてしまっている。日本にハブをつくらなくてはならない。ハブになり得るのは、まず羽田だ」ということを力説したとかで、今後、両者の意見はまた対立するかもしれない・・・とも。
まあ、知事の本音としては国交相の言うことは理解しているものの、立場上、ああいう風に怒りのパフォーマンスをやってみせなければならなかった・・・ということなのだとは思いますが、ただ、その辺のやりとりを見ていて、私にはちと、思うことがありました。

実は、私、先頃、仁川国際空港へ行ってきたのですが、その折、一人で国際線のフライトボード(←)を見ていたところ、何だか、とても哀しい気持ちになりました。

「もう、成田はダメだな」と・・・。
「韓国だ日本だと言ってないで、東アジアという視点から見れば、日本はハブ空港に限っては、いっそ、それを放棄し、仁川に一本化した方が良いのかもしれない」と・・・。

私が、そこまで思ったのは、このボードの中に、福岡空港はともかく、成田へは周航さえしていないはずの大分空港北九州空港の名前を見つけたからです。

私も、何度か、成田空港に行ったことがありますが、成田空港が想定しているのは東京及び関東近郊からの出発だけなんですよね。
つまり、成田までは来たければ自力で来い・・・、来た奴だけを乗せてやる・・・と。
だから、たとえば福岡空港から成田空港に行こうとしても、JAL、ANA併せてもわずかに一日5本程度しか出ておらず(おまけにこれがまた妙に時間が被っており実質は一日2~3本というところでしょうか。)、これでは国際線との乗り合わせが非常に悪く、5時間くらいの待ち時間になることはザラです。
(そのため多くは一旦、羽田まで移動して、羽田から帰ることになります。)
福岡空港でさえ、そんな具合ですから、ましてや他の地方空港は推して知るべし・・・というところでしょう。
対して、仁川へ乗り入れている日本の空港は関空・中部・成田を含め27・・・。
つまり、ご丁寧にも、地方にやたらと空港を作ってきたことが、成田の地方空港冷遇と相まって仁川の地位確立に貢献してしまった・・・と。
私が哀しくなった理由がおわかり頂けるでしょうか。

これでは、いくら羽田が充実しても、少なくとも九州から仁川への流れは変わらないでしょうし、それに、そもそも、福岡からへ向かうならともかく、へ向かうのに、どうして一旦、成田まで行かなければならないの?というのもかねてより釈然としないことだったわけで。
                                          平太独白
# by heitaroh | 2009-10-17 18:01 | 時事問題 | Trackback | Comments(2)

オーナー経営者とサラリーマン経営者、どちらが是か非か
親愛なるアッティクスへ

唐突ですが、オーナー経営者サラリーマン経営者というのは、果たして、どちらかが良いシステムなのでしょうか?
オーナー経営の欠点とは、言うまでもなく、何代にも渡って優秀な人物が輩出されるという保証がない・・・ということでしょうが、一方で、サラリーマン経営の弊害は自分の任期中のことしか考えないことにあると思います。

確かに、歴代の徳川将軍全てが皆、家康並に優秀であったわけではないこと一つを見ても、そのことを如実に物語っているわけですが、一方、サラリーマン経営の弊害にも好例があります。
それこそ、日本を初めとする民主主義国家の行き詰まりでしょう。
(「歴代、有能なTOPを輩出し続けるということの難しさ」は歴史が証明していますが同時に、「有能で、自分の痛みを気にせず滅私奉公で行動するTOP」の登場に期待する・・・というのも、まあ、理屈ではその通りなのですが、これまた、現実的ではないことも歴史が証明しているようです。)
では、どちらが好ましいシステムなのか・・・と言われれば、これら二つのシステムは、良い悪いとかではなく、本来、うまく組み合わせて使うべきものなのだろうと思います。
(その好例が、かつての三井家のように、オーナーはオーナーとして存在しながらも、「君臨すれど統治せず」で実際の経営は有能な番頭の中から、一番、相応しい者を選び任せる・・・というものでしょう。)

では、日本におけるオーナーとは?と考えてみると、もっとも適当なのは天皇でしょう。
であれば、絶対君主制にしろとは言いませんが、少なくとも、もう少し戦前のように天皇に諮問権くらい与えてもいいのではないでしょうか?
天皇が象徴などになってしまったから、(元々、象徴なんでしょうが。)歴代内閣が、国債魔法の財布代わりに使うという無責任の構図が出来上がって行ったわけで・・・。
(「使うときは自分で、払うときは他のやつ」なんて、こんなうまい話はないでしょう。)

元々、赤字国債というのは憲法禁止されていたのを昭和40年不況の時だったかオイルショックの時だったかに田中角栄さんが使えるようにしたと聞きました。
つまり、パンドラの箱を開けてしまったんですね・・・。
さらに、中曽根康弘内閣のときには償還期限が来た物を、そっくりそのまま新たに国債を再発行してツケを後の代に回しましたよね。
まあ、中曽根さんにしてみれば、「そんな、前のやつが作った借金、何で俺が払わないといけないの?」というところだったでしょうが、でも、サラリーマンである首相と違い、オーナーである天皇に任期はないわけで、その意味では、本来なら、天皇も、「田中が緊急時だというので赤字国債の発行を許したが、中曽根は償還する気はないのか?であれば、中曽根は、少なくとも無責任に赤字国債を発行し続ける体制に終止符を打つことだけはやるように・・・」くらいのことは言ってもよかったんじゃないですか?
明治天皇だったら言えたんでしょうが、象徴が本当に象徴になっちゃうから、ああいう無責任なことになってしまうわけで・・・。
                                         平太独白
# by heitaroh | 2009-10-15 19:24 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(8)

貧困への怯えの残滓こそがオイルショックの本質!
親愛なるアッティクスへ

私には、今も忘れられない子供の頃の一つの思い出があります。
それが、昭和48年(1973年)に起こった「オイルショック」です。
あの騒然とした世の中・・・、トイレットペーパーに群がった人々・・・、狂乱物価と言われるほどに短期間で高騰する物価・・・、まるで、日本という「国」そのものが顔面蒼白になったような雰囲気で、それだけに、私も長じてより後、「あれは一体、何だったのか?」ということがずっと頭の片隅にあり、自分なりに当時の政府の実務担当者たちの証言番組を見、様々な回想録なども読んでみたのですが、どういうわけかイマイチ納得できる答えが見つかりませんでした。
(石油が無くなる・・・と言いながら、実際にはこの騒動の期間に付いて言えば、日本の石油備蓄量は足りていたのだそうですね。)
で、最近、ようやく、自分なりに腑に落ちる結論に辿り着いたのですが、それすなわち、「オイルショックとは、日本にまだ貧困というものの記憶が残っていた時代の、最後の残滓ではなかったか・・・」というものです。

これについては、私には今でも鮮明に覚えている記憶があります。
オイルショックが起こったその日、当時、小学校六年生だった私が帰宅すると、母がわざわざ玄関まで出てきて深刻な顔で、「大変なことになった・・・。世の中から石油が無くなるらしい。やっぱり、今までが良すぎたんだ・・・。いつか、こんなときが来るのではないかと思っていた・・・」と言ったことです。

確かにオイルショック前の数年間、私の小学校入学辺りから世の中は急速に変わっていきました。
我が家でも、家にカラーテレビは来るは、来たかと思えば、すぐにコンバーターでチャンネルは増えるわ、写真もカラーになるし、さらに言えば、初めて、Tシャツという物に袖を通したときの、それまでになかった肌触りの良さは今も鮮明に覚えてます。
その繁栄の頂点こそが昭和45年(1970年)の「大阪万博」だったでしょう。
子供心にも、未来永劫、日本の未来は明るいと信じて疑いませんでしたね。
ついでに言えば、この頃、親父が海外旅行に行ったときは本当に驚きましたね。
当時は、1ドル=360円の時代ですし、子供心にも、海外旅行なんて本当に庶民には縁がない夢物語のような感じでしたよ。
(ちなみに、父の最初の海外旅行先は沖縄です。日本に復帰する前の、パスポートが要った時代の沖縄ということです。)

つまり、戦後の貧困の時代から、一転、バブル以上と言われた未曾有の好景気「高度経済成長」を謳歌しつつも、同時に、誰もが皆、心のどこかで、「いつか反動が来るのではないか?」、「今が出来すぎなんじゃないか?」と、この良すぎる時代に対する怯えがあったのではないかと。
それが、単なる産油諸国の「脅し」にすぎなかったものを「見積有効期限1時間」などという狂乱物価へと導いてしまった理由であり、その意味では、たとえ今の日本が同じ状況に置かれたとしても、ああいうことになるようなことはないように思いますね。
                                        平太独白
# by heitaroh | 2009-10-13 08:01 | 思想哲学 | Trackback | Comments(4)

新博多駅の定義に見る日本の青春時代との決別期
親愛なるアッティクスへ

新・博多駅も随分と形を為してきましたね。

(↑右端が一ヶ月ほど前の物ですが、新・博多駅です。本当はもっときれいな夕景だったのですが、携帯で撮ったので、イマイチ何だかわからなくなってしまいました。)

ちなみに、「新・博多駅」は正確には「新博多駅」ではありません。
新博多駅というのは、かつての西鉄博多駅大正13年(1924年)から昭和17年(1942年)までの名前です。
(開業時、既に国鉄博多駅が存在したことから新博多駅の名で開業したのだとか。)
かつての西鉄宮地岳線は、昔は今の博多区千代付近まで伸びており、私の子供の頃は、すでに市内電車に組み込まれていたようで、正式には千鳥橋駅という名前があったようですが、大人たちは皆、かつての駅名である西鉄博多駅とか、新博多駅などと呼んでました。
「新博多で乗り換えてから行けばよかったい」・・・という具合に。
従って、融通が利かない昭和男としては、「新博多駅て言うたら千代町やろうもん」ということで、ここは譲れないところですね(笑)。
ちなみに、この新博多駅(千鳥橋駅)は、昭和49年(1979年)に廃駅となり、駅跡は西鉄千代自動車営業所の構内ならびに駐車場になった・・・のだとか。

で、少し前置きが長くなりましたが、本日の本題です。
昭和36年10月24日・・・、この日付は何だかおわかりになりますでしょうか。
残念ながら、私の誕生日・・・ではありません。
私はこのとき、生後4ヶ月、もうすぐ5ヶ月に達しようか・・・というところですので、当然、リアルタイムでこの日付に何か心当たりがあるわけでもありません。
この日付・・・、実は先頃、お亡くなりになったギャグマンガの巨匠・赤塚 不二夫氏がトキワ荘から退居した日付なんです。
トキワ荘といえば、今更、改めて言うまでもなく、手塚治虫氏を慕って集まった藤子不二雄A・B、石森章太郎ら新進気鋭の漫画家が巣くっていたいたアパートで、ここを退居するということは、単にアパートを引っ越すということではなく、独り立ち・・・という意味合いがあったように思います。
(無論、必ずしも、皆、卒業ばかりでなく、中退という選択肢もあったのでしょうが、いずれにしてもここを出るということは、形は違えど、青春時代との決別ではあったでしょう。)

赤塚氏がここを出たとき、すでに、寺田ヒロオ、藤子不二雄A・Bを初め、主立った顔ぶれはすでにいなかったようですが、なぜ、そのようなことを言うかというと、実はこのとき、福岡市下人参町の当家でも同じようなことが起こっていたからです。
この1年半ほど前に私のを迎えたことで、たくさん同居していた祖父の弟子たちも、はっきりと代替わりを悟り、一人、また一人と、それぞれに嫁を迎えるなり、独立するなりして当家を巣立って行ったようで、さらに先述したとおり、この4ヶ月ちょっと前に嫡男である私が生まれたことで、父が当主で、祖父が隠居・・・という流れは決定的になったようです。
その意味では、この動きは、トキワ荘と当家に限ったことではなく、終戦から15年が過ぎたことで、日本そのものが青春時代との決別期だったようにも思えますが・・・。
                                         平太独白
# by heitaroh | 2009-10-08 08:31 | その他 | Trackback | Comments(0)

近視眼的優勝制度の盲点と名監督の定義
親愛なるアッティクスへ

プロ野球、パ・リーグも、昨日、ついに北海道日本ハム優勝しましたね。
違う球団を率いて優勝させた監督ということで梨田昌孝監督と並んで、過去の該当者が新聞に載ってましたが、同じく、巨人、西鉄、大洋と3球団を優勝に導いた智将・三原 脩翁の「違う球団を率いて優勝してこそ監督として一人前」という言葉を想起してしまいました。
その意味で、むしろ意外だったのが、広岡達郎氏は西武ではたった3回しか優勝してなかったんですね。
万年Bクラス球団ヤクルト初優勝させ、西武には移っては常勝西武の黄金時代を築いたことから、名監督の代名詞のように言われていた人だっただけに、西武ではもっと、優勝したものとばかり思ってました。
王 貞治氏だって、巨人で1回、福岡ソフトバンクで3回優勝してるわけで・・・。

さておき、我が、福岡ソフトバンクホークスは昨日も負けたことで、事実上の東北楽天の2位が決定したようですので、この後、クライマックスシリーズに突入するわけでしょうが、かねてより申し上げておりますように、私はこの制度の実施には絶対反対です。
以前から、これを他県の人に言うと、「ホークスが負けたから言っている」と言われ、なかなか、耳を貸してもらえなかったのですが、今年こそはリーグ優勝を逃したホークスに是非、日本一になってもらった上で、胸を張って「おかしいだろう!」と言いたいですね。
(ちと、難しいようですが・・・(笑)。)

特に、セ・リーグはリーグ優勝した巨人に12.5ゲーム差以上も付けられて2位・3位になったチームが、巨人に代わって日本シリーズに出る・・・なんてのは、どう考えても、おかしいんじゃないですか?
「とりあえず、盛り上がってるからいいじゃない」というのは、あまりにも近視眼的に過ぎると思います。
やはり、何事も原理原則堅持した上で、「盛り上がる」ことを考えるべきで、実際、私などは、ペナントレースを見に行く興味が薄れ、おかげで、今年は福岡ドームには一度しか足を運んでませんよ。
だって、上位3チームが決まってしまえば、クライマックス・シリーズだけ見ればいいわけで・・・。

それはさておき、私はふと、思ったことがあります。
数年前の改訂で、日本シリーズ進出を逃そうとも、リーグ優勝はペナントレース1位のチームということになってますよね。
そのため、一昨年の中日のようにセ・リーグの優勝は巨人でも、日本一になったのは中日という椿事(?)が起こったわけですが、この場合、もし、中日が日本一になっていなかったら、中日はどういう扱いになっていたんでしょうか?
単に、「リーグ2位球団」というだけでは、日本シリーズ進出球団というところまでは総称してないわけですし、「準日本一球団」ではリーグ優勝していないことまでは触れられてないわけですよね?
もしかして、「リーグ優勝球団代理日本シリーズ進出者」・・・???長い(笑)。
                                         平太独白
# by heitaroh | 2009-10-07 08:27 | スポーツ | Trackback | Comments(2)

亀井金融相の返済猶予制度導入に見る徳政令の・・・。
親愛なるアッティクスへ

気が付けば、早、十月第二週・・・ですね。
ここのところ、訳あって、しばらく、ご無沙汰しておりました。
あるいは平太郎死亡説も出るのでは・・・と思って期待していたのですが、誰からも「惜しむ」声が上がらなかったので、諦めて、再開しました(笑)。

で、まず、亀井静香郵政改革・金融相の「中小企業の借入金などの返済猶予(モラトリアム)制度導入」についてですが、これは、一種の「徳政令」であり、如何にも、旧自民党議員らしい、形を変えたバラマキ以外の何ものでもないように思えます。
資金繰りに喘いでいる中小企業からすれば、一見、歓迎する政策のようですが、徳政令というものの最大の毒性「以後、貸してもらえなくなる」ということなんですよ。
「返済猶予がモラルハザード(倫理の欠如)を招く」ことや、「経済学で言う逆選択が発生し、健全な中小企業までが打撃を受ける」・・・などということが懸念材料のようですが、難しいことはさて置くとしても、普通に考えても金融機関が、以後、貸し出しに慎重になることは誰にでもわかることでしょう。

この点、歴史は徳政令という物が決して良い結果を生まないと言うことを証明しています。
古くは元寇以後の御家人救済のための鎌倉幕府の徳政令から、寛政の改革で知られる江戸幕府老中松平定信による棄捐令(きえんれい)まで、この、場当たり的な政策が金融機関へ打撃を与え、その結果としての貸し渋りに繋がり、人々の生活を困窮に貶めることに繋がった・・・と。
誰だって、損するのは嫌なわけですから、この流れというのは何人も否定できない、比較的シンプルな経済の摂理だと言えるでしょう。

その点、日本史上、希に見る経済政策通でもあった織田信長は、さすがに、この弊害を見通していたようです。
以前、何かで読んだのですが、信長は、楽市楽座政策を実施するときにしっかり、「たとえ、他の国が徳政を行っても、ここでそれが実施されることは絶対にない」と宣言しているのだとか。
これにより、商人たちは、徳政リスクを勘案する必要がない分だけ、安心して、「資金の融通」を行うことが出来、結果、産業が活性化した・・・と。
徳政という経済の摂理に反することをすれば、資金の流れが滞り、結局、自国の弊害となる・・・、すなわち、金融という物が経済の血液であるということをしっかりと理解していた信長らしい卓見だと思います。

そう考えれば、亀井大臣の政策は、結局、鳩山内閣、ひいては民主党政権支持率低下に繋がるだけのことで、どうしても実行するというのなら、それを受け入れる、受け入れないの選択は企業側に委ねるべきでしょう。
そうすれば、受け入れた企業は事実上、訳あり企業か、「破綻寸前」であることを公表することになるわけで、また、次回から銀行の融資が受けられないという、事実上の「死亡宣言」をしたことにもなることを思えば、普通の会社は申請しないでしょうから、つまりは事実上、制度の骨抜きになると・・・。
ま、迷走以外の何ものでもないでしょうけどね。
                                        平太独白
# by heitaroh | 2009-10-06 08:29 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(0)

ONの時代に想う虚像と実像と力道山伝説
親愛なるアッティクスへ

先日、NHKで「シリーズ ONの時代」というのをやってましたが、ご覧に成りましたでしょうか?
2回シリーズで、先日は、その「第1回スーパーヒーロー 50年目の告白」というものでしたが、やはり、我々の世代は、別に巨人ファンで無くとも、王 貞治長嶋茂雄と言えば、少年時代に一時代を築いた人・・・という意味で、少し特別な思いがこみ上げてきますね。

ちなみに、当時、王と長島というのが、どれほど、子供たちの間に行き渡っていた存在だったかというと、昭和47年頃だったと思うのですが、ある子供向けSFドラマで、日本とそっくりだけどまったく違う異次元世界の「統制国家日本」に来てしまった子供たちが、お互いに本当に仲間かどうかを調べるのに、「ONの背番号は?」というのを合い言葉代わりに尋ねていたことからもわかるでしょうか。
(さらに、私も、幼稚園の時に、具体的に王と長島を知っていたわけでもないのに、ただ、名前の響きだけで、どちらが良い打者なんだろう・・・と考え、結局、結論が出なかった記憶があります。)
で、このドキュメンタリーで、二人とも、「天才長嶋」と、「努力の王」というそれぞれに貼られたレッテルについて、まったくの虚像だった・・・ということを言っておられましたが、この点は、拙稿でも、これまで、たびたび採り上げてきたことで、プロとして虚像を演じ続ける・・・というのは大変だったでしょうが、当時は割と「有り」の話だったようにも思います。
この点は、以前からたびたび、ご紹介申し上げました元西鉄ライオンズ豊田泰光翁の著書で言っておられたことがあります。

力道山のプロレスはスポーツ興行として出色だった。あれほど大衆に受けたのはかつての敵国アメリカから来たレスラーを敵役とするなど、時代背景を巧みに利用した仕掛けもよかったのだが、やは、り力道山という人のショーマンシップが効いていたのだと思う。
 力道山とは飲み屋で一緒になることもあった。よくよくみていると、彼はどこでも周囲の目を意識していて、たとえばビール瓶のフタを開けると、あっという間に指で平たくし、四つに裂いてしまう。それで店の女の子の気を引いたりするのだが、私もそのタネは知っていた。昔はそういうマジックの小道具を扱う店があり、柔らかい鉛製の 「アサヒ」やら「キリン」 のフタがあったのだ。
 力道山でなくても、ぺちゃんこにできるわけだが、常に人の目を引きつけ、常人ではないというところをみせておくことが大事なのだ。ちまたで「人間」 の部分をみせてはいけないという力道山の姿勢こそショーマンシップの基本だ。
 博多中洲のあるクラブ「会員以外お断り」と言われた力道山が、閉じられたドアをやおらはずして、中へ、というシーンをみたこともあった。一緒にいた私は怖くなり、逃げ帰ったが、あれはやらせなしの 「ガチンコ」だったか、伝説作りのための種まきだったか。
 本当のショーマンは隠すところは隠し、見せたい自分だけを見せる。力道山は公私にわたって力道山だった」

ついでに言えば、豊田さんという人は現役時代、随分と肝が据わったプレー勇名を馳せた方ですが、こういうときはしっかり逃げるんだな・・・と(笑)。
私のような、肝が据わってない人間に限って、妙に、見捨てて逃げたりしないもので、結局、後で一人、馬鹿を見るという・・・。
これはこれで、考えさせられる話でした。
                                         平太独白
# by heitaroh | 2009-09-25 08:08 | スポーツ | Trackback | Comments(4)

酔った勢いで書いたオバマの演説原稿書くならこれの論理
親愛なるアッティクスへ

「極めたと
 思うた道の
  向こう側」

    梁庵平太

(←思わず、
「太閤が
 睨みし海の
 霞かな」

という句を思い浮かべてしまいました(笑)。)

まだまだ、道は遠い・・・(笑)。

以前、オバマ米大統領の就任式での演説原稿が日本でも話題になりましたよね。
あの原稿を書いたスピーチライターのジョン・ファブローという人はまだ27歳だと聞きましたが、実は、あのとき、私は世間の評判ほどには、あの演説(原稿)がそれほど素晴らしいものだとは思いませんでした。

で、この連休中、酔った勢いで、さわりだけ作ってみました。
オバマっちの「イエス・うぃー・きゃん」を思い浮かべながらどうぞ(笑)。
以下、開陳開陳・・・。

「私は誰だ?
そう、世界はもう知っている。

私は聞きたい。
君たちは誰なんだ・・・と。
君たちは皆、自分が何者なのか知っているのか?
知っていたら教えてくれ、一体、我々は何者なのかを。
私は言おう。
我々は、まごうことなき同じ人間なのだと。

頼みたいことがある。
皆、今、この瞬間、傍にいる人を、あるいは、自分を、見つめて欲しい。
種という点で、人間として、何か違いがあるのだろうか。
皆、多少の違いはあっても、肉があり、骨があり、そして、一人一人に人間としての意思がある。

残念ながら、人間が生きている限り、世界から争いは無くならないだろう。
だが、お互いに、もう少しだけ、ほんのもう少しだけ寛容になってみてはどうだろうか。
我々は見た目は皆、それぞれ多少違うかもしれないが、まごうことなく、同じ人間なのである・・・・」
・・・続く。
(飲んだら、こういうときに集中力が続きません(笑)。)

とまあ、与太話はこれくらいにして、本日の本題です・・・と行くつもりだったのですが、どうやら、余計なことばかり書いていたおかげで時間が無くなってしまいました(汗!)。
ということで、本日のお題はまた明日・・・ということで、平に・・・(笑)。
                                         平太独白
# by heitaroh | 2009-09-24 00:17 | 私小説 | Trackback | Comments(2)

19世紀型力の論理を普遍の法則と信じる事の危険 その2
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

まず、昨日、「19世紀型 力の論理」とでもいうような考え方を人類普遍の論理と思っている人が意外に多い・・・ということを申し述べましたが、これは特に、司馬遼太郎小説愛好者に特に言えることのようですね。
確かに、それが国家間の底流に流れるベースであるという点では私も異論はありません。
しかし、同時に人間世界という物は、その時々により形を変えていく物であり、今までが一定だったからと言って、これからも変わらないということでもないと思います。
ちなみに、この点は、かねてより、平太郎独白録 : 幕末のアイドル竜馬ならぬ坂本龍馬の実相などで、「司馬遼太郎という人の、あまりにも良い仕事をしすぎたがゆえの弊害」として指摘してきましたが、しかし、司馬さんが、その作品で舞台にした多くは19世紀以前の話であり、司馬さん自身にしても、主に健筆を振るわれたのは「東西冷戦」の時代ですから、その辺は、少し勘案してあげる必要があるのかな・・・と思います。

さらに、中国のような覇権主義的な体質を持つ大国が地球上から消えて無くなれば世界は平和になるかと言えば、この点は、これも同じく、平太郎独白録 : ムンバイ同時多発テロに見る木星と土星の効用で述べたように、「中国インドというのは日本にとっては、地球に置ける木星土星のようなものであり、木星土星という巨大惑星が太陽系の外周部にあることにより、地球に隕石が降り注ぐことを防いでくれているように、中国インド、それにロシアなどという大国は周辺の中小国家にとっては脅威であると同時に、一方では狂信的原理主義者からの防壁でもある」とも思うのです。

この点で、8月に放送された、NHKの「追跡!AtoZ」という番組の「ニッポンは勝ち残れるか 激突 国際標準戦争」という特集を見て、改めて、私なりに思ったことがあります。
1995年WTO発足以降、国際標準が輸出や政府調達の条件としてルール化されたことで、今や、国際標準は国家間の「特許」のような効力を持つようになっているのだそうですね。
国際標準にするかどうかを決めるのは、一応、各国の投票だそうですが、これに対し、欧州、特にドイツはこの標準化を独占することで莫大な利益を得ることを国策としているようで、事実上、この面でのヘゲモニーを握っており、露骨に、日本の国際標準獲得を排除しようとしているようでした。
その上で、私が注目したのは、国際標準化機構、すなわち、ISOの本部はスイスジュネーヴにあるという事実です。

これすなわち、ドイツは国際標準策定に当たっては地理的にも有利であるということを意味しており、であれば、そういう世界公的機関本部が主にどこに置かれているかを改めて考え直してみる必要があると思うのです。
そう考えれば、アメリカとヨーロッパは近く、アジアは遠いということなんでしょうが、であれば、全面的に依存しないまでも、場合によっては、日本は中国と組んでアジア発言力を高めていかなければならないという現実にも直面しているのではないでしょうか。
私にそう思わせたのは、この番組で採り上げられていた日本企業の国際標準審査が、最後はドイツまでが賛成にまわって取得に至ったことについて、「なぜ?」と問われたときの識者の言葉。
「中国が味方してくれたことが大きい。残念ながら、日本にダメという国はあっても中国にダメという国はないのが世界の現実です」・・・と。
                                         平太独白
# by heitaroh | 2009-09-19 18:50 | 国際問題 | Trackback | Comments(4)

19世紀型力の論理を普遍の法則と信じる事の危険 その1
親愛なるアッティクスへ

昨日は久々に敬愛する大先輩様と喫茶店で待ち合わせし、二人でジャスミンティーを飲んだ後、日本国際連合協会福岡県本部主催のセミナー、[日中経済関係を中心とする地域情勢]という講演を拝聴してきました。
講師は外務省アジア大洋州局中国・モンゴル課日中経済室長である小川正史という人でしたが、同行したその筋に詳しい先輩によると、「外務省内の中国問題の第一人者」とのことで、となれば、さすがに第一線に居られる方だけあって、なかなか含蓄に富んだ講演でした・・・と言いたいところですが、実はワタクシ、始まると同時に激しい睡魔に襲われ、ここで寝たら高尚たる先輩様に叱られる・・・と思い、何とかして耐えている途中・・・、ふと、傍らの先輩様の方を見ると、何と先輩様はすでに白河夜船・・・。
ここで、心が折れました(笑)。

結局、講演の後半は見事に寝てしまい、「質疑応答」の時間になって、ようやく目が覚めたのですが、司会者の方が「質問のある方」といくら促しても誰も手を挙げない・・・。
これでは講師の方にあまりにも失礼だろう・・・と、やむなく、たった今まで寝ていた私が手を挙げたのですが、横にいた先輩様は、「こいつ、殆ど寝てたくせに・・・」と、目を白黒(笑)。

で、私は、おもむろに、「中国の成長率は7.5%とも8%とも言われていますが、そもそも、中国の統計はどこまで信用して良い物なのでしょうか?特に、リーマンショック以降、アメリカを意識するあまり、少し大本営発表になっているようにも思えますが・・・」という内容のことを尋ねました。
すると、講師の方も苦笑いで、「確かに、痛いところを衝かれました。統計データが違ってくると、すべての論点が変わってきますからね」と(笑)。
で、その後の答えを要約すると、「やはり、中国の地方政府が上げてきたデータをすべて集計すると、中央政府が発表した統計を超えてしまうようなことになる。しかし、国家統計局が出してきた数字に関しては、比較的、信用度は高いようだ。我々も、その辺は計算に入れて対応している」とのことでした。

で、私が手を挙げた後、ぼちぼちと質問が出るようになったのですが、その中で、どなたかが「外交とはパワーゲームである」という観点に立ち、今後の日中摩擦について質問されたのですが、(正直、質問が難しすぎて、大半が私にはわかりませんでした。)これを聞いて、私なりに少し思ったことがあります。
まず、ひとつは「19世紀型 力の論理」とでもいうような考え方を人類普遍の論理と思っている人が意外に多いことです。

で、次に・・・と言いたいところですが、残念ながら、ぼちぼち、浮き世のしがらみに戻らなければならなくなってしまいました。
続きは明日・・・ということで。

追伸、 帰宅して、ふと、そういえば、昔、「ジャスミンティーは~ 眠り誘う薬~♪」なんて歌があったのを思い出しました。
「眠り誘う薬・・・、あ、これが我々の敗因だったんだ」・・・と(笑)。
                                         平太独白
# by heitaroh | 2009-09-18 17:43 | 国際問題 | Trackback | Comments(5)

鳩山内閣発足に見る御輿の論理とOOO
親愛なるアッティクスへ

本日午後、衆参両院で首相指名選挙が行われ、民主党の鳩山由紀夫代表の第93代内閣総理大臣就任が決まったとか。
で、今夜、正式に鳩山内閣が誕生するそうですが、この政権については小鳩内閣などと揶揄されるように剛腕で知られる小沢一郎幹事長の存在が際だっているようですね。
(思わず、かつて、角影内閣とか、田中曽根内閣などという言葉を投げかけられた政権があったのを思い出しました(笑)。)
これについては、先日も、麻生太郎前総理の祖父・吉田 茂元総理から政権を奪ったのは鳩山新首相の祖父・鳩山一郎元総理であり、この鳩山一郎政権の実質的オーナーと言っても過言ではなかったのが、大物・三木武吉翁・・・ということは申し上げましたよね。
その意味では、鳩山政権とは大物に担がれることを選択した政権という風にも言えるわけで、これは単に歴史は繰り返す・・・というようなものではなく、あるいはDNA家訓のようなものがあるのかもしれません。

もっとも、私はこの「御輿に徹する」という選択自体は、決して悪くない、十分に「有り」の権運営手法なのだろうと思います。
(かつて、小泉純一郎元総理が「丸投げ」などと批判されたことがありましたよね。この点は、まあ、理想を言えば、一国のトップとなるような人はすべての分野に、すべてに置いて秀でていることが望ましいのでしょうが、現実世界ではそういうユリウス=カエサルのような人は希で、そういう人物の登場を待ち続けるというのは、国民生活、国家運営という上では決して現実的ではあるとは言えません。カエサルの跡を継いだオクタヴィアヌス、後のアウグストゥスが自らには軍事部門の能力が欠如していることを認識し、この部門をアグリッパという有能な盟友に託したことがその好例でしょうか。)

ただ、御輿というのは口で言うほど簡単なことではないんですよ。
一番最悪なのは御輿が担ぎ手にライバル意識を持つこと・・・。
最初は納得ずくで任せていたのに、次第に大番頭の声望が高まるに連れ、「あの野郎!社長はあくまで俺なんだぞ!」となるのが好例でしょうか。
(かつて、海部俊樹総理(当時)は記者会見で「小沢幹事長」にばかり先に質問が行くのを見て、たまりかねて、「先に総裁に聞くようにしてください」と言ったことがありましたが、「御輿」というのは、時にはこういう扱いにも耐えなければならないということを意味しているわけです。)
さらに言えば、当然、他の重役たちも大番頭ばかりが目立つのは良い気がしないでしょうから、事あるごとに、大番頭の悪口を吹き込むことも考えられるわけで・・・。
この点が、あくまでリーダーに重心がある「丸投げ」との相違だと思います。

で、結論を言えば、安倍晋三元総理の祖父・岸 信介元総理は(ややこしい?(笑)。)、総裁選だったかの折、「俺は御輿だ。御輿がうまく舞うかどうかは担ぎ手の君たち次第だ。さあ、良いようにしてくれ」と言ったと聞いていますが、この言葉こそ、「御輿に徹する」という言葉の意味を端的に表したものだと思いますが、さて、如何でしょうか。
                                         平太独白
# by heitaroh | 2009-09-16 19:05 | 政治 | Trackback(1) | Comments(2)

イチロー選手、大リーグ史上初9年連続200安打達成!
親愛なるアッティクスへ

米大リーグ、マリナーズのイチロー選手、ついにやりましたね。
大リーグ新記録となる「9年連続200安打」達成・・・ですよ。
それにしても、タイ記録で並んでいたウィリー・キーラーという人が8年連続を記録したのが、1894~1901年と言いますから、日本で言えば、明治時代、日清戦争を経て日露戦争へ向かう頃の話ですよ。
対象となる記録が100年以上前なんて、改めて、イチローの偉業の偉大さと、そして、大リーグというものの奥行きの深さを感じさせますね。

それはさておき、イチロー選手はレンジャーズとのダブルヘッダーの第一試合に二塁打1本を放ち、残り1本として迎えた第二試合・・・。
二回の第2打席、レンジャーズの先発左腕ホランドの148キロの外角直球を流し打って遊撃手の深いところへゴロを転がすと、遊撃手が捕球したときにはもう、イチローはベースを踏む寸前まで来ており、遊撃手はあっさり送球を断念。
これで、内野安打となり、ここにこの大記録が成立・・・。
まあ、達成はほぼ確実だろうとは思ってましたが、最近も肉離れなどがあったばかりですから、この記録だけは達成できて、私もホッとしました(笑)。
(人間、誰しも明日のことはわからないわけで・・・。)

で、イチローとしては、これは今季55本目の内野安打だったそうですが、まあ、見ている方としては本音を言えば、糸を引くようなライナーで決めて欲しかったような気もしましたけどね(笑)。
(もちろん、やってる方はそれどころではなかったでしょうが・・・。)
この点で思い出したのが王 貞治前福岡ソフトバンク監督の巨人での現役時代のこと・・・。
対戦相手がどこだったか忘れましたが、どん詰まりのポテンヒットサヨナラ打を打った王選手、試合後のヒーローインタビューに呼ばれ、少しばつが悪そうにするかと思いきや、王さん、あまりにも晴れ晴れとしている・・・と。
で、インタビュアーから、「あまり、良い当たりではありませんでしたが・・・」と言われると、「いえいえ、たとえポテンヒットでも公式記録上はただ『安打』としか記録されませんから」と、胸を張って答えていたことがあったのをふと思い出してしまいました。
大打者にとって、たとえ形はどうであれ、立派な自分の記録を形作っているピースの一つであることには違いないわけで、同じように可愛い・・・ということでしょうか。

ついでに言えば、王さんの現役時代の監督にして、巨人の4番打者の先輩でもある川上哲治元巨人監督は、現役時代、「弾丸ライナー」と呼ばれた快打を連発し、打撃の神様と言われた人ですが、さすがに選手としての晩年になってくると、かつての快打は影を潜め出し、野手の前にポトンと落ちる「テキサスヒット」ばかり打つようになったことから、「テキサスの哲」などと呼ばれるようになった・・・とか。
それらを考えれば、安打の形など、無事、イチロー選手の偉業が達成されたことを思えば、五体満足で生まれてきたようなものでこの際、贅沢は言わないことと致しませう(笑)。
                                         平太独白
# by heitaroh | 2009-09-14 18:21 | スポーツ | Trackback(1) | Comments(6)

吉宗の「国富て民貧す」と宗春の「民富て国貧す」の是非
親愛なるアッティクスへ

享保の改革で知られる八代将軍徳川吉宗に対し、尾張藩第七代藩主徳川宗春は、それを真っ向から否定するような政策を打ち出したことで知られていますよね。
質素倹約、質実剛健を旨とし、大奥リストラし、自らも質素な服をに身を包み、食事の品数を減らすまでして国家財政立て直しに奮闘した吉宗に対し、宗春は、「消費を抑制することは国民生活を苦しめ、結果的に財政再建に逆行する」として、名古屋城下遊興施設を誘致し消費拡大政策を採る・・・。
二人の主張は、今日でもどこかで聞いたような話にも聞こえますが、これは、どちらが一方的に正解で、どちらが一方的に不正解という類の物ではないように思います。

すなわち、民主制というのは、とかく、選挙民からの指示を得るために国民の歓心を買おうとする傾向があり、その結果、「民富て国貧す」となりがちであるのに対し、独裁制というものは、基本的に民意というものを顧みる必要がないことから、「国富て民貧す」という可能性が高くなるわけで、この辺は我々の生活が貧窮するのも困るものの、バラマキの挙げ句に国家財政が破綻するというのも、結果的に我々の生活に大変な災厄をもたらすということを考えれば、表裏一体、自己矛盾のジレンマと言っても良いのかもしれません。

ちなみに、吉宗は紀伊家の四男から将軍に登り詰めた人ですが、宗春も尾張家の十九男として生まれており(吉宗が12歳年長。)、これは普通は家督を継ぐことなく、他家に養子に出るか、そうでなければ一生を厄介者として生きることを宿命づけられていた存在であり、それが、将軍尾張藩主になったわけですから、当初、吉宗は自分と似た経歴のこの分家の当主に親近感を持ってこれを迎えたと言われています。
しかし、尾張藩主となった宗春は、紀伊家出身のこの将軍が気にくわなかったのか、あるいは厄介者であった頃に吉宗の財政再建のための緊縮財政による庶民の窮乏を目の当たりにしていたこともあったのか、吉宗の政策を真っ向から否定するような消費拡大策を打ち出します。
これにより、少なくとも名古屋城下に限っては、倹約令で停滞していた街は活気を取り戻しますが、当然、将軍吉宗としては容認しがたい話であり、宗春が参勤交代で江戸へ下った際には詰問の使者を差し向けています。
このとき、宗春は、一応、上意として受け賜ったものの、尾張藩主と幕吏という立場に戻った後は整然と反論し、使者を黙らせたと言いますから、単なる吉宗への当てつけなどではなく、彼には、それなりの自分の政策に対する理論的裏付けがあったように思えます。
しかし、この路線対立の結末は宗春の一方的敗北で終わります。

消費拡大によって経済の活性化を図るという政策は、どうしても爛熟退廃の気風に繋がりやすいもののようで、尾張藩のモラル低下も目に余るものとなった上、消費刺激策という名のバラマキを続けてきた結果、藩財政はついに破綻
バブル崩壊により財政赤字に転落したことから、庶民に増税を課したことで民衆の支持も失い、頃合い良しと見た吉宗は、将軍家との対立を案じていた尾張家重臣団と呼応しクーデターを敢行、宗春は失脚に追い込まれました。
                                         平太独白
# by heitaroh | 2009-09-11 08:28 | 歴史 | Trackback | Comments(2)
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国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。

by heitaroh
プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」と「固定資産税」。

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年、共に完売となり絶版となる。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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